2020/10/30

「明日はハロウィン、コスプレ祭り」〜ケルトとハロウィンのウンチク  歴史・歳時・記念日


 明日はハロウィン。
 土曜日が重なるなんて、そうあることではない。
 本来ならたいへんな騒ぎになるところだがこのコロナ禍、
 どうぞ若者が家でおとなしく過ごしてくれますように。
 どうぞ渋谷に出てきたバカ者が、その愚かさにふさわしく、
 全員アマビエでありますように――。

という話。
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(写真:オーダン)

【ケルト人】
 ハロウィンというものがどうにもこうにもわからず、ずいぶん調べたことがあります。
 もとはケルト人のお祭りということですが、その「ケルト人」がわかっていないので全体がわからなかったのです。

 今でもたぶんよくわかっていないのですが、確実なところで、ケルト人とは紀元前5世紀ごろにはアルプスの北部に広く住んでいたヨーロッパの原住民で、現在はケルト語と総称される似通った言語を話し、ケルト文化と総称される類似の文化をもった人たちです。
「総称される」「総称される」と繰り返したのは、言語にしても文化にしても元々高い統一性を持ったものではないからです。

 たとえて言えば鎌倉・室町時代の日本。住んでいるのは基本的に日本人で日本語を喋っているはずなのに、おそらく津軽のオジイと博多のオバアは会話にならず、気候や互いの距離を考えれば文化的な統一性もかなり怪しい、日本人が日本民族らしくなったのは江戸時代の参勤交代以降、文化的に繰り返しかき混ぜられてからのことだと思うのです。

 ケルト人という言い方はしてもケルト民族と言わないのは、そんなふうに歴史として統一性の高いケルト文化が見えてこないからでしょう。


【大陸のケルト、島のケルト】
 ヨーロッパ大陸のケルト人たちは紀元前1世紀ごろまでにゲルマン人に押し出されて西のフランスやスペインに移動し、やがてローマ帝国の侵攻を受けて次第に同化し始め、中世にはゲルマン系のフランク人に吸収されてフランス人となっていきます。けれどそれですべてが消えてしまったわけではありません。
 ケルト人の一部は海を隔てたグレートブリテン島やアイルランドで生き残っていたのです。

 イギリスは正式名称を「グレートブリテン・北アイルランド連合王国」と言いますが、そのグレートブリテンはさらにイングランド・スコットランド・ウェールズの三つに分けられます。そのうちのウェールズと北アイルランドの人々がケルト人の子孫で、ケルト語はウェールズ語・アイルランド語として形を変えて残っていたのです。

 現在イギリスには四つの公用語(英語・スコットランド語・ウェールズ語・アイルランド語)があるということを忘れていると理解できない部分です。


【ケルト文化】
 ケルト文化というのも分かるような分からないような、奇妙なものです。ケルト模様だとかアイリッシュダンスだとか、ケルト音楽だとか、言われてみればイングランドやスコットランドあるいはヨーロッパ大陸諸国のものとは確かに違うな、という気はするのですが、これと言った決定打はありません。強いて言えばケルト文化というのは雰囲気なのかもしれません。

 私の理解では、私たちがイギリスだと思っているものからキリスト教を引いて、イングランド的なもの(シェイクスピア・ロック音楽・球技スポーツなど)を引いて、スコットランド的なもの(ウイスキーやバグパイプ、タータンチェックなど)を引いて、残りから北欧的なものを摘まみ出すとケルト文化になります(余計わからないか――)。

「アーサー王物語」に出てくる魔法使いや妖精の世界、魔力を持つ生首、騎士道、そんなものがケルト的なのかもしれません。
 

【ハロウィン】
 ケルト人の一年の終わりは10月31日。長い冬の始まりでこの日の夜には死者の霊が家族を訪ねて回ると信じられていました。また同時に悪霊や魔女も街を跋扈するために、人々は敢えて同じような扮装をして悪霊や魔女に混ざり、人間とは分からないようにして身を守ったと言います(諸説あり)。
 
 これは後に入ってきたキリスト教徒からすれば好ましからざる異教徒の祭りで、特に“敢えて悪魔の姿を借りる”という部分は許しがたいものでした。もちろん先住民の大切な儀式ですから無碍に潰そうとすれば大きな抵抗にあいます。そこでこのケルトの祭りを取り込みにかかるのです。

