2020/6/30

「パリの空の下、糞尿は流れる」〜ベルサイユ宮殿とふんどし@  政治・社会・文化


 かつてのパリは王宮も街も糞尿だらけだった。
 人々は糞尿を避けて歩き、
 糞尿から身を守るためにさまざまなものを発明した。
 しかしそれは道徳心の問題ではない。
 要するに、それでよかっただけのことだ。

というお話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「ベルサイユ宮殿」フォトACより)

【ベルサイユの壺】
 ベルサイユ宮殿にはトイレはなかったという話はあまりにも有名です。しかし実はあった、数は少ないがあることはあったという話も同じくらい有名でしょう。より正確に言えば、王の部屋の近くには個室のトイレがあって立派な椅子式便器が置かれており、宮殿内のあちこちには273個もの移動式便器があったというのです。現在のポータブルトイレとよく似たもので、衝立の陰などに置いて使ったもののようです。

 ただし常時1000人もの王侯貴族と4000人もの召使たちが出入りしていましたから、場合によっては足りず、そこで活躍したのがポットみたいなオマルでした。その数2000個といいます。

 なるほどとも思うのですが、こうした話は鵜呑みにしてはいけないのであって、5000人が出入りする宮殿に移動式便器とオマルで計2273個はやはり多すぎるのです。移動式は王族専用、オマルは貴族や召使たちのものと、そんな区分けでもあったのかもしれません。あるいはそもそも、男たちは外に行ってやって来ればいいのですからオマルすらいらないのです。そんなふうに考えていくと、特別な場合(例えば男性の“大”の場合)を除いて、移動式やオマルは基本的に女性が使用するものだったのかもしれません。

 しかし衝立があるとはいっても個室のない場所で、女性はどうやって用を足したのでしょう?
 そこで活躍するのが、あのバカみたいに大きく広がったスカートです。フープスカートというようです。中にフープ(輪っこ)を重ねた提灯の骨のみたいな構造物が入っていて、裾からオマルを入れてそのまましゃがむと、うまく折りたためる仕組みになっているのです。用が済んだらオマルを召使に渡して終わりです。

 召使はそれをどうするのかというと(移動式便器の中身も同じなのですが)、宮殿の庭に持って行って、適当なところにポイ捨てしたのです。前述のとおり男性は最初からそこに行って用を足していますから、着地点は一緒です。しかし(ここからが眉に唾をつけて聞くところなのですが)召使が不良だと庭に行くのも面倒くさがって廊下の隅に捨ててしまう。男性貴族や男性の召使も不良だと廊下の隅でやってしまう。そこで当時のベルサイユ宮殿はものすごく臭かったという話が出てくるのです。


【パリの空の下、糞尿は流れる】
 王宮ですらその有様ですから庶民となるとさらにひどい状況です。
 トイレなんかなくてオマルでの用足しは同じですが、庶民の場合それを2階の部屋から道路に投げ落とすのです。いきなり投げ捨てて直接ひとにあたってはいけないので「捨てます!」とか「水に注意!」とか言ったらしいのですが、その声が聞こえると道を歩いていた人たちは一斉に道路中央から飛びのかなくてはなりません。当時の民家の二階は歩道部分に張り出していましたから、その下に潜り込むと比較的安全だったのです。

 さらに商店――特にレストランなど食べ物関係のお店は軒先にサンルーフを出して防御、女性は日傘をさして街を歩きました。シルクハットだのマントだのもみんな汚物から身を守るための道具だったという説もあるくらいです。そしてこの件に関する最大の発明品は、ハイヒールだと言えるでしょう。

 できるだけ汚物に触れる面を少なくして靴を汚さず、家に糞尿を持ち込まないようにしたい――そういった願いから、まず男性が踵を高くし始めました。それをファッションとして王や貴族が真似し、やがて女性の元へ降りてきたのです。よくわかる話です。

 かつてのパリは、王宮も街も糞尿で満ち満ちていました。しかしそれではあまりにも不衛生だろうという話になるのですが、東京あたりで同じことをやれば不衛生でも、パリではそうではないかもしれないのです。気候が違うからです。


