2018/10/31

「渋谷ハロウィンを一緒に楽しもう」〜私にアイデアがある  歴史・歳時・記念日


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 いよいよ今日はハロウィンだそうです。
 なんだか他人事みたいですが、実際、他人事です。小さな子どももいませんから。

 ハロウィンに関するウンチクは以前書きました(2016/10/31「ハロウィンって何だったっけ?」)ので繰り返しませんが、こういう馬鹿なお祭りが、私は嫌いではありません。


【ハロウィンが好きな訳】
 日本という国は古代から外国文化を取り入れるのが大好きで、しかし入って来て困るものは巧みに避けてきた伝統があります。
 律令制度を全面的に受け入れながらも「宦官」も「宮刑」も受け入れなかったとか、鉄砲を始めとする南蛮文化は受け入れても洋装も洋食も入れないとか、あるいはクリスマスもバレンタインデーも受け入れたのに誰もミサに行ったりしないとかいったことです。

 ハロウィンも同じで「トリック・オア・トリート」とか言ってご近所を回る子もいなければ、収穫の喜びを分かち合うというふうもなく、せっせとカボチャ細工に励む人も少なくなってきました。今では老若男女がこぞって楽しむ大コスプレ大会です。
 それでいいのです。

 日中は小さな子どもが魔女になったりお化けになったりでこの上なく可愛いし、夜は夜で日ごろはパッとしない若者が、1年分の知恵と資金をつぎ込んで得意の扮装で繰り出してくるのです。すてきじゃないですか?

 テレビのニュースで米軍や自衛隊に扮した若者が銃を向け合っているのを見て、ああこんなことアメリカじゃ絶対にできないよなと、なんとなくうれしくなってきました。
 同じことをマンハッタンでやればたちどころに数十人の重武装警官に囲まれ、運が悪ければ全員射殺です。サングラスにマスクをつけて銃を持ち歩けるのもおそらく日本だけ。しかもそしてそんな奴がハロウィンにはウジャウジャいるのです。
 欧米人たちも自国では絶対にできないことですから、大いに来て、楽しんでもらえばいいのです。


【渋谷に問題はあるけれど】
 渋谷界隈では大変なことになっているみたいですが、あれとて一定の節度があるように私は思っています。だって土曜日の夜の逮捕者はたった5名でしょ? 5名なんて渋谷では日常のことでしょ?(と田舎者は勝手に思っている)
 リオのカーニバルなんてリオ市内だけでも毎年100名以上の死者が出ると言われています。

 たしかに軽トラックを横倒しにして上から踏みつけるなど言語道断ですが、あれだけテレビカメラやスマのホ放列が並ぶ中で、顔を隠しもせずに暴れる輩は本物のバカです。つける薬はありませんからバンバン摘発してもらえばいいだけのことです。

 人が多すぎて店の売り上げが下がりっぱなしという話も聞こえていますが、「渋谷」が有名になればなるほど、国の内外から日常的に観光客が集まるわけですから、それでよしするしかないでしょう。それにクラブを始めとする多くのお店が、ハロウィンで儲けようとしています。


【ゴミ問題だけは何とかしたい】
 あとはごみ問題ですが、これには私もひとこと文句があります。
 一方で外国まで出かけて行ってサッカー観戦のあと掃除をして帰ってくる人がいるというのに、そして日常は分別に心がけ、自分の出したごみは自分で持ち帰ることができるというのに、なぜ渋谷のハロウィンではあんなことになってしまうのか。

 確かに条件は良くありません。
 まず、来ている連中がよそ者ばかりですから地域に愛着がない。知り合いに会う危険性がないから旅の恥はかき捨てられる。仮装しているやつばかりだから面が割れにくくそのぶん悪さがしやすい。

 そもそも怪物やお化けが掃除をするか? というアイデンティティの問題もあります。

 仮装のために持ってくるものが多い。そうであるにもかかわらず街を練り歩いている間、持ち帰るための大きな紙袋を持ち歩くなんて嫌だ。
 翌朝の清掃大ボランティアグループの話はニュースで何度も見てきたから、汚しても翌朝にはきれいにしてもらえる、だから心も痛まない。

 これほど悪条件が揃ってしまうと「皆さん節度をもって楽しみましょう」などと訴えても聞く耳を持ちません。
 そこで私にアイデアがあります。押さえられないなら取り込んで制御すればいいのです。


