2021/4/30

「学問の神々が見守るところ」〜教師の教養と学校のアカデミズムC  教育・学校・教師


 学校には勉強をしようという雰囲気ながなくてはいけない。
 それがなければ突き詰めた探究、忍耐強い学習はできない、
 学校は学問の神々の見守る場で、
 私たちはそこにいる限り、敬虔でなくてはならないのだ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【歴史ある学校の有利】

 100年以上の歴史を誇る古い学校と、創立10年〜20年といった新しい学校。児童生徒も教員も毎年入れ替わり、校舎も改築されているからあまり違いはなさそうですが、これがけっこう違います。

 歴史ある学校だと同窓会などと言うものが残っていて、最高学年の2月あたりにとんでもなくお年寄りの会長さんが現れて、「同窓会入会式」といった仰々しい式をやったりします。図書館には自分の父親が子どもだったころの文集が残っていて、日ごろは我が子をバカ扱いしている父親の、バカな文章が読めたりするのも歴史ある学校ならではのことです。しかし何といっても一目でわかる大きな違いはその財産の多さです。

 絵画や彫刻、毛筆の扁額(横長の額)などがいくらでもあって、飾り切れずに倉庫に眠らせている場合もあります。
 中にはとんでもなく価値の高い美術品もあり、私は一度、財産目録の管理といった仕事をしたことがあるのですが、そのときの最高額は地元出身の有名画家の大きな油絵、520万円でした。同じ画家のもう一枚は号数が低いこともあって360万円でしたが、両方合わせると900万円近い財産。火事でも起こったら私は子どもを助けるよりも、2枚の絵を守った方が褒められるのではないのかと本気で思ったりもしました(もちろん冗談です)。

 もっともそれは地元出身に有名画家がいたからそうなったのであって、普通は複製画です。
 学校ですからルノワールのような肉感的な絵は掲げにくく、ゴッホの「アルルの跳ね橋」だとかダ・ビンチの「モナ・リザ」、ミレーの「晩鐘」や「落穂拾い」、あるいはフラゴナールの「読書」といったところが定番です。
 学校によってはそんな定番ではない名画も、そちこちに飾ってある例がありました。

 一昨日は自分の教室に「和顔愛語」だの「一期一会」などといった座右の銘を飾る先生の話をしましたが、校舎内には高価な額に収められた立派な扁額もあちこちにあります。
「麻中之蓬」「耐雪梅花麗」「日日是好日」「博学探究」「質実剛健」等々。
「啐啄同機(そったくどうき)」は職員室に飾られやすい言葉で、「卵が孵化するときは、卵の中のヒナが殻を自分のくちばしで破ろうとし、また親鳥も外からその殻を破ろうとする、それがピタッと一致するからこそ、ヒナ鳥はこの世に生を受けて外の世界に出ることができる」という禅語です。同じように機を見て弟子を育てなさいという教訓で、職員室にはふさわしいものと言えます。


【学問の神々】
 しつこいようですが、私には「学校には勉強をしようという雰囲気ながなくてはいけない。それがなければ突き詰めた探究、忍耐強い学習はできない」という強い思いがあります。それは一種の信仰で、学校は常に先人によって見守られている、孔子・孟子はもちろんプラトン・ソクラテス、ダ・ビンチやニュートン、デカルト、紫式部や鴨長明、本居宣長、関孝和、福沢諭吉・・・。
 そういった学問の神様に見守られて行うわけですから、授業の始めには教師も生徒も、互いに向かい合って頭を下げ、「お願いします」と言わなければならない――そんなふうに思っているのです。
「学問の神様、先人、これから授業を始めます。どうか私たちを良き知恵へとお導きください」
 そんなふうに唱えてもいいくらいの気持ちです。普通の教師はそのくらいの真剣さでやっているのですから。

 校内に溢れる美術作品や書はそうした学問の神々の姿を変えたもの、キリスト教の十字架、仏教の仏像みたいなものです。だからそうした美術作品は絶対になくてはなりません。
 私はいつか自分が学校全体の運営に関わるようになったら、必ず多くの美術品で校舎を飾り、昼休みには静かにクラシックが流れるような学校にしたいと思っていました。


