2020/2/18

「不要不急でもないし、在宅勤務も時差出勤もできない」〜新型コロナと学校  教育・学校・教師


 いよいよ水際から、深く侵攻してきた新型コロナウイルス。
 対応策として、政府、医学関係者、マスメディアから、
 様々な提案があるが、学校は守れない。
 いったいどうしたらいいのだ?

という話。
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(「2019新型コロナウイルス」パブリックドメインQ より)

【在宅勤務も時差出勤もできない】
 新型コロナウイルスもいよいよ市中感染を心配する時期になってきて、ニュース番組を通して国立感染症研究所長などは、
1 在宅勤務
2 時差出勤
3 不要不急の集会への不参加

等を提案しています。
 でもこれ、学校の先生はひとつも実行できませんよね。

 また、先週13日あたりから急に増えてきた感染経路不明の感染者の中に、医療関係者がかなりの割合で入っていて、中には熱があるにもかかわらず診察を続けた医師もいたのですが、さすがに「熱があるなら休めよ」といった批判は少なかったようです。地方の病院で医師が簡単に休めない現状については、多くの人が承知しているからです。
 新型コロナだと分かっていればまだしも、代わりがいないのに風邪症状くらいで休めるはずがありません。

 教員も同様です。
 数年前までは教師に問題があるとすぐに、担任を交代させろ、他の先生を寄こせといった話になりましたが、学校内に手の空いた先生などおらず、担任を休職に追い込んだら副校長先生が片手間に担任業務をしなくてはならなくなる状況は、だいぶ知れ渡るようになっています。さらに最近は、校内どころか校外にも代わりの先生がいなくなりつつあります。


【受診の目安も守れない】
 政府の専門家会議は昨日(17日)、医療機関の受診の目安をまとめ、発熱など風邪に似た症状が4日続く場合は「帰国者・接触者相談センター」に相談し、センターが指定する医療機関で受診するよう求めました。
(参考)新型コロナウイルスに関する帰国者・接触者相談センター

 具体的には、
1 発熱などの風邪症状が出た場合は、相談や受診をする前に学校や仕事を休み、外出を控えた上で、体温を毎日測って記録しておくこと。
2 37.5度以上の発熱や息苦しさが4日以上続いた場合などは、保健所などの窓口に相談する。
3 特に高齢者や持病(糖尿病、心不全、慢性閉塞性肺疾患《COPD》など呼吸器疾患など)がある人や妊婦などについては、発熱などが2日程度続いた場合は窓口に相談する。
4 子どもが特に重症化する例はないので、他の人と同様に対応する。


 しかし子どもならまだしも、大人だと教員に限らず、「発熱などの風邪症状が出た場合は、・・・仕事を休み、外出を控えた上で・・・」なんて簡単にはできそうにありません。多少熱があっても職場に出かけ、2日半くらい働いて「ヤバイ、かも?」と感じて対面上、帰宅し、4日目になって本気で心配する――その程度が関の山です。
 教員だったらその間に、子どもたちにウイルスをばら撒いています。どうしたらいいのでしょう?


【とりあえず目前の行事をどうするのだ?】
 もっとも教員自身が罹患して子どもを巻き込む心配をする前に、厄介なことが山ほどあります。
 当面、問題となるのが入試でしょう。
 不要不急の集会への不参加といっても入試は不要ではありませんし、どんなに延期したところ3月中旬には終えていないと学級編成もできないことを考えると、不急でもありません。もちろん中止という選択肢はありませんから予定通りやるとして、風邪症状の受験生を受け入れるのか、学校閉鎖・学年閉鎖の学校からくる受験生をどうするのか――これは喫緊の問題です。

 そもそもそれ以前に、校内から一人でも新型コロナウイルス感染者が出た場合、学校はどう対処するのか。
 11年前の新型インフルエンザは5月の初旬に日本に入って、7月に普通のインフルエンザ扱になりましたから学級閉鎖も学校閉鎖も簡単でした。欠落した時数は残り8カ月で取り戻せばよかったからです。延期した行事も2学期以降、実施できる場合が少なくありませんでした。
 ところが今回は2月も下旬です。時数は誤魔化すにしても、終わっていない単元をそのままに進級・卒業させるわけにもいきません。

