2021/8/31

「誰も楽をすることだけを考えてはいない」〜ないところに人の悪意を探すな  政治・社会・文化


 誰も楽をすることを考えていない、誰も金儲けのためだけに生きてはいない。
 それがこの国のやり方だ。
 人々の利害はしばしばぶつかり合い、ときに悪意が見えるような気もするが、
 そうではない、人々は美しい

という話。 
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(写真:フォトAC)

【うっかりしゃべったことが、曲解され広められる】
 親は自分の子が一番かわいいし学校の教師は自分の担任する子が一番かわいい、そして医師は自分の担当する患者が最も大切。それは当たり前のことです。ことにそれが瀕死の状態にあるとなれば、何を置いても助けてもらいたいと思うのは当然の人情でしょう。

 昨日紹介したコロナ専門の訪問診療医の言う、
「かえって高齢で非常に予後が限られた方であれば、『最後かもしれないけど受け入れるよ』という現象が見られる」
というボヤキは、そうした思いから口をついて出た言葉だと思われます。
 ですからこれをもって医師はコロナ受け入れ病院に不満を持っているとか、助かる見込みのない高齢者を差し置いて自分の患者を入院させろと言っているとか、そんなふうに考えるのは間違っています。今日までの1年半、コロナ受け入れ病院がどれほどの苦労を重ねてきたか、同じ医療者として知らないはずはないからです。

 しかしそんな繊細な言葉を、メディアはいとも簡単に、
「手の施しようのない高齢の患者を引き受けることで、病院は難しい治療から手を引くことができ、病床も増やすことができる。こうして若い重症者は十分な治療を受けられないまま、『助かるはずの命』が失われていく――」
と解説したりします。


【報道とは人の悪を炙り出すものだ、たとえ悪がなくても】
 報道に携わる人の中には、公的なもの、大きな組織に対しては、常に悪意を炙り出し公表するのが仕事と心得ている人たちがいます。
 彼らにとって政治家は私利私欲のために働き、権力を振りかざす人でなくてはいけません。官僚は常に汚職の機会を伺い、もはや難しくなった天下りの道を在任中ずっと探っているような人たちです。
 教師は暴力を好む小児性愛者、しかも力をもって子どもを抑えたがる学級の暴君であり、大病院の医師は楽に儲けようとする鼻持ちならない人たちでしかありません。そうした枠の中で考えれば、高齢者が優先的に入院できるらしいという情報も、手の施しようのない老人たちを受け入れることで楽をする、楽ができるから病床が増やせる、病床が増やせるから補助金が増える、そう考えての措置に違いない、といった結論になってしまいます。


【そうではない、人々は美しい】
 私はそのようには考えません。
 ごくわずかの犯罪的な人々を除いて、この国に生まれこの国で育った人たち、この国を愛しこの国に生きることを決めた人たちは、ほとんどが自己の生き方や仕事に誠実であり、常により正しく、より良く生きたいと精進していると思っているのです。

 大工さんは寸分狂いのない仕事をしようし、壁の裏の隠れる部分ですらいい加減なことはしません。電車の運転士は30秒の遅れも早い到着も自分に許さない――。商売人は暴利をむさぼることなく適切な価格で良い商品を売ろうとし、農家はいつでも安全で新鮮な作物の出荷するよう心がけている、それがこの国の人々あり方だと思っているのです。
 したがって、
「かえって高齢で非常に予後が限られた方であれば、『最後かもしれないけど受け入れるよ』という現象が見られる」
ということが事実なら、そこには悪意とは正反対の、美しい何ものかがあると考えざるを得ません。
 それはすでに「最後かもしれないけど受け入れるよ」という言い方の中にある、極めて高い道徳的な感情です。

(この稿、続く)

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2021/8/30

「新型コロナ:『高齢者を犠牲にすれば助かるはずの命』を救え」〜テレビはあっさりとそう言う  メディア


 新型コロナ感染第5波は天井知らずに増えていく。
 医療はひっ迫し、危機的な状況にあると私たちは信じてきた。
 しかし実態はそうでもないと、ある報道番組は語った。
 見込みのない高齢患者を犠牲にすれば、何とでもなる話だと。

という話。 
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(写真:フォトAC)

