2018/1/10

「答えのない問い」〜小学校英語は作文より大切なのか?  教育・学校・教師


 オバちゃんから電話がありました。
 オバちゃんと言っても親戚筋ではなく、中学校時代の同級生です。結婚して苗字が変わったのに、旧姓からつけられたニックネームで今も呼ばれています。

 中学生の頃はむしろ男の子みたいな爽やかな印象で、“オバちゃん”の愛称もかえって違和感がなかったのですが、中年になってすっかりそれらしくなると“オバちゃんをオバちゃんと呼んでいいのか?”という素朴な疑問に悩まされたりします。しかし本人が平気みたいですので、そのまま呼ばせてもらっています。

 さてそのオバちゃんは結構面倒くさい人で、日ごろ付き合いがあるわけでもないのに唐突に電話をかけて来て、無理難題を吹っ掛けることがあるのです。特に私が教員になってからは、学校や担任に対する不満をとりあえず私にぶつけて、その反応を見てから必要なら学校に出向くと、そんなやり方をしているフシがあります。
 ただしそれは私にとってもかなりありがたいことで、その都度、“ああ保護者は、こういうことをこういうふうに考えるのか”“こんなふうに答えたらどうかな”と勉強になったりしました。
 今回持ち込まれたのもこんな話です。

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【学校文集がなくなる】
「あのさ、Tくん、孫の学校のことだけどさ」
 還暦を過ぎた私を“Tくん”と呼んでくれる女性がいるのは嬉しいことですが、中学の同級生と“孫”の話をすることには別の感慨があります。
「もらってきた学校だよりに『今年度を最後に、学校文集を廃止します』って書いてあるんだけど、これ、どういうことよ?」
 私はもう学校現場を去っていますし、オバちゃんの孫が通っている学校とは縁もゆかりもありませんから答えようがありません。
「説明はなんて書いてあるの?」
「それがさ、『1、授業時数の確保のため。来年度から英語も始まります。2、保護者の経費負担削減のため』と、それだけ。作文を書く時間もないってこと? 負担削減って、どんだけ皆さん貧乏なわけ?」
 それを聞いて私はハハンと思いました。
 日ごろから学校側に立ってものを考えることに慣れているので、大まかな想像はついたのです。


【作文指導は地獄、時間は果てしなくかかる】
 中学校の国語の先生がどう作文指導をしているかは知らないのですが、小学校についてはよく承知しています。ひとことで言って、とても大変です。

 特に学校文集というのは下手をすれば何十年も手元に残ってしまうものです。自分の分は抹殺してもかつての同級生が後生大事に保存していたりします。学校保管の文集を数十年後、図書館の隅で書いた本人の実の子が、ニヤニヤ笑いながら読む可能性だってあります。
「父ちゃん偉そうなこと言ってるけど、つまらねぇ小学生だったんだなぁ」
 そういったことにならないよう、担任教師は全力を尽くしますが、数十年後に恥をかかせないだけの優秀な文章を作らせるのは容易ではありません。

 学校文集は旅行記などと違ってテーマを狭く絞ることができません。基本的に自由ですから、校庭の真ん中で子どもを解き放ったみたいに、皆あっちこちに走り出してしまいます。そのいちいちを捕まえて指導するようなものなので大変なのです。教師ばかりが疲弊する。
 もちろん構成カードなどを使って書きたい内容をメモにして、それをあちこち並べ替えて全体構成を考えるといった工夫はします。しかしそんなのは優秀な子にとってむしろ回りくどく、一発原稿用紙に向かった方がはるかにいい作品ができたりします。その一方で、同じ教室にとりあえずカードすらかけない子もいたりします。
 そんなさまざまな子たちを教卓に呼びつけ、さまざまに話をしながらイメージを固め、子どもの頭に浮かんだことを箇条書きにさせ、いったん自席に返す。その間もカードや作文を見てもらいたい子は列をなして、すっかり飽きた子は後ろで喧嘩を始めたりする。

