2021/5/31

「新型コロナ、情報弱者としての若者たち」〜コロナの生み出す社会の分断@  政治・社会・文化


 この一年あまり、常に高齢者は若者たちに苛立ってきた。
 “重症化しない”という特権をもった連中が、ペストのネズミのごとく街を走り回っている。
 若者たちも苛立っている。
 政府はオレたちの意見も聞かず、街を閉じ学校を閉じ、自由と楽しみを奪っている――。
 この分断はどこから来たのだろう?

という話。
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(写真:NHK)


【高齢者、若者の意見を聞く】
 先週金曜日のNHKニュース9では、政府の分科会の尾身会長の「若者の声が聴きたい」という希望をかなえ、若者の代表者との対談が企画されました。相手として選ばれたのはお笑いコンビEXITの「りんたろ−。」さんです。

 まず尾身会長が話題にしたのは、「いくら伝えても若者に危機感が届かない」ということでした。
「気がつかないうちに若い人が、感染の伝播に関与しているので、“(対策を)よろしくお願いします”と、かなり丁寧に、自分としては言ったつもりなのだけど、高齢者の尾身みたいな何かわからない連中が若いものに・・・という(反発)があって、これはなかなか難しいなと(感じるようになった)」

 小尾さんは例として、飲食店での飲み会などを挙げた「感染リスクが高まる『5つの場面』」を紹介します。ところが「りんたろー。」さんは、
「5つの場面というのは確かに聞いたことがなかったですね。どういったところでそれは発信されていたのですか?」
と問い返します。
「我々が記者会見をやるでしょう? (それを伝えるのは)ほとんどが新聞テレビですよ。新聞を読まない人はテレビも見ないという感じですか?」
「そうですね、興味深いコンテンツが増えすぎて、こちらが求めなくても入ってくるものが多い。これだけニュースでやっていても、今の若い子は、緊急事態宣言が出ているか出ていないかも知らない子が多いですね。で、外へ出て居酒屋がやっていなくて“なんだそれ”みたいなことなんですよね」

 尾身さんは、
「緊急事態宣言が出ていることもしらない・・・」
と絶句します。
「僕も驚くんですけど、それくらいの興味のレベルになってしまっているんだということです。これが現状だって思いますね」

 なかなかかみ合わない二人の討論は、結局、「りんたろ−。」さんの提出した「お互い様」という概念を基礎に、若者と高齢者が互いの違いを認めつつも、共通点を探していくことの大切さを確認し合って終わります。ただしこの討論の最も重要な部分は最後のそこではありません。
「これだけニュースでやってても、緊急事態宣言が出てるのか出てないのか知らない子も多い」
という部分です。


【情報弱者としての若者たち】
 私が若いころでさえ、街頭インタビューでマイクを向けられた女性(なぜか若い女性と相場が決まっていました)が、甘えた声で「わかんな〜い」と答える場面がたびたびありましたが、現在の「わからなさ」とはレベルが違います。

 昔の「わかんな〜い」には、赤ちゃん言葉でしゃべることで“子どもだから激しい追及はしないで”――つまり甘えて誤魔化そうという意図があったのです。“この問題にうまく発言できないのはちょっとヤバそう”――その程度の理解はありました。
 ところが現代の「わかんな〜い」は、ほんとうに分かっていない、そもそも問題の存在自体に気づいてさえいないと思わせるものがあります。

 インタビューの答えも、少し以前は、
「感染対策はしているし、まだ若いから重症化しないと思って(街へ)出てきました」
 今なら、
「(緊急事態宣言が出ても)、こんなにたくさんの出ているのだから意味ないと思う」
 私たちは彼らの自己本位や独善に驚き腹を立てますが、彼らが何も知っていないと分かれば、理解できないこともありません。

 あの子たちは何も知らない。
 家族が発熱したと聞いてからわずか1週間ほどであれよあれよという間に重症化し、ほどなく意識を失ったかと思ったら数日後には亡くなってしまう、その恐ろしさ。家族の死の床に立ち会えない、遺体に取りすがることができないどころか遠くから見守るだけで、次に触れるときにはお骨になっている、その悲しみ。
この一年あまり、私たち老人が毎日のようにテレビで見てきた風景を、「まだ若いから重症化しないと思って――」と答える若者は知らないのです。

