2019/12/25

「教員採用試験競争率2.8倍は、採用数増加のせいではない」〜終業式だというのに腹が立つ  教育・学校・教師


 終業式の午後は、教師にとって至福の時間。
 教師がお互いに「ご苦労さん」とねぎらい合えばいいだけなのに、
 どうにもこうにも腹の立つことが多すぎて、
 今日も話が長くなった。
という話。
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(「学校の階段・踊り場」PhotoACより)

【終業式:先生方、ご苦労様でした】
 先生方、長い二学期、ご苦労様でした。
 無事通知票も書き終えて、さぞかし今はほっとしておられることでしょう。あとは子どもたちの心に残る話をして、穏やかに送り出すだけです。

 校長先生は、終業式にどんな良い話をしてくださるのでしょう?
 足りない部分があれば、担任の先生が補っておいてください。

 私は終業式が終わって子どもたちを送り出した後の、森閑とした校舎の雰囲気がとても好きでした。とりあえずこの時間だけは、何にも追われず、心安らかに過ごすことができます。


【腹に据えかねたこと諸々、そして一昨日】
 振り返ってみれば今学期も、実に腹立たしいことの多い日々でした。

「神戸の市立小学校の同僚いじめ事件は、ほんとうにあそこまで追いつめなくてはならなかったのか。いまだに懲戒処分の出ないのはなぜか、刑事告訴はどうなった?」
とか、
「20代以上の大人の英語力が諸外国に比べて低いのは、学校教育のせいなのか。PISAの読解力15位はそんなに問題なのか」
とか、
「『桜を見る会』で国会がバタバタしている間に、『変形労働時間制』を柱とする『教員の働き方改革法案』がマッハのスピードで決まってしまったが、それでいいのか? 人は増やさず仕事は減らさず、それで行われる『教員の働き方改革』って恐ろしくないのか?」
とか――。

 一昨日は一昨日で文科省から「令和元年度(平成30年度実施)公立学校教員採用選考試験の実施状況のポイント」が発表され、小学校の採用試験が全国平均で倍率2.8倍になってしまったと各界に衝撃を与えています。

 文科省の分析だと、
・採用者数が平成12年度以降ほぼ一貫して増加しており、近年の採用倍率低下は、大量退職等に伴う採用者数の増加の寄与するところが大きい。
・例えば、小学校において採用倍率が過去最高の12.5倍であった平成12年度においては、受験者数が46,156人、採用者数が3,683人であるのに対し、令和元年度においては、受験者数は47,661人とむしろ増えている一方、採用者数は17,029人と5倍近くに増えた結果として、採用倍率が2.8倍まで低下している。


 マスコミの多くもこの分析をもとに記事を書いていますが冗談じゃありません! 採用者数が最低で競争率が12.5倍もあった平成12年をもとに考えるのは、とんだ我田引水・牽強付会です。 
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 誰も10倍を超える競争率が必要などと言っているのではなく、教員採用試験なんて4〜5倍もあれば十分で、就職超氷河期の平成7年から15年あたりまでの特異期を除けば、ずっとその程度でやってきたのです。

 最近で言えば平成16年から平成25年までは大体そんなもの。ところが平成27年に4倍を切ってからわずか5年で2.8倍なのです。

 確かに採用者数は平成25年に比べると3400人も増えましたが、受験者の方は1万1000人も減っているのです。

 小学校において採用倍率が過去最高の12.5倍であった平成12年度においては、受験者数が46,156人(中略)であるのに対し、令和元年度においては、受験者数は47,661人とむしろ増えている

 だからこの言い方は汚いのです。受験者の減少をわざと低く見せようとしています。

 特別支援学級・学校を充実した、30人学級を増やした、定年退職が増えた、だから採用者数が増えて倍率が下がったが、受験者減は大した問題ではない。
――そうか? 

