2018/2/28

「親はキミに期待していない」〜いつの時代も親が勧める平均的人生 3  人生


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(トマス・コール「人生の旅路、壮年期」 GATAGより)

【安定志向】
「親が勧める平均的人生」のもう一つの側面は、「安定」です。

 親が子どもに「大企業に入れ」とか「公務員になったらどうか」とか「手に職(技術)をつけなさい」と言ったりするのは、すべてこの「安定」を目指すからです。

 例えば公務員は、確かに潰れないという意味では安定しています。
 私はバブル経済の時代に教員になったので華やかな生活をしている友人たちを見ながら、「公務員のどこがいいんだ?」と思っていましたが、後にシャープの凋落、東芝の失敗などを見たりすると、細く長く、低空飛行でも絶対落ちない公務員も悪くないなあと思うようになってきました。

 もっとも“子どもを育てたいから教員に”とか、“正義を実現したいから警察官に”、あるいは“自分の住む街を活性化させたいから市役所職員に”とかいった目標がないと、常に「税金で食ってるんだろ!」とか、「お前ら、公(おおやけ)の僕(しもべ)だろ!」とか、怒られてばかりの仕事ですから、そんなにオイシイものでもありません。感謝される一方であまり叱られることのない公務員と言ったら消防だけです(ただし救急搬送のあと、自販機で飲み物を買ったりしないように!)。
 
 しかしなぜ親や教師はこれほど安定した生活が好きなのでしょう? 人生、もっと冒険や探検があってもいいはずじゃないですか。自分の好きなことに打ち込んだり、しばらく回り道したっていいじゃないですか。


【親はキミに期待していない。心配している】
 大人が子どもに「安定」を願うのは、ひとつは昨日お話しした「(楽に生きるための)平均的人生」が頭にあるためですが、もう一つの理由は、正直言って、自分の子どもに大した期待をしていないからなのです。ウチの子は普通だと思っている、平凡だと思っている、仮に優秀だったとしても「ちょっと優秀」程度のものだと思っているから、「大企業に入れ」とか「公務員になったらどうか」とか「手に職(技術)をつけなさい」とか言った話になるのです。

 ウチの息子が羽生結弦だと思ったら公務員になりなさいなどとは絶対に言いません。この子は未来の小平奈緒だと信じたら、「手に職を」などと悠長なことは言っていられません。
 藤井聡太六段は高校に進学するかどうか迷ったそうですが、それはまったく理にかなったことで、聡太六段が高校で化学や物理学を学ぶ意味を説明するのはかなり厄介なことになります。(実際には谷川九段の勧めもあって高校進学を決めましたが)。

 けれどウチの子は羽生結弦でも小平奈緒でも藤井聡太でもない、羽生直剛でも松下奈緒でも福士蒼汰でもない――そうなると標準的な生活、平均的な人生、という話になるのです。



【生きるヒントの在り処(ありか)】
 言うまでもなく「安定」は必ずしも幸せをもたらすものではありませんし、平均的で楽な人生を歩むことも幸福の保証とはなりません。
 だから親が何を言おうとも、あなたが標準的な生活や平均的な人生を「僕はいやだ!」と拒否するなら、それはそれで別の道を歩めばいいのです。あなたの人生はあなたのものですから、あなた自身が決めるしかありません。

 ただ、特別な人生、一般的でない生活について、そのやり方や道筋を大人に問うのは気の毒です。そうした人生はあまりにも複雑多様で、親や教師の知る世界はそのごく一部でしかないからです。普通の大人たちが教えられるのは、あくまでも平均的な人生、標準的な生活だけです。

 しかし近くの大人からアドバイスが受けられないからといって、途方にくれることはありません。心配しなくても大丈夫。
 そのヒントは世の中にある膨大な図書と、多くの人々の口から語られる言葉の中にあるからです。まずここから探っていくのが、私だけの人生を開拓する者の、歩むべき正しい道です。

                         (この稿、終わり)



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2018/2/27

「標準的生活の話」〜いつの時代も親が勧める平均的人生 2  人生


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(グスタフ・クリムト「人生の三段階」 GATAGより)

