2020/3/11

「更新しました」〜本当は違う「釜石の奇跡」 24歳語り部が伝えたい真実  教育・学校・教師




「キース・アウト」

粉飾された「釜石の奇跡」を、丁寧に洗い落として正す若者がいるという奇跡



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2020/3/11

「自らを救うことが、人を助けることにつながることがある」〜東日本大震災祈念の日に思う@  政治・社会


 東日本大震災9回目の祈念日、
 さまざまに反省し、考え直す契機となる日だ。
 日曜日のNHKスペシャルでは、多くの町職員を失った大槌町を扱っていた。
 そこにも私たちの考えるヒントがある。

という話。
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NHK Webサイトより)

【NHKスペシャル「40人の死は問いかける〜大槌町“役場被災”の真実〜」】
 9年目の「3・11」です。
 しかし今年は新型コロナ禍で何か気もそぞろ。被災地の方々には申し訳ないのですが、何となく身が入らないような気もします。

 昨日もコロナ関連のニュースの端々に「国難」という言葉が飛び交っていましたが、9年前のあの日々はまさに「国難」であって、しかし私たちはそれを乗り越えてきたのです。
 今回の新型コロナに関しても、さまざまな困難はあるにしても、日本人はきっと最善の道を探り出して、そこを歩こうとするに違いありません。もう少し頑張りましょう。

 さて、今しがた“気もそぞろ”と書いたばかりですが、ニュース番組が新型コロナばかりの中にあっても、3・11を回顧する良質な報道がないわけではありません。私が最近、特に感心したのはNHKスペシャル「40人の死は問いかける〜大槌町“役場被災”の真実〜」でした。
(関連ニュース「津波到達までの証言記録 初めて明かされた“35分” 大槌町」

 大槌町は東日本大震災の中で唯一、首長自らが犠牲になった町です。
 町長をはじめの8名の幹部を含む40名(内、ひとりは関連死)が最初の津波で亡くなってしまいました。その数は実に全職員の2割、幹部に限って言えば6割近く(8/14)にもなります。
 そして多くの幹部と職員を失ってしまったことで、のちの被災者対応に大きな困難が生じたのです。


【何もしなかった津波までの35分間】
 番組は、地震発生から津波到来までの35分間に大槌町庁舎で何が起こったのか、その様子を丁寧に検証していきます。
 結論から言うと、職員はその35分間を無為に過ごしたのです。

 老朽化のために余震に耐えられないかもしれない庁舎から玄関前に出て、15分以上も経ってから会議をするためのテーブルと椅子を用意した以外、これといった仕事をしていません。そのイスとテーブルも、じれた中間管理職が会議を促すために並べたものです。

 町長は温厚な人柄で上意下達といった強権を嫌い、下の者の意見に従う傾向がありました。しかしそれは裏を返せばリーダーシップの欠如ということです。

 町には基本的な防災計画もあって、それによると「大規模災害の対策本部は町庁舎に置く。庁舎が使えない場合は高台にある公民館を本部とする」とありました。あとから考えれば電源もない、通信もできないという状況は「庁舎が使えない」そのものだったのですが、当時、現場でそう考える職員はひとりもいませんでした。
 
 上が指示を出さなければ、下は何もできません。彼らもまた貴重な35分間を無為に過ごしていました。


【誰も動かなかったわけ】

 情報として手に入るのは防災ラジオから流れるNHKのニュース、そして職員の携帯の一部に流れるワンセグ放送のみ、通話はほとんどできなかったようです。
 そんな状況では国や県からの指示も受け取れず、あとはただ地域の消防などから情報が上がってくるのを待つだけ。情報さえ入れば何をすべきかが分かる、対策が打てる、それが35分間の無為の意味でした

 そんな中でラジオから聞こえた「大津波警報、3mの津波が近づいている」も、職員に誤った判断を起こさせます。
“3mの津波なら、海岸の6mの防潮堤で防げる”

 経験から言えば「3m」と言われて3mを越える津波が来た試しはないのです。たいていは1mか1.5m。職員のワンセグが津波に襲われる隣町、釜石の様子を映し出していても、危機感は高まってきません。心理学者の言う「正常性バイアス」、自分に都合の悪い情報を無視したり過少に評価したりする心理が働いているのです。

 庁舎の前を一般市民が続々と高台へ向かって避難しているのに、町職員は誰も動かない。「高台に避難しましょう」と提案する人もいない。それはとても奇妙な光景だったと言います。
 そしてそうこうしているうちに遠くから土煙がモウモウといくつも押し寄せてくるのです。


【自分を後回しにすることが危機を増大する】
 先日も書いたばかりの、危機管理の基本は「さ・し・す・せ・そ」。
「さ:最悪の事態を考え」
「し:慎重に」
「す:すばやく」
「せ:誠意を持って」
「そ:組織的な対応を」
 大槌町の職員は、「慎重」であり、かつ「組織的」であろうとして勝手な動きをせず、町民からの報告や相談に応えようと「誠意をもって」その場を離れませんでした。しかしそれは「最悪の事態を考え」たものでも「すばやく」といったものでもありませんでした。
 危機管理の「さ・し・す・せ・そ」の中で最も重要な二つが、落ちたのです。

 今回の新型コロナウイルス禍についても、小中高等学校の一斉臨時休校は「最悪の事態を考えた」上でのことだと私は思っています。「すばやく」という点ではむしろ遅すぎたという人さえいます。
 その決め方に「慎重さ」はあったか、発表の仕方に「誠意」はあったのか、「組織的」に働くための十分な根回しはあったのかというと、やはり足りなかったようにも思います。しかし十分な根回しや話し合いを優先していたら、一週間や十日はすぐに経ってしまいます。こうした状況では「疫学的根拠」でさえ大した問題ではないと私は思います。

 しかしなぜ、大槌町の町長たちは「すばやく」や「最悪の事態を考えて」を後回しにしてしまったのでしょう。

 番組はこれに関して重要な点を指摘しています。
 町長をはじめ職員たちは、町民の命と財産を守ることには興味があったが、自らの命には無頓着だった
 直截的にそう表現しているのではありませんが、意味はそうです。
 自分たちの命が失われたら、被災者支援の仕事は誰がするのか
という観点がないのです。防災計画の中にもありません。

 2016年の熊本地震でも、宇土市を始めとする5市町の庁舎が使用不能となり、災害対策本部の機能を果たせませんでした。市民の大切な税金を自らの職場につぎ込むだけの勇気がなかったのです。そのために一番必要な時に、庁舎は市民の役に立ちませんでした。

 似たようなことは、おそらく教育の世界でも起こります。

(この稿、続く)

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