 1980年代初頭に第二次ベビーブーマーが就学期を迎えたため、教員の大量採用がありました。そのとき教員になった人たちが今年度あたりをピークに定年退職を迎えつつあります。

 文科省の言う通りだとすると、今後採用者数は減っていかなくてはなりません。それにつれて倍率も上がっていくはずですが、どうでしょう。注意深く見ていくしかないですね。
(再任用のことを考えると、本当はもう減っていなくてはならないと思うのですが・・・)。


【それでは、皆さま、よいお年を】
 今日の記事はグンと短くするつもりでしたが、頭に来ているとどうしても話は長くなります。

 先生たち! 忘年会ですよね。
 自家用車で会場に向かわれる先生! 明日の朝にアルコールを残さないように!
 セクハラ・パワハラの加害者になることが心配な先生! “今日は飲まない”という選択肢もあります。
 セクハラ・パワハラの被害者になることが心配な先生! 心理的武装をして出かけましょう。 逃げること、戦うことも相手に対する親切です。酔いが元で懲戒免職になったら家族が困る先生もたくさんいますから。
 気の緩む日ですが、緩ませすぎないように。


 それでは皆さま、よいお年を!!


 *学校に合わせて書いているこのブログも冬休み入ります。再開は1月8日を予定していますが、腹に据えかねることがあれば書く日もあるかもしれません。
 来年もよろしくお願いします。



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2019/12/24

「昭和の忘年会と文化の終焉」〜#忘年会スルーに始まって  歴史・歳時・記念日


 「#忘年会スルー」が話題となって、忘年会の見直しが始まる様子。
 しかしすでに、昭和の忘年会文化は消えつつある。
 合理からすればなくなって当然の会だが、
 その役割は、ほんとうに終わってしまったのだろうか。

という話。
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(「銀山温泉の夜景(山形県尾花沢市)」PhotoACより)

【#忘年会スルー】
 いよいよ明日は終業式。
 “まだ”のところも“すでに”のところもあると思いますが、全国的には26日から冬休みというところが多いようです(特に根拠なし)。

 2学期終業式といえば忘年会、と昔の人間は考えます。しかし今月は「#忘年会スルー」が話題となったとかで、若者を中心に見直しの機運も高まっているようです。
 それはそうでしょう。日ごろは付き合いのない上司と好きでもない酒を飲むのに数千円も払い、その上で長々と説教されたのではたまりません。若い女性だって、いつどんなふうにオジサンにイエローカードを出すか、身構えながら飲む酒がうまいはずもない。

 一方オジサンたちからすれば、日ごろ腹を割って話すことのない若者の話も聞いてみたい、若い女子社員と合コンみたいな雰囲気も味わいたい、と手ぐすねを引いて待っているのですが、いざ話が始まってみるとなぜかいつも説教臭くなってしまい、自分ながら“これでは嫌がられるのも無理はない”――と分かっていてもうまく話ができない、そんなところかもしれません。
 かくいう私も “もっと面白い話はできないのか”と常に反省しながら、それを生かせないままサラリーマン生活を終えてしまいました。

 忘年会を忌避する若者の気持ちは、みんなが分かっています。
 忌避されて寂しい思いをし、「忘年会は出るのが当たり前だ」などとブツブツ呟いているオジサンたちだってかつては若者で、忘れているのかもしれませんが、彼らこそ昭和の忘年会を壊した人たち、まさに“#忘年会スルー”の先駆者なのです。


【昭和の忘年会】
 昭和の忘年会といえば企業人も公務員も、旅館を貸し切りにして一晩中騒いだものです。
 今でも老舗旅館に行くと何のためかと思わせるようなとんでもなく広い大広間があったりしますが、あれはみんな企業や官公庁がどんちゃん騒ぎ(この言葉自体が昭和!)をするためのものなのです。
 もちろん数人の企業では貸し切りとはなりませんから、実際に大広間を使ったのはある程度以上の組織だけでしたが、“昭和”のイメージとしてはそうなります。

 特に民間企業の場合、会社の補助が莫大で、個人の持ち出しは些少。そうなると“忘年会スルー”自体が損ですから参加者も当然多くなります。
 本田技研はその昔、京都に8000人の社員を集めて大宴会をやったといいますが、参加が義務だったというより、“参加が得”な時代でした。その“得”に誘われて行ってみると、これが結構楽しかったりするのです。

