2020/8/31

「アベノマスク・玉城ノマスク・小池ノマスク」〜安倍総理、感謝いたします。  政治・社会・文化


 安倍首相が辞意を明らかにした。
 評価は様々だろうが、私にとっては「マスクの文化」の救世主だ。
 アベノマスクが意識を変え、
 玉城ノマスクと小池ノマスクがブームを生み出した。
 そして今や、マスクは感染予防の主役だ。

というお話。
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(「マスクをした子供」 フォトACより)

【安倍総理、辞任を表明する】
 安倍総理、辞任するそうです。
 SNS上では「めでたいとしか言いようがない」とか「できれば辞める前に1つでも責任を取ってほしかった」とか「辞任と逮捕はセットだろう」とかさんざんですが、目に見えるものがすべてではないでしょう。

 直近(8月12日)のNHK世論調査では支持率34%、不支持率47%。
「憲法改正」だの「集団的自衛権」だの、方針を強く打ち出せば支持する人も憎む人も両極端に出て来ます。
 第二次安倍内閣はどんなに良い時でも支持率は66%程度で小泉内閣(85%)どころか鳩山内閣(72%)にすら及びません。逆に悪い時でも30%を切ったことはなく、要するに死ぬほど嫌いな人が三分の一、何があっても安倍という人も三分の一、残りの三分の一が政治動向を見極めて、支持・不支持を表明することで支持率が変わっていく――そんな感じになっているのです。安倍政権の7年間を総合して振り返れば、また話は違ってくることでしょう。


【私個人にとっての安倍内閣】
 私個人についてはどうかというと、支持者の中で一番多い意見、「他の内閣より良さそうだから」にまるっきり乗る感じで、“他の人ならもっとうまくやってくれる”という気がまったくしないので今日までずるずると来てしまいました。11年前、「自民党以外なら何でもいい」という感じで民主党政権を生み出してしまったことがいまだにトラウマになっていて、政権が代わるいことに臆病なのです。

 ただし安倍政権も長くなりすぎました。
 モリカケ問題をはじめ、政策や問題に対する説明や対応がずいぶんと雑になっています。傲慢と言われて仕方ないでしょう。合衆国で大統領が代わるようなら、安倍さんでなくてもいいのかなと、私も思い始めています。

 安倍内閣の功罪についてはこれからもしばらくあれこれ議論があるでしょうが、私にとって一番ありがたかったことは「日本人のマスク文化」を守ってくれたことだと思っています。いわゆる「アベノマスク」です。これについては誉める人などまずいませんから、この広い世界の片隅で、感謝している人間が最低一人はいるということで記録に残しておきたいと思います。


【衝撃! アベノマスク】
 本年(2020年)4月1日、安倍総理が「日本の全世帯にガーゼ製の布マスクを2枚ずつ配布する」と言い出した時の衝撃は、いまや忘れ去られようとしています。しかしあれは冗談抜きに“衝撃”でした。
 なぜなら日本中の老若男女が不織布マスクを求めてドラッグストアに並び、一般人ならまだしも病院からもマスクがなくなるかもしれないといった恐慌状態で政府がいよいよ無料配布してくれると万歳しかけたら、なんとそれがガーゼ・マスクだったという笑うに笑えない話だったからです。

「欲しいのはガーゼ・マスクじゃないんだ!」と本気で起こる人もいれば「エイプリル・フールのガセネタじゃネ?」と訝る人もいる、費用は466億円と聞いて絶句する人もいれば、聞いて初めて怒り出す人もいる、と、ちょっとしたパニックだったのです。
 ところが一方で、これをありがたがった人もいました。

 ひとつはドラッグストアなど近くになく、布であれ紙であれ「マスク」と名のつくものがいっさい手に入らない田舎の高齢者たち、もうひとつは極端なマスク不足の中で、それでも不織布マスクをつけてテレビカメラの前に立たなくてはならなかった政治家たちです。

 私も4月1日は「さすがにガーゼマスクはないだろう」と考えた口ですが、アベノマスクを歓迎する高齢者の声を聞いて考え直し、4月7日に、
  アベノマスクの評判はさんざんですが、「すべての国民に持たせる」「マスクがないとは言わせない」という意味では必要なことでした。他人に感染させないという点では布マスクで十分なのですから。
 しかしあんな旧時代のマスクを、若者が使ってくれるだろうか?
 そこで思い出したのがモデルの秋元梢さんのマスク姿です。探したら出てきたので下に貼っておきますが、誰か、こんなのをたくさん作って、若者に配布してくれませんか!

