2021/6/24

「弱い者は弱いままでいい」〜声は出さなくてはいけないが、声の大きさは現実を反映しないC  政治・社会・文化


 欧米に比べると日本は昔から弱い者に優しく甘い国だった、
 そこに舶来の強力な人権思想が被さる。
 弱者は徹底的に守られ、保護されなければならい、
 そして弱者は弱者のまま、成長の機会を奪われるのだ

という話。
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(写真:フォトAC)

【日本の子育て:子どもは、7歳までは神のもの】
 日本の子どもはとても甘やかされて育ちます。
「七歳までは神のうち」という言葉もあって、7歳まではいつ死んでも不思議のない存在、半ば黄泉の世界に住んでいるような存在と考えられていたのです。ですから寝ている間も神様に持っていかれないように「子ができて川の字なりに寝る夫婦」と夫婦で囲い込んで守り、「泣く子と地頭には勝てぬ」と子のわがままを許したのです。

 最近ではいつまでも添い寝を続けていると自立心が育たないとかいって、早いうちから子ども部屋のベビーサークルに赤ん坊を置いてしまう家庭が増えているようですが、あれはもともと欧米人が夫婦のナイトライフを楽しむために発明した代物で自立心とは何の関係もありません。日本人は何百年も添い寝の文化を続けてきて何の問題もなかったわけですから、いつまでも添い寝を続けて一向にかまわないと私は思っています。
 この国には美しい四季があると言っても、見方を変えれば冬は寒く、夏は日照りも厳しい。春と秋には長雨もあれば台風も来ます。地震も多く場所によっては噴火被害も少なくない土地柄です。子どものうちに十分甘やかしても、厳しさを学ぶ機会はいくらでもありました。


【アメリカの子育て:そのままだと悪魔になってしまう】
 ところが欧米、特にアメリカの子育ては違います。アメリカを建国したピューリタンたちは子どもを放っておくと悪魔になってしまうと考えていたようで、17世紀の牧師ジョン・ロビンソンはこんなふうに言っています。
「すべての子どもは、程度の差はあれ、本能的に傲慢で頑固であり、それを親は押さえつける義務を負っている。・・・それが成功すれば、謙虚さ、御しやすさ、従順さが生まれ、その結果、子どもは有徳なる人格を身につけることが出来るのである」


 そんな調子ですからアメリカでは伝統的に子どもたちは厳しく育てられました。昔の学校を扱った映画を見れば明らかなのですが、教室にはムチが置かれ、悪さをした子どもたちはそれでお尻を叩かれるのが常でした。まさに教師は「教鞭」を取っていたわけで、そうした体罰容認の姿勢は20世紀まで続きました。調査によると1970年代に至っても、ニュージャージーを除くすべての州で体罰が許可されていたのです。

 家庭における暴力は日常茶飯事でしたし、2014年の米国保健省の資料では全米の児童虐待相談件数は年間約360万件、そのうち虐待を受けたと認定された子どもの数は70万人以上、虐待死も年間約1500人で一日平均4人以上の子どもが保護者による虐待で亡くなっているのです。
 ちなみに2011年のアメリカ疾病センターの調査によるとアメリカ人女性の5人に1人が強姦被害に、4人に1人がDV被害に遭い、パートナーによって殺される女性の数は1日平均11人を上回るといいます。
 合衆国はもはや人権という思想で枠を示し、刑罰をもってがんじがらめにしないと子どもや女性の命を守れない国なのです。
 ただし私がいま話題にしたいのはアメリカのひどい現状ではなく、もともと子どもや女性に甘いに我が国に、アメリカの厳しい人権思想が被さるとどうなるのかという問題です。


【弱者が徹底的に守られる世界】
 いわゆる児童買春児童ポルノ禁止法(児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律)は、児童売買春の買い手のみが処罰されるという、売春を一種の商取引と考えた場合には偏頗な法律です。これは買われる側の児童(18歳未満の者)を被害者とみなすからそうなったので、ある意味では当然とも言えます。

 しかしここから、男が約束の金額を払わなかったと怒った女子児童(18歳未満の者)が交番に駆け込んだといった悲喜劇まで生れると、考え直さなくてはいけません。
 男性は逮捕されましたが、もちろん逮捕理由は詐欺罪ではありません。一方、女の子の方は虞犯少年として説諭くらいは受けたかもしれませんが逮捕はされなかったようです。そうなると児童買春防止法が守ったのは児童ではなく、性交渉のあとで確実に手に入る対価ということになります。

 別の話をしましょう。
 セクシャル・ハラスメントやパワーハラスメントの被害者のことを考えると、やはり加害者は厳しく罰せられなくてはなりません。しかし上司や同僚が委縮して、仕事以外の話はしない、飲み会にも誘わない、間違っても体が触れないようまるで汚物を扱うかのように自分を避けて通っていく――そんな状態が若い社員に幸せなはずもありません。あからさまに仕事から外すことはないにしても、遠慮から言葉がけを毎日ひとつずつ落とすだけでも、1年を通したらとんでもないのけ者扱いです。
 あるいは結婚に関しても、うるさく「早くしろ」と言われるのもかないませんが、誰も言ってくれない、だれも友だちや知人を紹介してくれもしない世界が、いいものだとは限らないはずです。

 学校に話を戻せば、すぐに「イジメられた」と大人社会に通報するような子は誰からも相手にしてもらえません。校則が撤廃されたと喜んでツーブロックにしたり柄物の下着をつけて登校したら他の生徒たちからすっかり不良扱いされて、となったとき、マスコミを動かし、教師を働かせて「外見でひとを判断してはいけない」といった人権教育を拡充してもらうのでしょうか。

 商売が思い通りに行かないとき、自分以外の誰かに責任があって、その人(または組織)が責任を取るべきだと考えるのは自営業者として正しい態度なのでしょうか。


【弱者は弱者のままでいい】
 社会的弱者が悪いと言っているわけではありません。
 世の中を強者と弱者に二分し、弱者の側につくふりをして強者に噛みつき、それで鬱憤を晴らしたり儲けたりしている人たちがいるということです。弱者の側に立つことは一義的には正義ですから居心地がいいし何でも言えます。

 彼らにとって弱者が弱者のままでいることは利益です。したがって弱者が成長することも満足することも望んでいません。「子どもは弱いものだ」「女性は弱いものだ」「小規模経営者は弱いものだ」と極めつけて、徹底的に守ろうとする――。
 もちろんそれで弱者が幸せになればいいのですが、そのために成長の機会を奪われ、社会から疎んじられるとしたら、それこそ本末転倒です。

(この稿、続く)

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