 今も企業風土として忘年会を続けている会社の中には、新入社員の出し物が伝統になっているところもあるようです。お店選びや予約、当日の司会も新入社員にやらせて企画力や協働性を見る――そういうことなのかもしれませんが、かつての“出し物”は新人に限られたものではありません。

 部あるいは各課ごとに毎年出し物を出さなければならないところもあって、それは大変で面白かったと聞いています。
 それこそが“昭和”で、まったくスマートではない。泥臭く、ウザい世界でもあります。


【学校の忘年会】
 学校の忘年会もかつてはそうでした。
 学校には「学年会」という相当に自立性の高い下部組織があって、それが出し物の基礎単位となります。例えば中学校なら1学年から3学年までの3チーム、それに校長・教頭、学年に属さない事務の先生や校務員の先生が「4学年」という臨時の学年組織をつくって4チームで競うわけです。

 特に数寄者の主任がいる学年などは12月に入ると毎日「学年会」で、密かに芝居の練習などをしています。
 「女系図(おんなけいず)」の「別れろ切れろは芸者のときにいう言葉。今のあちきには『死ね』と言っておくんなまし」とか「金色夜叉(こんじきやしゃ)」の「今月今夜のこの月を、俺の涙で曇らせて見せる」とかはみんなこのとき覚えたセリフです。

 昭和歌謡に必ず出てくる「お富さん」は歌舞伎の「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」を演歌にしたものですが、通称「お富・与三郎」「切られ与三」と呼ばれるこのお芝居の、「ご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ。いやさお富、久しぶりだなあ」は、私の場合、忘年会がなければ一生触れることのないものでした。

 名誉のために言っておきますが、これらの演目は私が教員になった30数年前でも相当に古いもので、教師たちは教養としてそれをやっていたのです。まだ教員が文化人の影を引きずっていて、教養を磨くだけの余裕のあった時代の話です。


【忘年会文化の終焉】
 こうした忘年会文化は昭和の終焉、バブルの崩壊とともに終わってしまいました。
 資金のなくなった企業は忘年会への補助を出し渋るようになり、全額自腹となると不参加者も増えてきます。そしてなにより、収益が悪く会社が倒産するかもしれないという状況で、旅館を借り切って飲んでもさっぱり盛り上がらなかったのでしょう。気がつくと旅館で泊りがけの忘年会をするのは教員を含む公務員だけ、といった時代になっていました。

 もちろん公務員が金持ちで脳天気だったからではありません。税金で賄われる組織として、地域の旅館・ホテル・料理屋さんを下支えする使命があったのです。直接そういった圧力を受けたわけではありませんが(市役所などではあったのかな?)、地域を守るという意識は、特に中堅以上の先生方にありました。

 地域が衰退すると子どもたちの環境も悪くなります。教員が落とす資金など大したものではありませんが、ないよりはマシだとそんなふうに思っていたのかもしれません。

 学年の出し物がなくなったのはバブル崩壊とは関係なく、やはり教員の多忙化が原因です。平成に入ると、とてもではありませんが練習などしている暇はなくなったのです。
 経験の浅い若い先生たちがまず悲鳴を上げます。引き出しの多いベテラン教師と異なり、通知票ひとつとっても短い期間に完成させるのは大変なのです。

 この時期に学校で「もう学年の出し物はやめましょう」と提案した若い先生たち、そして企業では「もう、泊りがけの忘年会とかは勘弁してください」と身を引いた新人たち、彼らが今、40代〜50代として“#忘年会スルー”に遭っているのです。

 確かに「酒がつくった友情は、酒のように一夜で醒める」と言います。合理的な考え方をすれば忘年会などなくても構わないでしょう。特に最近はセクシャル・ハラスメントやパワー・ハラスメントの危険もありますから、忘年会は危うい場とも言えます。

 やめ時かもしれませんね、寂しいですが。


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2019/12/23

「大人の相談はどこに持って行けばいいのか」〜人生の最期をきれいに終わらせるために  親子・家族


 今年起きた老人による二つの大きな事故・事件。
 「東池袋自動車暴走死傷事故」と「元農水事務次官長男殺害事件」。
 もちろんよそ事ではないが、我が身に置き換えたとき、
 どう対処したらよいのか。

