2020/8/21

「時間はどこに消えたのか?」〜私の近くに「モモ」の灰色の男たちがいるらしい  人生


 2学期最初の一週間、ご苦労様。
 新型コロナで教師の仕事はさらに増えた様子、たいへんなことだ。
 それに比べたら私の生活の、なんとゆとりある、豊かなものなのだろう。
 ――と言いたいのだが実は時間がない。
 職場に行かなくなって浮いたはずの私の時間は、どこへ消えてしまったのだろう?

というお話。
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(「英数字の時計」 フォトACより)

【最初の一週間、ご苦労様でした】
 今週から2学期の始まった先生方、いかがでしたか? 
 例年だとまだまだ夏休みの学校が大半でしょうし、寒冷地など夏休みの短い地域でも、これほど暑い中での2学期は今まであまりなかったことでしょう。今年は梅雨明けが8月にずれ込んだ分、暑さのピークが今ごろになってしまいました。
 いかに冷房のある教室が多くなったとはいえ、肉体疲労もことのほかと思います。

 先日のNHKニュースで紹介された中学校の先生は、これまで80時間程度だった月の残業時間が100時間にもなっていると言っていました。
 以前と違うのは、まず放課後の消毒作業。生徒一人ひとりの机をアルコール消毒するほか、人の手に触れそうなところはすべて拭き取っていきます。本来は生徒がやるはずのトイレ掃除も、感染のリスクが高いとかで先生たちの仕事になってしまいました。

 少なくなった授業時間を補うため、宿題もいつもよりずっと丁寧に作らなくてはなりません、出した宿題は翌日チェックしなくてはならない。そうした今までにない取り組みの積み重ねが、月100時間の残業なのです。

「より丁寧な宿題を出せば、生徒もそれに応じて頑張ってくれる。だから力を入れざるを得ない」
 そういった発言がありましたが、いつの時代も教師の考え方は変わらないですね。
 ただし今は特別な時です。ご自身の過労が免疫力の低下となって、あれほど注意しているはずの防疫の壁を、自ら崩してしまわないよう、どうぞご自愛のうえ、がんばって乗り切ってください。


【マイ・ルーチン】
 さて、私はと言えば、これも忙しかった。
 定年退職後の第二の職業も振り捨てて、完全な在宅生活を始めて2年半。
 忙しいと言えば退職後もバリバリと働いている弟などは、「何が忙しいんだ」と冷やかしますが、やはり忙しい。なぜか忙しい、何が忙しいか分からないがとにかく忙しい――。

 母のところで朝4時半に起きてコーヒーを飲みながらメールやサイトのチェックをし、自宅に戻って畑でひと働き。
 日によってはゴミ出しに行ったりジョギングに出たりで午前6時から朝食。現職の妻はすでに出勤。
 食べ終わると台所のシンクを掃除しながら食洗器に皿や茶碗を入れ、スイッチ・オン! 続いてペットの世話をする。

 そのあとコンピュータの前に座り、一晩たつと違った目で見られる自身のブログをもう一度校正。ミラーブログにコピー。ツイッターに更新記録を送る。
 そしてまた畑。

 私は朝風呂派なので昨夜の残り湯に加熱することもなく入り、汗と汚れを流し落とします。
 出てから洗濯、風呂掃除をする。
 前日、室内に取り込んだままになっていた洗濯物をハンガーから外して、丁寧にたたんでからタンスの中へ。そして新たな洗濯物を掛けて屋外に干す。

 新聞に目を通し再びコンピュータの前に座る――その時点で時計を見ると、もう10時を過ぎていたりすることもあります。
 そしてほどなく昼食。

 昼の食器は水に浸して食洗器から朝と前の晩の食器を出し、食器棚に整理して入れる。気が向けばそれから室内清掃。ふと時計を見ると2時。
 そこから翌日のブログ記事を書いたり本を読んだり、ネット記事を確認したりして4時。ヤレヤレまだ暑いがもう一度、畑に行ってがんばろうと勇気を出して しばらく作業をしているとやがて妻が帰宅。
 食事をつくるのは妻の仕事なので手を出しませんが、そのあと6時か7時に夕食。また台所の片づけ。ブログの仕上げと更新。
 母の家に向かう。

