2020/3/28

「『日本の検査能力=1日300件』はどういう意味だったのか」〜今さら聞けない新型コロナD  政治・社会・文化


 どこの国だって国民全員のPCR検査なんかできっこない。
 感染者の濃厚接触者、高リスク群から順にやっていくしかないのだ。
 日本の場合はこれまで検査対象者が少なすぎた。
 だから検査数も感染者数も少なかったのだが、これからは急激に増えていく。
 検査能力はそれに合わせて増えていくに違いない、それだけ。

というお話。
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(「電子顕微鏡で見た2019新型コロナウイルス」パブリックドメインQより)

【怪しいところから検査するという常道】
 昨日は全国に感染者が100人程度しかいない状況でPCR検査を求めるのは、真夏にインフルエンザの検査を求めるようなものだというお話をしました。

 しかし真夏のインフルエンザ検査を渋る医師の判断を、簡単に変える方法はあります。ひとことこう言えばいいのです。
「実は一昨日オーストラリアから帰ってきたばかりで、向こうではインフルがものすごく流行しているんです」
 あるいは、
「先生のところにはまだ届いていないかもしれませんが、ニュージーランド帰りの兄貴が昨日インフルエンザの判定を受けて、タミフルが処方されています」
 このどちらかで、医師は必ず検査をしてくれます。インフルエンザには特効薬がありますから、医師としても検査を拒否して重症化されても困るのです。

 新型コロナに関して日本は長く「PCR検査は、37.5℃以上の発熱または呼吸器症状のある人で、新型コロナウイルス感染が確定した人や流行地域に渡航または居住していた人と濃厚接触のある人など」を対象としてやってきました。
 それは当たり前すぎるほど当たり前で、可能性の高いところから行うのは、検疫の基本中の基本です。

 燃え上がる現場を手薄にして、火のないところに消火剤を撒いてはいけません。



【韓国:ドライブスルー方式の実際】
 韓国でドライブスルー方式の検査を始めたと聞いた時、私は大きな勘違いをしていました。
 マクドナルドと同じように検疫所に希望者が列をなし、一台一台検査を行っていくようなものを想像したのです。
 しかし考えてみたら韓国とて5164万人もの人口があるのです。国民の1%でも恐怖に駆られて検疫所に押し寄せたら、それだけで51万6千人。全国に1千個所の検疫所をつくっても各500台の大渋滞ができてしまいます。何らかの規制がなければあっという間にパンクしてしまう。どうなっているのでしょう?

 そこで調べてみるといくつかの記事が見つかりました。
@ 現在、韓国では「ドライブスルー検査」を実施している選別診療所が約70カ所2020.03.23ニッセイ基礎研究所
A 検査は、事前のアンケートで症状や感染地域への訪問歴、感染集団との接触歴などから高リスクと判断された人を対象に行われる。2020.03.03 CNN
B 医師の紹介がある場合または結果が陽性だった場合、検査は無料2020.03.18 AFP )

 つまり全国約70か所のドライブスルー型検疫所には、誰でも行けるが事前アンケートで高リスクと判断されないと検査自体は受けることができない。さらに医師の紹介のある場合は別として、結果が“陰性”だったら料金を払わなくてはならない――そういうことなのです。
 費用は昨日もお話ししたように16万ウォン(約1万4470円)。「自分は新型コロナ蔓延国の人と付き合いがあって、ちょっと心配だから受けてみよう」というわけにはいかない金額です。ちゃんと歯止めがかかっている。
 検査能力に自信のある韓国でも、無暗に検査を増やしているわけではないのです。


【結局、検査の必要数が少なかったとしか言いようがない】
 そこで私の頭に浮かんだ第5の「今さら聞けない新型コロナ」が、
「日本でPCR検査の実施数が少ないのは、そもそも検査をする必要がなかったからではないか」
というものです。
 
 ほぼ同時期に最初の感染者を出した韓国と日本のその後の違いは、初めて遭遇した集団感染の規模の大きさです。
 韓国では2月26日までに新興宗教「新天地」の集団感染を中心として、1000名を越える感染者を出してしまいました。そこで政府は20万人に及ぶ信者全員のウイルス検査を決定し、わずか2週間足らずで全数検査を終えたのです。ターゲットがはっきりしていたとはいえ、驚くべき検査数です。

 一方日本が最初に出会った集団感染は屋形船のわずか12名。濃厚接触者を含めても「新天地」とは「天地」ほどの差があります。その後も小さなクラスターがあちこちに生まれますが、巨大なクラスターには、ついに出会わないまま今日に至っています。つまり検査の必要数も少なかった。