 同い年くらいの看護師や医師が、毎日、肉体と神経を擦り減らして医療の現場で働いていることも、彼らがもう何カ月も病院とホテルだけの行き来で、家族とも会えないという状況も、テレビ等を通して見ることはなかった。

 そう考えないと、あの酷薄さは理解できません。
 街頭インタビューでそんな回答をしたとバレたら親に叱られるぞ、祖父ちゃん祖母ちゃんに泣かれるぞ、一部の友だちは賛同しても別の誰かからは呆れられるぞ、とそんな単純なことも分からない――。


【若者は常に忙しい】
 なぜそこまで情報が遮断されてしまったのか――これには「りんたろ−。」さんが直接答えています。
「興味深いコンテンツが増えすぎて、こちらが求めなくても入ってくるものが多い」

 そうです、彼らは新聞を読んでいる暇もテレビを見ている暇もありません。仕事が終わり、しばし遊んで家に帰ると、あとはスマホ、スマホ、スマホ――。
 Netflixで映画を観る者、Youtubeを次々と探る者、TwitterやFacebookでコミュニケーションを保つ者。TikTokで踊る者、Instagramのために写真を整理する者、LINEで会話する者・・・それぞれやっていることは違っても、テレビや新聞を見ないという点では同じです。

 稀に政治や社会情勢に触れてもTwitterやネットニュースを通して入って来る情報には、かなり強いバイアスがかかっています。
「まだ若いから重症化しない」も「こんなに人が出ているのだから非常事態宣言は無意味」もネット上ではありふれた意見です。そして最近流行しているのは、
「ワクチンは若者には危険だから、打たない方がいい」
です。

(この稿、続く)

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2021/5/28

「『がんばろう日本』はもう夢なのか」〜マスメディアは国民の足を引っ張るな  政治・社会・文化


 10年前、東日本大震災という未曾有の危機に
 私たちはひとつになって立ち向かうことができた。
 しかし今、政府は国民の“緩み”をあげつらい、
 国民はメディアに煽られて政府を罵る。
 「がんばろう日本」はもう夢なのだろうか。

という話。
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(写真:フォトAC)

【「がんばろう日本」の思い出】
 古い自分のブログを整理していたら、「がんばろう日本」と言う記事が出てきました。2011年3月15日、東日本大震災の翌週火曜日の記事です。

 その中で私は、極端な電力不足に陥った東京電力が「輪番停電」(*)を計画したところ、人々や企業が一斉に節電に動いたため必要でなくなってしまったことや、11日の東京では帰宅難民と呼ばれた何百万もの人たちが、文句ひとつ言うことなくバスやタクシーを待ったり黙々と歩いて帰宅したりしたこと、あるいは被災地でおびただしい人々が救助活動に従事していることや福島第一原発でも750人も従業員たちが踏みとどまって戦っていること、また早くも募金やボランティア登録が始まったことなどを記して、
「非常に不幸な災害ですが、私はもう一度日本がひとつになるための重大な契機にもなるかもしれないと感じています」
と結びました。
*地域を区切って順番に行う計画停電

 実際、日本はそのようになりましたし、2011年3月11日は日本の国際的地位を高め、日本人に自信を取り戻させた転換点だったと思っています。この日を境に「だから日本人はダメなんだ」とか「日本は諸外国から20年は後れている」といった、それまでの評論家の定型文は長く使われることがなくなりました。
 今回のコロナ禍においても、「だから政府はダメなんだ」という言い方は出ても、「日本人は〜」という言い方をする人はいないでしょう。

 ただし今回の場合は、10年前のような「日本人としてみんなで手を携えて頑張って行こう」といった気概、高揚感はほとんど見られません。「絆」と言われても、どこにそんなものがあるのかと、いった感じです。
 未曽有の国難という意味では、東日本大震災もコロナ禍も同じでしょう。それなのになぜ、今回はともに戦っていこうといった気風は生まれないのでしょう。


