2018/3/8

「先生の日」〜なぜつくらないのだろう  教育・学校・教師


「恩師を担いで花道を進む 岐阜県高山市の中学校で伝統の『卒業みこし』」というニュースがありました。

(CBCテレビ)↑Youtubeにリンクします。

 それによると、
 6日は、愛知と岐阜のほとんどの公立中学校で卒業式が行われました。(岐阜県)高山市の中学校では、卒業生が御輿を担ぐ伝統の行事で恩師に感謝を伝えました。
 高山市立東山中学校で受け継がれる「卒業みこし」は、およそ40年前から続く伝統行事で、卒業生が、2か月ほどかけて御輿を作り、卒業式のあと、恩師を乗せて練り歩きます。
 先生たちは、教え子が担ぐ御輿の上でうれしそうな表情を見せ、担いだ生徒たちにとっても、忘れられない旅立ちの日となりました。
ということです。

 40年前といえば1970年代後半、いくら岐阜の山奥とはいえ、先生に心から感謝する素直な子ばかりが揃っていたとも考えられません。もしかしたらからかい半分、あるいは先生と生徒の共同の悪ノリで始まったものなのかもしれません。しかしそれにしても、教師と生徒の仲が良くなければ始まらないことですから、羨ましくもすばらしい伝統であるには違いありません。

 ところでこんなふうに生徒が教師に直接感謝の気持ちを伝える行事って、日本国内にいくつ残っているのでしょう。卒業式後の謝恩会といってもたいていは保護者と教師の飲み会ですし、花束贈呈とかがあったとしても、それは卒業学年だけのことです。1年生や2年生の担任も一緒に感謝されるわけではありません。


【先生の日】
 前々から思っているのですが、この国には「母の日」もあれば「父の日」もあり、「子どもの日」も「敬老の日」もあるというのに、なぜか「先生の日」はありません。人間の成長の上で「先生」は父母・祖父母と同じように大きな役割を果たしているはずなのに、一顧だにされていないのです。

「先生の日」自体は、世界的には珍しいものではありません。Wikipediaで調べると「教師の日」が制定されている国と地域は60を越え、さらに世界教師機構によって定められた「世界教師デー」(毎年10月5日)というものまであります。
 「世界教師デー」は“教師への支援を求めることと、将来を担う世代の子供達に、充分な教育を施せるよう求めることを目的としている”ということですから、私の考える「先生の日」とは少し趣旨が違うみたいですが、とにかく「先生」というものについてじっくり考える日が一日あるというのは、とても大切なことだと思うのです。
 ちなみに「世界教師デー」は世界で100以上の国が実施しているというのに、日本ではその名さえ知られていません。


【「先生の日」は儲かるに違いない】
 思えばこの国の企業家たちはキリスト教徒でもケルト人でもないのに、ありとあらゆる欧米の行事を持ち込んで金儲けの材料としてきました。バレンタインデーもホワイトデーも、ハローウィンも皆そうです。

 クリスマスなんて昭和30年ごろはキャバレーの専売特許で、ボーナスをもらったばかりのお父さんたちがお金を払って「くいだおれ太郎」みたいな姿にさせられて帰ってくる年中行事でしたが、いつのまにか子ども向けになってしまい、お父さんも早く家に帰るようになりました。
 玩具メーカーとケーキ業界の陰謀に違いありません。

 そうです、その爆発的な商業主義をもってすれば、「先生の日」を制定して金儲けをするなんてことはいとも簡単だと思うのですがいかがでしょう?

