2018/6/27
「娘を生贄に捧げるとき」〜目黒女児虐待死事件よりB 親子・家族

ウサギを三羽飼っていたことについてはこのブログで何回かお話ししました。
好きで飼っていたのではありません。よんどころない事情で我が家にやってきたので面倒を見ていただけです。それでも先日、そのうちの一羽が死んだ時は少し悲しい気がしました。
動物はどれもこれも特に好きではないのですが、ネコだけははっきり苦手です。
まだ10歳くらいの頃、泊まりに行った祖母の家で夜中に寝苦しくて目を覚ましたら、胸の上に祖母の飼いネコが座っていて、目の前20pくらいのところでじっと私を見ていたのです。それでビビっていまだにいやなのです。
しかしだからと言ってそれでネコをいたぶるとか殴るとかいったことをするわけではありません。私自身がしないばかりか、誰かがそれをしているとしたら、それを見るのもいやです。嫌いであることと虐待することとは全く違います。それはあたりまえです。
【絶対的服従】
目黒の女児虐待死事件の母親は、毒親、毒婦、鬼女、悪魔と言われていますが、まだ前夫と一緒の頃、義理の両親の家に遊びに行ったときなどは、3人仲良く、娘のことも可愛がっていたといいます。仮にそののち子どもに対する興味をうしなったとしても、それと虐待とは別でしょう。
自分のお腹を痛めて産んだ子だから可愛いはずだなどとは申しません。しかし仮にも人の子なのです。一個の命がのたうち回って死んでいこうとするとき、それを黙って見ていることができるとしたら、そこには何かの説明が必要になります。
母親はそれについて、
「自分の立場が危うくなるのを恐れ、夫に従い見て見ぬふりをした」
と説明しています。
見て見ぬふりをしなければ壮絶な暴力にさらされたということでしょうか。それとも妻であるといいう立場を心配してのことなのでしょうか。
いずれにしろ神の前に息子を差し出したアブラハムのごとく、彼女は黙って娘を生贄にしたのです。その絶対的服従は何に由来するのでしょう?
【アダルトチルドレン】
「アダルトチルドレン(AC)」という言葉は現在どの程度まで有効なのでしょうか。ネット上では今も散見しますが、ここのところ長らく耳にしない言葉です。
実は1990年代の中ごろ、この言葉を紹介した本が出た当初から「アダルトチルドレン」は揺らぎの大きな用語でした。一時は「大人になり切れない子ども」「子どもっぽい大人」と言った意味でも使われましたが、現在は「機能不全家庭で育ったことによるトラウマを抱えた子どもが、そのまま大人になった」――という考え方、現象、またはその人を指すことになっています。
しかし家庭問題に限らず、幼少期に追ったトラウマを抱えたまま大人になる例はいくらでもあるわけで、その意味で「アダルトチルドレン(大人になった子ども)」とあえて言う必要もなく、だからこの用語が廃ったという側面もあるのかもしれません。
私も「アダルトチルドレン」が輸入されブームになったころには一時期夢中になって調べたものですが、今はまったく使うことがありません。もうほとんど忘れかかった言葉です。
ただしそれでも気になるのは、「アダルトチルドレン」という概念がつくられた経緯について深く思うことがあるからです。
【あの人たちは似ている】
それは1970年代、アメリカのアルコール中毒治療院での話です。
ある時期からそこに勤める看護師たちが不思議な事実に気づき始めたのです。それは患者に付き添って来院するアル中患者の妻や娘たちが、それぞれ生まれも育ちも違うのに見た感じがそっくりだということです。
どの女性たちも控えめで献身的で、どこか自信なげで自己否定的、総じて考え方がネガティブなのです。さらに話を聞いていくと、ほとんどがアルコール中毒患者の親の元に生まれ悲惨な成育歴を持っているのです。つまり妻たちはあれほど苦労させられた父と同じタイプの男性を配偶者としており、その娘たちもまた、似たような男と結婚しているのです。
この認識はやがてケースワーカーの間で共有され、似たような性格を持つ家族は「Adult Children of Alcoholics(アルコール依存症の親の元で育ち、成人した人々)」と呼ばれるようになります。