 そうした事情は計算からも導き出されます。

 昨日(27日)発表の新型コロナによる日本国内の死亡者は47名でした。先日もお話しした通り新型コロナの死亡率ははっきりわからないのですが、WHOの公式発表3.5%で計算すると、推定感染者は1342人ということになります(47÷0.035)。ところが実際に捕捉されている累計感染者は1402人、ほぼ全員を補足していることになります(*)。

 もちろん計算上の話ですが、おそらくそれが日本の現状です。
 そんな状態ですから、1日の検査能力を7000件以上に伸ばしても、実際に行われるのは2割程度(2020.03.18 NHK)しかありません。

 「帰国者・接触者相談センター」で対象を絞っているという事情もありますが、対象を絞るのは韓国のドライブスルー検疫も同じです。必要のない人には検査をしないのです。


【「日本の検査能力=1日300件」はどういう意味だったのだろう】
 フランスは来週までに検査能力を1日3万件に増やすそうです。2月中旬までは1日400件といっていた国です。
 中国は武漢だけでも1日2万件、韓国は1万2000件、イタリアでも1万件の検査能力がありました。それなのになぜ日本は1日300件だったのでしょう? そして今、なぜ7000件なのでしょう? なぜヨーロッパ並みに増やせないのでしょう?
 それが私の、最後の「今さら聞けない新型コロナ」でした。

 もっとも、そうは言っても7000件の能力に対して検査依頼は2割程度しかないのですから、能力を2万、3万と増やしても、本来の患者をほったらかして遊んでいる検査技師や医師が増えるだけです、。

――と、そこまで考えてようやく分かりました。私はなんと愚かだったのでしょう。
 可能な検査数というのは検査キットの数ではなく、検査に充てる医師や技師の数だったのです。配置転換で人数を増やせば、1万2万は軽く増やせるものなのでしょう。
(ただし、非専門の医師や技師まで動員するので精度は落ちる)

 なぜそんな簡単なことに気づかなかったのか――。
 検査能力において日本が特段劣っていたわけではないと気づいて、私はなんだか急にうれしくなってしまいました。
(この稿、終了)

(付記)
 阪神の藤波投手がコーヒーの香りがしないことに違和感を持ってPCR検査を受け、「陽性」と判定されました。有名人の感染は影響力が大きいものです。
 今後、味覚・臭覚の違和感から感染を疑い、関係機関に相談する若者が増えてくるかもしれません。相談センターの医師も積極的に検査依頼を出すことでしょう。
 用意した1日7000件の検査能力が、ようやく生かせることになります。必ずしもいいことではありませんが。


*に関する追記(2020.03.30)
 この計算が正しいかどうか、あやふやになってきました。というのは感染者の数は現在の数字、死亡者の数は約2週間前までに感染した人の数だからです。
 ただしWHOの3.5%という数字も現在進行形の数字なので、やはり上の計算で合っているのかもしれません。
 ちなみに2003年、SARSが拡大中の時、WHOは致死率は4%だと発表していたましたが、最終的な致死率は9.6%となったそうです。
 致死率が上がり続ける仕組みについては、
2020/3/24「新型コロナの死亡率って、ホントはどうなのよ」〜今さら聞けない新型コロナ@
の中国に関する部分にあります。







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2020/3/27

「日本は必要なPCR検査もしなかったのか」〜今さら聞けない新型コロナC  政治・社会・文化


 新型コロナウイルス発祥の中国の隣で、
 しかも最も早い時期に最初の感染者を出した日本は、
 それにもかかわらず感染者も死亡者も少ない。
 だが世界はそれを評価せず、疑いの目で見ている。
 いったい、どうすればよかったのか。

というお話。
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(「研究」フォトACより)

【日本は完全に信用を失った】
 PCS検査をもっとした方がいいという考え方と、今のまま抑制的でいいとする考え方の論争は今も尽きません。
 もっと検査した方がいいとする人たちは、「感染の全体像が見えなければ対策の打ちようがないではないか」とおっしゃいますが、それ以外に、あまりにも少ない検査数は国際的信用にかかわると考えておられるからかもしれません。

 PCS検査優等生のお隣・韓国には、アメリカ大統領を始めフランス・スペイン・スウェーデンなどの首脳から問い合わせや支援要請がひっきりなしのようですし、信用ならない日本からの渡航に制限をかけている国・地域は、韓国のそれよりもずっと多くなっています(3月20日現在で、対日本209か国・地域、対韓国174か国・地域)。
 新型コロナ対応に関して、日本はまったく世界から信用されていないのです。

 昨日のハーバード・ビジネス・オンラインにも、
 米在住内科医が提言。日本も直ちに大規模な新型コロナウイルスの検査を実施し、真の感染の広がりを把握せよ
という不満の記事が載っていました。

