2020/4/30

「事故も病気も今はダメだ」〜コロナ感染でなくても、医者にかかることが迷惑になる。  政治・社会・文化


 岡江久美子さんや志村けんさん、そのほか無名の人々、
 その死の様相は、今までにない重苦しさを私たちにもたらす。
 世界はすっかり変わってしまった。
 今は普通の病気になることも事故に遭うことも、
 死ぬことも自重しなくてはいけない。

というお話。
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(「救急車」フォトACより)

【新型コロナ感染の残酷】
 岡江久美子さんが亡くなられて自宅に戻るとき、その遺骨はご主人の大和田獏さんに直接渡されるのではなく、花束とともに玄関前に置かれ、それをあとから獏さんが回収するという形で行われました。玄関を出てきた獏さんは静かに骨箱を抱えると、報道陣に一言挨拶をして中に入って行かれました。

 一瞬、何が起ったのか分からなかったのですが、考えてみたら獏さん自身が久美子さんの濃厚接触者で、お骨を直接受け取るのを避けたのです。おそらく大和田家の方から申し出だったのでしょう。
 玄関先に置き去りにされる遺骨・・・それだけでも胸が詰まりそうです。

 しばらく前にニュースで見たのは、ダイヤモンド・プリンセス船上で感染が明らかになり、それぞれ別の病院に入院していた夫婦が、妻の方が先に退院して夫の待つ病院に行くと、ガラス窓の向こうで、すでにたくさんのチューブやコードに繋がれた夫が意識のない状態で横たわっていたという話です。
 看護師に頼んで「来たよ。愛している」と伝えてもらうと、遠くで表情は分からなかったものの、看護師がティッシュペーパーで夫の目元を拭いたので、ああ伝わったのだなと分かった、そんな話も出ました。

 最期の時、病院に呼ばれて行くともう心停止の状態で、看護師はベッドを窓のところまで寄せて来て、その手を持ち上げるとガラスに当ててくれたので、こちらも掌を当て、それでお別れとしたと言います。
 生身の夫の姿を見たのはそれが最後で、次は遺骨となって奥さんのもとに帰ってきました。

 新型コロナ特有の残酷な別れの様子は、すでに海外からも伝わってきていました。しかし日本人の話として聞くと、現実感はまったく違ったものになってきます。
 志村けんさんのお兄さんも2月に弟さんと会ったきり、一カ月ぶりの再会は遺骨となってのことでした。死に目にも会えず、死に顔さえ見られない――現代ではめったにあることではありません。
 新型コロナは感染力も恐ろしいし有効な治療薬やワクチンがないことも恐ろしいですが、通常考えられないような別れを強いるという意味でもさらに恐ろしいウイルスと言えます。


【コロナでなくても葬式ができない】
 緊急事態宣言以来、三密を避ける、県境をまたいでの移動をしないということで多くの結婚式がキャンセルになったそうですが、困るのが葬儀。昔から「村八分でも火事と葬儀は別」とされてきましたが、コロナ感染ではそうもいきません。

 今朝も新聞の死亡広告(訃報掲載欄)を見ると、全45件中34件までが家族葬です(76%)。葬儀の事後、「葬儀は家族のみで行った」と広告する家族葬はこのところ流行りだったとはいえ、3割を越えることはありませんでした。それが全く逆転してしまったのは、感染の恐れを考えるとこの時期に参列を求められないからでしょう。ただそう考えていくと、近親者ですら呼んでいいものかも迷います。

 私には94歳になる母がいますが、今、この人が死んだら、果たして孫である私の娘や息子を東京や九州から呼び寄せていいものかどうか。特に娘は小さなころから「お祖母ちゃん子」だった側面がありますから、葬儀にすら出席できないとなったら悲しみます。
 しかし無職の私はいいにしても、妻も弟も現役ですから万が一にも感染したら大変です。知らずに勤務に出て発症したら、濃厚接触者はそれぞれ100人では済みません。

 母には「とにかく今年一年は死んでくれるな」と言ってあります(もちろん、ワクチンが完成したらいつ死んでくれてもかまわない、とは言っていません)。
 しかしこれまで、これほど母の長命を願ったことがあったでしょうか――。そう考えると、母だけではなく私だって安心はできません。