さらにその後、研究者によって単にアルコール中毒患者の家族だけでなく、機能不全家庭(内部に対立や不法行為、DV、虐待などが恒常的に存在する家庭)で育った子どもにも、同様に特徴が認められると考えられるようになります。
【だめんず・うぉ〜か〜】
それを「アダルトチルドレン」と呼ぶかどうかは別として、アルコール中毒に限らず、どう見てもロクでもない男に好んで近づいていく女性たちのいることを、私たちは知っています。
古いところでは演歌の中に「悪い男に無性に魅かれる女性」という構図が出てきます。「悪い男とひとは言うけど・・・」といやつです。
比較的新しいところでは評判になったマンガ『だめんず・うぉ〜か〜』に登場する「ダメ男(だめんず)」の大部分はロクでもない男か悪人です。
また、実体験としても、そうした関係をいくつも見てきました。
余談ですが若いころの私は“いつまでも結婚できない男”のひとりでしたので、「ロクでもない男と従順な妻」という組み合わせにはずいぶんと首を傾げたものです。私も大したことはありませんが「アイツよりはマシ」、そんなふうに思っていたのです。
なぜ私を差し置いて、あんなつまらない男が美女を手に入れることができるのか、あんな悪い男の周辺にウブな女性が絶えないのか、それは大きな謎でした。
「アダルトチルドレン」は、目黒女児虐待死事件の母親を説明するのに都合がいい概念です。彼女が「だめんず・うぉ〜か〜」であったかどうかは分かりませんが、今回亡くなった娘を二十歳のときに産んで、わずか2年後には現在の夫と再婚しているのですから、常に男性の近くに貼りついていなければ生きて行けない女性だったのかもしれません。
今の夫はロクでもない人間ですが、前夫についても、現在は実家で出入り禁止となっているそうですから、かなり難しい人だったのでしょう。
しかし実際にどういう育ちをしてきた、どんな女性なのか――。普段は詮索好きで人の気持ちなどお構いなしにズカズカと入り込んで報道するマスメディアが、今回に限って、彼女の経歴や周辺取材の結果を出さないのは、むしろ暗示的でもあります。あえて報道しないか報道できない――。
しかしその部分をしっかりと分析しなければ、この種の児童虐待は根本的な解決どころか、そのとば口にさえ立つことはできません。
【娘を生贄に捧げるとき】
目黒虐待事件は基本的に、妻を殴ったりいたぶったりする代わりに連れ子に暴力をふるった変種のDVです。それによって自己の優越性や自己効力感、万能感、あるいは生活そのものを手に入れようとする卑劣な男の仕業です。
ところが妻の方は破れ鍋に綴じ蓋、そんな悪魔の要求に果てしなく従順になれる女性、そうなるべく育ってきた人なのです。
依存的で自己肯定感が低く、自立性に欠け、男にすがって生きるしか生きるすべをもたない女性。
先ほどの証言をもう一度引用すると、
「自分の立場が危うくなるのを恐れ、夫に従い見て見ぬふりをした」
そう生きるべく運命づけられた女性なのです。
その最期のとき、
「もうご飯を食べられない」
と呟く5歳の娘の口に食事を運びながら、母親は涙も出さない無表情でその時間に耐えていたに違いありません。
何に耐えるのか、何のために耐えるのか――何も分からないまま耐えることには子どもの頃から慣れていました。

2018/6/26
「アパートの片隅のイサクの犠牲」〜目黒女児虐待死事件よりA 政治・社会・文化

(カラヴァッジョ 「イサクの犠牲」)
【続報】
東京目黒区の女児虐待死事件についてはやはり衝撃が大きかったこともあり、いまだに続報が絶えません。先週末にあったのは次ような話です。
「もうご飯を食べられない」。捜査関係者によると、結愛ちゃんは3月2日に死亡する数日前、食事を与えようとした母親の優里容疑者(25)(保護責任者遺棄致死容疑で逮捕)に弱々しく話したという。
(2018.06.21「衰弱女児『もうご飯食べられない』…死亡数日前」読売新聞 )
