2019/2/28

「第二回米朝首脳会談への不安と苛立ち」〜ハノイの金正恩を、子どもにどう説明したらいいのか2  教育・学校・教師


 米朝首脳会談2日目
 私たちが曲がりなりにも受け入れられるような合意はできるのでしょうか
 共同声明は発表できるのか

 なにか背筋の寒い思いでそれを待っているのですが
 その緊張感とイライラに耐えきれないので 
 最後に少しスカしておく


 そういう話。
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【私は不条理に耐えられない】
 一昨日、ベトナムのドンダン駅に降り立った金正恩委員長が市民の歓声の中、専用車の窓を開けてにこやかに手を振るニュース映像を見ながら、私は何とも言えないやるせなさと苛立ちに襲われました。

 この男は英雄でもアイドルでもなく、北朝鮮2400万の国民を飢えさえ、苦しめ、死なせ、富を吸い上げ、時には投獄し、処刑した張本人なのです。叔父や義兄を無慈悲に殺したばかりでなく、部下たちも次々と粛清してわが身ひとつを守ってきた。
 国際的には日韓を中心とする世界各国から無辜の市民を拉致し、民間機に爆弾を仕掛けて落しあるいは外国の霊廟に仕掛けて爆破し、国家ぐるみで違法薬物を生産して世界中に流通させ、ニセドル札を印刷し仮想通貨を盗む、そんな国の国家元首。
 世界第三位の毒ガス・生物兵器の保有国、そして今や世界で8番目の核保有国となった、その国の独裁者なのです。
 それがこんなふうに熱烈歓迎を受けていいものでしょうか? 私たちは子どもに、なんといって説明したらいいのでしょう?


【子どもたちに間違ったメッセージを与えないか】
 この風景は子どもたちに間違ったメッセージを与えるかもしれません。
「やっぱり核を持つ国はつえーや!」
「国際社会はやったもの勝ちだな」
「たった一人でアメリカ大統領の鼻面を引き回し“恋に落ちた”と言わしめた、金正恩は偉大な政治家」
「韓国国民から、朝鮮戦争も天安沈没事件も延坪島砲撃事件も忘れさせた、とんでもないカリスマ」

 そんな評価が許されていいはずはありません。
 アニメの影響をモロに受けたような言い方ですが、
「悪は必ず滅びる!!」
 そうでないといけないと思うのです。

 もちろん政治はリアリズムの世界で、「独裁者を許してもいいのか」「まず国内の人権問題を解決してから出てこい」とか言っても何も起こらず、多少の不満は残してもひとつひとつ時間をかけて解決していくしかない、ということはよく分かっているのです。しかしその「時間をかけて」が50年、100年だとしたら私の許容範囲を越えます。
 子や孫や私の教え子たちの生きる世界が、悪にまみれていてはいけないのです。

 遅くとも数年の間に「悪の帝国」は滅びなくてはなりません。少なくとも私の目の黒いうちにはここまで酷い悪は消えて亡くならなければならないと思うのです。

 もう一度いいます。この事態を子どもたちに、どうせ説明したらよいのでしょう。


 以下、腹立ちまぎれの駄文ですので、読まなくてもけっこうです。

【もっとも主人公たちの顔は面白い】
 不思議なことに、歴史上の独裁者の中には、面白い顔をした男、変なヤツがけっこういます。

 例えば演説するムッソリーニはほとんど顔芸をやっているとしか思えませんし、チャップリンが映画「独裁者」で真似たヒトラーのパフォーマンスは、1930年代にあってもおかしなものだったようです。実際にナチスが権力を握るまで、ヒトラーはドイツの有名な「変なおじさん」扱いだったのです。
 その点で大統領選に勝つまでのドナルド・トランプ氏と似ています。

 映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の悪役ビフのモデルだといいますから、映画のつくられた1980年代後半におけるトランプ氏の、合衆国での扱われ方がどうだったかはおおよそ分かります。誰もが知る有名な「変なおじさん」なのです。

 しかし正直言って、私はトランプ大統領が唇を結んでニッと口角を上げ、得意そうに笑う顔が好きです。どうしても思い出せないのですが、水島新司か誰かのマンガにそっくりなキャラクターがいたように思います。

 中国の習近平主席がディズニーの「プーさん」とあだ名され、ために中国のネットでは「プーさん」が検索できないそうです。
 習主席がプーさんなら、ベトナムのドンダン駅で列車から降りてきた金正恩委員長は「悪いドラえもん」でした。少なくとも体形はそうです。ニコニコ笑いながら歩く姿は、無邪気としか言いようがありません。