 信じられないくらいの速さ――例えば原稿用紙2枚分を30秒足らずで読んで問題点を紡ぎ出し、改善策を子どもと一緒に考え、話し、励まし、席に返してやるまでを都合2分で済ませたとして、35人学級で70分! 1時間(45分)の授業時間を25分も伸してしまうわけです。
 子どもの作文指導を2分で済ませたというだけでも心痛むのに、実際には授業中に全く見てやらない子が何人も出ているのです。だから作文指導の時間は4時間、5時間とやたら長くなる。優秀な子はその間、自習するしかない、そうでない子はいつまでも悩んでいる・・・。

 そうなるとここからが担任の腕と誠意の見せ所ということになります(ずるいことも含めて)。
 子どもたちの個性・独創性・独自性を大切にしようとすれば(誠意)、時間は果てしなくかかります。そうではなく、担任がある程度線路を敷いてやる、聞こえのいい言葉で言えば「お手伝いしてやる」(腕)ことにすれば、時間はかなり短縮できますが、腕を振るえば振るうほど作文は「その子のもの」ではなくなっていく。

 現実問題として最終的には同じ文集の中に「児童生徒100%」の純粋な作文もあれば「児童生徒40%、担任60%」のブレンド作文も同時に存在することになります。最後のひとりの「40%の『その子』」を残すために、担任は大変な苦労をしているわけです。
 しかしそれでも40%は残せたことに担任は満足しなくてはなりません。やりかたによっては10:90の作文だってよかったわけです。「数十年後はどうせ覚えていないだろう」とうそぶくことだってできたわけですから。


【作文指導がなくなるわけではない】
 もちろん学校文集がなくなっても作文指導がなくなるわけではありません。
 国語の授業には「作文」の単元があるのでその時間内に指導しますが、これはいわば自動車運転の教習所内講習みたいなもので、たくさんの枠を与え(例えば“主題をそろえる”とか“起承転結といった形式をそろえる”とか“書き出しを同じにする”“接続詞に注目させる”など)、その内部だけで試行するもので、「さあ自由に書きましょう」(路上講習)というわけにはいきません。あくまでも「基礎の基礎を学ぶ」範囲にとどまります。
 問題は「それで作文力がつくか」ということです。

 私は反語的に「つかない」と言いたいのではありません。よく分からないのです。
 教育の最終的な部分は常にそうです。今行っている指導でほんとうに力はつくのか、その力は将来役に立つのか、そもそも生きて行く上で作文力は必要なのかといったことは、厳密には証明できないのです。


【週2時間の外国語学習で英語は身につくのか】
 同じ論理をつかえば、オバちゃんの孫の学校で学校文集を破壊してしまった小学校英語(正確に言えば「外国語」)、現在の予定では週2時間相当ですが、この程度の学習で英語力はつくのか――それも未知数です。

 よく、
「中高あわせて6年間も勉強しながら、日常会話ひとつできない日本の英語教育は間違っている」
といった言い方をしますが、下手をすれば「小学校3年生から10年間も勉強しながら日常会話もできない――」といったことにもなりかねません(たぶんなります)。
 実際問題として私たちが今、一念発起して英会話を身に着けようとしたら、週2時間の学習でなんとかなるとはだれも考えないでしょう。

 そもそもこの国に暮らしている限り、英語なんてできなくても少しも困りません。英語の映画も書籍も、片っ端吹替ないしは翻訳されたものが出てきます。1億2600万人も人口があると相当に難解な作品・書籍であっても十分採算が取れるからです。
 海外旅行に行くにしても、必要最低限の会話は翻訳ソフトで事足ります。
 私は最近ハマっているVoiceTraは31言語に対応し、そのうちの16言語はスマートフォンに話しかけるだけでその場で外国語に翻訳・音声出力してくれます。こうした翻訳ソフトは2020年に向けてとんでもなく進化していくはずです。

 こんな国ではどんなに英語を学んだところで、それなりの就職をしないとみんな忘れてしまいます。かつて勉強したはずの微分・積分、摩擦係数やら化学式やらが全部忘れ去られたように、英語だけが使わなくても知識として残るなどありえないのです。

