2019/9/30

「何もない・すべてが新しい」〜被災地をめぐる旅@  旅行


 岩手で参加した結婚式の帰り道に
 東日本大震災の被災地を巡ってきた
 復興が進み 震災の爪痕はほとんど見られない
 ただ不自然に何もない土地が広がっていたり
 巨大造成地のような新しい町並みが広がっているだけだった・・・が

というお話。
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(陸中海岸)

【それでも行ってみる】
 結婚式の帰りに東日本大震災の被災地を見てきたいと言ったら妻が、
「そんなよそ様が悲しい想いをしたところを見に行かなくてもいいのに」
といった言い方をしました。少し驚きました。
 物見遊山の気持ちは少しもなかったのですが、では何のために行くのかと考えると答えが浮かびません。

 震災のあった2011年の4月、当時はまだ現職だったこともあってすぐには行けないものの、夏休みには息子に声をかけて一緒に被災地ボランティアに行こうと思っていたのです。ところが大型連休前に畑仕事をして、肥料を撒きマルチがけをし、種を播いたり苗を植えたりしていたらあっという間に体がボロボロになってしまったのです。呆れるほど衰えている。これでは被災地に行っても役にも立ちません。

 数百キロの道のりを越えてようやくたどり着き、一日働いても泊まって休むところも十分ででない、そんな状況では迷惑すらかけかねません。
 以来、普通の日本人がそうであるようにずっと被災地にはこだわりつつも、ついに今日まで訪れることはなかったのです。

 今さら行ってどうするのか――。
 それは道理ですが、だとしたら原爆の広島にも長崎にも行けず、最近の大阪にも熊本にもいけないことになってしまいます。

 そんなふうに二の足を踏んでいると、93歳の母が、
「そんなこと言わないで、お金を落としてくるだけだっていいじゃない。私の代わりと思って行って来てよ」
 それで決まりました。
 被災地をめぐることの意味は、行ってみれば分かるのかもしれません。


【何もない】
 岩手県の内陸から三陸海岸に出ようとするとどのルートを取っても3時間程度はかかります。
 最初の目的地を宮古にするか釜石にするか――さまざまに考えましたが、できれば1日目に石巻より南まで進みたい、そうしないと自宅へ戻れない、そう考えてまず陸前高田を目指すことにしました。陸前高田には「旧道の駅高田松原タピック45」「陸前高田ユースホステル」「気仙中学校」といった多くの震災遺構があり、有名な「奇跡の一本松」もあるからです。

クリックすると元のサイズで表示します ところが高速と一般道を乗り継いでおよそ3時間、110kmほど走ってようやくついた陸前高田では、その日はまさに新しい「道の駅高田松原」と新設の「東日本大震災津波伝承館」のオープン式典が開かれようとしているところでした。周辺の駐車場はすべて一般車両侵入禁止、「奇跡の一本松」も「陸前高田ユースホステル」も付近に駐車しないと見に行けません。

 しかたなく渋滞の後ろについてその場をやり過ごすと「気仙中学校」の見えるところまで車を走らせ、学校の写真を遠くから1枚だけ撮って町を抜けました。中学校の周辺もかさ上げ工事のために近づけなかったのです。

クリックすると元のサイズで表示します そんなふうに工事のために近づけない震災遺構というのはいくつもあって、南三陸町では有名な「防災対策庁舎跡」や「高野会館」がかさ上げした土地の中に沈んで、容易に近づけなくなっています。
 将来的には震災遺構として整備されるのでしょうが、周辺はただの土の塊で、なぜこんな何もないところに防災対対策庁舎がつくられたのか不思議な気がするくらいです。
 もちろん何もないところに建てたのではなく、すべてが流され周辺に何もなくなっただけなのです。

 今回の被災地巡りで出会った風景の一つは「何もないところに建つ重要施設跡」でした。何もないこと自体が津波の破壊力を示しているのです。


【すべてが新しい】
 被災地のひとつの特徴が「何もない」なら、もうひとつは「すべてが新しい」です。
 陸前高田と南三陸の間にある気仙沼は人口6万人を誇る、三陸海岸ではもっとも大きな町のひとつですが、津波に重ねて大規模火災が起こり、町は破壊しつくされました。そのためいま行ってみると町の中心部は「すべてが新しい」。まるで大きな鉄道会社が首都圏の端につくりあげた一大造成地のようで、「震災の爪痕」は微塵も感じられません。