【結婚適齢期の話】
「結婚適齢期なんてない。自分が結婚したいと感じた時が適齢期だ」
という気分の良いコピーがあって一時はやったりしました。しかしその後「卵子の老化」が問題となって、“子どもを持つことを計画するなら適齢期(臨界期)はある”というように一部書き換えられたふうがあります。

 さらに私はこれに加えて、 “楽に生きようとするなら(結婚)適齢期はある”というふうに言っておきたいと思います。90歳になる私の母が、独身のころ言われたような、
「女性は25歳、男性は30歳までに結婚しておくといいよ」
という話です。

 ただし現代、こういうことを言うこと自体がセクハラですから、気分の悪い方はこれ以上読まないようにお願いします。
「女とクリスマスケーキは25(日)を過ぎると売れない」
などと言った昔の言葉が平気で出てくるかもしれません。
 この先も読もうという親切な方には、“今日の記事は基本的に中高生に向けての話だ”というふうに前もって申し上げておきます。


【女性は25歳、男性は30歳までに結婚しておくといいよ】
 さて、なぜそんなことを言うのかというと、生物学的な出産適齢期が20歳代後半と言われていますので、その間に2〜3人に子どもを儲けようと考えると、どうしてもそのくらいになってしまうのです。妊娠しやすいという意味でもとても都合の良い時期です。

 女性が30歳、男性が35歳くらいまでの時期に最後の子どもが生まれたとすると、一番下の子が成人するとき、女性は50歳、男性は55歳です。人生で一番年収の高い時期の収入がすべて夫婦のものとなります。仮に夫婦合わせて1000万円の年収があるとして、生活費の300万円を差し引いて毎年700万円ずつの貯金ができます。おまけに退職金には一切手を付けずに済みます。

 生活費が年300万円というのはあまりにも少ないように思われるかもしれませんが、夫婦二人だとそんなものです。何しろ子どもたちが家にいた最後の数年というのは、学費だの遊興費だので子どもが一番金を使う時期す。家計の半分以上が子どもに使われていますから、夫婦二人だけの支出を考えると案外つつましかったりするのです。
 一世を風靡したDINKs(Double Income No Kids《2収入、子供なし》)だと生活水準がものすごく高いので退職後はかなり厳しいことになりますが、年中“金がない”とブー垂れていたような普通の5人家族だと、子どもが抜けただけでグンと楽になったりするわけです。

 ただしこの時期、別の負担ものしかかってきます。平均的な家庭の場合、夫婦が60歳の定年を迎えるころになると、その親たちが80歳を越え、場合によっては介護も必要になったりします。
 しかし大丈夫。先ほどから話している「昔の結婚適齢期」に乗ってきた人たちはその時期手持ち資金が潤沢ですから、それと親たちの年金を組合わせるとかなりの対応ができます。「金がないから早く死んでくれ」といった親不孝な妄想に捉われなくて済みます。

 さらに年月が進んであなたたちが80歳になったころ(夫80歳、妻75歳)、そろそろ自分の終活を考えなくてはならないのですが、そのとき息子や娘たちは45歳〜50歳。多少迷惑をかけるようなことがあってもびくともしない年齢です。
 うまくできてるでしょ?


【“世の中”のでき方】
 なぜそんなふうにうまくできているかというと、長い時間経過の中で私たちが社会をそのように設計したからなのです。
「人は何歳になったら働いて稼げるようになるのか」とか、「いつまで働いて家族を養わなくてはいけないのか」とか、「定年後はどれくらいお金があったら生きて行けるのか」とか、「年金はどれほど必要なのか」「財政的に払い続けられるのか」とか、さまざまな条件をゴチャゴチャいじって調整した結果が今の社会制度なわけです。
 そこでもとに戻るわけですが、だから、
「女性は25歳、男性は30歳までに結婚しておくといいよ」
となるのです。

 ただしそれはあくまでも「楽をしたければ」という条件付きの話です。それが正しい生き方だというわけでもありませんし、そうすべきとも思いません。
 また4年生大学を出た上で25歳までに結婚するというのはかなり忙しい話になりますし、やっと自分で稼いで心置きなく遊べるという時期に、家庭をもって子どもを養うというのもなんだかもったいないような気もします。