【絵を飾る代わりにしたこと】
 ところがいざそれなりの立場になったらとてもではありませんが揃えられない。複製画というのがあんなにも高価なものだと知らなかったのです。社会科の大判の地図さえ満足に買えない学校で、とてもではありませんが複製画を買ってくださいとは言えません。

 そこで泣く泣く諦め、他の方法で学校のアカデミズムを高めることを考えました。数少ない美術品に、題名や作者、制作年代や価値、それらを調べて横に掲示することにしたのです。美術展に行くと必ず作品の近くについているアレです。
 西洋絵画のようなものは資料が揃っているので比較的簡単でした。しかし書についてはそもそも読めないものもあり、写真に撮って書家に見てもらったり、扁額が掲げられた時期に在籍した教員に、電話をかけて由来を聞いたりとけっこう大変でした。けれどこういう仕事は一度やっておけばいいだけで、よほど汚れない限り掲示が外されることはありません。

 良いことをしました。業績として何も残さない教師でしたが、掲示物だけは残せたわけです。

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(左上)ゴッホ「アルルの跳ね橋」、(右上)ダ・ビンチ「モナ・リザ」、
(左下)フラゴナール「読書」、(右下)ミレー「晩鐘」


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2021/4/28

「好奇心と探究心に満ちた教師こそが最大の学習環境だ」〜教師の教養と学校のアカデミズムB  教育・学校・教師


 今は多忙のために望むべくもないが、
 好奇心に溢れ、探究心の赴くままに調べ、
 手に入った知識に興奮して踊ることのできる教師こそ最大の学習環境だ。
 そして、勉強をする気になる教室・学校――。

という話。
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(写真:フォトAC)

【授業に必要な知恵はすべて退職後の暇な時間に学んだ】
 以前にも書いたことですが、今の私の知識と情熱をもって社会科の授業で北斎を扱うことが出来たら、どんなに素晴らしいことか――そのことは繰り返し残念に思います。

 中学校の教師をやっていたころの私は、
「文化文政の時代の文化、いわゆる化政文化は元禄文化のような豪華なものではなく、庶民の文化でした。代表的なところでは葛飾北斎の『富岳三十六景』、歌川広重の『東海道五十三次』、美人画の喜多川歌麿、独創的な役者絵を生み出した東洲斎写楽、覚えておきましょう」
と、そんな調子だったに違いありません。こんな素っ気なさでは子どもたちに入るべきものも入って行きません。やはり教師が興味を持ってこそ、熱っぽく語ってこそ、子どもたちもついてくるものです。
 大のおとなが好奇心に溢れ、探究心の赴くままに調べ、手に入った知識に興奮して語る――そうした教師の姿こそ、子どもにとって最大の学習環境であるに違いありません。

 ただしこのことをもって不勉強だった30年近く昔の私を、責める気にはなれません。北斎のことも、印象派のことも、桜田門外の変のことも東アジアの政治問題も、みんな退職してのち、時間がたっぷりとれるようになってから学んだことだからです。
 いかに30年近く前とはいえ当時の中学校教師もかなり忙しく、おまけに子育ての真っ最中でしたから、とてもではありませんが現在のような勉強はできなかったのです。

 学問というのは寄り道の多い世界です。だからたっぷり時間が必要なのです。大昔の教師は時間がありましたから夏目漱石も島木赤彦も、石川啄木も宮沢賢治も、皆、教師をする傍ら文学の腕を磨きました。しかし現代では教職を続けながら学問も続けるなど、考えることすらできません(あ、俵万智さんは高校教師だったか――)。

 もともと教員というのは好奇心と探究心の強い人たちです。時間さえあればさまざまに学んできます。せめて教材研究にはたっぷり時間が取れるよう、なんとか取り計らうことはできないものでしょうか?


