2020/7/31

「1学期ごくろうさまでした」〜子どもたちに伝えたいこと  教育・学校・教師


 長く困難な1学期が終わる。
 多くの時数が失われたが、本質的な部分で何を失ったのか、
 それも見ておく必要もあるだろう。
 私たちは語るべきことを語らないまま進んでしまうのかもしれない。

というお話。
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(「丘の畑」 フォトAC より)

【歴史に残る学期】
 まさか日本の半分も梅雨が明けないまま、まさか1個の台風も(来ないどころか)発生しないまま(*1)、まさか終業式をしないまま、7月31日を迎えることになろうとは、だれも予想しなかったことでしょう。
 しかしまさか“1学期終業式が8月までずれ込んでいる学校”もないと思います(*2)ので、今日をひとつの区切りとしておきます。
*1 7月の発生がないということで、台風1号・2号は自体は5月・6月にそれぞれ発生しています。しかし数としても少ない。
*2 調べたらけっこうあるみたいでした。


 2020年度の1学期は日本教育史に残る異例の学期となりました。入学式が終わったかと思ったらそのまま休みになってしまったり、そもそも入学式ができなかったり――。
 リモート、リモートと繰り返し叫ばれても学校にできることはほとんどなく、先生たちは電話や家庭訪問で児童生徒と連絡を取りながら、教材研究など日ごろはできない仕事に集中しておられたかと思います。あとで大変なことになると分かった上での “ゆとり”ですから心安らぐこともなかったと思いますが、長い教員生活の中で、そんなふうに研究に打ち込めることは稀です。災い転じて福となす。今学期の経験が将来に生かされるといいですね。

 さて、学校の先生にとっては悪いことばかりではなかった1学期、子どもたちはどうだったのでしょう?


【学力のことは心配していない】
 私は学力のことはあまり心配してはいません。
「失った時間の分だけ詰め込み教育となるから、置いて行かれる児童生徒も多いはず」
とおっしゃる方もいますが、世の中の人々が心配する学力――算数や数学の問題が解けるとか、国語の読解力とか、あるいは社会科の歴史の流れだったり地域的な特徴だとかは、案外短時間で身につくものです。そうでなければ学校よりずっと時数の少ない学習塾や予備校の先生は仕事になりません。

 学習塾や予備校の先生は、子どもたちが平気で「塾の先生の方が教え方がうまい」というように、ある意味で公立学校の先生よりはるかにうまくやっています。それは塾の先生たちがエキスだけで勝負するからです。

 世の中には理科の実験に気を取られて、肝心の学習内容が抜け落ちてしまう子がたくさんいるのです。算数で、分数の割り算の構造について学び終えた瞬間にエネルギーが枯れてしまい、“割る数が分数の場合は、分母と分子をひっくり返してかければいい”という簡単な部分が意識から遠のいてしまう子もいます。
 1時間の授業の中で集中すべきところと緩めていいところのリズム感が悪く、先生のどうでもいい話ばかりを覚えて帰る子もいます。
 そうした子どもたちには、むしろ短い時間でエキスばかりを教える授業の方がはるかに向いている場合があるのです。一度やってみればその様子がよく分かります。

 ただしそんなふうに言うと、
「いや、それでは真の学力はつかないだろう」
とおっしゃる先生もいるかもしれません。それはその通りで、私も気にしています。


【今学期、子どもたちに話しておきたかったこと】
 いわゆる見えない学力――高い言語能力・豊かな人間性・好奇心・問題解決能力等々――はエキス中心の短時間教育ではつけることはできません。だから義務教育だけでも9年間も必要になります。
 今回のコロナ禍で失われる“見えない学力”のための時間は9年間の学習のほんの一部で、コロナ事態が終わってから修復可能な範囲とも言えますが、今でないと難しいこともあります。

 例えば、今は世界中が自国のコロナ対応に夢中で、海外の状況など気にしていられませんが、実はこうしている間も、世界は大きく動いているのです。

 先月(6月)の16日に、北朝鮮の開城にある南北共同連絡事務所が北朝鮮軍の手によって破壊されました。この事件が小中学校の授業で扱われることはまずありません。しかし担任の教師が朝の会で、あるいは社会科の教科担任が授業の冒頭で、ひとこと触れるだけで生徒数400人の学校の一人くらいは反応するかもしれません。好奇心をくすぐられ、調べてみようという子が一人でも出れば、それで十分です。

 新型コロナの発生源である中国は、ここのところ海洋進出が激しくて、海警局の船は繰り返し尖閣諸島海域を侵しています。しかしそれ以上に問題なのは香港でしょう。香港で何が起きていてこれからどうなっていくのか、あの若者たちは何をしているのか、香港の大人たちはなぜ若者を止めないのか、そういうことも機をとらえて子どもたちに知らせておきたいことでした。