と書いて、翌日このブログに投稿しました(2020.04.08 「ネコにもマスクをつけさせたい」〜無症状無自覚の感染者にマスクを着けさせる方法」)。


【玉城ノマスク・小池ノマスク】
 ところが私が記事を書いたのと同じ7日に、小池東京都知事は近所の方からいただいたという布マスクをつけて記者会見に臨んでいたのです(2020.04.07 Youtube『「きょうのマスクは手作りで……」 小池都知事、照れ笑いする一幕も』)。
 また、当時は気づかなかったのですが、沖縄県の玉城知事はさらに一日早く、6日の日には夫人手作りの布製マスクをつけて会議に臨んでいました(2020.04.14 朝日新聞 『個性豊か、「ジョジョ」柄も 知事のマスクが話題』)

 政治家というのはほんとうに機を見るに聡い人たちです。
 知事ともなれば、新型コロナにかかって入院されては困るので、部下や後援会からいくらでも不織布マスクが送られてきたはずです。しかし市井の人々がマスク不足に苦しんで一部はアベノマスクに頼らざるを得ない状況で、堂々と不織布マスクをつけて記者会見に臨むのはいかにもマズイ、そこで(もしかしたら最初は記者会見の場だけだったのかもしれませんが)布マスクをつけ始めた。さすが玉城・小池両知事はハンパではありません。

 両氏のような発信力のある知事がカッコウのいい布マスクをつけ始めたら、あとは自動的です。おりしも緊急事態宣言で家に籠らざるを得なくなった人たちが、押入れの中から端切れやミシンを持ち出して、暇に任せて布マスクの量産を始めます(2020.04.23 「先生! あなたの勝利です!」〜家庭科の価値が見直されるとき)。
 おかげでネット上の不織布マスクが値崩れを起こし、市場に安価な不織布マスクが箱売りで出始めます。そうなるのに一カ月もかかりませんでした。


【マスクは守るべき日本の文化】
 2009年の新型インフルエンザ流行のころから、マスクが不足するたびにメディアの”識者“たちは「マスクで感染は防げない」「一般人がマスクをつけるのは愚の骨頂」みたいな話を大量に流布させていました。しかし私は経験的にマスクの有用性を信じていたのです。学校で子どもたちがマスクをするようになると流行は治まる――。
(参考)
2013.01.28「マスクの科学」
2013.02.19「こだわりのマスク」  


 スーパーコンピューター「富岳」を使った最近の研究では、
飛沫の体積をみると、不織布とポリエステルは8割ほど、綿でも7割ほどの飛沫がマスク内や顔に付着し、拡散を抑えられた。
(2020.08.25 読売新聞 『「マスクに飛沫抑える効果あり」スパコン富岳が計算…不織布、通り抜ける粒子少なめ』
とのことです。

 やはりマスクは、日本人が守るべき文化だったのです。
 アベノマスクありがとう。
 そして、
 安倍首相、ごくろうさまでした。



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2020/8/30

「更新しました」〜キース・アウト  メディア評論


学校がうまくいっているとき、その手柄をひとりの人間に帰して報道するのはやめてもらいたい。それが金八先生でもヤンキー先生でも、泣き虫先生でもエリート校長であったにしても。




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2020/8/28

「差別者はごくわずかだ、私たちは応援している」〜新型コロナ差別について考えるB  政治・社会・文化


 差別・中傷は弱い人間によって行われる。
 弱い人間がなくならない限り、差別や中傷もゼロにはならない。
 だから大切なのは、そうした弱虫を叩くことではなく、
 支持者・仲間・感謝を伝えたい人々がその何百万倍もいると伝えることだ。
 誰か、いいアイデアはないのか?