 話を元に戻して、
 それでもなお、外国語のために学校文集のようなねちっこい作文学習は捨てられるべきだったか――。


【最後に残る問題】
 最後に残るのは「保護者の経費負担削減」の問題です。
 そこでオバちゃんに聞きます。
「学校文集って、それ、いくらかかるの?」
 電話の向こうでオバちゃんが大声でお嫁さんに尋ねる声が聞こえ、それから私に返事があります。
「700円だって」
「そうだよね、高いよね。先生たちも毎年買って、少しでも単価を下げようとしてるんだけどどうしてもそうなる。
 一軒で小学生が二人いれば“二冊分1400円お支払いください”と言って保護者に激怒される学校もあれば逆に、“一家に何人にいても700円でいいですよ”と言って他の家から“人数で割れば単価も下がるのに、なんであの家の兄弟分まで私たちが払わなければならないの”と怒られる例もある。
 いずれにしろ“無償”である義務教育に一銭も払いたくないという人はたくさんいるし、実際に貧しくて1円の出費も惜しいという家だってある。子どもの貧困って聞いたことあるよね」

 学校を批判する仕事をする人は世の中にいくらでもいるので、一応学校側に立ってなだめるつもりで話しましたが、話している私自身、最後まですっきりしない話ではありました。オバちゃんに対する答えになったとも思いません。

以上、「答えのない問い」に対する「答えにならない答え」でした。
 

追記
 いま突然気づいたのですが、小学校英語をはじめ、思いつくありったけの負担を被せてから「これ以上教師の負担を増やすな」と教師の働き方改革を言い出すって、定価を上げてから大幅値引きする詐欺商法と一緒じゃないか!

 ホントに汚ねーな!!






 
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2018/1/9

「犬の話」〜3学期初日の話のネタに 2  歴史・歳時・記念日


 いよいよ新学期。
 書初めやら給食袋やら、山ほどの荷物を抱え、寒い朝を元気に登校してくる子どもたちの様子が目に浮かぶようです。
 この子たちは荷物以外に、いったい何を抱えて学校に向かうのでしょう?
 新学期といってもほとんどの教師にとっては何回も経験した学校再開の一齣にすぎません。しかし子どもの中には本気で気持ちを改めて来る子がいます。ましてや新年新学期です。

 実は蓋を開けたら去年のその子と全く同じ、ということもあるかもしれませんが(普通はそう)、とりあえず“新しい気持ちでくる子”として遇してやりたいものです。その“新しい気持ち”はたいていの場合、“良きもの”なのですから。

 ところで今月3日に私の年賀状を紹介しましたが、実は毎年数種類の賀状をつくって相手に合わせ使い分けています。例えば私の個人的なつき合いとか、家族の様子を知らせたい相手とか、かつての教え子とか――。

 特に現場の教員だった昔は、大人用のものをクラスの子どもに渡すわけにはいきませんので、小中学生向きのものを別に作り、それを送りました。たいていはその年の干支にかかわる豆知識を、びっしり書き込んだものです。
 今や教え子たちも大人になってそうしたことも必要なくなりましたが、こういったことも懐かしく楽しい思い出です。
 調べたら、ちょうど12年前のものが残っていたのでここに載せておきます。

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 さて年賀はがきの文中に「どういう意味か調べてみるといいですね」と書いてあるので、12年後の今の私が、それに応えて少し調べてみました。
「犬も歩けば棒に当たる」なんて、分かっていながらうまく説明できないものですから、やはりきちんと調べておくべきでしょう。
 

【基本的なことわざ】
・犬も歩けば棒に当たる(いぬもあるけば ぼうにあたる)
 でしゃばると思わぬ災難にあうと、じっとしていないで何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあう、どちらの意味にも使えるようです。

・夫婦喧嘩は犬も食わない(ふうふげんかは いぬもくわない)
 夫婦喧嘩というものは、つまらない原因だったり一時的なものだったりするから、他人が間に入って仲裁したり心配するものではない。

