2019/3/5

「長く生きることの大変」〜母を見ながら考えた  人生


 長命な家系です
 うっかりすると80歳・90歳 
 あるいは100歳を越える人生というのもあるのかもしれない
 そう考えたら少しビビった・・・

という話

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【長命な人々】
 とりあえず、私たちは親戚の多い世代です。
 私の場合、父が4人兄妹、母が5人姉弟ですので、叔父叔母だけで14名いました。私の両親を入れると総勢16名です。

 20年ほど前に私の弟が遅い結婚をしたときは16名中15名が生存していて、それは壮観でしたが、やがて一人、二人と抜けていき、今は叔父が1名、叔母が6名。91歳の私の母を入れて8名が生存者です。
 全員が85歳以上、内3名は90歳を越えていますから気が気ではありません。心配で式服をクリーニングにも出せないのです。明日、葬式が合っても不思議ない。

 特に昨年の暮れに亡くなった叔母の場合は、朝、玄関で倒れ、午後、病院で持ち直し、夜、元気よく家族を家に帰して、深夜に亡くなるというあっけなさで、家族の誰も、予想すらしていなかったのです。

 その鮮やかな死を、私の母などは羨ましがります。ピンピンコロリが一番いいと言うのです。しかし人の死に方は、生き方以上にままならないものです。

 ピンピンコロリで逝くためには、とりあえずピンピンしていなければならない。母にはそう言って働かせようとするのですが、最近はあれこれ億劫みたいで、やたらとサボりたがります。
 サボっておいて、
「はやくお迎え、来ないかねえ。お父さんは何をしてるんだろうね」
と息子には答えにくい愚痴を繰り返し言い、しかし一方で、96歳と94歳の二人の姉より先に逝く気はないみたいで、地震が来ると怯え、老女殺人事件みたいなニュースを聞くと施錠を確認に行ったりもするのです。


【元気なのに不満も多い】
 人は70歳を越えると年の取り方に差が出ます。

 教員時代、何回かボランティア老人ホームに生徒を引率したのですが、そこで会うお年寄りはよぼよぼの70歳もいれば今にも走り出しそうな90歳まで、千差万別です。
 総じて呑気で明るいタイプは若く、陰気な感じの人は老けています。しかし必ずしもそれがすべてではありません。

 病気の有無は決定的で特に内臓に問題を抱えていない人は長生きするようです。内臓以外にはけっこう問題があって、あちこち腰だの膝だの痛い痛いと文句を言いながら、それでも生きていく人たちです。
 私の母がそういうタイプで、事故以外で入院をしたことがありません。

 健康で元気なのだから文句を言わなければいいのにやたらうるさく、「デイサービスで“いつも元気だ”と馬鹿にされた」(?)と怒ってみたり、誰も同情してくれないとブー垂れたりします。

 同じセンター仲間の補聴器自慢に傷ついて、自分も最高級の補聴器を買おうと張り切って眼鏡屋に行ったのですが、測定したら耳にはまったく問題がなく売る機械がないと言われまた傷つきます。

 そういえば深沢七郎の「楢山節考」にも、歯が丈夫で全部揃っていることに傷ついた老婆が、自ら折って村人の前に出てくる場面がありました。
「ワシもようやく歯の抜ける年になった」という意味らしいのですが、口じゅう血だらけでヌッと出てくるわけですから村人の怯えることこの上ない、そういう話でした。

 買う補聴器のなかった母は、仕方がないので必要もないのに安売り店では最高額の眼鏡を新調して帰って来ました。ちょっと斬新なデザインですから値段を言わずに自慢することでしょう。


【今のままでいい】
「おまえだって“お袋、もうそろそろ死んでくれ”と本気で思うこともあるだろう」
などと嫌なことを言うときもあります。しかし私は一度だってそんなふうに考えたことはありません。
 自分自身にとって今が幸せの絶頂だと思っていますから、自分の周辺で駒が一つでも動くのは嫌なのです。
 今のままで十分けっこうです。

 ただ母を見ながら考えるのは、長生きというのは案外、幸せなことではないのかもしれないということです。
 もちろん不幸ではありません。ただとても退屈そうなのです。

 私は昔から“退屈”が苦手です。
 父は86歳まで生きました。母は今91歳です。そう考えると、長命な家系ですから私もまた90歳・100歳と生きる可能性があるわけです。

 その意味でも“そこそこ動けて退屈ではない今のまま”がずっと続けばいいのですが、そういうわけにもいきません。




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