2018/5/8

「ココアは死ぬことに決めた」〜連休中に考えたこと2  人生

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【ココア】
 大型連休の最終日、我が家で飼っている3羽のウサギのうち、メスの一羽が死にました。
 家族は「こっちゃん」と読んでいましたが、一応本名があって「ココア」と言います。このブログでもたびたび、両方の名で紹介してきました。
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 三番目の記事にある通り昨年の暮れ、尿に血が混じるという病気になって何度も医者通いし、数万円をかけてようやく治ったのですが、先月初旬から急に食欲がなくなり、便も小粒でカサカサなものになっていきました。

「素人である飼い主には、食べなくなったウサギにしてあげられることは何もない」と知っていましたのでさっそく病院に連れていき、昔の浣腸器のような大きな注射器で背中に点滴をしてもらい、二種類の粉薬をもらって帰りました(ちなみに、これだけで8700円かかりました)。
 すると2〜3日たってからまた食べるようになり、少し元気が出たみたいですが、一週間もしないうちにまた食べなくなり、医者に行ってまた注射をし、数日して食べるようになり、といったことを何回か繰り返しながら、その都度“食べられる期間”が短くなって、そのまま大型連休に入ってしまったのです。
 
 目の前に好物のキャベツを持って行ってもまったく反応せず、ベレットも干し草も、水さえ飲まなくなってしまいました。
 しかたなので医者からもらった「動物用栄養補助食品」(かぼちゃやブロッコリを乾燥させて粉末にしたもの)を水で溶いて、注射器で口の中に流し込むようにしてみました。
 けれどウサギはいざとなると息を止め、心臓さえ止めて自分から死ぬと言われるくらい神経質な動物です。無理やり口に流し込んでも絶対に飲んだりしません。
 それはまるで自分から死ぬことに決めて、頑固に食事を拒否しているような感じだったのです。

 しかし口の中には入った分まで吐き出すということはないので、その分は体内に取り込まれることになります。その量およそ1・5tほど。ですから私は毎回1・5tだけを測って、いやがるココアの口に入れました。


【刻一刻】
 憲法記念日の日。畑の隅の草むらに出してやると、かつては30pもジャンプしながら走り回っていたラビット・ラン(そういう場所をつくったのです)の端で、丈の高い草の間に入ってほとんど動かずじっとしていました。
 切なかったのはケージに戻そうとしたとき、ココアの下(しも)が自分の尿と畑の土ですっかり汚れていたことです。見ると口元にも、私が強制した流動食のカスが乾燥して着いたままです。

 ウサギというのは年中自分の体を舐めてきれいにしているような生き物なのです。遊んだ直後でない限り、体が汚れているということはありません。それなのに口元ですら舐めようとしない――そこまで弱ってしまったのです。
 
 みどりの日の朝、ついにココアはうずくまるいつもの形から、横たわるような形に寝相を変えました。いよいよ今日が峠かな、とそんなふうにも思いました。年齢からすればもう寿命と言っていい年です。
 流動食を流し込んでも、もう抵抗さえしなくなっていました。

 こどもの日、ココアは丸一日、静かに過ごしました。このまま静かに眠るのかなと思ってから、むしろずいぶん時間がかかっているような気がしました。

 日曜日の朝、不思議な変化がありました。
 横たわっていたココアは体を起こし、耳をぴんと立てて前を向き、何か毅然とした雰囲気を漂わせ始めたのです。本来の飼い主である妻は、
「もしかしたら自然治癒のために戦っていたのかもしれない」
そう言い出し、私も回復期に向かっているのではないかと思い始めました。
 毎日入れ替えたり足したりしているペレットや干し草、キャベツの葉などを食べることはしませんが、流動食には抵抗するだけの力が戻っていました。
 それも1・5cc流し込んでケージに戻すと、中を走り回って抗議します。
「これはほんとうに治るぞ」

 私は、夜はいつも年老いた母の家で過ごしています。ですから日曜日も、流動食を飲ませた後、
「頑張れよ」
と声だけをかけて家をあとにしました。

 その一時間後、妻から半べその電話を受けます。


【白鳥の歌】
 私を送り出した後、妻は居間でテレビをつけながら仕事をしていたようです。するとココアたちのいる玄関の方から、「ウェー」とも「グェー」ともとれる大きな声が繰り返し聞こえたというのです。
 一瞬ネコでも入ったかと思ったのですが明らかにネコとは違う声で、急いで玄関に向かうと最後の小さな「ウェー」が聞こえ、見るとココアはケージの中で横たわっていました。昨夜妻が置いた白い布の上に戻って、息は荒く、触れるとまだ心臓の鼓動は感じられました。そして瞬く間にそれは小さくなり、すぐに消えてしまいました。

 おそらく飼ったことのない人はウサギの鳴き声なんか聞いたこともないと思いますが、それはとても小さな声で、「ムン、ムン、ムン」とリズムを取るようなものです。3羽のウサギを7〜8年、のべ20年以上に渡って飼ってきて、飼い主を呼び寄せるような大声というのはついぞ聞いたことがありません。そんな声が出せるとは夢にも思いませんでした。
 ココアは兄のミルクと一緒に妻がペットショップから連れてきたミニウサギですから、最後の最後は妻に看取られたかったのかもしれません。

 西洋の諺に「白鳥の死せるや、その声、麗し」というのがあって、白鳥の最期の声は実に美しいと信じられています。そこからSwan Songと言えばある人が最後に作った詩歌や曲、または最後の演奏、辞世と言った意味で使われます。

 ココアの最期の声は決して美しいものではありませんでしたが、その姿勢は美しかった。
 口元も下(しも)も汚れたままだというのに、耳をぴんと立てて前を向き、何か毅然とした雰囲気を漂わせて――端然として死に赴いたのです。

 翌朝、私が家に戻ると、ココアは妻のつくった段ボールのお棺に入って一輪の花に飾られていました。
 少し離れたところにあるココアのケージを見ると、あれほどかたくなに拒否していたキャベツの皮が、五分の一ほど食いちぎられていました。
 きちんとエサを食べる、立派なウサギとして死にたかったのかもしれません。





  
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