 しかし私はこの「大規模な新型コロナウイルスの検査を実施し、真の感染の広がりを把握せよ」の意味がよくわからないのです。


【日本は必要な検査もしていないと思われている】
 大規模検査の実施といっても、まさか東京で東は江戸川区、北は足立区、南は品川区、西は八王子あたりから中心に向けて、絨毯爆撃のように全戸検査をして行け、などということではないでしょう。そんなことをしていたら半分も終わらないうちに新型コロナの流行期が終わってしまいます。毎日1万件ずつ検査しても3年近くかかるのですから。

 “いやそうじゃない、咳や発熱などの症状のある人とその周辺だけでいい”ということになればかなり絞られてきますが、例えば今日まで一人のコロナ感染者も発見されていない岩手県、ここでも咳や発熱のある人を掘り起こせば1000人くらいは出てくるでしょうが、その濃厚接触者も含めて一人につき10人を検査対象とすれば全部で10の1000倍、1万件の検査をやればいいことになります。

 ところでPCR検査1件の費用はどれくらいかかるかご存知ですが?
 日本の場合は分かりませんが、量産体制ができている韓国で1件16万ウォン(約1万4470円)だそうです(2020.03.26中央日報)。
 そうなると1万件で1億4470万円。確認しますが、まだ一人のコロナ感染も発見されていない岩手県でこれだけの費用をかけるのです。そして今ならたぶん一人の感染者も発見できない。
 意味ある検査とは言えません。
 やはり検査は感染の可能性のあるところから行うものなのです。

 しかしそうなると「真の感染の広がりを把握」できていないとされる日本は、諸外国から「感染の可能性のあるところでも検査を行わなかった」「すべき対象者をわざとふるい落としている」と思われていることになります。
 不本意ですね。


【思い出した二つの事例】
 そこで思い出したのは2月の中旬、テレビの情報番組で繰り返し出されたある診察室の情景です。
 医師の前に、カメラを背にして初老の男性患者が座っています。
 医師はレントゲン写真を見ながら、「ここに肺炎らしい影があります。コロナ検査を受けてみますか?」などと訊ね、その場で保健所に電話をします。当時は保健所を通して検査を行うかどうか決めたのです。
 ところが電話が通じない。男性は家に帰され、テロップには「後日、電話は通じたが、規定に合わないということで検査は見送られた」といった文章が流れるのです。

 ネットでは30歳代の夫が高熱と肺炎で救急搬送されたという女性が、「持病もなく喫煙もしない、ふだんかぜすらひかない夫が、過去にない酷いせきと強いけん怠感を示し、血たんやおう吐をしたのです。しかも人生初の入院、そして肺炎です なのに、検査ができません」と嘆いています。

 この人たちは「PCR検査をすべき対象者」「検査の必要な人」だったのでしょうか? この人たちの検査をしなかったことが、後々、日本の信用を落とすことになったのですから、ぜひとも検討しなくてはなりません。

 そこで私は、こんな寓話を思い浮かべました。


【真夏のインフルエンザ】
 ある暑い9月初旬の朝、私はびっしょり汗をかいて激しく咳き込みながら目を覚まします。
 のどが痛く、軽くめまいがする。熱を測ると38度5分。そこで病院に行き、診察を受ける。
「おやおや、この時期に珍しい。少し肺炎っぽくなっているかな」
 レントゲン写真を見ながら医師がそう言うので、私は、
「インフルエンザの検査をしてください」
と申し出る。
「いや、いや、いや、それはないでしょう。この時期インフルエンザの報告なんてこの辺りに一件もありませんよ」
 しかし私は引かない。
「私が今年最初の患者ということもあります」
「そりゃあ、ないわけじゃないけど・・」
「だから検査してください」
「しかしキミねぇ」
 押し問答はいつまでも続く・・・。

 残暑厳しい9月の初旬、県内にひとりの感染者もいない状況で、何が何でもインフルエンザの検査をしろというのは愚かしい行為です。しかし調べてみると9月のインフルエンザはないわけでもありません。昨年9月第1週(9月3日〜9月9日)には、全国で338件もの報告がありました(厚労省「インフルエンザに関する報道発表資料 2018/2019シーズン」)。
「私が今年最初の患者ということもあります」
も、あながち世迷いごとではありません。

 今年2月中旬、例えば20日の国内の新型コロナ感染者は94名でした。
 9月初旬にインフルエンザの検査を要求するのが愚かなら、今年2月の中旬にPCR兼査を求めるのはさらに愚かと言えるでしょう。国内で135万分の1の確率しかいないコロナ感染を恐れているわけですから。