ほんとうにやりきれない話です。この唾棄すべき夫婦に対する非難の声はマスメディアにもネット上にも無数にありますから、それにそれに重ねて言うほどの何事もないのですが、この『食事を与えようとした母親に「もうご飯を食べられない」と弱々しく話した』という状況を想像すると、何か荒涼とした風景をみるような暗澹たる思いに駆られます。母親はどんな表情で、どんな気持ちで食事を与えようとしていたのでしょうか。
もちろん食べさせようとしていたわけですから暴力をふるっている最中の怒りとか憎しみの表情ではなかったはずです。しかし同時に、そこには慈しみとか優しさとか、あるいは哀しみとか切なさとかは一切ありません。あれば抱き上げて病院に走っているはずです。
憤怒も憎悪も慈愛も優しさもない。すると残るのは砂のような無表情だけです。冷淡すらない――。
なぜ母親はそんな無表情で、体の弱った5歳の子に食事を与えていたのか。
それは彼女が心を閉ざしてしまったからです。何かを感じる力を失って無表情になり、何も感じず、何も考えず、しかし子どもに食事を与えるのは母親の義務ですから機械仕掛けのように与えている、それがそのときの母親の姿なのです。
【この虐待は違う】
私は十日ほど前、事件に関して
たとえどんな生き物であっても子どものうちは可愛いものです。哺乳類に限れば可愛くない子どもなどひとつもいません。ましてや人間の子どもです。
そんないたいけのない存在を、殴り、蹴り、寒風に曝したり水に漬けたり、あるいは食事をさせなかったり病院に連れて行かなかったりと、どうしたらそんなことができるのでしょう。まったく理解できません。その分からなさ、おぞましさ、残虐さが、私の目を事実から背けさせます。
と書きました(2018/6/15「三つの児童虐待、地域の力」〜目黒女児虐待死事件より)。
カッとなってとか我を忘れてといった虐待なら分かるのです。先日も東京で「4歳の女児の背中に熱したフライパンを押しつけて」といった虐待事件がありましたが、容疑者の夫は「(妻は)出産後、育児で精神的に不安定だった」といった証言をしており、異常な精神状態の中で起こったことだと分かります。
しかし目黒の女児虐待死は違います。そこにあるのは激情や憤怒ではなく冷淡です。非常に落ち着いて着々と進める、暴力の連続的な過程です。
なぜそんなことができるのか?
先日の記事では「目黒のような事件を説明する論理はネット上でも『支配欲』くらいしか見つからない」といった書き方をしましたが、それで納得できたわけではありません。5歳児を自由に操って満足できるのはせいぜいが小学校低学年までです。いい年をした大人が幼児に言うことをきかせて満足しているとしたら、その人間の卑小さにため息すら出てきます。普通はまず、そんなことはありません。
だとしたらどういう支配欲なのか、何を支配したくてそんな行動をとっているのか――そう考えたとき、突然のひらめきがあって、私は児童虐待のひとつの構造を掴んだような気がしました。
目黒の父親の支配欲を満たしていたのは亡くなった5歳児ではなく、その母親なのです。
【イサクの犠牲】
今日の表紙に掲げたカラヴァッジョの「イサクの犠牲」は「イサクの燔祭(はんさい)」とも呼ばれる旧約聖書上の事件で、概要は次のようになります。
アブラハムには年老いてから生まれた子「イサク」がいました。神との約束で100歳という年齢でもうけた奇蹟の子です。
目に入れてもいたくないほど可愛がった子ですが、あるとき神はアブラハムに言われるのです。
「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして私があなたに示す一つの山で、全焼の生贄としてイサクを私に捧げなさい。」(創世記22:2)
耳を疑うような神の言葉でしたがアブラハムはすぐに従う決心をして、翌日の早朝、イサクを連れて神が示される山へと向かいます。
途中、息子のイサクは燔祭(生贄を捧げる儀式)のための羊が用意されていないのを不審に思い父アブラハムに尋ねます。しかしアブラハムは「神が備えてくださる」と答えるのみで黙々と進んでいきます。
ついに指定された場所へ着くとそこに祭壇を築き、アブラハムはイサクを縛って焚き木の上に寝かせます。そして短刀を振り上げ、今まさにイサクをほうふらんとするとき、天使が現れてアブラハムを制止するのです。