【フランスでは人間そのものが匂う】
 パリと東京を比べると夏の湿度(一般に使われている相対湿度)はさほど変わりないように見えます。しかしそれはパリの方が平均気温で5度あまり低いためで、絶対湿度(空気中に含まれる水分量)は東京に比べてずっと低く、さわやかな感じになります。東京のむっとした夏とは違って、かなり乾燥して過ごしやすいのです。
 これを糞尿レベルで言うと、放置してもすぐに乾いてしまい、風に吹かれてどこかへ消えてしまうということです。だからさほど不衛生でもない、そんなに気にすることもない。

 人間の話に戻すと、だから汗もあまりかきません。土やほこりが体に張り付くこともなく体も汚れない、だから風呂に入らない、とつながっていきます。

 パリはもともと水不足の町ですから簡単に水浴びとか風呂に入るとかいうわけにはいきませんでした。現在でもパリ市内で部屋を借りようとすると、一般人に手の届くアパートには風呂がない。基本的にシャワーだけで、温水タンクも小さいので二人以上が使うと2番目の途中から水になってしまうといいます。
 しかもそのシャワーを、フランス人男性の3人にひとり、女性の5人にひとりが週に1〜2回しか浴びないのです。それで一向にかまわない、気持ちも悪くありません。
 ただ、汗はかかないといってもまるっきりかかないわけではないので次第に体が匂い始めます。だからフランスでは香水が発達した、というのがこの話のオチです。

 フランス、フランスと言ってきましたがヨーロッパの街はどこも同じで、本格的に下水道をつくり汚水処理を始めるのは、産業革命で都市に大量の人間が流れ込んでもはや糞尿で街が埋め尽くされた1850年代以降のことでした。


【私もフランス人並みに汚かった】
 もっとも私には「フランス人は汚い、日本人はきれい」と偉そうに言えない事情があります。それは私自身が子どものころ、夏でも風呂は週2回、冬だと1週間に1回ないしは10日に1回しか行かなかったからです。
 パリ生まれではありませんが、内陸で夏でも湿気の少ない土地で生まれ育ちましたから、高校を卒業して東京で暮らすようになるまで、汗びっしょりになる経験がなかったのです。汗さえかかなければ体が汚れることも臭くなることもずっと少ないのです。

 小学校2年生のときにようやく家にテレビが入り、東京のホームドラマを見るようになりました。そこではびっくりすることがたくさんあったのですが、そのうちのひとつがサラリーマンの夫が帰宅したときに妻のかける言葉です。
「夕食とお風呂、どっちを先にします?」

 夕食と入浴が同じ頻度(つまり毎日)であるということに驚き、家に風呂があるということでまたびっくり。それ以来、東京は憧れの街になりましたが、実際に住むようになると湿気という点ではとんでもない街でした。

(この稿、続く)


にほんブログ村
人気ブログランキング
3

2020/6/29

「ぶどう酒が水になった話と都市封鎖」〜きちんと封鎖すれば、感染はすぐになくなるはずではないか?    政治・社会・文化


 ロンドンもパリもローマもマドリードも、
 あんなに厳しいロックダウンをしたのに、
 なぜ新型コロナウイルス感染は長引いたのだろう?
 それは日本でコロナ死が少ないこと以上に謎だ。
というお話。

クリックすると元のサイズで表示します
(「ロンドンの街並み」フォトACより)

【ぶどう酒が水になった話】
 大家さんの還暦のお祝いに店子一同で酒を贈ろうということになって、空徳利を回すから一軒一合ずつ入れて最後に大家さんのところに届くようにしようとしたのだが、大家さんが飲もうとしたところ徳利いっぱいの酒はいつの間にか水に変わっていた――そういう小話があります。昔聞いた落語の枕にあったものです。もちろん酒が変質したのではなく、店子それぞれが「自分のところ一軒くらいは水を入れても分からないだろう」と考えて全員が水を入れてしまったからです。

 この話、落語の枕に使われていたのは間違いないのですが、今回調べてみたらどうも元ネタは別にあって「ぶどう酒が水になった話」という外国の寓話のようなのです。それをどこぞの落語家がアレンジして自分の話の冒頭に持ってきたらしいのです。