 先生と言っても学校の教師だけが「先生」なわけではありません。華道や茶道のお師匠さんもいれば職人の先達もいます。何の肩書もなくても「この人は私の人生の師だ」と感じればそれは「先生」です。
 そうしたすべての「先生」に対して、感謝の気持ちをきちんと伝えたいと考える弟子たちはきっとたくさんいます。そういう人たちに対して、「世の先生たちに感謝し、〇〇を送ろう!」とキャンペーンを張れば、きっと多くの人たちが乗ってくるはずです。しかも老若男女を問いませんから購買力はハンパではありません。
 だれか本気で取り組んでくれないものでしょうか? 私は「先生」たちがもっと目に見える形で感謝されるべきだと思うのです。それに「先生」に改めて感謝の気持ちを伝えることは、弟子たち(特に子どもたち)とって、とても大切なことだと思うのですがいかがでしょう。

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2018/3/7

「先生の引き抜きが始まった!」〜狙われる30代・40代  教育・学校・教師

 先週金曜日のNHKニュース「おはよう日本」では、「けさのクローズアップ」というコーナーで「“仁義なき”先生争奪戦」という話をしていました。

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 筋はこうです。
1 学校の先生たちの、大量定年退職が始まっている。

2 実際の学校の様子を見ても職員室の四分の一が50代という現状(VTR)。

3 統計的にも、年代別教員構成で最大は昭和57年採用で現在58歳の3万5411人、最小は平成12年採用の39歳で6356人というかなりいびつな構造。

4 なぜこんないびつな採用になったかというと、それにはいくつかの理由があるのだが、今の30代40代の先生方が採用されたころには退職する先生方が少なく、また少子化の影響で教員を増やす必要がなかったという事情がある。

5 50代の先生方は若手の指導、生徒指導、校長や教頭との橋渡しといった点で非常に重要な立場にあり、この人たちがごそっと抜けることで教育の質が問われかねない。

6 そうした状況から、例えば福岡県は今年都内で現職教員の採用試験を行い、東京都や神奈川県の教員の引き抜きに打って出た。

7 介護の必要から地元に戻らざるを得ない教員や自分自身の子どもを田舎で育てたいといった教員51人の応募があり、そのうち9割近くを合格者とした。このような試みは高知県も行っている。

8 ただし引き抜かれる側からすれば、教員としてここまで育てて来てようやく活躍してもらえるという時期に引き抜かれるわけだからたまったものではない。それに将来の管理職の不足につながる心配もある。

9 まさに仁義なき戦いだが、教員の定数が決まっている以上地方にできることはそう多くない。国の抜本的な対応が求められる。

 問題点を指摘しただけで解決策を全く示さないという点を除けば、よくできた報告かと思いました。ただし捕捉しなければならないこともたくさんあります。


【実際に起きたこと】
 例えば、平成12年を底とする採用の減少は「今の30代40代の先生方が採用されたころには退職する先生方が少なく、また少子化の影響で教員を増やす必要がなかったという事情がある」と説明されています。しかしそうなると、じゃあ採用の多かった昭和57年前後は退職する先生がいっぱいいたのか、教員を増やさなければならない理由があったのか、ということになりますが、そのあたりについては説明がありません。
 私が答えを知っていますので言いますが、全くその通りなのです。昭和57年前後にはたくさんの教員が退職する現実と、教員を増やさなくてはいけない事情があったのです。

 まず前者について言うと戦後復興と第一次ベビーブームの際に採用された大量の教員が、この時期に続々と定年退職を迎えていたのです。昭和20年に大学を卒業して教員になった人たちは、この年にちょうど60歳でした。
 それと同時に第二次ベビーブーム(昭和49年前後)の子どもたちが小学校に入学したのがこの時期でしたから、その意味でも大量の教員が必要とされたのです。

 教員の数は児童生徒数(正確には学級数)に連動しますから、子どもたちが増えないということは教員数も増えません。予想に反して第三次ベビーブームは起こらず、子どもは一貫して減り続けましたから、昭和57年前後に採用された先生方が辞めない限り、新規の採用は減り続けなくてはならなかったのです。その底が平成12年にあたります。

 
【これから起こること】
 平成12年採用の先生方50代に差し掛かる今から10年後あたりから、50代の教員は極端に少なくなります。その影響はまず管理職に出ます。
 現在の50代は人数が多すぎて校長教頭になるのは容易ではありませんでしたが、そのころにはとんでもなく楽な時代がやってきて、40歳代の校長、場合によっては30代の教頭もつくらなければ枠が埋まらない自治体も出てきます。
 考えてみてください。45歳の校長と38歳の教頭によって運営される学校ですよ。

