2020/9/29

「ふた組の三姉妹」〜浅井三姉妹、宋家の三姉妹  歴史・歳時・記念日


 NHK大河ドラマ「真田丸」の淀君(竹内結子さん)はすごかった。
 しかし淀君を含む浅井三姉妹の生涯自体も凄まじいのだ。
 そしてふと思い出すのは、
 時代も国もまったく異なる、別の三姉妹のことだ。

という話。
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(ボッティチェリ「春」の三美神《左》)

【消化不良な歴史】
 昨日、竹内結子さんについて書いた際、4年前のNHK大河ドラマ「真田丸」での淀君の演技が素晴らしかったというお話をしましたが、私は淀君を長姉とするいわゆる浅井三姉妹について非常に消化不良な思いを持っています。
 ものすごく興味があるのに、ロクな資料に出会わないのです。

 歴史というのはその主軸が政治史にあって、政治の世界はほぼ男性に独占されてきました。したがってそれぞれの時代を女性がどう生きてきたかという記録は、ごく少数の例外を除いて、ほとんどないのです。その中にあって浅井三姉妹と呼ばれる茶々(ちゃちゃ)・初(はつ)・江(こう)の生涯については、事績としては比較的よく残っているのですが、それでも人物像を思い浮かべられるほどの記述はありません。
 「真田丸」の茶々(淀君)が素晴らしかったのは確かに竹内結子さんの演技力によるところも大きいのですが、三谷幸喜という風変わりな脚本家が自由に想像を巡らせることができるほど、資料がなかったからかもしれません。


【お市の方】
 浅井三姉妹の母親は織田信長の妹で、戦国一の美女と謳われたお市の方です。同盟のために二十歳前後で浅井長政のもとに嫁した政略結婚ですが、三人も子どもが生まれたところをみるとそれなりに仲も良かったのでしょう。
 織田と浅井の同盟はやがて破綻し、信長は小谷城に浅井長政を殺して、そのときお市の方と三人の娘は城から逃れます。逃れたというよりは脱出させられたといったほうがいいのかもしれません。
 信長は祝勝の酒宴の席で、長政の髑髏を盃に祝杯を挙げたと言いますから、よほど腹立たしかったのでしょう。しかしお市の方にとってはやりきれない話です。

 本能寺の変で信長が死んだのち、柴田勝家に再嫁したお市の方は秀吉に攻められて再び落城の憂き目に遭います。しかし秀吉の熱心な勧めにもかかわらず、北庄城落城に際して自らは脱出せず、三人の娘のみを外に出して夫とともに自害する道を選びました。前夫のことで後悔もあったのでしょう。


【浅井三姉妹】
 その後、3人の娘たちはそれぞれ数奇な運命を辿ることになります。
 茶々(淀君)は秀吉の側室となって二人の子を産み、最後は大坂夏の陣で三度目の落城の中、息子の秀頼とともに自害します。

 次女の初は秀吉の命によって室町以来の名家・京極家に嫁します。夫の京極高次という人はかなり面白い人物で、両親がキリスト教徒で(母親は京極マリアというなで名が残っています)自身も最後は妻とともに改宗したり、妹が秀吉の側室で妻が信長の姪であるとともに秀吉の側室の妹、その七光りのおかげで出世したと陰口をたたかれ、「蛍大名」などといったあだ名さえあった人です。
 そうかと思うと関ヶ原の戦いでは東軍(徳川方)に味方して、わずか3000人の兵で大津城に籠城し西軍1万5000人(別に3万7000にとも4万人とも言われる)を足止め、東軍勝利に貢献した知将といった面もあったりします。
 ちなみに高次がなくなると初は剃髪して仏門に入りますが、ここは“あれ? キリシタンの話はどうなったんだ?”と首を傾げたくなるような部分です。

 三女の江は秀吉の命によって強制的に結婚させられたかと思ったらやがて強制離婚させられ、二度目の結婚相手は朝鮮出兵で戦病死。三度目の嫁ぎ先が徳川家康の嫡男で後の2代将軍、徳川秀忠という激しい前半生を送ることになります。
 次姉の初は子どもに恵まれませんでしたが、江は二男五女をもうけ、その中には有名な千姫や三代将軍徳川家光もいます。
 波乱の多い前半生に対して、もっとも安定した後半生を送った人といえます。

