2021/5/7

「他人が苦しむことに平気でいられる自由も抱えながら」〜真に自由主義らしい自由主義社会の自粛A  政治・社会・文化


 第4波新型コロナ感染拡大は一部に絶望的なほどの状況を呈している。
 それなのに他方で、一部の人々は完全な自粛に見切りをつけて動き始めている。
 だが、それも自由主義なのだ。
 私たちは「他人が苦しむことに平気でいられる自由」も抱えながら、
 人々の命と自由を守る戦いを続けるしかない。
という話。
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(写真:フォトAC)

【ニュースを通してみる今日の日本のありさま】
 家居なので日中もニュースは見ますが、確実に見るといったら夜の「NHK7時のニュース」「ニュース9」そして日によっては「クローズアップ現代+(プラス)」、不定期に「NHKスペシャル」、そんなところです。原則的にNHKです。

 そこで私が手にする情報は、大阪府の新型コロナ事態、
 入院率10%(10人にひとりしか入院できない)
 病床使用率85%(コロナ患者用の病床の85%が埋まっている)
 重症病床使用率95%(重症者のための病床の95%が埋まっている)
 10万人あたりの療養者224名(千人に2.24人の割合で療養している)
といった恐ろしい数字ばかりです。
 病院で苦しんで亡くなる人の気持ちも察するに余りありますが、病院に入れず、自宅で死の恐怖に怯えながら、結局重症化して亡くなった人たちの無念と切なさを思うといたたまれません。

 また医療の最先端で働く人々。過重労働と感染の恐怖、不当な差別や収入の低下にさらされながら、なおも使命感のためにコロナ病棟に向かう人々のことを思うと、これまたたまらない気持ちになります。ひとはどんなに仕事がつらくても、そこに生きがいや達成感があればしばらくは何とかなるものです。しかし新型コロナウイルスはいとも簡単にそうした人々の指の間から命を奪って行くのです。
 身体を病み、こころを病んで次々と現場を離れる医師や看護師が現れ、そのあとを埋める医療関係者の中には妊婦までいる(*)となると、もうこれはどんな犠牲を払ってもコロナを止めなくてはならないといった気持ちになります。
2021/4/19「追いつめられる看護戦士たち」〜新型コロナ医療の最前線と銃後@ 

 ところが非常事態宣言やまん延防止等重点措置の出る前の繁華街で、あるいは今も、飲む人たちのほとんどは遊ぶに忙しくてこの時間帯のニュースなど見ていないのです。


【街頭で語られるイケシャアシャア】
 ニュースは一方で市井の人々の素朴な意見も拾います。混雑する商業地や観光地でのインタビューでは、
「もっと少ないと思ったんですけど、意外と人が多いんですねえ」
「家でじっとしていたんですけど、それだとストレスが溜まってしまって、今日は近場ということで散歩に来ました」
「ただ外に出るなと言っただけではムリですよね。もっと厳しくしてもらわないとどうしても外に出たくなる」
「今日は一カ月ぶりに買い物に来たんですけど、ずいぶん人が出てるんですね。こんな状態では私たちがいくら自粛で頑張ったって何にもならない」
「そもそもデパートや飲食が感染源だというエビデンス(科学的根拠)はないんでしょ? だったらいくら緊急事態宣言を出したって意味がない」

等々・・・。

 そのひとつひとつに激しくツッコミを入れたくなりますが、意味あることとも思えません。繁華街へきてその上インタビューに答えようという人たちです。それなりの事情も思いもあってのことでしょう。


【しかし出歩くのも無理がない】
 考えてみれば私の二人の子もそうです。
 先月から東京本社に戻って来た長男のアキュラはアパートのひとり暮らしですが、昼食は社員食堂で摂るにしても、朝夕2回(もしくは夕食1回)は外食をしているはずです。仕事が忙しいうえに、そもそも親が十分な自炊の能力をつけずに社会に出してしまったからです。
 酒に弱く、カラオケで歌いまくるような子もありませんからそう簡単に感染リスクを背負うとは思えませんが、誘われれば少人数の会食に行かざるをえず、行けばマスクを外して物を食べます、息もします。駅からアパートまでは繁華街を通っての往復ですから、危険と言えば危険です。
 ただ、それでも職場があって行けば話もしなくてはならないアキュラは精神的には楽です。これが学生で、リモート講義がほとんどとなると、まじめに自粛すればほとんど誰とも話さずに毎日を過ごすしかありませんから大変です。
 私のようなド田舎の、“放っておいても自粛”ジジイとは、わけが違うのです。

 娘のシーナのところには間もなく6歳と2歳になる男の子がいます。ヤンチャ盛りでとてもではありませんがじっとしていられる子たちではありません。
 たまに散歩に行けばどこへ行っても人、人、人。近くの児童公園はいつだって混雑状態ですし、都会の児童公園なんて遊具がひとつかふたつしかありませんから、とてもではありませんが何時間も過ごすというわけにはいかないのです。怖くて聞けずにいますが、シーナの家族が大型連休の全部を、家で過ごしていたなどとうてい考えられないことです。

 渋谷や東京駅付近では昨年同時期の第一波に比べると3倍以上の人通りがあり、湘南海岸では車の大渋滞が起こったと言います。しかし他方、新幹線や航空便には空きがあり、高速道路の渋滞もありませんでした。つまり遠出は避けられ、近場の観光地で我慢した人が大半だったということです。全体としては、節度が守られたと言ってもよいでしょう。


【第1波の時とは違う、しかしがんばろう】
 昨年の第一回緊急事態宣言時に比べて自粛が徹底しないことに苛立つ人、呆れる人、だから宣言は無意味だという人、だから自分も守らなくていいと考える人、色々いますが、志村けんさんや岡江久美子さんの亡くなったあの時の恐怖、緊張感、一回の自粛で必ずコロナを撲滅するぞといった強い意志、どれをとっても現在とはまるで違います。
 第4波の現状でここまでできればある程度よし、そう考えるしかありません。街頭のインタビューに答えて「もっと厳しい措置を」という人々も、東京や大阪を自衛隊で囲んで、昨年の武漢のようにしてしまえと思うことはないでしょう。

 イギリスでは厳しいロックダウンとワクチンのおかげで屋外でのマスク着用義務が緩和されたと羨む人がいます。しかし日本にはそもそも着用義務すらなかったのです。日用品の購入と通院以外のすべてを禁じる厳しいロックダウンもかなりの国々で行われましたが、中国武漢のようにはうまく行きませんでした。多くの人々が陰でホームパーティなどを開いていたためです。
 それはある程度,自由主義の限界で、理念的には他人の基本的人権を侵すほどの自由は認められないのですが、現実的には「他人が苦しむことにも平気でいられる自由」も残さざるを得ません。
 ただし日本だけは少し事情が違っていました。

 この国では第1回緊急事態宣言の際も「お願い」だけでヨーロッパ諸国のロックダウンを凌ぐ成果を得ることができました。
 台湾やニュージーランドのように初期の水際作戦で成功して、以後いっさい人を入れなかった国や地域を除いて、これほどのコロナウイルスに曝されながら、個人情報を採取せず、ロックダウンもしないで戦い続けた、真に自由主義らしい自由主義国は少ないのです。

 第4波感染拡大のもと、今回の緊急事態宣言は1年前ほどにはうまく行っていませんが、それでも諦めることはありません。これから毎週1千万人分のワクチンが届く計画になっているといいます。うまく収めれば第5波はないのですから、なんとかもう少し、がんばり、がんばらせたいと思います。
(この稿、終了)

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