2019/3/26

「通知票を如何せん」〜主として所見欄について  メディア評論


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 通知票の所見欄が年々つまらなくなっている
 ミスやクレームを必要以上に恐れて
 内容を簡略化したり主観を排したり
 あるいは「教師の働き方改革」の観点から
 量や回数を減らしていくというのもあるかもしれない
 しかしそれにしても――

というお話。

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 更新しました。

「キース・アウト」
2019.03.21
通知表の所見が「つまらない」親はモヤモヤ
内容が“報告書風”になった深い事情

 PC版 →http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2019/kieth1903b.htm#i3

 スマホ版→http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2019/kieth1903sh.htm#i3

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2019/3/21

「びしょ濡れのトイレットペーパーを投げ込まれたら」〜大人を舐め切った子どもにどう対処するか  メディア評論


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 トイレの個室に入っていたら、隣からびしょ濡れのトイレットペーパーが投げ込まれてきた。
 これってかなり心臓に悪い状況だよね。
 便器に落としたペーパーか?

 で、犯人を取っ捕まえたらこれが小2のガキで、
 あんまり腹が立ったので思わず張っつけたら逮捕されてしまった。
 いったいどうしたら良かったんだ!

というお話。

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 更新しました。

「キース・アウト」
2019.03.21
トイレ個室で隣から『濡れた紙』が…投げ込んだ8歳男児引っ張り出し平手打ちか 43歳男逮捕

 PC版 →http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2019/kieth1903b.htm#i2

 スマホ版→http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2019/kieth1903sh.htm#i2

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2019/3/20

「担任教師の『最後の授業』」〜卒業式のあとで語っておくべきことがある  教育・学校・教師


 まだ自分を制御することに力の不十分な子どもたちを
 強い力で揺り動かさなくてはならないときがある
 卒業式が終わって戻っていた教室で
 保護者も交えて担任が行う「最後の授業」
 そこで語るべき大事な話があるはずだ

というお話。

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【怒鳴られる快感】
 2019年1月〜3月期、連続ドラマ平均視聴率ベスト5のうちの1位、2位、4位は『3年A組―今から皆さんは、人質です―』(日本テレビ系)、『家売るオンナの逆襲』(日本テレビ系)、『ハケン占い師アタル』(テレビ朝日系)でした。それにドラマでもないし今期でもないのですが「チコちゃんに叱られる」(NHK)を加えて、これら全部における共通点は何でしょう?

 答え=主人公またはMCが出演者を怒鳴りまくる。

 「3年A組〜」に関しては先月14日、「私たちは今もこういう教師を望んでいる(かもしれない)」というタイトルで記事にしましたが、これだけ多くの怒鳴られ番組が人気の上位に挙がってくるとなると、もしかしたら本当に私たちは怒鳴られることを望んでいるのかもしれないと思えてきたりします。

 もちろん理不尽に怒鳴られるのはかないません。
 しかし道理にかなうことや正しいことだったら、押し付けられるのもやぶさかでないという時があります。特に若いときはそうです。


【自由からの逃走・束縛からの解放】
 理由はふたつです。
 ひとつは現在の私たちの状況――情報過多でどんなものにでもアクセスでき、自由に選択してもよいが実際には一つしか選ぶことができず、しかも選んだことの責任(選ばなかった責任)は自分一人で負わなければならないという過酷な状況を切り抜ける場合です。

 私は若いころ自分が才能にあふれた天才的な人間だと思っていました。ですからかえって何も選べない。捨てるものが多すぎて未練が断ちきれないのです。そんなとき、神様でも悪魔でも何でもいいから圧倒的な権力が降りて来て、強制的に道を示してくれたらどんなに楽かと本気で思っていたのです。
 権力が示したその道が間違っていてもかまわないのです。そうなったら神様なり悪魔なりを恨んでいればいいだけのことですから。
 自分で決めてその選択の過ちを、自分の責任で取らされるのはまっぴらです。
「もうどうでもいいから誰か決めてくれ!」
 そう言いたくなる時は何度もあったのです。