という話。
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(「夕空と木の側のベンチと老人」パブリックドメインQ より)

【心配で母を温泉に連れていけない】
 夜は一緒にいるのですが、日中は独り暮らしをさせている92歳の母が“退屈で仕方ないから温泉に連れて行ってほしい”と言います。しかし私は言を左右にしてはっきりした返事ができないのです。
 現職の教員で土日も忙しい妻が、合間をみて一緒に行ってくれるならいのですが、私一人では連れて行く気になれません。一度やって懲りているからです。

 どう懲りたのかというと、男湯で湯船に浸りながら、隣から聞こえてくる女湯の会話や物音になんとなく耳を傾け、母が誰かと話す声が聞こえたり桶がタイルに当たる音や蛇口から流れる水の音が聞こえている間はいいのです。それがひとたび止んで何も聞こえなくなり、静けさが延々と続くと気が気ではなくなります。母は20分や30分で上がってしまう人ではありません。脱衣場に向かったのではないとしたら、この静けさは何なのか?

 たまらず上がって着替えると旅館の仲居さんを探して女湯の様子を見に行ってもらいます。
 本気で心配していたわけでもありませんが一抹の不安を抱えながら待っていると、戻ってきた仲居さんは「気持ちよく入浴しているようですよ」とのこと。思った通りですが、やはり不安はぬぐい切れない。
 それから20〜30分しても、それでも出てこないのでまたさんざん迷った挙句、再び仲居さんにお願いして行ってもらうと、
「今、着替えて出てくるところです」
 それでようやく一息つけます。

 心配の中身は単純ではありません。
 もう92歳ですから急死ということがあっても仕方ないのですが、その歳で全裸で発見されるのも気の毒ですし、倒れて頭でも打って、血を流すような状況だったら誰が後始末をするのか――。
 血を洗う仕事が嫌だというのではなく、女湯に入るのがはばかられるのです。実際問題として、倒れた母に対応している間は、風呂の清掃といった仕事はできません。
 母の最期が“さんざん人に迷惑をかけ、嫌な思いをさせて――”といったものになることは、できれば避けたい――それが一番の願いなのです。

 その気持ちは8年前に死んだ父が、最後まで運転したがって困ったときと同じです。人を死なせるような大きな事故はもちろん、自損で怪我をする程度であっても、
「その歳で、何を考えての運転だ」
と後ろ指をさされるような晩年を送らせたくなかったのです。


【人生の最期をいかにきれいに終わらせるか】
 今年、その意味で深く考えさせられた事件が二つありました。
 ひとつは4月に起こった元経産省官僚による、いわゆる「東池袋自動車暴走死傷事故」。
 もうひとつは、つい先ごろ一審判決の出た、これもいわゆる「元農水事務次官長男殺害事件」です。
 ふたつとも“功成り名遂げた人生”の、最後に大きな汚点をつけた取り返しのつかない事故・事件でした。

 前者についていえば事故後のインタビューで加害者男性は、
「体力に自信はあったが、おごりもあった。安全な車を開発するようにお願いしたい」
などと語ってバッシングを受けましたが、そもそも自分のことを棚に上げてしゃべる傲慢な人だったのか、加齢による判断能力の衰えから場にそぐわない発言をするようになったのか――昔の様子を知らない私には分からないことです。

 事故以来、全国で高齢者による運転免許返納が相次いだと言いますが、一方、同じ時期に起こった高速道路の逆走事故では、運転者が免許を返納したこと自体を忘れてしまっていて、この問題の一筋縄ではいかない難しさを世間に知らせました。

 私は後期高齢者ではないのでまだ少し余裕はありますが、将来、こんな片田舎で車のない生活を送ることを考えると、かなり憂鬱です。歩いて行ける範囲にスーパーマーケットもショッピングセンターもありません。友だちに会いに行くこともできない。
 そんな環境で、しかもまだ判断力や運動神経にある程度の自信がある場合、それでも後期高齢者だからといって免許を手放せるのか、手放したとしてあとをどうするのか――今から徐々に考えていかなくてはならないと思っています。