「あなたの手をその子に下してはならない。あなたが神を恐れることがよく分かった」
アブラハムは近くにいた羊をイサクの代わりの生贄として、神にささげます。
それがこの物語の終り、神は自分の命に従ってアブラハムが最愛の子どもを殺そうとするのを見て、その信仰の篤さ、絶対の服従を確認するのです。
【アパートの片隅のイサクの犠牲】
4か月前まで、目黒の小さなアパートで起きていた虐待事件の、心理劇的な側面はそういうものでした。
主人公は北海道出身で東京の大学を出た三十代前半の男。逮捕時の写真を見るとこざっぱりとした服装で顎髭を蓄え、丸メガネの似合うエリート風の優男です。
同じ大卒ならそろそろ家も購入して、安定した生活を送ろうかという時期です。美しく素直な妻と可愛い子どもが二人。悩むことと言えば順調に進んでいる来週の仕事のことか、今度の日曜日に家族でどこに遊びに行こうかといった平和な問題だけです。それが普通です――と彼は思っている。
しかしわが身の現実として、この男には何もない。職もなく満足な棲家もなく、一緒に暮らす女と言えば子持ちの出戻りで、眉を落とした見るからにヤンキー崩れの仏頂面。本来そうであるはずだった自分とはあまりにもかけ離れているのです。
この世にあって彼は何者でもない。誰も尊敬しなければ、讃えられるほどの仕事もしていない。いてもいなくても誰も困らない、単なる社会のゴミ、そんな人間です――と彼は感じている。
ただしこの男にはひとつだけ、彼の満足感を支えてくれる存在がありました。それは妻、他ならぬ自分が拾ってやった子連れの出戻り女です。
この女だけが自分に絶対的な服従を誓う、この女だけが自分の価値を認めてオレにひれ伏す、この女だけがオレのためにすべてを捧げるーー。
そして男は妻の服従の絶対性を、神のように測ろうとするのです。
「お前の愛が本物なら、オレが娘を殴っても我慢できるはずだ」
「お前が本当にオレのことを思うなら、子どもを犠牲にしてもオレに尽くすはずだ」
「お前がほんとうにオレのそばにいたいなら、娘がどんな目にあっても耐えられるはずだ」
もちろんあからさまにそう言ったわけではありません。あざといことに男は、連れ子のしつけを熱心にする義父のふりをしているのです。もちろんそれがしつけないことは母親にも分かっています。しかし逆らえない。
連れ子を虐待することで妻の絶対的服従を確認し、繰り返すことでさらにその絶対性を高めていく、それがあの冷酷な児童虐待の本質だ――。
今のところ私の心に落ちる説明はこれだけです。しかしこの仮説だけでは夫婦のあり方、とくに母親のあり方を説明することはできません。
それはそれで別の物語だからです。
(この稿、続く)

2018/6/25
「色にいろいろある」〜青と緑のウンチク 知識

【決戦の朝】
ブログ記事はいつも前日に書いて深夜の予約投稿にし、私自身は10時半に寝てしまいますので、今朝のビッグイベント、ワールドカップ、日本対セネガルについてはまだ結果を知らない状態です。
簡単に勝たせてくれる相手ではないでしょうね。
ポーランド戦などを見てるとセネガルの選手の足の速さは別格で、2点目を取ったニヤンなど、ボールを奪われたポーランド選手の目には “突然、目の前に現れた”といった感じだったかもしれません。テレビで見ていた私たちでさえもそうでしたから。
あとからVTRで見るとニヤンはエンドラインの外から入ってきたのであって、ちょっとズルいような気もしないではありませんが、それでもポーランド選手の不注意は否めないでしょう。どうしてあそこまで迂闊でいられたのか――。
もしかしたらフィールドの緑に同じ緑のユニフォームが溶け込んでいたのかもしれません。肌が目立たない黒でしかもあの速さですから、よほど注意していないと見失ってしまう、そんなこともあるのかもしれないと本気で思っていました。
【青信号はなぜ緑?】
ところで色繋がりの話なのですが、先週の金曜日のNHK「チコちゃんに叱られる」では「青信号はなぜ緑色?」という問題を扱っていました。