 卒業式は中止するとして、4月の入学式はどうするのでしょう。地域によっては新年度早々に修学旅行を行う学校もあります。キャンセルするなら早めの対応が必要ですが、それにしてもまだ県内に一人の感染者もいないという状況だと決断しにくい――もちろん地元の感染者が10名以下なら実施といった目安があるわけでもありませんが。

 それら全部をひっくるめて、学校や教育員会、校長先生や教育長の頭の痛い時期が続きます。
ほんとうに、どうなるのでしょう?

*余談ですが、教員の出世の終着点は教育長。しかしこういうことがあると、そこまで出世してしまう人の気が知れません。

 

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2020/2/17

「落ち着いていたのに、改めて新型コロナに振り回された話」  政治・社会


 新型コロナウイルス。
 春節で大量の中国人を招き入れた以上、日本で広がるのも当たり前だと思っていた。
 ――その時期はむしろ落ち着いていたのに、
 あまりにも広がらないのを見て妙な期待を抱き、
 やっぱり拡散している状況を見て、改めてうろたえた。

という話。
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(「ダイヤモンドプリンセス」フォトACより)

【「すでに広がっているからいいんじゃないか」と思っていたころ】
 思ったより厄介なことになってきちゃったな、というのが今の気持ちです。

 春節が始まった1月末、テレビの画面で、レンタル着物を着てマスクもせず走り回る中国人観光客が、マイクを向けられ、
「大丈夫! 日本では新型コロナは流行ってないし空気はきれいだから」
といっているのを見て、
「心配しているのはオメェがうつるんじゃないかってことじゃなくて、オメェがうつすんじゃねえかってことだろ!」
とツッコミを入れていた時期はむしろ余裕でした。

 第1便、第2便のチャーター機が武漢から連れ帰った日本人の中に意外なほど体調の悪い人がいて、しかものちに陽性と報道された時も、
「武漢の空港で中国側の検疫に引っ掛からなかった人は、多少怪しいと思ってもみんな連れてきたんだろうな。現地ではロクな医療も受けられないだろうから、できるだけ多くの日本人を連れ帰ろうとしたのだろう。ありがたいことだ」
 そんなふうに思っていたのです。

 いち早く救援機を出したアメリカや日本のような国もあれば、金も外交力もないので自国民に自力で帰るよう呼び掛ける程度のことしかできない国や、中国との関係を慮って「絶対に帰ってくるな」と逆に叱咤される国もあるのです。さらに国が救援に乗り出しても、民間機の乗務員の拒否にあい、しかたなく居心地の極めて悪い軍用機で帰さざるを得なかった国もありました。
 そう考えると、この国に生まれて本当によかったなあと思ってもいたりしたのです。

 大型クルーズ船「ダイヤモンドプリンセス」が横浜に入港した時点でも、おそらく体調の悪い数十人の中に感染者が4〜5人くらいいて、この人たちには入院してもらってあとは2週間も我慢してもらえば大したことはなく終わる。むしろ保健当局の監視下あるのだから幸せだ。日本のあちこちで知らないうちに新型コロナウイルスに感染して、意味のない治療を重ねたうえで重症化するよりよほどいい、そんなふうに考えていたのです。


【チャンスがありそうでうろたえる】
 ところが1月末に奈良のバス運転手の感染が明らかになり、その関係で2名の三次感染者が報告されたきり、そのあと国内での感染例が全く出てこない。これはもしかしたら国内感染はうまくかわせて、武漢からチャーター機で帰国した人たちとダイヤモンドプリンスの乗客・乗組員さえきちんと管理すれば、日本国内で新型コロナは広がることなく終わってしまうのかもしれない、そんなふうに思えてきたのです。
 やはり日本も日本人も優秀で、この国は中国にはならない、そんな誇りも感じ始めていました。