というお話。
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(「マスクをする女性」 フォトACより)

【のび太はなぜ、めげないのか】
 「ドラえもん」ののび太は、ジャイアンに暴力的にいじめられ、スネ夫には陰湿にいじめられても、なぜあんなにサバサバと生きていられるのか。
 答え――友だちがいるから。

 静香ちゃんや出木杉君は強力な味方というわけではありませんが、決してのび太を見放すことはありません。のび太にはいざとなれば「ドラえもん〜〜」と泣きつく先もあります。
 実際に物語の中には出て来ませんが、ジャイアンやスネ夫の性格を考えればのび太だけが集中的にやられているとは考えにくく、同じように酷い目にあっている同級生はたくさんいるはずです。彼らも有形無形の支援をしてくれています。

 私も小学生のころ、近所にマサヒコというジャイアンみたいないじめっ子がいて、しょっちゅう逃げ回っていました。2歳くらい年上で、手下というのを持っていなかったので挟み撃ちに遭う心配もなく、ひたすら逃げていればいいだけでした。
 よせばいいのに仲間と一緒にマサヒコのいそうなところに行き、遠くから「いた、いた、マサヒコだ」とひそひそ声で言いながら静かに帰ってきたり、思わぬところで出くわして「マサヒコだ〜〜〜!」とか叫んで必死に逃げ回ったことも再三です。しかし不思議なことに実際にいじめられた記憶はまったくありません。
 もしかしたら「マサヒコいじめっ子」説は伝説で、私たちは彼から何もされなかったのかもしれません。そうなると私たちの方が一丸となってマサヒコを差別し、いじめていたようなものです。そのあたりはどうだったのでしょう?

 いずれにしろ多くの場合、いじめられる方が多数だと問題は少ないのです。


【差別者はごくわずかだ、私たちは応援している】
 医療関係者や感染者が嫌な思いをすることについても同じです。
 差別したり中傷したりする人間は弱い人間ですが、弱い人間はそう簡単に強くはなれません。匿名の時代ですから捕まえてとっちめることもできない。
 困ったことに、そんな人間は日本全体から見れば誤差の範囲と言っていいほどに少数ですが、少数でも破壊力が大きいのは学校におけるモンスター・ペアレンツと同じです。

 少数で、見えにくく、しつこい存在ですから、文科省の緊急メッセージのように、
感染した個人や学校を特定して非難するなど、周囲で差別につながる言動があった時は同調せず、やめるよう声を上げてほしい
などと呼びかけても何かが起こるわけでもありません。
 つまりどうやっても、差別や中傷は簡単にはなくならないのです。

 もちろん“だからやめておけ”とは言いませんが、大切なことは、
「ごく少数の差別者・中傷者はいるかもしれないが、大多数はあなたを支持しているんだよ、感謝しているんだ、仲間なんだ」
と共感のメッセージを送ることだと思うのです。のび太の周囲の人々と同じように。

【共感の伝え方】
 しばらく前のニュースで見たのですが、ニューヨークのロングアイランドにある病院ではコロナ患者が退院するたびに、ビートルズの「ヒア・カムズ・ザ・サン」を全館で流すのだそうです。手の空いている職員はみんなロビーまで患者の見送りに出ます。
 そんな日は朝から関係者の表情が明るく、
「さあ、今日は『ヒア・カムズ・ザ・サン』が流れるわよ」
とか言って病室に向かうのです。
 病院職員が一つになって困難に向かう美しい姿です。

 また、イギリスが発祥だそうですが「フライデー・オベーション」というのもあって、金曜日の正午に医療関係者に感謝を込めて、みんなで拍手を送るといった活動もありました。
 日本でも各地の自治体が中心となって呼びかけたりもしましたが、こういうことは欧米人、特にラテン系の人たちにやらせると実にうまく、大通りをはさんであちこちのアパートの窓から、テラスから、一斉に拍手を送るといったふうになるのですが、日本人だと妙にクソ真面目で何となく間が抜けた感じになります。長続きしそうにありません。


【誰か、いいアイデアはないか?】
 私は、世の中の少数の悪者に目を向けて、それを叩いたり、むやみに社会全体の風潮のようにしてしまうマスコミの報道にウンザリしています。
 世の中にはその何万倍、何百万倍もの善意の人たちがいて、いつでも手を差し伸べようと(表現は変ですが)手ぐすね引いて待っているのです。ちょっとした機会さえあれば、その人たちは一斉に動き出します。

 残念なことに「ヒア・カム・ザ・サン」や「フライデー・オベーション」のような活動で日本人向けのものとなると、私の頭に何のアイデアも浮かんできません(*)。
 誰かこういうことに堪能な人たち、日本人に向いた良いアイデアはないでしょうか?
 是非、感謝すべき人には継続的にその気持ちを伝えていきたいのです。

*しかたがないので私は特定給付金10万円を、Yahooネット募金を通して医療関係者に寄付しました。皆様もいかがです?