【8・8万倍の影響力にふさわしい責務】
 私がこのブログを書き始めて15年半になります。その1年半ほど前からブログの元となる記事は書いていて、のちにここに追加しましたから記録上は2005年から17年も書いてきたことになります。記事の総数は3800本ほどです。
 アクセスは一番多い時期で1日220ほど。それが、特に退職してからはジリ貧で、現在は100前後、最近は100を切る日もかなり多くなっています。
 もちろん趣味でやっていることですからそれで十分なのですが、別のことを考えると心が揺らぎます。

 インターネットに押され、テレビや新聞・雑誌の地位は下がっているといいます。しかしNHK「ニュース7」やテレビ朝日「報道ステーション」といった高視聴率番組を除いても、ニュース番組の視聴率は大体7%前後で、これを人数で考えると880万人あまりということになります。

 私が毎日一生懸命書いても100人弱、テレビは880万人に影響を与えることができる、そう考えるとテレビ報道は私の8・8万倍はきちんとした仕事をしてくれなくては困る、そんな考えに囚われるのです。ところがそれが、しばしばあまりにもひどい。


【こんな報道があり得るのか】
 私がいま頭に思い浮かべているのは、先々週の土曜日の報道番組です。
 
 内容は新型コロナの在宅医療に関するもので、担当の医師が苦労を重ねて訪問診療を続けているさまが紹介されます。患者の中にはすでに重症化が進んでいるにも関わらず、なかなか病院に受け入れられずに苦しんでいる人もいます。
 医師は酸素吸入器を使いまわし、2台重ねで使用したり、ぎりぎりの医療に奔走したりせざるを得なくなっていると、そこまではいい。
 問題は最後にひとりの放送記者がまとめる部分で起こります。

 在宅医療もそろそろ限界になろうとしている、酸素装置が不足するためにどの患者に酸素を与えるのか、どの患者を入院させるのか、現場の医師が命の選択をせざるを得なくなっている。しかし重症者用ベッドは空かず、空いても若者より高齢者が優先される傾向がある。
 これについて訪問診療の医師は「かえって高齢で非常に予後が限られた方であれば、『最後かもしれないけど受け入れるよ』という現象が見られる」と話すのですが、それを放送記者は次のように解釈し紹介するのです。

 もう手の施しようのない高齢の患者を引き受けることで、病院は難しい治療から手を引くことができ、病床も増やすことができる。こうして若い重症者は十分な治療を受けられないまま、「助かるはずの命」が失われていく――。

 
【「助かるはずの命」のもうひとつの意味】

「助かるはずの命」がこういう使われ方をする可能性に、私はまったく気づきませんでした。
 私にとってそれは「日本の病院の受け入れ能力がもっと高ければ助かるはずの命」であって、「高齢で助かる見込みのない命を犠牲にすれば代わりに助かるはずの命」ではなかったのです。
 それを番組はいとも簡単に後者として語ります。

 この一年半あまりの医療従事者の艱難辛苦について、メディアは何度も繰り返し報告してきたはずです。コロナ治療の最前線は今も昔も地獄で、医師や看護師は献身的に治療・看護を続けている――私たちはそのように伝えられ、そう信じてきました。ところが必ずしもそうではないと番組は語ります。

 病院は政府の要請に従ってコロナ患者用ベッドを増やし、重症者向け1床あたり1500万円、それ以外の病床は1床あたり450万円の補助を受けておきながら、実際には手のかからない高齢者を積極的に受け入れてベッドを埋め、そのために助かるはずの若い命が在宅で失われている――この番組がシレっと語っているのはそういう重大な問題です。

 しかしそんなこと、あると思いますか?
 在宅医療の担当者たちは命がけの仕事をしている間に、コロナ患者受け入れ病院の医師たちはけっこううまくやっている、それがこのニュースを手掛けた人々の総意で一番訴えたかったことなのでしょうか?

