2018/11/30

「ウチのナマハゲ、ドイツのナマハゲ」〜我らのナマハゲが選ばれた  教育・学校・教師


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 昨日のユネスコ政府間委員会で、秋田のナマハゲを含む日本の来訪神の無形文化遺産登録が決定されました。中には後継者がなくて存続の危ぶまれるものもあるようなので、まずは注目されたことを喜び合いたいと思います。
 外務省に「来方針:仮面・仮装の神々」の提案概要 というまとまった資料がありましたのでリンクをつけておきます。

 対象となった全国10箇所の来訪神を見ると「宮古島のパーントゥ」などメチャクチャ怖い感じでゾクゾクしますし、「薩摩硫黄島のメンドン」とか「悪石島のボゼ」とかも「これが日本か?」と思わせる異形ぶり。「米川の水かぶり」や「見島のカセドリ」も、またそれとは違った怪しさで心踊らされます。

 ざっと眺めるとパーントゥのように泥をつけたり水を浴びせたり、あるいは棒でつついたり叩いたりして福を置いていく神が半分、残り半分が怒鳴ったり脅したりして「良い子」「良い嫁」を強要する神といったところでしょうか、前者も魅力的ですが、後者は昔からずっと憧れてきたものですからユネスコの無形文化財決定は私にとっても朗報でした。

 このブログでも再三とりあげてきましたが、ナマハゲやアマメハギ(アマハゲ、スネカ、アマノハギ)などは、子どもの成長にぜひとも必要だと思うのです。
 2016/2/1「鬼のいる世界」
 2016/2/10「鬼となれ」〜子どもたちの危機D
 2016/6/7「躾の問題」〜北海道、しつけ置き去り行方不明事件に際してb

 
【心に神様がいなければいけない、その前に鬼が】
 人は道徳的な何ものもたずに生まれてきます。これを「無垢」と言います。無垢ですから「善」にも「悪」にも簡単に染まってしまいます。しかも困ったことに子どもたちが育って行く世界は、ほとんどの場合、短期的には悪いものの方が魅力的に見えるのです。

 そこで「躾」が必要になるのですが、「悪」の魅力から子どもを引き離すのは容易ではありません。私たちはあらゆる手練手管、美辞麗句、悪口雑言を総動員して正しい道を歩ませようとしますがなかなかうまくいきません。

 もちろん大人になったら言われなくても正しい判断をし、正しい行動をとれるようにならなくてはなりません。つまり心に「神」を住まわすのです。
 私たちが頭で考えなくても、心の中の「神」が正しい道を歩ませるようにしなくてはならない――。

 実はたいていの大人はそうしています。
 私たちがスーパーで万引きをしないのも、横断歩道で渡りかねているお年寄りを助けるのも、別に逮捕されるのがイヤだから、誰かに褒められたいから、ではありません。心の中の「神」がフッと息を吹きかけて教えてくれるからです。

 しかし心に「神」が心に住み着くまでには相当な時間がかかり、半面、人間の欲望の成長は瞬く間です。「神」が住み着く前に、とりあえず心に「鬼」を送り込んでおかなくてはならないのはそのためです。
 それがナマハゲやアマメハギ、それから節分の鬼なのです。

 だから私は秋田県の男鹿(ナマハゲ)や石川県の能登・輪島(アマメハギ)がほんとうに羨ましい。放っておいても地域が子どもの心に「鬼」を刻んでいってくれるのですから。
 もしかしたら全国学力テストの小学校の部で秋田・石川が上位を独占しているのは、ナマハゲやアマメハギのおかげかもしれません。小さなころからきちんと生きる子は、成績も上がるに違いないからです。

「勉強しね子はいねがー!」


【ウチのナマハゲ、ドイツのナマハゲ】
 さて、再三申し上げていますが、そんな言い方で鬼やナマハゲを評価すると必ず出てくるのが、
「子どもを怖がらせなくても躾はできます。まだ言葉の話せる前から、子どもはきちんと親の言葉を理解します。ですから親が丁寧に、何が正しくて何が間違っているか教えてあげれば必ずできるようになります」
という反論です。

 もちろんそうした事例があるのは知っています。しかしそうしたやり方で成功しているお父さんやお母さん、「丁寧に教えてあげている」その瞬間のご自分の姿を、ご存知ですか?