 もうひとつの理由は、私たちが自分の意思だけでは生きられないようにできているからです。人間は関係性の生き物ですから他人の思惑から自由でいられません。

 例えば不良グループのリーダーは「こんなことをしていたらダメだ」と気づいても簡単に降りることはできません。たくさんの友だちを悪の道に引きずり込んでおいて自分一人がいい子になるのは難しいのです。

 イジメにしろ万引きにしろ、「みんながやっているからといって自分もやっていいということにはならない。ダメなことはダメなんだ」と説得されることは少なくありません。しかしそんなことは百も承知なのです。分かっていながら止めることができない、そういうことがあります。
“みんな”に逆らって、あるいは“みんな”から遠ざかって、ひとり生きることはそんなに簡単なことではありません。そんなとき、圧倒的な力を持った権力が目の前に現れて強引に道を曲げてくれると本当にありがたいのです。

 たびたび申し上げていますが、中学校や高校でチンピラめいた生徒たちが最も好きな先生はたいていの場合その学校で“一番怖い”と言われる先生です。体を張って子どもの人生に関わり合ってくれる上に、しばしば言い訳を与えてくれるからです。
「あの先生に見つかったら仕方ないな――」という訳です。


【怒鳴ってはいけないが、真に語るべき時がある】
 もちろんこれで教師の体罰やハラスメントを肯定しようというつもりはありません。すでに学校は冗談を冗談と受け取る高い共通認識がない限り、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」さえ言えない世界です。不用意に言えば訴えられる可能性があります。

 『3年A組―今から皆さんは、人質です―』も『家売るオンナの逆襲』も『ハケン占い師アタル』もフィクションだからいいのです。「チコちゃん〜」は5歳だから許されるのであって、それ以上になるともう無理でしょう。

 では指導者は――教師は、親は、もう子どもたちに向かって大上段に振りかざして正論を訴えることはできないのでしょうか?
 いえいえそんなことはありません。子悪いことをしたとき、道を誤ろうとしたとき、そし何か特別な時、子どもたちは真剣に話を聞こうとしますから、そのときこそ真に話しておかなければならないことを語るべきです。

 卒業式が終わって戻った教室で、保護者も同席して行う担任の「最後の授業」は、まさにうってつけです。


【最後の授業】
 長く教員をやってきた私でも、卒業式後の「最後の授業」をやった経験は6回しかありません。卒業学年を担任できるかどうかは運に左右されますから。
 しかもこの「最後の授業」の大切さを知って本気で取り組んだのは担任教師として最後の方だけでしたので、記録も残っていません。

 ただ、探していたら次のような文が出てきました。四半世紀以上前のものでおそらく卒業文集に載せたものだと思われるものですが、きっと「最後の授業」でも似た話をしたはずです。
 いま読めば気恥ずかしい文です。しかし熱のある時期の呼びかけですから、子どもたちにもすんなり通ったと思います。

「立ち向かい、乗り越えよ」
 あと7年で20世紀が終わるという1993年、君たちは卒業していく。21世紀はまさに君たちに背負われて、新しい100年を踏みだすことになるはずだ。
 新世紀がここまで迫ってくるとかつてのように夢の21世紀と言った感覚は薄れ、かなり現実的なものとして予想することができる。

 新しい時代も、おそらく世界国家(世界がひとつになる)を達成することはできないだろう。戦争も飢餓も、残念ながらなくすことはできないはずだ。
 一般人が宇宙旅行をするという夢も、いまやいささか怪しくなった。

 人間は天然痘という病気を地上から根絶することに成功した。かつて黒死病の名で恐れられたペストも、今やこの世に存在するとは思えないほどになった。やがてガンも克服されるだろう。けれどそれにもかかわらずエイズの流行によって、我々は新しい病気が新たに誕生するという事態を決定的に思い知らされることになった。