【学習の場としての教室】
 好奇心と探究心に溢れた教師こそ最大の学習環境。だとしたら次に大切な環境は何かというと、子どもたち全員に公平に与えられているものとしては(つまり家庭や親といった要因を外すとすれば)、学校あるいは教室という空間そのものが考えられます。

 私は教師となって初めて担任したクラスがうまく行かず、そのとき学年主任に連れられて教室巡りをしたことがあります。教科担任として行き慣れたクラスもあったのに、意図して見るとそれぞれの教室にはたくさんの「学習を支えるための道具」があるのです。
 例えば標語。
「和顔愛語(わがんあいご)」と掲げられていれば「穏やかな表情と心優しい言葉を大切にしましょう」といった担任の願いが伝わってきますし、「蓬生麻中、不扶而直(よもぎ まちゅうに しょうずれば たすけずしてなおし)」とあればみんなで頑張ろうという気合が伝わってきます(*)。「一期一会」と書いてその時々を大切にしようと訴えているクラスもあります。
2013/8/23「あのクラスの話」A―蓬生麻中、不扶而直―

 詩や短文を掲示しているクラスもありました。金子みすゞの「みんなちがって みんないい」、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」、ナポレオン・ヒル「信念の詩」、サムエル・ウルマン「青春」、そのあたりが定番です。

 窓辺にプランターがいくつも並べてられていて、植物を育てているクラスもあるのですが、花を植えるかミニトマトを植えるかではなにか目指すものに違いがありそうです。

 数学科の先生がご自身で描いた大きな油絵を飾っている教室がありました。専門バカではいけないという教示なのでしょうか? いろいろできると楽しいぞ、ということなのかもしれません。

 後ろの入り口のすぐ横に、ちょうど職員室にあるのとそっくりな氏名札を用意しているクラスがありました。朝、登校したときにひっくり返し、下校の時にまた返すあれです。これには驚きました。どういう意図があってのことでしょう? 聞いておけばよかったですね。

 それぞれのクラスにはそれぞれの、学習をするための、あるいは仲間づくりのための様々な工夫があったのです。私の言う「学校のアカデミズム」の匂う工夫です。
 殺風景な私の教室ではうまく行かないわけです。

(この稿、続く)

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2021/4/27

「教師はあまりにも知らない」〜教師の教養と学校のアカデミズムA  教育・学校・教師


 教師、特に社会科の教師は見てきたような話をするのが仕事だ。
 中国に行ったこともないのに中国の話をする、
 江戸時代に生きたこともないのに、さも生きていたかのように話す。
 それだけに少々突っ込まれると弱い。そんなとき、どうしたらよいのか。

という話。
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(写真:フォトAC)

【小中学校の教科書に載るような偉大な事件・人】 
「将来どんな大人になりたいと思いますか?」と問われた東大生が、「百科事典に載るような人になりたい」と答えたという話を、ずいぶん昔に聞いたことがあります。さすが東大生、考えることが違うと感心しました。
 いくら各界で成功しようと、あるいは金持ちになろうと、それだけでは百科事典に載るようにはなりません。何らかの社会的・歴史的業績を残さない限り、そうはならないのです。
 高い基準です。しかし私はさらに高い基準を知っています。小中学校の社会科の教科書に載ることです。

 人物でいうと難しいのでことがらで比較しますが、私が「三大雪中暗殺事件」と呼ぶ「赤穂浪士の討ち入り」「桜田門外の変」「2・26事件」、この中で最も人気が高く繰り返し演劇や映画の題材として取り上げられるのは「赤穂浪士の討ち入り」ですが、これが小中学校の教科書に載ることはありません。

 理由は簡単です。この事件で幕府はすこしばかり賢くなりましたが(*)それ以外にまったく歴史に影響を与えず、何の変化も起こさなかったからです。桜田門外の変も2・26事件も歴史に大きな爪痕を残したのに、赤穂浪士の討ち入りは歴史に何の変化も起こさなかった、だから教科書に載らないのです。
*浅野内匠頭の刃傷事件から24年後、同じ江戸城の松の廊下でそっくりな事件が起こったが、その時はうまく処理している。

 同じ観点からすれば、平成以降の大事件でも将来教科書に載るものはわずかです。バブル崩壊と東日本大震災・原発事故、人物ではノーベル賞の山中伸弥先生くらいのものでしょう。教科書は内容を精選されつくしているので、これくらい大きな事件・大きな業績でないと載って来ないのです。
 一連のオウム真理教事件も歴史までは変えませんでしたから載らない、阪神大震災も東日本大震災に取って代わられる、平成以降のノーベル賞受賞者は20人もいますが受賞内容の影響力や身近さという点で載るのは山中伸弥先生お一人でしょう。もちろん小中学校の教科書ですから一人選ぶと他が入らないという事情もあります。