 人生の後ろの方を考えると、65歳定年制の話が出てきているように、現在の60代はかなり元気ですし働かなければならない事情のある人も多くいます。また政府の年金財政も苦しくなって、できれば支給時期を可能な限り遅らせたいとなると、平均的な人生設計というものにもかなりのずれが出てきています。

 ですから「楽をしたければ」の条件付き結婚適齢期も微妙にずれてきてはいるのですが、基本的には、周りに合わせて手順を踏んでいくのが楽なのには変わりありません。

(この稿、続く)

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2018/2/26

「親はもっと子の将来にかかわるべきだ」〜いつの時代も親が勧める平均的人生 1  人生


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(トマス・コール「人生の旅路、青年期」 GATAGより)

【許婚(いいなずけ)と政略結婚】
 妻が夕食後、録画してあるNHK朝の連続ドラマ「わろてんか」を見るのを日課としているので、ついつい私も横目で見てしまいます。しかしあまり熱心な視聴者ではなく、最近では筋も分からなくなってしまっているのですが、先週末、ある台詞がきっかけとなってちょっと引き込まれました。それは次のようなものです。
「許婚がいます。親が決めた相手で、言ってみれば政略結婚のようなものです」

 古い言葉ですね。
「婚約者」とか「フィアンセ」なら今も使われそうですが、「許婚」となると、さすがに今は言わないでしょう。さらに「親が決めた相手」だの「政略結婚」だのとなると、これはもう歴史用語の域に入りつつあるように思います。
 そもそも結婚相手に限らず、子どものことを親が決められるという文化がほとんどなくなっていますし、子どもも多くの問題で親の言うことをきかなくなっています。

 また、“家族”という概念は残っているにしても、昔流の“家”という概念はほとんどなくなっていて、婚姻で結びつける家同士の利害といったものも考えられなくなってきています。法律上も親戚だから自分の銀行の資金を融通するといったわけにはいきません。

 しかし元にもどって、その大昔の“親の決めた結婚”とか“政略結婚”とかって、そんなに悪いものでしょうか?


【親の決めた結婚だっていいんじゃない?】
 例えば、大財閥の御曹司との結婚話がドンドン進んでしまい、しかたなく会ってみたら松坂桃李みたいな好青年だったらどうします? お金持ちの素敵な男性ですよ?
 〇〇デパートの社長のお嬢さんとの縁談が勝手に進んでしまい、しかたなく見合いの席に行ったら桐谷美玲みたいな女の子がキラキラ輝く目でこちらを見ていた、その上いきなり「失礼で不躾ですが、言わずにいられません。私、あなたに一目ぼれしたみたいです」とか言われたらどうします? それでも「いや、ボクは親の決めた結婚はしませんので」と決然と席を立って帰って来れます?

 そう考えると、基本的に出会い方なんてどうでもよくて、相手がいい人ならそれでいいんですよね。夫婦愛なんて結婚しなければ育めませんし、やってダメなら離婚というのは大恋愛で場合も同じです。
 そう考えると昔の人の方が、相手選びや判断・決断についての悩みもなく、楽だったのじゃないかと思うのは見方が甘すぎるでしょうか?
 今の自由な若者の方がよほど大変で、しかも結婚によって幸せになるとは限らない――。


【親のレール】
 似たような言い方に、
「『いい高校からいい大学へ、それからいい企業に』っていう親の引いたレールに乗るような人生は嫌だ!」
というのがあって、これを最初に聞いた時には私もびっくりしました。

 だいたいレールは“敷く”ものであって“引く”ものじゃありませんし、「いい高校からいい大学へ、それからいい企業」なんて、親の言う通りにしようと思ったって簡単にできるものではありません。できるかできないか分からないという点から考えれば、この場合の「親のレール」は地図に描いた予定線みたいなもので、その意味では「地図上のことなら“引く”でもいいか」と私も引き下がらざるを得なくなります。
 
 本来の「親の敷いたレール」は同族大企業の御曹司みたいな人の前にあるもので、普通に走っていれば地位や財産が保証されている強い道筋のことを言います。努力しなくても金とステータスが転がり込んでくるのです。そう言われるとむしろ「レールを敷いてくれない親」の方を恨みたくなりません?