 今から一万年ほど前、人類は週に三日働けば生活ができた。それが今は週六日も働かなければならない。
 科学が進歩すれば生活は良くなるはずだったが、何年たっても地上から問題が消え去る様子はなく、今や地球自体の存続さえ危ぶまれるまでになってしまった。
 こうなると問題を解決するために努力してきたのか、問題を生み出すために努力したのか、それさえもわからない気分になってくる。
個人の生に関しても、どこまで努力を続ければ努力しないですむ日がくるのか、まるで分からない。
 けれど、だがおそらくそれが歴史というものだろう。

 問題がなくなる日はたぶん永遠にこない。何か問題を解決したその日が新たな問題の出発点であり、その問題の解決が次の問題を生み出す。
 だから死ぬまで苦労し続けよと、そんなふうになりそうな話だが決してそうではない。要は問題の訪れることを喜び、問題を解決する喜びを持て、ということだ。

 面白いことに、そしてありがたいことに、さらに困ったことには、個人について言えば、人はその人にふさわしい困難しか持つことができないのだ。
 縄文人は戦争に苦しむことはなかったし江戸時代の人間が受験に悩むこともなかった。幼稚園児はほしいおもちゃが手に入らない程度の困難しか感じる力がないし、小学生が政治問題に悩むことはない。
 問題は常に解決可能な範囲でしか感じられないし、訪れてもこないのだ。だとしたら勇気をもって立ち向かい、乗り越えるべきだ。
 
 君たちに関する思い出はつきない。けれどもはや私の目は今や君たちの未来に向いている。

 歴史がその日めくりをいくつめくろうとも、困難はつきないだろう。だが私はもう一度繰り返して言う。
「問題の訪れることを喜び、問題を解決する喜びを持て。そして立ち向かい、乗り越えよ」
と。


*いつもの通り、学校の日課に合わせて活動するこの「アフター・フェア」も年末年始休業に入ります。
 平成31年度は4月8日(月)から正式に始めるつもりですが、必要があればそのつど記事を上げていきたいと思います。




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2019/3/19

「卒業式前夜の学校」〜先生たちは何をしているのだろう  教育・学校・教師


 卒業式前日の学校には特別な雰囲気がある
 卒業生が式の練習を終えて帰宅し
 教室や体育館の飾りつけに忙しかった在校生も活動を終えて下校し
 さてそのあと 先生たちは何をしているのだろう

というお話。

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【卒業式の前夜】
 いよいよ明日は卒業式です。
 その前日である今日一日を、卒業学年の子どもたちはどんな風に過ごすのでしょうか。
 そして親御さんは。

 私は二人の子どもについて、小学校卒業のときは「ああこれでこの子と過ごす人生の三分の二が終わってしまう」と思い、中学校卒業の時は「ああ、あと3年しか残っていない。この子と過ごす六分の五が終わってしまった」と、そんなことばかり考えていました。
 子どもは18歳になったら家を出て二度と戻ってこないと思っていたからです。

2014/9/1「家族の一生」

 でも普通のお宅ではそんなふうにアタフタせずに、卒業式の前日か当日の夜、家族できちんとお祝いするのかもしれませんね。
 
 学校の先生にとっての今日は、なかなか大変です。
 式当日は綿密な計画の通りきちんと流せばいいだけで、さほど慌てたり緊張したりすることはありませんが、今日の夕方までにやっておくことはたくさんあります。緊張したり慌てたりすることは、すべて今日のうちにやっておかなくてはなりません。


【副校長(教頭)先生】
 例えば副校長(教頭)先生は今日一日、とても忙しい時間を送ります。

 玄関の花飾りから来賓の下足箱の表示、控室のしつらえ、体育館の来賓席の数を確認して祝辞を読まれる方の席を確保(最前列にしておかないと不便です)、あちらこちらの清掃の具合、用具の点検――すべてが副校長の管理下にありますからチェックにチェックを重ねます。

 変わったところでは、卒業生がかつて教わった先生から届く祝電・メッセージの確認というのがあります。
 3年も4年も前に転任された先生だと卒業式を失念していて、何も送ってくれない場合があります。
“他の先生からの電報が届いているのにボクのクラスの先生はくれなかった”
では子どもが可哀そうですし、その先生にも気の毒です。
 ですから窓口である副校長(教頭)先生は現任校を調べて、催促したりするのです。

