2020/11/30

「子どものこころをえぐり、刺す言葉。追いつめる人」〜NHKドラマ「こもりびと」を観て@  親子・家族


 高年齢層の引きこもりを描いたNHKドラマ「こもりびと」
 そこには典型的な引きこもりの家族の姿が映し出されている。
 長い時間の中で子どもの心が少しずつ切り刻まれていく、
 家族全体が静かに崩れていく、そして数十年――

という話。
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(写真:フォトAC)

【NHKスペシャル・ドラマ「こもりびと」】
 NHKがここのところ引きこもりについて様々な番組で共通に扱っています。 昨晩もNHKスペシャルでドキュメンタリー「ある、ひきこもりの死 扉の向こうの家族」が放送されていましたが、先週のその時間は松山ケンイチさん主演のドラマ「こもりびと」で、フィクションのかたちで引きこもりの現実が紹介されていました。

 松山さんが成年引きこもりで武田鉄矢さんがその父親。父親にガンが見つかって亡くなるまでの数カ月間が舞台となります。
 余命半年と期間が区切られて、引きこもりの息子との対決が余儀なくされた、というところから物語は始まるのです。


【こころをえぐり、刺す言葉。追いつめる人】
 父親にとっては孫、息子にとっては姪に当たる女子大生がもう一人の重要人物で、彼女に助けられて父親はツイッターを通じた息子との交流の道を開いたり、引きこもりの当事者と家族の会にも顔を出すようになったりします。
 そうするうちに父親は自分の今日までの言動を振り返り反省するようにもなるのですが、日記を頼りに思い出す自身の言動は、それはひどいものです。

 大学受験を失敗した際には、
「わざわざ進学校まで行ったのに、国立受験失敗は自己責任だな。自分を甘やかしているからだ」
 苦労してファミレスに就職し、店長として頑張ろうとすれば、
「契約社員? 大学まで出してやったのになんで正社員になれないんだよォ。非正規なんてお前、アルバイトじゃないか。えー? なん10社も受けてさぁ、1社も合格しないって、お前どういうわけだよ。黙ってないで、何か言えよ」
 主人公の兄であるもう一人の息子が、“就職超氷河期だからなあ”と助け船を出すと、
「氷河期だって言ったってなぁ、何人も正社員になったやつはいる。まったくあいつは努力が足りないんだ」
 その一言ひとことが口から出るたびに、主人公のこころをナイフのようにえぐっていることに父親は気づいていません。

 母親が病気となって介護が必要になったのを機に仕事を辞めると、
「なんで仕事辞めた。母さんの介護にかこつけて逃げてるんじゃないぞ」
 不貞腐れて寝ていると無理やり掛布団を剥いで、
「コラ起きろ! 結婚はできないわ、仕事は続かないわ、恥ずかしくないか。少しは俺の立場も考えろ。このままだとお前、家族の恥さらしだぞ」
 よくも次々とこんな言葉が考え出せたものだと感心します。

 もちろんフィクションだということもありますし、一人の語った言葉ではなく、取材の中で拾い上げたたくさんの親たちの言葉だということもあります。実際には5年〜10年という長い時間の中で語られた言葉も、1時間というドラマの中に収めれば「次々と」という感じになるのも当然かもしれません。

 ただし人は誰かの言葉を時間の感覚とともに記憶しているわけではありません。辛いこと、苦しいことを思い出そうとすると、10年前のものも昨日のものも一緒くたに出て来ます。その意味では松山ケンイチ演じる主人公の頭の中に、父親の残酷な言葉は父親自身が振り返る場面のように、「次々と」と現れているに違いないのです。


【子どものこころを親が言語化して――突きつける】
「わざわざ進学校まで行ったのに国立受験失敗は自己責任」
 そんなことは百も承知です。しかし自分は自分なりに努力もした。その努力は“自分を甘やかしているから”の一言で、処理されていいものではありません。
「10社も受けて1社も合格しないって、どういうわけだ」
 これも何十ぺんも考えた。何百回も思った。そして自分を責めた。しかし“どういうわけだ”なんて、オレにもわかるはずがない。分からないから何百回も問い続けている――。
「結婚はできないわ、仕事は続かないわ、恥ずかしくないか」
 恥ずかしいに決まっている。不安でもある。怯えてさえいる。それを父親はボクの問題としてではなく “オレの立場”や“家族の恥”の問題としてしか考えていない――。
 それが息子の側からの理解です。

