2021/7/30

「たった一度の過ちも許されない時代の始まり」〜デジタル・タトゥー、誰も忘れてくれないA  教育・学校・教師


 現在と価値観の異なる40年前の事案で仕事を失う――
 いま始まっているのはそういう時代の到来だ。
 私たちがしなくてはならないのは、半世紀のときを経ても、
 後ろ暗い部分のない子どもの育成――できるか?

という話。
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(写真:フォトAC) 

【今の価値観で過去が断罪される】
 東京オリンピックの開会式、大工さんの棟梁に真矢ミキさんが来たのには不満はないのですが、何か力が足りないと思っていたら、前日まで竹中直人さんと一緒にやる予定だったそうです。36年前に発表したオリジナル・ビデオの中に視覚障碍者や女性を揶揄する演技をする場面があり、それを理由に急遽、辞退したと言います。

 30年以上も遡るとなると“何でもあり”のバブル経済真っただ中ですから、そのころテレビのバラエティ番組に出ていた男性タレントで無罪の人はほとんどいないでしょう。私は「8時だョ!全員集合」という番組が大嫌いでしたから(という割にはよく見ていた)、反吐が出そうな場面をいくつも覚えています。
 今は若すぎる妻と老後を楽しんでいる加藤茶さんや新型コロナの殉教者のように扱われている志村けんさんも、中でもっとも罪深い人たちです。すでに第一線を退いたり亡くなったりしていますから今後も追及されることはないと思いますが、現在の基準で考えればとんでもないことをしていたのです。

 そうした時代に行ったことを、竹中直人さんは意識して辞退せざるを得なかったわけで、逆に言えば私たちは、30年〜40年といった先を意識して今を生きなくてはならないことになります(年齢から考えると私の30年〜40年後はなさそうですが)。

 かくいう私も現職のころは平気で子どもの頭を小突いていましたし、30年も遡れば中学校3年生くらいを大人扱いしてきわどいことも言っていましたから、訴えられればたちまちアウトです。しかしそうは言ってももう現役ではありませんし、何より無名ですから調査しようとする人もいない、そもそもネット上に本名がありませんからほぼ安全です。
 そしてここにもうひとつの重要な点があります。要するに有名でなければいいのです。


【援助交際の何が悪いんだ】
 私はかつて自分のサイトで、「援助交際の何が悪いんだ」とうそぶく女子中高生を想定して、これをどう打ち破るかという文章を書いたことがあります。半分オチャラけて書いていますが、本心はかなりまじめです。
「エンコー(援助交際)の何がいけんの?」
 スマホはこちらから→

 ポイントのひとつは善悪ではなく「差別されるぞ」という現実論として話すことです。
 一度でも売買春に手を染めた者に普通の就職などありえない。普通の結婚などは夢のまた夢――もちろんバレないようにすればいいわけだが、重大な隠し事を抱えて生きる人生は大変だ。普通に収まっているうちはまだしも、新進の実業家として注目されたりタレントとしてスカウトでもされたりしたら地獄となる。名が売れれば売れるほどバレる可能性も増え、やがて人生の一番いい時にその隠し事がひょっこり顔を出す――松本清張の小説によくあるパターン。

 そうした説明をした上で、私はこんなふうに書いています。
 もしかしたらあなたの娘はこう言うかもしれない。
「 一晩限りのお客が、私の顔など覚えているはずがないジャン」
・・・人間を甘く見てはいけない。
 私のかつての同僚は1500人近くの生徒全員の顔・氏名・学年・組・所属の部活・兄弟関係のすべてを言うことができたし、(中略)別の友人は一度でも言葉を交わした相手は一生忘れないと豪語し、しかもそれを実証するような例を山ほど抱えているのだ。
 そう言ってやれ。


