2019/10/23

「子どもたちに皇室をどう教えるか」〜 即位礼正殿の儀に際して  教育・学校・教師


 本当は一昨日、月曜日に記事にする予定だったのだが うまく書けなかった
 子どもに皇室を教えることはとても難題だ
 しかし昨日 即位礼正殿の儀を目の当たりにして
 わかった!

という話。
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(「皇居」PhotoACより)

【即位礼正殿の儀の威圧感】
 昨日の即位礼正殿の儀、いかがご覧になったでしょう?
 儀式としては派手さも華やかさもなく、実質30分程度の非常にシンプルなものでしたが、その短い時間、私はテレビの前でとても緊張していました。
 熱心な天皇崇拝者でも右翼でもない、いたって平均的な市井人の私ですが、それでも何かかしこまらずにはいられない威圧感を感じたからです。

 もちろんそれは何十年かに一度しかない歴史的瞬間に立ち会っているという興奮や、世界が注目する場面に世界と一緒に目を向けているという高揚感に裏打ちされたものですが、実際に画面から受け取っているのはもっと根本的な、天皇家そのものから醸し出される一種の威厳、歴史的重み、そういった迫力だったように思うのです。

 そうしたことは、若いころにはまったく感じないものでした。


【皇室問題に関するトラウマ】
 思い出すのは小学校5年生のとき、昭和天皇の行幸に際して沿道にお出迎えに行く前日、担任教師に「明日は何しに行くんだ?」と聞かれて「ロールスロイスを見に行く」と答えてどえらく叱られたことです。私としてはロールスロイスを知っていることを自慢したかっただけなのですが。

 今から思えばまだ戦後のにおいのする時代で、民主主義教育や平和教育がのちに一部から“自虐史観”と呼ばれるレベルで行われていて、皇室軽視の風潮さえあったのに、それを教えていたのは戦前の軍国主義教育をギンギンに受けた人たちばかりでした。ですからぎりぎりのところでは本音が出る。そして私のようなお調子者はこっぴどい目にあうのです。

 この件はお調子者ながら良い子で、叱られることの少なかった私にはけっこうなトラウマになりました。以後、皇室に対する気持ちや態度には封をすることになります。いや、そもそも何も感じない時期が長く続いたのです。時代がそうだったのかもしれません。


【「皇室」は学校で扱うのが難しい】

 ただし教師としての私は、この件に関してさほど苦労することはありませんでした。
 学習指導要領(平成20年告示)にはこうあるだけだからです。
小学校学習指導要領―第2節 社会―〔第6学年〕
2 内 容
(2) イ 日本国憲法は,国家の理想,天皇の地位,国民としての権利及び義務など国家や国民生活の基本を定めていること。
3 内容の取扱い
(2) エ イの「天皇の地位」については,日本国憲法に定める天皇の国事に関する行為など児童に理解しやすい具体的な事項を取り上げ,歴史に関する学習との関連も図りながら,天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること。

中学校学習指導要領―第2節 社会―第2 各分野の目標及び内容―〔公民的分野〕
2 内 容
(3) (中略)また,日本国憲法が基本的人権の尊重,国民主権及び平和主義を基本的原則としていることについての理解を深め,日本国及び日本国民統合の象徴としての天皇の地位と天皇の国事に関する行為について理解させる。

「敬愛の念を深めるようにする」は難しい部分ですが、全体のバランスを考えるとそれほど時間をかけられる場面でもありません。深入りすることなく先に進むことができます。

 ポイントは道徳の授業に皇室の扱いがないことです。
「特別の教科 道徳」に皇室が入ってくると、扱いは各段に難しくなります。なぜなら少し方向を誤るだけで教育基本法、

第十四条 (中略)法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。
第十五条 (中略)国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない。

のどちらかに引っ掛かりかねないからです。
 おそらく「特別な教科 道徳」に「天皇」「皇室」が入らなかったのも同じ理由からでしょう。


【「皇室」は学校や教師に任せきれない】
 ただ例外的に、今回の「平成天皇退位・令和天皇即位」に関しては本年4月22日付けで文科省より「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の即位に際しての学校における児童生徒への指導について(通知)」が出ています。
 それによると文科省が都道府県教育委員会を通して求めたのは「国旗の掲揚」と、
「各学校においては、あらかじめ適宜な方法により、本特例法に基づく天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位について、また、御即位に際し、本休日法の趣旨を踏まえ、国民こぞって祝意を表する意義について、児童生徒に理解させるようにすることが適当と思われますので、あわせてよろしく御配慮願います」
といった程度のことです。これ以上踏み込むと「政教分離」の観点から様々な問題の起こる可能性があるからでしょう。

 そしておそらく学校も、同じ趣旨を踏まえて、あまり強く「祝意を表する意義について、児童生徒に理解させるように」はしなかったと思います。この問題はひとつの学校(校長)、一介の教師が判断し、主体的に活動するには荷が重すぎるからです。それぞれの学校・教師に任せたら危険な内容とも言えます。

 では皇室の尊重、「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」はどうやって推し進めたらよいのでしょう。


【社会をきちんと見る子を育てる】
 私は実はこの問題に対してかなり楽観的な考えを持っています。
 なぜなら天皇行幸に際して「ロールスロイスを見に行く」と言ったお調子者が、長じて即位礼正殿の儀の日に、「何かかしこまらずにはいられない威圧感を感じた」と言い出すようになることを知っているからです。

 それは昭和・平成の二代の天皇があちこちの被災地で膝を屈して避難民に向き合い、沖縄をはじめとする日本各地、世界各地の戦跡を訪ねて深く首を垂れ、貧しい人や病の人、年老いた人々に手を差し伸べる姿を幾度となく見てきたからです。
 そして声をかけられた人々の多くが、その後、改めて力強く立ち上がる姿も見てきました。

 今上天皇が昨日の「天皇陛下のおことば」の通り、「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たす」なら(きっとそうされるでしょう)、私たちのすべきはその姿をきちんと見る子を育てることだけになります。
 社会をしっかり見つめる子どもを育てればいい。

 そのときマスコミを通して繰り返し目に入ってくる皇室の姿に、「天皇についての理解と敬愛の念」は自然に深まっていくに違いありません。
 しかも確実に。

(参考)
なぜ日本人はこれほどまでに天皇を「尊敬」しているのか




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