2018/11/21

「憧れのフランスとノスタル爺の繰り言」〜フランスは見習うべき国なのか  教育・学校・教師


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 Yahooニュースを見ていたら『フランス人の「朝・昼・夕食」が日本とここまで違う理由 妻が食事作りに忙殺されることはない』という記事が出ていました。元記事は講談社の「現代ビジネス」です。

 ざっと流し読みで終わらせようと思ったのですが、
 日本でもフランスでも食事作りは女性の役割となっていることが多いが、フランス女性はなぜ仕事と食事作りの両立が上手なのかを考えていきたい。
という一文が目に飛び込んできて思わず身を乗り出すような気持ちになりました。これだけ人材不足が叫ばれる中、家庭における女性の働き方改革も重要な案件だからです。


【フランス人の食生活】
 そこでしっかり読みながら主な内容を拾い出すと――。

 女性の就業率約9割のフランスの食事はとてもシンプル。
 朝食は、フランスパンとコーヒーが基本だ。
 コーヒーにミルクを加えれば、カフェオレが出来上がる。アメリカやイギリスのように、朝から卵にベーコン、ソーセージなどを食べることはない。


 え?

 家庭によってはお皿を使わず、紙ナプキンや布ナプキンの上にバゲットを乗せいただくこともある。食後の洗い物はコーヒーカップだけ。食洗機にコーヒーカップを入れて朝食が終了する。
 ここだけの話だが、布ナプキンは数日間にわたって同じものを使用するため、洗濯物が出るわけではないことをお伝えしておこう。


 お。

 お昼も軽めだが、学校の給食はフルコースをいただく
 野菜や肉・魚はたんぱく質などの栄養をきちんと取れるので親としてはありがたい。給食費は1食1ユーロから7ユーロ程度、家庭の収入に応じて負担するしくみとなっている。


 うん。

 夕食でもほとんど料理はしない
 たとえば野菜スープとチーズ、キッシュとサラダ、パスタやピザで簡単にすませることが多い。肉の加工食品も豊富でパテやハムなどのテイクアウトの食材もフル活用する。


 ハァ。

 結局、フランス人の普段の食事は、時間のかかる料理をすることはなく、品数も少ない。「妻が食事作りに忙殺されることはない」といううらやましい状況なのだ。

・・・・・・


 これは羨んでいい状況なのでしょうか?
 これが仕事と食事作りの両立が上手ということなのでしょうか?


【フランスは学校給食もフルコースなわけ?】
 さらに言えば「給食費は1食1ユーロから7ユーロ程度」は日本円で130円から910円程度ということになりますが、日本の学校給食は月額4323円(2017年平均)、一食当たり190円から220円といったところです。貧困家庭は就学援助でカバーされますから、おそらく日本の方が安いと思われます。

 「お昼も軽めだが、学校の給食はフルコースをいただく」も「フランス 学校給食」で検索するとかなりヒットしますが、だいぶ様子が違います。

 子連れで日本からフランスに来て一番面食らうのは、昼休みは家で食べるのが基本!ということではないでしょうか。

 フランスでも、学校給食はあります。cantineといって、給食室で食べます。しかし、大規模な給食室が備わっている学校でもない限り、給食室はこじんまりしています。そこで食べられる人数は決まっていますから、共働きの家庭が優先されます。

 給食室もそんなに広い部屋が用意されているわけではありません。(中略)そこで、どうやってやりくりするかというと、2回転、3回転させます。(中略)子供をグループに分けて、何度かに分けて給食の時間をとります。
 1回の食事にかけられる時間が少なくなるから、子供たちは急いで食べなくてはなりません。さらに、おかわりをしたくても、次の回にも残しておかなくてはなりませんから、1回目のグループでは特に満足におかわりをもらうこともできません。

(以上 、「日日家庭のフランス生活」より)

 なにか全然話が違います。

 「フルコース」については、別の人に聞きましょう。
 食事構成、フランス料理のコース料理と同じですよね。
 一品ずつ運ばれてくるわけではないし、メニュー構成数はクラシックなフルコース(肉と魚の両方が提供されたり、肉料理の後にソルベが出されたり、アミューズがあったり…)程ではないですが、一応ちゃんとしたコース料理になっています。

 フランスの給食ってコース料理!すごい! って思ってましたが、日本の給食も品数を数えてみたら同じでした。日本も食文化は大事だと考えている国の一つなので、給食の構成にも力を入れていたんですね。