・犬が西向きゃ尾は東(いぬがにしむきゃ おはひがし)
 当たり前すぎるほど当たり前であること。

・犬に論語(いぬにろんご)
 道理の通じない者には何を言ってもむだ。

 なるほど、言われてみればそうだ。


【チャンス】
 犬=猟犬という発想から“チャンス”との関連でできたことわざもたくさんあるようです。

・犬一代に狸一匹 (いぬいちだいに たぬきいっぴき)
 よいチャンスにはなかなか出会えない。 犬の一生に狸のような大きな獲物をとるのは一度くらいだ。
・犬骨折って鷹の餌食 (いぬほねおって たかのえじき)
 犬が苦労して追い出した獲物を鷹に取られる。 苦労して手に入れかけたものを他人に奪われてしまうたとえ。鳶に油揚げをさらわれる。
・犬兎の争い (けんとのあらそい)
 両者が争って弱り、第三者に利益をとられること。 犬が兎を追いかけ、山を上ったりしているうちにどちらも疲れて死んだのを、 農夫が自分のものにしたという寓話から。


【従順】
「犬は三日の恩を三年忘れず」というように、犬は従順で、人間の友もしくは優秀な家来として認識されることも多かったようです。その点で調教の効く馬や鷹と同一視されます。

・犬も朋輩鷹も朋輩 (いぬもほうばい たかもほうばい)
 同じ主人に仕える以上、身分に違いはあっても仲良くしていく義務があるということ。 会社の同僚などについていう。
・犬馬の心 (けんばのこころ)
 主君や親のために尽くす忠誠心。
・犬馬の労 (けんばのろう)
 主君または他人のために力を尽くして奔走すること。 他人に対して自分の労苦をへりくだって言う言葉。「社長のためなら犬馬の労を惜しまない」等。


【忠誠心を見せない犬は可愛くない】
 したがって忠誠心を見せない犬は可愛くない。自分になつかない犬もいけ好かない。

・吠ゆる犬は打たるる(ほゆるいぬは うたるる)
 じゃれつく犬は打たれないが、吠えつく犬は打たれる。つまり人間でも、慕ってくる者は可愛がられるが、手向かう者は憎まれる。
・尾を振る犬は叩かれず(おをふるいぬは たたかれず)
 従順な人は、誰からもひどい仕打ちを受けることはない。
・杖の下に回る犬は打てぬ (つえのしたにまわるいぬは うてぬ )
 懐いていてすがってくるものには、むごい仕打ちはできない。

・捨て犬に握り飯 (すていぬに にぎりめし)
 骨を折るだけで無駄。 握り飯を捨て犬にやっても、ただ急いで食べて逃げて行ってしまうだけである。
・殿の犬には喰われ損 (とののいぬには くわれぞん)
 勢いの強い者やったことは、たとえ道理にはずれていることであっても泣き寝入りするしかない。

 そうかとおもうと、こういうこともあります。
・飼い犬に手を噛まれる(かいいぬにてをかまれる)
 日頃からかわいがり面倒をみてきた者からひどく裏切られたり、害を受けたりすること。

 だったら人間だって容赦しない
・狡兎死して走狗烹らる(こうとしして そうくにらる)
 すばしこいうさぎが死ねば猟犬は不要になって煮て食われる。これを人間に当てはめると「敵国が滅びると、軍事に尽くした功臣はかえってじゃまになり、殺される」。
 すごいな。

 また、従順さが表面だけという場合だってあります。
・犬馬の養い ( けんばのやしない )
 犬や牛馬に食物を与えて養うのと同じように、親を養うのにただ口腹を満たすだけで敬愛の念のないことをいう。


【犬死、つまらぬ者】
「犬死」という言葉があるように、犬にはつまらないもの、粗悪なもの、怒ると見境なくなってしまうもの、という意味もあるようです。

・羊頭狗肉(ようとうくにく)
 羊肉の看板を掲げながら、実は犬の肉を売っている。見かけと実質がともなわないこと。立派なものをおとりに実は粗悪なものを売ること。
・喪家の狗(そうかのいぬ)
 飼い主に見捨てられた犬。またはそのようにやせ衰えて元気のない人。