 しかし「今は検査を求める時期ではない、陽性と出たところで本人に何もいいことはない」と説得すべきマスメディアは、全力でこれを支持し、一緒に憤りました。国会でも野党が「この国では検査の必要な40人もが保健所から拒否された」と政府を追及します。さらに政府も、安易に「検査能力を高めます」と本筋ではない約束をしてしまいました。

 こうして日本は「必要な検査もしない国」「正確な数字を出してこない国」「信用ならない国」になったのです。

(この稿、続く)

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2020/3/26

「日本のコロナ対策の陰に、頑固で信念に燃えた強い意志があるらしい」〜今さら聞けない新型コロナB  政治・社会・文化


 クルーズ船対応もPCR検査抑制も全国一斉の休校も、
 後手後手だとか唐突だとか、あれこれ批判されたが、
 今となれば「結果オーライ」
 どんなに批判されても平気で押し通す政策の陰に、
 もしかしたら頑固で信念に燃えた強い意志があるのかもしれない。

というお話。
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(「曇天の出航」フォトACより)

【一斉休校の結果オーライ】
 私は今回の日本の新型コロナ対策について、政府の中心あるいは背後に、ものすごく頑固で信念に燃えた専門家の強い意志があるような気がしています。

 クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」への対応も、PCS検査も、対中入国禁止も、あるいは全国の学校の突然の休校も、その時々は「後手後手の対応」だとか「唐突すぎる」とかさんざんに非難されても、今、ここに至ってからの「結果良ければすべてよし」感というか「結果オーライ」感は何なのでしょう?

 もっとも評判の悪かった全国一斉の休校も、今では「やはりやめるべきだった」という人はほとんどいません。それどころか現在は、「本当に4月から新学期をはじめてもいいのか」と、逆に政府の許容方針を不安に思う人まで出ています。

 休校が感染阻止にどれほどの効果があったかは、今のところ証明できていません(たぶん将来も完全な証明はできないでしょう)。
 しかし日本中の学校が休みなっている間に、世界各国、特にヨーロッパで新型コロナが蔓延し、学校どころか国全体が一斉休業みたいになるのを見て、私たちは“ああなってから休校にするくらいなら、今のうちに休んでみるのも悪くなかったのかもしれない”と思えるくらいにはなっています。
 都市封鎖や日本全体の活動制限の可能性を考えたら、今のうちにやれることは全部やっておいた方がいい、そう感じているのです。

 また、国内に200人程度の感染者しかいなかった段階での一斉休校は、私たちの目を覚まし、気合を入れるに十分な迫力がありました。意識の段階がひとつ上がったのです。
 安倍総理の独断ということになっていますが、モリカケ問題や桜を見る会で気の緩みばかりが目立つ総理およびその周辺が、自分たちだけでこんな勇猛果敢な施策に取り組んだとは思えません。誰かが助言しているのでしょう。


【ダイヤモンド・プリンセスへの対応は正しかったか】
 世界中から非難された「ダイヤモンド・プリンセス」への対応も、あれ以上のものがあったとは思えません。
 2週間の検疫の後に公共交通機関を使って帰したしたということでこれもずいぶん非難されましたが、マスコミはすでに横浜接岸一週間目あたりで、「今すぐ全員のPCR検査を実施して、陰性の乗客は帰すべきだ」と言っていたのです。

 今や私たちは、陰性と判定された人でも後に発症する新型コロナウイルスの厄介さを知っています。だから誰も言わないのですが、クルーズ船が横浜に戻って来た時点、あるいは一週間目くらいの時点で乗客全員を降ろしてしまったら、とんでもない数の陰性無症状感染者を全国に送りだしてしまったのかもしません。
 結果的にクルーズ船からの2次感染はなかったのですから、優れた方法だったと言っていいでしょう。

 横浜に着いた時点で、「ダイヤモンド・プリンセス」は十分に取り返しのつかない段階まで進んでいて、そのことを強く意識していた誰かが、「すでに感染している人たちが症状を表わすか、症状は出ないまでもPCR検査で確実に陽性になるまで待つ」というやり方を主張して、にこだわったのです。

 あれほど世界各国から非難されてもガンとしてやり方を変えなかった。
 私が、
 政府の中心あるいは背後に、ものすごく頑固で信念に燃えた専門家の意志がある
と思うのはこういうところからです。


【PCR検査はほんとうに足りなかったのか?】

 そうやって考えて行ったとき、「ダイヤモンド・プリンセス」の際もその後も、PCR検査に消極的な理由として政府は常に検査能力がないことを挙げてきましたが、私はそこに疑念を持つのです。
 
 韓国が飛びぬけた検査能力を持っていたことは特殊事情として受け入れてもいいのですが、イランだとかイタリアだとか、スペイン、フランス、アメリカ合衆国といった国々は、感染が拡大するとそれに合わせた感染者数を出してきます。つまりそれなりの検査体制が整っていたということです。
 けれど日本だけができなかった。日本では当初、1日300件程度の検査しかできなかった、日本だけが極端に遅れていた――。
 そんなことがあるのでしょうか? この日本が、ですよ?
――それが私の第4の「今さら聞けない――」なのです。