 昨日は葛飾北斎の話をしましたが、中学校の歴史の教科書に必ず載っているこの絵師、そうなるととんでもなく偉大な人物ということになります。数十年、いやもしかしたら数百年にひとりの逸材なのかもしれません。だから教科書に載っている。それなのに教える側の教師には、北斎に関する知識がほとんどないのです。


【教師はあまりにも分かっていない】
 かくいう私も北斎の偉大さについて分かってきたのは60歳を過ぎてからです。つまり教員を辞めてからということで、ほとほとホゾを噛むような思いです。

 しかしそれを言い出したら授業なんてできないのも事実で、「租・庸・調」の租ってわずか3%だけどなぜそんなに低い税率だったのだろうかとか、壬申の乱の「壬申」って何なのかとか、中宮彰子(ちゅうぐう・しょうし)はなぜ「ちゅうぐう・あきこ」ではないのかとか、ツッコミどころが満載。現在はネット検索がありますからずいぶん調べやすくなりましたが、調べやすい分、うっかり入り込むとどツボにはまることも少なくありません。調べておいた方がいいこと知っているべきことは、実際に教えることの数十倍もあるのです。とてもではありませんがやり切れるものではないのです。

 もちろん先週の水曜日の「歴史探偵」を観たばかりの私には、北斎について語ることが多少はあります。さらにその昔、「新北斎展」だとか「北斎とジャポニスム HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」展だとかを観に行った時の経験を踏まえれば、けっこう語ることはあるように思います。
2019/2/12「新北斎展を観に行った」〜文化史をこんなふうに教えておけばよかった2 
2017/11/24「美の共振」〜展覧会をはしごしてきたC 

 しかし生徒の方が一歩踏み込んで、
「その浮世絵って、何枚くらい売れたの?」
「庶民が買ったの?」
「家に飾ってあったわけ? どんなふうに保管したの?」
と尋ねられたらすぐにおしまいです。たった一言で馬脚が現れてしまいます。。

 どうしたらよいのか――。


【さらに突っ込まれたら】
一昔前は教師としては最善を尽くし、あとは諦めるしかありませんでした。
 私が60歳を過ぎてから北斎に近づけたのも結局は時間があったからで、現場の、しかも担任教師だったりすると休日に美術館に行っている暇もありません。美術館に絞ればなんとかなるかもしれませんが、学ぶべきことは他にいくらでもあります。

 そこで、子どもに突っ込まれたら誤魔化さず、
「ゴメン、それについては分からない。次の授業までに調べておくと言いたいけど、約束が守れる自信もない。その質問は私も心に留めておからキミも覚えておいて欲しい。覚えておきさえすれば、いつか解決する日がくる。そのとき、できたら情報を交換し合おう」
 そんなふうに言って済ませることが多かったのです。行き詰まったら棚に上げて放置するというのも、優れた対処法のひとつですから。

 しかし今はインターネットがあります。とりあえずひとこと、
「調べてごらん」
と言っておきます。

(この稿、続く)

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2021/4/26

「北斎『富岳三十六景』の謎」〜教師の教養と学校のアカデミズム@  教育・学校・教師


 葛飾北斎の富岳三十六景に関するテレビ番組を見た。
 そして心が沸き立つような思いに浸った。
 「凱風快晴(赤富士)」「山下白雨(黒富士)」そして「神奈川沖浪裏」。
 すごいぞ、ちょっと聞いてくれ。

という話。
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(写真:フォトAC)

【NHK「歴史探偵」を観る】 
 長く続いたNHK「歴史ヒストリア」に代わって、今月から「歴史探偵」という番組が始まっています。まだまだ方向性が定まらない感じで前に比べて何がいいのかわからないのですが、その第4回「葛飾北斎 天才絵師の秘密」が面白かったので紹介しておきます。

 番組はまず、「富岳三十六景」の中に二枚だけ、どこから描いたものか場所がわからない絵があるというところから始まります。絵に題名に地名がないのです。一枚は「凱風快晴(がいふうかいせい)」、通称「赤富士」。もう一枚は「山下白雨(さんかはくう)」、通称「黒富士」です。