 いつもはニコニコと明るく優しい父さんお母さんが、真剣な顔で静かに、ゆっくりと語り聞かせる・・・その姿はナマハゲより怖ろしいに決まっています。
 大好きな人に嫌われるかもしれないという恐怖は、尋常なものではないからです。
 外に鬼やナマハゲを拒否するなら、ウチに鬼をつくらなくてはなりません。

 子どもたちを怯えさせて善導する来訪神というのは、日本独自のものではありません。有名なところではドイツのブラックサンタ(クネヒト・ループレヒト)がナマハゲたちとそっくりなことをしています。

 どこも変わりないのですね。


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2018/11/29

「きちんとさせるのが容易じゃない」〜ラジオ体操の話  教育・学校・教師


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【小学校入学式の奇跡】
 小学校の入学式にテレビ局が入って新入生にインタビューすると、十中八九、「算数を頑張りたいです!」とか「国語を頑張ります!」とか答えます。もちろん本気です。彼らは算数や国語が何であるかを知らないのです。

 しかしそれでも入学したてのひと月ぐらいはそのままみんな前向きで、頑張り屋で、先生の言うことは何でも聞こうとします。入学直後の魔法にかかってゴールデン・ウィークくらいまでは醒めないのです。

 ここで親たちはとんでもない勘違いをします。
 昨日までのウチのバカ息子が信じられないくらい頑張っているのですから感動し、こんなふうに考えます。
「子どもたちは先生の言うことなら何でも聞く」
 それだけならいいのですが、さらに続けて、
「だから先生の仕事は楽だ」
などといったお門違いの結論を導く人もいたりします。

 さらにこの人たちは学校で問題が起こると「先生はやることをやっていない」と思いこみます。「子どもたちは先生の言うことならなんでも聞く」のですから、それでも問題が起こるとしたらそれは「言っていない(指導していない)」からに違いない――そう考えるのは非常に単純な三段論法です。

 しかしもちろんそうではありません。お宅のお子様は家庭でそうであるように、学校でもゼンゼン、大人のいうことを聞きません。


【ラジオ体操が容易じゃない】
 子どもたちがいかに先生の言うことを聞かないか、聞いてもその通りにしないかは、体育の時間に校庭に出てきた子どもたちの体操を見てみればわかります。

 タイトルに使った写真は列も整って手を高くつきあげ、ほんとうに立派な体操に見えますが(実際これくらいできると「素晴らしい!」と喝采してもいいのですが)、足元をよく見るとホラ、踵の上がっていない子が何人かいますよね。本当はそこまできちんとそろわなくてはいけないのです。揃えることが大切なのではなく、一つひとつの運動をきちんとやれば否応なく揃ってしまうのです。ところがそれが全く難しい。

 本来ラジオ体操は丁寧にやれば冬でも汗の滲んでくるくらいの運動量です。それを子どもたちはきちんとやらない。腕を伸ばさない、回さない、上体もそらさない。
 昭和の時代にピンクレディというスーパースターが登場して「ペッパー警部」を流行らせた一時期を除いて、女の子は絶対に股を広げない、男子の一部は上体回しを上腕回しのようにして扇風機みたいにブンブン回すだけです。

 小学生ならまだ「できない子」が多いから多少甘くもなれますが、中学生だと「やらない子」ばかりなので本当に苛立たしく、しかしこれをきちんとさせるのが容易でないことも分かります。

 私は体育科ではないのできちんとした指導をする場面もなく、小学校の担任時代に自分のクラスの指導をするのがせいぜいでしたが、退職後、振り返って「ああ、こうしておけば」と思うことのひとつは、まさにそのラジオ体操なのです。 というのは、ここにきてこの齢で初めて知ったことがたくさんあるからです。


【ラジオ体操を真剣にやってみた】
 教員というのはああ見えて一日中けっこう歩いています。
 私は社会科でしたから休み時間のたびに研究室に戻り、教科書や資料を持ち換えていちいち違うクラスに向かいます(その点で特別教室を持つ理科や美術の先生はあまり歩きません)。
 小学校では高学年の担任をすることが多かったのですが、高学年棟というのはたいていが職員室から一番遠く、しかも6年生は最上階ですからいったん教室に行くと職員室に戻るのが大変です。
 私は当時から物忘れが激しく、忘れ物を取りに職員室に戻って何を取りに来たのか分からなくなるということが再三でしたから歩く距離もハンパではありません。
 ひところ万歩計で計測してみると1日に1万3000歩以下ということはなく、行事等で「ああ、今日はちょっと疲れたな」と思と1万6000歩以上歩いていたりしました。

 それが管理職になったとたんにハタと止まる。退職するとさらに動かない。
 足は上がらない腕も上がらない、血圧は上がる血糖値も上がる、息も上がる体重も増える、というわけでようやく運動をする気になったのですが、そこで始めたのが「テレビ体操」です。