 今はこんな脅しは無用です。


【今ならこう言う】
「例えば若い女性が人を殺したといった人の耳目を引きそうな話題があったら、その女性の名を検索してみると面白いよ。新聞発表があって半日も経たないうちに、ネット上に『犯人の学歴判明』とか『FB(フェイスブック)を特定』あるいは『犯人の父親は〇〇だった』といったページがいくつも出てくるのだ。私と同じ好奇心の強い人間があれこれ掘り出して短時間でネットに上げてくる。それをやはり私のような好奇心の強い人間が見て管理者に広告収入が入る仕組みだ。世の中にそれで稼ぐ人間がいくらでもいる。

 そんなセミプロに遭わなくても、普段、新しく知った人について検索してみようと試す人は少なくないよね。いまは名前で検索するのが一般的だが、画像検索を使う人もいるかもしれない。将来は画像とキーワードを使って一気に絞り込む時代が来るかもしれない。
 そんなことになったら、過去はいくらでも掘り出されてしまうだろう。
 売買春の現場を撮影するなんてめったにないことだと侮ってはいけないよ。つい先日ホテルで殺されたデリバリー・ヘルスの女性は、隠しカメラを発見したところから騒ぎになって殺されたのだ。ネット上には自分の何があるか分からない――。

 しかも情報は後から追加される。韓国のバレーボールの美人姉妹は有名になる中で過去にやったいじめの被害者に訴えられたのだ。いったん胸にしまったことでも相手が有名になって世間からもてはやされるにしたがって甦り、彼我の状況を見比べて憎しみを増す被害者もいる。裁判所は敷居が高いがネットは“何でもあり”、訴えて注目されれば、無数で無名の審判者たちが一斉になだれ込んで来る――。そしてキミの人生が終わる」



【一度でも悪いことをしたら生涯つきまとうデジタル・タトゥー】
 今やっている悪事がいつの間にかネットの中で蓄積され、忘れたころにブーメランのように戻ってくる――そのことは子どもたちにも教えておかなければなりません。現在の不正が10年後、例えばキミが就職したり結婚したり、あるいは芸能界にスカウトされた瞬間に戻ってきてキミを破滅させる、そういう可能性です。

 翻って親や教師の立場からすると、これまでいじめや不良行為の指導は被害者救済や道徳の問題だったのが、これからは加害者(あるいは加害者とされた者)の将来を守るという側面も持つということです。

 一度でも悪いことをしたら、生涯つきまとうかもしれないデジタル・タトゥーから子どもを守る――時代の制約もあれば冤罪の危険もあるたいへん重苦しく難しい問題ですが、これからは考えていかなければならないことです。

(この稿、終了)

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2021/7/29

「『呪われた五輪』の舌禍事件はあれでよかったのか」〜デジタル・タトゥー、誰も忘れてくれない@  政治・社会・文化


 ようやく始まったオリンピック。
 ここまでくる道のりはほんとうに大変だった。
 しかし今、落ち着いて考えるとあれでよかったのかと思うことも少なくない。
 五輪の呪いは、オリンピックが終われば解けるものなのだろうか。

という話。
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(写真:フォトAC) 

【呪われた五輪】
 思えば今回の東京オリンピックは最初からケチのつきっぱなしでした。
 オリンピック招致の言い出しっぺの都知事が石原慎太郎さん、招致決定の時は猪瀬直樹さん、次が舛添要一さん、そして今の小池百合子さん。韓国の大統領ではありませんが、現職以外はロクな終わり方をしなかったり後に厳しく非難されたりしています。
 現都知事になってからも築地問題で輸送計画が二転三転、都心で行うコンパクトな大会のはずがあちこちに分散され、ボート競技が行くかもしれないと言われた宮城県知事も散々振り回された挙句、結局、元のさや。
 早々に決まっていた新国立競技場も実際に建てようとしたら計画の2倍以上の予算がかかる、そもそも不可能な設計だとかでコンペからやり直し。エンブレムは決まった直後に作家に盗作疑惑が出てこれもやり直し。挙句の果てがコロナ事態での1年延長。

 今年に入ってからはさまざまな舌禍、過去の悪行の露見とかで、森会長を始めとしてたくさんの関係者が現場から消えていきました。「呪われた五輪」と言われるのもやむを得ないのかもしれません。