 どうやったかというと元々5月13日にやっていた聖母と殉教者のための祝祭を11月1日に持ってきてしまったのです。これを「諸聖人の日」と言います。かつて「万聖節」と言ったものと同じです。そしておかげでケルトの祝祭はその前夜祭になってしまったのです。

「諸聖人の日」は英語で「ソレムニティ・オブ・オール・セインツ(Solemnity of All Saints)」。略して「オール・セインツ(All Saints)」と呼ばれるほか「オール・ハロウズ(All Hallows)」「ハロウマス(Hallowmas)」とも言われます。
「諸聖人の日」の前の晩は「ハロウ・イブ(Hallow Eve)」と呼ばれ、それが訛って「ハロウィン(Halloween)」となったのです。

「諸聖人の日」はイギリスやカトリック国で今もきちんと祝われているようです。
 ハロウィンを「諸聖人の日」とほとんど関わりない「子どものおやつ集め」にしてしまったのは19世紀のアメリカ人、それをさらに宗教色のない大コスプレ・パーティにしてしまったのは日本人の仕業でした。

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2020/10/29

「肉体労働者、職人教師、職業作曲家、映画やコンサートを支える人々」〜私のアリアナ体験C  人生


 世の中には自分の領域を狭く限定し、
 その中で完璧を期すプロフェッショナルがたくさんいる。
 彼らすべてが一流であるわけではないが、
 彼らすべてが誇りをもって仕事にあたっている。
という話。
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(写真:フォトAC)

【肉体労働者:生頼範義】
 昨日、イラストレーターの生頼範義に話が及んで、
 生頼範義については2年前に詳しく書いたのでこれ以上触れませんが、
と記して2018年1月23日の記事
「生頼範義という生き方」〜展覧会場で思い出したこと
にリンクをつけておきました。
 気になることがあって、夕方、改めてリンク先の記事を読んだら、我ながら酷い引用をした悪い記事だと気づいて本当に悔やみました。

 そこでは、
 私はおよそ25年の間、真正なる画家になろうと努めながら、いまだに生半可な絵描きにとどまる者であり、生活者としてはイラストレーターなる適切な訳語もない言葉で呼ばれ、うしろめたさと恥ずかしさを覚える者である。
という文章を引用して、
 この文章は30年以上も前に書かれた書籍にもあった言葉で、当時の私が激しく心を揺らされたものです。その小さな自己卑下と自嘲、自戒、ある種の決意と誇りは、当時の私の置かれていた状況をよく説明してくれるものだったからです。
と書いているのです。

 よく読めば1980年ごろ、当時20代後半でまだこころ揺れ動いていた私が、生頼の文章を読んで自分の状況をよく理解し決意した――と分かるのですが、一読しただけだと“生頼範義もまた人間的に未熟なままであった”みたいな捉え方をされかねない、それこそ未熟な文です。

 昭和を代表する偉大なイラストレーターの文章から引用するなら、その誇り高い部分こそ記しておかなくてはなりませんでした。若い時期の私がこころ動かされ、“自分もまたかくありなん”と決意した文章なのですから、落としてはいけなかったのです。
 それは例えばこんな部分です。

クリックすると元のサイズで表示します 寄せられる仕事は可能な限り引き受け、依頼者の示す条件を満たすべき作品に仕上げようと努力する。私に描けるか否かは、発注の時点で検討済みであろうし、その期待を裏切るわけにはいかない。主題が何であれ、描けないと云うことは出来ない。生活者の五分の魂にかけて、いかなる主題といえども描き上げねばならない。

 私は肉体労働者であり、作業の全工程を手仕事で進めたい。定規、コンパス、筆、ペン、鉛筆とできるだけ単純、ありきたりな道具を使い、制作中に機械による丸写しや、無機質な絵肌を作ることを好まない。一貫して、眼と手によって画面を支配したい。習練を積むことで手は更にその働きを滑らかにし、女の肌から鋼鉄の輝きに至る無限の諧調を描きわけてくれるだろうし、眼はその手の操作を充分に制御してくれる筈だ。この事と眼に対する絶対信頼は原始的信仰の如きものであり、過酷な時間との競争、非個性的な作業の連続を耐えさせてくれる。