 視聴者の中には、ドラマを見ながら“ここまでひどい親はそういないだろう”、そう思われた方もおられると思います。しかしそうでもないのです。
 親の本当の姿は生徒指導など厄介な問題でもないとなかなか見えてこないのですが、いかに子育て・教育の素人とは言え、ここまで「間違った対応」「してはならないこと」を次から次へと思いつき、次から次へと実行してしまう親がいるのかと呆れさせられることは少なくありません。生徒指導の現場ですから困難や問題を抱えた児童生徒が対象で、その親たちとなれば当然どこかに問題を抱えていて不思議はないのですが、それにしても少なくない――。

 そして――ここからがかえって絶望的なのですが――それらの親の多くが、子どもに心を寄せ、期待し、愛情からそうした言動に走っているのです。
 そこがさらに苦しいのです。

(この稿、続く)

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2020/11/27

「岩手県ですらダメだ。食事中は黙って食べろ!」〜感染拡大第三波の憂いと覚悟C   生活


 あれほど長く感染者ゼロを続けていた岩手県が、今たいへんなことになっている。
 日本で感染者が少なかったのは単なる偶然だったのかもしれない。
 もはやこの国で誰も、枕を高くして眠ることなどできないのだ
 三密を避け、五つの小を守り、飲みたい人は10日に一度。
 そして思い出したのだが・・・黙って食べろ!

という話。
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(写真:フォトAC)

【岩手県はどうしている?】
 昨日までの新型コロナウイルス感染者数を47都道府県別に並べると、人数の少ない方から5県は鳥取(57人)・秋田(83人)・山形(111人)・香川(135人)・島根(144人)の順になります。
「あれ?」
と思われた方もおられると思いますが岩手県がありません。

 岩手県と言えば、日本中が怯え震え上がっていた第一波感染を難なくすり抜け、第二波も感染者の増加が天井知らずで、一日の感染者が間もなく1000人を越えようという7月28日になって、ようやく最初の2名が報告された奇跡の県です。全国に比べて異常なゼロ続きでしたから、初めて感染者が出たときはかえってホッとしたのではないのかと思われたほどです。自分が第一号にならずに済んだのですから。

 その7月28日以降も、県外で感染して帰って来ただけと思われる感染者がチラホラ散見されるだけで、今月8日に至るも、感染者はわずか30名、全国最少だったのです。ところが9日にひとり、10日に二人と報告され、11日に8人が報告されると瞬く間に数が増えて16日には鳥取・秋田両県を抜き、昨日夕方の時点では175人の感染者ということになっているのです。

 盛岡市内の消防分署、飲食店、そして最近では福祉施設内でもクラスターが発生し、「直近一週間の人口10万人あたりの感染者数」も昨日までで6・36人と三重・宮崎に続く17位にまで上昇しています(NHKまとめ)。

 特に心配なのは11月9日以降、感染者ゼロの日が一日もない点で、岩手県は新たな局面に入ってしまったことを伺わせます。


【誰も無事ではいられない】
 国際的にみると、これまで岩手県のように新型コロナ防疫の模範と呼ばれる国がいくつもありました。今となってはブラックジョークとしか思えないのですが、フランス・ドイツ・スウェーデンがその代表です。
 韓国では文大統領が「K防疫は世界標準となった」と高らかに宣言し、日本でも安倍前総理が「日本モデルの成功」を声高に叫んだものです。しかし今はどちらの国でもそんなことをいう人はいないでしょう。負け組とは言いませんがかなり怪しい雰囲気になってきました。

 先日からお話している、ニュージーランドや台湾、そして多くのアフリカ諸国も現在はうまいこといっていますが、最後までそうであることが保証されているわけではありません。
 今、感染者が極端に少ないのは「極端に少ないから少ない」という自同律みたいな理由からかもしれません。新品の洗濯機や新しい住宅の風呂がカビにくいのと同じで、いったん入り込まれて一時的にしろ占拠されると簡単になくすことができないのかもしれないのです。それができるのは、中国のようなIT大国かつ強権国家だけです。


【新型コロナ感染の三つの局面】
 コロナ感染にはまず「ほとんど感染者がいないから感染が広がらない」という時期が最初にあり、次に「特定の場所で繰り返し感染者が現れ、なかなか消えない、しかし大きくは広がらない」という時期があって、第3の局面では「場所を選ばずウイルスが常駐し広がる」時期があるということになっているのかもしれません。
 それぞれに臨界があり、一定の状況が生れないと次の局面に進まない――そんなふうに思えるのです。
 そして今や日本も第三の局面に入っているのかもしれない――それが私の憂いの正体です。