 それが私のルーティーンですが、その間にしょっちゅう母や妻から臨時の仕事が入る。
 特に妻からは夕食の終わったくらいの時刻に、「明日までにお願い!」と思いつき仕事を託され、そんな仕事はたいていがコンピュータに関わるもの(例えば音楽CD を一枚編集してくれとか)で、明日までと言ったって母の家に行くのにあと1時間ほど。ネット環境はこちらにしかありませんから、ここでやるしかなく、必死の作業になります。
 イソガシイ、イソガシイ、イソガシイ・・・


【床屋のフージーさんと私】
 昨日お話しした「100分 de 名著」の「モモ」では、第二回で床屋のフージーさんが取り上げられます。店の評判も良く、お金持ちではないものの幸せに暮らしていたフージーさんは、ある日ふと、こんなふうに考えるのです。
「俺の人生はこうして過ぎていくのか。はさみと、おしゃべりと、せっけんのあわの人生だ。死んでしまえば、まるでオレなんぞもともといなかったみたいに人に忘れられてしまうんだ」
 そこに時間貯蓄銀行の外交員を名乗る灰色の男(実は時間泥棒)がやってきて、
“あなたは膨大な時間をムダにしてきた。これからはおしゃべりをやめて、30分でやっていた仕事を15分で済ませ、節約した時間を私の銀行に預けなさい。余裕が増えれば全く違った人生が開けてきます”
 そういった話をするのです。

 生活に不満を感じ始めていたフージーさんはさっそく口座を開き、そこからどんどん時間を節約し始めるのですが、お金も十分に稼ぎ、使うのも十分で、よい服装も着始めるのに、一方で不機嫌な、くたびれた、怒りっぽい顔をしたトゲトゲしい感じの人間になってしまうのです。
 実際にフージーさんには時間的余裕がまったくありませんでした。なぜなら節約して貯蓄銀行に預けた“時間”は、灰色の男たちによって盗まれてしまっていたからなのです。

 ところで、私は現職の時代には朝6時に家を出て、夕方も6時前に帰ることはまずありませんでした。それがもっとも短いサイクルで、長いサイクルの時代は朝の4時半から夜の9時まで学校で働いていました。
 ですから退職後は毎日最低12時間は自分のために使えるはずで、その余った時間で、買ったきり書棚に入っている本や、若いころ感動してまたいつか読もうと思っていた本を読み、週に2回は映画館に行き、保育園以来やったことのない「お昼寝」を日課としよう、そんなふうに考えていたのです。
 ところが、時間は、まったく、ない。

 1日12時間、週(月〜金)に60時間、年間約3120時間。その時間はどこへ消えてしまったのでしょう?


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2020/8/20

「悪人がしゃべりすぎの『モモ』、隆明は語らなかった」〜『100分 de 名著』の愉しみ  教育・学校・教師


 Eテレ「100分 de 名著」を楽しみに観ている。
 毎回たった25分だが、
 自分が子どものころ、こんなふうに教えてもらっていたら、
 勉強も人生も、ずっと違ったものになっていたことだろう。

というお話。

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(「100分 de 名著」NHKサイトより)

【悪人がしゃべりすぎの『モモ』】
 最近気に入って見ている番組のひとつはNHK・Eテレの「100分 de 名著」(毎週月曜日/午後10時25分〜10時50分 <再>水曜日/午前5時30分〜5時55分、午後0時〜0時25分)です。
サイトの説明によるとこんな番組です。
「一度は読みたいと思いながらも、手に取ることをためらってしまったり、途中で挫折してしまった古今東西の“名著”。
この番組では難解な1冊の名著を、25分×4回、つまり100分で読み解いていきます。
プレゼン上手なゲストによるわかりやすい解説に加え、アニメーション、紙芝居、コントなどなど、あの手この手の演出を駆使して、奥深い“名著”の世界に迫ります。
案内役は、タレントの伊集院光さんと、安部みちこアナウンサー。
偉大な先人の教えから、困難な時代を生き延びるためのヒントを探っていきます!」

 今月の「名著」はミヒャエル・エンデの「モモ」で、今週(第3回)は主人公のモモが「時間の国」で時を過ごすうちに、モモの住む街がすっかり変わってしまったというところまで進みました。
 私はこの本を同じエンデの「はてのない物語」に続いて、20代の半ばくらいに読んだと思います。面白い話でしたが「はてのない物語」に比べるとスケールが小さく、ちょっと残念な気がしたという記憶があります。