(この稿、続く)

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2020/3/25

「マスクがウイルス感染に有効だという状況証拠がある」〜今さら聞けない新型コロナA  政治・社会・文化


 マスク不要・必要論争は結局、
 「ウイルス感染を防ぐ効果はないが、したい人はすればいい」
 といったところに落ち着いたようだ。
 しかし全国の医療関係者はマスクの不足を嘆き、
 文科省も学校再開に際して「マスク着用」に触れている。
 これはいったいどういうことなんだ?

というお話。
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(「新幹線の中で眠る人03」フォトACより)

【マスクってどうなのだろう?】
 2009年の新型インフルエンザの時もそうでしたが、市場にマスクがなくなると、メディアはこぞって「使い捨てマスクに感染予防の効果はない」というキャンペーンを始め、私のようなマスク信奉者はバカ扱いにされます。

「そんな愚かな買い溜めはやめて、マスクは医療従事者に回すようにすべきだ」

 しかし私の内心の声は言うのです。
「予防効果のない使い捨てマスクを、なぜ医者は必要としてるんだ?」
 すると高みの人は上から目線で言います。
「医療従事者は一般人と違って、患者のくしゃみや咳の飛沫を浴びる可能性が高いからだ」
 私の内心の声は再びボソッと呟きます。
「ホラみろ、飛沫感染を予防できるってことじゃないか――」

 昨日の西日本新聞の記事にも、
(長崎県保険医)協会が懸念するのは、ウイルスを持っていることに気付いていない患者から医師への感染。本田会長は「患者と最初に接触するのは身近な診療所の医師。そこのマスクが足りていないのは大きな問題」と指摘。
と書いてありました。(2020.03.24西日本新聞 開業医の95%マスク不足 「診療の継続困難」長崎県に環境改善要望

 ですから私は、日本中の医師や看護師がマスクを棄てるまで、マスク信仰をやめるつもりはありません(キッパリ)。


【マスク嫌いのマスク信者】
 ――と言いながら、実は私自身はマスクをつけることが大嫌いなのです。顔の形が不向きなのかマスクをつけるとどう頑張っても眼鏡が曇るのを防げず、一息ごとに“目の前が真っ白になる”のが我慢できません。
 おまけに、耳鼻科の先生に言われたのですが、私の左の鼻の穴は、奥が極端に狭く、1:9くらいの割合でほとんど右だけで息をしているらしいのです。呼吸がほぼ一か所で行われるため、空気を吸うたびにマスクの生地が鼻の穴に張り付いて、息がとてもしにくい。だからめったにマスクはしません。

 自分はマスクを着けないマスク信奉とは何か――それは要するに“他人にマスクをしてもらうこと”を主眼とした、実に身勝手な信仰なのです。

 今の時期、店に行って従業員が全員マスクを着けていると、“少なくともここの店員からうつされることはない”と安心します。満員電車にはめったに乗りませんが、自分の周囲の全員がマスクを着けているなら、たぶん心穏やかに乗っていられると思います。

 ところがそれが欧米の地下鉄で、誰一人マスクをしてない中にポツンと一人だとしたら、それは相当に不安なことです。日本国内だったら私もマスクをしますが、だれもしていない外国社会で、自分だけが着けることには抵抗があります。もともと人の目を気にする性質ですから、おそらく欧米では着けていません。

 そんな状況で誰かが咳ばらいをしたり喉を鳴らして痰を切ったりすれば、もう落ち着いてはいられません。マイクロ飛沫がそのあたりをウロウロしているようで不安になり、じっと下を向いて耐えているしかなくなります。

 やはり彼らにはマスクをしてもらわなくてはなりません。もちろん他人に要求する以上、私もします。


【感染していることに気づかない無症状感染者にマスクを着けさせる方法】
 マスク否定論者は、
「マスクには他人に感染させない効果はある。だから罹っている人は着けるべきだ」
などと悠長に言いますが、先日のダラス空港で検疫を待つ人々の画像を見たら、欧米では誰もマスクなんかしていない。
「だからあの中に感染者はひとりもいない」と考えるほど私はお人よしではありません。ましてや「欧米人は意識が高いから、自分が感染していることに気づかない無症状感染者でも、感染者であれば人にうつさないようにマスクをしている」という論理矛盾に気づかないほどバカでもありません。