【今は事故も病気もすべてダメだ】
 大きな病気を抱えているわけではありませんが、アルコールや入浴に関わる心停止の危険は若いころに比べればずっと高くなっているはずです。
 いやそんなことを言ったら妻や、私たちよりずっと若い娘や息子たちだって同じで、交通事故で搬送されてもPCRかCT検査をしてからでないと、次の段階に進めないません。

 事故や病気は普段だって良くないに決まっていますが、特に現在の状況では他人への迷惑のかけ方が半端ではないのです。
 万端注意して、今は医療関係者に迷惑のかからないよう、自重して暮らしたいと思いました。


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2020/4/29

「更新しました」〜キース・アウト  親子・家族


いつに再開されるかわからない学校教育を待ってイライラするより、子の技術家庭科能力を高めて、近い将来、自分が楽をできる道を探る方がいい





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2020/4/28

「みんな、もうちょっと丁寧に説明し合おうよ」〜新型コロナの報道と政府   政治・社会・文化


 大切なことを、言葉できちんと伝えていくことが民主主義の基本だろう。
 しかしマスコミも政府も、手間を惜しんで言葉も惜しむ。
 もっと丁寧な話はできないものか。

というお話。
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(「稲村ヶ崎海岸」フォトACより)

【外に出たがる人たちの声にも耳を傾ける】
 前々回の土日、鎌倉や湘南海岸、都内の戸越銀座などにかなりの人出があったのに、前回の土日(25日、26日)にパタッと減ったのには驚きました。うっかり行ってテレビにでもうつされたら困るとでも思ったのでしょうか? こんなに簡単にいなくなるとは思わなかったのです。

 というのは、「近くから夕飯の買い物をしに来ただけなのに」というおばちゃん風の女性の言い分や「風通しの良い公園で運動しているのとどう違うの?」と言ったサーファーの言い分に、それぞれ説得力を感じたからです。
 屋外のことですし、いくら何でもすれ違ったくらいで、あるいは店や近くの人と一言二言かわしたくらいで、感染が広がるとも思えません。

「濃厚接触」の新しい定義、
「必要な感染予防策をせずに手で触れること、または対面で互いに手を伸ばしたら届く距離(1m程度)で15分以上接触があった場合に濃厚接触者」(厚労省)
に照らし合わせても、八百屋の店先で15分以上話をする人もいないでしょうし、サーフボードに乗ったまま1m以内にいたら別の意味で危険ですからありえません。

 人間は理屈で動くものではありませんが、筋の通らぬことを通すのはやはり大変です。庶民の素朴な疑問には、分かりやすく、丁寧な説明がなくてはいけません。私はそれもマスメディアの仕事だと思うのです。

 映像に撮って全国に流し、それとなく、あるいはあからさまに非難する以上、何が悪いのか、なぜ悪いのか、丁寧に説明してやる義務があると私は考えます。そうしないとせっかく取材に答えてくれた人は、単なる馬鹿かふてぶてしい人間しか見えなくなります。

 難しいことではないでしょう。観光客や多すぎる買い物客に戸惑う地元の人々の不安には、おそらく合理的な理由があるのです。それをよく吟味し、言語化すればいいだけのことなのですから。


【不安な人々の心の声を聴き、言葉にする】
 先々週の土曜日の戸越銀座の人出を見て、人々が不安になるのは、おそらくそこに万が一の可能性が幾重にも重なっているからです。ひとつひとつの可能性はとても低くても、それが重なれば事故につながりかねない。

 交通事故に絶対に遭わない完璧な方法は一切外に出ないことです。事故なんてそう簡単に起こるものではありませんが、出歩いていればいつか遭うことになるかもしれません。
 コロナ感染も同じで、すれ違いざまにマイクロ飛沫を吸い込むとか、たたまた手に取った買い物かごにウイルスがついているとか、触った手すりについていたとか、そういうことはめったにあるものではありませんが、その万が一の可能性が、混雑した場所を2度、3度と訪れることで2倍、3倍になっていくことが不安なのです。

