2018/9/29

「更新しました」〜学校の”いじめ”、多すぎてもゼロでもいけない不思議  教育・学校・教師



「キース・アウト」

いじめの認知「0件」の小中学校、定義の理解不十分な学校も 長野県教委の調査

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2018/9/28

「何度でも思い出して、何度でも頑張る」〜9月最後の週日に  教育・学校・教師


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(マイルズ・バーケット・フォスター「収穫の時」)

 9月の週日も今日で最後、土日休みを挟んで登校するともう10月です。学校や官公庁・企業にとって10月1日は特別の日で、この日からそれぞれの活動は「下半期」に入るわけです。

 新入社員・新任公務員もまさかこの時期に至っても“新人面”しているわけにはいかないでしょう。半年たっても一応の仕事ができないようでは一生できないかもしれません。

 小中高校生・その他学生はもっと深刻です。なにしろその学年を折り返してしまうわけですから、ウカウカあと半年を過ごしてしまうとその学年は「なかった」みたいになってしまいます。

 高校生以上だとあまり効かないかもしれませんが、小中学生、とくに小学生の場合だと例えば、
「ねえ、4年生がもう半分終わっちゃったんだけど、このまま5年生になっていいんだろうか?」
と言えば案外通用するものです。
 子どもたちはそれぞれの学年に誇りを持っていますから、その学年にふさわしい自分にならずに終わるのは嫌なのです。

 ただ、そんなふうに脅して放り出すのも気の毒ですから、その学年にふさわしい子どもに育つ方法も教えておかなくてはなりません。そこで都合がいいのが四月に書いた「〇年生の目標」です。
 新しい学年になったときに新鮮な気持ちで真剣に書いた目標ですので、その子にとって大切なことが記されている場合が多いのです。

 目標を立てて毎回きちんと達成できる子は多くありません。というよりほとんどの子が達成できない。なぜなら彼らが子どもだから。

 だから達成できていなくてもいいけど、大切なのはそのつど思い出して何度でも挑戦すること、そんなふうに励ましていきたいものです。



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2018/9/27

「更新しました」〜世界大学ランキング報道にウンザリ  教育・学校・教師


「キース・アウト」

2018.09.27
アジアの大学、中国が初首位=清華大22位、東大は42位−英教育誌番付

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2018/9/27

「あの人は大丈夫なのか」〜今日はちょっと八つ当たり  教育・学校・教師


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(エンリケ・シモネ「エルサレム入場」)

 私は齢も歳ですからあまり激しく感情をゆすぶられるということはないのですが、それでも年に数回、イライラして自分でも手を焼くことがあります。
 世の中が理解できないからです。

 私は私たちのつくった世界がいつでも子どもたちに説明可能なものであってほしいと願っています。子どもから問われて返事に窮するようなものであっては困るのです。

 あの、頭に黒電話を載せたような変ちくりんな近隣の独裁者が、核とミサイルを放棄したらほんとうに普通の国の元首と同じようにつき合わなければいけないのか?
とか、
 あの、隣の巨大国家のプーさんは自国の道徳と対外的道徳を使い分けて、自由主義(貿易)の守護神のように言ってるけど、それでいいわけ?
とか、
 あの、自国の経済が相当にヤバイのに、国際平和のためとか言って黒電話の伝書鳩をやっている近隣の大統領は大丈夫?
とか 

 基本的に私の生活とは関わらない事ですが、こんな不条理がまかり通る世界で、子どもたちの前に立っている先生方はほんとうに大変だな、と思ったりもするわけです。
 そこで今日は、私が心配したところでどうにもならない話について書いておきます(←どういう流れだ?)。


【貴乃花光司】
 貴乃花親方が引退届だか廃業届だかを出したということでメディアは騒然としています。
 細かな事情は分かりませんし問題自体には興味がないのですが、貴乃花親方という人物には関心があってしばしば思い悩むことがあります。

 それは一つには、
 なぜこの人はこうまで頑固なのかということです。
 そして、
 なぜこの人は直接人と話すのを避け、常に文書でやり取りをするのかということ、
 そして最後に、
 なぜこの人はかくも孤独なのかという問題です。

 昔から世の中には頑固な人間というのがいます。よく言えば信念の人、一徹な人。
 貴乃花親方という人はその権化で、頑固だからこそあの厳しい稽古に耐え、頑固だから先代貴乃花の息子という重圧も押しのけ、大きなけがにも耐えて平成の大横綱となることができました。そして頑固だからできた引退後のダイエット。
 げっそり痩せて現れた時には、大病をしたのではないかと思わせるような妖気すら感じました。