【自分が殺されて子が殺人犯になるか、子を殺して自分が殺人者となるのか】
 元農水省事務次官による長男殺害事件はさらに深刻な問題を私たちに突きつけます。
 裁判では弁護士の勧めもあったのでしょう、長男に殺されかかった被告がとっさに包丁を手にした突発的な事件とされましたが、私は覚悟があっての計画的殺人だと思っています。

 被告は逮捕直後、川崎市で起こった登校中の児童等殺傷事件に触れて、
「長男が近所の小学校の運動会の音を聞いて『ぶっ殺す』と言ったのを聞き、長男が危害を加えてはいけないと思った」
と語っていました。それが事実なら、十分な殺害動機と言えるはずです。少なくとも私にとってはそうです。

 息子が大量殺人の加害者となって自殺または逮捕されるか、自分が殺されて息子が殺人犯となるか、息子を殺して自分が殺人犯となるか――選択肢が三つしかないとしたら私も間違いなく三番目を選びます。自分の子の不始末は自分で責任を取らなくてはなりません。

 裁判は選択肢が三つしかなかったわけではなく、専門家に相談するなどいくつもあったことを指摘して被告に実刑を課しました。妥当な判決と言えます。
 しかし“あの時点ではそんなこと思いもつかなかった”という想いも、被告にはあったのではないでしょうか。
 専門家を探しているうちに誰かが殺されてしまう――そこまで切羽詰まった状況だったように思うのです。
 

【大人の相談はどこに持って行けばいいのか】
 二つの事件は、高齢ドライバーを抱える家族、大人の引きこもりを持つ家族、家庭内暴力の子を持つ家族、“発達障害の診断を受けた”とさかんに報道されましたから発達障害の子を持つ家族――そういった家族を恐怖のどん底に叩き込みました。それでいてマスコミは「一刻も早く専門家に相談するように」くらいの助言しかしません。

 対象が子どもの場合はまだましです。学校もあれば児童相談所もあり、警察の生活安全課や少年育成課など、相談するところはいくらでもあります。しかし大人相手となると、パッと思いつくのは精神科くらいなものです。

 どこに相談に行けばいのか、行けば確実に対応してくれるのか、そういった情報があまりにも少ない。やはり私自身がきちんと調べて、いつでも対応できるようになったり、場合によっては「どこに相談に行けばいいのか」などに答えられるようにしておかなくてはならないのでしょうね。



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2019/12/22

「更新しました」  メディア評論


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「キース・アウト」

先生たち!教育委員会が「『小児性愛』の傾向が自分にあるのか自覚してもらう」とか言ってるよ。

 
                          
 PC版 →http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2019/kieth1912b.htm#i3

 スマホ版→https://kieth-out.hatenablog.jp/entry/2019/12/22/111647


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2019/12/20

「子どもに話そう冬至のあれこれ」〜世界の冬至、柚子、カボチャ  教育・学校・教師


 明後日(22日)は冬至。
 春分・秋分と違って休日でもなく(今年は日曜日だが)、
 クリスマス直前で気持ちが入って行かない。
 しかし日本ばかりでなく、世界にとって古くからある大事な行事。
 ひとこと子どもに話しておこう。

という話。
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(「ゆず湯 露天風呂のイメージ」photoAC より)

【世界の冬至】
 明後日、12月22日(日)は冬至、二十四節気のひとつで、一年で最も昼の短い日です。
 春分・秋分は“お彼岸”とも呼ばれ国民の祝日、お墓参りに行ったりしますから意識しやすいですが、冬至と夏至はたいていの場合、気がつかないうちに通り過ぎてしまいます。しかし意外と大切な日で、インダス文明のシュメール暦や中国の周暦では冬至が一年の始まりでした。
 ヨーロッパでは古代ローマやケルト人、ゲルマン人の間にも冬至を祝う風習があったと言います。