(この稿、終了)

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2020/8/27

差別・中傷する人々は驚くほど少ない。しかししつこい」〜新型コロナ差別について考えるA  政治・社会・文化


 差別や中傷をする者は、みな弱虫か不遇の人だ。
 だから彼らは「正義」の仮面を持つと叫ばずにいられない。
 しかし実際に見える形で差別・中傷をする人たちはごくわずかで、
 通りすがりにちょっと唾をかけていく、その程度の軽薄びと。
 それに引き換えキミの背後には、たくさんの支持者がいるじゃないか。

というお話。
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(「マスクをつけた外国人女性と新型コロナウイルス」 パブリック・ドメインQより)

【結局は弱い人間のしわざ】
 人を差別したり中傷したりするのは、基本的に弱虫や恵まれない人たちです。
「金持ち喧嘩せず」と言いますが、豊かな人間はイライラしたり腹を立てたりして、つまらない行動に走ることがありません。

 新型コロナについていえば、恐怖に駆られた人、自分だけがコロナの重荷を背負わされていると感じている人、そんな人たちが自粛警察や差別・中傷者になっていくのです。
 オレたちはこんなに辛い苦しい思いをしているのに、オマエたちはなんだ!
というわけです。


【医療関係者の子どもが保育園で隔離されたわけ】
 例えばコロナ事態の初期には(今でもそうかもしれませんが)、「医療関係者が退勤後、保育園にお迎えに行ったら子どもが別室に隔離されていた」といった話がありました。
 とびぬけて緊張感の高い新型コロナの治療の現場で一日中働いて、保育園に行ったらこの仕打ちか――その人も切なかったでしょうね。
 しかしそれでも、これを差別の問題としてとらえることは本質を見失わせることになると思うのです。報道によって遠回しに”差別者“の烙印を押された保育園も、困ったことでしょうね。保育園は保育園で、好んでそんなことをしたわけではないのですから。
 人間は、みんな弱いのです。

 保育園にはいろいろな種類の子どもとその保護者がきます。中には新型コロナウイルスについて無知で(というかそのころはたいていの日本人が無知でしたが)、必要以上に怯え、医療関係者の子どもとウチの子が同じ部屋の中で過ごすなど、考えただけでも身の毛がよだつといった人もいたのです。その中の一部は強力に保育園に対応を求めていきますし、あるいは保育園自体が、そうした保護者の意向を忖度して、先回りで医療関係者の子どもを別室に置いたのかもしれません。それも弱者=保育園がいかにもやりそうなことです。

 みんな弱虫でその場所から脱出できません。
 ですから私はそういう人や組織に対して、社会はむしろ、もう少し寛容であってもいいように思っているのです。


【差別・中傷する人々は驚くほど少ない。しかししつこい】
 プロレスラーの木村花さんが自殺した件に関して、SNS上で木村さんを非難した人は実は少なかった、という記事がありました(2020.07.19弁護士ドットコム『ネットの誹謗中傷、参加するのは「ネットユーザーの1%未満」 コロナで増加、その実態は? 山口真一氏に聞く』)。
 それによると、
 2014年の調査では、過去1年以内に炎上に参加している人は、約0.5%しかいませんでした。1件あたりの参加者数を推計するとたった0.0015%です。これは7万人に一人くらいということになります。2016年の調査でも、過去1年以内の炎上参加者は約0.7%と、ネットユーザー全体で見ると非常に少ない人数です。
 ただ、炎上の件数は昔よりも増えています。2019年には約1200件、平均して1日3回以上発生していることになります。ですので、現在は0.5〜1%程度にはなっているかもしれません。

