2021/6/22

「学習の雰囲気を崩しても、守るべき願い」〜声は出さなくてはいけないが、声の大きさは現実を反映しないA  教育・学校・教師


「下着の色は肌色やベージュ、モカなどの制服から透けにくい色」
 これがブラック校則である理由がわからない。
 しかしそれ以外の色物・柄物をつけたがる子どもの、切なる願いの実現のため、
 学校は服装や髪型に関する一切の規制を、なくそうとしているのだ。
という話。

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(写真:フォトAC)

【都市伝説としてのブラック校則】
 例えば、私はブラック校則問題というのがよく理解できないのです。
 確かに男性教師が――女性がやったって駄目ですが――スカートをまくったりブラウスの襟を開かせて下着の色を確認する下着検査や、もともと赤毛だったり金髪だったりする生徒を強制的に黒染めさせる頭髪指導がブラックだというのは分かります。否、ブラックどころかそれぞれ強制わいせつ・暴行といった明らかな犯罪でしょう。
 どんどん摘発して裁判にかければいいようなものですが、目撃情報は山ほどあるのに、今日まで逮捕された教諭や名前を挙げて糾弾された学校の例を私は知りません。当該の学校にマスコミが大挙して押し寄せ、ネットでは犯人教諭の私生活まで暴かれたというような話もありません。要するにそんな検査など都市伝説なのです。

 また今年2月の大阪の黒染め訴訟では、「原告が黒かった髪を赤く染め、それを地毛と主張したことから問題が発生した」と裁判所は認定しています。決して元から赤っぽい髪を無理やり黒染めにした話ではないのです。しかしいつのまにかすり替えられてしまいました。

 髪についてはそれどころか、本来は地毛の赤い子を事実誤認から指導してしまわないよう、その子を守るためにつくられた「地毛証明」も、自分の髪や肌の色、性別を証明するような大きな負担をかけるべきではないといった論理でブラック校則の中に含められてしまいました。
 そんなことをしたら生来の赤毛の子もしょっちゅう指導されてしまうじゃないか、同じ学年の子や後輩から不良扱いされてしまうのではないかと思いましたが、それは議論になりません。
 学校は「地毛証明」なんかに頼らずにきちんと指導しろという立場と、そもそも髪の色は個性なのだから学校が規定すべきではないという立場の両方があるみたいです。


【学校の存在理由、教師の願い】
 人権を侵害したり無視したりする状況を「ブラック」と呼ぶのは「ブラック企業」からの連想かと思います。しかし服装を細かく規定したり髪のあれこれをうるさく言うのがブラックなら、世の中はブラック企業だらけになってしまいます。病院だって食品関係の企業だって機械工場だって、自由な服装・自由な髪型で就業していいということにはなっていないでしょう。
 学校が髪型や髪色について制限を加えることが、幾度も裁判になりながら“社会常識に照らし合わせて妥当”という判決しか出ないのは、こうした背景があってのことです。

 「学校は子どもを枠にはめるな」という言い方をする人もいますが、そもそも教育は日本人を「人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民」(教育基本法第一条)という枠にはめようというものです。野放図に遊ばせておくわけにはいきません。

 そのための学習を、教師たちはいまでも努力して成し遂げるものだと思っています。
 「学問に王道なし」だとか「刻苦勉励」「蛍雪之功」あるいは「艱難、汝を玉とする」といったことを、全面的に、あるいは部分的に大真面目で信じているのです。

 もし「大変じゃないよ」という子がいたら、よほどの天才でない限り、能力に対して目標が低すぎるのであってそういう子にはさらなる高い目標を与えなければならないと考えます。「その子のもつ能力を限界まで伸ばしてやりたい」というのは、教育者の根源的な欲望です。

 一方、学問に全く向かない子だっています。誰もが学者になったり医者になったりする必要はありませんから勉強なんてできなくたっていいのですが、それでも“できなさ”に限度があります。
 障害があれば別の道を歩ませるにしても、そうでない場合、誰もが読める漢字が読めないとか簡単な計算ができないとか、あるいは誰でも知っている常識的な事項を知らないとか、それでは社会に出てからつまらない苦労ばかりをすることになる、そんな状況のまま教え子を送り出すのはあまりに忍びない――それも教師の本音です。

 だから勉強させたい、してほしい、体育や人間関係の学びも含めて、学校が伝えようとすることをきちんと身につけてもらいたい――そう考えると持てる力を総動員し、学校の雰囲気を維持しようと考え始めます。
 決して楽ではない学業を、なんとか頑張って続けて行こうという雰囲気――私はそれを学校のアカデミズムと呼んでいます。


【失うものと得るものの対応が悪すぎる】
 ラサールだとか開成とかいった都会の超エリート校には、おそらくアカデミズムがあるはずです。田舎のトップエリート校にもあります。
 偽悪ぶって妙な格好をする子もいますが、全体に広がって学校の雰囲気を壊す心配はありません。みんな学業に忙しくてマネしている暇がないのです。勉強への動機づけの中には、出世欲だったり金儲けだったり、人の上に立ちたいといったロクでもないものもあるかもしれませんが、義務教育を上回るより高い学力を身につけるという本来の仕事を果たしている以上、なかなか文句の言いにくいところです。

 そんなエリート校の足元にも及ぶべくもありませんがが、学校は少しでも勉学の雰囲気を残そうと時の流行に抵抗してきました。
 しかし今回の文科省の指導によって、髪型や色、服装の指導はできなくなりました。先進的な取り組みをしてきた三重県の例を見ると、ブラック校則の撤廃は、
 「ツーブロック禁止」の撤廃、男女交際に関する規定の廃止、「地毛証明」の撤廃、アンダーシャツや下着の色を「肌色やベージュ、モカなどの制服から透けにくい色」または「白やグレー、紺、黒などのモノトーン」とした指定(これまでは制服から柄が透けて見えると、注意されていた)の撤廃といった形でなくなるようです。(2021.06.16 毎日新聞)

 私は今日まで、かなりたくさんの子どもたちが髪型だのといったくだらない校則に支えられて学業を全うしてきたと思っています。学校が今回の「ブラック校則」撤廃で失うものは“苦しい勉強を続けていこう”という雰囲気です。そしてその代わり実現するのが、髪をツーブロックにしたり染めたり、あるいは制服から透けるアンダーシャツや下着をつけ自由に男女交際をしたい子たちの切なる願いだとうこと、その対応の悪さが私を苛立たせるのです。

(この稿、続く)
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