 私たちはクリスマスをイエス・キリストの誕生日と信じていますが、実はいつ生まれたのかはっきりしたことは分かっていません。昔は誕生日についての興味・関心もなかったみたいです。
 ただイエスの生誕を祝おうというとき、いくつか候補の中に古代ローマで広く信じられていたミトラ教(キリスト教からすれば異端)の祝日(12月25日)があり、これに配慮して25日を降誕祭としたと言われています。西暦325年ニケーア公会議でのことです。

 日本でも昔から湯船に柚子(ゆず)を浮かべたり、カボチャや小豆粥を食して健康を祈ります。


【復活の日】
 冬至がなぜこうした特別な地位を与えられたかというと、それは復活の日だからです。
 夏から秋にかけて日が短くなり、気温も下がって植物も葉を落とし活動を終えます。それは太陽の衰退で、悪霊の跋扈する予感をさせます。
 人々は厳しい冬に備えながらじっと耐え、新たな時代の到来を待ちます。悪霊からも身を守らなくてはなりません。
 そして冬至が来て、太陽の衰えは止まり、この日を境に再び隆盛へと向かう。
 春はまだずっと先ですが、太陽の復活と新たな大地の芽吹きが確かに感じられるようになる――だから大切なのです。


【柚子とカボチャ】
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 柚子は香りが強いために古くから魔除けとして使われていたようです。端午の節句の菖蒲、吸血鬼に対するニンニクのようなものです。

“柚子は「融通」、冬至は「湯治」につながるので「融通をきかせて世間を渡れますように」にという願いを込めて風呂に入れた”という説もあるみたいですが、それには根拠がないとの話もあります。

 カボチャを食べるのも、昔は最後に「ん」のつく食べ物は魔除けになるという説があり、レンコンやニンジンとともに南瓜(ナンキン)とも呼ばれるカボチャが珍重されたとも言われています。ただし冬至に野菜を用意しようとすれば、カボチャは当然出て来てしかるべきです。
 12月の末では他にこれといった野菜もなく、小豆とともに保存の効くものを並べるしかなかったのでしょう。カボチャはカロチンやビタミン類を大量に含んでいますから、経験的に重視されたという面もあったかと思います。


【それでも日の出は遅くなる】
 ところで「冬至は一年でもっとも昼の短い日だが、日の出が一番遅く、日の入りが一番早いわけではない」という話があります。
 調べると、
 日本では、日の出が最も遅い日は冬至の約半月後(年明け)であり、日の入りが最も早い日は冬至の約半月前である(Wikipedia)
 
 最初はどういうことかよく分からなかったのですが、要するに、
「夏から冬にかけて、日の出は遅くなり日の入りは早くなって昼の時間帯はどんどん短くなっていくが、冬至の約半月前になると日の入りの早まりは止まり、反転して遅くなり始める。しかしそれを上回る速さで日の出が遅くなるため、冬至までの半月間、昼の時間は短くなり続ける。
 その間に日の出時刻の遅くなる速度は弱まり、冬至に、日の入りの遅くなる速さと同じになる。遅くなる速さが同じだから、もうそれ以上、日が短くなることはない。
 やがて日の入りの遅くなる速さが日の出のそれを上回り始める。日中の時間が延び始める。ただし日の出自体が早くなるわけではないので、さらに半月あまり、日の出時刻は遅くなり続ける。そして止まる。
 その日から日の出の時刻は反転して早くなり始め、なおも遅くなり続ける日の入りとともに、昼の時間はどんどん長くなっていく」
 そういうことのようです。分かりにくいかもしれませんが精一杯の文です。繰り返し読んでみてください。

 太陽の運行や地球のかたち、日本の位置に関わる複合的な動きだからなのでしょう。いずれにしろ、明後日(冬至)以降も日の出はしばらく遅くなり続けるということです。


【オランダ冬至】
 江戸時代、長崎の出島では「オランダ冬至」という行事がありました。
 日本の「冬至祭」に合わせて、オランダ商館長が日本人役人を招いて盛大にお祝いしたようです。
 おそらく役人たちも、ほどなくそれがクリスマスであることを見抜いたと思うのですが、いまさら明らかにできなかったのでしょう、「オランダ冬至」は途中から一週間ずらして「オランダ正月」となり、明治維新まで続いたようです。