 感染者だけが自発的にマスクを着ける社会などないのです。感染者がきちんとマスクを着ける社会は、「非感染者もマスクを着けている社会」です。必要もないのにマスクを着けたがる人がいっぱいいるから、感染者も、そして自覚のない無症状感染者も、一様にマスクを着けられるのです。

 おそらく今日も日本では、無症状の感染者がそれと知らずにマスクを着けて、他の人に感染させないように努めている。
 それが実態です。中国や韓国でも同様のことが起こっています。

 いくらマスク不足が深刻だといっても、日本のマスク文化を棄ててはいけません。


【マスクが有効だという状況証拠がある】
 ところで、昔は“風邪をひいているわけでもないのにマスクをするのは日本人だけだ”などと言われましたが、SARS・MARS以来、中国人も韓国人もよく着けるようになりました。そのために今回の新型コロナ事態に際して、日本を含む三カ国は皆一様にマスク不足に悩まされました。ところがイタリアやスペインの映像を見ると、欧米では厳戒期の今であってもマスクを着ける人は稀です。それでいいのか?

 ちょっと計算してみると、新型コロナウイルスの死亡者が3277人にもなった中国は、人口が13億5800万人ですので10万人当たりの死亡者は0.24人ということになります。
 同じ計算で韓国は0.25人、日本が0.03人、それに対してイタリアは9.96人、スペインが4.74人、フランスは1.07人です。1ケタも2ケタも違うのです。
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 しかもこの数字、アジアの三カ国は最初の感染者発見から2〜3か月もかかって積み上げたものであるのに対し、ヨーロッパ三カ国はわずか一カ月で叩き出したものです。いかにヨーロッパの状況が悪いか分かろうというものです。

 要素は複雑に絡み合っているので断定的なことは言えませんが、私は何か、やはりマスクをしていた方がいいような気がするのです。
 ウイルスは1粒でも体内に入れば感染・発症するというものでもないでしょう。飛沫を半分さえぎるだけでも、感染の可能性はグンと減るとのではないかと私は思っています。いざとなったら布製マスクだってないよりはマシです。

 いずれにしろ私はマスクを手放しません。
 正確に言えば、私の近くの人には手放してほしくないのです(ワガママ)。

(この稿、続く)


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2020/3/24

「新型コロナの死亡率って、ホントはどうなのよ」〜今さら聞けない新型コロナ@  政治・社会・文化


 たぶん平均よりは遥かにたくさんのニュースに触れているけど、
 新型コロナウイルス、まったく分からない。
 当初、死亡率0.1〜0.2%と言われたのにいつの間にか1%〜2%。
 ところが実際にはイタリア9.26%、スペイン6.00%、中国4.03%、
 日本ですら3.79%。
 死亡率って、いったいどうなっているのだ?

というお話。
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(「暗い未来 不況」 フォトACより)

【死亡率1%〜2%ってどこにあるのだろう?】
 新型コロナウイルスについて、死亡率は1%程度だとか2%だとか、いったい何が正しいのかよくわかりません。

 昨日の日経新聞の統計(一昨日の分を昨日取りまとめたもの)を頼りに計算してみると、現在最悪と言われているイタリアが9.26%。スペインは6.00%、フランスは4.02%。かつて最悪だった中国が4.03%です。
 死亡者の数が比較的少なく抑えられていると私が密かに自負している日本でさえ3.79%――とてもではありませんが1%だの2%だのといった数値は出てきません。

 感染制圧の優等生と言われる韓国はどうでしょう?
 調べてみると1.24%で確かに抜群の低さですが、それを言うなら今、急激に感染者を増やしているアメリカ合衆国はわずか0.76%(202/26747)しかないのです。さすが世界をけん引する医療先進国アメリカということなのでしょうか?

 おそらくそうではありません。どうやら死亡率の計算および比較というものには、一筋縄では済まない難しさがあるようなのです。


【韓国:異常に低い死亡率のしくみ】
 例えば韓国の死亡率の低さですが、これには三つの要素があります。
 もちろん医療技術の先進性ということが第一ですが、第二の要素として徹底した検査によって、日本などでは見落とされている(かもしれない)無症状の感染者を大量に炙り出したため、そもそも分母が非常に大きいのです。分母が大きければ値は当然、低くなります。

 第3に、他の国々では高齢者の感染例が多いのに、韓国の場合は20代の感染者が28%と際立って高い傾向にあることが上げられます。
 最初の感染爆発が新興宗教の「新天地」だったということもあって若い感染者が非常に多く、新型コロナでは若者の重症化例・死亡例は少ないということになっていますから、これによって死亡率が下がったとも考えられるのです。

 もちろんだからと言って、韓国の数値は当てにならないというつもりはありません。その程度の偏りは、統計学的に修正できるからです。
 無症状の者も含めた感染者という意味では、中国武漢と並んで韓国が最も多くのデータを持っていますから、その数字は今後の研究にきっと役立つはずです。
 将来、最も正確な死亡率は、韓国から出てくるのかもしれません。


