2019/9/19

「『芸術の価値の分からない人間』の芸術的価値について」  芸術


 国立西洋美術館に「松方コレクション展」を観に行ってきた
 そこで自分がいかに芸術の分からない人間か痛感してきた
 しかしそんな私でも
 役立っていることがあるに違いない

というお話。
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【国立西洋美術館「松方コレクション展」に滑り込む】
 国立西洋美術館に「開館60周年記念松方コレクション展」を観に行ってきました。
 今週末が最終というギリギリのタイミングです。

 夏休みに息子のアキュラが行ってきて、「けっこうよかったよ」と報告があったのでその気はあったのですが、なかなか機会に恵まれず、今日まで引っ張ってきてしまいました。今回、たまたま娘のシーナからヘルプコールがあったので、そのついでに上野まで足を運ぶことにしたのです。

 ただ、この展覧会、行って少しがっかりするところがありました。展示内容が悪かったというのではありません。以前からうすうす感じていたのですが、私に芸術がわからないということが、今回、本当にあからさまになったような気がしたからです。


【松方コレクション】
 松方コレクションというのは、総理大臣も勤めた松方正義の息子で明治の資産家、神戸の川崎造船所(現・川崎重工業株式会社)を率いた松方幸次郎(1866−1950)が、莫大な資産に任せて集めた、モネやゴーガン、ゴッホからロダン、近代イギリス絵画、中世の板絵、タペストリーにいたる大量の西洋美術品、さらには日本のために買い戻した浮世絵約8000点を含む全1万点以上の収集品のことをいいます。

 この1万点は単純に日本にもたらされたものではなく、多くはフランスで保管されたまま長く海を渡れず、現地で換金されたものもあればフランス政府に接収されたもの、あるいは火災によって消失するものも多数ありました。また運良く日本にたどり着いた作品の中にも、川崎造船の破綻によって売却、散逸したものもすくなくありません(その一部は倉敷の大原美術館にある)。

 しかし戦後、日本政府の熱心な働きかけによってフランスは一部の重要な作品を除く370点を、美術館を建てることを条件に返還します。そしてつくられたのが現在の国立西洋美術館なのです。

 したがって今回の展示作品の中には、西洋美術館の常設展でしょっちゅう観ている作品がかなり多く含まれていました。それもがっかりした点のひとつです。しかしもっと大きな問題は個人の所蔵展にはテーマがない、この人が収集したという以外の何の共通性もない、したがってどう観たらいいのか分からないということです。


【美術館展、収集家展の難しさ】
 これまで私は、最低でも年1回は東京に来て、大きな美術展を鑑賞するようにしてきました。たいていは「ゴッホ展」「ピカソ展」といった個人を扱った展覧会、あるいは5月に新美術館でやっていたような「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」のような強いテーマ性をもった美術展です。「エルミタージュ美術館展」みたいな美術館展や個人の所蔵展はまず行きません。

 個人展の場合は、その画家がどのように育ってきたか、どういう必然性でそうした作風になったのか、同時代の中でどういう位置を占めるのか、そして後代にどんな影響を与えたのか、そうしたことが観点になります。時代を追って観ていくととてもよく分かるのです。

 「ウィーン・モダン 世紀末への道」のような展覧会は、もうこれは主催者が明確な観点を示してグイグイ押してきますからそれに乗っていればいいだけです。

 ところが美術館展や個人の所蔵展だと、どう観たらいいのか分からない。
 今回の松方コレクション展にしても、ルネッサンス以前絵画がポンと1枚出て、その良さを感じ取れなくてはならいない。その横に藤田嗣治があってもルノワールがあっても、それぞれ何かを感じ取れなくてはならない――私の場合、そこがまったくダメなのです。「全体」とか「流れ」とかいった“枠”がないと、作品の良さが分からないのです。


【芸術の価値のわからない人間の価値】
 今回の「松方コレクション」にはフランスが返してくれなかったゴッホの「アルルの寝室」(オルセー美術館)が出展されていました。
 この作品には逸話が残っていて、Wikipediaによると、
 矢代(美術評論家矢代幸雄)の伝えるところによれば、画商ポール・ローザンベールのところで見かけたゴッホの『ファンゴッホの寝室』とルノワールの『アルジェリア風のパリの女たち』の2作は希代の傑作なので、ぜひ購入するよう、矢代は松方に熱心に勧めたという。矢代があまりしつこく勧めるので、松方は買わずに店を出てしまった。「あの傑作の価値がわからないのか」と憤っていた矢代が、しばらくしてから松方の所を訪れると、『ファンゴッホの寝室』『アルジェリア風のパリの女たち』の2作とも買ってあったという。これは、画商に手の内をみせて、絵の値段を吊り上げられないようにという、松方の計算もあったのではないかと言われている。
ということです。つまり八代幸雄は『ファンゴッホの寝室(アルルの寝室)』の価値を一発で見抜いたわけで、美術評論家だから当然とはいえ、そんな鑑識眼を持った人は世の中にゴマンといるわけです。
 しかし私には全く分からない。ゴッホという文脈の中ではかろうじて分かりますが、単独で出されると分からない。だからモナリザも分からない、ミロのビーナスも理解できない。もっと勉強すればいいだけのことでしょうが、もしかしたら本質的な感性の問題かもしれません。

 実は松方コレクションの松方幸次郎も「私には芸術が分からない」と言っていたようです。しかし西洋の一流品を集めて美術館をつくることには高い価値があると信じて買い続けたのです。
 同じように、もしかしたら本当は芸術なんか分からない私のような人間が足しげく通うことで、美術館は生き残り、レベルの高い美術展も繰り返しやってくるのかもしれません。
 それを頼りに、また足を運んでみることにしましょう。



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