 しかしその先がけっこう難しくて、グリムでないイソップでもないO・ヘンリーでもない、スペインのカタルーニャ地方の民話という話もありましたが根拠がない。
 ワインを贈られた相手も町を離れようとする偉い学者だったり、フランスの長寿のおじいさんだったり、ユダヤ教のラビだったりとさまざまです。
 道徳の教科書で読んだとか、いや国語だったとかいろいろな話がありますが、あちこちの校長先生が好んで講話の題材にしているのは事実のようで、検索にかけるといくつか拾えます。ただし分かったのはそこまでで、それ以上は何も出て来ません。

 こうした逸話の多様性というのはけっこうあって、ある著名人が酒席に遅刻しそうになって慌ててみすぼらしい普段着のまま会場に入ろうとしたら断られ、いったん家に戻って改めて盛装で出かけたらすんなり入れた、そこでその“著名人”は中に入るなり来賓席に自分の上着を掛け、自身は末席に座った。来賓として尊重されるのは服であって自分ではないからだ――そのようにして彼は外見で人を判断することの愚かさを示したという話があります。
 聞いてなんとも嫌味なことをする奴だなあと私なんぞは思うのですが、この物語の主人公は、私の知る限り、一休禅師であり沢庵和尚であり、エジソンでありアインシュタインであり、野口英世です。
 うろ覚えの話を断定的に書く人がたくさんいたのか違うと承知で確信犯的に作り話をしているのか分かりませんが、こうなるともう追求する気にもなりません。

 横道のそれました。話題にしたかったのは、「自分ひとりがずるいことをしたって大勢に影響はないだろうとみんながズルをすると、たいへんなことになる」という本質的な部分です。


【小武漢と大ダイヤモンド・プリンセス】
 中国の武漢でどうやら新型のコロナウイルス感染が起こっているらしいという話が出たのが今年の1月上旬。それから半年近く経ってさまざまな知見が共有されるようになってきました。
 例えば感染力がすさまじいということ、発症の前後がもっともウイルス拡散が激しいということ、特に若年層で無症状または軽症のまま終わる人が多いということ、感染から発症までは最長で2週間くらいで、軽症者はその期間内に自然治癒してしまうことも多いということ、等々。

 こういう知見を積み上げていくと、例えば感染の可能性がある一つの家族を完全に隔離して、重症者が出た場合は入院措置を取り、それ以外は放置するという方法を4〜5週間も続けるとウイルス感染はほぼ終わってしまうことが分かります。ウイルスをもつ人間が最初の2週間の最終日に別の家族にうつしたとしても、うつされた側が次の2週間内に入院するか自然治癒してしまうと、あとが続かないからです。
 もちろん4人家族のAが2週間目にBに感染させ、Bがまた2週間目にCに感染させといったリレーが続けば8週間もかかる理屈ですが、新型コロナの感染力を考えると極めて稀な例ということなるでしょう。基本的には2週間におまけの数日を加えれば、その家族は全員、安心な人々になるはずです。
 クルーズ船ダイヤモンド・プリンセスの乗客乗員はその理屈で2週間ものあいだ誰も下船させず、その後、乗客たちは公共交通機関で自宅に戻ったりしたのです。もちろん帰宅後発症した人もいましたが、乗員乗客が3700人もいたことを考えると、その程度は誤差みたいなものでしょう。

 日本でも緊急事態宣言が解除され、ヨーロッパの主要都市でも厳しいロックダウンが解除され、人々は清々しい表情で街に出てきていると言います。2カ月以上の蟄居生活からの解放ですからうれしいに決まっています・・・と、しかし私はここでふと思うのです。
 あれ? どうして2カ月なんだ? 2週間でよかったんじゃないか?


【イギリス人は独立不羈だ】
 ダイヤモンド・プリンセスの隔離が始まったとき、これを「小武漢」と表現する人たちがいました。裏を返せば武漢は「大ダイヤモンド・プリンセス」だったわけです。パリもロンドンもローマも同じです。だとしたらクルーズ船同様、2週間もロックダウンすれば感染者は劇的に減ったはずです。それなのに2カ月もかかってイギリスは現在も毎日1000人前後の感染者と100名を越える死者を出しています(日によってばらつきが多い)。
 いったい何が起こっていたのか――。