【私にアイデアがある】

 現在は若者が勝手に仮装して来て勝手に騒いで帰っているだけですが、来るものに“来るな”と言っても無理ですから来たものを枠に引き込めばいいのです。具体的に言えば仮装して来た人たち全員をコンテストの参加者にしてしまうのです。

 専門の撮影スタッフを連日回らせて写真をバチバチ取る。その際、写真を後日行われるコンテストに使う許可をもらう。もともと目立ちたくてそこに来ている人たちですから公式コンテストだと言えば断りっこありません。

 コンテストの賞金は15部門それぞれに10万円、大賞はひとりないし1グループ30万円、くらいに言っておけばグングン乗ってきます。なにしろ貧乏人のくせに(若者はたいてい貧乏です)衣装代に大枚を叩いていますから少しでも返ってくればありがたい。いやそれ以上に渋谷のハロウィンで選ばれたという達成感・優越感は半端ではないでしょう。
 15部門もあるのだからどれかには当たるかもしれない。5日間の人数を考えるととんでもない低確率だということがすぐに計算できるようなら、そんな場所で騒いだりしませんから大丈夫、きっとバレたりしません。
 
 そしてその時忘れずに、
「授賞式には今日の扮装で来てください。受賞者発表は一週間後、ただし受賞者としてふさわしくないと判断される場合は賞を次点者に譲ることになります」
 そう言っておきます。

 それで“彼”は衣装を捨てずに大切に持ち帰ることになります。「受賞者としてふさわしくない」と判断されないよう、ごみやペットボトルの放置などということは絶対にしません。なにしろこのネット社会、SNS用に大量の写真が撮られていますから“彼”の行状はどこかで発見される可能性があります。発見者のたった一人が正義感に燃え、あるいは妬みに駆られるだけで、“彼”の受賞は泡と消えてしまう可能性があるのです。
「あの受賞者、ヒカリエの前でペットボトルを路上に放置していました。証拠動画がありま〜す。受賞取り消しにしてください」
 
 このアイデアのミソは場所が渋谷だということです。
「どうせ賞なんか取れないんだから捨ててしまえ」
と思えるようなレベルの低い仮装はほとんどありません。

 心配なら「素朴賞(地味だけどいいもの)」とか「リサイクル賞(廃物をうまく利用したもの)」「安価賞(いかにも低予算でつくってある)」とかを用意しておけばいいのです。

 半分冗談で書き始めましたが、なんかコレ、うまく行きそうな気になってきました。
 
 

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2018/10/30

「研究者は努力をムダにしない」〜「日本はだめだ」という話は調べてみる価値がある2  教育・学校・教師


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(イーストマン・ジョンソン 「読書する少年」)
 
 ニューズウィーク日本版にあった「子どもの時に、自宅に紙の本が何冊あったかが一生を左右する」という記事について、
 自宅にあった本の数とテストの結果は比例する
という文とともに
 日本は平均102冊で、世界全体の平均を含む18カ国・地域のランキングで14位だった。世界全体の平均は115冊。
という文章があり、これでは日本人の知性(読み書き能力、数学の基礎知識、ITスキルの高さに)は平均以下と言っているのと同じじゃないかと怒って調べることにした話を書いています。


【「国際成人力調査」を思い出した】
 実は私は文章を読み違えていた――というか記事の文章自体が悪いのです。

 調査を行ったのは、オーストラリア国立大学と米ネバダ大学の研究者たち
とありますが、彼らが行ったのは「調査」ではなく、その文に続く、
2011年〜2015年に 31の国と地域で、16歳〜65歳の16万人を対象に行われた「国際成人力調査」のデータを分析した
だけなのです。

 2013年のOECDが行った「国際成人力調査」、そのデータを借りてオーストラリア国立大学とネバダ大学が分析したという意味です(年次や対象国の数が合わないのは謎)。
 分析自体は優秀な統計ソフトがあれば簡単にできます。

 そのことに気づいたとたん、私は「国際成人力調査」が自分にとってどれほど熱い話題であったかようやく思い出したのです。そんな大切なことが忘れられていました。

 2013年の「国際成人力調査」で、日本の16歳〜65歳の成績は三部門独占のダントツ1位。その破壊力はPISA(OECD生徒の学習到達度調査)を根拠に「日本の学力は低い」と論陣を張っていた各マスメディアを黙らせるほどのものだったのです(だからこのニュースも大きく扱われなかった)。
 小5・中2のテストが世界一でなくても、16歳以上65歳までがダントツなのだからそれでいいじゃないかというわけです。