・飢えたる犬は棒を恐れず (うえたるいぬは ぼうをおそれず)
 飢えている犬は人に叩かれることも恐れないで食物に近づくように、 人間も食うためには法をおかすようなこともある。
・噛み合う犬は呼び難し(かみあういぬは よびがたし)
 夢中で噛み合って喧嘩している犬はいくら呼んでも来ない。自分のことで夢中になっている人は、何を言われても耳に入らないものだ。

・負け犬の遠吠え(まけいぬのとおぼえ)
 臆病者が陰で威張ったり悪口を言ったりすること。
・所で吠える犬はない (ところでほえる いぬはない)
・わが門で吠えぬ犬なし (わがかどで ほえぬいぬなし)

 どんな意気地のない者でも自分の縄張りでは強そうに振る舞う

・食うだけなら犬でも食う (くうだけならいぬでもくう)
 ただ食って生きているだけなら犬にだってできる。それでは人間としての価値がない。

 ここまで言われると犬も散々です。

 しかしそのろくでもない犬の糞となると、これはもうほんとうにどうしようもない。
・闇がりの犬の糞 (くらがりの いぬのくそ)
 闇がりでは犬の糞は見えないことから、人の気付かない失敗は知らんふりをする、という意味。
 どういう使いかたをするのでしょう?
・犬の糞で敵を討つ (いぬのふんでてきをうつ)
 卑劣な手段で仕返しをすることをいう。
 考えてみもしなかった――。


【使える】
 さて、今回調べた中には、今まで聞いたこともないことわざがたくさんあり、その中には覚えておくといつか使えそうなものも多くありました。

・兎を見て犬を放つ (うさぎをみて いぬをはなつ)
 ウサギを見つけてから犬を放して追わせても遅くはない。 失敗してから気がついてやり直しても、決して遅すぎることはない。
・一犬虚に吠え万犬これに和す (いっけんきょにほえ ばんけんこれにわす)
 一匹の犬が何かの影を見てほえると、あたりのたくさんの犬がその声につられてほえたてる。誰かがいい加減なことを言い出すと、多くの人がそれにつられて大騒ぎをする。
・垣堅くして犬入らず (かきかたくしていぬいらず)
 家庭内が正しく治まっていれば、それを乱すようなことは外から入ってこない。
 ――いいですねぇ。
・蜀犬日に吠ゆ (しょっけん ひにほゆ) 
 見識の狭い人が賢人のすぐれた言行を怪しみ、疑って非難するたとえ。 蜀(しょく)の国は雨が多いので日を見ることが少なく、たまに太陽を見ると犬が怪しんで吠えたという。

・煩悩の犬は追えども去らず(ぼんのうのいぬは おえどもさらず)
 いくら追い払っても、人の煩悩はつきまとって離れないものである。あ、これよく分かる。


【最後に】
 私にぴったりの「犬」にまつわることわざ。

・犬馬の歯 (けんばのよわい)
 犬や馬のようにむだな年齢を重ねた。自分の年齢をへりくだっていう語。



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2018/1/5

「今年はこんな年になります」〜3学期初日の話のネタに  歴史・歳時・記念日


 年末年始休業は今日も含めてあと四日(みんな! 宿題終わっているかな?)。学校ではいよいよ2018年が本格的に始まります。
 今年はどんな年になるのでしょう?

 現在予定されているもの、分かっていることについて、簡単に拾い上げてみました。学校の先生は3学期始業式の日に、子どもに話す話のネタとして参考にしてみてください。

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【今年予定されているできごと】
・皆既月食(日本全国で見られる)(1月31日)
・平昌オリンピック(2月9日〜2月25日)
・平昌パラリンピック(3月9日〜3月18日)
・ロシア大統領選挙(3月18日)
・「東京ディズニーランド35周年“Happiest Celebration!”」開始(4月5日)
・イギリス、ヘンリー王子とアメリカの女優メーガン・マークルの挙式(5月19日)
・FIFAワールドカップロシア大会(6月14日〜7月15日)
・歌手の安室奈美恵が引退(9月16日)
・眞子内親王が小室圭氏に降嫁(11月4日)
・BS・CS放送で4K・8K実用放送開始(12月1日)
・アメリカが国際連合教育科学文化機関を脱退(12月31日)