 テレビ体操と言っても特別なものではありません。毎日10分、Eテレの枠で「ラジオ体操」の第一と第二、それに「みんなの体操」という筋肉に負荷をかけるゆっくり目の新しい体操、さらにその時々の運動を組み合わせた「オリジナルな体操」の四つのうちふたつを選んで放送しているだけです。

 決まった時間に忘れずやるのは大変ですし食事との兼ね合いもあるので、普段はVTRに撮って夕食前にやっているのですが、そうして目で見ながらやると私の知らなかったことが山ほど出てきます。


【新発見とピントレ】
 例えばラジオ体操の一番初めの運動、両手を前から持ち上げて頭の上で開いて下ろすだけのアレですが、私は半世紀以上、指導者が「背伸びの運動〜」と言っているのだと思い込んでいたのです。
 だから精一杯爪先立ってよろけながら頑張っていたのですが、テレビで見ると踵が上がっていない。そう思ってよく聞くと、言っているのは「背伸びの運動」ではなくただの「伸びの運動」です。
 
 あるいは片手をあげて二の腕を耳につけ、そのまま横に倒す「からだを横にまげる運動」は、反対側の手の指先が、地面につくくらい思いっきり曲げていたのに、テレビのアシスタントは無理をしていません。ちょっと曲げて脇を伸ばしている程度です。

 両手を左右に振ってからだを曲げる運動は、最後に大きく振り上げる前に指先を見て、一瞬寂しいような表情をつくってからやるとか――改めて確認すると新発見の宝庫です。

 放送ではときおり体操の一部を切り取って丁寧に解説する場面があります。こういうところもきちんと見て覚えておけばいい指導ができたはずなのに、と改めて思いました。

 今はビデオに撮ってあとから見る時代です。家に帰ってからの1日10分――現職の先生方はご自身の健康維持もかねて試してみるとよい勉強になると思います。
(参考:「NHK テレビ・ラジオ体操」。下の方に確認のための図解があります)

 ついでですが毎日のテレビ体操以外に、私は二日に一回の割合で「ピントレ」というのをやっています。これはNHKの「ガッテン〜血糖値がみるみる下がる!謎のポーズで体質改善SP」で紹介されたもので血糖値ばかりでなく様々な効能があると説明されています。

 もう二か月になりますが、いまでもしんどくてほんとうに嫌です。ですが嫌な分、効果がありそうなので頑張っています。


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2018/11/28

「ジャニーズ、AKBは世界を目指さない」〜世界の音楽市場  政治・社会・文化


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 もう半世紀近く昔、私がまだ半分子どもだった頃、弟と一緒に神宮で開かれた薪能(夜間、薪の灯の中で行われる能楽)を見に行ったことがあります。
 幽玄な雰囲気の中で行われるはずの薪能ですが、困ったことにカメラ小僧(というのが当時いた)がたくさん来ていて、やたらフラッシュを焚いて写真を撮りまくり、雰囲気を乱そうとします。
 開演前から主催者が再三遠慮するように呼び掛けていたにも関わらず、コンパクトカメラで届きもしない光を放つ“小僧”のひとりに、ついに弟がキレて怒鳴り上げます。

「シャッターを焚くなって言われてるだろ!」

 落ち着いて「フラッシュを焚くな」と言えばよかったのに、「シャッター」と言ってしまったばかりに言われた方はポカンと口を開け、その向こうで中年の女性がプッと吹き出し、弟は顔面蒼白となり、私は知らんぷりするという一大珍事となってしまったのです。

 私だって頭にきて生徒を怒鳴りつけるとき、興奮のため、
「アパキャラ、ガラゲンナァ!」
とか自分でも分からないことを言って相手を怯えさせたこともありますが、「怒っているときこそ落ち着いて」と言ってもやはり無理でしょう。ただしそれでも、とんでもないマヌケはしたくないものです。


【怒る前にまず調べる】
 薪能での失態を思い出したのは、実は最近、ネットニュースを見ている中で「あれ?」と思うことがあったからです。

 それは今月9日、韓国のアイドルグループBTS(防弾少年団)が、「ミュージックステーション」(テレビ朝日)の出演を断られた事件にかかわるもので、「BUSINESS INSIDER JAPAN」の記事にあった日本人ファンの言葉です。

「もう日本市場なんて価値がなくなってきてるはずだから、BTSが来なくなったらどうしてくれるのか!とヒヤヒヤです。アイドルが政治的な主張をできない日本の方がおかしいですよ」

 韓国のアイドルが政治的な主張をするのは構いませんし、北朝鮮の人権問題について何らかの発言をしているとしたら聞いてみたい気もしますが、それは別として、私が引っかかったのは「もう日本市場なんて価値がなくなってきてるはずだから」の部分です。