 教育の質という問題もありますが、40代で校長になってしまったら本人も気の毒です。子どもが好きで教員になったのに20年足らずで引き離され、その後20年以上も大人相手です。
 おまけに監督している子どもは何をしでかすか分からないし、親は何を言い出すか分からない。さらに時々不祥事を起こす先生もいる。そんな中で管理職を20年以上もやり続けるのは容易ではありません。「責任を取って辞表」といったことも家族のことを考えると簡単にはできませんから、万が一の場合は恥を曝しながらその後も長く勤めなくてはならないのです。

 そう考えると首都圏に仁義なき戦いを挑んだ福岡・高知両県の不義理にも、ある程度の同情をよせることも可能です。そんな学校、そんな教育現場に絶対したくない、そんなふうに考えたのでしょうね。義理を欠いても自分の県の教育は守らにゃいかん――。

 ただし福岡や高知に聞けば、もっと気楽にやっているという可能性も実はあるのです。


【大都市圏の特殊な事情】
 NHKは全国的な傾向として、現在教員の定年退職がピークを迎えているといった話をしていましたが、自治体によっての差は当然あります。そして調べてみると東京の退職のピークはもう10年近く以前に終わってしまっているのです。
 東京都の場合、「採用の底」は46〜47歳あたりにあって、地方の教育委員会の欲しがっている40歳前後は比較的層が厚いのです(「東京都公立学校教員採用案内 教員の年齢構成」)

 首都圏で教員が大幅に不足して大量採用せざるを得なかったのは、他県で第二次ベビブーマーが小学校に入学した昭和57年よりも前の、昭和49年前後でした。
 映画「Alweys三丁目の夕日」に出てきたような集団就職の高校生たちが、大人になって結婚し、生まれた子どもが小学校に上がるようになったのがちょうどそのころなのです。
 東京で多摩ニュータウンがつくられ始めたのが昭和41年。最初の入居は昭和46年ですから当時どれほどたくさんの学校が建てられ教員が必要とされたかは容易に想像がつきます。私の聞いたところでは、各市の議員たちが大挙して地方の大学を訪問し、学生たちを一本釣りにしたと言いますから福岡・高知を悪く言うこともできません。


【結局、教員定数の問題だ】
 根本的な問題は教員定数です。
 生活科だの小学校英語だの、プログラミング教育だの性教育だの、キャリア教育だの総合的な学習の時間だのと、仕事は果てしなく増やしても定数は増やさない、年齢構成がどれほどいびつになっても「将来に向けて採用を増やしておく」といった配慮もしない、その頑迷な制度がある限り、現在の悪しきサイクルは続きます。

 私ははっきりと予言しますが、有能な50代の教員がごそっといなくなるという現在の恐怖は、37年後に再び繰り返されます。さらにそこから37年ほどすると、また同じことが起こります。なぜなら同じ37年周期で大量退職が起こり、大量採用しなくてはならないからです。

 それを避けるためにはどこかで人数の少ない年齢層を埋めておく必要があります。
 ここに至って初めて、「福岡県、偉いな!」という話になるわけです。他の県も真似をするといいのかもしれません。大都市圏の教員は母数が巨大ですから、各県50人程度の引き抜きだったら誤差の範囲で収まってしまうかもしれないのですから。



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2018/3/6

「ダーウィン先生! これをどう説明します?」〜この世の弱き者  知識

 3羽もいる飼いウサギの中で一番年上の「カフェ」が、突然トイレを定位置から移動して、空いた空間で小用をするようになりました。

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【カフェの反逆】
 カフェはもともと娘のシーナが買い求めたネザーランド・ドワーフのオスで、赤ん坊のころ、トイレのプラスチック部分をかじり取ってしまうのを心配したシーナが、以後トイレの使用をやめてしまったのです。その結果ゲージ内の好きなところで排泄するようになり、匂いのしない便の方は所かまわず、匂いの強い「小」は(やはり匂いの強いものをまき散らすのは、居所を辿られるという意味で野生に反したのでしょう)ゲージの左奥でするようになってしまったのです。