 *時期が不明なもの
 ・減反政策終了。
 ・名古屋城本丸御殿復元工事完了し全体公開。
 ・興福寺中金堂が落慶。

 
【周年】
〔10周年〕
・秋葉原通り魔事件(6月8日)
・リーマン・ショック(9月15日)

〔20周年〕
・長野オリンピック(2月7日)
・Google設立(9月4日)
・日韓共同宣言(10月8日)
・日中共同宣言(11月26日)

〔25周年〕
・皇太子成婚(6月9日)
・欧州連合(EU)発足(11月1日)

〔30周年〕
・青函トンネル開業(3月13日)
・東京ドーム開業(3月18日)

〔35周年〕
・東京ディズニーランド開園(4月15日)

〔40周年〕
・サザンオールスターズデビュー(6月25日)

〔50周年〕
・ビッグコミック創刊(2月28日)
・マーティン・ルーサー・キング暗殺 (4月4日)
・イタイイタイ病公害病認定(5月8日)
・ロバート・ケネディ暗殺(6月5日)
・週刊少年ジャンプ創刊(7月11日)
・東京都府中市、三億円強奪事件(12月10日)
 *ゴルゴ13連載開始

〔60周年〕
・関門トンネル開業(3月9日)
・HONDAスーパーカブ発売(8月1日)
・チキンラーメン発売(8月25日)
・東京タワー開業(12月23日)

〔70周年〕
・ガンディー暗殺(1月30日)
・朝鮮民主主義人民共和国建国(2月16日)
・学制改革による新制高等学校発足(4月1日)
・イスラエル建国(5月14日)
 *極東国際軍事裁判

〔90周年〕
・手塚治虫生誕(11月3日)

〔100周年〕
・パナソニック創業(3月7日)
・米騒動(7月22日)
・第一次世界大戦終結(11月11日)

〔150周年〕
・明治維新(10月23日)

〔200周年〕
・伊能忠敬没(5月17日)

 こうやって並べてみると、日韓共同宣言と日中共同宣言が同じ年であることは理解できても、それが長野オリンピックと一緒と言われると私の時代感覚も狂ってきます。日韓・日中宣言なんて長野オリンピックよりずっと昔のことのように思っていたのです。
 
 日本を代表するコミック誌、「ビックコミック」と「週刊少年ジャンプ」の創刊が同じ年というのも象徴的ですが、同時にそれがキング牧師やロバート・ケネディの暗殺事件と一緒で、三億円事件も同じ年となると、二つの異なる流れが同時並行で進んでいた様子が窺えます。
 私は高校2年生でしたが確かに世の中は浮かれていて、そして将来に不安を感じる雰囲気でした。ちなみにオイル・ショックで高度成長期が終わるのは、その5年後の1973年のことです。

 ガンジーの暗殺された1948年の前年8月にインドからパキスタンが分離独立し、暗殺事件の五日後、スリランカも独立して旧植民地インドの分断が固定化します。その同じ年に現在も紛争の火種であり続ける朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)とイスラエルが成立したことも、何かの因縁を感じます。
 すべての問題がスタートラインについたわけです。

 何千万人も犠牲を払って行われた社会実験「ソビエト連邦共和国」の命は69年でした(1922年〜1991年)。
 日本にとって今年は明治150年あたりますが、その歴史は太平洋戦争終結を挟んで二分することができます。その前半も、実質的な明治時代は西南戦争(明治10年)以降と考えると68年間、太平洋戦争の終結とともに時代が終わり、日本は生まれ変わったとも言えます。
 そしてその新生日本も、今年で73歳です。

 国家の寿命はおおよそ70年と考えると、北朝鮮やイスラエルが建国70周年、極東裁判で第二次世界大戦に決着をつけて70年。そろそろ日本も世界も、すべてが変わるときなのかもしれません。

 いいことなのか悪いことなのかわかりませんが。




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2018/1/4

「更新しました」〜部活を外部に移管すると、教員がボランティアとしてこき使われる  教育・学校・教師


「キース・アウト」

2018.01.02
 学校から部活がなくなる? 完全外部化の是非


 
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