 新しい民家に新しい店、新しい街路樹。
 街の中心部に立ってその若々しい風景を眺め、それから丘の上のやや古い建物を眺めて、そこから津波に流された町であることを想像するしかないのです。丘に向かう道のどこかに津波の喫水線があったはずです。

 しかし一方、気仙沼は三陸で最も早く震災遺構を整備した町でもありました。
 市街地から大きく外れた岩井埼の「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」です。

                          (この稿、続く)




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2019/9/27

「『永訣の朝』と宮沢賢治三昧」〜記念館と童話村  芸術


 宮沢賢治と聞くと まず胸が苦しくなる
 「決別の朝」に関する苦い思い出があるからだ
 そのことを思い出しながら
 「宮沢賢治記念館」と「宮沢賢治童話村」を回った

というお話。
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(「宮沢賢治記念館」玄関にて)

【「永訣の朝」のこと】
 宮沢賢治については手痛い思い出があります。
 恐らく高校生のときだと思うのですが、国語の教科書に賢治の詩「永訣の朝」が載っており、その4行目「(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)」で笑ってしまい、あとで意味を説明されて地の底まで落ち込む感じを受けたのです。

 持ち上げられて落とされるようなものです。
「卑怯じゃないか」
と、そんなふうに思ったのかもしれません。

 「永訣の朝」は賢治の最愛の妹が25歳で死んでいくときのことを書いた詩です。
 今日の記事の最後に全文を引用しておきますが、中で「とし子」と書かれている妹の臨終の言葉は三つ、それぞれカッコのついているものですが、東北弁のため若干の解説が必要です。

「(あめゆじゅとてちてけんじゃ)」は「雨雪(窓の外に降っているみぞれ)を取って来てください」という意味。
「(Ora Orade Shitori egumo)」は、「私は私で、ひとりで逝きます」の意。
「(うまれで くるたて こんどは こたに わりやの ごとばかりで くるしまなあよに うまれてくる)」は、「再び生まれてくるなら、今度はこんなふうに自分のことばかりで苦しまないように(誰かの役に立つように)生まれてくるね」という意味だと解釈されます。
 
 病床に寄り添って何もできない賢治に「みぞれを食べたい」と言ってせがむ姿は、マリー・ローランの詩の「馬」にも通じるものがあり、それだけでも胸を締め付けられます。看取る者には仕事が必要なのです。
(参考)2019/1/15「マリーの馬」〜詩を書くときの心得

 妹のためにしてあげることのできた賢治は、それこそ鉄砲玉のようにみぞれを取りに病院の外に出て、鉛色の空を見上げるのです。

 なんど読んでも嗚咽が漏れそうになる詩です。


【宮沢賢治記念館】
 宮沢賢治については不勉強で知るところは多くありません。読んだものと言えば今の「永訣の朝」、有名な「雨ニモ負マケズ」、「注文の多い料理店」「セロ弾きのゴーシュ」「よだかの星」「やまなし」「銀河鉄道の夜」くらいなもの。しかも「注文の多い料理店」と「銀河鉄道の夜」以外はすべて教科書で習ったか教えたものです。

 ただ「永訣の朝」と「雨ニモ負マケズ」は一時期そらんじるほど読み込みましたし、「銀河鉄道の夜」は夢中になって読んだ上に(よせばいいのに)クラスの子に読み聞かせなどしてしまい、5時間余りの授業を潰してしまったことがあります(さすがに子どもたちはゲンナリしていました)。
また「やまなし」は今でも最も好きな物語で、情景描写のお手本のように考えています。

「雨ニモ負ケズ」と「やまなし」についてはこのブログでも何回か扱っています。
2007/5/30 水族館にて

2011/4/15 雨ニモ負ケズ 

2017/7/19「あなたのように」〜私はかくありたい

2007/8/22 このごろ巷(ちまた)に流行るもの 

 ただこの程度の知識では「宮沢賢治記念館」を十分楽しむことはできません。

 1982年(昭和57年)に開設され最近大改修されたばかりという記念館は、広い展示室の壁面に詩、童話、教育、農業、科学の5分野に分類した資料がびっしり展示され、中央ではスクリーン映像やさまざまな工夫でイーハトーブの世界を表現しようとしています。