 娘が転居のために飼うことができなくなって私が預かるようになってからは、ちゃんとトイレを入れ、カフェもそこで小用をするようになったのですが、寿命も近い7歳になってボケでも始まったのかあるいは赤ちゃん帰りしたのか、トイレを退け、昔やっていた同じ場所で直接スノコに排泄し始めたのです。掃除のほんとうにしにくい位置です。

 そこで苛立った私は洗濯用のピンチを駆使して、ウサギの力では動かせないようトイレをケージに固定してしまったのです。そうしたらカフェは小便をするのをやめてしまった・・・。

 明らかに食欲も落ちて、というかほとんど食べなくなって、元気もなくなってしまいました。

 私は最初それがトイレのせいだとは気づかずただ心配していたのですが、掃除のときトイレを外に出したら空いた場所にすかさず移動して、人間でもこれほど出さないだろうと思うくらいジャージャーと流し続けたのです。ちょっと驚きました。


【ウサギは自ら死を選ぶ】
 それとは別の話ですが、カフェとともに飼っている別の2羽のうちのメスの方、「ココア」が11月の末に大病をして、その件については何回かに分けてここに書きました(2017/11/27「ウサギの治療費がかさむという深刻な問題について」〜国の加計問題と我が家の家計問題@他)。

 結局原因不明のまま治ってしまい、今は元気に過ごしているのですが、一時期「子宮がん」かもしれないと言われ全摘の話も出ていたのです。そのとき獣医さんに、
「手術中の事故ということもあります。ウサギは麻酔を嗅がされると自分で息を止めて窒息死してしまうことがあるのです」
とか言われ、息を止めて窒息死というのが何とも想像しがたく、困った記憶があります。

 そのこともあってネットで調べていたら、息を止めて窒息死どころか、ウサギは自ら心臓を止めて死ぬことができるといった記述があり、さらに驚かされます。

 説明によると、
「弱い生き物のであるウサギはたびたび猛獣によって食い殺され、その結果、死の苦しみを1秒でも短くするために、自ら心臓を止めることができるようになった」
とありました。

 しかし誰よりも早く死ねるというのは、生きる力の強いものが生き残る「適者生存」の原理に反します。ここはやはり「死ぬ力がある」というよりは、「神経質でおそろしく弱い」という方がしっくりきます。

ウサギは、寂しさでは死なないとも思いますが、ちょっとした刺激で簡単に死んでしまう動物なのです。
――とそんなふうに書いて、しかしやはりそれも「適者生存」の原理に反するなと、今、思いなおしました。
 そんな弱い生き物が、なぜこの地球上に生き残れたのか。


【ダーウィン先生! これをどう説明します?】
 そう言えばウサギに限らず、世の中にはなぜこんなものが生き残っていたのか不思議になるような動物がいくらでもいます。
 たとえばパンダ。

 あんなに大きい癖に酷い偏食で竹ばかり食べている、やたら目立つあんなガラ模様でよく猛獣に根絶やしにされなかったものだ、さらにその赤ん坊となると親とは似ても似つかない小さな未熟児で、実際最初の一か月をどう乗り切ったらよいのか途方に暮れるほどの弱々しさです。
 あんな弱い生き物の生存を、ダーウィン先生はどう説明するのでしょう。

――とそんなふうに書いて(アレ? さっきも似たような文を書いたな?)、思えばサバナに裸で投げ出されたら絶対に1日ともたない人間こそ、「適者生存」を欺く最大の例ではないかと、そんなふうに思うのです。


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2018/3/5

「パラリンピックが始まるよ」〜子どもの視点をこちらにも  オススメ

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 今週金曜日(3月9日)より平昌パラリンピックがはじまります。
 特に子どもたちには強く意識さえたいスポーツ・イベントですが、オリンピックに比べるとどうしても注目度が低く、テレビ放送も少なくなるので私たちが意図的に誘導して、注目させるしかありません。
 そこで簡単に、障害者スポーツの歴史や意義をまとめ、子どもたちに話す話題のタネとしたいと思います。