 決心したら絶対に譲らない、思い込んだら一寸たりとも揺るがない、そのすさまじさは周囲の者を怖れさせずにおかなかったに違いありません。なぜなら誰もそんなものを見たことはないからです。
 この人は私たちとは別の世界に生きていて別の思考経路で物事を判断する、そんな気にさせられます。

 おそらく相撲に関して普通の意味での会話は通用しない。口下手というより価値観自体に違いがあって常人には到底理解できない。文書でなければやり取りできないのは、すでに普通の口語の通用しない別世界にいるからで、いちいち目で確認しないと落ち着かないのかもしれません。

 けれど普通の人間関係はそれでは成り立ちませんよね。世の中は文書ですべてを表せるほど整然としたものではありませんし、曖昧なものが山ほどあって“なあなあ”に済ませないとニッチもサッチも行かない場合が多いのです。特に角界のように長い歴史をもったところや、いちいち旗色をはっきりさせたらギスギスしてやりきれない家庭などはそうです。

 兄が去り、母が去り、仲間の親方衆が去り、今は夫人とも疎遠になっていると言います。この昭和の孤高の巨人を、誰かが守ってやらなければどこに行ってしまうか分からない、そんな気さえしてきました。

 しかしこの人には狂信的なファンがいくらでもいます。親方のやることならなんでも正しいと妄信する人たちです。
 私には理解できませんが、そうした危うさが、人をひきつけてやまないのでしょうね。
 この人たちがきっと助けてくれるはずです。


【ドナルド・トランプ】
 いよいよ正体が見えてきたというより、最初から見えていたものが全部だと知れてきた、そんな感じです。
 一時はワイドショウのコメンテーターも「ディールの天才であるトランプ氏のことですから」と言っていたのが、いまは「ディールの天才を自称するトランプ氏のことですから」と言い方を変えてきています。

 ホワイトハウスの実態も、ボブ・ウッドワードの著書に(「恐怖:ホワイトハウスのトランプ」)に書かれている通りなのでしょう。側近たちもウンザリしていますが辞任したりクビになったりすれば他の誰かがその位置に立たざるを得ず、後任が曲りなりにもうまくやってくれればいいのですがそれが期待できない以上、多少の恥は忍んでも自分がやるしかない、そんなふうに思って頑張っているのかもしれません。
 しかし国連総会で失笑が漏れるようでは限界です。

 ここまでくると様々な人が思い詰め始めます。
 海外ではイランがはらわたを煮え繰り返していますし国連の援助をカットされたパレスチナの人々も激高しています。習近平さんもイライラしてますし、プーチンさんも手を焼いている。
 直接暗殺者を送り込むことはないにしても、マクロンさんもメルケル小母さんも情報がちょこっと洩れるくらいならいいかな? くらいは思うかもしれません。
 しかしもっとも深刻に考えているのはやはりアメリカの旧支配層でしょう。そして愛国者。

 トランプ大統領は本気で暗殺を怖れていると言いますが、家族だって怪しい状況です。


【平尾昌晃】

 健康不安のあるひとでしたからやはり70歳を過ぎたら身辺をきちんとしておくべきでした。
 貧乏な老人同士が寂しいから結婚するというのはいいにしても、金持ちは財産目的を疑われるような結婚はしてはいけません。
 平尾昌晃さんしかり、和歌山のドン・ファンしかり。
 加藤茶の奥さんだって相当しっかりやっているみたいですが未だに疑いの目で見られています。
 好きな女性がいるなら前もって現金で、妥当な額を渡しておくべきです。何十億円もただ置き去りにして逝ってはいけません。

 私のところでは先日、91歳の母を説得して全財産を開示させ、弟と確認し合いました。母に万が一のことがあった時、それを半分こすればいいだけのことです。知らないとどこに暗鬼が現れて跋扈するか分からないからです。
 相続争いも、せいぜいが、
「兄貴のヤツ、オレが買ってやった新しいヤカンを持って行っちまった」
 くらいにしておきたいものです。

 以上、つまらない話でした。





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2018/9/26

「50年目の恩返し」〜情けは人のためならず  いいこと


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(ウイリアム・マクタガート「春」)

 ウェブサイトをあちこちめぐり歩くことを昔はネット・サーフィンとか言いましたが、今は何というのでしょう? いずれにしろ私はそういうことをしないのですが、ニュースや解説記事、時事問題に関するコラムなどはよく読みます。

 そして時々心から“この話いいなあ”と思って記録に残したり紹介したい気持ちになるのですが、記事をまとめるのが苦手というか面倒くさくて、たいていはWordにコピペで張り付け、ドキュメント・ファイルに投げ込んで終わりになってしまいます。
 いつかまた見るだろうと思いながら、結局読み直すことなどないのですが、今日は記事ネタがないのと、何かとても心優しい気分になれたのでもう一度引き出して、ひとつ紹介しておこうと思います。