 今回のコロナ事態で大きな犠牲を払った国のひとつはスペインです。私は日本の状況とともにスペインもずっと追ってきましたが、二つの国の感染者数をグラフにして並べると次のようになります(左がスペイン、右が日本)。
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 あちこちのサイトで見られるのとほぼ同じで、スペインが日本のように第2波に向かっていきそうな雰囲気がよく窺えます。しかしその現実的な意味はまったく違うのです。

 上のグラフでは縦の軸の目盛りはスペインの最大値が10000であるのに対し、日本は1400です。これをともに10000で合わせると次のようになります。
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 だいぶ雰囲気が変わってきます。

 さらに感染者数ではなく、死亡者で目盛りをそろえたグラフをつくるとこうなります。
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 日本の方がマシだとか、日本は大したことがないという話はありません。ここ6カ月あまりの間、スペインはこれほどの苦しみと死と、悲しみに耐えてきたということです。
 具体的事実としてはほとんど報道されてきませんでしたから、私たちはその苦しみも死も悲しみも知らないのです。すべての国の国民が自分たちのことで精いっぱいで、他国のことを顧みる余裕がありません。
 それが今回のコロナ事態の、最も恐ろしい一面です。他人を思いやることがまったくできなくなっている、その隙を縫って利権を拡張しようとする国々もある、それなのに私たちは何の対応もしていない――。


【当たり前のことが実は大変だと教えたい】
 人を思いやる、他人の心の隙をつくようなことはしてはいけない――そういったといった当たり前のことが、実は大変な努力と忍耐の上に成り立っていたのだということを、今こそ教える時です。そしてこんな時だからこそ、敢えて私たちは自分以外のものにも目を向けていなければならない、そういうことも教えたい――。
 しかし時間はあまりにも不足し、そんなことをやっている暇はないのです。

 今年の夏休みはとんでもなく短く、2学期の準備も十分にできないかもしれません。しかしその間も、このコロナ禍の中で失ったものは何か、それをどこでどう補っていくのか――そういう観点で見直しておくことも必要なのかもしれません。

*「アフター・フェア」も夏休みでしばらく充電期間を置きます。再開は8月17日を予定していますが、いつもの通り、その前に出てくることも、何回かあるかもしれません。
 新型コロナにも熱中症にも夏バテにも気をつけて、短い夏休みをお過ごしください。



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2020/7/30

「校則はこうして変える(その3)」〜東京都議会ツーブロック問題F  教育・学校・教師


 この校則は変えてもいいと学校側が腹をくくったら、あとは簡単だ。
 進む方向ははっきりしている。
 しかしその手続きまで簡単にしてはいけない。学校は学びの場だ。
 さらにそこまでして生徒が手にできる成果は、実はほろ苦い。

というお話。
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(「東京都庁」 フォトAC より)

【校則改正いよいよ始まる】

 職員会議を通過して校長の許可も出たら、あとはある意味簡単です。
 “ある意味”と言ったのは校則改正までの流れとしては一直線だからです。しかしその手続き自体は簡単ではありません。なぜなら池川東京都議のおっしゃる通りこれは、
「校則は大人によって変わるものでなく、子どもたちの意見を聞いて変わっていくものだと伝えること」
「今あるルールを受け入れることが全てではなく、ルール変えていくこともできるのだと議論」

することが目的だからです。
 署名を集めて持って行ったらすぐに変わったでは何の学びにもなりません。さらにそんなに簡単なことならと、ピアスだのタトゥーだのと次々と署名運動が始まっても困ります。そこで次のような手順を踏みます。


【校則改正の手順】
 校則改正までの道のりはおよそこんなふうになるはずです。
@集まった署名を生徒から校長に渡す。
 校長は検討することを約束する。
A学校長より、生徒会で話し合うように指示。
B校則改正委員会を立ち上げる。
 既存の生徒会組織を用いてもいいが、本来業務があるため別委員会を設置する。
 これは校則改正に積極的な生徒を多く取り込むことによって、学校側との意思疎通をしやすくするためという意味もある。
C第1回校則改正委員会(今後の活動の進め方)
D第1回生徒アンケート(本当に改正したいと思っているか、ツーブロックを許可しても大丈夫か等)
E第1回保護者アンケート(ツーブロックは許可されてもいいか、ツーブロックに対するイメージ等)
F第1回公聴会(ツーブロックを禁止している学校側の意見を聞く)
Gアンケート及び公聴会の結果に基づいて、校則改正に関する学級会を行う。
H学級会の結論を持ち寄っての校則改正員会。
 問題点があれば再度学級会へ(この過程を納得がいくまで繰り返す)。
*C〜Hについては、必要な限り何回も行う。
I校則改正のための生徒総会。議事が尽くされたところで採決。
 賛成多数なら結果を校長に伝える。
J職員会議で確認の上、校長より校則改正委員会にツーブロックの許可を伝える。
K生徒総会にて校則改正委員会より報告。校則が改正される。