【あれで本当に良かったのか】
 それぞれの舌禍事件の際は私も呆れ、怒り、
「こんな人、オリンピックの関係者から早くいなくなあれ」
とばかりにその様子をただ見送ったのですが、今になるとあれでほんとうによかったのかという気がしないでもありません。もちろんやったことは悪いに決まっていますが、罪と罰の対応は適切だったのか、辞任・解任にまで追い込むほどのことだったのかと考え込んだりします。

 例えば森喜朗前会長の「女性がたくさんいる会議は長くなる」という発言。好ましいものではありませんが招致のころからずっとご苦労いただき、おそらくこのオリンピックを最後に第一線から手を引いて隠居生活に入るだろう人を一敗地にまみれさせ、汚辱の中で消していかなくてはならないほどの重大事案だったのかというと、そうでもないような気がしてくるのです。
「昭和のジジイ、何も分かっちゃいねぇなあ」
で、見過ごすことはできなかったのか。

 東京五輪・パラリンピックの開閉会式の企画・演出で全体の統括役を務めるはずだった佐々木宏さん。渡辺直美さんを使った「オリンピッグ」のアイデアはLINEの企画会議でも参加者からケチョンケチョンに言われたみたいですが、これも昭和のオッちゃんの話、バカにしていいことですが辞任するほどのことでもなかったのではないのか。

 もちろん開会式の音楽を担当していた小山田圭吾という人の、障害者を虐待した話はだいぶ異なります。27年前の雑誌の中で、私立の中高一貫校にいたころ自らが指示して行った虐待について実にあっけらかんと、面白おかしく話しているのです。
 中には創作部分もあるような気もするのですが、話半分だとしても犯罪です。内容を知って、胸糞が悪くなるような類のものでした。
 ただ、これに関しては27年間に幾度か問題になり、そのつど小山田氏が謝罪してきたという経緯があるようです。事情を知るインフルエンサーの中には「いったい何度謝ればいいんだ」と擁護に回る人もいましたが、その人のSNSも大炎上で謝罪に追い込まれたりしています。
 しかしこれまで小山田氏が何回謝罪したかはどうでもいいのです。オレはそれを見ていないしオレの心の中では決着がついていない、だから謝罪の上で辞任すべきだ、否、そもそも表舞台に立つべきではなかった――
 そうした世間の風に、私も同調しました。しかしそれでよかったのか?

 小林賢太郎という人の「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」となるとさらに微妙です。23年前の漫才の一部で、
「(プロデューサの)戸田さんが、作って楽しいものもいいけど、遊んで学べるものも作れって言っただろう」
から始まり、紙を使った野球をやろうといった話に進んで、スタンドを紙で作った人間で埋めつくして・・・となって、
「おお、いいんじゃない。ちょうどこういう(手で示す)人の形に切った紙がいっぱいあるから・・・」
「ああ、あのユダヤ人大量惨殺ごっこをやろうって言ったときの、な」
「そう、そう、そう、そう、そう」
「戸田さん怒っていたよなあ、放送できるか!ってなあ」
と一瞬でてくる話です。

 森さんや佐々木さんのような「昭和のジジイ」的発想で済まされる問題ではありません。ユダヤ人虐殺問題は昭和であっても軽々しく扱ってはいけない、いや昭和だからむしろ丁寧に扱っていたことです。それが平成になったらひょこんと出てくる――あまりにも無知、そして無恥、浅はかにもほどがある話です。
 ただ、しかし23年も経ってからアメリカの反ユダヤ主義監視団体(SWC)の抗議を受け、全世界から非難されほどのことかというと、それも違う気がします。そこまでたいそうな話ではない。


【現象は続く】
 だからこうしたことについて、改めてみんなで考えてみましょうという話をしているわけではありません。すべて済んだことですし、辞任または解任された人たちが再び表舞台で活躍しようとしない限り、蒸し返されることもないことです。
 しかし小さな会合で私的にしゃべったことが突然おおやけにされ、あるいは20年も30年前のできごとが引きずり出されて、人生の最も大事な場面でより多くの人に共有され糾弾されるということは今後も続いていくだろうということ、そうした状況に私たちはもっと敏感でなくてはならないということです。

