2018/11/2

「チコちゃん、それはない」〜校長先生の話はなぜ長いのか  教育・学校・教師


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 先週の「チコちゃんに叱られる」、事情があって当日見られず、今ごろになってVTRで見ました。そしてお題の三つ目、「校長先生の話が長いのはなぜ?」の答えが「ネタ本があるから」だったので仰天しました。


【校長講話を聞いているのは子どもだけではない】
 こうした暴露ネタのソースは、たいていが教育評論家の尾木直樹です(と私は思い込んでいる)。この番組にも出てきて、いつものヘラヘラした表情で、
「これはひとことで言うとね、『校長講話集』というネタ本があるんです。全国で7〜8割は使っておられると思います」
とおっしゃっる。しかしいかがなものでしょう。ほとんどの校長先生がネタ本をベースに校長講話をやっているなんてことがあるのでしょうか。

 講話集は私も見たことがありますが、あれは基本を示すだけでとても使えたものではないのです。いま訴えたいことにピッタリ合う事例を探そうとしたら、それこそ何十冊もの講話集に目を通さなくてはなりません。それに卒業式の挨拶など、一回使ったら二度と同じものは使えません。毎年来るメンバーはほぼ同じですから。
 そんなこんなであれこれ探すくらいなら、自分で考えた方がよほど早く終わります。

 それに校長講話を聞いているのは児童生徒だけではありません。
 体育館には部下である先生たちがいて、子供よりはるかに真剣な目で話を聞いています。中にはメモまでとっている人もいたりします。
 感のいい人たちですから日ごろの校長先生 から考えられないような話を始めたら、「ハハ〜ン」といった表情になってメモを閉じたりします。それは校長先生とって大きな失点で、後々学校運営に支障をきたします。


【番組の流れ】
 番組では尾木先生に続けて現職の校長先生を訊ねる場面が映され、書棚にネタ本のあることを確認してから少し茶化した感じの「連続テレビ小説『きっとこんなかんじなんじゃないか劇場』」というコントに移ります。

 最初の場面で校長先生の目黒祐樹さんは、無事卒業式を迎えることができそうだと喜ぶ教頭先生に向かって浮かない顔で、
「まだ挨拶が思い浮かばないんだよ」
と嘆きます。教頭も「どうするんですか!」と慌てます。
 校長は苦渋の表情を浮かべ、それからぼんやりと書棚に目をやり、そこに「校長講話集」を発見して飛びつくのです。

 以後、画面は左半分に校長講話を行う目黒さん、右半分にそれに対応するネタ本の一部を映し出します。
 卒業式の次はトイレのスリッパがぐちゃぐちゃになっているという生徒指導上の問題を集会で扱う場面。これも「校長講話集」に相当する記述があります。
 以下、ALT(外国語指導助手)とのお別れ式の挨拶、耐震工事のネタ、卒業生の結婚式の祝辞――そういったものも「ネタ本」にあると紹介。


【番組の結論】
 しかしさすがはNHK。全国の校長先生が常にネタ本に頼っているとするのではなく、先の校長先生の口を借りて、
「校長就任一年目に自分で買い、一年間ネタ本を参考にしたことによって二年目から的外れなく話ができるようになった」
と話してもらいます。つまり2年目からは自分の原稿で行っているという含みです。

 尾木先生も校長講話が長くなることについて「自分の学校の事例を入れてミックスしたりしようとすればどうしても長くなる」と説明し、さらに別の学校の現職校長を登場させ、
「生徒が前を向いていける話をしたい」
とか、
「当たり前のことを当たり前にすることはとても難しいけど大切なこと」
と言った発言も被せます。

 ここでナレーションは、
「校長先生の話には生徒を思う熱い気持ちが込められていたのです」
とまとめ、最後に注意書きのように、
 すべての校長先生が本を参考に話しているわけではありません。
 近年は熱中症対策など生徒の体調を考慮し、話を短くしようという学校もあるそうです。

というテロップも掲示されました。

 チコちゃんは「自分の言葉でしゃべってほしい」とやや不満げでしたが、レギュラーの岡村隆史さんは、「あれだけ大勢の中でしゃべると中には上がってしまう校長先生もいるかもしれない」などと同情の姿勢を見せます。
 まずは順当な終わり方と言えるでしょう。


【しかしそれにしても】
 しかしそうした配慮はあったにしても、やはり「『校長講話集』というネタ本があるんです。全国で7割〜8割は使っておられると思います」はないと思うのです。

「全国で7割〜8割は使ったことがある」ならまだしも「(いつも)使っておられる」などということはないはずです。

 尾木先生も自分自身を「ボクね、生まれつきおしゃべりなの。だからネタ本はボクが編集したら面白くなると思う」とおっしゃるように、教員には生まれつきのおしゃべりみたいな人がたくさんいて、校長になるような人は皆ベテランですから話題にも事欠きません。
 それにも関わらずネタ本が売れるのは、より良い話題を探したり、卒業式や結婚式のような格式ばった場での挨拶の手順を確認したりするためで、ネタ本に頼り切って講話を行うような校長の方が稀なはずです。


【校長先生の話が長いのはなぜ?=本当の理由】
 ネタ本が原因でないとしたら、なぜ校長先生の話は長いのでしょうか。
 これについて理由がふたつ考えられます。

 ひとつは話の盛り込みすぎです。
 長い教師生活のほとんどを児童生徒の前で話すことに費やしてきた教員が、管理職になったとたんに話す機会を失うのです。校長先生にとって児童生徒の前でまとまった話ができるのは校長講話のときだけ。ですからあれも言いたい、これも話したいと盛り込んでいるうちに、どんどん原稿が長くなってしまうのです。

 校長講話は毎回時間時間オーバーという酷い先生がいますが、たいていはそういう事情です。担任が一週間かけて話すような内容を、わずか15分に盛り込もうとするから失敗します。
 NHKの言う、
「校長先生の話には生徒を思う熱い気持ちが込められていたのです」
の悪い面です。

 校長先生の話が長いもうひとつの理由は――言いたくはないのですが、話がつまらないからです。どんなに長い話だって中味が面白ければ「長い」などとは感じません。大好きなテレビ番組だったら2時間も3時間も見たって長くはないでしょ? つまらない番組だったら10分ともたずにチャンネルを変えます。


【校長先生のつまらない話は記憶に残る】
 校長先生の話がつまらなくなる理由のひとつは、ほんとうにつまらない話しかできない校長先生だったという場合です。そういう話を毎回聞かなくてはならなかった人は運が悪かったとわが身を嘆いてください。稀に話下手の先生もおられます。

 そうではなく、普通の校長先生なのに「つまらない」「長すぎる」という印象しかないとしたら、それは私たちが入学式か卒業式のときの印象しか残していないからでしょう。あれはたしかに、本当につまらない。

 とにかく市長代理やら議員やら、あるいはPTA会長やらの話をさんざん聞かされた後に出てきて、また似たような話をするわけですからたまりません。ほんとうは部分的にいい話が入っているのですが、基本的に新入生・卒業生に向けての話なので在校生にとっては他人事です。
 自分に関係のない話、他人が誉められたり励まされたりする話が楽しい人なんて誰もいません。自然と耳が閉じてしまいます。

 そのつまらない校長先生だって、普段はいい話をしているのです。とにかく毎日話をしなくてはならない担任の先生とは違って、一か月も前からたっぷり練ってきていますから、つまらないということはめったにないのです。
 しかしそれなのに記憶に残らない。なぜか。
 本当にいい話はすぐに自分の血肉となってしまい、誰によって語られたかは忘れ去られてしまうからです。
――と思いたいですね。


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