【中国:感染は収まっても死亡率は上がり続ける】
 中国が感染のピークだった2月上旬、2%と言われた新型コロナの死亡率は実計算でも2%程度でした。しかし先に上げたように現在は4%を越えています。いつの間にか2倍以上に上がってしまったのです。
 どうやら中国政府の言う通り新型コロナ感染が収まっていくにしても、いや収まっていくならなおさら、死亡率は上がっていくようなのです。

 なぜなら今も中国国内には5000人を越える入院患者がいて、その中から今後も死亡者が出続けるからです。分母(感染者)が減っているのに、分子(死亡者)が足踏み状態、それが死亡率を押し上げるのです。
 
 感染と死亡の間にはタイムラグがあります。
 中国でピークが過ぎたのに死亡率が上がり続けるのはそのためですし、つい最近になって感染者が爆発的に増えつつある合衆国の死亡率がわずか0.76%しかないのもそのためです。
 日本の3.79%も今後そう簡単に減ったりしません。もし突然下がるとしてら、それは感染爆発で感染者の数(分母)が飛躍的に増えた場合です。

 しかしそれにしても、新型コロナウイルスの死亡率、実際のところどれくらいなのでしょう?


【イタリア:“検査のしすぎ”ができるほどに検査体制がしっかりしていた?】
 イタリアの感染爆発について、三つの原因が指摘されています。
 ひとつは世界第二位の高齢化率(23%)、検査をしすぎて軽症患者も病院に押し寄せ医療崩壊が起こったこと、そもそも緊縮財政のために病院・医師・看護師の数が少なかったこと。

「ポピュリスト政治家のために医療費がタダ同然となったのはいいが、国家の支出が膨大となり、今度は支出を減らすために病院と医療関係者の数を減らした」
というロクでもない仕組みについて知ったのは良かったのですが、高齢化率と検査のしすぎについてはやはり理解できません。
 高齢化率だけで言えば日本はダントツの世界一位(28%)ですから、我が国こそ危ないはず。しかし死亡者は少ない。
 要するにイタリアも感染爆発さえ起こさなければよかったのです。

 一方、「検査のしすぎ」の方も分かりません。
 韓国ではMARS事態(2015)に感染爆発を経験しており、その反省から(前政権が?)十分な検査体制を取っていたというのは理解できます。日本では1日に300件しかPCR検査ができない時期に、1日1万件(現在は1万8千件)もの検査ができたというのですから驚きです。

 それはいいとして、イタリアをみると3月1日に1000人ほどであった感染者がわずか22日間で6万人近くにまでなっています(*)。PCR検査の観点から言えば、陰性だった人や2度以上検査を受けた人、退院のための2度の陰性確認まで計算すると日本の10倍以上の検査能力があったことになります。

 スペインもフランスもアメリカ合衆国も同じです。ということは、先進国の中で日本だけが異常に検査体制が遅れていたということになりますが、そんなことってありえるのでしょうか? いつでも左右を見回して遅れのないようにしているこの国が、です。

 それが私の、第二の「今さら聞けない新型コロナ」です。

*・・・23日中に6万人を越えました。

(この稿、続く)


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2020/3/23

「2019年度終了」〜皆さまご苦労様でした  教育・学校・教師


 ボケが始まっているのか、
 今年度の卒業式・修了式がすでに終わっていることを忘れていた。
 そこで慌てて2019年度を振り返り、
 新年度に備えたいと思う。

というお話。
クリックすると元のサイズで表示します
(「夜桜」 フォトACより)

【2019年の最後を忘れる】
 定年退職この方、晴耕雨読の仙人みたいな暮らしをしていると、テレビのニュースや情報番組に出てくるような話題にはけっこう強くなる(何しろよく見ているから)ものの、日常的な感覚からどんどんずれて行ってしまいます。

 先週も九州旅行について月曜日から書き始め、やれやれうまく五日間に収められたワイ、と思ったら金曜日が休日で、泣く泣く節を曲げて休日の更新ということになってしまいました。毎日が日曜日だとあれほど楽しみだった祭日でさえ忘れてしまうのです。
 おまけに世の中の大部分の学校は19日の木曜日までに卒業式・修了式を終えており、20日以降は春休みになっているということにも気づきませんでした。
 基本的に学校の年暦に合わせて長期休業も取っているこのブログで、春休みの最中に記事を上げなければならないのもそのためです。