 また、無邪気と言えば金委員長が降りる前に一足先に外に出て、そんな必要は絶対にないと思うのですが、あたりの安全を確認した妹の金与正女史。この人ののっぺりとした顔も悪くないのですが、それよりも気に入っているのは無邪気な目立ちたがりと落ち着きのなさです。
 
 これまでもさまざまな場面で、委員長の周りで全員が緊張している中を、いつも一人だけチョウのようにヒラヒラと飛び回って目立とうとしている――その姿はとてもではありませんが30歳過ぎの子持ちとは思えません。

 首か肩に問題を抱えているのか、普通の人より1〜2pアゴの上がる癖があるみたいで、その小生意気な感じがなんとも言えない。
 逆の三白眼で見下ろす感じになる目つきから、「睥睨(へいげい:にらみつけて勢いを示すこと)」という、普段はめったに使わない言葉を思い出しました。

 さあ、今夜は指導者たちの変顔を思い浮かべながら眠ることにしましょう。そうでないととてもではありませんがやっていけない感じです。


(参考)
2017-09-19「金正恩を子どもたちにどう教えるか」〜子どもたちに伝える三つのこと

                   (この稿、続く)

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2019/2/27

「もっとテレビを見なくちゃダメだ!!」〜社会科に強い子どもを育てる法  教育・学校・教師


 もっとテレビを見なくちゃダメだ
 お母さん 子どもと一緒にテレビを見ましょう
 そうすれば社会科に強い子になれる

 と 熱心に掻き口説いた時期がある
 しかし自分の子はダメだった


という話。

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【かつての教え子が覚えていたこと】
 今月4日の記事に同窓会に招かれた話をしました。
2019/2/4「子どもたちは覚えている」〜同窓会に招かれて意外な話を聞いた

 その際、子どもたち(今は十分な大人ですが)は案外、教師の話をよく覚えているものだというようなことを書きました。その“覚えていたこと”のひとつで、前回お話ししなかったことがあります。次のような話です。

「先生、テレビのそばに地図と年表と辞書を置いていつでも見られるようにしておけって言ったでしょ? それを私、実践してて娘にガンガン勉強させているの!」
 
 大人になってから我が子にガンガンやらせろという話ではなく、本人にそうしろと言ったのですが、何か悪用されたような気分です。しかし確かにそれは私の言いそうなことで、たぶんこんな言い方をしたのだと思います。


【もっとしっかりテレビを見ろと教える】
「オマエたちは親から『テレビばっかり見ていないで勉強しろ』なんて言われているかもしれないが、オレに言わせればまだまだ見たりない。オマエたちがしているのはテレビを“眺める”ことで、本当に“見ている”時間はこれっぽっちもないはずだ。

 見るってのはなァ、テレビの前に机を置いてきちんと正座で対面するところから始まるんだ。机の左には地図帳と歴史年表そして辞書、左上の方に地球儀、右手前にはメモ帳と筆記用具、それだけ用意していつでも調べられるだけの気合と集中力でじっと画面を見つめる、そして地名が出てきたらすぐに地球儀か地図帳、歴史が出てきたら年表、分かったこと、疑問に思ったことはメモ!

 話題が次に進むまでに全部ができればいいがテレビは待ってくれない。だからメモまでは辿りつかないかもしれないが、気合さえあれば疑問は頭の中に残る。そして番組が終わったら忘れないうちに頭の中のものを紙に写しておけばいいのだ。

 記憶の整理は、まあ15分もあればいいから、1時間番組の視聴には1時間15分かける――それが “テレビを見る”ってことだ。
 どうだァ?
 お前たちにはこれからどんどんテレビを見てもらいたい。ただし眺めているなよ! コタツで横になって、ぼーっと口あけて鼻ほじってんじゃねぇぞ〜」

 
【保護者にもきちんと啓蒙】
 保護者に対してはそんな品のない言い方はできないので、懇談会の折など、「ウチの子は社会科が苦手で・・・」とか言われると同じことをもっと丁寧にお話ししました。