 賢治の傾倒した仏教関係の資料や鉱物の話、農業の話、さらには本人が書いたとされる楽譜など、そもそもそんなものがあることすら知らない私には、新鮮であると同時に酷くガッカリさせられるものでした。もっとしっかり勉強して来れば夢中になって巡ることのできる空間だと思ったからです。
 事実、つい最近ここを訪れた知り合いの元教師は「3時間いてもきっと飽きないよ」とか言っていました(私はもちません)。
 中学生くらいの子に、死ぬほど勉強させて連れて来れば、きっと涙を流して見学するだろう――そんなことも考えながら小一時間、読み易いものを選んで、丁寧に見ながら回りました。

 なかなかいいものです

次は「宮沢賢治童話村」


【宮沢賢治童話村】
 花巻市の観光案内には
 宮沢賢治童話村は、今にもジョバンニや又三郎、山猫がでてきそうな賢治童話の世界で楽しく遊ぶ「楽習」施設。
 童話村は、「銀河ステーション」、「銀河ステーション広場」、「妖精の小径」、「天空の広場」、「山野草園」、そしてメインの「賢治の学校」があり、賢治の学校の中は「ファンタジックホール」、「宇宙」、「天空」、「大地」、「水」の5つのゾーンに分かれています。
 また、ログハウス展示施設「賢治の教室」も見どころ満載です。

とありました。

「賢治の学校」は五つのゾーンに分かれた大きな建物。中は15分程度で回れます。「賢治の教室」は七つのログハウスからなりそれぞれ「動物の教室」「植物の教室」「星の教室」などと名付けられ、宮沢賢治の世界の簡単な学習ができるようになっています。

 わざわざ遠くから来て訊ねるほどの施設ではありませんが、「宮沢賢治記念館」を見学したあとだと非常に気楽に楽しめます。入場料も2館共通券で550円、安いものです。
 私はとても良かった。
 
 詳しく説明するほどのものでもありませんので、付録として「永訣の朝」の下に写真だけ張っておきます。
                       (この稿、続く)


(付録1)

永訣の朝
                 宮沢賢治

けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ

銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……

…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる

わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう

わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ

ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ

この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ

(うまれで くるたて
  こんどは こたに わりやの ごとばかりで
   くるしまなあよに うまれてくる)

おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ


(付録2)
《入場口「銀河ステーション」》
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《妖精の小径》
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《賢治の学校(外観)》
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《賢治の学校(内部)》
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《賢治の教室(内部)》
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《タクシー乗り場付近》
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2019/9/26

「義経と、金売り吉次と、マルコ・ポーロ」〜中尊寺で思い出したこと  歴史・歳時・記念日


 中尊寺へ行ってきた
 私にとっては小学生のころから ずっと気になっていた場所だ
 耳に笛と琵琶の曲が流れる
 金銀螺鈿(らでん)で飾られた数百の塔楼が見える
 野に武者たちの死体が累々と重なりながら広がる
 そういう幻想を見た

というお話。
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【NHK大河ドラマの思い出】
 1966年(昭和41年)に放送されたNHKの大河ドラマの第4作目は「源義経」でした。
 私は当時小学校6年生から中学1年生になる年齢でしたが、その二年前の「赤穂浪士」からの大河ファンで、翌年の「太閤記」、そして「源義経」と夢中になって観た時期でした。ある意味、それがのちに社会科教師となる原点だったのかもしれません。

 「源義経」で主人公を演じたのは当時の四代目尾上菊之助(現在の菊五郎)、静御前を演じたのが藤純子(現在は富司純子)でした。二人はこのドラマをきっかけにつき合い始め、結婚して寺島しのぶと五代目菊五郎が生まれます。
 武蔵坊弁慶を演じたのは名優緒形拳、藤原秀衡は大御所滝沢修など、錚々たる面々が出演していました。音楽担当はなんと武満徹です。

 いまでもオープニングテーマ曲の物悲しい笛と琵琶の音を聞くと、何か厳かな、凛とした気持ちになります。
 私にとって奥州平泉は「源義経」のテーマ曲が聞こえる場所です。


【金売吉次という男】
  このドラマで加藤大介さんの演じた金売り吉次(かねうり きちじ)という男は「平家物語」や「源平盛衰記」にも出てくる伝説的人物で、奥州で産出される金を京で商う事を生業としたとされています。源義経が奥州藤原氏を頼って奥州平泉に下るのを手助けした人です。人物像は書物によって少しずつ異なり、実在も疑われる商人ですが、吉次という名前はともかく、そういった人物がいても不思議はないと思わせる歴史的背景があります。