 ここまで丁寧なことをやると、必ず改正に懐疑的な生徒の意見も出て来ます。子どもは真剣に考えさせれば私たち以上に保守的な結論にたどり着く場合もあるのです。話し合いが話し合いらしくなります。

 過程が最後まで行かず、「やはりこれはやめておいた方がいい」といった方向に進むこともあります。そうなればもちろん廃案で構いません。改正委員会にはたくさんの推進派が入っていますから納得は得やすいところです。

 早い段階で、PTA総会などの機会に校長から保護者へ、丁寧な説明をしておく必要もあります。ある意味でこれが最も重要な手続きかもしれません。保護者の中にも「ツーブロックなんてとんでもない」という人は必ずいます。美容院に行く回数の増える髪型ですから、経済的な面でも心遣いが必要でしょう。
 いずれにしろ1年がかりの大仕事です。焦らず、注意深く、じっくりと進めましょう。きっとうまくいきます。


【この校則改正は欺瞞だ!】
 さて、実はこの話には大きなトリックがあるのです。
 それはこうして苦労してようやく成立した校則改正の恩恵に、3年生はまったく浴せないということです。1年かかりますから。
 校則が改正されたころにはもう卒業です。

 それを見越して2年生の内から(1年生の内から)というのも理屈上は考えられますが、そんな話は通りません。上級生は“自分たちが我慢してきたことを下級生が我慢しないで済む”といった話は大嫌いなのです。下級生からそんな提案があったらすぐに潰してしまいます。別に呼び出して脅す必要もありません。ただ冷たい視線を送るだけで下級生は理解するに決まっています。

 私にそそのかされてツーブロック規制廃止のために戦った生徒たちも、敢えて受験勉強の最中にツーブロックであちこち出歩かない限り(そんなことをしたらたいていはバカにされますが)、楽しむ時間はわずかです。
 あれだけ面倒くさいことを頑張ったのですから、そこで得られた成長は小さなものではありません。また、校則改正というそれまで誰もやらなかった仕ことを成し遂げた達成感も尋常ではないでしょう。それらを胸に、彼らには堂々と卒業していってもらいましょう。ただそれだけではかわいそうですから、私が必ず“誇り高い卒業”を演出します。
 楽しみにしてください。


【事後の問題】
 ところで、私は校則の改正の仕方を生徒に教えましたが、だからと言って生徒が次々と真似をしてピアスだのヘアカラーだのといった新たな問題を持ち込んでくることはありません。ツーブロック規制廃止がどれほど大変だったかよく見ていたからです。さらに改正を成し遂げたところで、成果が自分のものにならないことも見ています。

 ツーブロックを許したことで、タガが緩んで学校全体が荒れたりしないか――それは私たちが頑張ればいいことでしょう。指導の最前線が少し下がったわけですから、多少の緊張は必要です。しかしツーブロック自体はどうということはありません。

 大昔のギャルメイクのような“子どもがつくった子どもの文化”なら別ですが、ツーブロックという“大人がつくった大人の文化”は、中高生のレベルまで降りてくるころにはすでに寿命が尽きているのです。池川東京都議のいう「大人の世界ではツーブロックは非常にスタンダードな髪型です」が本当ならブームもそろそろ、中高生が真似したがるのもあと2〜3年というところでしょう。流行は移ろいやすいのです。

 今回のコロナ禍のために授業時数が大幅に不足しているというのに、学級会やら生徒総会やらずいぶんと時間を潰してしまいました。
 その責任は池川都議にお願いすることにします。

(この稿、終了)

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2020/7/29

「校則はこうして変える(その2)」〜東京都議会ツーブロック問題E  教育・学校・教師


 手順を間違えた。
 まず学校側を説き伏せて、校則改正を「やってもいいこと」に転換しておく、
 生徒をそそのかすのはそれが終わってからだ。
 しかしその下準備がなかなか難しい。

というお話。
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(「東京都庁」 フォトAC より)


【訂正します】
 昨日は勢い余って間違ったことを書きました。
 生徒をけしかけておいて、あとから校長先生の所へ行くというようなことはあってはいけません。手順前後です。