「社会科というのは厄介な教科で、無意識に前提にしてしまう知識が多すぎるのです。例えば歴史で『国司』なんていうのが出てくると、私たちはついうっかりと『今で言う県知事みたいなものだ』なんていう言い方をしてしまいますが、『県知事』がしっかり分かっている子は案外少ない。『県』という概念すら分かっているかどうか疑わしいのです。
『キミは何県の生まれ?』と訊けばすぐに答えられるのに、直後に『じゃあ県立図書館って誰が建てたの?』って質問すると頭のいい子はかえって混乱する、そんなものです。
 しかし県知事がなんだかきちんと分かっている子には『国司は県知事みたいなもんだ』で十分です。すんなり頭に入ります。

 地理でも『オーストラリア』と訊いただけで、サンタクロースがサーフィンする奇妙な映像が浮かぶような子は、放っておいても我々の住んでいる場所とは夏冬逆転している日豪の違いを理解するでしょう。
 つまりそうした“私たちが無意識に前提としてしまう”ような知識をたくさん持っている子が強いのです。

 家庭でもお父さんが大河ドラマが好きで子どもたちもなんとなく一緒に見ているとか、夫婦の会話に「ちょっとォ、最近は円安なの? またガソリンが上がったじゃない」「いや中東情勢がまたちょっと不安定なんだ」なんていう話が出てくるようだと、子どもたちが自然に学ぶことは多くなります。
 
 ですからせめて居間のすぐ手の届くところに辞書と歴史年表を置き、壁には日本地図を張って、テレビの上には地球儀を置きましょう。それだけでも違うはずです」
 そんなふうに話したものです。もちろんテレビの上に物が置けた時代の話です。


【恥ずかしながら我が家の場合――】
 ただし最初に紹介した元教え子には申し訳ないのですが、その話をした時期、まだ娘のシーナは3才で息子のアキュラに至っては湯気の出ているような赤ん坊でした。つまり私が実際に試したわけではないのです。

 後年、ほぼ生徒や保護者に言ったとおりのことを自分の子たちにもしました。しかしその結果は前に申し上げた通り、あまり芳しいものではありませんでした。

 中学校3年生になったシーナは私に「吉田マツカゲ(松陰)って誰だっけ」などと訊きますし、アキュラに至っては「鎌倉時代、将軍に次ぐ役職はコウマルケン」などと平気で言います。「コウマルケン」が何か分からないのでノートを見たら、「執権」の字が横に間伸びして「幸丸権」になっていてそれを覚えたのです。
 何が悪かったのか――。


【要するにモノなんて置いただけではダメ】
 夫婦でなんとか夜7時までには帰宅し家族で夕食を食べることはしましたが、そこからは戦闘状態。二人で台所や洗濯物やらの後始末を分担して行い、入浴し、子どもたちに明日の用意をさせて私は9時に子どもと一緒に眠る(午前3時に起きて仕事)。妻はそこから洗濯やら朝の食事の準備やらをしてそのあと持ち帰り仕事。そういう生活をずっと続けてしまったのです。

 ほんとうは宿題を見てやったり一緒にテレビを見たり、どうでもいい会話を楽しんだりふざけたり、そうした中で子どもたちの知らないことは教えてやり、私も分からないことは一緒に調べる。夫婦の間でも「最近は円安なの?」みたいな話ができる、そうした余裕がないとモノなんていくら置いても役に立たないのです。
 
 こうして振り返ってみると、豊かになるはずだった子どもとの時間を、無下に捨てて来てしまったものです。

 教員夫婦に限らず、どこの家庭でもお父さんお母さんも忙しいのです。だから無理な注文かもしれませんが時間さえ確保できれば、地球儀だとか年表だとかも使って、情緒豊かで知識の深い子どもを育てる可能性はずっと高いように思うのですが。



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2019/2/26

「親は、子どもの質問にどこまで答えられなければならないのか」〜子どもの宿題が分からない!!   親子・家族


 学校の出した回答不能の宿題がネット上で笑われている
 しかしそんな問題が出されたとき 普通の親はどう対処しているのだろう

 子どもの問いかけに答えられないとき どうしたらいいのか
 そのために何を用意しておけばいいのか――


というお話。

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(ルノワール 「ヴァルジュモンの子どもたちの午後」)

【ネットを賑わした超難問】
 小学生の娘が持ち帰った算数の問題が超難問で、親も頭を抱えたという話がツイッターで話題になったそうです。
 娘の算数の宿題が鬼畜難易度 「これは難問」「俺も解けない」「非ユークリッド幾何学教えてるのか…」