 私はもう夢中になってこの話を吹聴して回りました。日本の教育の勝利だからです。


【何か、話の持って行き方が違っていないか】
 これを今年のニューズウィークの記事に戻すと、16歳の時の家庭の蔵書数が世界平均を割って18カ国・地域のランキングで14位という低さににもかかわらず、日本の成人の読み書き算数あるいはIT能力はダントツ1位だということです。
 そうなると、
16歳の時に家に本が何冊あったかが、大人になってからの読み書き能力、数学の基礎知識、ITスキルの高さに比例する
もかなり怪しくなります。

 眉にツバをつけて改めて読み直すと、
 これら自宅の本を必ずしも読めなければ効果がないというわけではなく、また単純に「本を読む」という行為によりこうした能力が伸びるというわけではなく、何が利点になっているのかを特定するのは難しいと研究チームは話す。「ただ本をたくさん読みなさい」というシンプルな話ではなく、大切なのは「子どもたちが、親や他の人たちが本に囲まれている様子を目にすること」だとしている。
という文も気になってきます。
 要するに本さえあれば本人が読まなくても知性は高まるという、ありがたいご宣託なのです。
 そんなバカなことがありますか?

 これはもう
「本をたくさん家に置いておくような家の子は、知的な両親に育てられた知的な遺伝子を持った子なので、放っておいても勉強ができるようになる」
と言っているのと同じです。

 さらに同じ文脈で読むと、
 最終学歴が日本で言うところの中学卒業程度(13〜14歳)であっても、たくさんの本に囲まれて育った人は、大人になってからの読み書き能力、算数、IT能力が、本がほぼない家で育った大卒の人と同程度(どちらも全体の平均程度)だということが分かった。
も、
「最終学歴が中卒程度でもIQの高い親の元に生まれた人は、IQの低い両親のもとに生まれた大卒の人と、大人になってからの能力は同程度だ」
という何の変哲もない話になってしまいます。


【研究者は努力をムダにしない】
 研究者というのは研究によって暮らしを立てています。研究をしないと食っていけないのです。
 したがって一生懸命仕事に取り組んではいるのですが、しばしば見通しをはずすこともあります。大変な手間と時間をかけて続けてきた研究が的外れなことがあるのです。

 よほど不誠実でない限り自然科学の研究者の場合は黙って引き下がるところですが、社会科学は違います。どうせ追試なんかしないからとタカをくくって的外れ内な結論を押し通したり、仮説そのものを書き換えてあたかも最初からそう予想してかのような平気な顔で提出したりする人もそこそこいるのです。
 私はそうした研究論文を数多く見てきました。


 こんな話を聞いたことがあります。

 昔、ある昆虫学者がバッタをしつけて、手を叩くとジャンプするようにした。
そうしておいて残酷なことに、足をむしり取ってもジャンプをするかを調べることにしたのだ。
 6本の足のうち二本を取って手を叩くと、バッタはジャンプした。
さらに二本取って手を叩くと、可愛そうにバッタは残った二本の足で必死にジャンプしようとした。
 最後に全部の足を取って手を叩いたが、むろんバッタはジャンプしなかった。
 そこで昆虫学者は論文にこう書いた。
「バッタはすべての足を取り去ると、耳が聞こえなくなる」


           (「童話2000」より「アナライザー」

 一流大学の研究者が言ったからといってそのまま信じてはいけない、少なくとも「日本はだめだ」という話は調べてみる価値がある、そういうことです。





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2018/10/29

「この国が負けるわけがない」〜「日本はだめだ」という話は調べてみる価値がある1  教育・学校・教師


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(マイルズ・バーケット・フォスター 「羊飼い」)
 
 若いころの私はかなりのコスモポリタンで世界平和ためなら日本一国滅びても構わないとさえ思っていたのですが、長じて世間をよく知るようになってからはその反動で、しばしばギンギンの民族主義者のような考え方をするようになっています。
 マスメディアやネットの中に「だから日本はダメなんだ」とか「これほど日本は劣っている」といった記事を発見すると反射的に調べて、年中噛みついているのです(莫大なネット社会の片隅で)。