 “大企業”とまではいきませんがつい十年ほど以前まで、地方の酒造メーカーの御曹司などは「親の敷いたレール」に乗るか下りるかが大問題でした。何と言っても斜陽産業でしたから。
 例えば俳優の佐々木蔵之介さんの実家は京都の酒造会社ですが、長男は建築士になって家を出て、次男の蔵之介さんも神戸大学の農学部で醸造の研究をしていたはずなのに突然「俳優になる」といってこれも家を飛び出し、置き去りにされた中国文学科卒の三男坊があとを取ることになりました。ところが今や日本酒は海外の日本食ブームのために日の出の勢い。
 佐々木酒造も毎年「全国新酒鑑評会」や「インターナショナルワインチャレンジ日本酒部門 」「ワイングラスでおいしい日本酒アワード」とかで受賞を重ねていますから、これからが本格的に面白くなっていく時期かもしれません。

 つまりここでも言いたいのは、“親が決めたから悪い”のではなく、その“親の提示したものの中身がいいか悪いか”が問題だということです。
 さらに言えば親が子の将来に対して口出ししないことにも、いいことかどうか議論の余地があると思うのです。


【お前の人生だから好きなように生きなさい】
 ものわかりの良い、いい親の言葉とも取れますが、裏を返せば「自分で選んだことだから、責任は全部自分で取るのですよ」という冷たい響きも感じられます(まさか「うまくいかなかったら、あとは全部お母さんが面倒見てあげるから」とはならないでしょう)。もちろんそれでいい場合もあります。けれど私は、親は子どもの将来に、もっと関わっていいように思うのです。
 どうせ「ああしろ」「こうしろ」と言ったってききはしないのです。だったら「こうしてほしい」「これが私の望みだ」くらいは、言ったって何の問題もないのではありませんか?
 私たちだってバカではありませんから、子の将来に願うことにはそれなりの理由があるのです。その「理由」の部分がうまく説明できなためにすぐに切り返されてしまいますが(ちゃんと説明できるようにしておきましょう)、それでも間違った願いを持つことはあまりないのです。

 親の願いにまっすぐに沿ってくる子がいたらそれはそれで構いません。まず最初に親の言い出したことですから、うまくいかなかったら半分くらいは責任を取ってあげましょう。半分親のせいにできるなら子も楽です。
 逆に子が、徹底的に反抗して生きるなら、それはそれではっきり道筋の見えた生き方です。「親の言う通りには絶対ならんぞ」と決心した子は、きっと強い生き方をしてくれるはずです。

 いずれにしろ、子を放り出して路頭に迷わせるようなことはしたくないと、ずっと思ってきました。


                                 (この稿、続く)


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2018/2/25

「更新しました」〜教育学部入試がレベルダウンだそうで・・・  教育・学校・教師



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 下の方へ記事を探してください。

  
「キース・アウト」
↓↓↓
2018.02.25
「忙しい教師」敬遠? 教員養成学部の倍率低く
http://air.ap.teacup.com/supert/2997.html

 




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2018/2/23

「大人が自分たちのためにつくった世界」〜大人になりたくないキミに 4  政治・社会


 4日目、最終日です。

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(ローレンス・アルマ=タデマ「葡萄の収穫祭」 GATAGより)

【カイゼン(kaizen)】
「カイゼン」って知ってるかい? 漢字で書けば「改善」のことだけど、カタカナやローマ字で書く場合はトヨタ自動車が始めた独自の生産に関する考え方のことをいう。中身は、作業効率の向上や安全性の確保などに関して、経営陣から指示されるのではなく、現場の作業員が中心となって知恵を出し合い、提案していくことだ。

 トヨタの生産方式が広まって、いまではどこの国に行っても「kaizen」が叫ばれているみたいだけど昔は違った。特に欧米の企業の場合、作業効率や安全に関して新しいことを考えたり提案したりするのは経営陣の仕事であって、現場は言われたとおりにすることが義務だったんだ。それがどんなに間違っていようともね。
 経営陣と従業員の間には厳然としてたガラスの壁があって、お互いが見えていても話し合うことはなかった。
 そういうの、どう思う?