 「校則を改正してツーブロックを認めてもらおう」などといた署名運動が始まってから校長のところに行き、そこで一喝されたらおしまいです。良くて私が教師・生徒の双方から信用を失い、悪ければ生徒が校内で正当性を主張して大混乱です。
 最初から子どもの要求を聞き入れる気がないなら、意見など聞いてはいけないのです。
 「生徒に自由に考えさせていいのは、どちらに転んでもいい話だけ」
 それが鉄則です。だとしたら「生徒寄りのいわゆる“理解ある教師”」である私が最初にすべきは、ツーブロック問題を「どちらに転んでもいい話」に転換する仕事です。


【どちらに転んでもいい話の下準備】
 もちろん前提となるのは生徒の間にツーブロックへの希求が高まっていることです。何もないところに波風を立てることはありません。

 それがあってしかも欲求不満が高まっている様子を確認してから、動き始めます。生徒を後押しして校則を変えることを志すなら、まず休憩時間や放課後の教員同士の雑談の中で先生方の意向を探っていきます。
 もちろんその間に、
「そろそろツーブロックくらい許可してもいいんじゃないかな、ウチの生徒たちはきちんとしているし」とか、
「成人年齢も引き下げられることだし、指導のハードルを下げることも考えなくてはいけない時期かもしれませんね」
といったふうに暗示をかけておくのもいいかもしれません。

 この段階で先生たちの感触が悪すぎたら、職員会議で校長先生の御下問があってもその先がありませんから話はボツです。多少やっていけそうな感じがあったら、ここでようやく校長室に行くことになります。

 昨日お話ししたように、校長先生によっては瞬殺で終わりにしてしまう方もいらっしゃいます(私だったらそうです)。しかし多くは生粋の民主主義者ですから「職員会議で先生方の意見を伺ってからにしましょう」ということになります。
 そこで副校長(教頭)先生のところに行って職員会議の議題に入れてもらい、私自身は資料作りに励みます。
 
 そもそもツーブロックがどんな髪型か知らない先生もおられますから、写真資料も用意します。近隣の学校の許可状況、禁止のままにしておきたい側の考え方、許可してほしい生徒側の意見、可能な限り集めた保護者の様子、等々。ここでは都議会で議員の質問があり、教育長が突っ張り切れなかったことも有力な情報となるはずです。

 さて、そんなふうに始まった職員会議でも良い流れがつかめたとします(ずいぶん都合のいい話ですが)。
 積極的に許可しようといった教員は多くないと思いますが、「まあ、いまどきのことだから、やむをえないかな」くらいの感じになったら大成功です。しかしだからといってすぐに校長先生がOKを出すことはありません。教育委員会や校長会の意向も探っておかねばならないからです。

 つまらない横並びだと言わないでください。これが結構大切なことなのです。


【横並びの理由】
 学校で一番重要な価値は「平等・公平」です。
「運動会で、みんなで手をつないで一緒にゴール」といった都市伝説がまことしやかに語られるように、日本の学校は「平等・公平」が大好きです。しかしそれは日本社会の意思の反映で、何も学校が先走ってのことではありません。

 この国の小中学校には落第はおろか飛び級すら認められる雰囲気がありません。同い年の子は同じ学年でなければならないのです。成績別学級編成だって抵抗が強すぎて実現できないくらいです。
 やることなすこと、見てくれも態度も、大枠で同じであることが求められます。そして教師に求められるのも絶対的な”平等・公平“です。
 暴力教師は生徒から恐れられることはあっても嫌われるとはありません。しかしエコヒイキする教師は確実に嫌われます。
 
 日本の学校教育は、北は北海道択捉島から南は東京都沖ノ鳥島まで、まったく同じ教育が行われているという擬制の上に成り立っています(両方とも日本の学校のない島ですが)。
 同じ市内でN中に行けばエリート教育が受けられる、F中に行ったら終わりだみたいなことだと困るのです。実際には荒れた中学、落ち着いた中学、なぜか学力の高い中学、なぜか低い中学とさまざまですが、基本的には同じだという擬制を守っておかないと人々が動き出し、たいへんなことになってしまうからです。

 ですから“ウチの生徒はしっかりしていて学校全体も落ち着いているから少しぐらい校則を緩めてもいい”という学校があっても、簡単に規制を緩めることはできません。開いた風穴に、ぎりぎりのところで生徒指導をしているような学校の生徒が突っ込んできます。
「K中が許可しているのになぜボクたちはダメなんですか!?」

 まさか“K中の生徒はいい子だからいいが、オマエたちは悪い子だから許可できない”と、本当のことを言うわけにはいきませんからその学校は切羽詰まります。
 たかが髪型程度のことで他校に迷惑をかけ、あとで江戸の仇を長崎で受けるのも損です。あまり出しゃばったことはしたくない――。
 もちろん、だからといって必ずしも全市共通となるわけではありませんが、一応ようすを窺うくらいはしておかねばなりません。


