2021/7/7

「『私たちが大谷翔平を育てた』と言おう」〜言わなければ誰も評価しないB  教育・学校・教師


 アメリカ人の心を震わせる大谷選手の言動も、
 日本国内ではさほど珍しいものではない。
 この国では多くの若者がそのように育てられて来るからだ。
 その中心に、学校がある。

という話。
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(写真:O-DAN)


【私たち教師が大谷翔平を育てた】

 大谷選手が高く評価されている「謙虚で慎み深い」性質は、学校が育てようとしている美質のひとつです。ですから教育する教師もまた謙虚で慎み深く、そのために、自分たちの努力や能力を誇示したりしません。

 子どもが鉄棒で初めて逆上がりできた日、わざわざ家に電話して「お宅のお子さん、私の指導のおかげで逆上がりができるようになりました」と伝える教師はいないでしょう。児童もまた「先生のおかげでできるようになった」とは言いません。教師は黒子に徹底すべきだという道徳律が厳然と生きているからです。

 しかし黙っているとだれも気づかず、評価することもしません。
 だから今こそ、本気で、大声で。教師たちは叫ぶべきなのです。
「大谷選手が合衆国で示し賞賛されている道徳的なありようは、すべて私たちが教え、練習させ、鍛えてきたことだ。つまり大谷翔平選手は私たちが育てた、少なくともその道徳的な部分は彼の家族とともに、私たち教師が育ててきたものなのだ」
と。


【日本人の道徳性はどんなふうに育てられたか】

 ほとんど意識されませんが、日本の学校は朝から晩まで道徳を教えているような場所です。
 学習指導要領にも、
「特別の教科である道徳(以下「道徳科」という。)を要として学校の教育活動全体を通じて行うもの」
とあるからです。道徳という言葉が耳障りなら「人間関係の学び」と言っておけばいいでしょう。

 朝登校してきたら互いに挨拶をしましょう。先生は大人ですから敬語を使って語りかけなさい、目上の人にはそうするものです。会社に入ってから急に言葉や態度を変えようといったってムリです。

 授業の始めと終わりには先生と一緒に挨拶をします。チャイムが鳴ったらその瞬間から教室は特別な場所、いわば結界ですから、そのつど気持ちを切り替えなくてはいけないのです。

 発言は手を挙げて指名されてからします。みんなが一斉にしゃべり出すのは民主主義のルールに反しますが、それ以前に人間として正しい態度ではないのです。ひとの発言を尊重しない人は自分の発言も尊重してもらえません。しゃべる前にまず聞きなさい。

 給食の準備は全員でします。当番でなければ自分の机の整理をするだけでけっこうですが、当番になったら務めをきちんと果たしなさい。分業と協働はこの国で最も重要な価値のひとつです。自分の仕事は完璧に行い、余裕があったら何か落ちがないか、全体を見回して欠けた部分を補うのです。

 自分の使った場所の掃除はあなた仕事です。黒人やプエルトリコ人といった貧しい人々の専業ではありません。学校で差別を学んではいけないのです。
 掃除の仕方と道具の使い方を覚えましょう。宋の朱熹(しゅき)は「格物致知(かくぶつちち:知をいたすは物にいたるに在り)」と言って客観的な事物そのものから学ぶことの大切さを教えました。床や壁、机や黒板から学びなさい。そのために心を込めて磨くのです。

 帰りの会の前には、きちんと帰宅の用意をします。早くウチに帰りたくても部活に行きたくても、ここは心をいったん鎮め、場と心と人間関係にやり残しがないか、静かに振り返るのです。そして「すべて成し終えた、遺漏はない」と確信したら、「あとみよそわか」と呪文を唱えて静かに先生の来るのを待ちなさい。

――道徳教育の高い理想は、週に一時間しかない「特別の教科である道徳」の授業だけで果たせるものではありません。運動会や文化祭、修学旅行や卒業式といった大きな行事も含めて、「特別活動」と呼ばれる枠の中で行われている道徳教育に多くを負っているのです。


【部活動も道徳教育の場】
 日本では教育課程のみならず、課外活動であるはずの部活動ですら道徳優先です。大谷選手の出身校である花巻東高校の佐々木監督の指導方針も、
「選手を育てる前に人を育てよう」
でした。
 それが世界に通用するレベルで達成できたという点では偉大ですが、考え方自体は珍しいことではありません。この国ではベースボールですら「野球道」などと言い換えられ、求道的な世界だと考えられます。
「日本一の目指すなら、日本一の全力疾走をしよう」
という佐々木監督の呼びかけは、理念としても具体としても、大谷選手の心身に深く生きています。だから大敗の9回でも、彼は全力疾走で1塁に向かわなくてはならないのです。


【何を学校から削るべきか】
 最も大事な点は、学校の道徳の実地講習の場が「特別の教科である道徳」ではなく、特別活動や部活であるということです。
 私が行事の精選だの部活の縮小だのに強く抵抗するのはそのためです。

 英語やプログラミングは、日本人を日本人たらしめる最も重要な学習の場(特別活動や部活)を大きく減らしてまでやるべきことではないと思うのです。それらを減らすくらいなら、数学や国語の削減も厭いません。普通の大人は連立方程式や関数、漢文や古文なんてできなくても困らないでしょ? でもこの国ではきちんと挨拶をしたり身の回りを整えたり、さりげなく人助けをしたりといったことができないと、豊かな人生を送ることが難しいのです。おもてなしや気遣いは流ちょうな英語よりはるかに重要です。

 とりあえず平成以降に加わった追加教育(総合的な学習の時間だの小学校英語だの、あるいはキャリア教育だのプログラミング教育だの)は、全部外してみる価値があります。

(この稿、続く)

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