 それは日本経済新聞と日経BPが共同運営する「NIKKEI STYLE」というサイトにあった「人見知り少女が折れない官僚へ〜村木氏育んだ土佐中高 村木厚子・元厚生労働事務次官が語る」という記事です。


【村木厚子さんのこと】
 村木厚子さんと言えば厚生労働省の課長時代に大きなえん罪事件に巻き込まれ、嫌疑が晴れたのちは復職して最後は事務次官にまで上り詰めた有名な女性です。厚労省の女性事務次官は16年ぶり二人目という快挙でした。

 「NIKKEI STYLE」の記事全体は彼女の卒業した私立土佐中学校・土佐高校の自由な校風、個性的な教師、そして同級生たちの間で、極度に人見知りな少女(村木さん)が静かにゆっくりと人間関係の基礎を育んでいく様子を描いたものですが、その後編「家事の基礎も習得 自立促した土佐中高の楽しい授業 村木厚子・元厚生労働事務次官が語る(下)」に私の心が動かされた美しい逸話があったのです。
 それは次のようなものです。


【50年前のできごと】
 私立土佐中学校高校時代の村木厚子さんはまったく冴えない人見知りの少女で、
 席替えで初めて隣の席になった子にあいさつができない。「明日学校に行ったら『おはよう』って言ってみよう」と家を出て、けっきょく言えずに終わる。そうこうするうちに次の席替えになっちゃう。
 そんな子でした。
 同級生に「西村(村木氏の旧姓)さん、声たてて笑うことあるんだ」と言われたこともあります。いかに発語していなかったのか。重症ですよね。

 席替えは担任の教師が強制的に決めてしまうので隣の席が空くということはなかったのですが、一度だけ「今日は自由に決めていい」ということがあって村木さんは困ってしまいます。
 女子が少なかったので、女の子同士で隣に座ってはいけない、とのこと。そうなると、隣に座ってくれる男の子を見つけなきゃいけないですよね。私は誰とも口はきかないし、みんな苦手だったから、もう自分はどうなるのかな、と思って。

 そしてここからがいいのです。
 その時、私の隣に座ってくれた男の子がいました。小村君くんという子なんですけど、勉強はすごく良くできるし、バドミントン部だったかな? スポーツも万能の、学級委員長でした。彼が私の隣に座ったのをみて「あ、学級委員長が責任取ってくれたのね」と思いました。
 私はこのしれっとした言い方がとても気に入りました。

 責任を取ったとしても小村君はそんなに重苦しく、勇気を奮ってイヤイヤ座ったわけではない。村木少女(ほんとうは当時は西村)も学級長に責任で隣に座ってもらって卑屈な気持ちになったわけではない、ほっとはしたがものすごく感謝をしたわけでもない――前後の文章のせいもあるかもしれませんがそんなふうに思えるのです。
 ある程度あたりまえのことが起こった――。校風も仲間の雰囲気も、きっとそうなんでしょうね。


【50年後のこと】
 それから50年後、厚労省を退官した村木さんはあちこちから引き合いのある中で、母校の土佐高校からも理事を頼まれます。そのとき言われた言葉が、
「実は次の校長は小村君だ。小村君を助けてやってくれ」

 そうです。村木さんの隣に座ってくれた小村君は大学を卒業したあと母校の教師となり、その時は教頭職にあったのです。
 村木さんは、
 もう絶対断れないですよね。校是が「報恩感謝」なのですが、50年近く前のご恩をようやくここで返せるんだ、と思いました。ほんとに世の中ってよくできていますよね。

「情けは人のためならず」と言いますが、ほんとに世の中よくできています。恩を施せば必ずいつか返ってきますし、恩を覚えていれば必ず返す機会は巡ってくるということです。

 今の私には影響の与えられる子どもは孫のハーヴくらいしかいませんが、50年後に返してもらえるような善きことを、隣の冴えない女の子に自然にしてあげられる子に育ってもらいたいものです。

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2018/9/25

「誰もが誰をも訴える、何を言ってもダメ」〜パワハラと指導の狭間で(最終)  教育・学校・教師


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(グスタフ・クリムト 「生命の樹」)

【カエサルのものはカエサルに】
 いわゆる財務省官僚セクハラ事件に際して、麻生副総理が「セクハラ罪という罪ないですよね」と発言して顰蹙を買いましたが、「だから本人が否定している以上、この先は話し合いか裁判になるしかない」というのは一つの見識かと思いました。セクハラという曖昧な概念に包み込んだままマスコミやネット世論で叩いていた方がいい、というのは私刑の論理だと思うのです。