「行き違いになっているようでしたら申し訳ありませんが、いま祝電を整理していたら先生の分が届いていません。もし送っていただけるようでしたら明日の朝でも間に合いますのでよろしくお願いします」

 現在は至急電報というものがないので “明日の朝”では間に合わないのですが、その代わりメールの添付ファイルという手があります。そこでメールで送ってくださいと依頼するのですが、教師という職業の人はこういうことをさせるとすごく上手で、あっというまに気の利いたメッセージカードが届いたりします。

 元担任が退職して所在不明になっていたりするとメールはさらに威力を発揮します。
 昔は古い電報を利用してかなり苦労して偽造したみたいですが、メールの添付ファイルだと実に簡単です。かつて自分がつくって送ったことのあるメッセージを電子ァイルから取り出して、名前を変えて印刷すればいいだけです。これで卒業生に関わる全員の先生たちのメッセージが揃います(*1)。
*1・・・もちろんすべての副校長(教頭)先生がこうした偽造に手を染めているという訳ではありません。そういうことをやった先生を知っている程度の話です。


【校長先生】
 校長先生はこの日までに卒業証書を用意します。
 用紙は教育委員会が校長名入りで用意してくれますが、卒業生の氏名と卒業生番号の記入、職印や割り印(証書と卒業生名簿の間を渡して押す)は学校でしなくてはなりません。
 ここで大問題が発生します。

 100年前の教師と違って、現代の校長先生は必ずしも書が堪能ではないのです。大切な卒業証書が見るも無残な悪筆では、校長にとっては一生の恥、子どもにとっては生涯の不幸です。

 世の中の校長先生たちがそうした危機をどんなふうに乗り切っているかは謎ですが、家族に書家がいれば家族に依頼し、いなければ自腹を切ってプロにお願いしたりするみたいです。公務員だった私の父が定年退職後に代書のアルバイトをしていましたが、一度そうした注文を受けたことがありました。
 
 副校長(教頭)先生あたりに有名な書家がいたりするとお願いすることもあるみたいです。しかし一般職の先生に頼むことは稀です。先生たちはいつだって忙しいのです。そんな神経質な仕事を頼んではいけません。

 校長先生のもうひとつの大切な仕事は式辞の準備です。
 昨年のNHK「チコちゃんに叱られる」では、教育評論家の尾木直樹先生が「ネタ本があって校長先生はそれを下敷きに校長講話をやっている」といった言い方をしておられました。
2018/11/2「チコちゃん、それはない」〜校長先生の話はなぜ長いのか

 しかしそんなことはありません。ネタ本を使うにしても初めて校長になった第一回で参考にする程度です。

 校長講話や式辞の怖いところはそれを聞くのが児童生徒だけではないということです。学校中の先生たちが耳をそばだてて聞いています。あとで教室に戻って内容を確認したり噛み砕いて言い直したりしなくてはならないからです。ですからつまらない話だったり同じことの繰り返しだったりすると、すぐ先生たちからソッポを向かれてしまいます。
 卒業式の式辞は普段の校長講話よりはるかに格式ばったものですから、ある程度の書式があり、そのぶん楽だとも言えますが気の抜けるものではありません。



 式辞を書いて音読の練習をし、式辞用紙に清書するなり印刷するなりして明日に備えます。
(こんなのがあります→)

 さらにより慎重な校長先生だと金庫のところに副校長(教頭)先生を呼び寄せて、こんなふうに言うことがあります。
「『式辞』は金庫のここに入れておきます。明日、万が一のことがあって私が来られないようなら、先生が代わりに読んでください」
 万が一というのは寝坊のことではありません。死んだり救急車で運ばれたりしない限り、校長先生は這っても時間通りに来るものです。万が一というのはそのいずれかの場合という意味です。
 卒業式は学校にとってそのくらい重要な式なのです。