 それぞれ別な場所で生きることになった三人ですが、一瞬、激しく交錯する歴史的場面が生れます。1614年の大坂冬の陣、そして翌年の夏の陣です。
 言うまでもなくこのとき茶々(淀君)は豊臣方にあって総大将の母親、江は徳川方2代将軍の妻なのです。このとき両者の間にあって、和睦のために奔走したのがすでに未亡人となって僧籍にあった初でした。

 この時代の女性は男たちに運命を振り回されるのが常でした。浅井の三姉妹の生涯はその最も激しい典型ですが、それでも人間は生きていける、なんとかなる、自ら棄てることはないと教えてくれる例のような気もします。


【宋家の三姉妹】
 歴史、特に戦国史が大好きで、自分自身が教師としては歴史が専門だと思っていたにもかかわらず、浅井三姉妹に興味をもったのはずいぶん後のことでした。学生時代は茶々以外のことはまったく知らず、三姉妹といったらまず浮かんだのは中国の、宋家の三姉妹の方です。
 中国近代史が私の専門でしたので。

クリックすると元のサイズで表示します  宋家の三姉妹と呼ばれるのは戦前の中国の財閥、宋家の三人の娘、宋靄齢(そう・あいれい)、宋慶齢(そう・けいれい)、宋美齢(そう・びれい)のことです。父親は牧師でありながら金融と印刷業で財を成した人で、母親は元数学者。娘たちは三人ともアメリカで高等教育を受けています。
 三人が有名なのは浅井の三姉妹同様、嫁ぎ先がかなり特殊だったことと、そして政治の世界にそれぞれ役割があったことによります。

 長女の靄齢の嫁ぎ先は富豪で政治家でもあった孔祥熙(こうしょうき)、孔は宋家とともに孫文の中国国民党を財政面から支援し、抗日運動も支えた人です。ただし晩年には一族を挙げて私腹を肥やした面もあり、最終的な評価は靄齢とともにかなり芳しくないものがあります。

 次女の慶鈴の夫は近代中国の国父とされる孫文です。宋家・孔家が国民党支持を続けたのに対して慶鈴は途中から中国共産党支持に回り、中華人民共和国成立後も大陸に残って毛沢東の中国の国家副主席にまで昇り詰めました。非常に清廉な革命家といった感じの人です。

 三女の美齢は三人の中でももっとも華やかな女性でした。夫は蒋介石、中華民国の初代総統です。中華人民共和国が成立して本土を追われてからは後は、台湾のファースト・レディとして国政政治の舞台でも活躍しました。2003年まで存命でしたのでその姿を覚えている人も少なくないでしょう。政治的野心の強い人で、戦後の台湾史をちょっと覗くだけでも繰り返し名前が出て来ます。

 中国共産党の国家副主席と台湾国民党のファースト・レディーですから次女と三女の関係は大坂夏の陣の淀君(茶々)と江に匹敵する、あるいはそれ以上に厳しい関係だったと言えます。
 1981年には名誉国家主席になっていた宋慶齢が危篤となり、その際、中華人民共和国は見舞いのための訪問を打診しましたが、敵対関係を理由に美齢はこれを決然として拒否しています。

 三者三様の生き方――。こうした事情から、三姉妹については靄齢、美齢、慶齢の順に、「一人は金と、一人は権力と、一人は国家と結婚した」と言われています。


【誰か物語にしてくれないか】
 宋家の三姉妹については記録もたくさん残っていて調べるときりがないのでこの程度の紹介にとどめます。1998年に映画になっていますから、そちらを観るのが早いでしょう(私は見ていないので評価はできませんが)。
 浅井の三姉妹については、どうして映画にも大河ドラマにもならないのか不思議です。2011年の「江 〜姫たちの戦国〜」は確かに浅井三姉妹が主人公ですが、江に寄せすぎている感じもします(これもあまり熱心に見ていなかったので評価の対象外ですが)。

 私ももう齢ですので、今から熱心に調べようという気力がありません。だれか都合よくまとめて見させてくれる人がいればいいのですが――。




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