 特に時間泥棒「灰色の男たち」のひとりが、前半でモモに自分たちの陰謀をべらべらとばらしてしまうところなどは、なんとなくあっさりしすぎていて違和感を持ったのです。わざわざあんなにしゃべらなくてもいいのに――。

 ところが今回、「100分 de 名著」で教えられたのは、この小説の冒頭から、廃墟「円形劇場」の住人であるモモが「聴く人」として登場しているということです。いわば街の小さなカウンセラーで、誰でもモモの前では自分のことを語りたくなる――。
 だからモモと深くかかわりあった灰色の男の一人は、ぺらぺらとしゃべってしまったのです。
 私の読みが浅かった――。


【隆明は語らなかった】
 先月の「100分 de 名著」は吉本隆明の「共同幻想論」でした。
 これは私より上の世代、いわゆる全共闘世代の必読書で、学生運動(スポーツではなく政治運動)を進める以上は是非とも読んでおかなくてはならないものだったのでした。
 私自身は「遅れて来た青年」で、学生運動には間に合いませんでしたから読む必要もなかったのですが、それでも先輩たちの遺志を継ぐ者として(そんな意欲があった)、是非とも教養を深めておかねばならないと考え、古本屋に何冊もあるうちの一冊を買い求めて読み始めたのです(古本屋に何冊もあったのは、みんな飽きちゃったからかもしれません)。
 ところがさっぱり分からなかった――。

 人生で私の気持ちを大きく揺り動かした本は何冊もあるのですが、「共同幻想論」は自信を喪失させたという点でマルクスの「資本論」(150ページくらい読んだ)と双璧をなすものでした。
 重要な概念である「共同幻想」や「対幻想」は何となくわかる、しかし最も重要そうな「個人幻想」だけは、ヌエのようにつかみどころがなく、理解できない、先輩たち(全共闘世代)はみんな分かるのに、私には分からない――。

 ところが先月の「100分 de 名著」のゲスト、日本大学教授・先崎彰容先生はひとことでこれにケリをつけてしまうのです。
「実は吉本隆明は『共同幻想論』の中で、個人幻想について十分に書いていないのです。だから『個人幻想』については、他の著作や講演記録から考えて行かなくてはならないのです」
――ナンジャ、そう言うことかい?


【おぼれる者に知恵の浮き輪を】
 私は傲慢なのか恥ずかしがり屋なのか、いずれにしろ他人にものを訊くということが苦手です。訊けば1分で済むことを訊けないばかりに、どれほど時間を図書館で過ごし、棒に振ったことでしょう。
 「共同幻想論」が分からないなら、どこかで話題にして知っている人に訊けばよかったのです。その人が知らなくても、その友だちは知っているかもしれません。その友だちも知らなくても、知っていそうな誰かを紹介してくれるかもしれません。そうやって渡り歩いているうちに、いつか答えにたどりつきます。

 私のような素直でない子、分かっていないくせに偉そうな顔をして、頑として質問に来ないような子は学校の教室にいくらでもいますよね? 
 そんな子には先生の方から気付いて、声をかけてやれるといいです。

「オイ、オイ、オイ、そりゃあ確かに『#(シャープ)が三つも四つもついても、大切なのは右端のひとつだけ』とオレは言ったよ。だけど一番右の#が大切なのはイ長調だのロ長調だのを決めるときだけで、他の#を全部無視したりしちゃいけないだろ。#のついたところ全部、演奏の時は半音あげるんだ、全部!」

「英語で“a”が出てきたらとりあえず“ア”と読んでおけば何とかなるだろう、というのはダメだ。“a”で一番多い発音は“エイ”だ。とりあえずやっておくのだったら“エイ”と発音してみる、その次が“ア”だ。“ア”にもいろいろ種類があるがとりあえず2番目は“ア”ということにしておく。
 同じく“i”は“イ”じゃなくて“アイ”で考える。
 “S”を“エス”と発音するのはローマ字として並んでいるだけだって気がついていたかい? 単語の中の“s”の発音は“ズ”か“ス”、そう考えてやってみよう」