 三角形の作図の問題なのですが「辺の長さが6cm、3cm、3cmの二等辺三角形」を描くのだそうです。

 この話題について私が困っているのは、ツイッター上に繰り広げられるつぶやきの何割くらいの人がこの問題に大真面目で悩み、どれくらいの人が作図できないことを真剣に説明しようとし、あるいは「空間のゆがみ」とやらを利用してできないものかと頭を悩ませ、さらにあるいは悩んでいるふりをして問題作成者をあざ笑っているのか、よく分からないことです。

 みんながみんな高度な悪ふざけをしているなら、それを今ごろ取り上げて真面目に扱い、嘲笑されるのではかないません。
 私はけっこう気が小さいのです。

と、そう思って改めて見ると、そもそも発端となったツイート自体がフェイクという可能性もないわけではありません。
 今どきこんな“手づくり感”満載のプリントをつくる先生がいるだろうか――。


【解けない問題が子どもに渡された理由】
 最初に問題を見たとき、
「あ〜あ、この先生、よほど疲れてるんだな」
と同情したりもしたのです。というのは私自身も手づくり教材を作成している最中、意識がもうろうとしてとんでもない問題をつくってしまったことがあるからです。
 その極めつけは次のようなものです。

「よし子さんは8才です。お母さんはよし子さんの年れいの4倍よりも3っつ年上です。お父さんの年れいは何才でしょう」

 もっとも児童の3分の2は「35才」と書いてきましたから、丁寧に問題を読んでいるかどうかのテストにはなったのですが――。

 しかし「超難問」のツイートを読み進んだら、
「見たことのある問題集… これ、私の小学校でも使われてたんですけど、問題の間違いが多くて途中から違うプリントになりました…w」
というのがあり、それで合点がいきました。

 そう言えばむかしは「そのまま印刷できる手づくりプリント」みたいな問題集がいくつも売られていました。手書き感のあるプリントはけっこう人気があったのです。
 今では先生たちの本物の手づくりだってワープロの仕様ですから“手書き感”などなくてもいいのですが、学校は貧乏ですから印刷室の書棚には今でもそんな冊子が並んでいるのかもしれません。それをチェックもせずに増し刷りしたからこんなことになるのです。

 市販の問題集をいちいち調べるような余裕は、先生たちにはありません。せめてその問題ひとつに✕をして使えないようにするくらいの余裕があれば、次の先生の同じミスは防げるのですが、それすらもない。
 かくして同じ過ちが何回も繰り返される――。


【親はどうしたのだろう?】
 さてそこまで順を追って見てきて、最後に気になったのは話の発端となった親御さんがお嬢さんからSNSで相談され、いったんは「帰ったら教えてあげるよー」と返事をして家に戻ったあと、どうしたかということです。

 全体の印象からするとすぐに問題の不備に気づいて、
「これは出題ミスだから、明日、先生に“できませんでした”って言ってごらん。他の子も同じだからきっと大丈夫だよ」
と言ってあげたような気がします。SNSを使ってまで相談したくなるような親御さんですから日ごろから丁寧に見ておられるのでしょう。そういう人が気づかないはずがありません。

 しかし世の中にはそうならない人だっているのです。


【子どもの質問にすべて答えられる必要はない】
 私は40年以上前に、奈良の東大寺三月堂で出会った一組の親子が忘れられません。夫婦と二人の男の子だったと記憶していますが、そのお兄ちゃんの方、小学校4年生くらいの子が父親にさかんに話かけるのです。
 連れてきてもらったのがうれしかったのでしょうね。昨日お話しした孫のハーヴ同様の「なぜなぜ少年」なのですが、しかしその質問のほとんどにお父さんは答えられない。

「お父さん、この仏様すごく怖い顔をしてるけどなぜ?」
「手に持っている杖みたいなのは何?」
「天井の四角いヤツって何なの?」
「お父さん、日光ナントカとか月光ナントカって何?」
 そのころにはお父さんもすっかり投げやりになってきたらしく、
「そんなの分かんねぇなあ……月光仮面! ナンチャッテな!」

 見ている私はなんとなく切なくなってしまいました。

 もちろん仏像や仏具・仏事のことなど一般的ではありませんから知らなくてもいいのです。しかし冗談でごまかすのではなく、もっと他の対処の仕方があったと思うのです。例えば、
「仏教のことは難しくてよく分からないんだよ、お父さんもほとんど知らない。でも大事なことだからあとで調べられるように、何だろうと思ったことはメモしておこう。お父さんも手伝ってあげるから」
 そんなふうに言ってもよかったのです