(この稿、続く)


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2021/8/27

「隻脚のスイマーと家族の肖像」〜パラ競技を観ながら思い出したこと  教育・学校・教師


 パラリンピックもいよいよ本格的な競技が始まった。
 ここに至るまでの本人および家族の人生はいかばかりか。
 そうした人々の人生に思いを馳せ、同時にスポーツを純粋に楽しみながら、
 今後も観戦していきたいものだ。

という話。 

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(写真:フォトAC)


【公認プールのある学校】
 教員になって二番目に赴任した村立の学校には50mの公認プールがありました。学校のプールというのは25mが基本で、仮に50mプールをつくるにしても公認を取らないのが一般的です。公認プールとなるとさまざまな大会が持ち込まれたり何かと面倒だったりするからです。噂によるとわざと1cm短くして公認されないようにしているところもあると聞きます。
 それでも私の赴任校が公認にしてしまったのは、財政豊かな村の奇妙な見栄だったのかもしれません。ただしもちろんそのために、部活の地区大会やもうひとつ上の地域大会の会場にもなり易く、そのたびに水泳部と関係のない私たちまで駆り出され、迷惑この上ないことでした。

 私はその学校で3年間、大会があるたびに駆り出され、招集係として選手を集める仕事をしました。そこに現れたのが片足の選手だったのです。


【隻脚のスイマー】
 隣りの市の中学3年生の男子ですが片側の脚の膝から下がなく、スタート台ではギリギリまで松葉づえで立ち、「位置について」の合図でそれを友だちに渡すと、あとは倒れ込むように入水するのです。

 長距離自由形の選手でした。
 自由形(クロール)のバタ足は推進力としては大したものではなく、足を浮かせておくのが役割みたいなものですから片足もさほど苦にならないのです。特に長距離の場合たいていの選手はワンストローク・ツービートで泳ぐので足は流しているのと同じ、その意味でも隻脚のスイマーには向いているのです。
 ただし初めて見る者にとって、その姿は衝撃的です。


 通常、私たちは生活しているだけで街のあちこちで障害者と出会います。白杖も車いすも珍しいものではありません。明らかに片腕のない人も、街中で手話でやり取りしている人も、今や珍しいものではありません。それなのに片足のスイマーが衝撃的なのは、やはりやはり水泳という足の切断面がはっきりと見える競技で、彼が勝負しているからです。
 車いすラグビーでも車いすマラソンでも何でもいいのに、この子はなぜ選りによって水泳を選んだのか――それが“衝撃”の意味です。


【競技の入り口、様々な見方】
 もちろん今なら分かります。水泳は浮力に頼れる分、リハビリや障害者スポーツの入り口としてやりやすいからです。高齢者が改めてスポーツを始めるとしたらもっとも向いているのが水泳で、長く続けられるのも水泳です。私の母などは89歳までプールに通い続け、水ではなく、階段が怖くなってようやく行くのをやめました。

 40年近く前に私の会った片足の中学生スイマーも、そうした経験を経て最も水泳が向いていると考え、そのまま競技を続けて来たのでしょう。しかしそれにしても障害が最も露わになる競技です。私はその時すでに30代の半ばでしたが、本当に頭の下がる思いで、翻って自分の生き方を恥じました。。

 パラリンピックが始まり、最も早く行われる競技として水泳競技が毎日中継放送され、ニュースでも取り上げられるようになっています。もちろんそこにいるのは単に障害を持った人たちではなく、才能に恵まれ、異常な努力もできる人たちです。そしてその競技生活の最初の時に、何か特別な出会いのあったひとたちでもあるはずです。

 そのひとつひとつを確認することはできませんが、彼らの人生に思いを馳せて、今後の競技を見ていきたいと思います。
 私は人の子の親ですので、我が子が障害を持って生まれた、あるいは何らかの事情によって障害を持つに至った日の、親の気持ちを想います。どんな覚悟だったのでしょう。
 もちろんそれと同時に、興味ある競技については純粋にスポーツを楽しむ気持ちで観戦もしています。

 以上、様々な視点をもって、子どもたちにもパラ競技を見せたいと思っています。

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2021/8/26

「萩野の前に萩野なし、萩野のあとに萩野なし」〜間もなく日本にスーパースターは現れなくなる  教育・学校・教師


 競泳の萩野公介が引退する。
 世界のスーパーアスリートになれる逸材だと思っていただけに残念だ。
 荻野の前に荻野はなく、萩野のあとに荻野は生まれない。
 同じ世代には似たようなスーパースターが目白押しだが、
 これからは一人ひとり、消えていくだけで後が続かない

という話。 
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(写真:フォトAC)