 おそらくこれには二つの要素があります。
 ひとつはヨーロッパ諸国の「ロックダウン」が、私たちが考えるほど厳しいものではかなったこと。例えばイギリスでは、「外出は原則禁止、企業は必要な場合以外は在宅勤務、外出禁止に違反した個人には罰金」ということになっていて、リモートワークの遅れた日本とは違ってみんな家でじっとしていたのかと思っていたのですが、「外出は原則禁止」の例外として、「買い出しや散歩は可」というのもあるのです。買い出しはともかく「散歩は可」となるとかなりゆとりが出て来ます。
 しかもBBCの「News Japn」を見ると、
「ロックダウンが始まって3回目の日曜日だった4月11日(*)には、公園やビーチへの移動は通常より37%減少していた」
といったことになります。(2020.04.20「イギリスのロックダウンで変わった6つのこと……外出、買い物、犯罪、大気汚染」 *4月11日は12日の間違いかと思う)
 日本人の感覚からすれば、「ロックダウンで37%減かよ」ということになりますが、それがイギリスです。人は簡単に政府のいうことを聞かないのです。それが第二の理由。

 3月の末にはイギリス首相の顧問が親せきの家に行っていたことが問題になり、数日後にはジョンソン首相自身が新型コロナウイルスに陽性となって入院してしまいます。ロックダウンの最中、人々は何をしていたのでしょう? 確かに、散歩と必需品の買い物以外で屋外に出ている人は少なかったでしょう。しかし屋内と言っても、自宅でじっとしていたかどうかは定かでないのです。
 「ぶどう酒が水になった話」が思い起こされる話です。

 ちなみに5月の大型連休中の日本の人出は各地で8割減でした。
NTTドコモによると、4日午後3時台の人出は、昨年の大型連休の同じ時間帯の平均と比べ、北海道・札幌駅が80・6%減、東京・新宿駅が84・8%減、愛知・名古屋駅が83・0%減、大阪・梅田が87・7%減、福岡・天神は79・8%減などだった。2020.05.05 朝日新聞
 例年のようにたくさんの人が観光地に繰り出すのではないかと心配された大型連休でしたが、人々は観光どころか会社にもいかなかったのです。欧米よりはるかの強力な都市封鎖が行われたも同じでした。

にほんブログ村
人気ブログランキング
3

2020/6/27

「更新しました」〜キース・アウト  メディア評論


万が一の危機に備えて、日常の危機を甘受できる大人たちがいる

〜文科省は「学校に携帯を持ってくるように」と子どもたちに言った





にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2020/6/26

「何が出ても、すべてアタリの出産ガチャ」〜子どもは生まれたとき、すでにたくさんのものを持っている  親子・家族


 久しぶりに二人の孫にあった。
 特に1歳のなったばかりの下の子は、まるで違った子に育っていた。
 しかも兄とも、顔以外は全く違っている。
 出産ガチャ――子どもは生まれたとき、すでにたくさんのものを持っている。

というお話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「寝転ぶ赤ちゃん」フォトACより)

【子どもは予定通りに生まれない】
 昨日は、東京の娘のシーナところへ行ってきて、あとで心が痛んだ話をしました。しかし孫たちに会えたこと自体は嬉しいことです。

 1歳になったばかりの次男のイーツはよちよち歩きというよりは酔っ払いのようなヨタヨタ歩きで、ハイハイもほとんどしなくなっていました。2月に会ったときはまだズリバイ(匍匐前進みたいなハイハイ)も十分ではなかったので、大切な時間の多くを新型コロナのために見落としたことになります。しかしそれも運命でしょう。

 運命と言えばこの子が生まれたときも予定通りではありませんでした。母親のシーナは長男が難産の上に新生児仮死で生まれてきたこともあって、不安で、2度目は無痛分娩で計画出産するはずだったのです。ところが1カ月も早くに破水してしまい、結局、普通分娩で産まざるをえなくなりました。
(参照:2019/6/17「絶賛、陣痛中!」〜シーナ、レインボーママ(にじの母)になる1以下)。

 そんな出産もあるかと思えば、これも先日お話ししたシーナの友だちのエリカの方は、同じ無痛分娩でしかもほぼ計画通りだったにもかかわらず、出産のスピードが速すぎて産院についてからの麻酔が間に合わず、十分に効き目が出る前に生まれてしまったそうです。シーナに比べれば超短時間だったはずなのに、痛みが半端ではなかったとかで、「もう二度と子どもを産まない」と固く誓ったといいます。
 何ごとも予定通りには行かないものです。そして生まれた子も予定通りには育たない。