【勉強をする理由】
 私の友人は医師ですが、医学部を受けようとする息子の勉強を入試直前まで見てやることができたと言います。
「数学と化学だけは最後までオレの方ができた」と言うくらいですからさすがです。しかし普通の親だとせいぜいが小学校止まりでしょう。そして小学校6年生くらいまでは何とか見てやることができなくてはなりません。子どもも困っているのですから。

 それが、私たちが勉強しなくてはならないひとつの理由です。
 高校三年生まで必死に勉強すれば20年後に半分忘れてしまっていても、6年分くらいは頭の中に残っているものです。それで何とか賄えます。



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2019/2/25

「知のタネは、やはり播かなきゃ芽は出ない」〜ハヤブサ2着陸成功に寄せて  教育・学校・教師


 「はやぶさ2」の着陸成功は感動の物語だった
 離れて暮らす3歳8か月の孫も
 興味深くニュースを見たようだ
 私が半年前にタネを蒔いておいたから――

 それが役立つことはめったにないが
 タネは播かなきゃ芽は出ない


というお話。

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トミカプレミアム06 JAXA はやぶさ2


【感動を我が家に】
 22日(金)午前7時29分、「はやぶさ2」が小惑星「リュウグウ」への第一回着陸を成功させたようです。まずは“おめでとうございます”といったところでしょう。

 前回のはやぶさ初号機のときはまったく注目していなくて、2010年前の帰還の際に全国的な話題となってようやく知った一人です。
 そのときのニュースに、細かく分解して火の玉になって飛んでいく「はやぶさ」の映像を見ながら「はやぶさく〜ん」と叫んで泣く保育園くらいの女の子が出ていて、深く感動しました。

 もちろん泣くほどの思い入れは親の影響のあってのことですが、そんなふうに子どもを育て、子どもと一緒に「はやぶさ」の軌跡を追い続けたお父さんは立派だなと思うと同時に、帰還直前になってまんまとブームに乗った自分を恥じたものでした。

 そんなこともあって今回は最初から注視するとともに、その父娘と同じように、私も子どもと一緒に「はやぶさ2」の跡を追ってみたいと思ったのです。

 しかし子どもは二人ともすでに20代後半。そう易々と親の意向に沿ってくれはしません。そこで目をつけたのが孫のハーヴ。これなら手なづけることができるかもしれません。


【遠隔操作で孫を手なずける】
 まずアマゾンでプラモデル(トミカプレミアム06 JAXA はやぶさ2)を買い、娘のところに送ります。3歳の声を聞いてからエンドレスの「なになに少年」ですから、「はやぶさって何?」「2(ツー)って何?」と訊き続けるに決まっています。

 しばらくすると案の定、娘のシーナから悲鳴に近いメッセージが入ります。
「お父さん! 『はやぶさ』って何? ツーってどういうこと、宇宙って何・・・って、どう答えたらいいの?」
 そしていくらもしないうちに短い動画が送られてきて、ハーヴは小さな模型をゆっくりと手で飛行させながら、
「ずうっと遠くまで行くとウチューなんだよ。ウチューは広いんだよォ〜」
とか言っています。もちろん意味など分かっていないと思いますが、それでいいのです。何となく自分の知らない世界があって、「はやぶさ2」を通してそれとつながっているということが分かればいいのです。
 ハーヴがそんな言い方をするということは、嘆きながらも娘のシーナが何とかうまく納得させているということでしょう。いい娘を持ちました。
 それが半年前のことです。

 最近ではシーナが第二子を授かったことと関連付けて、
「宇宙は赤ちゃんのいるところ」「ハヴくんの赤ちゃん、大きい丸いところ(星のこと?)にいるんだよね」とか訳の分からないことを言っていたようですが、22日が迫り、テレビでも扱うようになると自然に目も行くみたいで、当日のニュースはかなり熱心に見ていたようです。

「はやぶさ2」の帰還は来年12月。ほとんど2年先のことですが、そのころになるとこの子も5歳目前。今よりさらにものが分かっているはずですから、「はやぶさ初号機」のときの女の子のように、感情移入して一緒に泣くような子に育っているかもしれません。なかなか楽しみなことです。

 ただしそれが単純にハーヴの将来につながって、宇宙科学者になるとかJAXAに入るとか言ったふうにならないことは十分承知しています。


【知の種まき、漁網を広げる】
 私は自分自身の二人の子にものすごくたくさんの種を播きました。いちおう子どもの教えるプロでしたから普通の親よりずっと上手くできたはずです。つぎ込んだ時間も資金も、薄給のサラリーマンとしては尋常なものではありませんでした。しかし何ひとつ目に見える形にはならなかったのです。
 もったいなかった気もしますが、もともと教育というのはそういうものなのででしょう。経済的にはムダだらけです。