 しかしそれきりダイヤモンドプリンスの方は一向に検査が進まない、進まないくせにやるたびに二けたの感染者が出てくる。もうこうなると潜伏期間に発症する人を待っていたのか、船内で感染者を増やし続けていたのか分からなくなります。
 さらに13日になると、東京で、横浜で、和歌山で、千葉でと、次々と直接的な感染源の分からない感染者が同時多発的に現れてきます。

 私は二十数年前にガンに罹ったことがありますが、最初の病院でステージは3a期か3b期と言われて「これは終わったな」と思い、終わったと思っている間は良かったのですが、セカンドオピニオンで訪れたガン専門病院で「2期ですな」とステージを下げられてかえって震えました。生きるチャンスがあると思ったら恐怖が降ってきたのです。

 2月の第一週くらいまでは、「どうせ入り込んでいるのだから今さらじたばたしてもしかたがない」と本気で思っていたのに、それがうまくかわせるかもしれないと期待が膨らんで、そのあと“やっぱりダメみたい”と元に戻ったら、前とは違ってすっかり落ち着かなくなってしまったのです。
 不思議なもので急にそわそわして、いまさらながらアルコール消毒液などを探しに薬店に出かけたりしました。


【やはり基本が大事、インフルエンザに気をつかうつもりで】
 しかしやはり元に戻りましょう。

 中国武漢は市内全体が戦場で、体育館などの臨時も含めた医療施設は野戦病院みたいになっていて状況は極めて劣悪です。だから死者も少なくなく、今回の新型コロナでの死亡率は中国全体で2.4%にもなります。
 けれど中国以外での死亡者は香港・フィリピン・日本・フランスの4人だけ。一昨日までの感染者693名の0.6%にしかなりません。しかも新型コロナを疑わずにムダに過ごした時間もあってのことです。

 ちなみに14日の厚労省の発表では、令和2年第6週(令和2年2月3日から令和2年2月9日まで)のインフルエンザ患者数は4万4737人。全国で29の小中学校が学校閉鎖になっており、1760の学校で学級閉鎖が出ています。
445人が入院しており、うち17名はICUでの治療です。
 確かに横浜の女性のようにこの国でも新型コロナで亡くなる人はいます。しかしありふれたインフルエンザで亡くなる人だっているのです。

 おりしもアメリカでは現在インフルエンザが猛威をふるっており、アメリカ疾病予防管理センターの発表(2月9日)では、この冬の患者数は2200万人、21万人が入院し、推定死者は1万2000人。患者数は新型コロナの300倍、死者は7倍です。
 そうなると新型コロナに目を奪われず、普通のインフルエンザにも注意しておかなくてはならないことになります。高齢者や持病のある人が危険なのは同じですし、対処方法も同じです。

 手洗い、うーがい、ヤクルト!! じゃなくて“マスクと消毒”

 私にとってはいずれも習慣化されていないものですから、少し頑張りましょう。私はともかく、93歳の母にうつしてはいけませんから。


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2020/2/14

「中国はそろそろ新型コロナウイルスをコントロールできるようになってきたのかもしれない」  政治・社会


 中国における新型コロナウイルスの感染者と死亡者に関する昨日分の数字が出て来ました。
 一昨日(12日)はたった一日で感染者が1万4840人、死亡者も242人という爆増でしたが、今日出てきた数字だと、昨日(13日)一日分の新たな感染者は4091人、死亡者は131人でした(メディアによって若干数値が異なる)。
 やはり12日の異常な数字は、未報告分を一気に放出したためでした。
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 それでも3日前(11日)よりはずいぶん増えていますが、これは「『臨床診断』で新型コロナウイルス感染者および新型コロナウイルスによる死亡者も含める」という新方針に従ったためで、想定内というよりはむしろ少ないくらいです。
 明日以降どうなっていくか、関心を持って見ていきましょう。

ところで13日一日で新たに増えた感染者が4358人はいいにしても、死亡者の25名増はあまりにも少なすぎないか――。
これについて、昨日の時事通信は、

 前日の発表と比べ死者は13人、感染者は4047人それぞれ増えた。死者の増加幅が小さいのは、湖北省が「重複の統計」108人分を訂正して差し引いたことによる。
と説明しています(数字は私のものと多少違うようです)。

 正直言ってなんのことかよくわからないのですが、中国政府の発表には、まだまだ混乱があるのかもしれません。
 いずれにしろ、中国から次々と流入する部分が減らないと、内部でいくら努力しても感染は防ぎきることができません。

 加油! 中国!!