【ようやくスタートラインに】
 そうした関門をすべてくぐって、校長先生からも、
「まあ先生方もそれでいいという方向だし、市の方も問題なさそうだから話を進めていいよ。ただし何でもかんでも簡単に変えられるっていうふうにはならないようにね」
といったお墨付きをもらい、ようやくスタートです。
 生徒をそそのかしていいのはここからです。
《やっと昨日の最後の場面までもどって来られました》

(この稿、続く)

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2020/7/28

「校則はこうして変える(その1)」〜東京都議会ツーブロック問題D  教育・学校・教師


 池川東京都議は「校則は換えていける」とおっしゃった、
 それは間違いではない。しかし簡単なことではない。
 東京都の条例だって予算の枠組みだって、そう簡単には変えられないだろう。
 校則だって同じだ。変えるためにはそれなりの手続きが必要となる。
 それはこんなふうにやるのだ。

というお話。
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(「東京都議会1」 フォトAC より)


【ルールは換えられるが容易ではない】
 池川東京都議は3月の予算委員会で、都立高校の多くが髪型の規制をしており、特に大人社会では一般的なツーブロックが禁止されていることに異議を申し立てました。のちにこの質問の趣旨について、
「校則は変えていけると知っていただきたい。今あるルールを受け入れることが全てではなく、ルール変えていくこともできるのだと議論になればと思います」
とおっしゃっています。しかし校則を変えるのはそう簡単なことではありません。東京で条例を改正するのが大変なのと同じです。

 条例改正を試みるには、まずそれが価値のあることだ、必要なことだと証明する必要があります。その上で都民が納得できるもの、受け入れ可能なものであることもはっきりさせなくてはなりません。理念的あるいは論理的にどれほど価値のあるものであっても、都民が支持しないとできないでしょう。どれほど立派な提案であっても、議案として提出したとたんにそっぽを向かれるようではダメなのです。
 校則も同じです。


【作戦会議@――多数派工作】
 私が私でなく、もっと生徒寄りのいわゆる“理解ある教師”で、しかもツーブロック禁止を変えたがっている生徒に力を貸そうというなら、次のような手順で改正を試みると思います。

 まず当該の生徒を呼んで作戦会議をします。
「校則改正というのは容易ではない。まず、オマエたちの熱意が本物であることを確認したい。
 オレも職員会議で並みいる先生方を向こうに回して、ツーブロックを許可しても何の問題もないこと、オマエたち生徒が今まで通りきちんと生活すること、一般的なツーブロックの枠を越えてとんでもない髪型にする生徒は簡単には出て来ないことなどを、偉そうにブツ以上は途中でハシゴを外されても困る。
 あとで“こんなに面倒ならボクたち辞めます”と言い出すくらいなら、今のうちに引っ込めてほしい。どうだ?」

「第二に、これがごく一部の生徒の我儘な言い分だとなると絶対に通らない。例えば生徒総会にかける段になって、『ツーブロック許可に賛成の者は手を挙げて』とやったら全校の四分の一も挙がらなかった――そんなことになったら、オマエらも恥ずかしいと思うけどオレも立場がない。
 いいかい、この問題は少なくとも女子にはほとんど関係ないんだよ。野球部や卓球部の丸坊主の連中だって許可が出たところでツーブロックにするわけがない。つまり半分以上の生徒にとってはどうでもいい話だ。『賛成の者は手を挙げて』と訊ねても『反対の者は手を挙げて』と訊ねても、どっちみち少ししか手の挙がらないそういった性質のものなのだ。
 いやいや、だから諦めろと言っているのではない。説得しろということだ」

「ただそうなると全校生徒が相手だから大変だぞ。クラスの仲間は義理で賛成票を入れてくれるかもしれないが、他のクラスや低学年だとままならない。時間も手間もとんでもなくかかる。

 え? 他のクラスにも賛同する仲間がいるって?
 それはいいことだ。まずそいつらを糾合することだ。あ、しかしクラスの中である程度人望のあるヤツじゃないとだめだよ。オマエみたいに皆に好かれているヤツなら同級生も協力してくれるけど、教室の嫌われ者だったりバカにされているようなヤツだったりするとかえって逆効果だ。アイツの言うことなら絶対に賛成したくないなんて変な団結をされても困る。人気者でなくてもいいが、“まあ、コイツが真剣に頼んでくるのだから手を挙げるくらいはいいかな”と思えるくらいの、あるいはそれ以上の生徒でないと先がない。そのあたりの人選は丁寧にしてくれ」