 ネット環境に関しては日本よりも先進国であるアメリカや韓国では、すでにそういう社会になっています。アメリカではたくさんの映画俳優・スター歌手が過去のいじめやおろかな発言のために糾弾され謝罪しています。韓国の女子バレーボール界では今回東京に来るはずだった双子の美人アスリートが、過去のいじめのために永久追放になっています。

 今回のオリンピックで舌禍事件が続くのは「呪われた五輪」のせいではないでしょう。選挙や任命の際の身辺調査、それに似た人物検査がネット市民によって自主的に、大量に、徹底的に行われ、掘り出されたものが瞬く間に共有される、そうした時代の到来と東京オリンピックがたまたま重なっただけなのです。

(この稿、続く)

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2021/7/28

「できないことは叱ってはならない」〜東京都感染者3000人をどうみるのか  政治・社会・文化


 新型コロナ感染者が、東京都でいよいよ3000人にも達しようとしている。
 なぜこんなことになったのか。
 野党・マスコミは正義を笠に着て、できもしないことを政府・東京都に要求する、
 その政府・東京都は、同じくできもしないことを国民・都民に要求する。
 そしてみんな、意欲を失ってしまった。

という話。
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(写真:フォトAC) 

【東京都の、感染者数3000人が目の前!】

 昨日発表の東京都の新型コロナ感染者数が、2848人で過去最大となりました。近県はもちろん大阪、福岡といった大都市を持つ府県も軒並み感染者数を増やしています。宮根誠司さんをはじめとするワイド・ショウ関係者はもう一度手のひらを返して、オリンピック即時中止を叫んだりするのでしょうか。

 一説によると昨日の急激な増加は、先週末の四連休に報告できなかった分が出てきた(だから先週の金・土曜日の発表はびっくりするほど少なかった)という話もありますが、感染拡大が収まっていないのは事実のようで、早晩、一日2000人を越す感染拡大が常態になり、やがて3000人を越えてしまうことも考えなくてはなりません。そうなると本当にオリンピックを中止してしまうのか――。

 オリンピックが面白いから中止にしないで欲しい、ということではありません。やめられる状況にないのに即時中止の世論が高まると、単純に政治不信が増大し、政府が言うことを誰も聞かなくなる、きけばいいこともきかない、もともときかない人たちに口実を与えることになる、それを恐れるのです。


【オリンピックは絶対に中止にならない】
 オリンピックがやめられないというのは、単に数字の問題です。9万人もの選手・関係者を招いておいて途中で帰すにはそれなりの名分が必要です。
 東京の感染状況は中止の理由になりそうですが、日本にとっては過去最大の感染拡大といっても、昨日の段階ですら10万人あたりの感染者数は、コロナ対策の大部分を解除してしまったイギリスで日本の15・2倍、死者数でも11・1倍です。同じく感染対策からの自由を謳歌するアメリカ合衆国は感染者数4・8倍、死者数8・3倍、この状況で東京は危ないから中止すると言っても聞き入れてもらえないでしょう。

 日本人から外国人に感染させてしまう危険も、逆に選手から日本人に関瀬させてしまうリスクも、それを管理するのは日本政府の責任であって、海外アスリートが競技をやめて帰国することで実現すべきものではありません。
 新宿でも渋谷でも、マスクもしない日本人の若者が平気で闊歩している状況で、なんでオレたちが夢を諦めて帰国せにゃならんの? そう問われては返す言葉がありません。

 したがって「日本国民がロックダウン並みの自粛をしても毎日数百人が死亡する」とか、「ワクチン接種したアスリートでもバタバタと倒れるような変異株が東京で生まれる」といった極端な状況でもない限り、オリンピックは最後までやらざるを得ません。

 だとしたらみんなで我慢して、静かに家で過ごしましょうというのが私の考え方ですが、世間は必ずしもそうなっていかないのはなぜなのでしょう?