(以上、「フランシウム87〜南フランスに住む日本人学生が発信するブログ」より)

 なんだ同じじゃないか、違うのは全員が食べられるわけではないこと、給食費が(貧困家庭でなければ)高いということ、その程度です。


【子どもたちの栄養状態】
 学校給食はほぼ同じで朝晩が恐ろしく簡素となると、フランスの子どもの栄養状況はどうなっているのでしょう?
 これについてもネットで簡単に情報が手に入ります。
 若い人たちの食形態が変わってきていることも指摘されており、15歳から19歳までの人たちを対象とした調査によれば、21%の人が朝食時に、18%の人が夕食時にコーラを飲むようになっている。先程述べたgrignotage(引用者注:間食・おやつ)については、5人中2人が午前中に砂糖の入ったお菓子を食べている。専門家は、フランス人の4分の1が24歳までに悪い食習慣を身につけてしまっており、将来アメリカのように肥満傾向が一層問題になると危惧している。「フランスの学校給食と食に関わる諸問題」

 ここでも何だ問題だらけじゃないか、と私は思うのです。


憧れのフランスとノスタル爺の繰り言】
 最初に揚げた「現代ビジネス」の記事の結論は、しかし私とは全く異なるものです。
 日本の朝ごはんをバゲットとカフェオレにすると高くつく。さすがにご飯とふりかけで食べるわけにはいかないが、夫に家事をやるように頼むのではなく、家事自体を減らしていく工夫が必要なのかもしれない。
 少し前に土井善晴さんの『一汁一菜でよいという提案』を読んだ。一汁は具だくさん味噌汁。一菜は漬物を指している。フランス人の食事感に近いものを感じた。自分の時間、家族の時間を作るという意味で、フランス人を見習っていきたい。


 元記事を掲載した講談社も転載したYahooも、本気でそんなことを支持しているのでしょうか?

 ちなみに「一汁一菜」の“一菜”は漬物のことではなく、総菜(おかず)一品のことで漬物は別にカウントします。
 また土井善晴さんの「具だくさんの味噌汁」も、例えば”キャベツをたんまり入れましょう”といったものではなく、何種類もの食材をたっぷり入れますからそう簡単な料理ではありません。
「一汁一菜でよいという提案」 土井善晴さんがたどりついた、毎日の料理をラクにする方法の写真参照)

 それにしてももはや「特に朝食はしっかり食べましょう」とか、「学校給食は残さず食べましょう」とか、「バランスの良い食事を摂りましょう」とかいった考え方は古いというのでしょうか?
・・・と、昭和のノスタル爺は思うのであります。


参考:「アフター・フェア」
   「更新しました」〜世の中は“完食指導”を誤解している



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2018/11/20

「更新しました」〜世の中は“完食指導”を誤解している  教育・学校・教師



「キース・アウト」

2018.11.20
給食完食、強要やめて=相次ぐ不登校、訴訟も−支援団体に1000人相談

 PC版 →http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2018/kieth1811b.htm#i1

 スマホ版→http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2018/kieth1811sh.htm#i1






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2018/11/20

「ブランコはどこへ行くのか」〜公園から遊具のなくなる日  教育・学校・教師


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 娘のシーナが孫のハーヴ(まもなく3歳半)を連れて東京から里帰りをしました。何人かで集まって友人の結婚式の計画を立てるとかいった仕事もあるみたいです。


【再挑戦】
 シーナがいろいろやっている間のお子守は私の仕事です。孫に限らず乳幼児と遊ぶのは大好きですから預けられるのは大歓迎なのですが、生粋のビビリのハーヴをどこに連れて行くかを考えるのは、けっこう大変なことです。

 経験的に大丈夫と分かっている科学センターやデパートのキッズコーナー、近くの児童公園等を一通り回るとそろそろ手がなくなます。しかたないので今回も一度訪ねた私の母(ハーヴにとっては曾祖母)の家にまた行こうとして、その道すがら、途中でふと寄り道をすることにしました。

 今年の夏、小学生に怯え、遊具に怯え、噴水に怯えて全く楽しめなかった大型の児童公園(2018/8/20「ビビるハーヴ」〜ウチの臆病者とアインシュタイン 1)も、今なら噴水もなければ人出も少なそうですから案外楽しめるのかもしれないと思ったからです。

