2019/3/11

「覚えておかなくてはならないこと、伝えなくてはならないこと」〜8回目の3・11に  教育・学校・教師


 8回目の3・11
 死者を追悼するとともに 防ぎ得た津波被害・原発事故を反省し思い直す日

 しかし前向きに考えると 私たちが生まれ直した日
 日本人が日本人であることを 見つめ直した日だった

というお話。

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【その日】
 その日の夕方、学校の終わった足で、私は地域の大病院に、かつてかかわった中学三年生の見舞いに行きました。二日後には亡くなることになる男の子です。
 生まれながら心臓に問題を抱え、小学校のときに一度、そして中3になって二度目の発作を起こし結局帰らぬ人となった子です。

 その時間、東日本では40万人と言われる人々が大火災以外の何の明かりもない寒空の下、繰り返し訪れる余震と津波の恐怖に耐えながらじっと時を過ごしていたのです。2万人近い人々がすでに海に流され、建物に押しつぶされ、火に焼かれていました。

 そんな状況があるとは知らず、私は地震や津波のことはあまり心配していなかったのです。日本はそもそも地震に強い国ですし、起こったのは津波に対する意識の高い地域ですから大した被害にはならないだろうと高をくくっていたのです。
 そして今まさに病院で死のうとしている少年のことだけを考えていました。


【一つの命の重さの2万倍】
 その子は生まれてからの15年間をただじっと静かに生きてきました。走ることも跳び跳ねることも許されなかったからです。水泳も体育の授業の大部分も、そして登山のような行事にも参加することはできませんでした。
 入退院を繰り返し、そのつど院内学級と普通学校の間を往復しました。勉強は好きではありませんでしたが友だちは大好きでした。けれど一緒に遊ぶといってもせいぜいがテレビゲーム程度のことです。

 彼の短い人生にどういう意味があるのか、それを説明するのは困難ですが、周囲の人間にとっては確実に意味ある生でした。この子が生まれてこの方、家族は息を詰めるようにしてその一挙手一投足を見守りながら暮らしてきたのですから――。

 この子の存在は重い、限りなく重い、の重さの2万倍が、東日本大震災で失われた命の重さなのです。


【子どもたちに語り掛けること】
 ひとつの命の重さでさえ、きちんと掴もうとしたら捉えきれないというのに、その2万倍と言われればさらにピンときません。しかしそれでも、一歩でも、1pでも1mmでも、その重さを実感として捉える努力をしなくてはならないと思うのです。

 あの夜、東北地方の40万の人々が見上げた赤い空、満天の星、流れ振る風花、凍える指、震えるからだ、耐えがたい空腹、不安、哀しみ、恐怖、そういったものの一切を――ありありととは言いませんが百万分の一でもいいから想像できるようにしておかないと、次の時代に向かう覚悟が定まらないからです。

 8年目の3・11に、私たちのできることのひとつは、震災を知らない子どもたちの心に、まるで体験したかのように、しっかりと震災の様子を焼き付けることです。そうした疑似体験を通して、二度と同じ過ちを犯さない人間を育てることが死者と被災者の苦難に報いることだと、私は思うのです。

 子どもたちに語り掛けましょう。ひとつだけでもいいから、今日は震災に関するニュースを見なさい、そして家族と語り合いましょう――そう語り掛けるだけでもかまいませんから。


【どんな場合にも、手に入れるべき価値はある】
 しかしあれほどの災厄であっても、そこに前向きなできごとのひとつも発見できないわけではありません。
 そのもっとも大きな点は、私たちが自分自身の底知れぬ力を知ったということです。大きな災害に見舞われても、私たちには節度を忘れることなく、粛々と対応するだけの力があると、実証して見せたからです。

 世界では大規模災害につきものの略奪が、この国では一切起こりませんでした。いたのは久居市の外からやってきた職業的泥棒だけです。
 災害に便乗してモノが一斉に値上がりするということもなく、それどころか商店によっては“もう売り物にならないから”といって品物を放出するところまで出てきました。

 人々は数少ない食料を分け合い、配給が始まると長い列に耐え、必要最低限の物資を受け取るとまた黙って元の場所に戻っていきます。
 避難所では瞬く間に自治組織がつくられ、行政の手の届かない部分を埋めます。昨日家族を失った人が、今日は雄々しく誰かを助けるために動き始めます。

 そうした美しい姿は、まず海外で評価され日本に戻ってきました。そのときはじめて、私たちは自分たちの実力に気づいたのです。

 それまではテレビの情報番組でも、
「だから日本人は困るのです」
「日本は諸外国から10年は遅れています」
「こんなことだから日本は世界からバカにされているのです」
と、そんな言い方をしていれば知識人としての仕事は終わることができたのですが、東日本大震災以後、事情は一変しました。

「日本のここが素晴らしい」
「外国人が感心する日本のすばらしいところ100」
「だから彼らは日本を目指す」
――明らかにやりすぎで、これはこれで抑制しなくてはなりませんが、震災前と 震災後では隔世の感があります。等身大の自己評価をするのは、いったんは逆ぶれをしなくてはならないといったところかもしれません。

 素晴らしい日本、美しい日本、品格が高く親切な日本人、そういった評価を私たちは素直に受け入れることができるようになりました。そしてそれを守ろうと努力することもできます。
 かつてのような卑屈な態度でいる必要は亡くなったのです。


【子どもたちが守り育てていかなくてはならないこと】
 2010年には860万人ほどだった訪日外国人は昨年3100万人を越えました。10年足らずで4倍近くにもなったのです。
 円安やビザの発給条件緩和と言った事情もありますが、日本が「行ってみたい国」だという情報が行き届いたことも大きいはずです。少なくとも中国人観光客については、ビザが緩和されたのは2017年ですから、それが決定的な条件でないことは明らかです。

 私はかつて、第二次世界大戦の「戦前派」「戦中派」「戦後派」と同じように、東日本大震災を挟んだ「震災前派」と「震災後派」という分類を提唱したことがあります。誰も相手にはしてくれませんでしたが今でも気持ちに変わりはありません。

 その分類に従えば、今、教育を必要としている子どもたちの大部分は「震災後派」です。この子たちに教えなくてはならないことのひとつがここにあります。

 あなたたちのお父さん・お母さん、お祖父ちゃん・お祖母ちゃんたちは、この国の国民を世界に誇る民族に育て上げた人たちなのです。
 そのことを忘れてはいけません。覚えていて、それを守っていかなくてはなりません。どんなときも人に親切でなくてはなりませんし常に協力し、誰かを助けられなくてはなりません。美しい言葉、美しい所作や行動で人々に接しなくてはなりません。さまざまな、そうした正しいことを学び、実践できなくてはならないのです。
 それが、この国に生まれたあなたたちの特権と義務なのです。どうか今手の中にあるものを大切にして、守り、決して手放さないように。
 それが私たちの最大の願いです。

(参考)
2011/3/18 私たちには希望がある





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