【一般の先生たち】

 学校というのは非常に公平性の高い職場です。ですから先生たちも常に平等なのですが、卒業式はちょっと事情が異なります。卒業学年の先生たちをみんなで支えるといった擬制をとるからです。校長も含めて、心情的にもそういう感じになります。

 修学旅行や児童会・生徒会、対外的な活動も多く、中学校の場合は受験もありますから最高学年の担任の負担は尋常ではありません。ですからその集大成の日を、みんなで支えて遺漏がないようにしようと、そんな気分になるわけです。そして精一杯、励みます。


【担任】
 卒業式前日まで、最高学年の担任たちは子どもたちと一緒に一気に走り抜けてきます。あとがないわけですから積み残し・やり残しという訳にはいきません。教科はもちろん、道徳や学級活動についても何かし残したことがないかずっと気を配り続けてきたのです。

 持ち物はすべて持ち帰らせなくてはなりません。個人通帳も解約し、給食費の返金もその日までに済ませます。同窓会への入会式、地域へのお礼、先生方への感謝の言葉の用意等々・・・本当に一気呵成といった感じです。

 一瞬も気を緩められない目の回るような日々を突っ走ってきて、卒業式前日、最後の式練習を終えて生徒を帰すと、意外なことにここでぽっかりと穴が開いてしまいます。

 他の先生たちがまだ式場準備だの花の手配だのと忙しく走り回っているのに、自分だけ何もすることがない――。
 もちろん卒業学年の担任であってもいちおう「卒業生指導係」とかいった係名はありますが、これは延々と学級活動をやっているようなもので生徒を帰してしまうと式の準備という意味では仕事がないのです。

 しかたがないのでほとんどの場合、卒業生の担任は下級生に飾り付けてもらった自分の教室に向かい、しばらくそこで時間を過ごします。
 さまざまに事件のあった教室です。一人ひとりの子どもを一年間成長させた修行の場でもあります。そして改めて、明日の最後の授業で何を話そうかと考えたりするのです。(*2)。
 担任として行う、もっとも重要な授業の素案を練るのです。

*2・・・ただし、この期に及んでまだじたばたしている担任の先生もいたりします。生徒一人ひとりのための色紙をつくるとか、クラスの活動の様子をDVDに編集して渡すとか、何か遠大な計画を立てて間に合うのが難しくなった先生たちです。
 計画の甘い担任と言えばそれまでですが、これもなかなか捨てがたい担任の姿です。



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2019/3/18

「横滑りする頭」〜正の転移、負の転移  教育・学校・教師


 耳がとおくなったわけでもないのに 最近 妙な聞き間違いをするようになった
 しかも同じことが何度も繰り返される
 新しいことばが入ってこないのは 
 やはり頑固になっているからかもしれない

というお話 

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【横滑りする頭】
 若いころから思考が深まらず、横滑りするタイプでした。思考の横滑りというのは私の造語で、深化せずに連想を飛び跳ねたり、一瞬にして別の話に移ったりすることを言います。

 会話の最中だと話を聞いていないみたいで失礼千万なのですが、私の内部では強い連絡があって説明すればだいたい理解してもらえる範囲です。また、うまく作用すれば多面的な見方につながるのですが、そうでなければ上っ面を走って終わることになります。
 日常生活ではダジャレばかり考えているような頭の構造なので、よそ様からは呆れられ、家族からは無視されます。

 これといって得なこともありません。しかしもって生まれた性分ですから仕方ないでしょう。歳が歳ですから「ひとに迷惑をかける時間もあとわずか」と居直ってもかまわないと思っています。あとは自分自身が困るかどうかだけです。

 ところが最近、もしかしたら次第に「自分自身も困るレベル」に向かっているのではないかと、心配になる出来事がいくつか続くようになってきたのです。


【新元号】
 あとわずかで「平成」に代わる新元号が発表されます。それにつれてテレビニュースなのでも扱われることが多くなってきたのですが、この「シンゲンゴウ」という単語を聞くたびに頭の中にすんなり入ってきません。はっきり言うと「信玄GO!」という言葉が浮かぶのを慌てて押し留め、「新元号」に置き換えるといった作業を毎回やっているのです。