 今年の2月〜3月、韓国とイタリアで爆発的な感染が始まったとき、日本が例外であったのは花粉症の時期でマスクをしていた人がやたら多かったから――その程度の理由かもしれません。
 4月11日を頂点とする第一波を大型連休に観光地どころか職場にも行かないという準ロックダウンによって収め、6月末からの第二波もお盆休みと夏の換気の良さ、そしてなによりも発生場所が「夜の歓楽街」という狭い範囲であったことによって回避できたものの、今回の第3波はどこにも好条件がない、だからヨーロッパ並みに蔓延する、そんなふうにも思えます。

 鬼滅の刃ではありませんが、鬼はすぐ隣にいるかもしれず、また、私自身がすでに鬼になっているのかもしれないのです。


【黙って食べろ!】
 何かよいアイデアがあるわけではありません。
 三密を避け、手洗い・マスクをきちんとして、飲むなら家飲み。

 どうしても外で飲みたい人は「10日に1度月3回」(MEDIAN TALKS『東京都医師会長が年末年始に向け呼びかけ「飲み会は10日に1度、月に3回で」』)。
 五つの小(「少人数」「小一時間」「小声」「小皿(に取り分ける)」「小まめ(な手洗いやマスク着用)」)

――突然思い出したのですが、子どものころ、食事の時間に父親が一番うるさく言ったのが、
「食事中は黙って食べなさい!」
でした。
 昔はそういう道徳があったのです。

「いただきます」と言ったからには私たちのために命を投げ出した動物や植物たち、それらを育てるために汗水流した生産者たち、それらが食卓に並ぶまでに関わったすべての人々に感謝し、心を込めて味わいなさい――そういうことです。

 いまさらの道徳観ですが、コロナ禍が去るまでのしばらくの間、我が家でも励行してみようかと思います。一部の学校ではすでに行っていることですから。
 日本をヨーロッパや南北アメリカのようにしてはいけない。

(この稿、終了)

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2020/11/26

「日本はニュージーランドになれない」〜感染拡大第三波の憂いと覚悟B  政治・社会・文化


 新型コロナ感染に関して、台湾やニュージーランドなどを挙げて、
 日本がかくのごとくないことを嘆く人々がいる。
 しかし結果が同じなのにアフリカ諸国や中国・韓国を羨む声は少ない。
 もっともいずれにしろ、日本はかの国になることはできない。

という話。
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(写真:フォトAC)

【私の機械的電光石火の反応】
 昨日、いつもは見ない朝の情報番組を見るともなく見ていたら、テレビ朝日の玉川徹という(社員)レギュラーコメンテータがニュージーランドを引き合いに出して、
「アーダーン首相は毎日のようにテレビで国民に呼びかけ、2度のロックダウンを成功させた。おかげで現在は日に2〜3人の新規感染者が出るだけで普通の経済活動を行っている」
というような話をしていました。
 
 私が気になったのはそれに続いて、
「そういう成功例を海外で見ていると、日本は語りかけも全然ないじゃないですか。(中略)国民に対して、『国としてはこうやって抑えます』『もしかしたら皆さんに我慢を強いるかもしれないが、必ず復活させますから』とかあるじゃないですか」
と言っていた部分です。

 私は「外国に比べて我が国は・・・」という言い方をされると電光石火で反応して、知らないことだったら徹底的に調べる性質です。


【日本はニュージーランドになれない】
 はっきりとは言わないものの玉川氏はかねてから「一度完全なロックダウンをして国内からコロナウイルスを根絶すべき」といった考えをお持ちのようです。しかし現在までロックダウンによってコロナを根絶できた国や地域は昨日お話ししたアフリカ諸国・北朝鮮・台湾・ニュージーランドくらいなもので、いずれも極めて早い段階で始めたから成功したというところに特徴があります。

 例えばニュージーランドの場合、海外からの渡航者を全面禁止にした3月19日までに、国内で発見されていた感染者はわずか20名。ロックダウンを決めた3月26日時点での感染者はたったの205名でした。
 また8月11日、それまで101日間の「感染者ゼロ」が途絶えて4名の新規感染者(おそらく家族)が出ると、その瞬間に人口150万人のオークランドを3週間のロックダウンにしてしまいます。日本にそれができますか?