【イーツの成長】
 久しぶりに会ったヨタヨタ歩きのイーツは陽気な子でした。いっしょにいたのが短時間でしたのでたまたまその時間だけ機嫌が良かったのかもしれませんが、テレビや玩具から音楽が聞こえてくるとどうしても身体を動かさずにはいられないみたいで、細かく上下にはずんでみせたり両手を左右に振ってみせたり――そしてときどき親の方を振り返ってキャッキャと大声で叫んでみせたりします。
 そうかと思うとお笑い番組で出演者たちが大笑いすると、意味も分からないのに一緒になって笑っています。大勢が笑っていると自分も笑わなくてはいけないと思い込んでいるようです。

 そんな様子を動画に撮りたくてスマホを向けると、はじめのうちはいいのですがやがて私に気づいて、ニコニコヨタヨタ近づいてくると膝にちょこんと乗ってスマホを奪おうとします。久しぶりというよりは未知に近いはずの私に対して、何の警戒心もないのです。
 もちろん可愛いのでそれでいいのですが、驚かされるのは兄のハーヴとの違いです。ハーヴはそれとまるで違った子だったのです。


【二人はこんなにも違う】
 当時はそんなふうに思わなかったのですが、今のイーツと比べると、ハーヴはとても不愛想な子でした。うっすらと笑うことはあってもキャッキャと声を上げて笑うことはあまりありませんでした。

 新生児仮死で生まれたときはものすごく心配させた子です。しかしその後は大きな病気もすることなく、おとなしく、育てやすい子でした。
 持って生まれた臆病者の都会っ子で、ハイハイの時期には畳の部屋から板の間に降りる3cmほどの段差が怖くて、後ろ向きで下がったくらいです。

 歩き始めの一週間は、それこそ顔をクシャクシャにして笑いながら歩いていたのに、しばらくすると修行僧みたいな厳格な表情で、果てしない歩行訓練といった感じになってしまいます。
 砂も水も草もみんな嫌いで、海水浴は泣きっぱなし、公園で靴を脱ぐこともできません。
 私と一緒の時もずっといい子で困ることもないのですが、さりとて私といるのがうれしい様子もありません。先日、久しぶりに会ったときも大げさに喜ぶふうもない。
 あとでシーナから「ハーヴもとても楽しそうでした」とLINEのメッセージが入ったのですが、私からしたら「あれが楽しいっていう顔かい?」てなものです。

 一方、イーツはじっとしていない。乳幼児につけるヘルメットが売ってないとシーナが嘆くほどによく動く、転ぶ、頭を打つ。音楽が鳴れば踊る、笑い声が聞こえれば一緒に笑う。夜泣きは頑固で、根性を見せて泣き続ける――。

 兄弟を見比べて「同じように育てたつもりなのに――」という人がいますが、生まれたときからこれほど違う子どもたちを、“同じように育てた”はずがありません。違うタイプの子が生まれて、違った育て方をしたのです。


【出産ガチャ--子どもは生まれたときにすでに、たくさんのものを持っている】
 昨年、一部で「出産ガチャ」という言葉が流行したみたいです。良い意味ではありません。

 子どもに手間も暇も金もかけて、一生懸命勉強させたのに大した大学には入れなかった。一方、近くに住む貧乏人の子どもは東大だ。やはり出産した段階でカプセルトイのガチャのようにハズレを引いてしまえばしょうがない――とネットのどこかに載った嘆きが始まりだったみたいです。

 親にハズレと言われた子はかわいそうですが、カプセルトイは必ずしも当たりはずれの問題ではないでしょう。
 ガチャを回すとき、「これが出てほしい」「これが出なくてはだめだ」という思いで動かせば、目指したもの以外はすべてハズレです。しかし「何が来てもいい」「どれが来てもおもしろそう」――そう思って回せばすべてがアタリです。

 “子どもは生まれたときにすでに、たくさんのものを持っている”という意味では、確かに出産はガチャみたいなものですが、シーナのように二度回したら二度ともまったく異なるものが出てきて、それがおもしろい、そう考えれば出産ガチャも希望に満ちてくるではありませんか。
 私は歳ですのでこれから先に機会があるわけではありませんが、こんなことなら出産ガチャ、もっとたくさん回しておけばよかったと思っています。


にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2020/6/25

「責められて、責められて」〜情報をきちんと確認しないと、ひどい目にあう  政治・社会・文化


 6月1日から緊急事態宣言が全国で解除され、
 私は勇んで東京の娘の家に行ってきた。
 急いでいかないと孫が歩くようになってしまう。
 ところが行ったばかりに、ひどく傷つくハメになった。

というお話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「ハイハイする赤ちゃん」フォトACより)

【『首都圏と北海道への移動は慎重に』・・・】
 5月29日の夜にボーッとテレビのローカルニュースを見ていたら、県知事が、
「全国の緊急事態宣言が解除されて、県をまたぐ移動も自由になりますが、首都圏1都3県や北海道との移動は引き続き慎重にお願いします」
とか言っていました。
 さて、この「慎重にお願いします」の意味、普通の人はどうとらえたのでしょう?

 私は文字通り「慎重に行って来ればいい」、つまり“夜の繁華街に出かけたり、わざわざ人ごみに入ってはいけません”くらいに考えて、早速三カ月ぶりに東京の娘のところに行くことに決めたのです。
 他の予定も勘案して6月3日の水曜日に行こうと連絡したら、娘のシーナが「うん、いいよ。だったら子どもたちの保育園、休ませるから」というので、いやいや、特に長男のハーヴは保育園大好き人間、だから休ませるほどのこともない、と週末に変更したのです。週末なら妻も一緒に行けます。
 ところが妻に話すと、ちょっと首を傾げ、
「あら? 確か昨日、“18日までは首都圏に行ってはいけない”って連絡があったはずだけど・・・」
 妻は特別支援学校の教員で、支援学校の場合はさまざまに制約あることが多いのです。特に病弱養護学校の場合は感染症が死に直結したりするため、一般とはかなり異なった対応となるのが普通です。
 そこで調べてもらうと、
「やっぱり18日まではダメだって。どうしても行かなければならない事情があるときは校長の許可を取って、帰ってからは2週間、出勤停止だって・・・」
 2週間の出勤停止は妻の受け入れられる内容ではありません。支援学校はやはり特別なのでしょう。

 しかし私にもどうして今のうちに行っておきたい、不要不急ではない、特別な事情があったのです。
 それは、
 はやくしないと、1歳になったばかりの孫のイーツが歩いてしまう。
ということです。


【ハイハイする赤ちゃん】
 私は昔から未就学の子どもが好きで、気の置けない間柄だと赤ん坊は必ず抱かせてもらい、屋外で出会う小さな子どもたちにも、不審者と間違えられない範囲で必ず挨拶するようにしてきました。
 若い夫婦が小さな子をつれてゆっくり散歩する姿などは、見ているだけで幸せになります。

 夫婦いずれかに抱っこされている赤ん坊、ベビーカーの赤ん坊、よちよち歩きの子、親よりも先にスタスタと歩いて行ってしまう子、一生懸命自転車をこいでいる子、それは微笑んで見られる「子どもの成長の一覧表」です。ところがその一覧表にも、一か所欠けた部分があるのです。どんな場合も、子どもをハイハイで散歩させている親子はいない、したがってハイハイの子どもを見ることはほとんどないのです。

 ハイハイができるようになると、赤ん坊は自由に室内を移動し始めます。親にとっては目が離せなくなる大変な時期ですが、好きなところに行けるようになった子どもの目は生き生きと輝いています。生まれて初めての冒険のとき、興味あるものには何にでも触りに行け、舐めたり噛んだりできる、こんな素晴らしいことはありません。

 ところがそんな楽しいハイハイの時期は案外短く、数カ月もすると今度は立って歩きたがります。これが不思議で、一度立って歩くことを覚えた赤ん坊は、二度とハイハイの時代に戻ろうとはしないのです。
 その上、私の娘のシーナのときも息子のアキュラのときも、最初の孫のハーヴのときもそうでしたが、歩き始めの数日間は満面ニコニコ顔で大きな声を上げ、歩けるようになったことがそんなにうれしいのかと呆れるほどの様子なのです。
 それを見逃してはいけない。