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2020/2/14

「仏は、殺人者も救う」〜父が子に語る仏教概論E最終  歴史・歳時・記念日


 武士の時代とは結局、
 殺人集団・殺人予備軍が大手を振って闊歩した時代だとも言える。
 武士たちは、だから皆、地獄に落ちる運命にあった。
 そのあとをついて走り回る農民も同じようなものだ。
 さて、この人たちを、仏教はどう救うことができたのか。

という話。
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(「永源寺(もみじ寺)の紅葉」PhotoACより)

 仏教の勉強をしたいという息子のために、簡単な授業を始めました。
 個人的な家庭内の勉強ですが、もしかしたらこれから京都・奈良に修学旅行で生徒を引率する先生や歴史学習のバックグラウンドとして仏教の知識が欲しい先生、あるいは教員でなくても“ちょっと仏教をかじってみようかな”と軽い気持ちで思っている人にも役に立つのではないかと思い、しばらくここで話してみようと思います。


【普通の人が、日常の努力で、覚醒者(仏陀)に生まれ変わる方法――浄土教の教え】
 お釈迦様のように宇宙や世界の真理を会得して覚醒者(仏陀・仏・如来)になる、というのは仏教の基本的な願望です。
 奈良仏教はそのための研究に余念がありませんでしたし、平安密教では“即身成仏(行を通してその肉身のまま仏になる)”を目指して厳しい修行を積んだり、実際に即身仏(土中に入って瞑想をしながら絶命しミイラ化する)になる僧もいたりしました。
 しかし一般人はそういうわけにはいきません。
 難しい学問や厳しい修行など夢のまた夢。第一、生活がありますし、庶民がきちんと生計を立てて布施をしなければ教団や寺院を維持することもできません。

 学問や修行をしなくても、阿弥陀如来(阿弥陀仏)という偉大な仏の慈悲にすがれば、普通の人間でも死後、阿弥陀如来の主催する世界「極楽西方浄土」に生まれ変わり、そこで覚醒者(仏)になれる――そう教える浄土教は、だから多くの人々の心をつかんだのです。
 
 すでに飛鳥奈良時代から阿弥陀如来像は作られていましたが、平安時代に入ると空也、源信といった名僧が現れ、浄土信仰(浄土教)は庶民の津々浦々まで広がっていきました。
 朝廷の中にも、斜陽の貴族の長、藤原頼道のように熱心に阿弥陀仏を崇拝する人も現れ、宇治平等院のような美しい寺院も建てられます。
 ただし飛鳥・奈良・平安を通して、浄土教は宗派として独立することはなく、天台宗の中に取り込まれたり庶民の宗教として流布していたりするだけでした。
 それが宗派として独立するには、鎌倉時代の法然まで待たなくてはならなかったのです。


【“地獄に仏”の仏には名前がある:武士と禅宗】
 鎌倉時代は言わずと知れた武士の時代です。ただ、この「武士」という新たな権力層は、宗教的にとても厄介な運命を背負っていました。彼らはどうみても殺人集団なのです。

 不殺生は仏教の在家信者が守るべき五戒の第一です。ところが武士はすでに何人も殺しているか、いずれは人を殺すかもしれない運命にありました。いかに包容力ある仏さまであろうと、大量殺人者を救ってくれるほど甘くはないでしょう。
 したがって武士たち自らが救われることを諦め、ひたすら心の平安を求めました。死後のことも心配でしたが日常的に死と隣り合わせですから、常に安定を取り戻す工夫が必要だったのです。人殺しは、勝っても負けても楽な仕事ではありません。