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2019/12/19

「まず隗(かい)より始めよ」〜東京都教育委員会の迷走を止めろ!A  教育・学校・教師


 大学生にどんな甘いささやきをしても必ずばれる。
 彼らも真剣に調べているのだ。
 本当に人材が欲しいなら、それなりに組織を変化させていくしかない。
 教員志望がゼロになる前に、
 急げ! フラッグ・シップ東京都。

という話。
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(「ライトアップされた東京都庁」photoACより)

【まず隗(かい)よりはじめよ】
 隗は古代中国の燕(えん)の国の大臣の名です。
 そのため「まず隗より始めよ」は“身分の高いものから襟を正せ”みたいな使い方をされますが間違っています。

 有能な人材を手に入れるために大金を使おうとする燕王に対して、隗はこういったのです。
「まず私の待遇を破格によくしてください。そうすれば噂は広まって“隗のような凡人でさえあれほどの厚遇を受けるなら、自分はさらに大切にしてもらえるだろう”ということで人材が集まるに違いないからです」
 燕王が隗の勧めに従ってその通りに行ってみると、なるほど全国から有能な人々が次々と集まってきた――そういう話なのです。

 東京都も教員に人材を集めたければ今いる教員たちを手厚くもてなさなくてはなりません。
 学生には、
「東京都は心底、教員を大切にする自治体なのです。一瞬ですら私たちは先生たちのことを忘れたことはありません。今はうまくいっていなくて申し訳ないが、そう遠くない将来、必ず先生たちが納得のいく、気持ちよく、楽しい職場を作り上げます。だから私たちを信じて、どうか東京都に受験に来てください」
 そう言って頭を下げる。
 来るか来ないか分からないような外部人材の話をするのではなく、目の前の、今からできることにまず手をつける。
 教職ブラックの根源は「多忙」なのだからやっていいことは引き算だけです。業務に支援者をつけるなどという話もありますが、余計なものを加算すれば仕事の割り振・依頼・確認などかえって煩雑になることもあります。
 加算していいのは教員の数と予算だけです。


【独自のことはやめる、金で解決できることには金を使う】
 まず他の自治体ではやっていないこと、東京都が先鞭をつけたことはすべてやめる。残していいことは何もありません。

 土曜授業なんて明日やめたってかまわないでしょ? 誰も困らない。参観日も減らす。
 保護者から不満が出たら、
「こうしないと有能な先生が来てくれないんですよ。世の中には週休三日の動きもあるというのに、学校は休みを減らす方向でいく。これでは人材の集まりようもない。お父さんだって息子が過労死すれすれの教員になりたい、なんて言い出したら素直に喜べないでしょ?」
 そんなふうに正直に言えば、きっとわかってくれます。

 すでに破綻している主幹・主任の募集を直ちにやめ、3年ほどかけて主任は主幹に、主幹は全員、副校長にしてしまう。さらに3年かけて新たな主幹も副校長にする。その上で順次、校長に昇格させ空席を埋める。それでもあまった副校長は、とりあえず大・中規模校の二人副校長制でしばらく使う。
 再任用校長をなくし、
「自分の理想の教育を実現するために校長になりたい」
という生真面目な教員のために道を空ける。

 自己を見直すという点ではまったく意味のないわけではない人事考課も、エネルギーコストがかかりすぎるからやめる。こんなのはなくてもまったく困らない。
 そもそも100人を越える職員を抱えている特別支援学校の校長先生なんて、どうやってきたのか。

 OJTだのPDCだのあるいはマネジメントだの、英語でしか表現できない学校運営・教育理論を一切排除する。
 こと教育に関して、学力的にも道徳的にも、はるか格下のアメリカから学ぶことはないもない。