 6月7日の日曜日、私としては珍しいことですが、いつもの電車ではなく、一人で自家用車を運転して、娘の家では半日過ごして一歩も外に出ず、往復ともサービスエリアのトイレに寄った以外は車から降りることなく、日帰りで帰ってきました。要するに「慎重に行ってきた」わけです。ところが・・・


【責められて、責められて】
 気分良く過ごしていた翌週(14日の週)、突然テレビなどで、「いよいよ19日から県をまたぐ移動が自由になります」と言い出したのです。それも、何度も、何度も、何日も、何日も。

 私としては「あれ? ダメだったの?」といった感じです。
 知事の話を聞いた自分の耳が間違っていたのかも知れないと慌てて県のサイトを調べると、やはり「首都圏1都3県や北海道との移動は引き続き慎重に」とあります。しかしそれは6月1日から18日までの対応で、本格的に自由になるのは19日以降だったのです(普通は誰でも知っていることだったらしい・・・)。

 「慎重に」が期間限定となるとずいぶん印象が違ってきます。“県をまたいだ移動はいちおう許可した形にするが、19日までは我慢しなさい”の意味が強くなるのです。
 知り合いからも連絡が来て、「フェイスブックのあれ、マズくないか?」。
 そう言えば「東京へ行ってきましたー」なんて元気に書いてしまったのです。慌てて削除。炎上するほどのアカウントではないのですが、知り合いばかりなので見識が疑われそうです。

 それからはもう、ニュースを見るたびに責められて、責められて・・・・。なんとも苦しい十日間ほどでした。

 めったにないことですが、それでも私はしばしば、こうしたポカをします。
 ポカをするとすぐにしっかり反省できるところが私の偉いところですが、反省を生かさないのがダメなところです。


にほんブログ村
人気ブログランキング
2

2020/6/24

「オンライン学習、やるならむしろ徹底しよう」〜不登校の子たちにオンライン学習をD  教育・学校・教師


 日本中のいくつかの学校で、
 新型コロナウィルス事態のためにオンライン学習の扉を開けてしまった。
 そこに不登校の子や親たちが注目する。
 今さら開いたその扉を閉じるわけにもいかないだろう。
 だったらそれを担う、うってつけの場所を教えよう。

というお話
クリックすると元のサイズで表示します
(「山あいの集落」フォトACより)

【『オンライン授業はコロナ理由に限定』】
 一昨日の読売新聞に「『オンライン授業はコロナ理由に限定』、福岡市教育委の通知に不登校の保護者落胆」という記事がありました。

 せっかくオンラインを通して学習の機運が見えてきた不登校の子どもや親にとって、ハシゴを外されるのは切ないだろうなと思いながら、「コロナが理由であれば」の意味もよく分からないし、不登校の子を外す理由もわからないので先まで読んだら、
 福岡市は5月31日、オンライン授業の開始を発表。コロナが理由であれば、貸与するタブレット端末や家庭のパソコンなどで授業を受けられる。
 しかし、
 対象を、本人や家族に基礎疾患があったり、感染が心配だったりして登校していない児童・生徒に限定したので、不登校の児童生徒の保護者を落胆させているというものでした。

 不登校の子を外すのも、
 現状では不登校の児童・生徒約1800人全員には端末を配備できないため、インターネットを使える環境がない家庭では授業を受けられず、貧富の差などで公教育の公平性を欠く
といいうことで、文脈からすると端末を貸与する枠から外せばいだけで、授業そのものへのアクセスから外さなくてもよさそうなものです(ホントにそうしたのかな?)。それを一括して「コロナ理由に限定」してしまったというなら、「やはりお役所仕事」と言えばその通りです。


【お役所仕事、やはり公立学校には限界がある】
 1800人分の端末が揃えられないから=いかにもお役所。
 これが民間で儲かると踏めば、1800人分の端末ならあっという間にそろえるでしょうし、儲からないとなれば最初から話題になりません。
 貧富などで公平性を欠くから=これもいかにもお役所。
 民間だったらお金持ちは払ってください、そうでない方は諦めてくださいで、どこにも問題は発生しません。私立学校でオンライン授業の進められているところはかなり多く、それを売り物にして生徒募集を計っているところもあると聞きますが、私立だからできることです。「無理ならお辞めいただいて公立に転校手続きを」でまったく問題ないからです。