 しかも、
 炎上1件あたりに最大何回書き込んだかを尋ねました。その結果、書き込んだ人の60〜70%は、1〜3回の書き込みでした。イラっとしても、1回だけという人がほとんどということです。一方で、51回以上書き込んだ人が3%ほどいたのです。

 つまりそういうことです。
 私は木村花さんがSNS上でどんな仕打ちを受けたか知りませんが、誹謗中傷した人の大部分はフラッと訪れてちょこっと書いて、そしてどこかへ消えて行ってしまった人たちです。
 もちろん絵本「わしのせいじゃない」のように、一人ひとりのやっていることは小さくても、それが累積されると酷いダメージを与えるということはあります。しかし肝心なことは、日本全体でみればそんな人はごくわずかで、言葉とは裏腹に気持ちはかなりいい加減なものだったということ、真面目に考える対象ではないということです。

 もちろん大真面目で書いている人もいましたが、そんな人たちはさらにわずかで、誤差の範囲と言ってもいいくらいなものです。その人たちが手を変え品を変え、アカウントを変えて執拗にかぶせていただけのことです。


【SNSの騒々しさに対抗する現実の力】
 ネットユーザーのみならず、日本人の大部分は木村花さんには無関心、もしくは知らない(しかしこれって大事ですよね)――けれど多くの支持者がいる。さらには家族・友人といった強力な支援者もいる。
 そう考えると誹謗中傷した人たちのなんと少なかったことか――。
 木村花さんはそのことを知っているべきでしたし、もっと仲間を頼りにすべきでした。

 心にバイアスのかかった状態でしたから、花さんを支持する声はもっと大きく、見える形となって彼女を包まなくてはならなかったのですが、SNSの騒々しさに対抗するには現実の力はあまりにも弱かった。ネットに対抗できる現実の組織・方法というものがまだ十分に生育していないのです。

 医療関係者や感染者の場合も同じです。

(この稿、続く)


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2020/8/26

「私たちはほんとうに差別者なのか」〜新型コロナ差別について考える@  政治・社会・文化


 文科省がコロナ感染者への差別や中傷しないよう緊急メッセージを出した。
 しかし差別・中傷の状況はそこまでひどいものだろうか?
 みんなで反省し、みんなで善処しよとするその前に、
 やっておくべきことがあるのではないか、

というお話。
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(「マスクをする女性」 フォトACより)

【文科省が緊急メッセージを出した】

 昨日のNHKウェブニュースに次のような記事がありました。
「新型コロナウイルスに感染した人への差別や中傷が後を絶たないことから、文部科学省は子どもや教職員、それに地域住民に対し、差別につながる言動を行ったり同調したりしないよう呼びかける緊急のメッセージを25日発出しました」
(20.08.25NHK「コロナ感染者への差別や中傷しないで 文科省が緊急メッセージ」
 
 記事は続けて、
「この中では、
▽児童生徒や学生に対し、感染した人や症状のある人を責めるのではなく励まし、温かく迎えること、
▽教職員に対しては子どもたちが誤った認識や不確かな情報に惑わされず、科学的根拠に基づいて行動できるよう指導することを求めています。
そして、保護者や地域住民に対しては、
▽感染者への差別や偏見、誹謗中傷などを許さないこと、
▽感染した個人や学校を特定して非難するなど、周囲で差別につながる言動があった時は同調せず、やめるよう声を上げてほしいと呼びかけています。」

と書いてあります。一応それはごもっともなことなのですが、私の中には幽かな、しかし確固とした違和感が生れました。
「日本人って、そんなに冷たい民族だったのか?」
ということです。


【示されたコロナ差別の実態】
 昨夜の「ニュース・ウォッチ・9」でもこの問題を扱い、国立成育医療研究センターが6〜17歳を対象にしたアンケート結果として、
もし自分や家族がコロナになったら、そのことは秘密にしたい・・・32%
コロナになった人とはコロナが治ってもつき合うのを躊躇う・・・22%
自分が(コロナで)いじめられている・・・1%
いじめられている人がいる・・・3%

という結果を示していました。
 また、親が医療関係の仕事についていたり感染拡大地域に出かけたりしたことなどをきっかけに子どもを”コロナ“と呼ぶ例のあることや、奈良県の大学のラグビー部で集団感染のあった際、ラグビー部以外の学生が教育実習を断られた例などを紹介して差別のはびこる状況を説明していました。