 もちろん「信玄GO!」は以前このブログに書いた「真田 de GO!」からの連想であって、“甲府の街をスマホ片手に城まで攻め上がる”とかいってひとりで頭の中で遊んでいのが、いつの間にか定着してしまったのです。しかしそんなロクでもないことが新しい知識の妨げになるのは困ったものです。
(参考)
2016/7/29「ポケモンGO!」2〜「真田 de GO!」


 明らかに頭が固くなっているのですが、そのことを反省する頭の片隅で「頭が固くなっているのに脳軟化症というのはどういうことだ?」などと考えていたりもします。


【正の転移、負の転移】
 スノーボードでオリンピック2大会連続の銀メダルの平野歩夢くんが、スケートボードでもオリンピックを目指すそうです。同じボード競技ですからスケボーのトップアスリートと肩を並べるのも案外簡単なかもしれません。
 このようにひとつの部門での学習経験が他の学習に良い影響を与えることを「正の転移」というのだそうです。バイオリンを習ったことのある人ならチェロの習得も早いだろうといったごく当たり前のことです。

 ところがその逆もあって、ひとつの学習が新しい学びの妨害をすることがあります。端的な例は語学です。
 日本の発音に慣れた口は外国の発音を容易に受け入れません。「舌先を軽くかんで発音する」とか「口の中で舌先を上あごにつけるように丸くする」とか、中には「ノドち〇こを震わせる」などというものまであって、外国人はどうしてこんなに難しいことを始めたのかと嘆いたりしますが、それは私たちが日本語を学び続けたために起こる「負の転移」のためです。

 あるいは「3歩まで走っていいハンドボールから球技を始めた人は、2歩しか進めないバスケットボールの習得が遅れる」とか、「クラシックバレエを習っていた人はヒップホップダンスの学習がなかなか進まない」とか、「水彩画から油彩画への移行は容易だが、逆は難しい」とったことが負の転移としてよく挙げられる例です。

 私の場合、「信玄GO!」と「新元号」は日常語ではないという意味では等価ですが、前者は私自身が考えたという点、および「新元号」より前に意識の中に入って来たという点でより重みがあります。そのために社会的には圧倒的に価値のあるはずの「新元号」が「信玄GO!」に跳ね返されそうになってしまうのです。


【思考の淀みと固着】
 しかし負の転移としてもっともありふれているのは、
「オマエ、変な癖をつけちゃったな。直すの、大変だぞ」
というアレです。
 まったくの初心者ならかえっていいのに、中途半端に学習してきたので困る――。


 まだ現職で大勢の人間と繰り返し接触し好むと好まざるとにかかわらずさまざまな刺激をもらっていた時代は、頭の切り替えも頻繁で判断も速さを求められました。

 しかし今は悠々自適、自分の速度で、自分の好むものだけを扱って入ればいい生活です。そうなると思考はどうしても淀む。そして固着する。誰の指導も受けずに考えたり書いたりするわけですから、どうしても思考に“変な癖”がついてしまう。
 そんなことから「新元号」といった当たり前の言葉さえうまくはいってこなくなるのかもしれないと、いまは思っています。

 この問題、もうしばらく考えてみることにしましょう。



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2019/3/16

分からなかったら学校に聞きに行けばいいのに・・・  メディア評論


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「分からないことがあったら先生に聞きなさい」って、よく言われることですよね。
 ましてや主題は小学校の卒業式問題なのだから。

 それをメディアはなぜか大学に聞きに行く。
 聞きに行って、
「ああやっぱり小中学校の先生は分かっちゃいないや」
 という結論を持ち帰ってくる・・・。

というお話。

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「キース・アウト」
2019.03.16
小学校卒業式のはかまに賛否…なぜ問題視?


 PC版 →http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2019/kieth1903b.htm#i1

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