【パラリンピック】
 パラリンピックの起源は1948年7月、ロンドン・オリンピックの開会式と同日にイギリスのストーク・マンデビル病院で行われた「ストーク・マンデビル競技大会」だとされています。
 これは第二次世界大戦で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして行われたもので、以後毎年開催され、1952年には「第1回国際ストーク・マンデビル競技大会」という名の国際大会へと発展します(参加国はイギリスとオランダの2カ国のみ)。

 1960年に「国際ストーク・マンデビル大会委員会」が組織されると競技会はさらに充実し、この年のローマ・オリンピックとともに開かれた第9回大会が、現在、第1回のパラリンピックのパラリンピックと考えられています。
 ただしローマ大会の際には「パラリンピック」という呼び名はなく、1964年の東京オリンピックのあとで開かれた「第13回国際ストーク・マンデビル競技大会」の際、愛称として使用されたのが始まりだと言われています(ただし語としては、1953年のイギリスの新聞の見出しに使われたのが最初という説もあります)。
 パラプレジア(raplegia、脊髄損傷等による下半身麻痺者)とオリンピック(Olympic)を継ぎ合わせた合成語で、日本人の発明と言われていますが個人は特定されていません。

 その後パラリンピックはオリンピックとは別の場所で開かれる時期が続き、1976年のトロント大会では国際身体障害者スポーツ機構との初の共催で、広く障害者全体のスポーツ大会として生まれ変わるとともに第1回冬季大会も開かれるなど、オリンピックとは距離を置いたところで拡大・拡充し続けました。、

 どういう経緯か分からないのですが、1988年のソウル大会から国際オリンピック委員会(IOC)が直接かかわるようになり、「パラリンピック」という愛称もこのときから正式名称となります。車椅子以外の選手も参加することから「パラ」をパラレル(Parallel、平行)と解釈し直して“もうひとつのオリンピック”としての立場をはっきりさせます。
 夏季オリンピックとの同一地開催も復活しました(冬季大会が冬季オリンピックと同一都市で開催されるようになるのは1992年のアルベールビル大会から)。

 パラリンピックが発展拡大していく中で、その間も独自の活動を続けていた国際ストーク・マンデビル競技大会は、大会名を「国際ストーク・マンデビル車椅子競技大会」に変え、当初の理念に立ち返って大会を車椅子競技に限定して今日も続いています。


【障害者スポーツ大会の棲み分け】
 オリンピックの直後に同じ都市で同じ会場を使って開催するという今の形がとられるようになってから、パラリンピックは俄然マスコミに取り上げられ、規模も拡大していきました。

 1998年の長野冬季大会ではクロスカントリー・スキーで知的障害者の参加も認められ、障害者スポーツ大会としてのさらなる拡大が期待されましたが、2000年のシドニー大会でバスケットボールのスペインチームが健常者を紛れ込ませて金メダルを取るという不正を行い、知的障害者の参加自体がしばらく見送られるようになりました。
 再び参加が認められるようになったのは2012年のロンドン大会からで、陸上競技と水泳・卓球での3競技での参加という方向はリオデジャネイロ大会にも引き継がれました(ただし冬季に関しては、ソチでも平昌でも見送られています)。

 もっとも知的障害者にはスペシャル・オリンピックスという別の障害者スポーツ大会があり、マスコミに取り上げられる度合いこそ低いものの、国際大会としての名に恥じない隆盛を誇っていますから、選手が行き場を失ったというわけではありません。


【スペシャル・オリンピックス】
 これは1962年6月にジョン・F・ケネディの妹、ユーニス・ケネディ・シュライバーが自宅の庭を開放して35人の知的障害者らを招き、デイキャンプを実施したのに始まるとされています。ケネディ財団の全面的なバックアップによって1968年7月に第1回夏季大会がアメリカのイリノイ州シカゴで開催されると瞬く間に拡大し、現在では夏冬合わせて26競技に170万人の知的障害者と50万人のボランティアが参加する巨大スポーツ・イベントとなっています。参加する国と地域は150を越えます。