私は『日本では「青」と「緑」の区別が非常に曖昧だから』という答えを知っていたのでさっそく近くにいた妻にウンチクを垂れ、すぐにも分かる例をいくつか挙げようとしたのですが、呆れたことに何も浮かんで来ない――。たぶん五つや六つは覚えていたはずなのですがまるで出てこないのです。
典型的な老人性物忘れ。思い出そうとアワアワしている私の目の中で、妻の尊敬の表情はどんどん軽蔑に変わっていきました。
あとで番組で紹介されたものは「青菜」「青虫」「青りんご」「青のり」「青汁」等々、いくらでもあります。いずれも「青」と表現されているのに実態は緑色、それなのに平気で「青」を使っています。「青虫」などは言われて初めて「緑だった」と気づくくらいです。
調べると他にも「青葉」「青野菜」「青田」「青蛙」・・・。
青と緑が区別されなかったことについて番組は「日本にはもともと“色”は白・黒・赤・青しかなく、後にそこから緑が派生した」といったを説明していました。万葉集のころには植物の葉の色はすべて「青」で表現され、10世紀初頭にようやく「みずみずしい」を語源とする「緑」が現れ、平安末期から鎌倉時代にかけてようやく定着したというのです。
一応納得します。
しかし一方で、私たちは色に関してものすごく繊細で多様な「色の和名」というものがあることも知っているのです。色彩に対するいい加減さと繊細さ、それはどう整合するのでしょうか。
【色の和名】
「和色大辞典」などを見ると、無彩色である白と黒の間だけでもなんと29色もあります。「乳白色」のほか「銀鼠(ぎんねず)」「鼠(ねずみ)色」「灰色」「鉛色」「鈍色(にびいろ)」などはきっと一再ならず聞いたことがあるでしょう。
全465色、彩色の方も見ると「薄紅色」「朽葉(くちは)色」「撫子色」「柿色」「亜麻色」「瑠璃紺(るりこん)」・・・読んでいるだけで楽しくなります。
特に私が好きなのは「萌黄色」。「黄」という漢字が入るので「黄色」の仲間かと思うとそうではなく、もともと“萌えいずる葱(ネギ)の色”、つまり「萌葱色」と書いて黄緑系統の暖色を表しています。「ライムグリーン」に近い色です。
『平家物語』には平敦盛や那須与一が萌黄や萌葱匂い(萌葱色のグラデーション)の鎧を着て活躍する場面が描かれているそうですから、緑が青から離れた瞬間(平安末期から鎌倉はじめ)、色彩が一気に分化していった様子がうかがえます。
江戸時代になるとさらに別種の「萌黄色」も現れてこちらの方は緑系の色、その近くの「浅黄色」となるとむしろ青に近くなるから複雑です。
かつてあんなに鈍かった色彩に関する意識が、鎌倉時代になって急速に高まったのはなぜか――。織物が関係するようにも思いますが、分からないので改めて勉強しようと思いました。
【半分、青い】
ところで「青」や「緑」は若々しさや未成熟を表す言葉としてもよく使われます。
春の初々しさの表現は「青春」、しかし実力がないのは「青二才」。「尻が青い」というのは「青色」の持つ若々しいイメージとは無関係で、「モンゴル斑が消えていない」という意味でしょうか――。
「青々とした緑」と言えば葉の一斉に出始めたころの様子を言いますし、そのそも「青葉」というのは「若葉」と同じ意味で「新緑」を表すことが多いように思います。
「緑の黒髪」と言えば「みずみずしい美しい髪」のこと。
「赤ちゃん」はおそらく生まれてきたときの様子や湯あみをさせるとすぐに真っ赤になるところからそう言われると思いますが、幼子は同時に「嬰児(みどりご)」とも呼ばれたりします。「みずみずしい子ども」という意味でしょう。赤と緑は反対色なのに何の抵抗もなく併存するところが不思議です。
「緑のおばさん」と言えば最近さっぱり姿を見なくなった学童擁護員。「緑のたぬき」はマルちゃんのカップソバ。小池都知事は選挙の時にさかんに「緑」を振り回しましたが、「緑のおばさん」とも「緑のたぬき」とも関係なかったみたいです。もちろん今検討している「みずみずしい」という意味の「緑」とも関係ありません。
いずれにしろアフリカの「緑の軍団」、今日はどうなったのでしょうね。
*(追記)引き分けでした。

セネガルはユニフォームが白だったので不利だったかな?