「特別な場合を除いて、交通事故だと被害者が10人、20人となることはめったにない。しかしコロナ感染のでは“濃厚接触者の自宅待機”ということも含めるといったい何百人に迷惑をかけることになるのかもわからない。だからおばちゃん、買い物に来るなとは言わないが、少し頑張ってまとめ買いをし、商店街に来る回数を減らそうよ、ね」
――そんな言い方をすれば引き下がりやすいのかもしれません。

 サーファーには、
「そりゃあ私だって波の上で互いにうつしあうなんてことはめったにないと思うよ。浜に戻ってもお互いに気を遣っていることだろう。でもさ、ところで、キミたちはどうやってここまで来たのかな? まさか友だちと一緒に三密の典型みたいな自家用車に乗ってこなかったよね? 何時間も大声でおしゃべりをして、マイクロ飛沫を車内に広げ、吸い込みながら来たわけじゃないよね。
――もっともそれは仲間内のことだし、都会に戻ってみんなで青ざめればいいだけだけど、他所の県に来る以上、私たちの県に対してはそれなりの礼儀を守ってくれなくちゃね。

 例えば自動販売機のボタン。汚染されているかもしれないその指で押さないでくれる? 公衆トイレやコンビニ・トイレを使うとき、用を足した後で手を洗うなんてことはしなくていいから、入る前に丁寧に石鹸で洗って、それからドアノブやペーパー・ホルダーに触るようにしてくれないかな? あ、もちろん唾が飛んで壁や手すりを汚染させないようにマスクは必須だけどね。今回のコロナウイルスは罹っている本人ですら分かっていないことがあるのだから、他所の県に来る以上、そのくらいはしてもらわないと――」
 そんなふうに言えば、面倒くさくなって来るのをやめてくれるでしょう。

 と、実際にはそうしたことをしなくても客足は絶えたので、もうどうでもいいことなのかもしれませんが、日ごろ、
「教師は丁寧な指導もしないで、『決まりだから』という説明だけで生徒を縛ろうとする」
などとおっしゃっているマスコミ諸氏が、
「政府が『最低7割、できれば8割、人との接触機会を減らしてほしい』と言っているのだから戸越銀座や湘南に来るのはやめましょう」
みたいな報道をするので、少しイラついて申し上げたまでです。


【政府の説明もあまりにも雑だ】
 しかし今回のコロナ事態に際して、私はマスコミに対するのと同じような苛立ちを政府にも感じているのです。説明があまりにも雑なのです。

 日本で最初の感染者が見つかった1月末から今日までの政府の施策を、私は基本的に高く評価しています。中でも東京都知事が悲鳴を上げた3月末くらいまでの施策は(多少の不備・遺漏はあったにしても)みごとと言うしかないように感じています。このとき稼いだ2か月余りの時間が、その後、中国・韓国および欧米諸国の成功や失敗からたくさん学ぶ余裕を与えてくれたからです。

 私はそのため、
2020.03.26「日本のコロナ対策の陰に、頑固で信念に燃えた強い意志があるらしい」
という記事まで書きました。
 同じようにこの時期の施策を天才的だと考える人は少なくいようで、最近それを高く評価する記事がけっこう見られます(その多くは「しかしその後ダメになった」みたいな記事ですが)。ただし事態が動いている最中はものすごく評判が悪かった――。誰一人、行われていることの意味や意図をきちんと説明してくれなかったからです。

 焦点を絞って言えばダイヤモンド・プリンセスへの対応について、そのころ提起された山ほどの疑念や問題、
「なぜ早く全員を下ろして、患者を病院に搬送しないのか」
「なぜ早くPCR検査をして、陰性の人だけでも自由にしてやらないのか」
「なぜ乗客が深刻に求めている薬が届かないのか」
「2週間の観察のあと、下船した乗客を公共交通機関で帰したのはなぜか」
等々、あとから聞けばそれなりの理由があったのですが、当時はまったく黙して語らなかった。なぜ、あの時点できちんと説明しようとしなかったのか、そして今も、施策のひとつひとつ、変更の理由についてはきちんと説明してくれない――そこに私は苛立ちを感じるのです。