 座禅を組み、茶を嗜む。枯山水を愉しみ、水墨画を愛でる――当時輸入されたばかりの禅宗はその質素さで武士たちの生活にぴったりでした。
 こうして臨済・曹洞の二つの禅宗は、武士の生活の支えとなっていったのです。

 もっとも、彼らは仏からまったく見放されていたわけでもありません。殺人のために地獄に落ちたとしても、そこへ救済にやってくる存在がひとつだけあったからです。
 仏(仏陀・如来)ではありませんがその候補生の中に、自らが仏となることを諦め、人間が死んでから向かうとされている六つの世界(天道・畜生道・人間道・餓鬼道・阿修羅道・地獄道)へ、六つに分身してそれぞれ駆け付ける菩薩がいたのです。
 彼はまだ修行の身だったので頭も丸めたままです。粗末な法衣を着て、6人ひと組で私たちを見守っています。
 そうです。地蔵菩薩です。
 地蔵だけが地獄に入り込んで人々を救おうとできる、鎌倉に行くとあちこちで六地蔵を見かけるのはそのためです。


【庶民の味方=浄土系四宗と日蓮宗】
 人を殺せば地獄に行くしかない――その悩みは農民にもありました。
 彼らの多くは農閑期には領主にやとわれて戦地に向かう半農半士の地侍でしたから、武士と同じく“死んだら地獄に行くしかない”と感じていました。一般人ですから上級武士のように、“いざとなったら従容として死地に赴く”というわけにはいかないのです。

 そうした庶民の願いを救ったのが、長く阿弥陀信仰として広がっていた浄土教です。
 鎌倉時代に入って法然が浄土教を立て、親鸞が引き継いで浄土真宗を興します。

「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」
 善人だって往生(極楽浄土に往って仏として生きること)ができるというのに、悪人が往生できないわけがないじゃないか。お前たちは自分が悪人(人を殺した者)だと知っているから阿弥陀仏への祈りも半端じゃない。
 善人たちが心の隅で、“自分は善行を積んだから極楽に行けるんじゃないか”とどこか甘えた考えを持っているのと違って、お前たちには祈りしか残っていない。だからお前たちの祈りこそ本物で、阿弥陀仏はその名を真剣に唱えれば、きっと救ってくれるに違いない。(悪人正機説)

 
 そう教える親鸞の言葉は、庶民たちにとってどれほど励みとなったか容易に想像できるところです。

 鎌倉時代には浄土宗・浄土真宗以外にも時宗・融通念仏宗といった浄土教系の仏教が次々と立てられました。それはこの時代がいかに殺伐としていたかの裏返しだったとも言えます。

 なお、同じ時期、日蓮は「妙法蓮華経(法華経)」を中心とする日蓮宗を開きます。
 この宗派の際立った特徴は「現在」と「この国(日本)」にこだわることです。浄土教のように理想の国(極楽浄土)に生れなおすことを本願とするのではなく、あくまでも「この場」「この時」にこだわり、世直しとか国の安泰とか、私たちの生きる現実の世界を具体的によくしていこうと考える側面が、かなり強いのです。

 日蓮宗が他の宗派には見られない積極的な政治への姿勢を見せるのはそのためで、宮沢賢治や石原莞爾、二・二六事件の思想的指導者・北一輝や一部青年将校の心をとらえて離さなかったのもそのためです。
 日蓮正宗の講として始まった創価学会が、日本初の宗教政党「公明党」をつくって政治に参加しようとするのも、同じ思想の流れに沿ったものです。

(この稿、終了)