 ニュージーランドと同じであるためには、我が国は遅くとも墨田川の屋形船での集団感染が発見された2月14日には中国発・中国経由の渡来者を遮断し、韓国の感染者が3000名を超えイタリアでも1000名を突破した2月末には主要な国々との往来を禁止しなくてはなりませんでした。その上で国内の主要な都市も3週間程度のロックダウンにすべきだったのです。
 それさえやっておけば夏の第二波も現在の第三波もなく、感染者・死者ともに現在の十分の一以下で済んだのかもしれません。

 2月末と言えば日本国内の感染者は累計でわずか250名ほど。東京37名、神奈川22名、千葉13名、愛知28名、北海道が少し多くて66名といった程度ですから、海外からの流入がなく、これらの地域のロックダウンによって無症状感染者が封じ込められていれば、ウイルスの根絶など簡単でした。

 しかしそれって、実際にできましたか?
 日本の首相が安倍晋三(当時)ではなくて、ジャシンダ・アーダーンのような優秀な人だったら可能だったと、本気で考える人はどれくらいいるでしょう?


【テレ朝に乗せられて回り道】
 ロックダウンどころか、2月末に全国の学校の臨時休校を言い出しただけで非難囂々。
 4月に入ってガーゼマスクを配れば「欲しいのは布製じゃなくて紙マスク。アベノマスクに何の意味があるのだ」とまた囂々。先鋒のマスコミはつい2か月前まで「新型コロナにマスクは無意味」と言い続け、数か月後には「紙製・布製どちらにしてもマスクは絶対必要」と言い出す無節操な人たちです。
 とにかく政府のやり方にケチをつけるのがマスコミの仕事と心得ている人も少なくありませんから面倒です。

 早めに手を打てば「その政策にエビデンスはあるのか」と詰め寄り、躊躇していれば「対策が後手後手だ」と非難する――。
 2020年の夏秋がどうなっているかを十分理解している現在でも、2月に遡ってその時点での外国の遮断・ロックダウンが可能かと言うと、私は首を傾げますし、早めに手を打った全国一斉の休校があれほど非難されれば緊急事態宣言の発出が遅れるのも無理はないという気もしてきます。

 玉川徹という人は昔から苦になっていたのですが、そもそもテレビ朝日の炎上商法の先兵ですから、この人について語ること自体が乗せられたことになってしまいます。そこでできるだけ見ないようにしていたのですが、昨日ニュージーランドについて書いたばかりの段階で出てきた発言なのでついつい口を挟みたくなってしまいました。
 おかげで今日は感染者・死者の極端に少ない県――鳥取・秋田・山形・香川・島根等の各県について考えようと思っていたのですができなくなりました。
 しかたない、明日に回しましょう。

(この稿、続く)

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2020/11/25

「新型コロナと石けんカス、一度ついたら剥がせない」〜感染拡大第三波の憂いと覚悟A  政治・社会・文化


 あれほど心配されたアフリカ諸国のコロナ感染があまりにも少ない。
 台湾もニュージーランドも異常に少ない。
 そこには自動洗濯機の石鹸カスと同じ原理、
 「一度しっかりつくと剥がせないが無垢なままだと維持しやすい」
 がある。

という話。
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(写真:フォトAC)

【アフリカは踏ん張っている】
 新型コロナウイルス禍も11カ月になり、分かってきたことも少なくありません。
 そのうちののひとつは、あれほど心配されたアフリカの発展途上国では、どうやら爆発的な感染は起こりそうにないということです。
 もちろん感染拡大の心配な国がないわけではありません。南アフリカ共和国はこれまでに感染者77万人、死者2万人とアフリカでは飛び抜けて多い数を記録していますし、エジプト・リビア・チュニジア・アルジェリア・モロッコといった国々も心配です。ただしこれら地中海沿岸の国々については、感染者は6万6000人〜32万8000人、死者は1200人〜6600人と、日本のそれぞれ(13万4000人と2000人)と比べて決定的に違うというほどでもありません。世界には感染者が100万人、死者3万人を超える国がいくつもあるのです。それと比べればかなり少ないとも言えます。

 ではそれ以外のアフリカ諸国はどうかと当てずっぽうに調べてみると、死者の数はルワンダ(42人)、南スーダン(59人)、ウガンダ(144人)、中央アフリカ(63人)と、もうこれくらいなら夏風邪でも死ぬだろうといった低いレベルです。

