2018/1/12

「出生前診断」〜子どもたちは生まれる前から選別される  教育・学校・教師


 昨年末に終わったTBS金曜ドラマ「コウノドリ」についてひとこと書いておこうと思ったのですが、他に書くことがあり、今日まで延び延びになってしまいました。

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 「コウノドリ」は今回が第二節で、前回も興味深く見ました(2015/11/17「テレビドラマ『コウノドリ』のリアリティと原作マンガの裾野」)が、今回も全11話、丁寧に見させてもらいましたが、その中で特に心に残ったのが第10話(12月15日)の回です。
 出生前診断にかかわる物語で、胎児がダウン症と判定された二組の夫婦が、それぞれ苦悩の末に別々の判断に行きつくというものでした。

 すでに成長した子がひとりいる中年間近の夫婦は、自営業や家庭の状況から中絶することを決意し、もう一組の若い初産の夫婦はいったんは周囲に説得されて諦める覚悟をしたものの、妊婦は処置室の前で動けなくなり、出産へと方向転換をします。

 どちらの夫婦にも葛藤あり、二つの違った決断のどちらがよかったかは一概に言えません。ドラマの登場人物たちもどちらか一方を支持するというのではなく、それぞれ親の意思を尊重する形で物語を終えます。
 
 すぐれた終わり方でした。しかしそれは同時に問題を視聴者に投げかけ、“こういう事実がある、それに対してお前はどう考えるのか”と問うものでもありました。


【私は頑固な反選別主義者だった】
 教員というのは何より子どもの平等を愛する人たちです。そういうものを持っていなくても、教職を続ける中で公平に扱うよう教育され、骨の髄まで浸み込んでいます。
「先生はいい子や優秀な子ばかりかわいがる」
と言われたりしますがそんなのは嘘っぱちです。いい子や優秀な子なんて可哀そうなくらいに放りっぱなし。
 どこの学校、どこのクラスに行っても一番時間をかけ、丁寧に扱ってもらっているのは世間で「悪い子」「ダメな子」と言われるような子たちです(優しく扱ってもらっているとは言いませんが)。注ぎ込まれるエネルギーの量が違います。

「悪い子」「ダメな子」と呼ばれるような子は、うんと時間や力をかけ、丁寧にしつこく育てていかないと心配なのです。憎まれても嫌われても、力づくでも何とかしてやりたいと思うのはそういう子たちです。その子たちを排除しては教育は成り立ちません。

 そうした教師の立場からすると、出生前診断による子どもの排除など、最初から考えられないことです。
 すべての命は限りなく平等に扱われなければならない、不公平に生まれてきたならその部分を私たちが補わなければならない。生まれてこない方がよかった命などありえない――それが私たちの信念です。特別支援教育にかかわると特にその感は深くなります。


【一人の親としても】
 3年前、娘シーナが出産したとき、生まれた赤ん坊は新生児仮死の状態でした。数分間心臓が動かず、脳に血液の送られない状況が続いたため、のちの障害も覚悟しなければなりませんでした。その不安を数週間後、ふと漏らしたシーナに、私はこんな話をしました。
「仮に障害があったとしても、それが出産時の事故によるものかどうかは誰にも分からない。もともとそういった因子を持って生まれたのかもしれない。障害があるから不幸だというのも理由のない話だ。シーナだって『愛がすべて』と言ったじゃないか。
 さらに言えば、障害のない子がすべて順調に育つとは限らない。この間、危険ドラッグを吸って交通事故を起こし、3人もの人を殺してしまった子がいたよね。あの子だってたぶん20年前は健康な赤ちゃんだった。健康に生まれることと幸せになることは必ずしも一緒じゃない。それは何の保障にもならない。
 ハーヴはシーナとエージュの家に生まれた子だ。前にも言ったけど、それだけでハーヴは幸せの保障された子だ。それで十分だと父は思うけどね」

2015/10/2「いのちのこと」K〜それから

 どんなに重い障害があっても娘のシーナと婿のエージュはその子を大切に育てていくだろう、そして私たちも喜んで二人をバックアップするに違いない、それは自明のことでした。
 シーナも「そうだね」と答えて、二度と不安を口にすることはありませんでした。

 それ以後、ハーヴには障害の残った様子は見られず、私たちの覚悟も決心も試されずにきました。したがって実際に障害があった場合のことはわかりません。
 それでもシーナは仮に第二子ができても、前と同じように出生前診断を受けないでしょうし、どんな子が生まれてきてもそれを受け入れるはずです。
 ただしそれは我が家のできごとです。私の家はそうだというだけで、それが正しい判断かどうかは別問題です。


【事はそう単純ではない】
 さらに遡ること数年前、私は一人の保護者から難しい相談を受けることになります。
 その人の妹さんが初めて出産するにあたり、出生前診断を受けたところ18番トリソミーが見つかったというのです。21番トリソミー(ダウン症)と同じ染色体異常で、大雑把にダウン症と同じと考えていいでしょう。それで生むべきか諦めるべきかを迷っている。

「先生の奥さん、特別支援ですよね。その保護者の皆さんがどうお考えか、それを聞いていただきたいのです」
 ちょっと考えましたが、大勢の意見を集約するとなると妻では時間がかかりすぎます。担任と保護者はそうしょっちゅう会わないからです。そこで知恵を巡らせて、しばらく前、私が関係した障害者家族の互助組織のような会の代表者にお願いしてみることにしました。
 会員は皆明るく、前向きなお母さんたちばかりですから、きっと励みになる、いいお話が効けるに違いないと思ったのです。

 一週間後、定例会で話題にしていただいた結果が私にもたらされます。驚いたことに、お母さん方はこぞって生むことに反対だったのです。

 いま手元にいる子を愛すること、その子によってもたらされる幸せを感じることと、新たな命としてトリソミーの子を受け入れることとは別なのです。あるいは自分が受け入れることと、他人が受け入れることとは違う、そういう意味でお話しされた人もいたようです。
 私は問題の重さを改めて知るとともに、自分の浅はかさを恥じながら、聞いたことをそのまま相談者に伝えました。

 この話には後日談があります。
 結局相談者の妹さんは赤ちゃんを諦めたのですが、後に心を患い、婚姻も解消して実家に戻ってしまいました。自責の念が強すぎたようです。
 では生んでいれば良かったのかというと、それも分かりません。


【私たちは出会う】
「コウノドリ」第10話の結論はやはりそれしかないものでした。
 どちらの判断が正しいのかは分からない、しかしどちらであったにしても、周囲の人間は両親の決断を全力でバックアップしていくしかない――それが昨年12月15日の「コウノドリ」から学んだことです。

 教師としての私たちが障害を持つお子さんと出会うのは学齢期に達してからです。子どもがある程度しっかりして、親子関係や家族の形がある程度固まってからのことです。
 ですから私たちはその日までの家族の歴史を知らない。その決断や覚悟、葛藤や哀しみ、切なさ、喜びや嬉しさ、希望、夢、そうしたものを一切知らないまま、その子と向かい合うわけです。
 けれどその中身は知らなくても、そこに気高いもの、最重要で大切にしなくてはならないこと、敬意を払わなければならないものがあることはきちんと胸に据えておく必要があります。そしてその子とその家族を支えていく、それが私たちの使命だと思うのです。

 実際のその子は、悪戯もすれば聞き分けもなく、頑固だったりする普通の子なのですが。




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