【政府も都も、誰も国民を誉めなかった】
 “自粛疲れ”だとか“自粛慣れ”だとか、いろいろ言いますが、要するに“いやになっちゃった人”がたくさんいるのです。
 一生懸命に自粛したって新型コロナはなくならない、やったところで誰も誉めてくれない、からです。

 今から振り返れば、昨年の第一回緊急事態宣言下の日本はとんでもなく凄かった――渋谷スクランブル交差点を見ても浅草仲見世の様子を見ても、まるでCG動画としか思えないほどに人っ子一人いませんでした。
 それを誰が誉めたか。
 少なくとも政府・東京都が誉めたという証拠はありません。当時私は何度も「もっと国民を誉めてくれ」と書きましたからよく覚えています。

 誉める代わりに何をしたか? 政府・東京都は、初夏に再び感染が拡大し始めると、「気の緩み」という言葉を使って国民に報いたのです。これは痛いミスというよりひどい仕打ちです。
たしかに私たちは一回の緊急事態宣言でコロナ感染を撲滅することはできませんでした。しかしそれは気の緩みではない。精一杯やってあの程度が自由主義なのです。日本よりはるかに厳しいロックダウンを実施したニューヨークやロンドン、パリと比較すれば、あれがどれほどすばらしいできごとだったかは明らかです。


【できないことは叱ってはならない】

 教育の世界には、
「できないことは叱ってはならない、やらないことは叱らなければならない」
といった言い方があります。さらに言えば、
「できなくても努力したことは誉めなくてはいけない、努力せずにできたことは(あまり)誉めなくてもいい」
ということもあります。

 国民の努力の至らなさを“気の緩み”と表現した政府・東京都は間違っています。国民のやる気を大いに削いだ政府の言うことを、国民は前向きに聞くことができません。
 緊急事態宣言の効果についてはこれ以上アテにできないからには、あとは検査数をさらに増やすとか、病床を確保するとか、ワクチン接種を急ぐとか、そういった具体的対策を地道に続けるしかないでしょう。

 野党・マスコミも、できっこないオリンピックの中止や、今さらながらの「オリンピックを開催する意義の説明」だの言っていないで、もっと建設的な議論をしていくべきなす。

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2021/7/27

「競技場には魔物がいる」〜東京2020オリンピック・メモA  人生


 13歳のゴールド・メダリストが誕生した。
 競技場には魔物がいて、しばしば人の運命を好き勝手に動かすようだ。
 それが苦しいこともあれば、失敗が面白すぎる場合もある。

という話。
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(写真:フォトAC) 

【13歳の金メダリスト】

 いよいよ13歳10カ月のゴールド・メダリスト誕生だそうで、まずはおめでとうございますと言っておきましょう。メダリストは少年少女に夢を与えると言ったりしますが、13歳では身近過ぎて、世の中を舐めるような子どもが続出しても困るなあなどと余計なことを考えたりもしています。もちろん冗談です。

 他のアスリートたちが臥薪嘗胆・精励刻苦する中でようやくたどり着く高みに、おそらく楽しんで面白がっているうちにたどり着いてしまったのでしょう。西矢さんが破るまで記録を持っていた競泳の岩崎恭子さんが、ゴールのタッチパネルを叩いて顔を上げたときのびっくりしたような表情が思い出されます。
 もっともあれから30年近く過ぎた今も、岩崎さんが世間から注目され、しばしば私生活まで監視され暴かれている事実を考えると、西矢椛さんの臥薪嘗胆はこれから始まるかもしれません。
 親御さんの喜びも緊張も、ひとしおかと思います。どうかいま以上に大切にお育ていただきたいと思います。


