2019/11/26

「暖かな陽だまりに包まれたように」〜カフェは月に逝ったA  親子・家族


 最初の危機から一カ月余り ウサギの死は目の前に迫った
 しかし命は簡単には消えない
 死ぬためにもやらなければならないことはあるのだ
 それがどんなにたいへんでも

という話。
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(カフェ=4歳のころ)

【ついにその時が来た】
 普段、私は夜の時間を実家で過ごしています。
 介護というほどではないのですが、92歳にもなる母親ですから一日一度は様子を見ないと心配なのです。車で20分ほどの実家へ、夜、出かけて少し話をし、一晩泊まって用を足して翌朝帰るという生活をもう7年も続けています。

 先々週の金曜日の夜も玄関でカフェの鼻をツンツンとつつき、ミルク(もう一匹のオス)に声をかけて実家に向かいました。いつもと同じです。
 翌朝、目覚めて携帯をチェックすると妻からLINEメッセージが入っています。ケージの中で横たわるカフェの写真が貼ってあって、
「いよいよみたい😢
 凄く苦しそう
 のたうちまわっているって感じ
 何もできないけど、このままでいいのかな
 勝手に、涙が止まらない」

 見ると夜中の1時過ぎのメッセージです。もう3時間以上過ぎていることになります。

 昨年メスのココアが死んだときも同じタイミングで、私が自宅を出たあとで息を止め、その時は深夜でもなかったので直接妻と話をしてその死を知ったのでした。今回はまだ息のあるうちの連絡だったことや私が朝まで気がつかないという点で違いますが、何となく予感はありました。

 母は父の死に間に合わず、妻は大好きだった義姉の死に間に合いませんでした。いずれも直前まで誰よりも熱心に看病していたにもかかわらずです。
 ですからおそらく、ココアのときと同じようにカフェも私のいない時刻を選んで死ぬだろう、そんな気がしていたのです。
“やはり、そうなるな”
 そんなふうに思って慌てることなく、私は自宅に向かいました。ところがカフェはまだ生きていたのです。


【死ぬこと自体が大仕事】
 職業も全うし子育ても終わって、私はもういつ死んでもいい気持ちでいます。40代の前半で大病をしてそのまま死ぬつもりでしたので、以後の20年余りは余生のようなものです。定年退職後の人生は”余生のさらに余生”ですから、やりたいこともこれといってなく、やらねばならないことはさらにありません。ですからいつでも死ねる気持ちでいたのですが、死ぬこと自体が大変という意識はあまりありませんでした。

 カフェは起き上がれなくなった土曜日、それでもまだ十分な食欲を見せていました。通常のペレット(粒状の餌)はうまく口に入っていかないのですが、給水器の先を口元にもっていくと水はいくらでも飲み、キャベツの葉はバリバリと2枚でも3枚でも食べようとします。それが本物の食欲なのか生体の反応なのかはよくわかりません。死を察した肉体が、慌てて養分を欲しているのかもしれません。

 ときどき目をつむることもありますがほとんどは普段と同じように見開き、横たわって同じ姿勢でいるのがつらいのか数分おきに体を動かそうとします。ただし前回はスノコを引っ掻いていた右の後ろ足は宙に浮いてしまい、どうしたものか、暴れると前とは反対に左回りに回ってしまいます。しかしのたうち回るというふうでもなく、床ずれが嫌でときどき動いてみるといった感じです。

 排泄はその土曜日の昼過ぎに小水をしたきり、以後いっさいしなくなりました。便は翌日曜日まで数回、わずか4〜5粒を肛門の付近に落としただけで、それも日曜日の午後を最後に、出なくなりました。

 どう考えても左だけを下にして横になっているのはつらいだろうと思って裏にひっくり返すと、右の前足がまだ動くのでまた立ち上がろうとして大騒ぎになります。いっそのことケージの鉄柵に立てかけるようにしてみたらどうかとやってみると、なんとか寄りかかって立っているような感じになります。しかしせっかく立ったのに、まるで赤ん坊のように“立てば歩め”で前に進もうとしてまた転んでしまうのです。
 結局私もあきらめて、どうせ大便も小便も出ないのだからこれ以上糞まみれになることはないとケージのスノコ全面に柔らかなトイレシートを広げ、少しでも痛みが和らぐようにしてあげました。


【暖かな陽だまりに包まれたように】
 月曜日。ついにカフェは目の前のキャベツにも水にも反応しなくなり、無理やり近づけると顔を背けて拒否するようになりました。一日の大半を眠って過ごし、たまに目覚めても半眼で、暴れ方も静かになっていつ動いたのかわからないまでになってしまいました。
 もう時間の問題だと思いながらも、これといってしてあげられることもなく、ただ動くたびにずれていくトイレシートを直してやり、ときどき胸に手を当てて呼吸を感じ、撫でてやるのがせいぜいでした。

 夕方、様子を見に行くとカフェはケージの隅で変な格好で座っていました。体を動かしているうちに鉄柵と干し草入れの隙間に背中から挟まってしまい、暴れているうちに上体が持ち上がって体育館座りみたいになってしまったのでした。そしてその姿勢になって初めて、目の前の糞まみれの後ろ足に気づいたようです。

 前にも言ったようにウサギは年じゅう体を舐めてキレイにしているような生き物です。それがこの一カ月余りまったく舐めなくなり、後ろ足やしっぽの裏は糞まみれになっていたのです。
 思いがけず妙な格好になってその汚れた後ろ足が鼻先に突き出され、カフェは切なかったのかもしれません。そのままの姿勢で口を伸ばし、硬くこびりついた糞をかじり取り始めたのです。繰り返しかじり取り、舐め、きれいにしようとします。

 しかし体力も限界に来ていて、口の動きが次第に弱まり、首がどんどん沈んで行ってそのまま眠ってしまいます。
 しばらくして目を覚まし、また頑張って糞をかじり、また同じようにうつらうつらと眠ってしまう。そんなことが3〜4回繰り返されて、やがて本格的に眠ってしまいました。
 その様子はまるで、縁側の陽だまりで編み物をしていた老婆が、何回も眠っては起き、起きては眠りながら編み物を続け、ついにはそのまま深い眠りに入ってしまったような、そんな感じだったのです。


【火曜日】
 翌火曜日、カフェはついに目をまったく開かなくなりました。それでも腹はゆっくりと上下し、30分か1時間おきに見に行くと、寝ている場所が移動したりしています。

 本格的に心配になった日曜日以来、私は実家で泊まるのを休むことにしました。メスウサギの時と同じように、ひとりで見送ることを妻が嫌がったからです。
 しかし92歳の母の方も心配ですから夕飯を持つなどして実家に行き、小一時間を過ごして自宅に戻るというようなことは続けました。

 火曜日の夜、実家に行く前に見たカフェの息は一段と浅くなっているようでした。しかし今が“その時”かどうかは誰にもわかりません。私はカフェの胸に手を当て、腰に向けて数回、撫でてやりましたが、反応はまったくありませんでした。

 それから2時間後、自宅に戻ると、カフェはすでに死んでいました。妻も気づかないほど、静かな死だったようです。


(この稿、続く)




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