2021/3/29

「更新しました」〜キース・アウト(2021.03.28)  メディア


文科省が学校への持ち込みを許可したスマホで、子どもたちが盗撮をすることがあるからしっかり指導しろって、オイ! 「教師の働き方改革」「時間労働の削減」はどうなってるんだ!




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2021/3/25

「更新しました」〜キース・アウト(2021.03.25)  メディア


三条市:和食中心の給食に牛乳は変だからと廃止したが、先生たちが大変だとやかましいのでまた始めることにしました。




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2021/3/20

「更新しました」〜キース・アウト(2001.03.20)  メディア


体操服の「肌着禁止」は保護者の要望で始まったとは限らないが、体育のある日は肌着も持たせろと言われてウンザリする親も少なくないと思う。





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2021/3/19

「鎮魂:10年目の3月11日に子どもたちに話したかったこと」〜災害と学校G(最終)  教育・学校・教師


 10年目の3・11、予定通りの原稿を上げたが、
 ほんとうは別のことを話すべきだった。
 突然思いついて書き直したが、結局、間に合わなかったこと、
 大切な人を突然失うという非現実的な現実について。

という話。
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(写真:フォトAC)

【3・11前夜の逡巡】

 10年目の3・11の前夜、このブログで前の日から始めていた「災害と学校」の第二回を書き、予約投稿の手はずを整えてあとはボタンを押すだけになって、ハタと手が止まりました。

 もちろん学校防災は重大ですが、あれから10年たった3月11日に限って言えば、さらに重要な何かがある、そんなふうに思ったのです。そこで慌てて別原稿を書き始めました。
*結局その原稿は間に合わなかったのですが。

 その時、私の頭の中に浮かんでいたのは、かつて教えていた小学校高学年から中学生くらいの子どもたちです。
 私は学級担任という仕事をなくしてから20年近くになりますが、今でも大切なことを話そうとすると真っ先に思い出すのはその子たちの顔です。

「昨日から話し始めた学校防災については、続きを明日からもう一度、勉強し直そう。けれど今日は、この2021年の3月11日について言えば、私には別に話したいことがあると気づいたのです。予定と違いますがどうしても伝えたいことがある。――聞いてくれるかい?」
 そんな語り出しで始めるのです。


【大切な人を突然失うという非現実的な現実】
 10年前の3月11日については、いろんな角度からの勉強ができます。昨日も話した学校防災はもちろんですが、原発事故のことを考えて原子力発電の今後というテーマで話し合ってもいいし、あるいは新しい街づくりという話題でもいい。
 しかし今日、私が取り上げたいのはそうした社会全般のことではなく、私たちの家族と友だちといった観点からの話です。

 私たちは通常、昨日や今日があるように明日もきっとあるはずだと考えて生きています。いや、明日があるかどうかなんて、そもそも考えたりしません。あって当たり前だと思っていますから。
 しかし本当は、未来は不確実で、明日なんてこないかもしれません。今夜、突然巨大隕石が飛び込んできて地球が吹っ飛んでしまうかもしれない、今日別れた友だちが交通事故で亡くなって明日はもう会えないかもしれない、お父さん、お母さん、兄弟姉妹との最後の言葉のやり取りが、実は今夜キミたちの口にする「おやすみ」だったということになってしまうかもしれない、そういう可能性もゼロではないのです。
 10年前の3月11日、東北地方で起こったことは、ほとんどそれに近いものでした。

 朝、「行ってきます」と声をかけて「行ってらっしゃい」と返事があって、それが一生の別れで、どちらか片方あるいは両方が亡くなってしまった。つい1時間ほど前までじゃれてふざけ合っていた友だちが、気づくとこの世からいなくなって二度と会えなくなっている。生まれたばかりの赤ちゃんがお母さんの腕の中から滑り落ちていく、お年寄りの夫婦が引き離されて別々の海岸に流れ着く。
 10年前の今日、東北地方ではいたるところで、ほとんど同時にそういうことが起こっていました。

 分かりますか? 分からないですよね? だったら胸に手を当ててじっと想像してみましょう。いや苦しくなったら想像するのをやめてもいいですよ。

 今朝、キミたちは家を出るとき誰に「行ってきます」と言いましたか? 家族の中で誰が「行ってらっしゃい」と答えてくれました? もしかしたら別の家族の方が先で、「行ってきます」と言って出て行った、その言葉にキミはきちんと返事をしましたか?
 その挨拶をした相手――お父さん、お母さん、あるいはお兄ちゃんお姉ちゃん、弟、妹、お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、そのうちの一人あるいは数人が、今夜はもういないのです。

 学校ついて言えば、喧嘩をしたばかりでそのままになっていた友だちに、明日はもう謝ることもできないのです。本を借りっぱなしになっている友だちも、一緒に遊ぼうと約束した友だちも、もう死んでしまっている――。