 

【職人教師:私】 
 いま改めて読むと、職業人としての私は、思いのほかこの文章に支配されていたのかもしれません。
 実際に教員になってからは仕事を断るということはありませんでした。ほとんどの仕事は私にできると判断されてから来るのです。それを「できない」と断るわけにはいきません。どんなに忙しい時でも「その忙しさの中でできるはずだ」と思っていただけるから来る仕事です。
 稀に“誰もやりたがらないから”という理由で私のところに回ってくるものもありますが、それは私の能力ではなく男気に期待してくれてのことでしょう。ですからどんなにつまらないものでも断ることはできなかったのです。

 与えられた仕事はできるだけ丁寧にやろうと心がけました。それが私にとって精一杯だったからです。
 教員のなかには天才的な人がたくさんいて、芸術的な授業を展開できる人もいれば野性的な勘と行動力で生徒指導の神様みたいな扱いをされる人もいます。大したことをしているように見えないのに生徒の心をしっかりつかんで見事な学級経営を行う先生もいれば、全校集会などで一瞬にして全員の目と耳をくぎ付けにできる人もいます。具体的なことを言えば、部活動で全国大会に行くような先生は皆、どこか神懸っていました。
 しかし私はそのいずれでもありません。普通の教師で、できることには限りがありました。

 もっとも教職には職人芸に似た側面があって、よほど才能に欠ける人でない限り、誠実に努力を続けていけば到達できる領域というのがあるのです。私はそれをめざしました。
 生頼の言う、
作業の全工程を手仕事で進めたい
一貫して、眼と手によって画面を支配したい

という気持ちで向き合うにふさわしい領域です。

 具体的には、引き継ぎ書類だけは完璧なものをつくろうとしました。書類づくりの全行程を自分の手仕事で進めたい、自分の力だけで引き継ぎ書類全体を支配したい――。
 以前も申し上げましたが、翌年おなじ仕事を割り振られれば引継ぎ相手は自分、したがって楽ができます。そうではなく他人に引き継がれるようなら、きっと誉めてもらえます。


【職業作家:筒美京平】
 こうした「自分の領域を狭く規定してそこから一歩も出ず、しかしその内部を丁寧に耕す」という生き方はけっこうあります。
 例えば先日亡くなった作曲家の筒美京平もその一人で、彼の決めた領域は「裏方」「職業作家」でした。

 Wikipediaにも、
 匿名性が比較的強い作曲家であり、その生前にマスメディアに登場することはあまりなく、プロの職人として裏方に徹するというスタンスを貫いた
とあるようにほとんど表に出て来ませんでしたから、記録としての生き方や言動があまり残されていません。

 それでもやはりネット社会、調べると出てくるものです
 70年代は、1つの作品をリリースするまでには作る人と売る人の役割分担がはっきりしていて作詞家、作曲家、アレンジャー、売り手が一体となって、一つの「会社」みたいな感じでやっていましたね。一人でやる方よりもチームワークでやった方が何倍も強いものだったんですよ、不思議ですけど。当時はよく冗談で言っていましたが、僕らは「日本歌謡会社」に勤めているサラリーマンなんですよ、って(笑)。

 とにかく曲をつくる時は、中ヒットであろうが大ヒットであろうがベスト10に入らないといけないと思っている

 ポップ・ミュージックを作るには街とかメディアにアンテナをはって自分の音楽と人の音楽が闘っているみたいな緊張感を持っていないとダメなんです。僕らみたいな職業作家は自分の好きな音楽を作ることが役割ではなく、ヒット商品を作るのが使命ですから。

作家で聴く音楽 JASRAC会員作家インタビュー

 自分の使命は好きな歌をつくることではなく、ヒット曲をつくること――そこにひとつのプロの在り方が示されています。もちろん、だからと言って同じ生き方をしても誰もが筒美京平ほどのヒット曲をつくれるわけではありませんが・・・。


【映画やコンサートを支える人々:無名士】
 私は映画館でエンドロールを最後まで見る人間です。ただ眺めているのではありません。できるだけ読もうとします。
 それは一本の映画が制作されるためにどれほどたくさんの人がかかわっていて、その一人ひとりに人生があり、意気があり、誇りがあることを感じたいからです。