 それは当時の奥州がおそらく世界一の金産出国で、京の商人たちが激しく行き来していたことは間違いないからです。そこで買い取られた金は京から九州を経て日宋貿易の主力輸出品として南宋に渡ります。それと引き換えに南宋からは宋銭や医薬品が輸入されてきますが、その量たるや尋常なものではなく、銅銭の払底した南宋は経済が混乱し、滅びかけたとさえ言われます。

 それほどの莫大な金が奥州から運び出されたのですが、儲けの多くは京都を通過する際に通行税として平氏に吸い上げられてしまいます。それが吉次たちには面白くない。
 そこで密かに鞍馬山から義経を連れ出し、来るべき平氏打倒の日に向けて平泉で育てた――それが私の信じている歴史の一解釈です。吉次は長い目で将来を見据え、源氏に恩を売って財力で支えた政商のハシリなのです。私はそうしたしたたかな男が好きです。



【黄金の国】
 ほとんど無尽蔵と思われるほどの金の産出国でしたから、奥州藤原館や中尊寺を始めとする神社仏閣は贅を極め、金色堂のような金銀螺鈿(らでん)で飾られた塔楼はおよそ600余りもあったといわれます。
 実際には行きませんでしたが、私が毛越寺の庭園に立つとしたら、目の前に見る風景はそうした絢爛とした建物群だったはずです。今はコンピュータ・グラフィックスで何でも映像化できる時代ですから、いつかは在りし日の600基の塔楼を見ることもできるかもしれません。
 藤原氏が四代をかけて造り上げ、義経や吉次が目にして、頼朝の軍勢が滅ぼした風景です。さぞや壮観なことでしょう。光り輝く黄金の都なのですから。


 ところで、その盛隆のさまは噂となって、吉次が運んだ金とともに日本列島を南に下り、宋に渡ったようです。当時、留学生の持参金が金だったり日宋貿易の日本側の支払いが金だったりしたことから、金の採掘される国だということは知られていましたから、「黄金の都」の噂は真実味をもってすぐに広がりました。それをイタリア人商人のマルコ・ポーロが聞きます。

 彼はその国を中国人の口から「ジパング」だと教えられます。最後の「グ」は「Shanghai(シャンハイ)」や「Hongkong(ホンコン)」で使われる「g」と一緒で、ほとんど発音されない音ですので元は「ジパン」。漢字で書くと「日(ジッ)」「本(パン)」つまり「日本」のことです。
――これは社会科教師としての私の十八番のひとつでした。



【栄枯盛衰】
 そんな奥州も藤原氏が義経とともに滅ぼされ、金の産出が止まると一方的に寂れていき、芭蕉が訪れたころには金色堂も朽ち果てた覆堂の中でかろうじて光を放っているだけだったようです。

五月雨の 降り残してや 光堂

 しかしやはり私は、義経の終焉の地である衣川のほとりで芭蕉が詠んだとされる

夏草や 兵どもが 夢の跡

の方が好きです。

 9月の冷たい風の中を、そんなことを考えながら歩きました。

                             (この稿、続く)




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2019/9/25

「教師はすべてのルールを説明可能なものにしておくことが望ましい・・・が」  教育・学校・教師


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 更新しました。

「キース・アウト」
         
2019.09.25
筆算の線、手書きダメ? 小5、160問「書き直し」
             [西日本新聞 9月24日]
              
               
 PC版 →http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2019/kieth1909b.htm#i3

 スマホ版→https://kieth-out.hatenablog.jp/entry/2019/09/25/135147





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2019/9/25

「行きたいところが多すぎて立てられなかった旅行計画が、一発で決まってしまった話」  親子・家族


 結婚式のために岩手まで行くことになった
 せっかくのことだから観光も
 そう思ったが行きたいところがたくさんあって計画が立てられない
 ところが秘策があって それですべてが一発で決まってしまった

というお話。
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photoAC より)

【旅行計画が立てられない】
 昨日は岩手県で結婚式があったというお話をしました。
 日取りは3カ月以上前から分かっていたのであれこれ計画を立てる時間は十分にあったのですが、私はぎりぎりまで東北地方のどこに行くのか、交通機関は何を使うのか、まったく決めていませんでした。決められなかったのです。