 考えてみると小学校までの学習はともかく、中学生以上の勉強なんて結果論で言えばムダばかりです。学んだはずの万葉集や古事記に関する知識を生業や趣味にして生きている人が何人いますか? 微分や積分なんて、そうした用語が存在することすら忘れてしまっている人が大部分です。

 フィギュア・スケートの織田信成は信長の「ひ孫」だと言うとまんまと騙される人がいくらでもいます(17代目の子孫だが「ひ孫」ではない。信長はそんなに最近の人ではない)。中高6年間も学んだのに英語がほとんどしゃべれない、というのはよく言われることです。
 しかし普通の人にとって、学問というのはそういうものだとしか言いようがありません。

 1000ページの本を読んだとして、10年後に内容として頭の片隅にでも残っているのは10ページ分もありません。そのうち実生活に役に立つのは100分の1もないでしょう。つまり1ページ分も役に立たない。せいぜい4行です。
 ただしその役に立つ4行を手に入れるために、1000ページの本は読んでおく必要があります。

 これについて、むかし高橋和巳という小説家はうまいことを言っていました。
「魚が引っかかる網目はひとつあればいい。しかし海に網目ひとつを下ろしても魚を捕まえることはできない。たったひとつの網目を生かすためには、巨大な漁網を広げておく必要があるのだ」


「はやぶさ2」の模型を持っていることや着陸のニュースを熱心に見た経験が、ハーヴの将来に直接的に生きることはないでしょう。しかしタネは播き続けないと芽は出て来ないのです。

 これからも折に触れて刺激を与えていきたいと思います。



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2019/2/23

スマホの持ち込みを許可するだけでなく、それを積極的に学習に取り入れろと訴える人たちがいる  教育・学校・教師


 現在のスマートフォン所持率、小学生29.9%、中学生58.1%。こんな状況で授業でも使用するとなると、親たちは一斉に買いに走らなくてはならない。

 本来、学校(文科省あるいは教育委員会)が用意しなければならないものを、なぜ親にやらせようとするのか。

 こんな記事を載せるYahooニュースの見識を疑う。




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 更新しました。

「キース・アウト」



2019.02.22
「スマホ学校持ち込み禁止」の見直しで議論沸騰。このままでは日本の子供たちに将来はない!

              ↓ 

 PC版 →http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2019/kieth1902b.htm#i3

 スマホ版→http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2019/kieth1902sh.htm#i3



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2019/2/22

「グリーン・フィールズ――美しき未来の世界」〜21世紀のエレフォン 4  政治・社会


 AIの専門家の描いた 耐えがたいほど暗黒な未来
 しかし私はそうならないと思う

 科学は思ったほど進歩しない
 世界は100年たっても案外変わらない

 人間はAIが決して搭載することのない特殊能力をつかって
 1000年たっても生き生きと生きて行くだろう


というお話。

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 昨日紹介した「文芸春秋」の「AIと日本人」で話をされていた川上量生(のぶお)ドワンゴCTOは、こんなことも言っておられました。

川上:ちょっと先の時代になると思いますが、AIを通じた他人とのコミュニケーション、あるいはAI自体とのコミュニケーションが必ず発達していくだろうなと考えています。たとえばSNS。これはいま人と人が繋がるツールですけど、最終的にはAIと繋がるものになる。SNSを使っている人の多くが感じていると思いますが、SNSを続けていると、人間とコミュニケーションを取るのに疲れてしまうんですよ。だからAIを伝言役にするかAIと友だちになる方がいい。AIの方が間違いなく性格が良いし、自分を特別扱いして褒めてくれる(笑)。

 この方の非常に偏った人間観・人間関係観の現れた部分です。

 確かにSNS疲れというのはあります。しかしだからといってAIと友だちになる方がいいはずがありません。自分を特別扱いして褒めてくれる存在だけが友だちではないからです。

 そう言うともしかしたら、
「いや、必ずしも誉めるだけではない。AIはキミの体調や表情を見てそのとき最も正しい反応をするはずだ。例えば15%の否定、3%の皮肉、といったふうにね」
 仮にそうだとしても、相手はAIだと人間が承知している限りはダメでしょう。バーやクラブで超一流のホステスさんに相手をしてもらっているのと同じだからです。「気持ちよく対応してもらえるのはお金を払っているから」が「AIだから」に代わるだけです。