【作戦会議A――大義が大事】
「そしてこれが一番大切なことだが、校則を変えるには大義がいる。“ボクがツーブロックにしたいから校則を変えてほしい”では話にならんだろう。ここは一番『表現の自由』と『自己決定・自己責任』の問題として扱っていく。
 簡単に言えば、もう高校生にもなって(中学生にもなって)きちんと自己判断・自己決定できるのに、髪のかたちまでとやかく言われるのはおかしい。これは“自分の在り方は自分で決める”という『表現の自由』の問題であり、責任は自分で取るという『自己責任の問題』なのだ。いつまでも子ども扱いでは困る、子ども扱いされている限りボクたちは大人になれない、責任を取らなくて済むのだから、とそういう趣旨でやるんだな。
 まず、仲間を募って、それを核として全校に呼びかけ、署名を集める、そこから始めてみよう。くれぐれも言っておくけど、大義が大事だよ。署名してくれと言えばたくさんの人が書いてくれるけど、いざというとき、例えば生徒総会の議決のとき、そんなハンパな賛同者は何の役にも立たないからね」


【教師は本丸を攻める】
 一方、私は私で職員の説得に当たらなくてはなりません。
 しかし池川議員もおっしゃっていますが、最終的に校則を決めるのは校長の権限です。職員会議も議決機関ではなく校長の諮問機関のようなものですから、本丸を抑えておかないとどんな努力も一瞬にして水泡に帰します。
 そこでいきなりトップの折伏、もしくはご意向伺いということになります。校長先生は受け入れてくれるでしょうか?

 ここはもう校長先生のお人柄次第というしかありません。だたし、たいていの教師は民主主義者ですしそのなれの果て(?)の校長先生も多くが民主主義者ですから、「とりあえず先生方の意見を聞いておいてくれ」といったところに落ち着きます。つまり職員会議の議題にしていいということです。

「私が私でなくもっと生徒寄りのいわゆる“理解ある教師”だったら」という前提で始まった話ですから、ここも都合良く、理解ある校長先生だったということにして話を進めましょう。
「そんなのダメに決まっているだろう」と一蹴してしまう(本来の私のような)校長先生は案外少ないのでムチャな設定ということにはなりません。

(この稿、続く)


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2020/7/27

「子どもに任せられるのはどちらに転んでもいい場合だけ」〜東京都議会ツーブロック問題C  教育・学校・教師


 皆で話し合いをすれば必ず良い答えにたどり着くというのは幻想だ。
 特に未熟な子どもたちに任せれば、議論はどこへ向かうか分からない。
 さまざまなものの見方、社会のありかた、少数意見を大切にすること、
 もの言わぬ人の気持ちに心を寄せること、わがままを抑え全体との調和を計ること、
 話し合いの前提となるこれらすべては、
 いま、まさに話し合いを通して学習中だからだ。

というお話。

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(「東京都議会堂」フォトAC より)


【話し合いは必ずしも確実な解決の方法ではない】
 話し合いは民主主義の基本ですが、どんな問題も話し合いに付したら正しい結論、良い答えにたどり着くと考えるのはあまりにもお人よしです。

 国会をごらんなさい。
 話し合いのプロ中のプロでそれが最大の仕事であるはずの国会議員でさえ、しばしば議事を放棄したり同じ質問を繰り返して時間を稼いだり、与党が数を頼んで勝手に話を進めたり強行採決したりと、とてもではありませんが話し合いのお手本というわけにはいきません。
 地方議会も同じ、住民説明会における話し合い等もみな同じです。それに比べたら会社の企画会議の方がよほどうまく運びます。

 なぜ議会や住民説明会はダメなのに企業の企画会議はうまくいくのか?
 答えは簡単で、企画会議の場合は参加者に力関係があるからです。「何やかや言っても最後は役員会が決める」といったタガがあって、その枠の中で話が進むから楽なのです。煮詰まったらそこに逃げ込めばいい。役員たちは自己の意思を押し通すことができるわけですが、その代わり責任も取ることになります(取らない人もいるかもしれませんが)。

 議会も、「何やかや言っても最後は与党が決める」みたいな面もありますが、それでも与党がゴリ押ししても、野党が早々に諦めても、次の選挙に響きますから自ずと節度は生まれます。しかし学校の、あるいは教室内の話し合いというものはそうは行きません。


【しかし学級会は完璧なものでなくてはならない】
 学級会は、議会のように発言すること自体が仕事で、黙ったままだと次の選挙に差し支える人ばかりで構成されているわけではありません。また、企業の会議のように背後に昇進や賞与がちらついているわけでもありません。もちろん住民説明会のように“モノ申したい”人ばかりが出席してくるわけでもないのです。
 とりあえず“参加者全員が意見を持っている”ということがありません。全員に関心のある議題というものがないからです。