 そして案の定、朝の肌寒い児童公園には親子連れが数組いるだけで全く空いていて、ビビリのハーヴには取っ掛かりやすい雰囲気でした。
 いったん取り掛かりさえすれば、後は何とかなるのです。


【都会にはない・・・】
 大型遊具の高いところまで何度も登って、苦手だったローラー滑り台もにも挑戦し、小一時間ほど遊んで最後に見つけたのが普通のブランコ。
「これ、やる」
というので座らせると、まだ自分でこぐということができないので私が手でゆっくりと揺らしてやります。ハーヴは何やら神妙な顔でじっと前を見つめています。
 もういいと言うまで揺らしてやろうと思ったのですが、なかなか言わない。言わないまま、5分、10分・・・そのまま20分以上も飽きず、黙って揺らされているのは驚きました。少しも楽しそうじゃないのに。

 家に戻ってシーナに
「なんであんなのが良かったのだろう。ただ20分以上も揺らされているだけなんだよ」
と言うと意外な答えが返ってきます。、
「ブランコがレアな遊具だから」
 意味が分からず戸惑っていると、
「都会の児童公園にはブランコがないの。少なくとも私たちが歩いていける範囲の児童公園には一つもない」
 シーナの家から行ける範囲の児童公園というのは私も制覇していますが、言われてみるとブランコに乗った記憶がありません。そこで思い出したのがその日ハーブの隣でブランコをこいでいた小学校4年生くらいの女の子の話です。


【子どもと教師を遊び方が追い詰める】
 その子もお祖父ちゃんらしい人と一緒に来ていたのですが、ブランコをこぎ始めていくらもしないうちにいったん止まり、
「いけない、いけない」
 そう言って着ていたパーカーのチャックを引き上げ「じいじ」に話しかけます。
「ブランコをするときはチャックをしめないといけないんだよ。ホントは帽子も被ってないといけなくて、帽子をかぶった上にフードのついた服を着ている人はフードを被るの。先生がそうしなさいって。一年生はみんな黄色い帽子被っているからいいけどね」
 なるほど、今、学校ではそんな指導も行われているのです。

 紐のついた服で遊んではいけません、ブランコなど危険な(!)遊具で遊ぶときは服装を整え、特に頭はしっかりと保護して行うこと、危険な遊び方はしてはいけません、等々。
 「きまり」というのはつくったら守らせなくてはなりませんから先生たちの何人かは休み時間も屋外に出て、一緒に遊ぶふりをしながら全体を監視しているに違いありません。

 私が現職のころは休み時間になると、「さあ外に遊びに行っておいで!」と言って教室を空にし、その間に日記を読んで感想を書いたり宿題のチェックをしたりしたものです。それを外に出て監視しなくてはならないなんて、今の先生たちはいつ日記を読んだり宿題を見たりするのでしょう。
 教師の多忙化というのは、こんなふうに積み重なっていくのです。


【13年前の危惧】
 勤務する学校から次々と遊具が撤去されたと嘆いたのはもう13年も前のことです(2005/6/27『防衛的になる学校の危機管理』 )。
 子どもたちが夢中になって遊んだ回旋塔空中シーソーがなくなっただけではなく、三本の丸太平均台まで撤去されたのには、呆れると同時に本当に哀しくなりました。

 丸太平均台というのは不用になって払い下げられた木製の電柱で、早起き野球の大人たちもベンチ代わりに使っていたものです。落ちたら危険と言えばそれまでですが、わずか30pの高さから落ちてケガをすることを怖れるようだったら、学校教育の多くができなくなってしまいます。組体操などもってのほかで、鉄棒もハードルも走高跳もさせられません。

 13年前の記事でも私は、
 危険といえばブランコも登り棒も危険ですから、全ての遊具が校庭からなくなってしまう日も遠いことではないのかもしれません。何でも学校に責任を負ってもらおうという時代ですからしかたないのかもしれませんが寂しいことです。
と書きました。

 幸い学校のブランコは先生たちの献身的な努力によって死守されていますが(なにしろ休み時間にやるべき仕事を他に回しているのですから)、児童公園からはなくなりつつあるのでしょう。
 それでいいのか――。


【ブランコはどこへ行くのか】
 そんなふうに考えると、面白くもなさそうな顔をしながら20分間もブランコで揺られているハーヴの姿が、なんだか黒澤明の「生きる」に出てきた初老の公務員の姿に重なってきます。