 AIが人間に取って代わることはなく、人類がバージョン2・0に変わることはないと私は思います。それには理由があります。


【科学は案外進歩しない】
 1952年に連載の始まった鉄腕アトムの誕生日は2003年4月7日です。
 1969年の映画「2001年宇宙の旅」で主人公のひとりは、パンアメリカン航空(1992年に破産した航空会社)の宇宙旅客機で月に向かっています。
 1984年の「ターミネーター」では殺人ロボットが未来から現代(1984)に送られてきますが、その未来というのは2029年のことです。
 アトムの誕生日も2001年も過ぎてしまいましたが映画のようにはなりませんでした。2029年はまだ先ですが、いまから10年後にシュワルツネッガーと見まごうロボットが闊歩しているだろうと考える人はいないでしょう。

 「2001年〜」と同じ1969年に始まった「ドラえもん」の誕生日は、22世紀(2112年9月3日)というずっと先の設定ですが、今から100年足らずであんなものができると信じることもかなり困難です。
 なぜこんなトンチンカンな未来になったのか。

 おそらく1969年の7月にアポロ11号の探査船が月面に着陸したとき、私たちは見誤ったのです。ソ連のガガーリンが初の宇宙飛行士となってわずか8年で月に行けたのです。背広で搭乗する宇宙旅行など簡単に実現すると思い込みました。

 しかし現実は違います。一般人の宇宙旅行なんて夢のまた夢。おそらく今世紀が終わっても実現しません。
 その必要がないからです。

 アメリカにとって月面着陸が必要だったのは、初の人工衛星も初の宇宙飛行士も持って行ってしまったソ連に対し、優位を誇示する必要があったからです。ただ一点、威信のためだけの壮大な科学実験だったのです。
 もちろんメンツだけではなく、それによってアメリカ国民の団結や誇り・自信を高めるとか、来るべき新時代に向けて技術力を高めるとかいった目的もありましたが、主目標はあくまでも優位性の誇示です。
 だから達成されてしまったら、それ以上の開発意欲はなくなってしまうのです。

 川上量生氏の考えるような世界が実現しないと考えるのも同じ理由です。
 大型テレビジョンがあって音楽用ステレオセットがあって、部屋に飾る花やポスターがあるというのに、なぜそれをVRに置き換えなければならないのか、理由がありません。
 ルーブル博物館の見学をしたければパリに行けばいいのです。行くだけの気力や金がなければテレビやDVDで我慢すればいい。

 さらにSNSで心地よい対話をしたければ、AIに頼るのではなく、もっと簡単な方法があります。
 第一に友だちを選ぶこと、そして自分自身がコミュニケーション能力を高めることです。


【AIは可能性を計測できない。】
 また、AIは過去のデータから可能性を割り出す道具ですから、前例のないケースについては計測を誤ります。
 例えば通知票に、
「遅刻の常習犯です。とにかくいろいろな物をなくします。だらしなさは完璧です。私にはどうしたらいいか分かりません」
と書かれたウエストン・チャーチルや、
「間違いなく失敗に向かっている。クラスの道化で、他の生徒の時間を浪費させている。絶望的」
と書かれたジョン・レノン。

「科学者になりたがっているがいまの成績では話にならない。習う人と教える人ともに時間の浪費」
と評されたのは京大の山中伸弥先生と一緒にノーベル賞をとったケンブリッジ大学のジョン・ガードン教授です。イートン校の生物学教室では250人中250位の成績でした。

 もちろん3例とも教師が見誤った事例ですから人間の方が優秀という訳ではありません。しかし人間のつくるシステムはあちこちに穴がありますから一度見捨てられた彼らも出てこられるのです。AIの合理性のもとでは、チャーチルもレノンもガードン教授も出る幕はありません。

 2002年ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんの受賞理由は1985年の「ソフトレーザーによる質量分析技術の開発」というものです。それ以後ノーベル賞受賞の2002年はもちろん、2011年に「一滴の血液からアルツハイマー病の原因となる蛋白質を検出する」という研究を発表するまで四半世紀も、これといった成果を出していません。
 これなどもAIの人事システムでは真っ先に弾かれてしまう。漠然とした期待、ノーベル賞受賞者を放擲してしまったら何を言われるか分からないといった非合理な理由、田中じゃしょうがないかぁといった情実、そういうものがあって初めて画期的な発明はできたのです。