 セクハラの一部は確実に刑法上の問題意を抱えていますからとりあえずそうしたものについては「強制わいせつ罪」や「名誉毀損罪」「侮辱罪」等で対応し、さらに「不法行為による損害賠償」「財産以外の損害の賠償」等々を根拠に賠償請求などを行うよう支援していけばいいのです。財務官僚の事件もは少なくとも「名誉毀損罪」や「侮辱罪」が考慮できたはずです。
 そして法律の枠に収まり切らない内容に関しては、別に考えればいい。

 パワハラ問題も同じです。
 女子体操の速見コーチの問題はパワハラか否かといった議論をする前に、とりあえず暴行罪に関わるものとして告発されるべきでした。
 公衆の面前で暴行が繰り返され、協会の指導にも従わなかった、しかし被害者である宮川選手に告訴したり被害届を出したりする意思がないので、協会として無期資格停止の処分にした、というのはかなり分かり易い論理です。
 これだと「あなたこそパワハラです」みたいな話にはなりません。処分が重すぎるかどうかは事実関係を辿って対照すればいいだけのことです。

 ついでですが、体罰問題もいじめ問題も、本来は刑法的な判断をすべき部分まで大きく呑み込んでしまうから難しくなる、と私は感じています。
 “体罰”という言葉を使わず 、“暴力”と言うだけで問題の半分以上は片付いてしまいます。
 教育的配慮がどうのこうの、愛情がどうのこうのといった面倒な問題がなくなって、ずっと分かり易くなるのです。「体罰の是非」は今でもときどき話題になったりしますが、「暴力は是か非か」などと誰も言わないでしょう?

 いじめも一部は恐喝ですから恐喝事件として処理すればすっきりします。そもそも“いじめ”という曖昧で大きすぎる枠で考えるから難しいのであって、“恐喝”と思えば「なぜやめられないのか」とか「なぜ被害者は標的になったのか」とかはほとんど問題にならなくなります。とても分かり易く、対処もし易いものです。
 もちろん恐喝におさまらない“いじめ”もありますから、それは別に考えます。


【誰もが誰をも訴える、何を言ってもダメ】――とならないように
 話をパワハラに戻して、
 それでは広く大きなパワハラの概念から、刑法に抵触しそうな内容を抜いてしまうとあとに何が残るか――。

 それを厚労省の6類型から拾い出すと、
「酷い暴言」「仲間外し」「無視」「業務上明らかに不要なことや遂行不可能なことの強制、仕事の妨害」「能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと」「私的なことに過度に立ち入ること」など、いずれも程度の問題だったり被害者の意識に関わるものであることが分かります。
 こうした、いわば主観主義的なルールないしは規範は扱い方を間違えると大変なことになります。

 例えば一昔前ならほとんどおバカな年寄の自慢話としか聞こえない「あのコーチは駄目、だからあなたは伸びない。伸びないのはコーチのせい。私なら速見の100倍は教えられる」といった話も、言った人間と言われた人間、そして状況次第では組織を永久追放になりかねない大問題となってしまうからです。

「お母さんが入院されていたそうだけど、どう?」
が、部下を心配する優しい上司の声かけなのか、私的なことに過度に立ち入るハラスメントなのかは気を遣うところです。
 仕事を渡すとき、それが部下にとって「明らかに遂行不能なこと」なのか逆に「程度の低すぎる仕事なのか」、常に神経をすり減らさなければならない職場は不健康です。
 突然舞い込んできた仕事を部下に渡すのは、彼がやっている現在の「仕事の妨害」になるかもしれない、そう考えると何もかも自分でやらなくてはならなくなる。

「パワハラはなくさなくてはいけない」はもちろんですが、みんながみんな神経質にそれを守ろうとしたら正義は幸せをもたらしません。


 ちなみに今朝のネットニュースにこんなのがありました。
風呂の湯量巡り父娘殴り合い 暴行容疑で元警察官逮捕

 つまらないことから殴り合いになった父娘の娘の方が「DVをされた」と通報したところ、ふたりとも逮捕されてしまったという話です。
 相手が男性でしかも父親(権力者)だからこちらがやり返してもDVになる、そう考えた女性の判断がいかにも現代的です。しかし警察は
「2人がさらなる暴行に及ぶ可能性があるとして逮捕した」
“60歳と28歳の殴り合いは単なる相互の暴行だ”とした警察の判断はやはり常識的なものでしょう。
 弱者は何をやってもいい、力がある者はなにをやってもダメということはないのです。


 いずれハラスメントの概念もかたまり、意識しなくても互いを尊重し合える時代が来ます。それまでの過渡期、何もかもハラスメントと糾弾することは控え、一つひとつ吟味しながら進めることが大事だと思うのです。

                         (この稿、終了)



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