【黙っていては伝わらない】
 文芸春秋の今月号(5月号)の中で、私は次のような一節を見つけました。
 衛生政策で有名な後藤新平は、
「寝覚め良き事こそなさめ、世の人の、良しと悪しは言ふに任せて」
と詠みました。(中略)
 緊急時のリーダーは世評を放置し、慈心良心に従って断行する必要があります。

(磯田道史「感染症の日本史」〜答えは歴史の中にある)

 まあそうかもしれないけど、もう少し事情を説明してくれてもよさそうなものじゃありませんか。
 いつか分かってくれるだけでは、人は十分に動かないものです。

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2020/4/27

「誰か、日本人をもっと誉めてくれないか」〜私たちは頑張っている   政治・社会・文化


 日本全体でこんなに頑張っているのに、
 なぜだれも誉めてくれないのか?
 数字だってかなりいいものが出ているじゃないか。
 なぜ、評価しない。
 危機感をあおるだけでなく、少しくらい誉めたっていいじゃないか、
 口はタダだ。

というお話。
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(「青空とこいのぼり」フォトACより)

【誰も誉めない】
 緊急事態宣言から3回目の日曜日を終え、3回目の週明けです。
 私自身は3年前からずっと自粛生活みたいなもので、賑わいのある所には出かけていませんから世間がどんな様子かはテレビで見るのがせいぜい、実態についてはよくわかりません。
 ただし先週話題になった戸越銀座や湘南海岸も、この土日は人通りもすっかり絶え、東京の娘によると周囲は自粛疲れよりも自粛慣れの気持ちが強いみたいで、今はむしろ落ち着いた雰囲気になっているようです。

 一方、政府や地方公共団体はそれどころではなく、来るべき大型連休に向けて戦々恐々、あちこちの駐車場や公園を封鎖し、チューリップやユリの首を切り、旅館や飲食店を閉じてまったくの臨戦態勢。おかげで今のところ感染爆発は避けられているという面もあると思うのですが、それにしても誰も現状について中間報告とか評価とかをしてくれないのはなぜなでしょう?

「あんなに渋滞していた湘南から県外車がほとんど見られなくなった、戸越銀座も空きずきしている、素晴らしい!」
という人はひとりもいません。


【それなりに、ものすごく立派にやっているじゃないか】
 私は元教師で、教師というのは誉めるのが仕事です。
 いいことがあったら必ず誉める、少しでも成長したら誉めてやらねばならない、成果が出なくても努力は誉める、そういうことが骨の髄までしみ込んでいますから、今回のコロナ事態に関しても公的な人々やマスコミがきちんと評価して誉めてくれないのが大いに不満なのです。

 例えばNHKもニュースに「東京都の感染確認 12日連続で100人超」とか書いて(26日朝)、もちろんそれは間違っていないのですが、一時は200人を越えた1日あたりの新規感染者数が連続8日間100人台で推移し、しかもそのうち6日間は140人以下を続けている、そのことを前向きに評価する見方があってもいいように思うのです。
(昨日夕方、ようやく「東京都 新たに72人感染確認 13日ぶり100人下回る 新型コロナ」が出ましたが、別に誉めていない。「もうしばらく様子を見ないと何とも言えない」「ほんとうに下がったと言えるのは重症患者のベッドが空くようになってから」等々)

 感染拡大というのはいったん始まればネズミ算的に広がって行っても不思議がないものです。
 実際イタリアでは感染者が5000人を越えた日から1万人を越えるまでにわずか3日、それが2万人に達するのに4日、3万人まで3日、4万人2日、5万人2日といったありさまでした。世界に冠たる厳格な国家ドイツでさえ、5000人が1万人になるのに3日、1万人が2万人になるのにたった2日しかかからなかったのです。
 それが日本の場合5000人が1万人になるのに9日間、そして1万人を越えた日からさらに9日たつというのに、感染者はまだ13000人台です。

 いや日本の場合はPCR検査が少ないからそうなっているだけで、実際には数倍の感染者がいるはずだという話はずっと続いていますが、例えばイタリアで1万人越えから9日目(今日の日本)は感染者4万1000人あまり、死者3400人余です。

