2019/6/28

「インフルエンザとヌーハラ」〜常識を疑うことを疑う  政治・社会


 常識を疑うことは大事だが 常識を捨てる前にやることがある
 それはもう一度 常識の価値を確認することだ
 注意しないと 大切なものを簡単に捨ててしまうことになる
というお話。
クリックすると元のサイズで表示します

【常識を捨てる前にやること】
 昨日のホテル・旅館の布団の話ではありませんが、私たちが常識だと思っていることに疑問を呈するのは大切なことだとしても、常識が常識として通用してきた背景には何らかの必然性があったはずで、それを「間違いだ」「すでに意味がない」「人権上問題がある」等々の理由によって転覆させようとするとき、一度は原点に戻って意味を確認する必要があります。

 例えば一時期、市販のマスクはウィルスを通過させてしまうからインフルエンザ予防にはまったく意味がないということで、「患者以外はマスクをつけるのはやめましょう」みたいなキャンペーンが行われたことがあります。
 しかし結局マスクには十分な予防効果がありましたし、何よりもインフルエンザ患者にマスクをしてもらうには、かかった人もかかっていない人も、少し疑わしい人も、自覚のない人も、何でもかんでもマスクをつける今の状況を大切にするしかないのです。患者だけがマスクをするなんてことはあり得ません。
 これについて私は何回か書いていますが、マスクの文化、捨てなくて本当に良かった。
(参考)2013/1/28 マスクの科学 2013/2/19こだわりのマスク 他 


【ヌードルハラスメント】
 ヌードルハラスメントというのをご存知でしょうか?
 日本人に多く見られる「麺類を食べるときに、麺をすすってズルズル音を立てる」食べ方が、猫舌の人や外国人に不快感を与えるとして慎むべきであるとする主張を示す和製英語。「ヌーハラ」と略される。Wikipedia
という話で、私は最初、何でもかんでもハラスメントにしてしまう現代の風潮を揶揄した冗談、または悪ふざけだと思ったのです。
 ところがWikipediaに記載のあるように、数年前からネットやマスコミ上でかなりまじめ目に議論された話題のようです。

 デビ夫人が「(麺をすするのは)教養のない田舎っぺ」と言ったとか、「落語の『時そば』の中で蕎麦をすする様子がラジオで広まったことで、『麺類はすすって食べるもの』という誤解が生まれた」とか、「すすって食べるのが許されるのは蕎麦やうどんなど和食由来の麺類だけ」といった折衷案も出たりしました。

 ただ全体的な流れとしては、「麺をすするのは日本の文化であり日本人の勝手」「日本の食文化に対して外国人にとやかく言われる筋合いはない」といった意見が強かったようで、現在、麺をすするのはやめましょう、みたいなキャンペーンは行われていないようです。

 私も基本的に同じ意見で、外国人が不快に思うからやめましょうということなら、私が子どものころ「そんなことをするのはエスキモー(現在のイヌイット)と日本人だけだ」と言われて気味悪がられた魚の生食(寿司や刺身)はとうに滅んでいなくてはなりません。デビルフィッシュ(タコ)や猛毒を持つフグが食卓に上る文化も滅亡するべきだったはずです。実際にクジラ肉はその憂き目にあっていますから。

 ヌードル・ハラスメントと言われる日本の“すする”文化についても、「外国人が嫌がるから」だけではやめる理由にはなりません。
 麺どころかスープや味噌汁まで音を立ててすすっていいのは日本の常識で、常識には必ず理由があるからです。やめるにしてもその理由を吟味せずに終わらせてしまうと、あとでとんでもないことになります。


【熱いものを食べる文化】
 ラーメンはすすって食べる方が絶対旨いという話がYouTube にありましたのでリンクをつけておきます。翻訳テロップのない英語の動画ですが5分56秒あたりから日本の歯医者さんが日本語で説明していますから、そこだけを見てもいいでしょう。外国人に麺のすすり方を教える方法なんてのもあって、なかなか面白い動画です。


 麺をすすって食べる第一の理由は、そうすることが一番旨いからなのです。

 しかし私自身が一番感じているのは、すすらなければ格好悪いし、そもそも熱くて食べられんだろう、ということです。

 実際にしばらく“すすらない(音を立てない)麺の食べ方”に挑戦したことがあるので分かるのですが、熱々のラーメンなど、すすらずに次々と口に押し込む姿はどう見ても美しくありませんし、実際にやってみると麺に絡んだスープが熱すぎて食べられないのです。すするときに一緒に空気を取り込むことで、ようやく冷やされてある程度の量を口に入れることができます。

 これはスープや味噌汁でも同じで、私たちは熱いものを口にするとき、自然とすする癖がついているのです。

 日本の食文化は強く中国の影響を受けていますが、それにも関わらず導入しなかったものがいくつかあります。代表的なものは象牙や鉄でできた箸と蓮華です。

 なぜ入らなかったのかというと、日本には豊富な木材があって箸は木でつくる方が楽だったからです。また高価な磁器ではなく、木器を中心に食器が発達しましたから中国・韓国とは別な道を歩み始めます。

 木器は熱い汁を入れても手で持てますから、わざわざ箸を蓮華に持ち替える必要がありません。直接口をつけて飲めばいい。ただし蓮華を介さないので熱い汁をそのまま飲まなくてはいけないことがあり、その場合に自然とすするようになったのです。

 欧米も中韓と似て汁物はスプーンで飲みますが、さらに熱いものが苦手みたいで、そのスープも前もって平皿に入れ、冷ましてからでないと飲めないようです。
 最近の「チコちゃんに叱られる」でやっていたのですが、コーヒーカップの受け皿ももともとはカップのコーヒーを移して冷まして飲むためのものだったと言いますから相当な猫舌です。

 欧米人はそのように育てられてしまったのです。
 料理の本場のイタリアやフランスは気候が温暖でしかも石造りの建物に住んでいますから、冷めた料理も苦にならなかったのでしょう。

 ところが日本人は藁ぶき屋根の家で氷点下の冬を過ごさなくてはなりませんでした。熱い汁を熱いうちに、ふうふう吹きながらズルズルとすすって飲むようにしないと冷えてかなわなかったのです。それが日本のやりかたです。恥ずかしいことではありません。

 とりあえずその方が圧倒的においしく食べられることを知らせながら、麺をすすって食べる文化、外国人にも広めていかなければなりません。

にほんブログ村
人気ブログランキング
3



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