【私たちは必要とされている】
 日本人がよく働くことの背景には、そうした欧米にはない「どんな下っ端でも会社に貢献できる」「よりよい組織に作り上げていくことができる」という独特の企業風土があるのだ。つまり社員は単なる労働者ではなく、自分が属する企業の重要な構成員であり、自分は会社からも同僚からも必要とされている――。
 ね、分かるだろ?

 この「自分は会社からも同僚からも必要とされている」ということ――それを大人はしばしば「責任がある」という言い方で説明するが、キミたちの言う「生徒会役員としての責任がある」とはずいぶんニュアンスが違う。
「自分にしかできないことがある」「自分は期待されている」「誰よりも自分が一番うまくできることがある」、だからやらねけばならない、行かなければならない、そういう意味なんだ。
 雨が降ってもやりが降っても、大雪でも大地震の翌日でも、大人が何とかして会社にたどり着こうとするのにはそういう理由があるんだ。

 その力を“自己効力感”と呼ぶこともあれば “有能感”とか“やりがい”とか、あるいは“モチベーション”とかいった言葉で呼ぶこともある。それぞれ意味は異なるけど、要するに会社に行って仕事をすることには喜びがあるということだ。
 そして他の人より、あるいは他の会社より、良い仕事をより多く行い、より高い収益を上げて会社も自分も豊かになれば、その喜びは極限まで高まっていく――。
 もうそれはほとんどお祭り騒ぎみたいなものだ。

 けれどそう言うと、キミはきっとこんなふうに聞くだろうね。
「でも、大人たちがそんなに面白おかしく仕事をしているとしたら、どうして電通のように自殺者が出てしまうの? それでいいと思っているわけ?」
 まったくその通りだ、それでいいわけがない。毎年2万5千人もの自殺者の出る国は何かが間違っている。


【どこが間違っているのか――】
 ひとつは単純なこと、どんなに面白くてやりがいがあることでも、やりすぎちゃダメだってことだ。
 いくらスポーツが好きでも体を壊すまでやっちゃあダメだとか、お酒が好きでも毎日酔いつぶれてしまうようではいけないといったのと同じレベルで、いくら楽しくても病気になるまで働いてはいけない、それは当たり前のことだよね。

 それは分かっているのだけれど、しかしスポーツやお酒が好きでやめられないのと同じように、好きな仕事に歯止めをかけるのはなかなか難しい。だから本人ではなく、企業や組織自体が自動的に仕事を止める仕組みを作っておかなくてはいけない。必要なら人数を増やすとか、仕事を減らすとか、そういうことを客観的に判断する方法も見つけ出しておかなければいけないよね。それらは全部これからの仕事だ。

 そしてもうひとつは、個人差を認めろということ。
 私は昨日、
「(この国は)互いに働いている様子がよく見える社会、だから怠けることを許さない社会、働かざる者は食うべからずの社会だともいえる」
と言った。でも怠けているわけでもなく、しかしみんなと同じようにできないってことって、やはりあるよね。

 電通事件の場合、亡くなったのは新入社員の女性だった。
 もちろん総枠として電通自体が仕事を抱えすぎ、しかも過剰労働が常態化していたことが一番の問題だけど、同じ時間外労働100時間でも新人の100時間とベテランの100時間はまったく意味が違う。

 私も教員だった頃は月100時間近い時間外労働をずっと続けていたけど、その辛さはまったく違った。
 初めて教員になった最初の1か月は絶望的に苦しかった。午後になると頭の中が真っ白になって耳鳴りが聞こえるんだ。
 1年たって仕事が一回りしたらだいぶ楽になったけど、それでも後から考えるとかなり苦しかった。
 そして10年もたってベテランと呼ばれるようになると、そうとう楽になる。


【時間が解決することが多い】
 何と言っても気の抜き方・手の抜き方が分かってきて、一日の中に何回も神経の休み時間をとることができるようになった。仕事も十分に分かっているから“どこから手を付けたらいいのか困り果てる”といったこともなくなり、見通しをもって仕事ができるようになる。そして何か問題が起こっても、途方に暮れるのではなく闘争心に駆られ、むしろ楽しんでことに当たれるようになった。そうなると100時間の時間外労働なんて実にへっちゃらなのだ。