 これが実際だと考えて我が国に当てはめると、検査を受けずに市中を歩き回っている感染者が、数字として出ている1万3000人の2倍以上の2万8000人、報告されていない死者、つまり路上や家屋内で死んでいる人が3000人以上もいる計算になります。いくら何でもそんな恐ろしいことはないでしょう。


【感染は沈静化に向かっている?】
 毎日の新たな感染者の報告を見ても、4月11日に719人という記録を作ってから16日間、これを一度も更新していません。それどころか、全体としては減っているようにも見えます。
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(NHK「特設サイト 新型コロナウイルス」(4月26日更新)より)

 このグラフには面白いリズムがあって、小池東京都知事もおっしゃっていましたが、月曜日になるといつもいったん下がるのです。土日と検査機関に休みを取るところがあり、その少ない結果が月曜日に反映するからかもしれません。
 直近で言えば、3月30日、4月6日、13日、20日がそれにあたります。

 その月曜日を最小値として、火曜日水曜日と新たな感染報告が増えて行き、土曜日がその週の最大値となる、それが毎週の傾向でした。
 グラフで見ると、3月21日は三連休の狭間でしたので例外になりましたが、3月28日、4月4日、11日、17日ですべて週の最大値を更新しています。ところが先週土曜日(25日)の報告数は、先週の最大値ではなく、月曜日を除く全週日での最小値となったのです。
 また先週一週間だけを切り取ってみると、ここ二カ月余りで初めて、週末に向けて感染報告が下がっています。
 ここ、誉めどころでしょ?

 週のまとまりで見ても、3月22日に始まる週(あの『気の緩みの3連休』直後)から、29日の週、4月4日の週へと感染は明らかに拡大してその最後の土曜日(11日)に1日719人という記録を作るのですが、先々週(12日に始まる週)は週の半ば以降1日あたりの感染者数があまり増えず、全体としては11日を頂点として山を下り始めた感があります。
 そして先週はさらに一段下がった(ように見える)。


【日本、頑張れ!】
 もちろん医療関係者や統計学者に言わせれば「意味ある数字ではない」ということになるのかもしれません。また諸外国の様子を見ても、感染者が増えるのは一気ですが二ケタ乃至一ケタに戻すのは容易ではありません。だからと言ってこの事実に口を閉ざしていることもないでしょう。

 ここは一番、こう言えばいいのです。

 みんな! よく頑張った!
 2週続けて、ガン、ガン、と下がってきた感じだよね。特に先週の土曜日は、土曜日としては今までになく低い数字だ。もしかしたらピークは越えつつあるのかもしれない。
 今週も頑張ってさらに数字を一段下げよう。そして大型連休の週も我慢して頑張れば、そこに光が見えてくるかもしれない。

 日本国民よ、今日までよく頑張った。そしてよくここまで来た。
 あと一息だ、一息で規制の一部は解除できる。
 そして世界に、自由主義でも、政府が国民を監視しなくても、団結すればパンデミックは抑えられることを証明できるのだ。
 だから頑張れ、今少し頑張れ!

 たったそれだけのことが、なぜ言えないのか?
 口はタダでしょ?


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2020/4/24

「ボクの見た、ボクの世界の、ボクの物語」〜岐阜市ホームレス殺人事件   政治・社会・文化


 岐阜市でホームレス殺人事件の容疑者少年が5人逮捕された。
 私など、家に入り込んだネズミさえ殺すことに躊躇いがあるというのに、
 彼らはなぜ、大した理由もなく“人間”を殺すことができるのか−−。
 想像もできないことを想像してみる。

というお話。
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(「路上生活」フォトACより)

【岐阜市ホームレス殺人事件】

 三月の末、岐阜市内でホームレスの男性が少年たちに石を投げられて殺された事件で、岐阜県内の少年5人が逮捕されたというニュースがありました(2020.04.23朝日新聞他)。
 普段なら大きな扱いになって情報番組でも繰り返し放送されるはずですが、世の中は新型コロナ一色。新聞社のWebサイトのホームページにすら載ってきません。