 都の教育予算を飛躍的に増やす。その上で30人学級を完全実施する。
 教員を増やす。
 事務職員の給与を上げて欠員を埋める。

 全国学テの成績で学校を責めるのをやめる。
 教員免許更新制も都独自でやめる――ことはできそうにないので、その代わり研修費約3万円を全額補助するくらいのことはする。
 “先生たちの負担を考慮して、教員免許更新制をやめるように国に働き掛けている”
 フリだけでもいいからしてほしい。
 その他、一般教員の考えをよく聞き、できることは片っ端やっていく

――そのくらいの覚悟がないと、この先、不況が訪れて公務員人気が高まったとしても、教職に就こうという若者が出て来ようがありません。敢えて虎穴に入らずとも、東京には虎児がいくらでもいます。


【昔の東京はこうではなかった】
 実は40年近く前、私は東京都郊外の中学校で教育実習をしました。小平とか東久留米だとか、あの辺の学校だったと思います。
 まだ東京の学校がまったくナルイ時代で、朝、私鉄の関係で7時50分に着いて正門の前に立つと、到着しているのは私たち実習生だけでした。
 8時ちょうどに用務員さんが扉を開けてくれるのですが、そこからわずか20分間に全員の教師と600名もの生徒が一斉に校舎に入ります。魔法みたいでした。

 8時20分から職員朝会、8時30分から朝のホームルーム、8時50分から1時間目のはずが、職員朝会を20分もやっているのでホームルームも遅れ、1時間目の授業は必ず9時5分か9時10分の始まりになります。それを誰も改めようとしない。

 学年会は昼食時、決められた場所(私の学年は保健室)へ給食を運ばせ、そこで食べながら話し合って終わり。
 放課後は、これが一番驚くのですが、午後4時になると校長と教頭、教務主任、それから6つしかない部活の顧問と部員を除いて、あとは全員、朝、集まって来た時と同じようにあっという間にいなくなってしまう。
 これが世に聞こえた「東京方式」で、教員は昼休みが取れないので(実際に指導したり会議をしていたりしている)その休憩分を勤務時間のうしろに回し、4時になったら勤務終了ということになっていたのです。

 私たち実習生にとっても放課後は牧歌的な時間で、「教員って、やっぱいいよな」などと語り合ったものです。
 学問は暇がないとできません。


【私が東京都の教育行政にこだわる三つの理由】
 教員もなく都民ですらない私が東京都の教育行政にこだわる理由のひとつが、その時の体験です。

 東京の牧歌的な教育にすっかり自信と希望を抱いた私は、地元田舎県の教員になってとんでもなくひどい目にあいます。まったく状況が違って、めちゃくちゃ過酷でしたから。
 ただしその過酷さも、現在の東京ほどではないと思います。

 東京にこだわる二つ目の理由は、ここ20年あまりの日本の教育改革は東京に引きずられる形で動かされてきたからです。少なくとも中央教育審議会や教育再生会議の委員は大部分が首都圏に暮らしており、東京の教育を基礎にものを考える傾向があります。東京が道を誤れば、日本中が間違ってしまう。

 三つ目は、これが一番大事なのですが、私の大切な孫の父親、都内で小学校の教員をやっている娘婿のエージュが、まったく家に帰ってきません。
 夜9時にようやく帰宅した父親に抱かれた7か月の孫は、両手両足をばたつかせキャーキャー声をあげて喜びます。その時間を父と子から奪うのは人倫にもとる行為と言えます。
 しかも翌日の土曜日、エージュは子どもたちが目覚める前に出かけていかなくてはなりません。土曜勤務日ですから。
 そう言えば前の晩も、遅くまで参観授業の準備をしていました。
 そこに腹が立つ。

――とここまで書いてきて私は思いなおします。
 若者よ、学校なんて簡単には変わらない。東京都のみならず、教師になるといった愚かな選択はしてはならない。
 このまま進んで採用試験の倍率が1.0を切ったら、何か変わるかもしれない。教員になるのはそれからでもいいじゃないか。
 東京が困らないと日本全体が変わらない。


(参考)
「教員免許更新制度の行方」B〜東京が困らないと世の中は困らない
 たった2年前の記事なのに、正規教員が足りなくなるという私のくだらない予言が当たりつつあります。




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