「あ・の・な・あ、オマエ、満州事変を起こした“関東軍”って、日本の首都を守っている軍隊だと思っているだろう? それが違う。だから分からなくなる。
 “関東軍”の“関”は『箱根の関』じゃなくって中国の『山海関(さんかいかん)』。その東はいわゆる“満州”だから“関東軍”というのは“満州軍”と同じなんだ。正確に言えば遼東半島の先端にある関東州に駐留した日本の軍隊で、後に実質“満州軍”になった軍隊のことだ。
 もしかしたらオマエ、小学生のころに広島や岡山のあたりを指さして『日本になんで“中国(地方)”があるんだぁ』と大騒ぎした口じゃないのか?」

 これらはすべて私自身が子どものころ、訊いてみるか教えてもらえば恥をかいたり時間を無駄にしたりせずにすんだことです。

 勉強は自学自習が基本。
 それはもちろんですが、つまらぬところ引っ掛かっていつまでもおぼれているような子どもを一刻も早く発見して、知恵の(浮き)輪を授けてやってほしいものです。


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2020/8/19

「生きていることが不要不急、新型コロナは人を選ぶ」〜それぞれの新型コロナA  政治・社会・文化


 視点がどこにあるかによって、事態の見え方は異なる。
 私や私の周辺の人間にとって、
 新型コロナは胸が苦しくなるほどには深刻な話でない。
 しかし今のこの時間を、息を詰めて見つめている人たちもいるのだ。

というお話。
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(「【東京都】二子玉川周辺の兵庫島公園」 フォトAC より)

【生きていること自体が不要不急な人々とある種の呑気さ】
 では都会の年金生活者たちはどうかというと、私の知る限り似たり寄ったりが大部分です(とは言っても数人だけですが)。緊急事態宣言が発出したときは思いっきり緊張したものの、実際に日常を過ごしてみたら驚くほどいつもと同じだった、そういう人ばかりです。
 都会と言っても私の友人はほとんどが郊外の人たちで、最初から引き籠っているか、勤めを持っている人たちもリモートワークに入ると普通の田舎人みたいになっていたようです。
 案外、余裕だった――。

 私のように他県の田舎にいて、ニュースで毎日、
「今日の東京都の新規陽性者は300名でした」
などと聞くとかなりビビりますが、東京の人口は都内だけでも930万人、300名はその0.005%にすぎません。場所によっては感染者が広がっているような感じがまったくしない――例えば立川市の昨日までの感染者は88名、羽村市に至ってはたった6名です。もちろん面積や人口が違うとはいえ、これより感染者の多い地方都市はいくらでもあります。そう考えると実感のないのも無理はありません。

 実感がないと言えば特別区の学校に勤務している婿のエージュも同じで、保護者からも感染の情報が来ない、もちろん同僚にもそんな話はないということで、感染予防には徹底的に気を遣っているものの、緊張感という意味では一時期のような厳しさははまったくなくなっているようです。

 しかしそんな呑気なことを言っていられるのは親戚にも友人にも、医療関係者や旅行・飲食といったコロナ禍を直接に浴びている人が、一人もいないという私自身の事情があるからでしょう。そうした知人が一人でもいれば、私だって心穏やかではいられません。


【新型コロナは人を選ぶ】
 これまでパンデミックを扱った映画や小説では、「ウィルスは人を選ばない」のが前提でした。
 吸血鬼ドラキュラのように処女の血しか飲まないといった変種はあったにしても、アメリカ人の大好きなゾンビ映画で相手を選んで襲う怪物というのはちょっと思い出せないところです。大昔の日本映画「復活の日」でも、人類が滅びそうになったのは、ウィルスが老若男女を区別しなかったからです。

 ところが今回の新型コロナウィルスは実に不公平で、高齢者や基礎疾患がある人、免疫抑制剤や抗がん剤を用いている人は、まるで狙い撃ちにされているように重症化していきます。選択的に殺すのに用いるのは無鉄砲な若い層で、ペストのネズミ、マラリアのハマダラカよろしく、元気なまま街に放たれて無自覚のまま感染を広げていく構図になっています。

 さらにその周辺被害として飲食や観光・娯楽、あるいは輸出産業には手痛い打撃を与えながら、他方で食品の宅配業やスーパー、コンビニ、衛生・健康関連企業やネット通販などの業種の一部を潤わせています。