5人は友人同士で、一部は県内の大学に通っている

ということですからかなり高い年齢層だと思うのですが、それでも少年は少年ですから今後こまかな点まで情報として出てくることはないでしょう。
 本当は、学ぶべき点が多いはずなですが。


【決定的に共感性に欠ける人々】
 相模原障害者施設殺傷事件の犯人・植松聖もそうだと思うのですが、世の中には決定的に共感性に乏しい人がいます。

 文芸春秋の今月号(5月号)に「植松聖からの手紙」という記事があって、その中で筆者の最首悟・和光大学名誉教授は、
『報道では犯人が「異常な人物」と強調されていましたが、私は犯人が「正気」であると確信していました。異常者ではなく、普通の青年による犯行なのが恐ろしいのです』
と書いておられますが、再三申し上げている通り私は自分が犯人と同一視されることを断固拒否します。数十年さかのぼって植松聖と同じ30歳の私でも、どんなに追い詰められても19人の命を平然と奪うようなことはしません。
 また植松聖が「日本中どこにでもいるような普通の青年」だったら、私は怖くて街にも出られない。植松聖は「異常者」ではないかもしれませんが、決して「普通の青年」ではありません。

 ただし“人は誰でも、子どものころはその内面に共感性の乏しい残酷な側面を持っている”という話でしたら、一部賛成しても構いません。
 いじめ問題だとか、対教師暴力、家庭内暴力などでは、しばしば「子どもはどこまで残酷になれるのだろう」と戸惑うことさえあります。

 これは弟の友だちの小学生時代の話ですが、その子はなぜか遠足が嫌いで、前の日、アマガエルを殺すと雨が降るという話を思い出して茂みに入っては探し出し、地面に投げると一匹一匹踏みつぶしたと言います。子どもはそういうことができるのです。
 小さければ小さいほど、「他人の気持ちになって」とか、ましてや「小動物の気持ちになって」といったことはわからないからです。

 しかしそうした子どもっぽい残酷さも、普通は大人になるにしたがって失っていきます。自分と同じように他人の気持ちも推し量ることができるようになり、しばしば共感し、やがて自分とは決定的に異なる人間に対しても最低限の礼儀を守ることができるようになる、それが成長です。かつてのいじめっ子が、“自分はなぜあんなことができたのか”と不思議がるのはそのためです。

 しかしごく少数ながら、そうはならない、あるいはそうなるのがずっと遅れる人たちがいます。岐阜市のホームレス殺人事件の少年たちも、おそらくそういう人間でした。ホームレスに対して、自分をまったく投影できない、共感の欠けらもない――。


【18年前のホームレス殺人事件】
 ホームレス襲撃事件自体は珍しいものではなく、1980年代からほとんど毎年のように起こっています。(*)
 ホームレスが襲撃しやすいのは、社会の最底辺にいて何の役にも立っていないように見えるからかもしれません。たいていは疲れ切っていて、立ち向かう力もないように見えますから、そこが暴力の対象になりやすいひとつの理由かもしれません。しかしいくら視点を変えても、彼らの心情は分かってきません。
*参考:ホームレス問題の授業づくり全国ネット

 2002年、東京都の東村山市で一人のホームレスが6人の中高生(中学2年生4人、高校2年生2人)に殺されました。
 少年たちの一部が図書館で騒いでいたところ、被害者に注意されたことを逆恨みしての犯行だと報道されました。

 悪ガキとホームレスが図書館という文化施設で対立したという部分に興味をひかれ、しばらく丁寧に事件記事を追ったことを覚えています。
 もちろん少年事件ですから大した情報が集まったわけではありません。けれど話を聞いているうちに、私の中にある物語が浮かびました。それを認めたのが、次の文章です。

 18年前のものですが、当時の私の戸惑いが鮮やかに浮かび上がってきます。子どもはどこまで残酷になれるか分からない――。


【ボクの見た、ボクの世界の、ボクの物語】

クリックすると元のサイズで表示します ねえ刑事さん聞いてよ、酷いと思わない?
 もちろん人殺しは悪いことだしその前の「人を殴る」ってことだって悪い。そんなことは分かっている。でもそれ以上に悪いことだって世の中にはたくさんあるよね。

 例えばね、今度のこともたまたま死んでしまっただけで、最初から殺すつもりなんてなかった。言ってみれば事故のようなものなんだ。そんなの、本当の「悪い」ってこととは違うと思うんだよ。

 事件の始まりを見れば分かると思うけど、まず図書館の係りの人が、そして次に「あの人」がボクたちの心を傷つけた。
 最初仕掛けたのは向こうなんだよ。
 それは確かに、図書館で騒いだボクたちも悪かったけど、あんな叱り方ってないよね。
 ボクたちが怒るのも無理ないでしょ?