 10年前の今日、東北地方を中心に何十万、何百万もの人々が味わったのは、まさにそういう可能性が現実となった姿だったのです。

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【一期一会】
 一期一会という言葉を聞いたことがありますか?
 元々は茶道に由来する日本のことわざで、茶会に臨む際は「この機会は、二度と繰り返されることのない一生に一度の出会いである」ということを心得て、茶会に招いた主人・招かれた客、双方互いに誠意を尽くしましょうという意味です。
 友だちのA君とは明日も会えるかもしれない、けれど明日会うA君は今日のA君とは違う、明日の私も今日の私と違う、だからその瞬間その瞬間を一回限りのものとして、大切にしましょうという意味です。そんなふうに毎日をきちんと過ごしておけば、万が一、翌日A君がこの世からいなくなっても、なんとか自分を支え切ることができるでしょう。

 もちろん毎日毎日、人と会うたびに「この人とは明日は会えないかもしれない」と思いながらつき合うのはたいへんですし、「明日は死んでいるかもしれない」と思われている相手の方も気持ちのいいものではありません。

 ですからせめて家を出るとき、あるいは学校から帰ろうとするとき、本当に忘れ物はないかと振り返るのと同じように、「やり残したことはないか」「喧嘩をした仲間と仲直りはできたか」「嫌な思いをさせたままで別れる相手はいないのか」と、そんなふうに考える習慣を持つのが楽なのかもしれません。やり残したことがあったら、忘れ物を取りに戻るように戻って、謝るべき相手には謝っておき、優しい言葉をかけるべき人にはかけておくと良いでしょう。
 それが今の私たちにできる精一杯のことです。
 そしてその上で誰かを失ってしまったら――。


【私はご先祖になる】
 今回3・11に際して、特にNHKで、
「前を向いて生きていこうと思うのだけど、前向きに生きるということは亡くなった人を置いていくことだ」とか、
「悲しみを乗り越えてと言うけれど、乗り越えてしまったら死んだ人が置き去りになってしまう」
とかいった気持ちを訴える人が多くいました。私には経験がないので分からないのですが、大切な人を突然亡くすというのは10年たってもそういうことなのでしょう。

 ところが一方でこんな話も聞きました。NHKのEテレ「100分 de 名著」の中に出てきた話です。
 柳田国男という民族学者は1945年、東京大空襲のためにものすごくたくさんの人が死んでいく中で、日本人にとって死ぬとはどういうことなのか、人は死んだらどうなるのかということについて一気に書き上げました。「先祖の話」という本です。柳田さんが死について考えたというのではなく、日本人はこんなふうに考えていたようだ、と記したのです。

 それによると人が死んだあとで天国に行くとか極楽に行くとかいったことはほとんどが外国(インドや中国・ヨーロッパ)から来た話で、どうやら日本人は昔から、人は死んでも私たちのそばにいると、そんなふうに考えていたのではないかというのです。
 いつもそばにいて私たちを見守っていてくれる、視線を感じる、心の中で何となく会話している――。

 その存在を私たちは「ご先祖様」と呼んできました。
 私は知らなかったのですが、昔は「自分は死んだらご先祖になる」という言い方まで普通に使われていたそうです。生きているうちに計画して、死んだらご先祖様になって子や孫の傍らで守り、助ける、そういう「生きた死者」になることをいうのです。死んでからでないと、できないことがあるようなのです。

 私はこの話を聞いてとても幸せになりました。そうです。こんなに年老いた私でも、今から果たさなければならない壮大な仕事があるからです。


【キミの傍らに私がいる】
 東日本大震災のような災害や、あるいは事故や、あるいは犯罪などによって突然愛する人を亡くした人たちには、とても言える話ではありません。なぜなら私がそうではないからです。
 しかし私は、私自身に対してこんなふうに言っておきます。

 亡くなった私の父や妻の両親、親しかった妻の姉、そうした人たちは今も私たちの傍らにいて有形無形の支援をしてくれているのです。死者の世界のやり方ですので何が行われたのかは分かりませんが、行われたのは事実です。なぜなら私がそう感じているからです。

 キミたちの大切な家族や友だちはみなさんご健在ですか? それはいいことです。しかしもしいつか遠い将来、その人たちがこの世からいなくなっても、それは悲しまなくてもてもいいことなのかもしれません。その人たちがいつでもそばにいてくれるからです。

 私はキミたちの家族でも祖先でもありません。しかしこの先いつか死んだら、必ずキミたちの傍らに居ようと決心しています。教員時代にあまりにもたくさんの児童生徒を見てきましたから、全員のそばに常駐するというわけにはいきませんが、必要なら心の中で問いかけてください。そうすれば私は必ずキミたちのそばに駆け付け、死者にしかできないやり方で助けてあげます――というよりは助けてあげたいのです。それがこれからの私の生きがい、あるいは死にがいだからです。

 以上、今日は人の死と、死んだ後の世界についてお話ししました。

(この稿、終了)


《お知らせ》
 コロナ禍で休校も多かったため、今年の3学期終了は地域によってずいぶんマチマチです。しかし多くは本日(19日)までに終わるみたいです。そうでなければ新年度に間に合いません。
 子どもたちにとっては1年で最も宿題の少ない楽しい長期休業ですが、先生たちにとっては一番宿題の多い休みでもあります。引っ越しをしなくてはならない場合もあるので大変です。
 私はまったく暇ですが、いつもの通り、学校に合わせて休みを取ることにします。4月は早々5日に入学式の行われる学校もたくさんあります。ですからこのブログも新年度早々に始めることにしましょう。
 また、よろしくお願いします


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