 医療も進んでいない貧しいアフリカ諸国で、なぜこうも感染者・死者が少ないのか。この点については「弱者の経験が生きた」という説明があります(例えば2020.06.09 Africa Bushiness Partners『なぜコロナはアフリカで「意外」に広まらないのか?』)。

 アフリカ諸国はこれまで恒常的に感染症の脅威にさらされてきました。特に2014年の西アフリカ3か国(ギニア・リベリア・シエラレオネ)におけるエボラ出血熱の流行では、政府を全く信用しない一部の国民がわざと感染するような行動をとってパンデミックに発展させてしてしまった苦い経験があります。ですから今回、新型コロナに関する警告が世界中から発せられた瞬間に、ほとんど感染者のいない国までも一気にロックダウンしたりしてしまったのです。
 この時期のロックダウンには意味があったようです。感染症に弱いと分かっているから対応も早かった――。


【感染者の異常に少ない他の国々】
 そうした文脈から考えると、「北朝鮮にはコロナ感染はない」という金正恩氏の豪語も、案外ほんとうなのかもしれません。
 国際的な経済制裁下でほとんど唯一の命綱である中朝国境をあっという間に閉鎖してしまったのも、弱者の自覚があったからのことなのかもしれません。ウイルスが1個でも入ったらひとたまりもない、そう考えたとしても不思議がありません。
 国境を侵して北朝鮮に向かおうとした韓国人公務員を、海上で射殺したうえに焼却処分にしてしまうという徹底は新型コロナに対する恐怖の裏返しで、韓国人だけでなく自国民に対しても同じだと思われます。
 新型コロナ死と肥満との関連は早くから言われてきましたので、国内の肥満者(一人しかいませんが)を守ろうと必死なのでしょう。

 早すぎる国境閉鎖・ロックダウンということになるともう一つ記憶に残る国があります。ニュージーランドです。
 いま調べ直すと、ニュージーランドは2月3日の時点で外国人を対象に中国経由の入国禁止を実施し(ニュージーランド国籍を持つ人の入国は認めたが14日間の自主隔離を課した)、国内で初の感染者が発見された2月28日には対象を中国全土に拡大、さらに3月17日には自国民と永住権を持つ人以外のいっさいの外国人の入国を禁じてしまったのです。
 当時のことはよく覚えているのですが、いかに中国やヨーロッパの感染状況が大変だとはいえ、明らかな過剰反応だと思ったものでした。

 台湾でも、初めての感染者が発見された翌日の1月22日には武漢との団体旅行を禁止し、2月6日には中国全土からの入国を禁止しています。すべての外国人の入国を禁止したのは3月19日でした。

 アメリカ合衆国も中国からの入国を禁止したのは2月3日と異常に速かったのですが、裏口(ヨーロッパ経由)は開けっ放しのままでした。日本が感染の拡大する中国や韓国からの入国者に対して、指定場所での2週間の待機や公共交通機関を使わないように要請したのが3月5日、世界の主な国と地域73カ国を入国拒否対象にしたのは4月3日でした。卒業旅行などによって、特にヨーロッパを経由して大量のウイルスが持ち込まれた後のことです。

 台湾もニュージーランドも国家元首が女性の国・地域。北朝鮮も委員長の背後に金与正という女性が控えていることを考えると、女性こそコロナ防疫の鍵だったのかもしれません。


【新型コロナと石けんカス】
 今年4月7日、政府の決定により、埼玉県・千葉県・東京都・神奈川県・大阪府・兵庫県及び福岡県の7都府県に対して5月6日までの緊急事態宣言が発せられました。9日後の4月16日には北海道・茨城県・石川県・岐阜県・愛知県及び京都府の 6 道府県が加えられます。これを「特定警戒都道府県13都道府県」と言います。

 ここで特に注目されるのが石川県です。石川県を除くすべての都道府県は人口が500万人以上の巨大県だったり首都圏・阪神圏の巨大な人口の持つ地域に属していたりするのに対し、石川県ひとりが人口115万人あまりの普通の県なのです。しかも大都市圏とはかなり離れている。

 ここが特定警戒都道府県に含められてしまったことには理由があって、初期に大型の病院内感染を起こしてしまい、それがずっと尾を引いていたからです。しかしその後も新規感染者がなかなかゼロにならない、なったとしてもいつの間にかまた出てきて増殖する、そんなことが10月末までずっと続いていました(ただし、今月になってまだ第三波の兆候は見られません)。
 このことは何を意味するのか――。