【赤富士と黒富士のなぞ】


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 まず「凱風快晴」ですが、語としては「初夏の風・快晴」という意味だそうです。
 「歴史探偵」のスタッフは富士山頂の雪形から、描かれた場所を富士市富士川の河口付近と推定して、そこから日々移ろう富士山の様子を撮影し続けます。「凱風快晴」とそっくりな富士を捉えようというのです。
 そしてついに快晴の朝、富士が山頂から徐々に日を浴びて、刻々と色合いを変えていく様子を撮影することに成功するのです。それはまさに「凱風快晴」と全く同じ、そこから、北斎はこの絵に移ろいゆく時間そのものを封じ込めようとしたのではないかと結論するのです。

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 赤富士が時間を封じ込めたものなら、黒富士は空間を一枚の絵の中に封じ込めたものと考えられます。注目すべきは富士山の左の裾野のむこうに見える山地です。山梨県にある三坂山地と考えられます。
 ところが実際に静岡県側から三坂山地を望もうとすると、富士に隠れて見えません。見るためには富士宮市あたりから上空2500mまで上昇しなくてはならないのです。NHKのヘリコプターカメラは、見事にその様子を捉えます。
 もしかしたら葛飾北斎は実際に空を飛べたのかもしれない――。もちろんそんなことはありませんが、富士山の専門家ですから周辺のどの位置に何があるかを正確に把握していて、富士宮市上空のある場所まで上昇すれば、必ず三坂山地が見えると承知して描き込んだのです。

 景色を鳥観的に描くのは北斎の独創ではありません。そうした描画法は古くからあって、源氏物語絵巻では屋根を取っ払ったように宮殿内の様子が描かれ、戦国時代前後の洛中洛外図などではご丁寧に部分部分を雲で隠し、「これは雲の上から描いたものです(だから街中が見えるのです)」と説明しているようにさえ見えます。
 しかし「黒富士」が空中の一点をめざしてそこに視点を置いたのは、そうした便宜的な理由でなく、ただ「晴れた富士山頂」「激しく雨が降り雷鳴とどろく麓」という対比を描きたかったからなのでしょう。そうした発想から描く鳥瞰図的な絵画は、北斎にして初めて試みられたのかもしれません。


【実験「神奈川沖浪裏」】 
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 富岳三十六景の中で特に人気の高い3作品を「三役」と呼ぶらしいのですが、「赤富士」「黒富士」と続けば残るは当然、「神奈川沖浦浪(かながわおきうらなみ)」です。
 番組では「神奈川沖〜」に描かれた大波を再現しようと、東京都三鷹市にある海上技術安全研究所の大プールで実験します。
 その様子は大変面白いので、興味のある方はNHKプラス(無料契約が必要)で4月28日(水)11:14まで配信しているので是非ご覧になってください。

 実験はみごとに成功し、「神奈川沖〜」とそっくりな波を作り出し、そこに模型の船まで浮かべるのですが、その過程で東大の教授が面白いことに気づきます。絵に描かれた三艘の船は同じものであって、アニメーションのコマのような役割をしているのではないかというのです。右の船、中央下の船、左の船の順で、模型の実験船とまったく同じ傾きをしているからです。
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 一瞬の波の動きを正確にとらえ、船の様子も見逃さない――教授は思わず「これは神眼(しんがん)ですね」と呟きます。


【江戸の高速艇】
 今回の番組からではありませんが、比較的最近、私は「神奈川沖浪裏」についてとんでもない思い違いをしていたことに気づきました。船に乗っている人たちを見て、「乗客たちもほんとうに大変だったろうな」と思っていたのですが、富士を見てください、これだけ雪をかぶっているのですから真冬、しかもこれほどの大波を押して進むとなると客船ではありえません。「押送船(おしおくりぶね:おしょくりぶね)」といって江戸に海産物を運ぶ高速艇だったのです。

 船べりでは左右4人ずつ計8人の漕ぎ手が櫂を握り、よく見ると前方に二人の交代要員まで置いてあります。それほどの人数をかけて危険な海を急ぐのには理由がありました。積み荷が初ガツオ、江戸庶民あこがれの縁起もので、とんでもない高値がついたのです。だから命を懸けて急いだ――。
 そう思って絵を見ると、人々の息遣い、躍動感まで伝わってきそうな気がします。

(この稿、続く)



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