 ユーニスの姉でジョン・F・ケネディの妹にあたるローズマリーには知的障害があり、しかもケネディ家によってさらに圧殺された(23歳のときロボトミー手術を強制され、3歳児レベルまで知的低下をきたすとともに性格も変化して狂暴になった)と言われていますから、そんなところからユーニスは熱心な社会福祉家になり、スペシャル・オリンピックスの発展にも尽くしたのかもしれません。現在、スペシャル・オリンピックス国際本部の会長はユーニスの息子、ティモシー・シュライバーが務めています。


【デフリンピック】
 障害者スポーツといえばもう一つ大切な大会を忘れてはいけません。デフリンピックです。

 デフリンピックはデフ(Deaf、ろう)とオリンピック(Olympics)をつなぎ合わせたの造語で、聴覚障害者のために4年に1度行われるスポーツ競技大会です。国際ろう者スポーツ委員会が主催し、夏季大会は1924年にフランスで、冬季大会は1949年にオーストリアにおいて始まりました。
 開催年を見ればわかる通り、ストーク・マンデビル競技大会(パラリンピックの前身)の1952年やスペシャル・オリンピックスの1968年を大きく越える歴史をもつ競技会です。

 聴覚障害の特性としてスタートの合図聞こえないとか審判のホイッスルが聞こえないといったハンディはあるものの、ほとんどの種目で支障なく競技ができるため、早い段階からスポーツは身近なところにありました。力さえあればオリンピックでメダルを狙える可能性さえあります。
 そうした事情や歴史的経緯からオリンピックや他の障害者スポーツ大会とは接点が薄く、マスコミに大きく取り上げられることもないのですが、重要な国際大会として位置づけられています。


【しっかり見ていよう】
 オリンピックやパラリンピックは意図しなくても自然に情報が入ってきます。しかしスペシャル・オリンピックスやデフリンピックはそういうわけにはいきません。私たちが意識的に情報を集め、子どもたちに伝えていかないと見過ごされてしまいます。意図して、耳をそばだてましょう。

 ちなみに、直近の障害者スポーツ大会としてはパラリンピックが今週の平昌冬季大会、次回が東京夏季大会(2020)。
 スペシャル・オリンピックスはアラブ首長国連邦アブダビ夏季大会(2019)、デフリンピックがイタリア・トリノ冬季大会(2019)となっています。
 子どもたちに話して一緒に注目していきましょう。


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2018/3/2

「そだねー、ウン」〜えー?、なんでー?、ヤダー  教育・学校・教師

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 平昌オリンピックの興奮もひと段落して、4年ごとのにわかカーリングファンの私も落ち着いた生活が送れそうです。

 今回のオリンピックでは女子チームが念願のメダルを獲得し、北見の名菓が売り切れになったりふるさと納税が殺到したりと、たいへんな騒ぎです。なかでもマイクを通して繰り返された「そだねー、ウン!」がもてはやされ、早くも「今年の流行語大賞間違いなし」とか言われていますが、例年上半期の流行語など年末にはすっかり色褪せ、何か大昔の流行語みたいになっているはずですから、そこまでうまくいかないかと思います。もちろん今年を彩る流行語には違いありませんが。

 ところで、緊張感の高い場面で明るく発せられる「そだねー」は、その爽やかさや可愛い訛りのために皆の心に響いたというのは確かだと思うのですが、果たしてそれだけたったのでしょうか。
 これが「そだねー」ではなく、「がんばろう」を意味する言葉だったり「肩の力を抜いて」とか「集中して」とかいった内容の言葉だったとしても、可愛く爽やかに訛っていればこんなふうに人気を博したのか、ふとそんなことを思いました。
 それは「そうだね」という言葉が、昔から大好きだった私だから感じることかもしれませんが。


【相手を受け入れる「そだねー」】
 再三このブログでも書いてきましたが(2007/9/27「成績を伸ばす子」他)、これまで私は児童生徒にも自分自身の子どもにも、三つの美質を求めてきました。
「けなげ」「ひたむき」「すなお」ということです。
 勝手な定義で言えば、
「けなげ」というのはちょっと背伸びをして、現在の自分より少し上くらいを目指す姿。
「ひたむき」というのは、一生懸命努力する姿。
「すなお」はもちろん様々なことを受け入れる姿ことです。