「生きる」の主人公は雪の中で、歌を口ずさみ、ブランコをこぎながら死んでいきますが、ハーヴの成長していく教育環境は、生き生きと躍動する人間を生み出す力を失っているかもしれないのです。



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2018/11/19

「あのサインはしても良かったのか」〜超管理社会への怯え  政治・社会


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 先週のJBpressに「上海で異変、日本人がどんどん逃げ出している!」という記事がありました。


【美しく整然とした上海の翳り】
 2007年にロサンゼルスを抜いて世界一在留日本人の多い都市(4万7731人)となった上海は、2012年の5万7458人をピークに年々人数を減らし、2017年にはついに4万3455人にまで減ってしまった(世界第4位)。
 かつては日の出の勢いで「上海マイコツ(埋骨)会」と称する集まりができるほどであったのが、今、日本人は先を争うように中国脱出をしようとしている。

 原因の第一は外国人が居留申請をしにくくなったことだが、それ以外にも理由があるのではないかと筆者は言います。
それは、上海に住む日本人が上海に「明るい未来」を見出せなくなったことだ。

 そして筆者は友人の言葉として次の二点を拾い出すのです。
「上海で私が通っていた馴染みの飲食店はすっかりなくなって、チェーン店ばかりになっていました。ひっそりと経営していた“地元の味”は跡形もありません。街はきれいになりましたが、共産党の“中国夢”のスローガンで覆いつくされています」

「なんでもスマホで済ませられる生活は確かに便利です。けれども、自分の消費データはすべて企業に吸い上げられ、それが今後、個人の格付けに使われるといわれています。中国では13億人を格付けする信用社会システムが始まろうとしています。赤信号を横断すると減点、駐車違反でも減点です。点数が低いと航空券が買えなくなったり、子どもの進学先が制限されるなど、さまざまな制限を受けることになりそうです・・・」

 北京などとは違って上海は空もきれいで街も整然としており、市民のマナーも向上して道ゆく人々の服装などもこざっぱりとしておしゃれ――そういった印象があります。
 しかしその整然とした街並みやきちんとした市民の姿が、超管理社会の権力によるものだったとしたら、私たちはそうした世界に生きることを“良し”とできるかそうか――。


【「1984年」と「マトリックス」】
 ここで私はひとつの小説とひとつの映画を思い出しました。
 小説はジョージ・オーウェルの「1984年」、映画の方は「マトリクス」3部作です。

 小説「1984年」は第二次世界大戦が終わり、米ソ二大陣営による冷戦が始まろうとしていた1948年に書かれた反ユートピア未来小説です。日本では表題となった1984年に大ベストセラーになり、そのとき私も読みました。
 その始まりはこうでした。

『1950年の核戦争終結後、世界は三つの超大国に支配され、互いにいがみ合うようになった。それぞれの超大国は国家主義を深め、主人公の暮らすオセアニアでも思想・言語・結婚などあらゆる市民生活に統制が加えられ、市民は常に「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンと、町じゅうに張り巡らされたマイク網によって昼夜を問わず監視されている。
 歴史は繰り返し改竄されるためにもはや世界がどうだったのか、この先どうなっていくのか全く分からない。その中にあって、主人公はある疑問を持ち始める――。

 一方映画「マトリックス」は、ちょっと癖はあるものの平凡なサラリーマン生活を送っていた主人公が、ある日自分の住む世界がすべてコンピュータによってつくられたバーチャル空間であり、現実の自分は培養器のような水槽の中でチューブにつながれて生きていることを知ります。そして仲間たちの協力を得て、コンピュータ世界に決然と戦いを挑むのです。


【2018年・中国・上海】
 小説「1984年」の“オセアニア”はテレスクリーンとマイクによって国民を支配する設定でしたが、街じゅうの監視カメラとコンピュータのデータで一元支配する中国は、すでに“オセアニア”を越えたと言えます。

 また映画「マトリックス」は3部作の最後で、すでに“人格”と言っていいものまで身につけてしまったコンピュータを抹殺しきれず、共存の道を選択する――つまり主人公が平和に暮らしていたバーチャルの世界も認め残すことで解決が図られます。それも中国によく似ています。

 人々は何者にも支配されない完全な自由より、たとえ監視され支配され抑圧されたものであっても、平和や安寧、そして経済的な発展を求めたのです。


【私たちの未来】
 私は中国を悪く言うつもりはありません。なぜならそれは私たちが進もうとする未来のひとつの型だからです。

 固定電話もFAXも知らずガラケーもなく、スマートフォンからいきなり通信を始める発展途上国は相当数あります。現金も為替も、そもそも銀行も頼りにならず、電子決済が最初の金融システムだという国だって少なくありません。
 それらの国は上海の門前まで来ていると言えます。