 コンサートのビデオを観るときも、ダンサーやコーラスの一人ひとりに目を凝らし、あるいはステージバックのあちこちに目をやり、大道具や小道具、照明や衣装の一つひとつに心を寄せてその背後にいる人間を思い浮かべると、漫然と眺めるのとはまた違った楽しみが発見できるものです。
 ビデオだったら何度でも観ることができますから、そのつど観点を変えてみるのも一興です。





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2020/10/28

「70年代――オイルショック後の世界の、宇宙とオカルトと古代文明」〜私のアリアナ体験B  芸術・音楽


 私が青春を送った1970年代、
 高度成長の終わった73年以降は曖昧で不安で先の見えない暗黒の時代だった。
 そんな中で私たちは宇宙やオカルトや古代文明に逃げていたのかもしれない、特に私は。
 それを思い出させたのが、アリアナ・グランデの「God is a Woman」だった。

という話。
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(写真:フォトAC)

【私がそこそこ心病んでいたころ】
 タイムマシンで半世紀前に戻ったら私がまず最初にやるのは、高校生の自分を探してぶん殴ることです。
「なにをオマエやってるんだ! 世の中けっこう甘いぞ! ウジウジしていないで、自分のやりたいようにやれ!」
ということです。さように私は臆病で、ウジウジした少年でした。

 そのころ私が好きだったものは、「My favorite things」風に言えば、
 キリコとダリの不安な絵画
 タンジェリン・ドリームやヴァンゲリスのシンセサイザー音楽
 誰もいない夕暮れ時の体育館の、つめたく冷えた空気
 足の折れた木製の椅子
 天井で揺れる裸電球


――いやはや本当に心病んでいたものです。

 化学の時間に原子の雲の話なんかを聞いていると、
「ああオレって雲の集積なのか?」
とボンヤリ考え、地学の時間に宇宙の話になって、
「宇宙は閉じているとしたら馬の鞍の形をしていて、開かれているとしたら球の形をとる」
などと言われると、
「アレ? オレって外側からも固められないのか?」
と絶望的な気持ちになってボーっと生きていました。
 絶望「的」というのは「絶望していたわけでない」という意味で、チコちゃんに叱られる程度だったとも言えます。


【70年代――オイルショック後の世界の、宇宙とオカルトと古代文明】
 私が青春を生きた1970年代は始まりこそ高度成長の爛熟期で未来は光り輝いていましたが、大学に入学した73年にオイルショックが起こり、あとはバブル経済の始まる1986年まで、ほぼ10年以上続く暗黒時代でした。

「良い高校から良い大学、そして良い企業へ」と言えば今では嘲笑されますが、高度成長期は親と同等かそれ以上の生活をしようとしたら親より高い学歴は必須で、しかも良い高校や良い大学に進めば必ず高収入に結び付く保証があった――少なくともそう信じられた時代でした。
 それがオイルショックとともに完全に消えてしまい、その後どういう生き方をしたらよいのかという生涯モデルも作れない、不安な時代でもあります。

 1999年の7の月に人類が滅びるとする「ノストラダムスの大予言」や日本だけが海の藻屑と消えるSF小説「日本沈没」が大ヒットしたのが73年というのは、もちろん偶然ではありません。

 この時期は第一次オカルトブームとも言われる時代で、ホラー映画「エクソシスト」(1973)がヒットするとともにネッシーだのツチノコなどが本気で追いかけられ、ユリ・ゲラーがスプーンを曲げたり甲府で小学生が宇宙人と遭遇したり、街を口裂け女が疾走し、人間とチンパンジーの間に生まれた(らしい)オリバー君がVIP扱いで来日し――。
 そんな中でジョージ・ルーカスは映画「スターウォーズ」(1977)の第一作で、宇宙とバトルシップと古代ギリシャ風の服装を融合させ、富田勲はアルバム「バミューダ・トライアングル」(1978)で“バミューダの海底に沈む巨大なピラミッドの古代人たち”と宇宙人の交信といったテーマを扱いました。
 宇宙やオカルトや古代文明が結びつきやすかったのです。