 例えばツーブロック是か非か――。この問題については、少なくとも女子の大部分はどうでもいいと思っています。男子でもファッションに興味もない子はいますし、丸坊主が当たり前だと思っている野球部の子などは、むしろ反感を持ちます。
 文化祭の学級展示は何にするか――“学級展示などという面倒なことは、そもそもやめてほしい”が本音の子はたくさんいますから基本的にはどうでもいい話です。
 席替えをどのように行うか――。これだとグッと体を乗り出してくる子は増えます。しかしそれすらどうでもいい、隣の子が誰だってかまわないという立派な子も少なくありません。

 議題に深刻さがないからといって、しかし学級会を中途半端に始めて中途半端に終わらせることもできません。なにしろ民主主義の訓練が主眼ですから、常に真剣なものでなくてはならないのです。
 全員が関心を持つこと、大多数が意見を持ち、できるだけ多くが発言に結び付けて結論はクラスの総意であるという形に持ち込むこと、それが果たされなくてはならないのです。

 また、いったん始まった話し合いは雲行きが怪しくなったからといって途中で割って入り、「ハイ! ここまで。変な結論になりそうなので打ち切ります!」などということはできません。そんなことをしたら“民主主義も強権に屈しなくてはならないことがある”と教えるようなものです。小学校の低学年ならまだしも、高学年以上の子どもは二度と話し合いなどしてくれなくなります。言ってもダメなら言わないに越したことはありません。


【結論は初めから決まっている】
 そこで担任は話し合いの前にさまざまな仕掛けをします。その議題がいかに重要な問題か――ツーブロックならそれがファッションの問題ではなく、表現の自由とか学校の秩序とかに関わる重要なテーマであることをしっかり理解させてから始めるのです。

 しばしば“いじめ”について、保護者もマスメディアも「子どもたち同士で話し合ったらどうですか」などと言いますが、生々しいクラスのいじめ問題を不用意に議題に乗せれば、あっという間に被害者がなぶり者になる大糾弾大会、もしくは人民裁判になりかねません。
「被害を訴えている子が反省し、真剣に態度を改めればいじめられずに済むのだから、まずその子が変わることが大切」
 そんな結論でいいはずがないでしょう?
 いじめに関する話し合いの結論は、「いかなる理由があってもいじめはしてはいけない」だけです。「ケース・バイ・ケースでやっていい場合もある」とか「正しいいじめもある」でもいけないのです。

「子どもが子ども自身で決めた結論は絶対」が原則である以上、担任は全力で情報収集をし、前もって道徳の授業などで生徒の心を何度も耕し、
「ああこれでどんな大逆転があろうとも、最後は『いま、目の前のいじめ問題を解決し、いじめのないクラスをつくろう』という結論になる」
 そう確信を持って初めて、話し合いの俎上に乗せることができるのです。


【子どもに任せられることはどちらに転んでもいい場合だけ】

 いい加減な準備のまま子どもたちに話合わせていいことは、どちらに転んでもいい場合だけで、重要な課題は常に慎重に扱わなくてはなりません。

 修学旅行の見学先、最後のひとつは金閣か銀閣か――は話し合いになります。訪問地として価値に大差がないからです。
 しかし旅行そのものを奈良・京都にするかディズニーランド・ディズニーシーにするかは議題となりません。それを議題とするには、学校側に目的自体を変えてもいい、ディズニーランドでも構わないという腹積もりがなくてはならないのです。

 校則に関する話し合いも同じです。
 池川東京都議は「校則は大人によって変わるものでなく、子どもたちの意見を聞いて変わっていくものだ」などとおっしゃいますが、意見を聞いた上で握りつぶすのは、先ほども言ったように最悪手です。
 意見を聞かれれば十分の一あるいはでも百分の一なりとも実現する可能性があると考えるのが普通です。それを無碍に踏みつぶすなら、最初から聞いてはいけないのです。それが教育の鉄則です。

(この稿、続く)


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2020/7/22

「大人と子どもは違うだろう」〜東京都議会ツーブロック問題B  教育・学校・教師


 大人の世界ではスタンダードだからといって、
 それで子どもにも許されるべきだというのはおかしだろう。
 校則を決めるときは、子どもの意見も聞くべきだといったもっともらしい意見も、
 よく考えてみよ、そこには大きな落とし穴があるぞ。

というお話。
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(「夜の都議会議事堂前」 フォトAC より)


【もう一つの、校則の重要な機能】

 先週の「キース・アウト」で扱ったBazzFeedの記事『事件に遭うからツーブロック禁止? 都立高校の校則に「意味不明」「データはあるのか」と批判殺到』について続けて書いています。