 今、いつまでも現金にこだわっている日本も、政府の旗振りのもと盛んに電子決済に移行するように言われ、若い人たちは現金使いをバカにしています。上海は目の前――。
 しかしそう言う私自身も電子決済は多用しますし、個人情報を一元化するマイナンバー制度もなかなかいいものだと思っていたりします。

 さらに社会的な信頼関係だとかマナーが十分ではない国では、社会信用システムのような制度も効果があって必要かもしれないと、考えたこともありました。
 しかし制度というのは一度つくられると弊害のない限り、必要がなくなっても残るものです。

 犯罪歴がないばかりか交通法規も遵守し、人に親切であり、税金やその他の支払いに滞納がなく、役所や企業にもクレームをつけない――そういった一切が点数化され評価されるといった社会信用システムは、いったん始められたらやめさせることはできない。その大本を政府が握っているとしたら――。

 今はそうした国や都市から逃げ出せばいいだけですが、よほど注意しないとこの国がそういう社会になってしまいます。


【あのサインはしても良かったのか】
 先日、宅配業者がきたのではりきって印鑑を持って玄関口に出たら、スマホを差し出されて、ここに指でサインするようにと言われました。制度が変わったのだそうです。
 たまたまその翌日、IHヒータの修理に来た業者が最後に作業終了のサインをということでタブレット端末を差し出し、そこにサインを求めます。
 タッチペンはないかと訊ねたら今は持っていないとのこと、そこでやはり人差し指でサインをしましたが、あれは何を証拠として残したのでしょう。

 書きなれないのでとてもへたくそな字で、そんなサインが証拠となるとは思えません。もしかしたら残したのは文字ではなく、指紋だったのかもしれないのです。

 宅配業者や修理業者も日本のトップ企業ですから信用するとしましょう。しかしシステムをつくったのは誰かわかりません。作成者あるいはその組織が粛々と指紋データを収集しているとしたら、私はあまりにも簡単に個人情報を差し出してしまったことになりいます。

  あのサインは本当にしてもよかったのか、これからは顔認証を破られる可能性も考え、写真一枚誰にも撮らせないようにしなくてはならないかもしれない――。
 私は何か、とても不安になりました。



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2018/11/16

「素直で落ち着いた秘書と――」〜スマート家電コントローラも買ってしまった  いいこと


【スマート家電コントローラも買ってしまった】
 先週Amazonのスピーカ型音声アシスタント「Echo Dot」を買ってあれこれ遊び始めたという話をしました(2018.11.09「アレクサ、何でも言うことをきいて!」〜Amazon Echo Dotを買う)。

 音楽を聴くのは楽しく、アレクサ(Echo Dot)とあれこれやり取りするのも面白いのですが、スマート家電がないので電灯をつけたりテレビをコントロールしたりといったことができず、その点では物足りないということも書きました。

 さらに、



 ただし、 右のようなスマート家電コントローラを使うと、赤外線リモコンで動くかなりの数の電化製品が操作できるみたいですが、評価はまちまちで迷っています。
と書いたのですが、実はほとんど迷っていなかったのです。記事を書いている最中は迷っていたのですが、終わるころには我慢ができなくなり、投稿するとほとんど同時にAmazonで注文をしてしまったのです。翌々日には手元に届きました。

ラトックシステム スマート家電コントローラ スマホで家電コントロール [Works with Alexa認定製品] RS-WFIREX3

 それが正式な名称です(以下、スマート家電コントローラを「スマコン」、EchoDotを呼びかけの「アレクサ」で代用します)。


【家電とスマコン、アレクサを繋げる】
 アレクサと家電をどう繋いだかを説明する前に、ひとこと話しておかなくてはならないことがあります。それは、
「もしかしたらスマコンはもともと一部屋に何個もある赤外線リモコンを、スマホ上にひとまとめにしようとした装置ではないか」
ということです。そちらが先で、アレクサを通して声で動かそうというのは二次的な機能ではないかと思うのです。
 必要な家電をすべて登録してみたら、一台のスマホで全部コントロールできることがけっこう便利だと思えるようになってきたからです。