2018/6/22
「チケットはないがエチケットはある」〜日本人サポーターの勝利 いいこと

(写真はイメージ)
【日本のサポーターがまたやった】
昨日のフットボールチャンネルに「日本代表サポから広がる“ゴミ拾いの輪”。ウルグアイサポも『日本人から学んだ』」【ロシアW杯】という記事が出ていました。
それによると現地時間20日に行われたワールドカップ「ウルグア・サウジアラビア戦」で試合後、ウルグアイのサポーターがゴミ拾いを行なったそうです。セネガル・ポーランド戦でも試合後、セネガルのサポーターが清掃活動を行なったといいます。
ウルグアイのサポーターは「日本人からアイデアを盗んだわけではないけど、何事も努力しなければならないことを学んだ」と語り、日本人の活動に刺激を受けたことを明かしている。
うれしいですよね。
また一昨日はBBCニュースジャパンには「【サッカーW杯】日本のサポーターがまたやった 試合後のごみ拾い」という記事もありました。
19日、W杯ロシア大会での初戦で日本代表はコロンビアを2対1で下し、南アメリカのチームに初めて勝利した。日本のファンには狂喜乱舞する十分な理由があった。
しかし日本代表がグラウンドでコロンビア代表をきれいに片付けた後、ファンも同じことをした。自分たちが座っていたスタジアムの座席を念入りに掃除し始めたのだ。
粋な書き出しです。
そしてこうした日本人サポータの姿を称賛するツイッター記事やBBCのインタビュー記事をいくつか紹介しています。
英国人のクリストファー・マケイグさんはツイッターで「今のところW杯で一番好きな場面は、日本がコロンビアに勝った後、日本のファンがごみを拾っていたこと。この試合で私たちが学べること。日本を応援する理由」と話した。
在トリニダーゴ・トバゴ・カナダ大使館のレスリー・アン・ボワッセイユさんも、「日本のファンが、W杯の試合後に座っていたところを掃除している。すばらしいお手本。なんて素晴らしい! よくやった日本」と書いた。
等々。
では日本人サポーターのこうしたお行儀の良さはいつごろから注目されるようになったのか。
実は日本が初めてサッカーワルドカップに出場した1998年のフランス大会以来なのです。つまり最初からずっとそうだったわけです。
【チケットはないがエチケットはある】
この話は私の持ちネタの中でも最も好きなもののひとつで、4年に1度ずつ、つまりワールドカップのある年ごとに書いているのですが、フランス大会では初出場ということもあって日本人サポーターが大挙して押しかけるはずだったのに、チケットが届かないという事態が発生しました。それが事の起こりです。
枚数が不足したというのではなく、さまざまな事情で送付されなかったのです。
*参考Wikipedia「1998 FIFAワールドカップ」中段「チケット問題」
それでも一縷の望みをもって渡仏したサポーターもかなりいて、かれらは現地で路頭に迷うことになります。責任を感じた開催地では急遽パブリックビューイングを用意して食事まで提供してくれたのですが、肝心の試合の方は三戦全敗。結局散々な思いで帰ってくることになります。しかしそれでも日本人です。
そんな状況にあっても日本人サポーターは対戦相手へのエールや試合前後の国際交流、会場の清掃と、マナーの面で際立った姿を見せることを忘れなかったのです。サッカー観戦は大暴れするところと心得ているヨーロッパ人には新鮮だったのでしょう。翌日の新聞に載った見出しがこうです。
「日本人、チケットはないが、エチケットはある」
【なぜそうなったのか】
サッカーにおける試合後の自主的清掃活動は新潟アルビレックスに始まるという話を聞いたことがありますが、組織的なものはそうであっても基本的には昔からそんなに汚くはなかったはずです。サッカーばかりでなく、野球場だってコンサート会場だって駅だって、普通の道路ですらごみが散乱している様子は見たことがありません。
