2020/1/22

「良き受験戦士と戦える集団をつくる」〜特別活動の話B  教育・学校・教師


 友だちを蹴落としても受験戦争を勝ち抜けというのは愚かな助言だ。
 井の中で隣のカエルを蹴落としても、何の足しにもならない。
 むしろ井の中の蛙どおし、助け合い、磨き合って、
 外の戦いに備えるべきだ。
 その修練の場は、受験勉強の中だけにあるのではない。

という話。
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(「お願い事」PhotoACより)

【東大に合格できる環境】
 タレントのラサール石井は芸名の通りラ・サール高校(鹿児島)の出身です。現役のときに東大を受験していますが、本人の弁によると、
「とてもではないが東大を受けられるような成績ではなかった」
 それでも受験したのは、ラ・サール高校の場合、大挙して受けに行くと“とてもではないが受けられるような成績ではない”生徒が、スコンと合格してしまう例がいくつもあったからだと言います。うなずける話です。

 同じ流れで言えば、東京大学合格者の中には祖父も東大、父も東大、叔父も叔母も兄貴も東大といったような人がけっこういます。これはもちろんDNAレベルでの地頭(じあたま)の良さが前提ですが、「東大に行くのが当たり前」といった家庭の雰囲気も大いに影響したのだと思います。
 田舎の孤独なエリート少年が、ねじり鉢巻きで立ち向かうのとでは、心の余裕が違います。

 受験という厳しい戦いをたったひとりで戦うのと、集団の力を借りて行くのとではまったく違います。ごくありふれた中学校でも、受験体制のしっかりできたクラスにいるのと、まったくその気のないクラスにいるのとでは、勉強の仕方そのものが変わってくるのです。


【受験は団体戦だ】
 例えばある朝、
「オレは昨夜、ひと晩で英単語を30暗記したぞ」
と自慢したら、相手に、
「オレの方は50だ」
と言い返されたらどうでしょう。そんな言われ方をしたら「明日は絶対に60以上は暗記して来よう」という気になります。
 おそらくその晩は英単語60も苦しくない。少なくとも動機づけとしては十分です。腹立ちまぎれに40くらいはあっという間に覚えられるかもしれません。

「苦しいのは自分ひとりじゃない」
というのはよく言われる言葉ですが、「苦しみながら勉強している受験生」が漠然とした“誰か”であるのと具体的な“誰か”であるのとではまったく異なってくるでしょう。

 親友であるアイツ、ライバルであるあの男、密かに心寄せている彼女、あるいは同じクラスのアイツもコイツもあのヤツも、みんなこの時間は歯を食いしばって頑張っている――そう思えばさらにひとつもふたつも気合が入ります。勉強が楽になります。

 それは信頼の問題で、クラスの中の隣の“誰か”が本気で頑張っていると信じられるから自分も頑張れるのです。
 「受験は団体戦」と言われるのはそのためです。


【教え、教えられる関係】
 もちろんラ・サール高校と違って、普通の中学校の普通のクラスには様々な学力の子がいます。同じクラスの中に「オレはひと晩で英単語を50覚えたよ」と言い合えるような手ごろなライバルがいるとは限りません。考えられるのはむしろ教えたり教えられたりする、学力に差のある関係です。
――と、そういう話をすると優秀な生徒の親御さんの中には、“子どもの大切な勉強の時間を他の子を教えるためにムダ遣いさせられては困る”と考える方もおられます。しかしそうではありません。
 教え、教えられる関係では、もちろん教えてもらう方にも利益はありますが、学力を伸ばすのはむしろ“教える側”なのです。

 人にものを教えるには、自分ひとりで問題を解く以上の知識や技能が必要です。
 数学だったら、解いた自分の頭の中で起こっている事象を正確に分析し、言語化できなくてはなりません。
 社会科で歴史の問題について説明しようとしたら、歴史的事象をつなげてストーリーとして語れなくてはなりません。用語をたくさん覚えているだけでは話にならないのです。
 あるいは理科で、設問にある化学変化について相手の理解を深めようとしたら、「ホラ、あの実験の時、試験管をこんなふうに使ったじゃない」と授業の様子を映像として振り返らなくてはなりません。そのとき、実験に関する教える側の記憶は、さらに強化されます。

 私は社会科の教員でしたが、地理や歴史や公民について、ほんとうに理解できたのは教師になってからです。何しろ教えなくてはならなかったからです。教えることは学習の近道なのです。


【良き受験戦士と戦える集団をつくる】
 “中学校は、最終的に良き受験生をつくるところだ”
 そんなふうに考えたことがあります。
 まるでガチガチの受験至上主義者のように聞こえるかもしれませんが、“良き受験者というのは目的追求力が高く、忍耐強く、計画性や遂行力に恵まれ、素直で、まじめで、努力できる人間のことだ”と定義すれば、案外悪くない目標に見えてくるはずです。

 もちろんそれだけだと社会性だとか協調性、コミュニケーション能力の育成といった点で手薄になるみたいですが、そこに、
“中学校の学級担任の最も重要な仕事は、学級を良き受験集団に仕上げることだ”
を加えたらどうでしょう。
 “良き受験集団”というのは先に上げたような互いに高め合えるような集団のことです。学級目標や教育目標としては掲げにくいと思いますが、心の中に置いておくには分かりやすいものでしょう。

 ではどうやったらクラスをそんな戦える集団に育て上げることができるのか?
 答えは簡単です。
 合唱コンクールを頑張らせましょう、体育祭を盛り上げましょう、文化祭で頑張らせましょう、そういうことです。

 日ごろ何の協力も手助けもしないのに、受験だけは目標をたててみんなと協力できる――そんな嫌な子どもはたくさんいません。
 部活動も生徒会活動も学級活動もまったくやる気が出ないのに勉強だけは頑張れる、そういう子も少ない。

 小学校6年間、中学校3年間、常に目の前にあることに誠実に取り組める子とクラスをつくりあげてこそ、優秀な受験戦士、戦える集団は生み出せるのです。

 動物飼育も音楽会も運動会も、文化祭も卒業式も野外活動も縮小して、子どもたちに一生懸命学習させましょうという考え方が、いかに浅はかで成果が得にくいものか、自ずとわかろうというものです。

(この稿、続く)


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