 それにアレクサを繋げるというのはまとめられたリモコン機能に乗っかるような話で、つまり私の言葉をアレクサが聞き取って電気信号でスマコンに送り(スマホは経由しない)、それをスマコンが赤外線信号に変換して家電に送るという仕組みを取っているようなのです。

 接続作業はしたがって、部屋にある全部のリモコンをスマコン本体に覚えさせるところから始めます。

 まず自分のスマートフォンに「スマート家電コントローラアプリ」をインストールし、家電のリモコンをひとつひとつ登録していきます。登録できるのは赤外線リモコンで操作できる家電だけで、しかもスマコン本体から赤外線信号を受けられる範囲にあるものでなくてはなりません。基本的にはひとつの同じ部屋にあるものだけということになります。

 私の家の居間には8本のリモコンがありますが、とりあえずテレビ、ブルーレイプレーヤー、Fire TV Stick、スピーカーシステム、メイン照明、エアコンの六つは接続しておきたい気持ちでいました。
 扇風機、DVDプレーヤーが残りますが、両方とも今は使っていないので後回しにします。

 スマコンアプリには280種類以上のリモコンがプリセットされていますからほとんどは選択するだけで登録は簡単に済みます。またプリセットにないリモコンは手動で設定することができます。私の場合は天井照明が有名メーカーでなかったので手作業で行いました。

 取り込みが終わるとスマホ画面で下のようになります。
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 一番左が初期画面で、そこからテレビやエアコンなどを選ぶとそれぞれのリモコン画面に変わって操作できるようになるわけです。

 ネット上にはこの時点で登録のできないリモコンがあるという話が出ていたりしますが、私の場合fire TV Stick以外はすべて繋がりました。中でも2003年製のエアコンが繋がったのはほとんど感動的でした。

 次はスマコンとアレクサをつなげる作業ですが、これはアレクサに「スマート家電コントローラ用スマートホーム」というスキル(無料:ネットからダウンロード)を取り込むことで難なくできます。
 全部がつながったことを確認したら、スタートです。


【スマート家電コントローラでできること1】
 そこで実際に使ってみた感想は、
「まず思ったほどではない――」
です。

 これは仕様書をよく読んでいなかった私が悪いのですが、アレクサとスマコンで音声操作できるのはテレビを除けば全部の家電のON/OFFだけなのです。
 テレビだけは「アレクサ、テレビをつけて」「チャンネルを5にして」「テレビの音量を上げて/下げて」で操作のほとんどができるのに、他は一切できない。ON/OFFだけです。
 照明のように「点けて/消して」だけで構わないものもありますが、ブルーレイプレーヤーなどは困ります。

 録画している番組を見ようとしたら電源が入ったあとで、
(1)「アレクサ、テレビの入力をブルーレイプレーヤーに切り替えて」
(2)「アレクサ、録画リストを見せて」
(3)「アレクサ、今週の『チコちゃんに叱られる』を再生して」
となるのですが、それがひとつもできない。結局リモコンを探して続けなくてはならないのです。

 もっともOFFの方は「アレクサ、ブルーレイプレーヤーを止めて」で済みますからまったく使えないわけではありません。
 エアコンも照明も、ON/OFFのみで温度や光の強さを音声で行うことはできません。


【スマート家電コントローラでできること2】
 実はスマコンには二つのモードがあって「カスタム・モード」にしておけばエアコンの温度設定や除湿などのモード変更、また照明の明暗も音声でできるのです。しかしその場合、接続できる家電がテレビとエアコンと照明2台、計4台に限られてしまい、おまけに「アレクサ、家電リモコンを使って〇〇して」みたいな面倒な言い方をしなくてはならず、かなり面倒なのです。
 通常の「スマートホーム・モード」の方だとON/OFFだけですが、家電は50台まで繋げます。

 私のところは寒冷地で、エアコンの使用期間は短いし冬は灯油暖房ですから複雑な操作は必要ありません。迷わず「スマートホーム・モード」にして、したがってON/OFFだけになってしまいます。
 ただし「スマートホーム・モード」だと呼びかけの変更や複数家電の同時操作が可能ですから、例えば「アレクサ、おはよう」でテレビと照明の同時ONだとか、家を出るとき「アレクサ、行ってきます」で全部をOFFにするとかいったこともできます。朝バタバタしがちな独身者には意外と便利なのかもしれません。