【みんながんばっているのに認め合わない】
 実は大半の日本人はいまもコロナ禍に耐え、並大抵ではない努力しているのです。
 治療の最前線にいる医療者はもちろん、救急隊員や保健所の職員、これらは最も尊敬すべき人たちですが、直接コロナにかかわらない職種や立場の人々の中にも、尋常でない苦痛に耐えているひとたちがいっぱいいます。

 自らが感染することを恐れ、その感染を広げることを恐れながら日々高齢者のもとへ向かう介護の人々、その介護者の世話を受ける高齢者たちも、もう何カ月も子や孫と会えていないのです。家族に会えないのは高齢者に限ったことではありませんが、このまま会えずに終わってしまうのではないかという恐怖と向かい合っているのは、ほとんどが後期高齢者たちでしょう。

 飲食・観光・交通といったコロナの被害をまともに受けている人々の多くは、繰り返される自粛要請に応え、いつまでたっても来ない給付金を待ちながら細々と営業を続け、あるいは廃業せざるを得なくなっています。
 その給付金の遅れは行政に人手が足りないことに一因がありますが、その人たちも少ない人数の中で必死に頑張っているのです。

 いまや国民の85%が反対しているというオリンピック・パラリンピックの準備に従事している人たちも、たいへんな非難の中で職責に忠実であろうとしているわけで、やはり尊敬しなくてはならない人々でしょう。

 数え上げたらきりのないたくさんの人たちが、この国の中で頑張っている――「だから誉めろ」と繰り返し言うのですが、誰も誉めたりしない。感謝の言葉もない。ともにがんばろうという励ましもない。

 「国民は疲れ切っている」と言ったのは日本医師会の中川会長です。そんな状況だからこそ、誰かが誉め、感謝し、励まし合わなくてはならないのに、それをすべき人はやっていません。
 本来は誰がすべきことなのか――。


【マスメディアは国民の足を引っ張るな】
 菅総理がその第一です。西村経済再生担当大臣も田村厚生労働大臣も加藤官房長官も、あるいは政府の分科会の尾身会長も医師会の中川会長も、発言のできるすべての人々が、機会あるごとにそうすべきなのです。

 たとえ緊急事態宣言に国民が100点満点の答えを出さなかったとしても、みんなが努力した、だから感染も抑えられつつあるのですから。

 そしてもうひとつ。
 マスメディアは国民の足を引っ張るな。
 少数の人々の不平不満をことさら取り上げて煽るな。
 もはやワクチンという強力な助っ人が現れて、戦いの帰趨は見えているのだ。
 どんなに長くとも半年で決着はつく。
 それまで「ともにがんばろう、日本」となぜ言えないのか。

 かつてこの国には「何でも反対党」と揶揄された野党政党がありましたが、建設的な議論もせず、「あれもダメ」「これもダメ」と言っているうちに国民に見限られ、消えてしまいました。日本のマスメディアが同じ道をたどらないといいのですが。

 それにしても、
 がんばろう日本はもう夢なのでしょうか。

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2021/5/27

「言葉が怒りをつくる。その怒りでつながる人たちがいる」〜マスメディアが生み出す”怒り“  メディア


 そのニュースがどのような社会をつくろうとしているのか
 マスメディアには慮る余裕がない。
 しかしマスコミがつくる”怒り”は、
 繰り返し増幅され、ネット上で共有されているのだ

という話。
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(写真:フォトAC)

【マスメディアは責任を取らない】
 マス・メディアの最も大切な仕事のひとつは、権力のチェックであり、弱者救済です。したがって事件や事象の始まりにおいて、反権力や弱者・被害者の側に立つのは当然ですが、状況の変化に伴って、徐々に視点を移していくことも、ほんとうはしなくてはならないことでしょう。
 しかしもワクチン接種の加速化といった当然しなくてはならないことにまで「オリンピックのためだったらやらなくてもいい」みたいな難癖をつけるマスメディアに、視点の修正などできるはずがありません。

 つい先日の情報番組では、緊急事態宣言下の酒類の提供自粛・営業時短を拒否して、深夜までアルコールを提供している居酒屋店主を登場させ、
「客の入りは300%、儲かっています。けれど(ウチはまだいい方で)給付金をもらいながらドアにカギをかけて営業している店だっていくらでもあります」
などと発言させていた局がありました。無策のために飲食店に困難な要請をしたうえ、それに従わない店を罰することもできない政府のだらしなさに、一矢報いたつもりでもいるのでしょうか?