大リーグでも大谷翔平くんは他の選手同様ダックアウトでヒマワリの種かなんかをクチャクチャやっていますが、その左手には紙コップが握られていて、噛み終えた種はそこに吐き出されます。他の選手は種どころか使った紙コップまで床に捨てているというのに――。
なぜ日本人はそうなのか。
これについては先のBBCの記事に続きがあります。
「サッカーの試合後の掃除は、学校で習った基本的な習慣の延長だ。子どもたちは教室や廊下を掃除する」と、大阪大学のスコット・ノース人間科学教授は説明する。
「幼少時代に定期的に覚えこまされることで、多くの日本人の習慣になっている」
(中略)
ノース教授は、「日本のサポーターは掃除とリサイクルの必要性を高く意識しているだけでない。W杯のようなイベントで実践することで、自分たちの生き方への誇りを形にして示し、我々とシェアしている」と指摘した。
「責任感をもって地球を守る必要性を表明するのに、W杯以上の場所はない」
もちろん日本の優秀な保護者が教えている側面も無視できません。母親たちはしばしばバッグの中にゴミを入れるための小袋を用意しています。しかし「自分の使った場所は自分できれいにするものだ」と組織的に教えているのは、幼稚園・保育園そして学校だけでしょう。
まだ物心つかない幼少期から園の掃除の真似事をさせられ、遠足の先では周囲を見回してゴミがないか確認させられる、そんな生活を15年も繰り返せば、応援席に飲み食いしたものを置いて帰る図太さはまず身につかないものです。どうしても片づけたくなる。そもそも片づけられる程度にしか物を手にしない、そうなって当然です。
【私たちがそうした日本人を育てた】
教員だったころ、私は胸を張って若い先生たちにそう言い続け、学校における清掃指導の大切さを訴えてきました。学校の清掃は、予算がなくて清掃員が雇えないから子どもにやらせているというものではありません。それは伝統的な日本式修行なのです。
お寺だって神社だって一日は清掃から始まります。柔道も剣道も、およそ「道」とつくスポーツで清掃をしない競技など考えられません。落語でも職人の世界でも、弟子が最初に教えられるのが掃除です。
日本人はすべての学びの基礎に清掃を置き、その中から真の学習は立ち上がってくると考えました。学校教育もそうした伝統の上に立ち、今、その成果を世界に知らしめているのです。
日本人サポーターが始めた試合後の清掃活動はウルグアイやセネガルのサポーターよって真似され、さらに広がり、もしかしらサッカーの世界標準となっていくかもしれません。そうなったらもう、フーリガンなど出てきようがありません。
【しかしその一方で】
ところが本家の日本は、今、そうした美風を失おうとしています。
2020年の新指導要領実施に向けて、各小学校ではプログラミング教育や英語教育の時間をどう生み出すかで必死になっています。週1授業時間(45分)の英語教育はもう日課の中に入りようがありません。そこで3分割4分割してどこかに差し込もうとするのですが、そこで狙われているのが清掃の時間です。
「掃除なんて一日おきでもいいじゃないか」という考え方は案外歴史が古くて、私も20年ほど前、視察に出かけた県外の学校の日課表の中に発見してびっくりしたことがあります。しかし実際、美しく保つということだけであれば週一回だってかまわないのです。普通の家庭だって週一回できれば十分なくらいですから。
ただしそこにはもう「清掃は修行だ」という思想のカケラもありません。
やがて小学校英語のおかげで英語が堪能となった日本人は、外国人とワールドカップ会場でペットボトルや食べかけのハンバーガーを投げ合い、堂々の英語で丁々発止のやりとりをしているのかもしれません。
それも長い歴史をもった世界標準ですから、それでいいという考え方もあるでしょう。
世界に通用する日本人、フーリガンと戦える日本人!
私はまったく感心しませんけど。