 独身者のことを言えば、スマコンは「Amazon web クラウド」を使って屋外から家電をコントロールすることができます。だから真冬の帰宅時、最寄りの駅に着いたところでエアコンと照明をつけておけば、帰宅したときに照明のついた暖かい部屋に迎えてもらえるといった良さもあるかもしれません(それでなおさら寂しくなる人もいるかもしれませんが)。

 いまのところスマコンを通してアレクサのできることはその程度ですが、先週も言ったように、10年後、20年後を考えるときっと生活のかなりの部分を音声認識にやってもらうことになりますからその日に向けて、今から慣れておく入門機と思えばいいのかもしれません。
 アレクサ(EcoDot)と違って「スマート家電コントローラー」(6872円)は安い買い物ではない気もしますが・・・。


【素直で落ち着いた秘書と――】
 先ほど独身者の話をしましたが、私のように独身ではない人間にとってもアレクサ+スマコンは素晴らしい性質を持っています。できないこともたくさんありますが、とにかく素直なのです。言うことは、何でも一応きこうとします。努力します。

 妻のミーナだったらこうはいきません。そもそも「ミーナ、テレビをつけて」などと言うこと自体が考えられないのです(言われることはありますが)。

 アレクサの声は「30代半ばの落ち着いた秘書」といった感じでまったく素直です。「アレクサ、照明をつけて」と言うと点灯させたあとでだいぶ経ってから「はい」と答えるような「天然」なところもあって可愛いことこの上ありません。
 その意味でも、とても満足できる装置です。





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2018/11/15

「面倒な隣人とのつき合い方」〜韓国の有力紙を読みながら考えた  政治・社会


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 長く尾を引いていた慰安婦問題がいよいよ「和解・癒し財団の解散」という最悪の転換点を迎えようとし、徴用工裁判で日本中のマスコミが異例の同一歩調で韓国の非を打ち鳴らしている最中、BSEだかBSTだか知りませんが(BTSか?)防衛少年団という韓流ヒップホップグループのひとりが原爆の写真をあしらったTシャツを着ていたとかで、日本のテレビ番組から締め出され問題になっています。

 韓国国内からは日本に対して「偏狭な日本のテレビ局、防弾少年団の出演が相次ぎ白紙に」(2018.11.11朝鮮日報)とか「日本メディアの難癖で、Mステ出演が突然見送りに」(2018.10.09中央日報)とか、あるいは「世界的なメディアに今回の状況がすべて報道されたことで、かえって世界の若者ファンに『日本は戦犯国』という事実を確実に刻印させる契機になった」(2018.10.12中央日報)とか、「日本メディアが嫌韓あおる? K―POP巡りネガティブ報道相次ぐ」(2018.11.13東亜日報)とか、強く不快感を示す報道が続きました。

 そんな中でこの問題に新聞社として早い段階からきちんと説明をし、納得のいく論評を加えたのは、なんとハンギョレ新聞(韓国では単にハンギョレと呼ぶらしい)だったのです。
 ハンギョレ新聞といえばかなり左翼的な、現在は文政権御用達と言ってもいいような新聞社で、あまりにも北朝鮮よりなため私もしばしば激しく苛立つ新聞です。

 ところがそのハンギョレ新聞が13日に掲載した「防弾少年団のTシャツは果たして愛国心の象徴なのか」は、実に的を得た内容で、これさえ読んでおけばたいていの異論に対抗できると思われるくらい素晴らしい記事だったのです。


【反日であるかどうかが問題なのではない】
 内容をかいつまんでお話しすると、
 防弾少年団のTシャツは果たして愛国心の象徴なのか
 原爆は人類の最大の悲劇であり、1945年8月に日本の広島と長崎に2度投下された原子爆弾によって被爆した70万人の被害者のうち、朝鮮人は7万人程度と推定される。朝鮮人被爆者は4万人以上が命を失っており、3万人だけが生存し、このうち約2万3000人が朝鮮半島に戻ってきた。2018年基準で大韓赤十字社に登録された国内の原爆被害者は2344人で、平均年齢は83歳だ。
 したがって、
 核問題だけは『ナショナリズム』を超えるべきであり、今回の議論を通じ、広島と長崎の原爆による解放と独立という『ナショナリズム的構図』を越え、『核兵器の非倫理性』というより幅広い問題提起へと認識を広げるきっかけを作るべきだというのです。
 まったくその通りです。