 しかしやはり公立学校は「できる(お金持ちの)家から始めましょう」というわけにはいきません。今やスマホは常識と言っても子ども専用を用意している家はそうたくさんあるわけでもありません。PCにしても、在宅で仕事をしている人がいれば、常時子どもに明け渡すわけにもいかないでしょう。
 公立学校がオンライン授業を始める以上は、やはりタブレットくらいは学校で用意するのが当然でしょう。そして現段階では不可能です。


【無理をすることもない】
 もっとも、「『オンラインで自分のクラスが見られるのなら授業を受けたい』と息子も乗り気だった。登校再開のきっかけになるかもしれないと期待していたのに」と嘆くお母さん、福岡市のオンライン学習は始まったばかりです。同級生が楽しく授業を受けている姿をモニターで見て、登校したくなる可能性と傷ついてさらに引き籠りを深める可能性は五分五分です。何しろ友だちはみんなその子がいなくても生き生きと学校生活を送っているのですから。そんな様子を見て自尊感情を失うことだってあるのです。

 両極端の五分五分を試すことを、普通はギャンブルと言います。私だったら自分の子どもを賭け事のテーブルに乗せたりはしません。オンライン授業を試していいのは、コロナ休校のようにみんなが休んでいるときか、不登校の子たち専用のプログラムが立ち上がったときだけです。


【授業のライブ配信は教師を殺す】
 私がこのニュースを見て非常に衝撃を受けたのは、
 大阪府寝屋川市は15日から授業のライブ配信を始めた
という部分です。

 先生としてはカメラの向こうに学校に来られない子どもがいると承知で、あたかも存在しないように授業を進めることは不可能でしょう。さりとて日ごろは表情や発言からその子の理解や進捗状況を計れるのに、何も見えない、何も聞こえない相手に向かってどう配慮したらいいのか分かりません。カメラに向かって「大丈夫? ここまでは分かった?」などと訊いても返事は返ってこないのです。苦しいですね。

 おまけにカメラの向こうにいるのは児童生徒だけとは限りません。保護者や全く見知らぬ人、マスコミ関係者だっているのかもしれません。

 授業中、関係のないおしゃべりをしている子がいたら注意しなくてはなりませんし、他の子をからかったり差別的な言動があったら、それこそ土砂降りのごとく叱らなくてはならないのですが。その怒り方は見る側によっては「やりすぎ」だったり「甘すぎ」だったりします。

 また教室内での教師と子どものやり取りは、日常の人間関係が前提となっていますから、その言動が他者には不適切に見えることもあるでしょう。それをいちいちとがめられていたら、とてもではありませんが、授業などやっていられません。

 授業のライブ配信などというものを思いついた人は、きっと大学の大講堂で200人くらいの学生を相手にする講義のようなものを思い浮かべているのでしょう。それは日本の小中学校の授業とは、全く違ったものなのです。


【超小規模校を、学校に来られない子のオンライン学習の拠点に】
 教育には意識的教育と無意識的教育というものがあります。「親が背中で教える」というのはもちろん後者ですが、学校は基本的に前者で、学校教育は組織的・計画的なものでなくてはなりません。それはオンライン学習においても同じです。

 講義式の授業を予定しない限り、オンライン学習は少人数教育にならざるを得ません。児童生徒の手元が見えない、直接ノートを指さして説明できない等々、制約の多い授業ですから極めて専門性の高いものとなります。
 そのための「オンライン専門教育小中学校」といった学校を全国各地につくって、不登校や病気で学校に来られない子の学習を補償するのが一番いいのですが現実的ではないでしょう。それが無理な以上、現在、少人数教育の技能を持っていて比較的時間に余裕のあるのは、島嶼部やへき地の小規模学校で教鞭を振るう教師だけです。

 ほうっておけば学校どころか地域自体もなくなってしまうような小規模校の力を、生かさない理由はありません。
 もちろん現在のままでは、特に小学校で負担が大きすぎますから職員の充実を図らなくてはならないのですが、一度あけてしまったパンドラの箱です。今さら不登校の子のためのオンライン学習は致しませんでは済まないと思うのですが。


にほんブログ村
人気ブログランキング
4



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