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2020/2/13

「新型コロナの感染者と死亡者が爆発的に増えたのは、統計の基準が変わったからだ」  政治・社会

 
 昨日、新型コロナウイルスはピークを越えたのかもしれないと書いたばかりなのに、昨日一日で、突然、感染者が1万4840人、死亡者も242人も増えてしまいました。

 感染者はここのところ減る傾向にあったのに、一気に7.3倍にもなり。死者も一昨日はじめて減少したというのに、昨日は一昨日の2.5倍にもなっています。

 それをグラフにすると次のようになります。

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 こんなアホなグラフはそうはないのであって、統計の専門家に聞けばきっとこう言うはずです。
「考えられる原因は三つ。
 一つ目は単なるミス。計量値でいうとsとgを間違えるといった場合。
 二つ目は恣意的な誤魔化し、隠ぺいなどの場合。
 ただし新型コロナに限って言えば、数が多くなってしまうミスはすぐに発見されて訂正されるだろうし、誤魔化して増やすこともあるまい。
 したがって可能性は残りのひとつ。
 統計に載せる基準が変わった。
 これだけであろう」


 私はいじめ問題につて継続的に見てきましたが、学校におけるいじめの件数はしばらく減り続けた後で突然跳ね上がる傾向があります。これもそのときどきで報告すべきいじめの定義が変更されたためです。

 新型コロナについても同じことが言えるはずです。
 しかし今回の数字、
 これまで統計に含めなかったものを一気に投げ込んできたものなのか、それとも本当に昨日一日で増えた数字なのか、それは明日になってみないと分からないことです。後者だとするとまことに恐ろしいことですが――。


《追記》
午後になってこういう記事が出ました。
 湖北省政府は感染者と死者の急増の理由について、これまで発表していなかった「臨床診断」で感染者と判断されたケースを含め、結果を修正したと説明している。臨床診断による増加分は感染者が1万3332人、死者は135人という。
 中国紙・環球時報(電子版)は臨床診断について、ウイルス検査で陽性の結果が出ていなくても、新型肺炎特有の症状の有無で感染しているかどうかを判断する方式だとする専門家の見方を伝えた。
2020.02.13 読売新聞「湖北省の死者242人増、「臨床診断」含め大幅に修正」
 要するに“きちんとした検査をしていなくても明らかに新型コロナウイルスによる症状または死亡だと考えられるものも含めるようにした”ということです。
 他地域がそうしていたのなら、湖北省も最初からそうすべきでした。これでは隠ぺいといわれても仕方ないでしょう。

 なお、そうなると臨床診断を含めない感染者の増加分は1508人、死亡者は107人。昨日までの基準で考えると感染者は25%減、死亡者は13%増(ただし三日前よりは少ない)ということになり、やはり良い方向に動いているように見えます。



(参考)
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2016/3/3「いじめ隠しはない、しかしいじめは増え続ける」〜自分の目で見る➈


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2020/2/13

「人々を魅了する呪術の世界−密教」〜父が子に語る仏教概論D  歴史・歳時・記念日


 庶民は苦しんだが高級貴族がこの世の春を楽しんだ平安前期、
 さっぱり分からないが見かけが派手で何かおどろおどろしい、
 そんな仏教が流行する。
 偉大な指導者に恵まれた密教は、人々を魅了した。
という話。
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(「京都御所」PhotoACより)

 仏教の勉強をしたいという息子のために、簡単な授業を始めました。
個人的な家庭内の勉強ですが、もしかしたらこれから京都・奈良に修学旅行で生徒を引率する先生や歴史学習のバックグラウンドとして仏教の知識が欲しい先生、あるいは教員でなくても“ちょっと仏教をかじってみようかな”と軽い気持ちで思っている人にも役に立つのではないかと思い、しばらくここで話してみようと思います。


【平安の遊び人一族と教育ママ】
 子どものころ、自分の家の祖先は貴族だと教えられて何か誇り高く、気分が高揚したものです。しかし大人になってきちんと勉強したら、貴族というのは碌でもなく、いちおう政治家ではありますが“朝廷”の名の通り、政治なんて朝のうちに済ませて後は遊んでいるだけの暇人たちでした。その“朝だけの政治”も民衆をいかに収奪するかが主要な課題で、聖武天皇や光明皇后のような気高さの欠けらも感じられません。
 もっともそのころには私の祖先が貴族だなんていうのはまったくの嘘っぱちで、貴族というよりは山賊の類だと知っていましたから、貴族が碌でもないことはどうでもいいことになっていました。