 それは「一度コロナウイルスが入って一定範囲に広がるとなかなかゼロに戻せない」という事実です。「統計上はゼロになってもどこかに必ず隠れている」と言ってもいいでしょう。

 昨日お話しした洗濯機の石鹸カスや汚れと同じで、一度びっしりついてしまうとなかなか剥がせない。それに対して新品の洗濯機やニュージーランドや台湾や、そしてアフリカの多くの国々はまったく無垢の状態なので無垢を維持しやすい、そういうことなのかもしれません。
 
(この稿、続く)

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2020/11/24

「全自動洗濯機とコロナ」〜感染拡大第三波の憂いと覚悟@  政治・社会・文化


 娘の家から届いたおさがりの全自動洗濯機、汚れ残りが半端ではない。
 洗濯槽の掃除がしっかりできていないからだ。
 それにしても注水のすすぎ洗いを、毎回している洗濯槽に、
 なぜ石鹸カスや汚れは残るのか?
 新型コロナ・ウイルスは、あれほどの行動自粛にも関わらず、
 なぜ残ってしまうのか。

という話。
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(写真:自宅洗面所)

【自慢の娘に信頼できない部分がある】
 シーナは私の自慢の娘なのですが、母親に似て妙にガサツというかけっこういい加減なところがあります。例えばこんなふうです。

 洗濯機を買ってやった代わりに不要になった縦型全自動洗濯機を送ってもらうことにしたところ、「洗濯をしても服に糸くずがたくさんついてくるのよ。それでいの?」と心配して何度も問い合わせてきます。
 こんな場合、私は娘の話よりも日本の電機メーカーを信じます。天下の日立製作所が「糸くずがたくさんついてくる」ような製品を市場に出すはずがありません。日本の基準からすれば糸くずが1本ついていたって欠陥品です。

 で、クロネコ引っ越し便(7000円)で送ってもらったところ、言われた通り洗濯をするとシャツやタオルに1mmにも満たない小さな糸くずが驚くほどついてくる。これはもう故障かシーナの扱いの問題です。そこでネットでマニュアルをダウンロードして調べたところ、いくつかある対応策の中に「槽洗浄で洗濯・脱水槽を洗い流してから洗濯をすることをおすすめします」という一文がありました。もうこれに決まっています。

 マニュアルにある通り洗濯用塩素系漂白剤を買ってきて1本まるまる投入し、まずは「11時間槽洗浄」を試してみました。11時間の内10時間以上はつけ置き状態です。
 驚いたことに洗濯物はいっさい入れていないのに通常の洗濯一回分と同じくらいの糸くずが出て来ました。おそらく洗濯槽の裏側に、洗剤かすと一緒にこびりついていたものです。

 もちろん1回で済むはずもないので引き続き真水だけで行う3時間洗浄。まだ糸くずが残っているような気がして2回目の3時間洗浄。それでも不信感があって翌日再び漂白剤を買ってきての11時間の槽洗浄。これでほぼカタがつきました。以後一切、糸くずはついてきません。

 マニュアルには「石けんかすの付着や、においの発生を抑制するために、定期的に3時間コースの運転をおすすめします。(1〜2カ月に一度程度が目安)」とあります。しかしシーナはそういうことを小まめにする娘ではありません。そもそもマニュアルを読んだかどうかも疑わしい――。


【きれいなものはきれい、一度汚れたものはなかなか元に戻せない】
 世の中のものにはたいてい、
「きれいなものをきれいに保つのは比較的楽だが、一度汚れてしまったものをきれいにするのは容易ではない」
という原則が当てはまります。例えば新築住宅の風呂場などもそのままの状態を保つのは楽ですが、一度でも黒カビを生やしてしまうと完全にもとに戻すのは容易ではありません。
 家庭菜園の作物も、病害虫の予防は比較的楽なのですがいちどやられると元に戻らないことも多いのです。

 実は今回シーナの家から中古の全自動洗濯機が来るまで、我が家で使っていたのは、今はめったに目にすることのない二層式洗濯機でした。かつては全自動を使っていたのですが洗濯槽の衛生という点では全自動を全く信用しない妻が、数年前に二層式に戻してしまったのです。
 二層式だと掃除できない部分がないからです。一か所だけ、はめ込みパーツがあって、それは洗濯槽の底から水を持ち上げてフィルターを通すことでゴミやほこりを回収しようとする装置ですが、これだけは日常的に掃除はしません。ひと月かふた月に一回の割合で外して洗います。ところがこれが、いつもけっこうな汚れとぬめりをつけているのです。