 なかでも「すなお」は最も大切で、親や先生・指導者の言うことをとりあえずやってみよう、従ってみようという前向きな気持ちがないと、子どもは絶対に伸びていかないのです。
 大人も時には間違ったことを言うかもしれませんが、基本的に子どものためを思い、人生から得た知見に従って指示したりアドバイスしたりするのですから、疑わず、やってみる価値があります。

「親や教師の言うことを、なんでもハイハイ聞いているようじゃあダメだ」と言う人がいますが、じゃあ「親や教師の言うことにいちいち楯突くような子がいいか」というとそういうことにはならないでしょう。
 要するにこれも、
「なんでも言うことを聞いてそれで終わりにするのではなく、違うところは違う、ここはもっとこうすればいい、と言える子でなくてはだめだ」という意味で、すなおにやってみることが前提なのです。そしてその「すなおさ」を言葉で表現しようとするとき、「そうだね」が選ばれます。

 例えばカーリングの試合の難しい局面で、互いに考え、意見を出し合って話し合い、一応の結論にたどり着く、そのとき答えが一つしかなければ問題はないのですが、たいていの場合は他の可能性を切り捨て、ひとつを選び取ることになります。そのとき、
「幽かな不安もあるし不満もある、しかし今はあなたの案が一番よさそうだ。わかった、それで行こう、仮にうまくいかなくても私たちはそれを受け入れる」
――その気持ちを一言で表したのがたぶん、「そうだね(そだねー)」なのです。だから聞く私たちの耳に心地よい。


【相手をはねのける言葉】
 では逆に、受け入れない言葉、拒否的な言葉といったら何かというと、これは簡単で、子どもたちが嫌な表情をつくって言う「えー?」「なんで―?」「ヤダー」が代表です。

 特に「エー?」はほとんど反射的に使われるもので、ボクシングのジャブみたいに、とりあえず繰り出して間合いを取り、相手の出方を見て考えよう、そういうときに使う言葉です。

 たとえば、
「ちょっと頼みたいことがある」→「えー?」(と、内容は分からないが突っぱねておく)
「次はこれやってみようか」→「えー?」(と、内容は分からないが突っぱねておく)
「今日はここまでにする」→「えー?」(と、その結果どうなるか分からないが突っぱねておく)

「そうだね(そだねー)」とは異なり、いかにも懐の浅い、わずかなことでもいっぱいになってしまう心の狭い人間の言いそうな言葉です。次に来るのがいい話だったら受け入れようというズルい性根も見え透いています。
 しかしクラスでこれが使われるときはしばしば大合唱になりますから、教師の側も次の一手が打ちずらくなる。

 そこで私は「えー?」を禁止することから始めました。
「何かを言われた時、まず『えー?』って言うのをやめなさい、言いたくなったら飲み込みなさい、そして私の話を最後まで聞き、その上でおかしいと思ったら『だけど先生』で始まる意見を言いなさい。正当な話だったら、私は必ず聞きます」
 このルールの仕掛けは、「えー?」がしばしば合唱になるのに対して、「だけど先生」と言ってくるのはたいていひとりだということです。ひとりだと対応しやすい。

 また、「まず『ハイ』と言いなさい」ということを盛んに訴えた時期もあります。
「ハイ」と言って次の言葉がすぐに「だけど先生」でも構わないのです。一度受け入れる姿勢を見せてくれればそれで大丈夫。同じ土俵に上ることができます。


【我が家の場合】
 私は自分自身の二人の子にもそういう態度で接してきました。

 娘のシーナは小さなころから「けなげ」「ひたむき」「すなお」が三つともそろった「良い子」でした。「そうだね」の効能もこの子から教わったようなものです。シーナの口癖だったからです(2015/10/2「いのちのこと」K〜それから)。