 発言者は「BSTは世界で稼いでいるのだから日本の市場なんか無視できる。今回のことでもう二度と来なくなったら困る」という意味で発言したのだと思いますが、なかなかどうして、日本の音楽市場はそう簡単に無視できるものではないのです。


【世界の音楽市場】
 下のグラフを見てください。
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 これは一般社団法人 日本レコード協会「The Record」6月号より、数字をお借りして私がグラフにしたものですが、世界の音楽市場は日米の変則2トップの下に独英仏3枚のミッドフィルダーがつくといった非常にいびつな布陣なのです。

 この形はここ数年変わっておらず、イメージとすればアメリカの総売り上げの約半分が日本で、そのおよそ半分に独英仏(フランスはやや下がる)、さらにその独英仏の3分の1にカナダ・オーストラリア・韓国がついていて、あとは似たようなもの、と覚えておくと忘れません。
(2017年、韓国は頑張ってこの群れから一歩抜け出し、独英の4割近くになっています)

 驚くべきことにここのところずっと、売上高は日本とアメリカだけで世界の半分(50.05%)にも達しているのです。
 ここに韓流が日米を目指し、ジャニーズやAKBがアメリカに行かない理由があるのです。


【ジャニーズ、AKBは世界を目指さない】
 日本でもかつてのPUFFY(パフィー)やPerfume(パフューム)、最近ではBABYMETAL(ベビーメタル)と、アメリカで活躍する歌手やグループがないわけではありません.しかし全体としてはパッとしません。

 そこで私も以前は、“きゃりーぱみゅぱみゅ”や“ももいろクローバーz”がフランスのジャパンエキスポで喝采を浴びたと聞けばフランスを中心に荒稼ぎをすればいいものをとか、ジャニーズやAKBみたいなグループはアメリカには絶対いないからいわば隙間産業のように入り込んで大儲けすればいいものを、と思ったりしたものです。
 しかし上のグラフを見れば一目瞭然。市場規模が日本の三分の一しかないフランスに殴り込みをかけるのはばかげているし、アメリカに進出しなくても国内で十分稼げるのです。

 もちろん彼の国で大成功してマイケル・ジャクソンのようになれば収入も天文学的です。しかしそれは成功したらの話。日本における収入を犠牲にしてまで試す価値のあることではありません。国内でチマチマと、しかし莫大な収入を守っていればいいのです。
 それに外国暮らしは何かと気を遣います。


【韓流は日本を忘れない】
 韓国は違います。
 市場規模から見ると日本は韓国の5.5倍、アメリカは12倍もあるのです。試してみるだけの価値はあります。

 もちろん実力がなければだめですが、研究して努力してやってみて、その上でダメでも失うものは多くありません。
 ダメでもともと、すべてか無か、野心ある若者にはやりがいのある世界です。韓国からはこうして日本仕様・アメリカ仕様のグループ、音楽、ダンスが続々出てくるわけです。

 初めの方で紹介した、
「もう日本市場なんて価値がなくなってきてるはずだから、BTSが来なくなったらどうしてくれるのか!」
とヒヤヒヤされてるBTSの熱烈ファンさん、大丈夫です。
 道を歩いていてあちらに1万円札が落ちているからと言って目の前の5千円札を拾わずに行く人はいません。日本は十分に魅力的な市場です。

 政治的立場から敢えて訪問しないというなら別ですが、原爆Tシャツのことさえほとぼりが冷めれば、日本人の多くは「来るな」と言わないはずです。
 彼らの野心に応えてあげましょう。



 
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2018/11/27

「歌で交歓する親子たち」〜懐メロが、新しすぎて歌えない  親子・家族


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(ヘラルト・ファン・ホントホルスト 「音楽会」)

 9月の上旬だったと思うのですが、公益社団法人「全国有料老人ホーム協会」というところが公募している「シルバー川柳」の入選作が発表されました。
 その中に、
「懐メロが、新しすぎて歌えない」
というのがあり、あまりに実感に合うのでホトホト感心しました。

 そこでふと、私にとっての「新しすぎて歌えない懐メロ」の範囲がどのあたりなのかなと考え始めたのですが、これが案外厄介でした。

 とりあえず世間でいう「懐メロ」と私の「懐メロ」は同じではない、また私にとっての「懐メロ」は私にも歌えないものがほとんどだが、私が懐かしいと思うメロディーは歌詞カードさえあれば大部分が歌える、しかし懐メロではない、そういうことなのですって、どういうことなのか分かりませんよね。