【2019年度はこんな一年だった】
 先生方、児童生徒の皆さん、保護者の皆さま、ご苦労さまでした。
 今終わろうとしている2019年度は、何年か経って振り返ると、もしかしたら新型コロナウイルスに振り回されて授業が尻切れトンボに終わってしまい、卒業式まで縮小された寂しい年だったということでしか思い出されないのかもしれません。そのくらい衝撃的なできごとでしたから。
 しかしつぶさに見れば、そのほかにもたくさんの重要な事件・できごとがあったのです。

 年度の始まりと終わりで年号が異なるというのも、めったに経験できないことでしょう。私にとっては昭和で始まり平成で終わった1988年度以来のことです。

 切ないほど天災の多い一年でもありました。特に8月から10月にかけては、九州北部豪雨(8月)、台風15号災害(9月)、台風19号災害(10月)と毎月どこかで大きな自然災害が起こっていました。

 天災ではありませんが、ノートルダム大聖堂と首里城という私たちには馴染の深い建物が焼け落ちたのも今年度のことです(4月・10月)。

 同じ火災でも京都アニメーションは、放火テロといっていい陰惨な事件でした(7月)。また川崎で小学生らが19人も刺され2人が亡くなったのも今年度のことです(5月)。

 子どもが犠牲になったものとしては、保育園児の列に車が突っ込んだ大津の事故(5月)がやはり考えさせられました。また池袋で起こった高齢者による交通事故(4月)は、別の意味で心に残るものです。同じ高齢者による事故でしたから。

 芸能人による薬物事件が続きました。コカインの使用で逮捕されたピエール瀧が保釈されたのが4月、続いて沢尻エリカが逮捕され(11月)、槇原敬之も逮捕されてしまいました(2月)。
 芸能界と薬物に関する事件は今後も続くのかもしれません。

 海外では6月に始まった香港の反政府デモ、イギリスのジョンソン首相就任(7月)からEU離脱(1月)に至る一連の動きが強く記憶に残るところです。
 2019年12月4日、アフガニスタンで中村哲さんが銃撃され殺されてしまいました。アフガニスタンのために生涯を尽くした人がアフガニスタン人によって殺されるというのはやはり衝撃的でしたが、それが彼の国の状況なのでしょう。国家が安定しないと不幸は続きます。

 こうしてみると今上天皇即位に関わる一連の行事ですら霞んでしまうのは切ないことです。
「新元号は『令和』です」
と菅官房長官高らかに宣言したのはまだ1年も経たない昨年の4月1日のことです。令和を冠した最初の月が5月、即位の礼が10月22日、祝賀のパレードは11月10日でした。大嘗祭は11月14日。
 改めて書き記してみると、やはり心に残る大きなできごとでした。

 さらにおめでたい話を探しましょう。
 小泉進次郎氏と滝川クリステルさんが結婚(8月)というのはいかがですか? いやそれよりも蒼井優さんと山里亮太さんが結婚(6月)の方が“おめでたい”と感じる人も少なくないと思います。

 誰にとっても“めでたい”と言えるのは若干20歳の渋野日向子さんによる全英女子ゴルフ制覇(8月)。そしてそれ以上に私たちを興奮させたのは吉野彰さんのノーベル化学賞受賞(10月)でした。日本人としての誇りを感じるできごとです。

 その他、消費税10%がスタートしたのが10月、ローマ法王の38年ぶりの来日(11月)というのもありましたが、まさか、2019年度を「カルロス・ゴーンがレバノンへ逃げた年」(12月)で記憶する人はいないでしょう。


【2020年度もよろしくお願いします】
 新年度(2020年度)は、とりあえず「新型コロナウイルスとどう付き合っていくか」が大きな主題となる年度です。これだけ世界に蔓延すると今年度中の終息というのも難しいかもしれません。東京オリンピックの難しさも然りです。
 社会全体も学校も、この先ずっと苦しい生活を強いられます。たくさんの子どもを引率して長い長い崖っぷちの道を歩くような日々です。
 しかし私はこの国と日本人を信じています。

 私たちは明治維新だって関東大震災だって、太平洋戦争だって東日本大震災・原発事故だって凌いできたのです。「新型コロナウイルスの何をか怖れんや!」です。もちろん全く怖れないのは困りますが、きっとうまくやり過ごせるはずです。
 間もなく始まる2020年度、そのための準備を今から怠りなくやっていくようにしましょう。

*上でも書きましたが、このブログも学校の年暦に合わせて春休みに入ります。週日は毎日更新するという縛りから自分自身を解放するわけです。
 ただし新型コロナと学校の運営に関して日々状況が動いていますので、まったく更新しないということもないと思います(実際、明日も更新しようかという気持ちもあります)。
 新年度新学期は4月6日(月)再開を期しています。それまでは私もゆっくりしながら先のことを考えようと思います。


 それではまた。皆さま、よろしくお願いいたします。

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