 もちろん韓国国内向けの記事ですから私たちが扱うには多少の変更は必要ですが、私たち日本人もこの問題を反日だの嫌日だのと矮小化せず、原爆を軽々しくファッションに使うことの非につい強く訴えなくてはなりません。
 きのこ雲をTシャツに印刷していいのは、雲の下で苦しむ人間たちの姿をありありと浮かべ、その思いに心を寄せて二度とこうした悲劇を起こしてはいけないと訴え、誓う時だけなのです。


【互いを冷静に観ること】
 問題が原爆Tシャツだけだったらいつまでも平行線だったのですが、過去の写真からナチスの徽章やナチスを思わせる赤旗のが軽々しく扱われたことについて、アメリカのユダヤ人権団体から抗議が出されるに至って事態は一気に変わります。

 考えてみればBTSのメンバーはいずれも20代半ば、まだまだヤンチャ盛りです。それにヒップホップはそもそも反社会を起源としていて、今でも一部は社会の反主流・非行のイメージを売り物にしています。

 おそらくBTSは、というより彼らを含めた周辺(芸能界全体と言ってもいい)は、面白ければいい、カッコ良ければいいというだけの理由で悪乗りして、そのまま抑えが効かなくなっただけなのです。反日活動家や親ナチを標榜するアメリカのオルト・ライトのような政治的信念があるわけでもない。
 本来は里に下りてきたクマのように、お仕置きをして山に返してやればいいだけの話でした。 

 BTSの所属事務所は13日になって謝罪表明をして沈静化を図り、韓国の保守系新聞もそれを受けて事態を前向きにとらえようとしはじめています。

 昨日の朝鮮日報「【コラム】われわれ韓国人が手を差し出すべき日本人もいる」は、
 広島平和記念公園には韓国人原爆犠牲者慰霊碑が建っている。もともとは同公園の外にあった。その慰霊碑を公園の中に建てられないようにしたのも日本人だし、そうした人々と闘って慰霊碑を公園内に移し、共に追悼したのも日本人だ。防弾少年団はきのうの東京ドームを皮切りに、大阪・名古屋・福岡でドーム公演を行う。全席売り切れだそうだ。両国の不和を狙って1年前の動画を見つけ出し、邪魔しているのも日本人だが、防弾少年団のコンサートチケットを完売させて歓迎しているのも日本人だ。どちらの日本人に我々が手を差し出し、その手を取れば、歴史問題の痛みを乗り越えられ、未来への扉を開けるのかは明らかだろう。
と書いて
 両国関係の悪化を望む人々が仕掛けた「わな」
にはまらないよう呼び掛けています。全く妥当なことと思います。


【指導者の勇気】
 そう言えばしばらく前の中央日報にもとても考えさせられる記事がありました(2018.11.01【噴水台】日本、国の敵なのか)。

 感心したのは1965年の日韓請求権協定の基礎となった大平正芳外相と金鍾泌(キム・ジョンピル)中央情報部長(肩書はいずれも当時)の会談に関する部分です。話し合いのあと、金部長は大平外相にこんなふうに言うのです。
「我々が会った以上は、あなたは日本の小村寿太郎になれ。私は李完用(イ・ワンヨン)になる」

 李完用は日韓併合条約調印の時の首相で、韓国ではたびたび売国奴として引き合いに出される人だそうです。小村寿太郎は言わずと知れたポーツマス条約の調印者で、日本国民がどれほど怒るか容易に想像できたため、横浜に帰る船の中で「すでに家族は殺されているだろう」と覚悟したといいますから相当なものです。

 日韓請求権協定がそれぞれの国民をどれほど怒らせるか予想した金は、大平に「どんなに国民の反感を買おうとも、政治家にはやらなければならないことがある、それを自分たちが担おう」と語ったのです。
 世界にはびこるポピュリズム政治家に教えてやらなければならない話です。


【厄介な隣人と暮らす】

 韓国はとても厄介な国です。
 しかし隣り合った国なんてみんなそんなもので、イギリスとフランス、ドイツはそれぞれ互いを厄介者だと思っているに違いありませんし、パキスタンとインド、インドと中国、中国とロシア、ロシアとウクライナ――すべて互いを面倒くさい隣人だと思っているはずです。ベネルクス三国のような仲良しだって統一しようとしないのですから、他は推して知るべしです。

 日韓関係もむやみに挑発に乗らない国民の落ち着きと、政治家の勇気ある決断によって、なんとかうまくやっていくしかありません。面倒な隣人でも互いに引っ越すことができないのですから。




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