 マ、係の人ならそれが仕事なんだからしかたないけど、「あの人」なんて関係ないのにシャシャリ出て来て、偉そうに注意したりして、いったいどういうつもりだったんだろう?
 そういうのって、ちょームカツクと思わない?

 で、ボクたちはボクたちの心を傷つけた「あの人」に謝ってもらおうと思ったんだ。
 けど「あの人」頑固でサ、絶対に謝ろうとしないんだよ。
 そういうのもムカツクよね?
 むかつくボクたちの気持ち、分かるよね。

 ・・・・・・・・・・・・・

 ねぇ、でもさあ、「あの人」どうして死んじゃったのかな。

 ボクたちも途中でやめればよかったのかもしれないけど、死んじゃうなんて酷すぎるよね、
 これじゃあ、ボクたちの人生台無しだよ。


 ねぇ、ボクたちこれからどうなっちゃうの?

 あの人、ホームレスだったんでしょ?
 ボクたち、まだ14歳なんだよ。

(ああ言えばこう言う辞典「童話2000」《PCサイトのみ》より)

 




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2020/4/23

「先生! あなたの勝利です!」〜家庭科の価値が見直されるとき   教育・学校・教師


 突然、家庭用ミシンが売れ始めた。
 家電ではホットプレートが売れ、台所小物が売れる。
 スーパーマーケットは東京都知事が心配するほどの大盛況だ。
 先生! 今こそ見直されているよ!

というお話。
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(「ミシン」フォトACより)

【ミシンとスーパーマーケット】
 価格が1万円前後のミシンの売り上げが好調だそうです。
 Amazonで調べたら、在庫ありと表示されているものの、大部分は5月半ば以降の“お届け”で、中には6月にならないと発送のできない機種もあるくらいです。

 なぜ急に降ってわいたようなミシンブームなのか?
 もちろんマスクを縫うためです。

 別の話。
 小池東京都知事が、
 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、都が徹底した外出の自粛を要請する中、スーパーマーケットなどで客が多く訪れて、密集の状態が発生しているとして、早急に対応を検討する考えを示しました。(2020.04.22 NHK「新型コロナ “スーパーなどで客が密集” 東京都が対応検討へ」)
 なぜそんなにスーパー・マーケットが混むようになったのか?
 もちろん外食を避けて、家で食事をつくるようになったからです。
 冷凍食品やお惣菜、あるいは持ち帰り弁当も多いでしょうが、それだけでは飽きますから、渋々、手作り部分も多くなっていると思います。

 日本全国、レストランや食堂は閉じているか、開いている場合もぐんと客が少なくなっています。みんな何とか家庭内でやっていこうとしていいるのですね。


【ホットプレートとシリアル】
 今回のコロナ事態で経済はさんざんですが、一部の業界あるいは一部の商品については「コロナ特需“と言われるような好況に恵まれているそうです。

 マスクや除菌アルコールなど衛生関連の商品、トイレットペーパーやティッシュペーパーといった紙製品はもちろんですが、電機関係では在宅勤務に必要なPCカメラなどの機器、意外なところではホットプレート。
 生活用品では使い捨てのゴム手袋、料理や食材を入れておくジッパー付きのプラスチック保存袋など。
 他にもトランプやボードゲームといった古くからあるゲーム類、キャンプ用品、バランスボールなどのエクササイズ用品など、なんとか家で時間をやり過ごそうと努力する様子がうかがえます。
(AERA.com 2020.03.29「『え、こんなものが?』 コロナ騒動で思わぬヒット商品」他)
 中でも注目したいのはホットプレート、ゴム手袋、ジッパー付きプラスチック保存袋、家庭で調理するための道具です。