 私は今回の事態を通して、大げさに言えば「一流の歓楽街を中心に5軒の店舗を経営し、毎月の売り上げが1憶20万円、支払いは1億円(なんだ月収は20万円カヨ)」みたいな人が大勢いることを知りました。
 また演劇や音楽といった分野では、華やかな舞台の裏で辛抱強く文化を支えている人がたくさんいることも、改めて浮き彫りになりました。。
 そんな冒険心と夢に溢れた人たちも、今回は経済的に狙い撃ちされています。

 とにかく厄介なウイルスだと、夏休み中、あらためて思っていたりしたのです。



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2020/8/18

「小学校の夏休み・田舎年金生活者のコロナ」〜それぞれの新型コロナ@  政治・社会・文化


 この夏、小学生の夏休みはどのくらいの長さだったのか――。
 調べてみるといろいろな思いが浮かんでくる。
 いずれにしても大変なことだ。
 しかし田舎の年金生活者には、
 新型コロナウィルスでさえも、波風は立たない。

というお話。
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(「初夏の水田風景」 フォトAC より)

【全国の小学校、夏休みはどれくらいだったのだろう?】
“いったい今年の夏休みはどうなっているのだ?”と思って検索をかけたら、ちゃんと調べているサイトはあって、例えばHugKum「2020年の夏休みはいつからいつまで? コロナ禍でどうなる? 夏のコロナ対策、勉強のコロナ対策まとめ」によると小学校の最短は多治見市、泉佐野市、貝塚市、和歌山市などの9日間。最長は松山市などの42日間でした。
 東京都は区市町村ごとに16日間あるいは23日間というのが多いのですが、江東区などは10日しかなく、板橋区・目黒区・港区などは24日もあります。
 地方自治ですからとうぜん違っていいのですが、ここまで差があると授業日数が学力にどう反映するのか統計的に証明できそうです。ぜひとも来年度の全国学力学習状況調査では分析していただきたい。
 私自身はあまり関係ないのではないかと予想しておりますが。


【田舎年金生活者にとっての新型コロナ】
 さて、全国的に新型コロナ感染者が増加したこの夏を、私がどう過ごしたかというと、お盆に娘や息子そして孫たちが帰ってこなかったこともあって、ほぼ普段と同じ生活を送って来たと言えます。
 「ほぼ」というのは現職の教員である妻が夏休みに入って、いつもより在宅時間が長くなったからです。しかしそれで生活が大きく変わったわけでもありません。コロナ感染に関しても無頓着に過ごしました。

 一緒の時間が長くなった分、夫婦間の感染リスクは高まったようにも見えますが、妻はそもそも職場に行っていないわけで外部での感染リスクが大きく下がってトントンというところでしょう。

 私の方は勤めを辞めてから3年あまり、ずっと自粛生活を送っているようなものですから安全です。買い物に出るということもほとんどありません。外食や飲み会にも行きません。
 もちろん外には出ますが、畑仕事かジョギングのためですから感染リスクなどないも同じです。一週間、下手をすると1カ月近くも、妻と母以外とは一言もしゃべらないような生活を送っているのです。
 私が屋外にいるとき、マスクをしていなくても人から咎められることはありません。そもそも人間がいないのですから。


【私は妻の濃厚接触者ではない】
 ただ、妻は私よりずっと活動的ですからどこかでウィルスを拾ってくる可能性がないわけではありません。けれどその場合も、私が妻の“濃厚接触者”であるかどうかは疑わしい――少なくとも私自身は素直になれません。

 ドアノブや手拭きタオルを通しての感染はありますから検査を受けるにやぶさかではないのですが、「1メートル以内かつ15分以上の接触」という濃厚接触の定義からすると、丸一日一緒にいても当てはまらないような気がするからです。妻とは濃厚な接触などしていません。30年以上連れ添った夫婦なんてそんなものです。

 ちなみに、ほぼ毎日会っている母とは一日1時間以上同じ部屋にいますが、同じ方向(テレビのある方)を向いて二言三言かわすだけですからこれも濃厚接触に当たらないでしょう。
 かくして非常事態宣言が出されようが感染が拡大しようが、私の生活は変わらないのです。
 田舎にはそんな人がたくさんいます。

 では都会の方はどうか――友だちに訊いてみましょう。

(この稿、続く)

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