2021/1/15

「ボヘミアンK氏の生き方」〜年賀状が呼び覚ます記憶と人間模様C   人生


 電話を介して三十数年ぶりにKさんと話しながら、
 遠い遠い昔のことを思い出す。
 そのうち私は、なぜあれほどKさんと会いたかったのか、
 Kさんに“その後の私”を知ってもらいたかったのか、
 ようやく理解することになる。
 遠く及ばないにしても、私もKさんのように生きたかったからだ、

という話。
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(ミュシャ「スラブ叙事詩」より『ルヤナ島のスヴァントヴィト祭』《部分》)

 ネット上で見つけた昔の先輩の住所と電話番号。一度、電話したところ留守で、すぐにかけ直せばよかったものを数カ月おいたら電話自体がなくなってしまっていた。そこで年賀状に自分の電話番号を記して出したところ、1日も2日にも連絡がなく、もう亡くなったのかもしれないと諦めかけていたら、4日になって本人から電話があった、そういうお話をしています。


【年賀はがきが遅れた事情】
 1日か2日には電話連絡か宛先不明の年賀状が戻ってくるに違いないと思っていたのに、4日になって初めて連絡があったことには、次のような事情がありました。

 Kさんは30年ほど前に結婚して(そのこと自体は噂で知っていた)、その際、実家を出て、職場に近い別の住宅に住み始めていたのです。実家には独身の弟さんとお母さんが二人で住むことになりました。

 私がネット検索で得た番号に電話をかけたのが3年前の10月、その際に電話口に出たのが弟さんで、その弟さんは電話があったことをKさんに伝えることなく、翌月、急死してしまったのです。残された当時97歳のお母さんはKさんが引き取ることになり、実家は電話を切って閉じられることになります。私が電話をかけて「おかけになった電話番号は現在使われておりません〜」に衝撃を受けたのはその時期です。

 そのあと1年近く、家は放置されときどきKさんが管理のために行ったついでに郵便物を回収していたようです。しかしそれも面倒で、昨年、正式に住所変更の手続きを取ったのです。したがって私の賀状はいったん実家近くの郵便局に運ばれ、そこから転送手続きをへてようやく4日にKさんの手元に届いたのです。

 危ういところでした。
 これが一年遅れていたら年賀状も届きません。運命はちゃんと働いています。
 もらった電話でかれこれ小一時間も話し、最後はおそらく相手側のスマホの電池切れで終わりましたが、たくさんの思い出話ができました。


【ボヘミアンK氏の生き方】
 Kさんというのはたいへん魅力的で不思議な人です。
 田舎育ちの私でも聞いたことのある有名都立高校を卒業して、これまた誰もが知っている有名国立大学を出ています。きちんと聞いたわけではないのですが司法試験のために正式な就職もせず、そのまま塾産業に居ついてしまったようです。
 当時、学習塾の講師のアルバイトは時給がべらぼうに良くて拘束時間も短いので、司法浪人、小説家志望、俳優志望といった人々がウジャウジャいたのです。 ただし実働が1日わずか3〜4時間ですからそれだけで生活は成り立たず、時がたつにつれてその世界から足を洗うか会社そのものに飲み込まれるか、道は二つにひとつでした。
 
 Kさんが司法浪人として真面目に取り組んだ期間がどれくらいだったか私は知りません。しかしそんなに長くなかったように思います。私が知っているKさんは無類の酒好きで、アルコール抜きで長時間の勉強ができるような人ではなかったからです。

 酒臭い息をしながら出社することは日常茶飯事でした。着ているものも持ち物もいつも同じで、噂によると背広のまま寝てそのまま出社するのだそうです。
 その噂は職員旅行で箱根に行った際、他のメンバーが全員普段着なのにKさんだけが背広姿で参加したことで確かめられます。このときは早朝の出発だったので新宿集合に間に合わず、一本遅い特急での現地合流になりました。
 詳細は覚えていないのですが、箱根のどこかで会社として名刺を残していく必要ができたのですが、持っていたのはKさんだけ。いつもの姿で来るので自然とそうなるのです。
 稀に上着だけハンガーにかけることもあるらしいのですが、慣れないことをすると失敗もあるもので、出社してどうも背中が痛いというので見たら肩にハンガーが入ったままだったという伝説まであります。