 同じように育てたはずなのに、息子のアキュラはそうはなりませんでした。しかしこの子には別の良さがありますから、それについてはまた改めて書きましょう。

 私自身はどうだったか――。
 私についていうと、子どものころから「けなげ」でも「ひたむき」でも「すなお」でもない「ダメな子」でした(だから三つの大切さを思うのですが)。おまけに頑固者ですから「そうだね」といった同意の言葉はめったに使いません。

 それをシーナも感じているみたいで、こんなふうに言います。
「お父さんは私の口癖の中で『そうだね』が一番好だっていうのに、自分自身は絶対に『そうだね』って言わないよね」

 私は答えます。
 「そうだね」
 

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2018/3/1

「三月になりました」〜ほんとうの師走  教育・学校・教師


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(写真はPhoto ACより)

 日本では旧暦3月を弥生といいます。語源としては「木草弥や生ひ月(きくさ いやおひ づき)」が詰まって「弥生」となったという説が有力で、他に説明する論はないみたいです。

 新暦の3月1日だと「木草弥や生ひ」というわけにはいきませんが、今年(2018年)で言えば旧暦3月1日に当たるのは4月16日。多くの地方では桜も残っていて、地面から一斉に草花の萌え出ずる季節です。そのころになれば「弥や生ひ」の名に恥じない風景が広がっていることと思います。
 その健康で清々しい印象から、3月生まれの女の子に「弥生」名づける風習は今も残っています。
 旧暦3月(新暦4月中旬)は桜の季節ですから「花月(かげつ)」「花見月(はなみづき)」「桜月(さくらづき)」といった別名もあるみたいです。

 西欧ではローマ神話の軍神マルス(マース《Mars》)の主催する月とされ、そこからMarchと呼ばれるようになったと言います。
 
 古代ローマ暦では一年の最初の月とされ、ここから数えて7番目の月は9月ですが英語では「7」を表す September、 8番目の月である10月は、オクトパス(8本足のタコ)やオクターブ(1音階=8音)と語源を同じくするOctoberの名で呼ばれています。
 3月が一年の始まりだったのはやはり草花が一斉に芽を出し花開く月だったからでしょう。


 日本では年度終わりの月。卒業式や人事異動が行われ、送別会も集中する別れの季節です。
 学校では先生たちが最後の通知票を書き、「指導要録」という児童生徒一人ひとりの記録を整理し、校務分掌の書類をまとめて引き継ぎの準備をします。
 中にはカリキュラム管理に失敗して、大慌てで積み残しの授業を進めている先生も、この時期はいるかもしれません。

 卒業学年の先生たちは大変です。特に中学校の場合は公立学校の入試が残っていますから、無事入試を受けさせ、合否を確認して事後処理をし、書類を整理して高校に送らなくてはなりません。おまけに自分自身の異動もからむと、引っ越し準備もしながらの校務ということになります。
 師走(しわす)は12月の別名です。しかし実際のところ、3月の方がやはり「師走」の名にふさわしいと言えます。


【3月の年中行事】
3月3日―雛まつり(日本)
3月8日―国際婦人デー
3月13日―東大寺二月堂お水取り
3月14日―ホワイトデー
3月17日―聖パトリックの祝日(アイルランドなど)
3月18日―彼岸の入り(春分の3日前)(日本)
3月21日―春分の日(日本)、ノウルーズ(イラン暦の元日)


【3月に行われるスポーツ】
3月4日―びわ湖毎日マラソン(滋賀県)
3月11日―名古屋ウィメンズマラソン(名古屋市)
3月11日―大相撲三月場所(大阪府立体育会館)
3月19日―世界フィギュアスケート選手権(イタリア・ミラノ)〜3月25日
3月23日―選抜高等学校野球大会(阪神甲子園球場)〜4月4日
3月25日―高松宮記念(競馬 中京競馬場)
3月30日―プロ野球公式戦開幕(セパ同日開催)


【誕生石その他】
誕生石―アクアマリン、ブラッドストーン、コーラル(珊瑚)
星座―魚座(3月20日まで)――牡羊座(3月21日より)
誕生花―サクラ、スイートピー、チューリップ




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