 そのベテランが新人に同じように働くことを求めるとしたら、やっぱり間違っている。
 でも現場では、知らず知らずのうちにそれが求められる場合がある。

「業種別の離職率」という統計が出ていて、それによると離職率の高いのは「教育・学習支援業(学校は含まない)」と「宿泊業・飲食サービス業」「生活関連サービス業・娯楽業」。逆に低いのは「鉱業、採石業、砂利採取業」「電気・ガス・熱供給・水道業」「製造業」ということになっている。

 見ればわかる通り前者は人間相手、後者はモノ相手が中心の仕事だ。しかし見方を変えると、前者は学習塾や旅館・商店・理美容や遊技場といった小規模・零細の職場であるのに対して、後者は主として中小以上の大規模の職場ということになる。

 規模が小さいと一人ひとりの重みが大きく、長い研修期間ももてないから4月にいきなり最前線で、ベテランと同じレベルの仕事をしなくてはいけなくなる。それが大変なのだ。長続きしないのも無理ないよね。
 そうしたことも考えなくてはいけない。

 こんなふうに問題はまだまだたくさんあるけど、そうした働き方改革の仕事も含めて、キミたちにはまだまだやらなければいけない仕事、やって楽しい仕事、さらにやりたくなる仕事がいくらでもあるのだ。

 大人になって損はない。大人の世界は入ってみれば面白いに決まっている。だって大人が自分たちのためにつくった世界なのだから。


                         (この稿、終了)



 
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2018/2/22

「ブラック企業の問題」〜大人になりたくないキミに 3  政治・社会


 昨日の続きです。

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(イリヤ・レーピン「パリのカフェ」 GATAGより)

「ブラック企業」という言葉にもいろいろな概念があって、広い意味では暴力団などが運営する反社会的あるいは非合法な企業とか、最初からあきらかに使い捨てにするつもりで雇用し過重労働や違法労働を繰り返す企業とかもあるけど、ここではいちおう、普通の企業・組織でありながら過重労働や長時間労度、あるいはパワハラが常態化している企業・組織のことを考えることにする。

 具体的に言えばかつての「電通」のような企業だ。あるいは都府県によっては平均労働時間と過労死基準とが同じになってしまっている“学校”という組織も、その中に入ると思う。要するに仕事内容はまっとうでも、膨大な超過労働が行われ、しかも給与に反映しない、パワハラや大量のクレームに曝され、神経の休まる暇もない、そんな企業や組織のことを、とりあえずここでは「ブラック企業」と呼ぶことにしよう。

 その上で、
 まだ学生のキミたちは、月80時間100時間といった超過勤務、しかもその大部分が給料の支払われないサービス残業だなどと聞いたりすると、世の中どんだけ厳しいんだ、社会はそんなに恐ろしいところかか、とすっかりビビッてしまうかもしれないが、まあ聞いてくれ。これにはちょっと面倒くさい、けれどある程度納得のできる、困った事情があるのだ。


【労働という国民病】
 日本人がよく働く、という話は聞いたことがあるね。
 エスニック・ジョークに
 もしも、明日世界が滅亡するなら
 イタリア人は、最後のベットを共にする女性を探す。
 ドイツ人は明日までに新技術を開発して滅亡を防ごうとする。
 アメリカ人は軍事力で何とかしようとする。
 フランス人は世界の終焉を芸術にしようとする。
 日本人は、会社に行って仕事を明日までに終わらせる。

というくらいだから。

 働くことは日本人にとってもう国民病のようなものだ。
 しかし日本人がそうなってしまったことにはたくさんの理由があるんだね。


【稲作の民族】
 例えば、日本人は農耕民族だよね。しかも稲作中心の。
 その稲作というのが結構大変で、だって水田って斜めの土地じゃダメでしょ。田んぼの一枚一枚は必ず水平じゃなくちゃいけない。しかも田を満たす水も、ほとんどの場合は遠くから引いてこなくちゃいけなかった。
 つまり日本の場合、稲を作ろうとしたら最初からみんなで協力して、土木工事をするところから始めなくちゃいけなかったんだ。一家族や二家族ではとてもできることじゃない。