 バレンタインデーに同僚からリカーチョコ(何種類ものアルコールを一つひとつ酒瓶型のチョコレートに入れたもの)を贈られ、しばらくすると内線で、
「あのう、空瓶はどうしたらいいのでしょうか?」
と訊ねてくるような人です。遅刻も失敗も少なくなく、ふた月に一遍くらいは午後出社になったりします。

 あるとき腹に据えかねた社長が懇々と説教したらしいのですが、社長室から戻って来たKさんは険しい表情で、
「ねえTさん(私のこと)、いま社長からずいぶんと叱られ、仕事に差し支えるなら酒を辞めろと言われたのですけど、私、飲むために働いているのであって、仕事に差し支えるから辞めるってのは本末転倒だと思うのですけど、いかがでしょう」
 いかがでしょうと訊かれても私は年齢も地位も下ですので何か言える立場ではありません。しかし本末転倒という表現はこんなふうにも使えるんだと感心はしました。

 極めつけは同僚数人と高尾山に行った時のことです。私は参加しなかったのですが後から聞くといつもの通りの背広姿で、いつも通り自動販売機があるたびに缶ビールを買っては飲み、飲んでは買いながら山歩きをしていたところ、崖から滑り落ちてもうダメだと思ったところで鉄条網に引っ掛かって止まったのだそうです。鉄条網ですよ。
 私の覚えているのは翌日、フランケンシュタインの怪物みたいになって出社したKさんの姿だけです。それだけたくさんの刺し傷を作りながら、当日は酔っているので痛みをまったく感じないらしく、いやがる運転手を説得して乗せたタクシーの中でも大騒ぎだったようです。

「お酒さえ飲まなければいい人なのに」
が定評で、しかし酒だけが欠点だと思い込まされて実は別の欠点だらけということもありますから、ほんとうにそうなのか、しばらく観察していたことがあります。
 でも、やっぱり良い人でした。


【K氏に魅かれる理由】

 三十数年ぶりの思い出話に花を咲かせながら、突然私は、なぜKさんのことがあれほど気になったのか、改めて理解することができました。連絡のつかなくなった恩人はいくらでもいますが、Kさんには人生の本質的な部分で教えられたことがあるのです。

 それは電話口でKさんと別れたたあとの私の人生について、簡単に紹介していたときのことです。
「いやあ、それはきちんとした人生を送られましたな。私なんか本当にいい加減なまま過ごしてきてしまいましたから――」
 それで思い出したのです。
ああそうだ、この人はほんとうに「いい加減」というか、「良い加減」の人です。過去を語らず未来を言わず、その日その日を十分に生きて、仕事のために酒を辞めるのは本末転倒だと考えるような人です。

 十代の後半から二十代前中盤にかけて、私はどうしようもなく神経質な青年でした。自分を天才だと思う高慢さと、社会はそんな私を一捻りできるくらいに強大で恐ろしいものだといった不安で、オロオロしながら過ごしていたのです。そんな私に人生なんて思いつめて歩むものではないと、身をもって教えてくれたのかKさんなのです。

 私も30歳を過ぎてからはかなり柔軟に生きられるようになりましたが結局「きちんとした人生を送られましたな」と評されるレベルのものでした。性分ですから仕方ないのです。とてもではありませんがKさんのように生きられるものではありません。

「お酒はその後どうですか」
と訊くと、
「いやはや糖尿病になってしまいましてね。だいぶ飲まなくなりましたがそれでも誘惑に負けてビール一本程度・・・」
 確か30代前半では極めて珍しい「痛風」になって、医者にビールを止められたのはKさんだったはずですが、懲りない人です。
 しかしそんなところがいいのです。
 


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