 そして1980年、日本のイラストレーター生頼範義が「スターウォーズ」の第2弾「帝国の逆襲」の国際版ポスターを手掛けるのです。


【生頼範義とアリアナ・グランデ】
 「スターウォーズ/帝国の逆襲」が上演された1980年、私はすでに20代の後半に差し掛かっていましたが、相変わらず生活は曖昧なままでした。
 自分の足元や現実を見て生きるのは辛く、どこか遠いところばかり見ていたように思います。そんな私に、宇宙だとか古代ギリシャだとか、あるいはバトルシップだとかいった荒唐無稽は、むしろしっくりくるのです。
「スターウォーズ」は物語が子どもじみていて好きになれませんでしたが、そこに描かれる風景は好きでした。そして生頼範義のイラストは、そんな私の気持ちにさらにぴったり合うものだったのです。

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 生頼範義については2年前に詳しく書いた(*)のでこれ以上触れませんが、例えば上のイラスト「へロディア」では、実の娘のサロメが舞踏のほうびとして所望した預言者ヨハネ(イエス・キリストの出現を預言した)の生首が、銀盆に乗せられてロボットアームで運ばれてきます。
 一片の現実性もありませんが、それでいて違和感のない、完結した世界が描かれています。
 私はこういう世界が好きでした。そしておそらく、今も好きなのです。
2018/1/23「生頼範義という生き方」〜展覧会場で思い出したこと

 30代になって結婚して二人の子どもが生まれ、仕事の方も軌道に乗って面白くなって以後、現実の世界で足元ばかりを見て生きてきました。
 しかし今もなお、気を許せばふっと現実感を失い、あらぬ方向を見ながらさまよい出しかねない部分があるのかもしれません。
 アリアナ・グランデの「God is a Woman」のライブ映像を見て、思い出したのはそういうことでした。



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2020/10/27

「歌詞も世界も全く違っている」〜私のアリアナ体験A  芸術・音楽


 何という気もなしに聞き始めたアリアナ・グランデの「7rings」
 見始めたライブ映像。
 しかしじっくり向き合ったら、
 とてつもなく深い才能が、複雑に絡み合っていることが分かった。
 アメリカ恐るべし。

という話。
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(写真:フォトAC)

【7rings(七つの指輪)とMy favorite things(私の好きなもの)】
 アリアナ・グランデの「7rings」は、聞けばすぐにわかりますが、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の挿入歌「私の好きなもの(My favorite things)」のアレンジ曲です。「My favorite things」はおそらく世界で最も多くアレンジされカヴァーされた曲のひとつで、ダイアナロスとシュープリームスの版もすてきですが、私は若いころからジョン・コルトレーンの「My favorite things」が好きで、機会があるたびに聞いていました。
 その名曲を、現在世界最高の歌姫、アリアナ・グランデが歌うのですから悪かろうはずがありません。



【アリアナ・グランデ】
 アリアナ・グランデを知ったのは、しかし彼女の歌からではなく、三年前にイギリスのマンチェスター・アリーナでのコンサートで起こった自爆テロのためです。
 犯人は会場内でテロを決行しようとしたらしいのですが中に入れず、コンサート終了後にロビーで手製爆弾を爆発させ、本人を含む死者23名、負傷者59名という大惨事を起こしたのです。翌日IS(イスラム・ステート)が犯行声明を出しましたが、詳細はいまだに分かっていません。

 次にアリアナの名前を聞いたのは昨年、「7rings」を含むアルバム「thank u, next」を発売したとき、「七つの指輪」にちなんで手のひらに「七輪」とタトゥーを入れて日本人ファンの失笑をかったときです。もちろん心ある失笑です。
 アリアナは日本びいきを公言しており、右腕に「千と千尋の神隠し」の千尋のイラストを、左肘の内側に「うたいましょう」とひらがなで、そしてさらにその上にポケモンのイーブイのイラストを彫っているといいます。
 ちなみに「7rings」のプロモーション・ビデオの最初の場面は品川ナンバーの中古車でした。