 昨日は「校則はくだらなければくだらないほどいい、そのくだらない部分で戦っている間は重大な事故は起こらない」という視点からお話をしました。しかし校則――特に服装やアクセサリー・髪型に関する校則には「心のサインの発生装置としての機能」という重要な側面もあり、これについて理解しておく必要があります。
 だたしこの件はつい昨年の9月に「心のサインの発生装置」という形でお話ししたばかりですので、そちらを参考にしてください。
  2019/9/5「心のサインの発生装置」〜校則の話C


【大人と子どもは違うだろう】
 さて、BazzFeedで紹介された東京都議会の池川議員の発言には気になる部分がいくつもあるのですが、そのひとつは議員の基本的な考え方に、「大人社会で定着しているものは子どもの社会でも許されるべきだ」と言ったものがあることです。

 例えば、
 大人の世界ではツーブロックは非常にスタンダードな髪型です。清潔感のある髪型と言っても良い。そうであるにもかかわらず、学校では禁止されています。
 あるいは、
 文科省は最終的に校則を決めるのは校長の権限であるとしています。ですが、会社であれば社長が最後に決めるとしても、その過程でいろいろな意見を聞くのではないでしょうか。校長が一方的に校則を押し付けて良いということにはなりません

 こうした発言が私の目に留まるまでの間に、東京都議会のすべて議員の心のフィルターを通過し、記者のフィルターも編集長のフィルターも通って、さらに幾百万の読者の心のフィルターも通過して、どこにも引っ掛からなかったことに驚愕します。
「いや、大人と子どもは違うだろう」と、誰ひとり思わなかったのでしょうか?

 大人社会で一般的になっているもの――外見に限っても、ピアスやイヤリングはすぐに思いつきます。髪を染めるのも、化粧をするのも、もはや男性であってもかなり一般的でしょう。女性のハイヒールやパンプス(どう違うんだ?)、男性の高級腕時計、それらも当たり前です。
 しかし学校では許されていない。

 逆に家を出るところから制服という企業もそうはないでしょう。たいていは私服で出勤して職場で着替え、帰りも制服は職場に残して私服で帰るのが一般的です。もちろんスーツが制服替わりというサラリーマンもいますが、必ずしも通勤をスーツでする必要はありません。実際にスポーツバイクで通勤するような人たちは、職場で着替える人も多いのです。
 それなのに制服のある学校の中高生は制服で登校することが強制されています。

「大人社会で定着しているものは子どもの社会でも許されるべきだ」が原則なら、それらはすべて反していると言えます。しかしそうではないでしょう?
 大人と子どもは違うのです。

 子どもは未熟であって、それゆえに養育され、教育されるべき対象とされます。また同じ理由で社会的から守られ、多くの苦役から解放されています。
 子どもは子どもゆえに自分の現在や未来についてすべて自由に決めることはできません。その代わり責任からも一部免除されているのです。
 したがって大人社会でスタンダードであることでも、子どもに許さない場合が多々あるのです。


【議会の話し合いと学校の話し合いも決定的に異なる】
「校則は大人によって変わるものでなく、子どもたちの意見を聞いて変わっていくもの」
というのもよくある誤解です。

 池川議員は
文科省は最終的に校則を決めるのは校長の権限であるとしています。会社であれば社長が最後に決めるとしても、その過程でいろいろな意見を聞くのではないでしょうか。校長が一方的に校則を押し付けて良いということにはなりません
とおっしゃいますが、社規社則を改めるのにいちいち社員の意思を訊ねてから行っているという話は、寡聞にして聞いたことがありません。
 しかしあるとしても、それは企業の構成員が大人であり全体が目的集団であるから可能なことなのです。そこには言わなくても「企業収益を上げてしかも社員の福利厚生に資するうえで是か非か」という条件がついていて、人々はその範囲でものごとを考えようとします。
 ところが学校は、同じ年度に生まれた同い年の子が、同じ地域に住んでいるというだけの理由で寄せ集められた非目的集団です。物事を考えたり判断したりする共通の基盤がないのです。

 ですから「ツーブロック是か非か」といった話をいきなり議論の遡上に乗せると、あっという間に「是」で決まってしまいます。大部分の子どもたちにとってツーブロックは「どうでもいい類の話」だからです。
 ツーブロックにしたい子は是。したくない子やどうでもいい子も、敢えて反対する理由もないから「是」。それで終わりです。

 これはおそらくピアスでやっても茶髪でやっても同じでしょう。稀に「やはり学業の場である以上は、華美な服装や髪型、アクセサリーはいかがなものか」という正論を訴える子もいるかもしれませんが、少数派なので議論の場では無視。終わった後で陰で推進派にいじめられるだけです。

 実は学校における話し合いというのは東京都議会や国会とはまったく違った方式で行われているのです。
 そのことについて、教員以外の人々はほとんど気づいていません。

(この稿、続く)

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