2021/6/3

「追加教育について考えてください」〜NHK解説委員:二宮徹さんに手紙を書いた@  教育・学校・教師


 昨日のNHK「時論公論」で、教師の労働環境に関する話をやっていた。
 よく整理された分かりやすい解説だった。
 しかし肝心なことが抜けている。
 そこでNHKに手紙を書いた。

という話。
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(写真:NHK)

【NHK解説委員:二宮徹様】
 毎朝、「視点・論点」に続けて再放送で見ています。
 私自身が元教員のということもあって、今朝の「教師の疲弊と人材危機」(再放送)は特に身を入れて拝見させていただきました。
 この問題は退職した私としても特に気になるところで、分かりやすく整理・解説いただいて、とてもありがたく存じました。
 その上で、少し意見を異にする部分がありましたので一読いただきたく文を認めました。流し読みできるよう、表題をつけてお送りします。


【多忙・疲弊の原因に関する思いが異なる】
 今朝の「時論公論」に限らず、教師の多忙・疲弊に関する報道を見ていて常に違和感を持つのは、多忙化の原因について説明する部分です。

 今朝の放送でも中学教師の労働時間の説明で、原因に「事務処理」と「部活」が挙げられていましたが、「事務処理」の何が大変なのかの説明は不十分ですし、常にやり玉に挙げられる部活はすでに50年以上の歴史を持っていて、昨日今日、突然に練習量が増えた、練習時間が増えたというようなものではありません。

 私自身が中学生のころは週日の朝夕以外に、土曜日の半日授業が終わった後の午後全部、日曜日の午前全部が練習時間で、大会が近づくと週日も早朝6時から朝練習、午後は4時から8時までの練習と、とんでもない量だったのです。

 私が教員になった1980年代にはそこまで大変ではなかったものの、それでも朝7時からの朝練習と、大会が近づくと午後7時まで行われる練習は常識でした。土日の練習も同じです。
 それでも昔の教員が文句も言わずに続けていたのは、部活が楽しかったからでしょう。学級指導や教科指導と違って、部活に入ってくる子はその競技が得意だったり興味があったりする「意志の統一された集団」で、みんな「選手になりたい」「試合で勝ちたい」と目標も同じでした。
 地域と年齢しか共通性のない学級と違って、部活は指導しやすく、子どもたちの成長もはっきり実感できます。子弟一緒になって情熱を傾けられるし、指導者としての努力が反映しやすい場、つまりいいことだらけだったのです。

 もちろん今でもそうした思いで部活動に打ち込んでいる先生はたくさんおられます。しかし一部にはそうした喜びを味わうどころか、負担感しかないような先生方がおられます。
 指導時間自体は昔より減っているのに、なぜ負担感ばかりが増したのか――。


【教師を圧迫しているもの】
 今朝の放送で二宮解説員は、多忙化の原因を、
「授業準備・書類作成」「会議・研修」「多様化する子供や保護者対応」「コロナ対応」「デジタル化対応」
の六つに分けて説明しておられました。
 ただ、「コロナ対応」「デジタル化対応」はこの一年余りに限ったことで、数年来の多忙化とは関係がありません。「会議」も以前と比べればむしろ減っています。では何が増えたのか。

 不登校や外国籍の子など「多様化する子供や保護者対応」はもちろんあります。けれどすべての教員が同じように抱えているわけではありません。するとの残るのは「授業準備・書類作成」「研修」だということになりますが、まさにそれこそが元凶なのです。
 この30年余りの間にこの部分が爆発的に増え、部活などやっていられる状況ではなくなったのです。なぜマスコミはその点を掘り下げないのか。


【教科だけが指導内容ではない】
 私は1980年代に中学校の社会科教員として初めての教職に就きました。社会科、特に歴史が好きなので、子どもたちに教えることをずいぶんと楽しみに教員生活を始めたのです。学級担任にもなりました。そしてすぐに認識の甘さに気づかされたのです。
 中学校の教員が指導するのは教科だけではありませんでした。

 とりあえず道徳の授業が苦痛でした。それから学校行事や旅行行事・保健行事といった特別活動の仕事も大変でした。避難訓練や交通安全教室、当時は部活動と別にあったクラブ活動でバドミントンの指導をすることも、経験がないので嫌でした。
 被差別部落の問題を扱う人権教育、男女の問題をあつかう性教育、平和教育、それらも予定外で、一から勉強し直さなくてはなりませんでした。しかし今から考えると、そんな教科外指導は序の口でした。その後、次から次へとこれまでなかった「新しい教育」(一部の人は追加教育と呼びます)が追加されたのです。


【追加教育について考えてください】
 「総合的な学習の時間」は特に衝撃的でした。なにしろ学級担任の授業時数が突然週3時間(今は2時間)も増えてしまったのです。しかも「教科書のない教科」「教師の独創性が試される」とか言われ、研修も膨大なら授業準備も半端ではありません。細かいことを言えば通知票でも、総合所見と並んで「総合的な学習の時間」の評価を文章でしなくてはならなくなりました(今はその横に「特別な教科道徳」の評価も書くことになっています)。

 その他、平成時代に学校が新たに取り組まなければならなくなった「新しい教育」を、思いつくままに挙げてみると、
生活科、国際交流教育、環境教育、薬物乱用防止教育、コンピュータ・リテラシー教育、キャリア教育、防災安全教育、食育、小学校英語、プログラミング教育、特別な教科道徳、生命(いのち)の安全教育、ESD(持続可能な開発のための教育)・・・
 項目だけだと大したことのないように思うかもしれませんが、例えば「防災安全教育」と言っただけでも、地域の危険個所調査や独自のハザードマップマップ作り、広報など、内容は盛りだくさん。そのつど研修や下調べが必要になり、地域とのつながりも作らなくてはなりません。
 教師の働き方改革は一昨年あたりから本格的に話題になっているかと思うのですが、生命(いのち)の安全教育もESD(持続可能な開発のための教育)も、昨年あたりから話題になってきた話です。鳴り物入りで労働時間削減が叫ばれる中で、今日も粛々と負担が増やされています。

 5月31日付の「視点・論点」(「学校現場のLGBTs教育はいま〜"人生を変える"先生の言葉〜」)では、宝塚大学の日高庸晴教授が、
「教員養成課程の必修カリキュラムとして、性的指向と性自認の多様性を学ぶことや、現職の教員研修として今以上に多くの先生方が学ぶ機会を確保することが不可欠です」
とおっしゃっておられました。必要性は十分わかるとしても、「研修」と聞いただけでも震え上がります。またひとつ追加教育が加わりそうです。
 
 歴史のある部活動や、コロナ禍が終わればなくなってしまう一過性の仕事ではなく、教師の本業部分で多忙化は今も止まらないのです。

(この稿、続く)

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