 しかし大半は子どもの世界のことですし、教育実習の件では断った学校または教育機関にどれほどの問題があったのか、私は首を傾げざるを得ません。

 子どもなんてそんなものなのです。だから教育が必要なのであって、親や学校がきちんと指導しなければならないのは当然です。教育実習の件では感染したラグビー部員の濃厚接触者のさらに友だちである可能性はないわけではなく、大学が責任を持ってPCR検査を受けさせ、陰性確認をしてから実習校に送り出すなどの制度づくりをすればよかっただけのことです。


【全体が悪く言われる、反省しなくてもいい人が反省する】
 私は、こうしたニュースが流されるたびに、海外で引用され日本人はこんなに酷いと宣伝されるのが嫌なのです。
 さらに、日本人はすぐに反省したり謝ったりすると言われるように、こうしたニュースが流れると差別した本人よりも、神経質なまでに誠実な人々が率先してお詫び行脚に出たり、過激な一部は差別者を炙り出して吊るし上げようとしたりします。それも間違っている。

 コロナ患者や医療関係者を取り巻く環境に問題がないわけではありませんが、だからと言って日本人全体が反省したり、 “お上”から指導を受けたりしなくてはならないような内容ではないでしょう。
 国内に1憶2600万人もの人間がいれば、その全員が清く、正しく、感染者も医療関係者も温かく迎え入れ応援する人、というわけにはいかないのです。だとしたら実効性の疑わしいメッセージなど出している場合ではなく、具体的な対応策を示していくべきなのです。

 実際に、差別者などほんのわずかなのです。
 その数はどれくらいだと思います?

(この稿、続く)
 

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2020/8/25

「私のヒーロー、地蔵菩薩」〜チコちゃん、私は憧れていたんだ  歴史・歳時・記念日


 先週金曜日の「チコちゃんに叱られる」で、
 「お地蔵様は閻魔様だ」と言っていたが、
 私はちょっと違うと思う。
 地蔵菩薩はもっとすてきな、私のヒーローなのだ。

というお話。
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(「護国寺」フォトACより)

【チコちゃんにひとこと言いたい】
 先週の金曜日(21日)の「チコちゃんに叱られる」に、「お地蔵さんって何?」というのがあって、答えは「お地蔵様は閻魔様」でした。地蔵は閻魔の姿を借りて地獄にいる、あるいは閻魔が地蔵の姿を借りて現世で人々を見守っているというのです。

 確かにそういう話もあって間違いではないのですが、地蔵菩薩を考えるとき、その入り口が「お地蔵さまは閻魔様」だと、この仏様の全体を理解するのが難しくなるのです。
 私は地蔵尊の熱烈なファンですので、ひとこと言わずには気が済みません。


【仏様たち】
 たった今、私は「この仏様」という言い方をしましたが、「仏様」には広義の「仏様」と狭義の「仏様」の2種類があって、前者は仏教に関わる全ての存在のことを言い、お寺に行くとそれが阿弥陀様であれ観音様であれ、あるいは閻魔大王や世親・無著であってもひとくくりに「仏様」といったりします。そのレベルの「仏様」です。

 仏教では開祖の釈迦が、自分が会得した悟りは誰にも理解できないと早々に諦めてしまっていたのを、バラモン教の主神である梵天が盛んに乞う(梵天勧請)のでようやく重い腰を上げ、説法に向かったということになっています。ですから仏教は言葉や概念に厳密ではなく、そのことが日本だけでも五系十三宗五十六派と呼ばれる膨大な広がりをつくってしまい、仏教を拡大させるとともに多くの異説を取り込んでしまう原因となっています。
 それほど寛容な宗教ですので、厳密には「仏(ほとけ)」ではない地蔵菩薩を、信仰心篤い人が「仏様」と呼んでも一概に間違いというわけにはいきません。それが広義の「仏様」だからです。