 そもそも田中さんの発見は一度目はミス、二度目は副産物の抽出というところから始まっているのです。これはAIのアルゴリズムに入って来ないでしょう。

 私たち人間はそういうことを知っています。そして知っている以上、AIの判断は参考にするにしても、採用や人事から手を引くことはないのです。


【グリーン・フィールズ—美しい自然がある】
 SF映画を観ていて思うことのひとつは、宇宙や都市の風景はしょっちゅう出てくるのに、地球の田舎の風景となるとほとんど出て来ないということです。

 私はけれど100年たっても200年たっても、田舎の風景は現在とほとんど変わりないと思っています。なぜならこれも変える必要がないからです。

 砂漠の一部を緑地化することに成功したり、温暖化のために国土が海に沈んだり凍土地帯が農地になったりといったことは部分的にはあっても、山脈が切り崩されたり大きな湖が埋め立てられたりすることは、よほどの理由のない限りめったに起こりません。

 野菜や穀物のすべて工場でつくる時代は、映画「マトリックス」のように核戦争で地表が全部使えなくなるといった特別のことのない限り来ないでしょう。太陽と土と水がある限り、農作物は畑で作った方が楽だからです。
 山も海も湖も、田も畑も、いまと大差ないまま、500年でも1000年でも続きます。

 そう思ってみると人間と見まごう完璧な人型ロボットを描いた映画「A.I.」(2001)や「エクス・マキナ」(2014)の主人公たちは、それぞれ森の中や大山岳地帯に住んでいます。
 それどころか「ブレードランナー」(1982)や「マイノリティ・レポート」(2002)の描く未来、2019年(なんと今年!)のロサンゼルスと2054年のワシントンD.C.は、大半の建物が20世紀の終わりと変わりなく、しかも内部の生活は現在とまったくと言っていいほど変わっていないのです。


【新技術は必ずしも古いものを淘汰しない】
 バイクが発明されても自動車が普及しても、自転車はなくなりませんでした。ほぼすべての家庭にテレビが入るようになっても、ラジオ局はなくなるどころかむしろ増える傾向にあります。音楽も、アナログレコードやカセットテープが新たに売られる時代です。
 さらに我が国に限って言えば、通信手段はインターネットやスマホだけでなく、固定電話もFAXも公衆電話も、郵便も電報も、それどころか普通の田舎では回覧板も掲示板も残っているのです。その方が便利で使い易いからです。用途も違います。
 複数の通信手段があるということは、危機管理上、非常に有利です。
(参考)
「もしかしたら現金はなくならないのかもしれない」〜答えのない問い3 


 新しいものが生まれても古いものはなかなか消えません。それどころか新しいものが消える場合だってあります。

 パリ―ニューヨーク間を3時間40分で繋いだコンコルドは退役して、今や8時間40分の時代です。インスタントラーメンは半世紀たっても結局、カップ麺は「日清カップヌードル」、袋麺は「日清チキンラーメン」「サッポロ一番」「明星チャルメラ」の御三家。後進は次々と出ては消えていきます。
 我が家でも自動お掃除ロボットは埃をかぶってマキタの182が大活躍。時計は置時計も含めてすべてアナログ表示です。
 人間がそう簡単に進化しない以上、技術が人間に合わせるしかないのです。

 確かにAI革命が現存の職業の多くをなくしてしまい、中国のスーパーマーケットに見られるように販売員などの仕事は極端に減ったりするかもしれません。しかしだからといって私たちの多くがベーシックインカムの最低生活費で我慢し、何もない部屋でVRのヘッドセットを被り、満足に暮らすことなどありえません。
 私たちにはAIには絶対搭載されない特別の機能があるからです。


【AIには決して搭載されない特殊な人間の能力】
 例えばそれは「飽きる」ということ。「感動や興味で我を忘れる」ということ、「気まぐれに何かを思いついたりする」ということ。「気分が変わる」ということ、「体がウズウズして何かをしたくなる」ということ、そういったことです。

 それらがある限り、私たちは外に出かけ、何かを始め――例えばサーフィンに夢中になってインストラクターとなり、ベーシックインカムの上に収入を積み重ねるとか、あるいはひたすらボランティアに励んだり山に籠って自給自足の生活を始めたりと、何か生きがいを見つけて生きて行くに違いないのです。

「庶民にはエリートの知らない幸せがある」
という真実は、権力者がエリートだった時代も、資本家がエリートだった時代も、そして来るべきAI勝者がエリートとなる時代にあっても、変わりありません。

 子どもは、いまと同じように育てていけばいいのです。





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