【競技場には魔物がいる】
 岩崎恭子さんや西矢椛選手が思わぬ金メダルを獲得したように、参加者全員が爪先立ってギリギリを競うような場面では、予想だにしなかったことが次々と起こります。
 先日取り上げた三宅宏実さんの試技直後の感想は
「まさか最後にこれ?」
だったそうですが、レジェンド内村航平選手の鉄棒落下や、自ら「メダルは99・9%確実」といっていた瀬戸大也選手の予選落ちなども同じです。

 外国選手に視野を広げれば、これも昨日取り上げた前回リオデジャネイロの女子柔道52kg級覇者、コソボのマイリンダ・ケルメンディ選手も、金メダル候補といわれながら初戦で敗退してしまいました。女子クレー射撃スキートの世界ランキング一位の選手は、それどころか東京に来てから新型コロナ陽性と判定されて棄権せざるをえなくなり、あるいはそもそも参加資格がなかったことを東京で知らされ、本国に戻らざるを得なくなったポーランドの競泳選手たちもいます。

 ここだけは避けたい、今だけは勘弁してくれと言いたくなる場面で、そのことは起こる――。
 日本の高校野球には「甲子園には魔物がいる」という言葉がありますが、オリンピックの会場にも、魔物が無数、徘徊しているようです。
 あとはその魔物と出会ったときの身の処し方です。

 その点で特に注目したのは内村航平選手でした。鉄棒の予選で落下した直後にネットニュースでは、本人の弁として「ふがいない」とか、鉄棒の代表枠を争って退けた後輩アスリートに「土下座して詫びたい」といったネガティブな発言が流れていましたが、翌朝の新聞を見るとこんな言葉も記録されています。
「これだけやってきてもまだ分からないこと、失敗することがあるんだなあと思うと、面白さしかない」
 前夜見た「土下座して詫びたい」といったしおらしさとは、打って変わったさばさばとした雰囲気――ある意味で清々しいといった感じさえします。


【私も知っているあの爽快さ】
 失敗したにもかかわらず体の内からあふれてくる笑い、さわやかさ、というものについて、規模は遥かに小さいながら、私にも幾度か経験があります。それは研究授業の場で起こります。

 研究授業というのは、いわば教員が協力して一つの理想的な授業を組み立て、
「どうやら普通の公立学校でも、ここまではやれそうだぞ、がんばれ」
と見本を示すようなもので、そのために教師は半年以上(足掛けで言えば数年)をかけて取り組む研究の発表会のようなものです。

 最終的には授業を見てもらって評価を受けるのですが、専門の教員ばかりのまな板に乗るわけですから、気合も半端ではありません。
 子どもたちにどういう資料を見せるのか、どういう反応がありそうか、期待する反応が出なかったら二の矢をどう討つのか、二の矢も外れたらどうするのか――。たった一時間の授業のために数十時間、時には数百時間もかけて検討し、計画案を書きます。

 その計画書を「指導案」というのですが、紙に書かれた数十倍が頭に入っていないと、実際の授業では躓いてしまいます。一種の心理の読みあいですから、私はこの「指導案づくり」がとても好きで、指導案のためならいくらでも時間が使えると思った時期もありました。

 ところがとんでもなく時間をかけ、根を詰めてつくったはずの指導案でも、生徒の信じられないひとことで軽く吹き飛んでしまうことがあるのです。“信じられない”が「論理的でない」とか「的外れ」といったことなら対処の用意もありますが、実に見事に論理的につながってたりすると、その鮮やかさに笑うしかなくなるのです。実に清々しく笑える――。
 何で、私は、その可能性に気づかなかったのか

 どんな仕事も失敗を喜べないようでは長続きしません。しかし「喜べる失敗」は中途半端な追求からは出てこないのです。
 失敗の可能性を潰して、潰して、潰して、潰して、潰した先で改めて全体を見回して「もうどこにも失敗の可能性はないと」確信し、その上で一番重要な時にいきなり現れる“魔物”――かくれんぼうで見つかったときのような、鬼ごっこで逃げ切れなかったような、あの不思議な爽快感が湧き上がってくるのはそんなときです。

 内村航平選手、何となく引退しないような気がします。


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