【「日本はだめだ」と言われたら調べてみる価値がある】
 ほんの10年くらい前まではあっちでもこっちでも、新聞でもテレビでも、自国を揶揄するのが知識人の仕事でしたから私も噛みつきがいがあったのですが、2011年の東日本大震災以来、風向きはすっかり変わって「日本のここが素晴らしい」「世界が愛する日本」みたいな礼賛ばかりで、私もすっかり出番を失った感じでした。
 もっとも礼賛も外国人旅行客にマイクを向け「日本のどこが素晴らしいですか」と訊ねたり、わざわざ海外まで行って外国人を連れてきて「日本のここがすごい」と言わせたりするのを見ると、「世界一不躾な(メディアを持っている)国、日本」みたいでそれはそれで噛みつく必要もあるのですが、そんな中でも稀に、巧みに隠して「日本人はダメだ」みたいに言っている報道があると、やはり血がたぎって一応調べなければ気が済まなくなります。

 先週気になったは、ニューズウィーク日本版にあった「子どもの時に、自宅に紙の本が何冊あったかが一生を左右する」という記事です。


【子どもの時に、自宅に紙の本が何冊あったかが一生を左右する】
 これは本来、日本を悪く言うような内容ではなく、かいつまんでお話しすると、
31か国、16万人を対象に行われた調査で、16歳の時に家に本が何冊あったかが、大人になってからの読み書き能力、数学の基礎知識、ITスキルの高さに比例することが明らかになった
というものです。

 調査を行ったのは、オーストラリア国立大学と米ネバダ大学の研究者たちで、
 16歳の時に自宅に何冊本があったか、と参加者に質問。その後、読み書き能力、数字、情報通信技術(ICT)のテストを受けてもらった。
とあります。

 その結果、本がほぼない家庭で育った場合、読み書きや算数の能力が平均より低かった。自宅にあった本の数とテストの結果は比例し、テストが平均的な点数になるのは自宅に80冊ほどあった場合だった。ただし350冊以上になると、本の数とテスト結果に大きな関係性はみられなくなったという。

 80冊だとか350冊といった具体的な数は別にして、家の蔵書と子どもの知性に相関関係あるだろうということは経験から予想できることですし、何千冊もあればそれだけ知性の高まるというものではないだろうことも容易に想像できます。
 しかしそうした研究成果を紹介した上で最後の方に――、
 この調査では16歳の時にどれだけ書籍が自宅にあったかを国別のランキングも出している。
(中略)
 日本は平均102冊で、世界全体の平均を含む18カ国・地域のランキングで14位だった。世界全体の平均は115冊。
 ここで私はイラっとするのです。

 自宅にあった本の数とテストの結果は比例し
と記しておいて、
 日本は平均102冊で、世界全体の平均を含む18カ国・地域のランキングで14位だった。世界全体の平均は115冊。
と並べると、日本人の知性(ここでは読み書き能力、数学の基礎知識、ITスキルの高さに)は平均以下と言っているのと同じじゃないか、そう感じるのです。ですよね?

 たしかに日本人の読書離れが言われて久しく実際に蔵書数も減っていることと思いますが(102冊でも多すぎるくらい)、それにしても日本人の知性が世界平均より劣り、アメリカの後塵を拝するなんてことがあっていいはずがありません。
 別にアメリカ人がバカだというつもりではありませんが、多民族国家で貧富の差も大きく、国語(英語)ですら満足にしゃべれない人を大量に抱えている国が、日本より読み書き計算、IT能力が上であるはずはないのです。

 そこでふと気になったのが、31の国と地域で、25〜65歳の16万人を対象に行われたという調査規模の大きさです。16万人のアンケートを取った上でテストまでしてしてもらうわけですから尋常な手間と資金ではありません。一流とはいえたった二つの大学で可能なものではないはずです。

                               (この稿、続く)


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2018/10/28

「更新しました」〜とんでもないインフレいじめ報告を信じない  教育・学校・教師



「キース・アウト」

2018.10.27
いじめ認知41万件に=最多更新、小学低学年で急増−17年度問題行動調査・文科省

 PC版 →http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2018/kieth1810b.htm#i2

 スマホ版→http://www5a.biglobe.ne.jp/~superT/kiethout2018/kieth1810sh.htm#i2





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