【萩野公介、引退する。そして同い年の人々】
 2020東京オリンピックの興奮の冷めやらぬ中、そして日本国民の目がパラリンピックとコロナ感染に奪われている中で、競泳の萩野公介がひっそりと引退しました。リオデジャネイロ以後の失速さえなければ、80年代のミヒャエル・グロス、マット・ビヨンディ、90年代のイアン・ソープ、2000年代のマイケル・フェルプスと並ぶ水の怪物となると信じ込んでいましたので、とても残念です。

 その萩野公介に関するニュースのあれこれに目を通していたら、ハフポストに「萩野公介選手が引退へ。大谷、羽生選手…1994年度生まれの“最強”アスリートはこんなにいる」という記事に目が留まりました。ハフポストが名前を挙げていたのは萩野以外に次の面々です。
・ 米大リーグ・エンゼルスの大谷翔平(94年7月5日生まれ)
・ フィギュアスケートの羽生結弦(94年12月7日生まれ)
・ レスリングの川井梨紗子(94年11月21日生まれ)
・ プロ野球・広島の鈴木誠也(94年8月18日生まれ)
・ 英プレミアリーグ・リバプールの南野拓実(95年1月16日生まれ)
・ スピードスケートの高木美帆(94年5月22日生まれ)
・ バドミントンの桃田賢斗(94年9月1日生まれ)
・ バドミントンの奥原希望(95年3月13日生まれ)

 しかし私はもっと大勢の名前を上げることができます。
 水泳ではもちろん萩野と並ぶ瀬戸大也、野球では藤波晋太郎。サッカーで中島翔哉、パラリピアンでは車いすテニスの上地結衣。柔道のベイカー茉秋、プロバスケットボールの渡辺雄太。
 スポーツ以外では芸能界に川島海荷、宮沢氷魚、伊藤沙莉、福田麻由子、山崎賢人、二階堂ふみ、清野菜名、広瀬アリス、栗原類。これまた錚々たる陣容です。もちろんここに上げたのは私が名前を知る人だけで、他にも大勢います。


【“ゆとり世代”の勝利】
 なぜこんなに簡単に言えるかというと、3年前の11月14日の本ブログで、1994年生まれとは別のくくりでこの人たちを取り上げているからです。そのくくりというのは、「ゆとり世代」です。
  2018/11/14 「ゆとりですが何か?」〜羽生・大谷・藤井・梨花
 サブタイトルに「藤井・梨花」と入れたように、枠を「ゆとり」に広げると藤井聡太君も紀平梨花さんも入ってきます。

 「ゆとり世代」というのは大雑把に、高校3年間を「ゆとり教育」ですごした1987年度生まれから、小学校に入学したときはまだ「ゆとり教育」をやっていた2003年度生まれまでをいうのが一般的なようです。
 年齢で言うと現在34歳から18歳までの人たち。田中将大・前田健太から始まって香川真司・内村航平・松山英樹・浅田真央、池江璃花子、錦織圭、伊藤美誠、AKBグループの全員、きゃりーぱみゅぱみゅ、Perfumeと、単に名が売れただけでなく、日本のスポーツ・芸能界で時代を画すような人が目白押しです。学術・芸術面では不十分ですが、評価が熟成するにはまだまだ時間がかかるということなのでしょう。

 15年ほど前に私たちが「だから“ゆとり”はダメなんだ」とか「“ゆとり”じゃねえ」とか、あるいは「円周率が『3』の人たちネ」とバカにしてきた人たちに、今、支えられているのです。


【なぜ“ゆとり”世代は最強なのか】
 なぜ「ゆとり世代」はこれほど優れているのか――。これについては「『総合的な学習の時間』で培われた“生きる力”が有効に働いているのではないか」とか「ゆとり教育が目指した個性重視が実を結んだ」とかさまざまな意見がありますが、私は単純に学校五日制が完全実施となり、親の週休二日制も進んで土日を計画的に使えるようになったからだと思っています。修行というのは行き当たりばったりではできないのです。

 しかしそれも2008年までの話。一部で土曜授業が復活して土日の使い方が変則的になり、保護者の関心が小学校英語やプログラミングに向かう今日、もう第二の萩野公平も大谷翔平も、そして藤井聡太も出て来ないのかもしれません。
 社会は多様性から統一性へ向かっています。

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