 洗剤を使って汚れ物を洗っているのですから汚いものが付着するのは当たり前と思われるかもしれませんが、我が家の場合、洗剤で洗ったあとは脱水機で注水しながら石けん水を弾き飛ばし、それから5分以上も真水を入れながらすすぎ洗いをしているのです。
 当然はめ込みパーツの中も真水が繰り返し通って汚れを落としているはずなのですが、時間がたつと確実に石鹸カスと汚れが蓄積してきます。


【石鹸カスとコロナ・ウィルスのイメージ】
 話は突然変わりますが、新型コロナウィルス感染の第3波が、第2波のピークを越えてどこまで上昇していくのか予測がつきません。

 報道によると、
「感染の第2波と比べると、重症化するリスクが高い、高齢者の割合が増える傾向が見られているほか、クラスターが多様化し、行政の対応が難しくなってきているとして、専門家は、改めて基本的な感染対策を徹底するよう呼びかけています」(2020.11.17NHK【データで見る】“第3波” 第2波との違いは 新型コロナ)。
とのことですが、明らかに第一波や第二波とは局面が変わってきました。

 田舎で蟄居生活みたいな暮らしをしている私としてはこれまで怯えることもなかったのですが、今回は少しこころ穏やかではありません。妙な言い方ですが、洗濯槽の裏側でいつの間にかこびりついていく石鹸カスや汚れと、新型コロナ・ウィルスのイメージが重なっているのです。

 それはまた、石川県と北海道と歌舞伎町と、海外ではニュージーランドと台湾、韓国が呼び覚ますイメージでもあります。

(この稿、続く)


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2020/11/20

「『夕飯にします? お風呂にします?』の衝撃」〜モノによってもたらされる幸せE  教育・学校・教師


 ここまできて気がついたことは、
 ガスも水道も冷蔵庫も洗濯機も、そして瞬間湯沸かし器も電子レンジも
 単に私たちの生活を楽に、便利にしただけではなかったということだ。
 それらは日本人の生活と家族関係を根本的に変えてしまった。
 なかでもテレビはもっとも破壊力の大きな道具だった。

という話。
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(写真:フォトAC)

【決して狭くはない日本の文化的統一性】
 昔の交通安全標語に「狭い日本、そんなに急いでどこへ行くの?」というのがありましたが、なかなかどうして日本はそれほどちっぽけな国でもありません。
 確かに中国だのアメリカ合衆国だのロシアだのを思い浮かべるとかなり小さいですが、西ヨーロッパの中にいれてみると、日本より国土の広い国はフランス・スペイン・スウェーデンの3カ国しかないのです。世界201カ国及び地域に当てはめても61位ですからまあまあ大したものです。
 それだけの広い国土を持ちながら、非常に高い文化の統一性を持っているという点でも特筆すべきです。

 例えば中国では北京の人と広東の人とでは普通の意味での会話はできませんし、イギリスでもすべての人が英語をしゃべりますが、日常的にはアイルランド語やウェールズ語、スコットランド語などで生活をしているのです。
 日本の場合、さすがに津軽のお爺ちゃんと博多のお婆ちゃんがそれぞれの方言全開で会話をすると難しい面もありそうですが、基本的には標準語ひとつで全体が回っていると言って問題ないでしょう。

 生活習慣や景観などもほぼ同じで、沖縄の屋根に乗ったシーサーだとか1mもの雪をかぶった屋根だとかを見せられない限りは、日本中どこに行っても似たような建物ばかりです。室内の様子はほとんど変わりないでしょう。
 しかしそうした統一性は大昔からあったものではありません。

 日本が日本になったのは、戦国時代以降に家臣団とその家族が丸ごと移動する領地替えが繰り返されことや、江戸時代に定期的に江戸文化が地方に下り地方の物産が上った参勤交代、そして明治政府による強力な中央集権化に負うところが多かったように思うのです。しかし庶民の生活の隅々まで完全にひとつのものにしてしまったという点では、領地替えも参勤交代も中央集権も、現代の、あるひとつの装置の敵ではありません。それがテレビです。


【日本統一(言語の統一、文化の統一)】
 我が家にテレビが来たのは1962年(昭和37)のことだったと思います。
 1959年(昭和34)、当時まだ皇太子だった現在の上皇ご夫妻のご成婚パレードを電気屋の店先で見ながら、母は「今度、東京にオリンピックが来るらしいけど、それまでにはテレビを買いたいねぇ」とか言ったのを思えていますが、我が家ではオリンピックの1964年を待たずに入ったのです。とにかくご近所に続々と入ってくるので買わないわけにはいかなかった、そういう時代でした。

