2018/5/10

「左手に載せられると右手に殴られる」〜メディアの二律背反  政治・社会


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ピーテル・パウル・ルーベンス 「パリスの審判」(パブリックドメインQ)

【セクハラ・エンターテイメント】

 明石家さんまは私とほぼ同年代で、同じ年に結婚し、同じころ最初の子(ともに女の子)が生まれ、離婚は先を越されたということで(私は今もしていない)とても親近感を持っている芸人さんです。その出演するテレビも大好きで、一時はほとんどすべての番組を、生なり録画なりで見ていました。
 最近ではさすがに疲れ、お笑い番組を定期的に見るということは少なくなっていますが、それでも「踊る!さんま御殿」だけは録画を取って欠かさず見ることにしています。

 今週も火曜日に見ることができなかったので翌日、VTRで見ました。しかし今回初めて、
「さんまもそろそろ終わりかな」
と思うようになりました。力が落ちたというのではありません。芸風が時代に合わなくなったかもしれないと思ったのです。

 なにしろ今週は冒頭から臨月近い道端アンジェリカに「胸、大きくなりましたね」と言ってみたり、アナウンサーの吉川美奈子を「ババア」呼ばわりしたり、女優中島ひろ子には「好きな男の前でおならなんかしたことないですよね」と振っておいて返答に困っていると「あるんだァ」と突っ込んでみたり、現在の基準で言えばセクハラ発言のオンパレードです。
 考えてみるとこれまでだって、「だからオマエは結婚できんねん」と言ってみたり「その顔でよく生きてんなア」と言ったり、そもそもゲストを「オマエ」呼ばわりするところも“昭和”の、それも中期以前の」やり方です。

 そう言えば「踊る!さんま御殿」は先ごろ福田前財務次官のセクハラ問題で猛省する姿勢を見せた日本テレビの番組です。報道局が反省したことを制作局が無視していいという法はないでしょう。
 もちろんさんまが反省して発言を慎めばいいのですが、あれはもう芸風で、一部をつまんで使わないようにするというわけにはいかないと思います。
 お笑い界の頂点に君臨する人の看板番組ですから、出演依頼が来れば応じざるを得ません。本人が嫌がっても会社が許しません。さらに収録が始まれば何を言われても我慢するしかないでしょう。しかし「内心ずっとつらい思いをしていた」という人だっているはずで、事実、さんまだけのせいではないと思いますが、不細工をいじられ続けたアジアンの隅田美保は芸能界から遠ざかったほどです。

 「踊る!さんま御殿」――私は大好きですが、ああした番組も、明石家さんまを始めとするあのような話し方、話題の持って行き方も、もうテレビから追放されるべきものなのかもしれません。


【ドッキリカメラの話】
 同じように、人権的配慮によってテレビ界から完全に消えてしまった番組があります。
「元祖ドッキリカメラ」です。
 悪戯を中心とする番組です。はじめのうちは通行人にパイをぶつけるとか目の前で風船を割るとかいった他愛ないものだったのですが、やがてどんどんエスカレートしていって、私の覚えているもので言うと、スキー場の中ほどに温泉施設をつくり、そこでひと風呂浴びた男性客が一人座りのソファで休んでいるとソファがグルッと180°後ろを向いて、目の前の壁が割れるとそのままソファ(実はソリになっている)が滑り落ちて行って、最終的には雪山に突っ込んで男性客は全裸のまま埋もれる、そういうのがありました。
 そのあとすかさず男性タレントが「元祖ドッキリカメラ」と書いた小さなプラカードを持って走り、ターゲットの横に差し出していっしょに、「ドッキリカメラ、大成功!」と叫んでおしまいです。
 しかし全裸の男性客もよく笑って済ませたものです。

 さすがにそのレベルになると批判も多く、素人を扱ったドッキリ番組は次第に減っていきましたが、一方で芸能人(特にお笑い関係者)を対象としたドッキリはさらに過酷さを増し、ついには若手落語家がなにも知らされずに目隠しのままライオンの檻に入れられ、わき腹を爪でえぐられるといった事故まで起きてしまったのです。所属する芸能団体はテレビ局に厳しく抗議し、常軌を逸したドッキリというのはそれでテレビ界から消えていきました。

 そうした傾向は当時世界的なもので、欧米でも、特に大手メディアでは素人を対象とした場合、本人の了解を得ない企画は行えないようになっています(守られているかどうかは別問題ですが)。
 もちろんそれはそれでいいのですが、少し困ったことも起こってきました。マスメディアのようないい加減な世界はいいのですが、同じ倫理が学術の世界にも広がって、素人を欺くような心理実験、社会実験ができなくなってしまったのです。


【冷淡な傍観者―思いやりの社会心理学】
 1964年3月13日、深夜のニューヨークで28歳の女性がナイフで殺されます。キティ・ジェノヴェーセという名の女性はクイーンズ地区のアパート群の谷間で30分間に渡って繰り返し刺され、その間少なくとも38人が事件の一部を目撃し、あるいは「助けて」という悲鳴を聞いたにもかかわらず誰一人警察に通報しなかったのです。
 アパートの住人はその後マスコミとニューヨーク市民にこっぴどく叩かれるのですが、この事件に興味を持った二人の心理学者がある仮説を立てて社会心理額実験に取り掛かります。その仮説とは、
「特定の条件下では数百人の目撃者がいても人は他人を助けないが、別な条件のもとでは同じ人がたった一人でも全力で他人を救おうとする」
クリックすると元のサイズで表示しますというものです。基本的には目撃者の数が少ないほど、思いやりの心は働くと考えました。

 実験の様子はビブ・ラタネ, ジョン・M. ダーリー共著の「冷淡な傍観者―思いやりの社会心理学」(1997/6 ブレーン出版、現在は絶版)に詳しいのですが、そこで行われる心理実験は、まさに「元祖ドッキリカメラ」にそっくりなのです。

 
【メディアの二律背反】
 学術の世界は厳しい倫理規定に縛られて今や「冷淡な傍観者」のような大胆な実験はできなくなっています。一方マスメディアの方は、片方で人権尊重を叫びながら他方で「ドッキリカメラ」のような平気で人権を踏みにじる番組が作られています。

 恨みに思っているのでこのブログでも何度も書いていますが、かつて愛知県で大河内君いじめ自殺事件というのが起こって学校の対応の甘さがメチャクチャに叩かれたことがありました。その同じ時期、マスコミのバラエティ番組ではドリフターズが仲間の高木ブーをイジメて遊んでいたのです。視聴者である子どもたちは大笑いしながら「抵抗しないデブには何をしてもいい」と学んでいました。(2008/12/25 昨日のこと他)

 今、政府官僚やタレントのセクハラは完膚なきまでに叩かれても、明石家さんまやビートたけしといった大御所による番組内セクハラは不問に付されています。それどころかゴールデンタイムを使って積極的に押し出されているのです。

 私はさんまさんが好きですし、幸い今はセクハラを訴えられない環境(ほとんど女性と会うことがない)にいますからこのままでいいのですが、若い人、いや中年の方々、影響されて真似しないよう切に願います。

 メディアの左手に載せられると、右手で殴られます。


*タイトル画の「パリスの審判」は、トロイの王子パリスがギリシャの三美神から最も美しい一人を選んでいる場面。人妻を賄賂として約束したアフロディーテ(ビーナス)が選ばれ、トロイ戦争の原因となった。
 女性を美醜で分けてはいけません。




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