2018/8/22

「更新しました」〜ありもしない欧米を引き合いに、日本を貶めるな  政治・社会・文化



「キース・アウト」
2018.08.22
「ドイツ人は残業しない」説の大いなる誤解 みんなが休暇1カ月取っても回る本当の意味


 
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2018/8/22

「シーナの杞憂」〜ウチの臆病者とアインシュタイン 3  教育・学校・教師


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 今回帰省した際、娘のシーナが面白いことを言い出しました。それは10年も前のできごとです。
「私が高校時代に東大か医学部を受験したいといったとき、お父さんよく止めなかったね」

 その答えは簡単です。
「『オマエにはムリだ』とか『受かるはずがない』とか言って親子関係を悪くするまでもなく、放っておいても遠からず諦めるに決まっていると思っていたから」


【神の領域】
 教員の子はかわいそうだなと思うことのひとつは、かなり早い段階から見極められてしまうことです。子どもの限界が見えてしまうので無謀な期待をかけてもらえない、一緒に壮大な夢を見ることもありません。

 東大や医学部の受験は私にとって神の領域にあり、わが子の手の届くものではないと思ったのです。なにしろ30年も教員をやってきて教え子の中から東大に進んだ子は皆無、医学部はわずか1名です。妻も同様で東大1名、医学部1名。そのくらい東大と医学部の受験は大変なのです。

 私が子どものころは公立全盛で、田舎からも結構な数の東大生や医大生が出ましたから、同窓生には東大も医学部も、それどころか東大医学部という本物の神の領域に足を踏み入れた友人もいました(2011/04/14天才たちの世界)。しかし彼らの頭の良さは今考えても並大抵のものではありませんでした。
 高校入試が9科目のころで私たちが750点を目指している必死に頑張っているというのに、彼は飄々と870点以上を取るのです。4〜5科目で満点を取らないと届く点数ではありません。しかも勉強している様子がほとんどない。正真正銘の頭の良さで、どうやら授業中にすべての力をつけてしまっていたようです。


【努力では追い付かない】
 シーナは大変な努力家で、当時は「努力で手に入らないものは何もない」と思っていましたからそれで東大だの医学部だのといった話になったのでしょう。 しかしオリンピックに出場するとか関取になるとか、プロの棋士になるとか宇宙飛行士になるとか、努力だけでは不可能な世界はいくらでもあります。
 東大や医学部というのはそうした範疇にあるのです。

 今は「地頭(じあたま)」という便利な概念があってそれで説明できますが、要するに生まれながらの並外れた記憶力とか計算力とかをもっていないと出発点にも立てません。異常に優れた脳をもった人たちが異常な努力をして(あるいは普通の努力で)、はじめて入れるのが東大および医学部なのです。
 だからたいていの人は最初から考えたりしませんし、シーナのように頭をかすめても、実際に挑戦し始めるとすぐに思い知ることになるのです。案の定シーナも二度と同じことを口にしませんでした。
 それでいいのです。異常な脳を持たない者が東大や医学部を目指すのは不幸ですし、進学できたからと言って幸せになれるわけではないのですから。


【しかしそれで幸せなわけでもない】

 もちろん合格したその日は幸せでしょう。しかし一歩大学の中に足を踏み入れれば、そこには天才や秀才がウジャウジャいるのです。超難関大学ブランドは学外では通用するものの構内で「オレは東大だ」「オレは医学部だ」と自慢する人は一人もいません。みんな東大だったり医学部だったりしますから(ただし東大医学部だけは別かもしれませんが)。

 それどころか昨日までの田舎のトップエリートでもてはやされた生徒が、そこでは平凡な学生あるいは底辺の学生になってしまうのです。プライドもクソもありません。
 もちろんそこでも勝ち抜く人はいます。けれど学力で競争し散る限り、いつか敗れる日が来ます。たったひとり(主席卒業者)を除けばあとは全員敗者です。

 シーナは東大にも医学部にも進学せず、それどころか超難関校の姿も見えない遥か手前で道を逸れて普通の学校に進み、普通の就職をし、人よりは少し早く結婚をして母親になりました。ました。そして臆病者のハーヴとともに今は幸せに暮らしています。

 それは私も望んだ娘の生活です。遺伝的にも可能性はほとんどありませんでしたが、それでも自分の子が東大だの医学部だといった話になったらきっと気が重かったに違いありません。そうなれば、
「東大を出ておられるんですから(結婚の)お相手もそれなりの人でなければ」とか、
「東大を出てこんな仕事をされることはないと思うのですが」とか、
世間は勝手に将来を狭めてしまうのが常です。それは気楽なことではありませんし、自由でもありません。
 東大や医学部ごときで、そんな不自由を背負うことはないのです。

 ただしこうも考えます。万が一、突然変異か何かによって自分の子がアインシュタインの脳を持って生まれてきていたら――。
 これは話が違ってきます。そうなるとわが子はわが子であって、わが子ではありません。世界の子、歴史の子ですから私の全財産と全エネルギーをかけて大切にお育て申し上げ、社会と人類と歴史のために働いてもらうしかないでしょう。

 幸いシーナもアキュラも、いまだに私の子です。


                               (この稿、終了)


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