 毎日テレビを見るようになって驚くことはたくさんあったのですが、その一つは東京と私たちの生活の差です。
 例えばNHKの「ホームラン教室」という子ども向けドラマでは、主人公の野球少年たちはみなユニフォームを着て試合をしていました。現在残っている唯一の動画ではみんな貧しく大したことがないように見えますが、私がこの番組を見始めたのが放送4年目くらいのころからですから、その間にユニフォームを揃えたのかもしれません(動画は2年目)。味方ばかりか敵チームも全員ユニフォーム。しかし当時の私の周辺にはユニフォームを着た野球少年なんてひとりもいませんでした。そもそも世の中に子ども用ユニファームというものがあること自体が驚きだったのです。

 もしかしたらそんな少年野球のチームなんてテレビの中だけで、東京と言えど現実にはなかったのかもしれませんが、都会はそういうものだと私たちは思い込みました。

 家の中に冷蔵庫のある生活、夫や子どもが職場や学校に向かうと洗濯機に衣類を投げ込む生活、女の子がお稽古事としてピアノを習う生活、そうしたものがこの日本にあってやがてそれが標準になるだろう、そういう思い込みがひとつひとつ田舎で実現していきます。同じようにしないとダメになるといった強迫観念もありました。

 ドラマの中では言葉遣いも洗練され美しいものでした。自分のことを「オラ」などという子は一人もいません。何かを訊ねるときも気取って「〜なの?」とか言ったりします。田舎ではそれは女言葉で、男子は口が裂けても使ってはならないものでした。
 私の住む田舎はもともと方言の少ない地域でしたが、おそらく日本中の田舎人はテレビを見ながら東京言葉の勉強をしたに違いありません。まず聞き取ること、日常で使うか使わないかは別としていざというときは使えるように準備しておくこと、それが必須だと思い込んでいました。


【「夕飯にします? お風呂にします?」が衝撃的!】
 ドラマを見ていて、驚くべき東京の習慣に出会うこともありました。サラリーマンである夫が帰宅したとき妻が最初にかける言葉、
「どうなさいます? 夕飯にします? お風呂にします?」
 それで初めて知りました。東京の人は風呂に毎日入る!

 銭湯通いだからということもありましたが、私の家では夏でも週に2〜3回、冬だと1週間に1回でも入ればいいくらいなものでした。下着だって冬場の母の負担を考えると2〜3日は同じものを着ていたくらいです。その何と野蛮で田舎臭かったことか――。
 しかし18歳で東京に出て初めて気づいたのですが、夏の東京では毎日風呂に入らずに暮らすことの方が難しいのです。夜、寝る前に着替えたのに、朝ぐっしょり汗まみれになって起きる、そんな生活は思い浮かびもしませんでした。

 海から遠く離れた私の田舎では汗なんてものは真夏の一時期を除いてほとんどかくことはありません。汗をかかないということは服も汚れないということです。だから風呂も2〜3日おきでかまいませんし着替えだってしなくて済んだのです。今でも欧米人の中にはシャワーも浴びなければ着替えもしない人がたくさんいるそうですが、すべて気候のなせる業です。
 ただしもちろん現在の私は毎日入浴し、毎日着替えています。しかしそれはトイレに行って必ず手を洗うのと同じで、習慣となっているしそれをやらないと見られたときに恥ずかしいからで、必要性という意味ではいまもしなくていいと思っています。

 もうひとつ重要なことがあります。
 それはテレビが家庭に入ってから、家族全員がそっぽをむいて食事をすることになったことです。全員がテレビの方を向いて会話もしません。いやそもそも「家族揃っての食事」ということ自体も少なくなっています。

 ご飯釜に保温機能がなく、電子レンジでチンすることもできず、味噌汁を温め直すには竈に火を入れるところからやるしかない生活では、家族一緒の食事は必然でした。それが別々でよくなった――。
 そう言えば夜更かしの習慣もテレビから始まったのかもしれません。

 そう考えたら収まりがつかなくなりました。「モノによってもたらされる幸せ」という問題でもなかったのかもしれません。しかし長くなりましたので、ここから新しいテーマとして改めて別の機会に考えることにしましょう。

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