 確かに、この発言に動かされた人々が次々と同じ堤防に穴を穿ち始めれば、政府の痛手となるのは確実です。しかしそのためにクラスターが発生し、感染抑制が十分に進まずに緊急事態宣言の解除が先延ばしになっても、マスメディアは責任をとったりしません。
 もしかしたらその先にオリンピックの中止をもくろんでいるのでしょうか? その前に過激な自粛警察が居酒屋を襲う可能性だって考えられます。ともあれいずれの場合も、視聴率に繋がるニューネタですからメディアには好都合です。

 緊急事態宣言下でも酒類を提供し、深夜まで営業する飲食業者の言い分を聞くなと言っているわけではありません。問題はそうした業者が極めて同情的な扱いを受けたことです。
「300%儲かって批判どころか同情すらされるなら、だれが政府の言うことなど聞くものか」と私は思います。
 また元教育者としての私は、こういうやり口が「政府の言うことは聞かなくてもいい」「言うことを聞く方がおかしい」といった雰囲気に繋がって行かないかと恐れるのです。

 日本は秩序ある国です。その分、個人の意思が抑制されることはありますが、ロックダウンの際中も飲んで大騒ぎをして、個人の権利を主張できる国が幸せだとはまるで思えません。



【言葉が怒りをつくる。その怒りでつながる人たちがいる】
 言葉は感情を表現するのに最も有効な手段のひとつです。言葉にすることで私たちは自分の心の姿を捕えることができます。
 例えば誰かの文章を読んで、
「ああこれだ、これこそが自分の言いたかったことだ」
と感じたとき、はじめて「自分の言いたかったこと」は形を整え、捕まえることのできるものとなります。

 しかし同時に、言葉は心をつくることもできます。試しに何年も連れ添った配偶者のことを「愛している」と言ってみればいいのです。直接いうなんてことはとてもできないという人は、誰もいないところで日に三度、「私は妻(夫)を死ぬほど愛しています」と呪文のように言い続けてみればいいのです。きっと優しい気持ちになります。

 若い人なら誰にもしゃべらず来た秘めたる思いを、口に出して誰かに告白してみればいいのです。「実は、私はあの人のことが好きだ」と。たいていの場合、気持ちは一気に昂じます。

 そして、試すことは勧めませんが、他人の些細な失敗をあげつらって「あのヤロウ、とんでもないことをしてくれた」と日に三度唱え続ければ、いつか本物の憎しみがわいてきます。
 Yahooニュースのコメント欄には、そんな言葉が満ち満ちています。それが昔と今とで違うところです。

 かつて怒りは夜の居酒屋で、少数で共有されるだけでした。それを大衆のものとするには、労働組合のような組織が一生懸命がんばらなくてはなりませんでした。
 ところが今は、中身はバラバラなのに“怒り”という感情の一点でつながることのできる人たちが、ネットの中に相当数いるのです。
 マスメディアはその人たちの怒りに、次々とエネルギーを注いでいることに気づいていないかのようにふるまっています。

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2021/5/26

「マスコミのアナーキズム」〜マスメディアは壊し続ける  メディア


 菅政権の支持率低下が止まらない。
 オリンピックは強硬開催、ワクチン接種も拙速だとマスコミは叩き続ける。
 しかし菅政権を廃して誰かを押そうとする気配もない。
 ただ潰れればいいということなのだろうか?