 その点で大陸の、広大なデルタ地帯のどこかを区切って田んぼにすればいいといった国とは、全く違っていたんだ。
 みんなで働くことに最初から慣れていたんだね。
 しかしそれは裏返して言えば、互いに働いている様子がよく見える社会、だから怠けることを許さない社会、働かざる者は食うべからずの社会だともいえる。
 それが一つ。


【汗が尊重される世界】
 もしかしたらこれは武士道の影響かもしれないけど、この国には額に汗して働くことが尊いとされ、職人や農民が尊敬される文化がある。そのことも私たちが働くことに熱心な理由のひとつなのかもしれない。

 江戸時代は武士が威張っていて農民や町人は馬鹿にされていたと思われがちだが、武士道の基本的な考え方は、「何も生産していないのに農民や町人から税を取り立て、無為に生きている自分たちはどう生きるべきか」といった疑問から始まっているんだ。
 そこには生産者に対する負い目があり、負い目があるからこそ侍は清く正しく、農民や町人のお手本になる生き方をしなければならないと考えたらしい。そのことがやがて明治維新になって汚職をしない官僚を生み出し、日本の近代化をあと押ししたことは有名だよね。

 ところがヨーロッパなどでは、額に汗すること自体が恥だといった文化があるようなんだ。
 サービスとサーバント(奴隷)は語源が同じで、両方とも下々の者の行うことだ。だからフランスあたりの店員は、高慢な表情とぞんざいな態度をとらないと、自分が保てないのだという話を聞いたことがある。
 また最近、どこかの国の一流ホテルで、清掃係がトイレで使った雑巾でコップを拭き、客の使った歯ブラシをそのまま包装し直してまた使うといった実態が放送されたけど、それだって似たような考え方なのかもしれない。
 彼らは恥ずかしい仕事をしている、だからいつも不機嫌でいい加減なのだ。
 
 しかし日本は違う。
 外国から来た観光客が、日本ではデパートで何も買わなくても王侯気分が味わえると言って、店員さんの腰の低さ、柔らかな物腰、笑顔、挨拶などに感心したりするけど、あれは店員さんたちが奴隷気分になって“お客様は神様です”とかしずいているからではないだろ?
 有名な新幹線の車内清掃、あの芸術的な仕事も、係の人たちが忠実で優秀な召使みたいだからじゃないよね?

 みんなその世界でのプロだからだ。一流だからだ。
 仕事に誇りを持っていて、よりよく達成したいと考えているからだ。そうだろ?


【誇りある仕事】
 ウチの近所に事務所を持たない土建屋のおっちゃんがいてね、一度銃刀法違反で刑務所に行ったような人だからそのスジの人だと思うのだけれど、一緒に飲んだことがある。
 毎朝暗いうちから若い人を集めて自宅から現場に行く、その男の子たちが見るからにワルそうで、学校では私たちの仲間を困らせていたろうなあと思うような子たちばかりで、そこで、
「やっぱり金の力って凄いですよね。学校ではとてもじゃないけど真面目にやりそうにない子たちが、あんなに早くから出てくるんだから」
 そう言うとおっちゃんは、
「Tさん(私のこと)それは違うぜ。金だけだったらもっと稼げる仕事はいくらでもある。土建の仕事を続けるには夢がなくちゃいけねえんだ。
 仕事が嫌になった若ぇ衆は、オレが現場に連れていく。そして『この、オマエがつくった護岸はオマエが死んだ後もこの街を守ってく』って、それがわかるヤツだけがこの仕事を続けていけるんだな。――まあ、下水の時はダメだったけど、地面の下で見えねえから」
「地面の下で見えねえから」には笑ってしまったけどよくわかる話だ。
 私は金のことを言った自分が恥ずかしかった。

 わかるね。こんなふうにみんな自分の仕事に誇りを持っている、それが今の日本の労働者の姿なんだ。そしてその誇りこそが、企業や組織がブラック化していく大きな原因のひとつだとも言えるんだけど、今日は時間がなくなった。続きはあした話そう。


                             (この稿、続く)
   





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