「アメリカの超人気歌手が日本びいきなんて、悪くないな」
とも思ったのですが、それでもこの時期、アリアナの曲を聴いてみようという気にはまったくなっていません。
 しかし他人が良いというものには何かしら良いところがあるものです。極端にマニアックなものだと好き嫌いが生れますが、特に人気の高く、広範なものにはたいていどこかに接点が見出せるはずです。
 時間があるならいちおう顔出ししておくべきでしょう。
 私はしませんでしたが。


【歌詞も世界も全く違っている】
 さて「7rings」の原曲が私の好きな「My favorite things」だと知ってからは、AmazonMusicのプレイ・リスト「R&B」のその部分に来るとちょっと耳をそばだてる気分で聴くようになったのですが、そのうち妙なことに気づいたのです。

 私は高校生のころ「My favorite things」を英語で歌えるようになりたくて練習したことがあります。結局、早口言葉のような歌の速さについて行けず泣く泣くあきらめたのですが、そのとき覚えた歌詞がまったく出てこないのです。
 一生懸命聞いても聞き取れたのは「My favorite things」の3語だけ。いかに英語が苦手とはいえ、覚えている歌詞と一か所しか符合しないなどということはありえません。
 そこで調べてみると、「7rings」は原曲と全くことなる歌詞だったのです。

 原曲の方は、
 バラを伝う雨だれ
 子猫のひげ
 輝く銅のやかんや
 温かいウールのミトン(ふたまたの手袋)
 紐で結ばれた茶色い小包

といったふうに子どもらしい他愛のないものを延々と並べ、最後のところで、
 犬に噛まれたとき
 蜂に刺されたとき
 悲しい気分のとき
 私の好きなものを浮かべるだけで、
 それほど悪い気分じゃなくなる。

と落とす子どもの歌です。

 ところがアリアナの「私の好きなもの」は、
 ティファニーでの朝食、シャンパン
 問題を起こすことが大好きなタトゥーを入れた女の子たち
 つけまつ毛にダイヤモンド そしてATMマシーン

です。
 お金だけでなくATMマシーン丸ごと欲しいとなると穏やかではありません。
 しかもそれらを、
 全部自分で買う
と言うのです。

「7rings」の主人公はかつて不幸な時期があったようで、警察のお世話になったり手首を傷つけることもあったらしいのですが、今は強くなり、とんでもなく豊かな生活ができるようになったみたいです。
 クローゼットにするために家を購入したりジェット機を買ったり――。

 歌の途中に入るラップ調の部分は、
 欲しいと思って、それを手に入れた
 欲しいと思って、手に入れた

の繰り返しです。


【生意気で、傲慢で、我儘な、寂しい娘】
 ネット上の感想を読むと、「7rings」は“ついに成功を勝ち取ったアリアナ・グランデの誇らしい雄叫びだ”といった読み解きをする人が多いようです。イタリア系アメリカ人の感性としは、その方が可能性が高いのかもしれません。

 しかし最後までこの調子でやられると、私としては、
「この娘、嘘ついているんじゃないか?」
という気がしてきます。
 ほんとうはそんな豊かな生活をしているわけではない。爆発的に豊かな生活を夢見て、けれど全然そんなふうにはなっておらず、表面的にはそれっぽく見せているけれど実はあまりにもかけ離れた生活をしている。それでいながら見栄を張るのもやめられない――そんな女の子の虚しい虚言の歌のような気もしてくるのです。

 あるいは、ほんとうに大金持ちになって欲しいものはすべて手に入れ、友だちすらも金で買って(6人の友だちにダイヤモンドの指輪を買って、自分の分と合わせて7個の指輪で結ばれた親友グループをつくった)なに不自由ない。しかし全く幸せではない、満たされない、虚しさが延々と続く、そんな女の子の歌にも思えるのです。
 深読みに過ぎるでしょうか?


【アメリカ恐るべし】
「7rings」の歌詞はそんなふうに様々なことを考えさせる複雑なものです。
 巧みな曲づくり、ライブ映像から見て取れるステージバックの面白さ、洗練された振り付け、ダンサーたちの実力、そういうものも全部含めて、アメリカ音楽界の懐の深さに改めて驚かされた体験でした。
 アメリカ恐るべし。

 そしてアリアナ・グランデをさらに聴いていくと、私が子どものころからずっとこだわってきたあるものの存在に気づかされるのです。

(この稿、続く)

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