 これがアメリカだと、衛生関連用品・紙類は同じですが、食品は備蓄ができるパスタあるいはコーンフレークなどのシリアル、オレンジジュース、風邪のウイルスから体を守る成分をもつと言われるにんにく類(魔除けの意味もあるのか?)、アイスクリームにスナック類、ポップコーン、ポテトチップス。
 そしてパン酵母、キッチン家電のホームベーカリーもよく売れているとのことです。
(FASHIONSNAP.COM 2020.04.08「新型コロナウイルスの影響で意外な商品の売り上げが急増」)

 アメリカの一般家庭における食生活はすでに崩壊しているという話が出たのはもう20年以上前のことですが、危機に際してシリアル、スナック、アイスクリームを買い込もうという発想は日本にはないでしょう。

 その代わりにあるのは、ホットプレートを買い、今まで使ったことのなかった使い捨て手袋で調理をし、料理の余った分はジッパー付き保存袋に入れて冷蔵庫にしまっておこうとする、にわか家庭料理人たちの意気込みです。
(あ、アメリカにもパスタ料理をつくりパンを焼こうという人もいるのですから、その点も取り上げておかないと不公平ですよね)


【ミシンもホットプレートも、軽い気持ちで買ってムダにならない国】
 1万円もするミシンを買っても、ホットプレートやこまごました台所用品を新しくそろえても、それをムダにしない自信が私たちにはあります。

 60歳をとうに過ぎたジジイの私だってミシンくらい軽く扱えます。それどころか手縫いで、なみ縫い、半返し縫い、本返し縫い、まつり縫いからチェーンステッチだってできます。
 ホットプレートを前に、ピーマンや玉ねぎをどう切ればいいのか、包丁を使うときの注意事項、調理の手順、すべて迷うことがありません。みんな知っています。なぜなら、
 全部、学校で教わった
からです。
 被服・調理だけでなく、家電の使い方、住居の営繕、掃除の仕方、赤ん坊の扱い方から老人介護まで、みんな小学校と中学校の家庭科の先生に教えてもらいました。それがなかったら家庭人としての私にどれほどの実力があったのか――。

 ちなみに私は小学校で、家庭科を男女共学で学んだ初めての世代です。しかも当時は手先が器用だったので、女の子に教えるくらい、特に縫いものは得意でした。その後一人暮らしが長かったこともあって、最低限の調理、栄養管理はずっとしてきましたし、被服については今でも取れたボタンの修理くらいは自分でします。

 しかし一度もミシンに触れたことのない人は、あれがとんでもなく簡単な機械で、わからないことがあってもネットでちょっと調べる程度で、すぐに使えるようになるものだとは、夢にも思わないでしょう。ですからマスクの自作を思いついても、ミシンまで買おうという気にはならないはずです。
 マスク制作のためにミシンの売れ行きが上がったなどという国はおそらく多くはないでしょう。家庭科のない国ではたぶん無理です。
 被服ばかりでなく、調理の方でもパスタ、シリアルがせいぜいでしょう。


【先生! あなたの勝利です!】
 私は昔、「教科の重要性のUの字説」というのを唱えたことがあります。
 2012.09.05「教科のUの字説」


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 中学校の9教科、国・社・数・理・英・音・美・体・技を、Uの字の線上に乗せていくのです。
 左の一番上が「国」、右の一番上に「技」が来るので、それを左右順番に読んでいくと、国・技・社・体・数・美・理・音・英の順になる、それが“生きていく上での教科の重要性の順位”という説です。

 私は常に技術家庭科に高い地位を与えてきました。しかし世間的にはあまりにも軽んじられてきたように思います。家庭科の得意な子は英語・数学のできる子よりはずっと低い地位しか与えてもらって来なかった、それが今、新型コロナ事態のような危機的状況で、燦然と輝きを増しているのです。

 私の小学校の時の家庭科の担任は、丸山先生というお名前でした(下の名は忘れた)。その先生に今こそ言います。

 丸山先生! あなたこそ勝利者です!

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