という話。
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(写真:フォトAC)

【カフカの主人公、マスコミの人々】

 フランツ・カフカは死の床にあった40歳のとき、友人に自分の死後、草稿やノートは一切焼却処分するよう頼んで亡くなりました。しかし友人は自らの信念に従って原稿を保管し、整理して次々と出版してしまいます。おかげで私たちは今でもカフカの名作を手にすることができるわけです。

 なぜカフカが原稿の焼却を指示したのか、これにはさまざまな説があるようですが、ひとつには彼の小説が体制に寄り添わないために不幸になる主人公を多く描いており、死後、間違った読み方をされるのを恐れたためだと言われています。

 主人公のひとりは組織に属する生活を面倒くさがったために朝起きると虫になっていますし(「変身」)、別のひとりはいつの間にか体制からはじき出されて石切り場で犬のように殺されます(「審判」)。またさらに別のひとりは体制にあこがれ、その内部に入ろうと大変な苦労をしますが最後まで行きつくことはありません(「城」)。

 マスコミの重要な仕事のひとつは権力のチェックです。
 特に日本では第二次世界大戦中、マスコミが積極的に権力に加担したという心の傷を負っていますから、政府のやることのいちいちに厳しい目を向けています。その意味では体制に決してなびかない人々、カフカの主人公たちとは対極にいる人々と言えます。

 しかし世の中のすべての問題は程度の問題です。
 体制・権力に寄り沿うにしても反抗するにしても、「すべてか、さもなくば無か」では話になりません。


【ワクチン接種を急ぐと感染対策は失敗する?】
 そのことを考えたのは、つい先日の民放情報番組で解説者が、
「オリンピックのためにそこから逆算してワクチン接種を急ぐというようなら、感染対策は必ず失敗する。政府はただちにオリンピックの中止または延期を宣言し、落ち着いた中のでコロナ対策に向かうべきだ」
と言っていたからです。

 私はオリンピックであれ何であれ、ワクチン接種を加速させるものはなんでもいいと単純に思っています。それとともに“にワクチン接種を急ぐと感染対策が失敗する、拡大を抑えられない”という理屈が理解できません。

 医療がひっ迫している状況で医者や看護師を現場から引き離し、ワクチン接種に向かわせるとは何事だという人もいます。しかし死ぬほど苦労しているのはコロナ患者を受け入れている病院や在宅のコロナ医療に携わっている医師・看護師で、病院によっては患者の通院控えのために赤字経営に陥っているところもあるくらいです。
(私の母が毎月診てもらっている診療所も、かつては30分〜1時間待ちが当たり前でしたが、今では長くても10分待ちです)
 医師や看護師のワクチン接種にはかなりの補助金が出ますから、医療を圧迫するのではなく、病院を経営的に救う面があります。

 さらに直接コロナ患者の対応をしない医師・看護師にとって、ワクチン接種に駆け付けることは最前線で戦う仲間を後方から支援する――というよりは直接、背後からコロナを挟み撃ちにするような仕事ですから、喜んで行かないわけがない。

 もちろんマスメディアは、そんなことは百も承知で、分かっていながら難癖をつけているのです。権力のチェック機関であることを最優先に考えているから、そうしないわけにはいかないのです。

 マスコミが社運を賭けて東京オリンピックを阻止するというなら、それもいいのです。しかしつい先日までのインドのような猛烈な感染拡大でもない限り、オリンピック開催は既定の事実です。
 開催を阻止できない、本気で阻止する気持ちもない――その状況で、
そこから逆算してワクチン接種を急ぐというようなら感染対策は必ず失敗する
と言うのは、不安を煽って政治不信を残すだけの目論見としか思えません。


【マスコミのアナーキズム】

 私が苛立つのは――と言うより空虚に感じるのは、マスコミが何か言ったあとに何も残らないからです。

 菅政権がうまく行っていないのは私も分かっています。だから叩くのはかまわないのですが、だったらなぜ、岸田を出せ、石破を出せ、あるいは枝野を出せという話にならないのか――。菅政権に代わる誰かに心当たりがないなら、とりあえず菅政権に頑張ってもらうしかないと私などは思うのですが、マスメディアのどこにもそんな考えは見当たりません。

 日本の教育はダメだ、日本の教師は危険だとさんざん叩いても、
「ではどの国の教育をめざしたらいいのか」
と聞くと誰も答えない、だからと言って今の日本の教育を盛り立てて行こうという気配もない。
 それと同じです。

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