 昔からあまり旅行をしない人間で、それを自分のケチと面倒くさがりのせいにしてきました。
「『どこでもドア』があれば行ってみたいところはたくさんあるんだけど、行くまでが面倒、時間のムダみたい気がしてなかなかねぇ」
 そんなふうに言ってきたのです。

 ところが今回岩手に行くにあたってつくづく分かったのは、そもそも私は計画を立てるのが嫌いなのです。正確に言えば“仕事上の計画などはともかく、旅行計画だけはほんとうに嫌い”。なぜかというといろいろ諦めなくてはならないからです。
 あれこれ調べていて、あれも見たい、これも見たい、しかし全部回るのは資金的にも時間的にもムリ、だからあれも捨てこれも捨て、とたくさん諦めなくてはなりません。その“諦めること”がとても嫌なのです。未練たらしい。

 今回、岩手に向かうにあたって使える時間はわずか1日半。妻が休みを取れるギリギリの線です。
 途中の埼玉や栃木は行こうと思えばいつでも行ける範囲だから考えないとして、福島は以前職員旅行で行ったことがあるのでここもパス。残るは宮城と岩手なのですが、調べると行きたいところが山ほどある。
 被災地には行ってみたい。それより手前の宮城南部には蔵王がある、海岸に移動して松島がある。ニッカウヰスキーがある、白石城がある、多賀城がある、仙台城がある、西芳寺がある。岩手なら浄土ヶ浜、猊鼻渓、中尊寺、毛越寺庭園、えさし藤原の郷、宮沢賢治記念館、宮沢賢治童話村、その他諸々。

 先ほど“一日半”と言いましたが、“半”は妻が午後の時間休を取って生み出した半日ですから、実際には宮城県に入るくらいが精いっぱいの移動日。残る一日も夕方からは親戚の食事会が入っているので実質的に許されるのは最長で8時間程度。しかもそれぞれの観光地でどの程度の時間を過ごすのかも言ってみないと分かりません。

 そう考えていくとウンザリして計画どころではなくなります。結局、見て見ぬふりで三か月。本気になって考え始めたのはわずか一週間前のことでした。


【決め手の一歩は交通手段】
 行きたいところはたくさんあるのに時間は少ない。おまけに帰りに回ってみようと思った東日本大震災の被災地を調べると、どこも一筋縄ではいかない遠隔地。ひとつの町を訪れるだけでも電車を乗り継ぎ、一時間に一本といったバスに乗らなくてはいけなかったりします。
 もう本当にどうしようもなくなってついに考えたのが、
「そうだ、車を運転して行って来よう」
ということでした。自家用車だったら乗り継ぎの手間もなく、乗り物待ちもなくなります。しかし往復、最短でも1400km。そんなに運転できるのだろうか?
 行きは妻と一緒ですから交互に運転すればよいようなものですが、帰りは仕事の入っている妻が一足先に新幹線で帰ってしまい、私ひとりの700qです。

 悩んで妻に相談すると。
「やったー! 荷物がたくさん持てる!」
この人は夫を心配するという様子がまるでありません。それですべてが決まりました。


【他人本意の便利さ】
 宿はできれば高速インターからあまり離れていないところ。温泉が趣味の妻のことを考えると源泉かけ流しの風呂がなくてはなりません。その条件で調べると秋保温泉はすんなりと決まりました。木曜日ですから空き部屋がないということもないでしょう。

 立ち寄る観光地ですが、妻は歴史に興味のない人ですから多賀城も藤原の郷も簡単に消えます。景観にも興味がなさそうで松島も浄土ヶ浜も消えてしまいました。一時期、中学校の国語の教師をしたことがありましたから「奥の細道」で中尊寺はいいかもしれません。あとは宮沢賢治、これで決まりです。
 ある意味、他人本意に考えると決定はあっという間です。

 ただ中尊寺のとなりの毛越寺庭園には心が残ります。となりと言っても駐車場に車を置きっぱなしで移動できるほど近くでもないからです。改めて駐車料金を払い、入場料も払って観るのが“庭園”でも妻は納得してくれるだろうか?
 私はそこそこ歴史に詳しいですから庭園の周囲に巨大な伽藍群を思い浮かべることができます。しかし妻にとっては単なる“(たいしたことのない)庭”でしかないかもしれません。そんなものに1500円も払う気になってくれるかどうか・・・で、結局よほど時間に余裕がない限りここも諦めることにしたのです。
 いずれにしろ妻を言い訳にしたら、ものごとはずっと単純になってしまいました。
 宮沢賢治は記念館と童話村、どちらを選ぶか、どちらも選べるのかは、行ってから考えることにしましょう。