 平安時代の上級貴族の多くは、荘園から上がってくる富にものを言わせ、和歌だの音曲だの舞だのにうつつを抜かし、儀式を限りなく複雑にして楽しんでいました。源氏物語や女官たちの日記がやたら細部にこだわって、着物の柄だの人の立ち振る舞いだのの記述に詳しいのも、きちんと記録しておかないと翌年の儀式に差しつかえると考えたからなのかもしれません。その記録をもって我が子にきちんと教えておかないと、子の出世、ひいては自分の老後に関わると感じていたからです。
 その意味では、平安の教育ママたちは今よりも大変でした。母子の生活そのものがかかっていたわけですから。
 目指す目標は摂政・関白、あの「この世はまるですべて私のもののようだ。満月がほんの僅かもかけていないように」と詠んだ藤原道長のような人物です。


【密教は分からないところがいい】
 貴族たちは生粋の遊び人でしたから、多くは難しい学問などまっぴらでした。聖徳太子や聖武天皇は一面で真面目な仏教学徒でしたが、平安貴族はそうではありません。僧侶の難しい話を聞いたり、光明皇后のような無料奉仕に熱心になれたりするはずもない。
 もちろんだからといって宗教を疎かにできるほどの近代人であったわけでもなく、無病息災や地位保全、一族の繁栄を願わないわけでもありません。
 するとよくしたもので、彼らの要望に応える仏教が現れてきます。真面目な勉強や厳しい修行を強いることなく、金の力だけで救いをもたらしてくれる宗教――それが密教です。

 密教というのは教団の内部だけで、秘密の教義と儀礼を師から弟子へと口述で伝えていく仏教のことで、神秘主義的、象徴主義的な教義が中心になっています。神秘体験を重視し、瞑想を重んじ、曼荼羅や法具類、多種多様な仏像といったきらびやかな装飾で人々を幻惑する側面を持ちます。
 釈迦は、
「自分の悟った真理を説いても人々は理解できないだろう。語ったところで徒労に終わるだけだ」
と考えましたが、密教はそうした部分を色濃く反映したと言えます。

 日本では空海の真言宗と最澄の天台宗が代表的な密教で、現在も空海に由来する京都の東寺に行くとそのきらびやかな世界、ある種おどろおどろしい雰囲気が体験できます。

 私も密教を知りたくてしばらく勉強してみましたが、とてもではないが歯の立つものではありません。しかしその難解さ、神秘性は少し触れただけでもピリピリと伝わってきてそれ自体が魅力として感じられます。おそらく平安貴族の心をとらえたのも、同じものだったのでしょう。

 即身成仏(生きたままで仏《覚醒者》になれる)を標榜していますから僧には千日回峰行のような超人的な修行を求め、護摩を焚いたり、後の忍者のような複雑な印を結んだり、大きな声で呪文(マントラ)を唱えたりと、異様な光景が繰り広げれられますから、もうそれだけで大きなご利益が得られそうな気がしてきます。

 貴族たちは進んで土地を寄進し、財力に任せて巨大寺院を造営したりしました。
 こうして平安時代前期は、真言宗・天台宗という二大密教によって導かれて始まるわけです。


【ちょっと切羽詰まってきた】
 西洋で最初の千年紀を終えるころ、日本では平安時代も後期に入ってくると、少し事情が変わってきます。全盛を極めた藤原摂関家の勢いが止まり、貴族社会の足元がぐらつき始めたのです。

 道長の子の頼道は父に倣って次々と娘を宮中に入れますが男子に恵まれず、刀伊の入寇・平忠常の乱・前九年の役など次々と戦乱が起こると、ついに頼通と縁の薄い後三条天皇が即位し、藤原氏の権勢は急速に衰えていくのです。

 おりしも仏教が予告するこの世の終わりの始まり――末法入年(1052年)は目の前に迫ってきました。もう密教僧侶の呪術を見ているだけでは済まなくなり、自らも仏に働き掛けなくては気が済まなくなる時代が来たのです。
 そうした要望に応えたのが浄土教でした。

(この稿、続く)




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