2019/6/26

「時代は変わる」〜習得した技術が、無慈悲にムダになる時代  教育・学校・教師


 せっかく手に入れた技能が無駄になることがある
 科学の進歩が特定の個人の努力を無にすることが
 それは仕方のないことだが
 最初から無駄いなるとわかっていることをやらせるのは
 重大なイジメか もしくは犯罪ではないか

というお話。
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【ある放射線技師の述懐】
 昨日の続きめいた話ですが、フジテレビの「ラジエーションハウス〜放射線科の診断レポート〜」の中放射線検査室の技師長・小野寺(遠藤憲一)が昔のレントゲンフィルムを見ながら、
「1枚 現像するのに20分以上かかるからさ、新人のころはよくこの部屋に一日中こもって、現像だけさせられたこともあったよ。俺はここで何十年と、今はもう何の役にも立たない技術 身に付けちまった」
と述懐する場面がありました。

 現在はコンピュータでたちどころに処理できるのでしょう。しかしかつては大判のフィルムに直接焼き付けて、薬品処理によって現像ができるまで長い時間を待たなくてはなりませんでした。現像し終わったところで撮影の良し悪しが判明しますから、失敗すると撮り直しに大変な時間がかかります。ですから小野寺たちは修行に修行を重ねたわけです。
(写真ができるまでに時間がかかる分簡単に撮り直しができず、失敗が許されなかった。今より っと神経をとがらせて、1枚1枚の写真を撮っていたはずです)
 しかし今はそんな技術は必要ない。ダメならその場ですぐに撮り直しをすればいいだけです。

 新しい技術が古い技術を陳腐化してしまうことはよくある話です。ただ、古い機械が新しい機械にとってかわられるだけならいいのですが、小野寺のように苦労して磨いた人間の技が機械によって軽々と超えられてしまうのは、無理ないこととはいえ、一部には釈然としない人も多いでしょう。技能を高めている最中はそれが“繋ぎの技術”だなんて誰も思っていないからです。

 もちろん、だからと言って小野寺の技術が何の役にも立たなかったということではなく、コンピュータが出現するまでに彼らが救った命は数限りなくあったはずです。ですからそれは是非とも必要な技術だったのですが、もし今後これからレントゲンフィルムの技術を会得しようとする人がいたら、そこには特別の理由がなくてはなりません。
 基本的に“今では不要な技術”だからです。


【ガリ版という特殊技能】
 教師の世界にも似たような話があります。有名なところで言えばガリ版刷りです。
(参照:2008/10/2ガリ版の頃

 これはロウをコーティングした紙(原紙と言います)を“ガリ版”と呼ばれる金属のヤスリ板の上に乗せ、“鉄筆”で引っ掻いてロウを削りながら文字を書き、“謄写版”と呼ばれる道具を使って印刷する技術です。

 印刷自体は大したことはないのですが、「ヤスリ板の上で書く文字」というのがヤスリの目に影響を受けて角ばった、独特の風合いになったのです。その文字の美しさが教師の技術――例えば看板屋さんがフリーハンドでいくらでも同じ字体の文字を書き続けられるような、特別な技だったのです。

 私が新人の頃はまだそれをやっていました。ところが習い始めてわずか5年もしないうちに、100年の歴史をもつガリ版技術は廃ってしまうのです。

 代わって出てきたのがステンシル転写。しかしそれを説明するのが面倒なくらいステンシル時代は短く、リソグラフが登場すると校内印刷はとんでもなく簡単なものになってしまいました。ガリ版に頼ることなく、手書きの原稿がそのまま印刷物になったからです。

 さらにコンピュータが導入されると、教師はほぼ手書きの文化を失います。残ったのはせいぜいが黒板にチョークで書くくらいなものです。
 しかし考えてみると手書き文字自体が高度技術で、昔は先生と言えば字がうまいのが当たり前でした。
 それも今はありません。私も字は下手です。
(参照:2011/9/28一字も晒さない) 

【コンピュータプログラミングという40年前の最新技術】
 教師になりたての頃、片方で慣れないガリ版技術のために努力をしながら、他方で夢中になって取り組んでいたのがコンピュータ・プログラミングでした。

 コンピュータは今でこそインターネットだの文書作成だの「何かをさせる道具」ですが、私が触り始めたころは「プログラムミングを楽しむ道具」でしかありませんでした。世の中にソフトだのアプリケーションだのといったものはほとんど売っておらず、コンピュータはテニスゲームや簡単なシューティング・ゲームをつくって遊ぶ、そういうものだったのです。

 ただ幸いなことに当時私が勤めていたのは1学年430名というマンモス校で、成績処理が尋常ではなく、そこに私の出番がありました。
 私はほとんど一年がかりで成績処理のプログラムを完成させ、高校入試に間に合わせました。

 8回の実力テストの成績を入れ、その都度各教科ごと平均点と順位を出し、合計点も計算して順位づけする。さらにテストが終わるたびにそれまでのテストの合計点と平均点を計算して順位をつけ、志望校ごとにまとめてまた順位づけをする。最後にプリントアウトする――。
 テストのたびに広い特別教室の机の上に、430枚のカードを並べては順番を揃え、いちいち順位を書き込んでいた時代とは大違いです。私一人が家で点数を打ち込んで一覧表をつくってくればいいだけですから、15人もいた学年職員の労力は格段に減りました。
 それを達成するためのプログラムは大変な量で、用紙に打ち出すと厚さ5センチにもなろうという代物です。半分は遊びでしたが、我ながらよくやったものです。

 ただしそのプログラムを、私は二度と使いませんでした。なぜかというと次に中学3年生の担任になった時、すでに「桐」というとても優秀なデーダーベースが発売されていて私の8ビットパソコンでBASICプログラムが半日かかってやる仕事を、瞬時にして行ってしまったからです。さらに数年後、今度はエクセルという安価なソフトが同じ仕事をこなすようになります。


【時代は変わる】
 こうして私のプログラミング技術は無用のものとなりました。もちろん遊び半分でやっていたことなので十分楽しめてそれはそれでよかったのですが、こんなことは義務として他人にやらせるわけにはいきません。
 基本的には遊んでお仕舞、何の役にも立たないものです。

 私が小学校のプログラミング教育にしつこく反対するのはそのためです。
 プログラミングなんて普通の人間には何の役にも立ちません。プログラミング思考ガ必要などといった話もありますが、あんなもの合理性の固まりで情感のかけらもない。同じ時間を読書に費やした方がよほど素晴らしい人間を育てられます。

 プログラミング技術は必要な人が必要な時期に身につければいいのであって、普通の小学生がやればほとんどの子は「ただ遊んだだけ」で終わってしまいます。面白い世界ですから子どもたちも目を輝かせて取り組むかもしれませんが、一部の子を除けば、お遊びで終わるはずのものです。
 貴重な学校の時間を、テレビゲームで遊んでお仕舞にしてはいけません。
 「ラジエーション〜」の技師長や私のように、新しい技術によって自分の高めた技能が無意味になるのはしかたない、しかし最初から無駄になるとわかっていながらやらせるのは、詐欺以上の犯罪です。
 ぜひともやめてもらいたい。そうでなければ現場で骨抜きにするしかない、そういう代物です。


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