 狭義の「仏さま」は、しかし厳密な概念です。別に「如来」と呼ばれるのも同じですが、皆、釈迦仏(釈迦如来)と同じく「悟りを開いた者」です。
 廬舎那仏、阿弥陀仏、薬師如来、大日如来、弥勒如来などが有名なところで、いずれも欲望のから一切解放されているので、布一枚を体に巻き、装身具は一切身に着けず、静かに瞑目しています。修行の身ではないので頭も剃らずに、短く髪を伸ばしています(ただし天然パーマなので仏像ではイボイボみたいな形で表現されます)。

 その仏(如来)の一つ下に位して、仏になることをめざし、修行を続けているのが菩薩です。まだ悟りを開いていませんから欲望も捨てきれず、菩薩像では冠をつけ、ネックレスやブレスレッドを大量に着けて欲望を表現するのが普通です。
 菩薩の中で飛びぬけて有名で人気があるのが観音菩薩で、人々の悩みの応じて姿を変えるので、聖観音菩薩、慈母観音、如意輪観音、千手観音、不空羂索観音、馬頭観音など三十三種類以上もあります。
 他にも日光菩薩、月光菩薩、勢至菩薩、虚空蔵菩薩と有名どころがずらっといるのですが、観音と並んでもうひと方、庶民の人気が高いのが地蔵菩薩です。

【地蔵菩薩】
 地蔵菩薩像は他の菩薩像と違って、出家僧の姿で表現されるのが普通です。それは悟りを開いて自らが仏になることを諦めた存在だからです。

 地蔵はその修行中、法力によって三途の川の賽の河原で、石を積む子どもたちの姿を見てしまいました。子どもは、“子どもでありながら死んで親を悲しませた”という重罪によって地獄からも拒絶され、鬼に責められて石積みの山をつくっては壊されているのです。
 地蔵はそれを悲しく思い、修行を棄てて急遽賽の河原に向かい、子どもを助けようとします。これが「地蔵は子どもの神様」と言われる由縁です。

 私は、この「自らの出世を棄てて、子どものためにかけつけた」というところが大好きなのです。

 地蔵菩薩は古代インドや中国ではさほど注目される存在ではありませんでした。日本でも奈良時代や平安前期ではさほど有名でもなかったのですが、平安中期以降、浄土信仰が盛んになり、人は死ぬと極楽浄土に往生(往って生きなおす)するべきだといった考えが広まると俄然人気者になります。
 というのは世の中のほとんどの人々は藤原頼通のように宇治平等院を建てて極楽に往こうなどと、考えることすらできなかったからです。極楽に往生できない者は、当時の常識では地獄に往くしかなかったのです。

 誰か地獄に行った私を救ってくれる者はないのか――。
 地蔵菩薩は子どものために自らの修行を棄てて駆けつけてくれるような存在です。地獄にだって来てくれるに違いありません。いや、人が死ぬと行くことになっている六つの世界(天道・人間道・餓鬼道・畜生道・餓鬼道・地獄道)の、どこへ行っても来てくれるに違いない――。

 村の入り口や町の辻に置かれることの多い「六地蔵」は6人の地蔵を表したものではなく、六つの世界へ向かうひとりの地蔵菩薩の六つの表現です。地蔵は誰がどこに居ようとも、助けを求められれば飛んで行って救う意志があるのです。

 やがて武士の時代になりますが、武士というのは必然的に人殺し集団、あるいは人殺し予備軍です。武士である限り死んだ後に行くべきは地獄のほかありません。そんなところから地蔵信仰はさらに強固になっていきます。


【私自身のこと】
 若いころ、と言っても本当に若い、まだ中学生か高校生のころ、地蔵にはついて何も知らなかったのですが、将来に憧れたのはそういう生き方でした。宮沢賢治の言う、
  東ニ病気ノコドモアレバ 
  行ッテ看病シテヤリ
  西ニツカレタ母アレバ 
  行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
  南ニ死ニサウナ人アレバ 
  行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
  北ニケンクヮヤソショウガアレバ 
  ツマラナイカラヤメロトイヒ

 そういう人生だと言ってもいいでしょう。

 そのことを、当時つき合っていた女の子に話すと、
「Tくん(私のこと)は神様になりたいんだね」
と、何か悲しそうに笑ったことがありました。
 あれは何だったのか?

 結局そうはならなかった今の私を、あの人は見通していたのでしょうか?


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