 それはそれぞれによって「懐メロ」の定義が違うからなのかもしれません。


【私にとっての三種類の「懐メロ」】
 まず私が子どものころから「これが『懐メロだ』」と教えられてきたような「懐メロ」、つまり私の親世代が懐かしく聞いたり口ずさんだりする戦中戦後の音楽です。
 田畑義雄やフランク永井から橋幸夫を筆頭とする御三家あたりまで。女性歌手だと美空ひばりから三人娘あたりまでです。
 一部は私も「懐メロ」(リアルタイムでない昔の曲)として歌えますが、大部分は歌えないし楽しめない、懐かしくもない、そういう曲です。

 二番目の「懐メロ」は私がリアルタイムでともに歩んできた曲たち。
 グループサウンズからフォーク、ニューミュージックといったあたりになります。懐かしく聞き、懐かしく歌いますからその意味では「懐かしのメロディ」なのですが、絶対に「懐メロ」とは言われたくない、そんなに古くない、いま聞いても新鮮だと言いたい、そういう曲たちです。

 三番目の「懐メロ」は、それこそあまたあるテレビ局やらイベント企画やら、レコード業界やらが今さかんに提示している現代の「懐メロ」です。
 私の知る範囲で言えば、中森明菜だとかZARDだとか、工藤静香だとか、あるいは初期の安室奈美恵だとか宇多田ヒカルだとかいった世代になります。

 なぜそんなふうに限定的に言えるのかというと、要するに「懐メロ」というのはリアルに音楽漬けになっている今の世代にとって最も身近な大人(普通は親世代)が、懐かしく聞いたり歌ったりする曲のことだからです。

 平成30年の今で言えば、たぶん平元年〜10年(1989〜1998)を中心とするその前後。歌手をさらに重ねて言えば「プリンセス・プリンセス」「wink」から「GLAY」「KinKi Kids」あたりまでその前後、と言えばウンウンと頷いてくれる人は多いはずです。
 そしてまさにそのあたりが、私たちには「新しすぎて歌えない『懐メロ』」なのです。
(実際記事を書くにあたって歌手も曲も分からないので「年代流行」というサイトを頼りに記憶を辿っている始末です)


【移り変わる「懐メロ」】
 もちろんレコード会社からは「懐メロ昭和歌謡30年代ベストテン」みたいなCDがいくらでも出ていますから、懐メロを「現役音楽世代の親たちが聞いていた曲」と限定しうるものではありません。しかし私が素直に懐メロと思うような曲、つまり私の親世代が楽しんでいた曲を「懐メロ」といっても、ピンとくる人は少ないでしょう(誰が懐かしいの?)。

 私が“「懐メロ」と呼ばれたくない”と抵抗する私たち世代の音楽も、すでに「懐メロ」の概念を外れてしまっています。抵抗する必要もないほどに。

 そう考えると現在の「懐メロ」(平成元〜10年くらいの曲)もやがてその座を追われ、いま盛んに歌われている曲が20〜30年後、おなじ「懐メロ」の位置に座ることが分かります。そのころには今一番「懐メロ」を楽しんでいる世代が、「新しすぎて歌えない」になります。

 そんなふうに思いを巡らしているうち、私はとても素晴らしいことに気づきました。それは「懐メロ」という言葉が存在し続けるのは、子どもたちが親世代の音楽を良く知っているからだということです。


【歌で交歓する親子たち】
 私の記憶によれば、親世代の篩音楽にやたら詳しくていくらでも歌える子と、現在進行形の歌を片っ端歌えるような親の双方が同時に出現してきたのは、1990年代になってからのことです。

 最初気づいたのはPTAの後の飲み会などで、保護者の歌う曲が異常に現代的になってきたことです。いま流行っているような歌が平気で歌われる、それも一人や二人ではありません。
 最初何が起こっているのか分かららなかったのですが、やがて気づきます。そのころから親子でカラオケに行く家庭が爆発的に増えていたのです。

 そこでは当然、子が親の歌を聞き、親が子の歌を聞くことになります。その時の子の歌う歌が「いま流行りの歌」で、親の歌う歌が「懐メロ」です。そして一緒に歌い、親子で互いの歌を覚えていくわけです。
 そう考えると「懐メロ=親世代の音楽」という狭い定義が生きている間は、多くの家庭で音楽の交歓が行われている可能性があることになります。

「懐メロが、新しすぎて歌えない」
 大いに結構です。
「懐メロ」が更新されず、ほんとうに古い曲だけになってしまったら、それは親子が一緒に歌わなくなった証拠ですから、今の状況が続くのはかなりいいことなのです。






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