                      (この稿、続く)



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2019/9/24

「久しぶりに招かれて、結婚式や披露宴はやはりやっておくべきだと思った」  親子・家族


 久しぶりに結婚式に招かれて考えた
 やはり人並みに 式と披露宴はやるべきだ
 それは本人のためでもあるが 
 周囲を幸せにする 絶好の機会だからだ

というお話。
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【久しぶりに結婚式に招かれた】
 岩手県で結婚式があって夫婦で参列してきました。娘婿のエージュの妹です。
 
 いまどき白無垢・綿帽子での神前結婚式というのも珍しいですが、そもそも最近は“ジミ婚”とかで結婚式自体が珍しくなっていますから、妙に新鮮だったのも当たり前かもしれません。
 もっとも私自身が退職して世間を狭くしているという事情もあります。

 それにしても結婚式を挙げる新婚夫婦はほんとうに少なくなったようで、私の娘が結婚した際、友人として参加してくれた仲間のうちで、のちに結婚をしてしかも披露宴を行った人は半数にも満たないようです。
 多くは経済的理由で、結婚式や披露宴にお金をかけるより新生活を豊かにしたいという発想らしいのですが、女性が言うならまだしも、男性が言い出すとしたらその男は信用できません。
 ここで男性に限るのは、金のために結婚式をしない女性も問題だが”信用“ということにはかかわらないという、その程度の意味です。


【式を回避する男は卑怯者かもしれない】
 なぜ信用ならないかというと、夫婦の関係を大きく社会に披露する宴を持ち、退 路を断つ腹積もりが見えないように感じるからです

「あんなに派手にやって、あとで別れたなんて言えないよな」
と臍を噛む未来の自分の姿を、思い浮かべているのではないかと疑いたくなります。もしかしたら将来、妻に飽き、もっといい女が現れたら気楽に乗り換えようと、今から画策しているのかもしれません(考えすぎか?)。
 そうでなければ単に社会が分かっていないだけです。けれど結婚を考える年になってもまだ社会が分かっていないとしたら、それはそれで信用ならないことには変わりはありません。


【セーフティ・ネット構築のための結婚式】 
「婚姻は家と家の結びつきだ」と言えばずいぶん古臭い言い方に聞こえるかもしれませんが、ひとつの結婚によって二つの家族の運命が巻き込まれて行くのは必然です。

 どちらかの親が年老いたとき、自分の実の親ではないから面倒は見ませんと言うのも難しいでしょう。それ以前に、家を新築しようというのに「実の親でもない人から援助は受けられません」と断るつもりもないでしょう。
 極端なことを言えば義理の兄弟が起こした犯罪のために迷惑を被ることもあれば、義理の姉妹の栄誉のためにこちらまでいい気分になることだってあるのです。
 
 その他、叔父や叔母、友人関係、勤め先の関係となれば、親ほどではありませんが、良いにつけ悪いにつけ、将来に渡って何らかの関係を持たざるをえません。
 そうである以上、顔くらいは知っておいてもらい、ふたりが夫婦であることを認知してもらう必要があります。

「借金の申し込み夫婦で行かなければならないとき、『初めまして』では何かとやりにくいものです。人間関係はセーフティ・ネットですから、機会をつくっては確認し、結婚式のような大きなできごとでは新たな関係を築いていておくに越したことはないのです。本人にその気はなくても、親や叔父叔母にとっては大切な機会ですから、それを奪ってはいけません」
――と、私は若い人に言っておきます。


【幸せのおすそ分け】
 今回の結婚式で、私の娘婿の両親と久しぶりにお会いしました。
 私は娘の結婚によってこの人たちと出会えたことをとても喜んでいます。まるで違う価値観を持った人たちだからです。少なくとも勉強になります。
 またそのご両親の兄姉たちとも親しく話ができて、それも素晴らしい経験でした。娘の結婚式のときに一度会っただけの方々なのに、親戚ですから気持ちが違います。

 結婚は二人だけの問題ではありません。良い結婚はこんなふうに周囲も幸せにしますから、むしろ周囲の人々のために、世間並みの式や披露宴はやっておくべきだと思うのです。
 披露宴の席で知り合った新郎新婦の友人同士が結ばれた、といった話もよく聞くところです。金の問題は何とかなるものです。



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