2017/10/31

「ガンという病の分水嶺」  人生

 〜誰が生き残るのか分からない

 昨日ちょっと書いた96歳で亡くなった叔父の話です。

 父親方の叔父ですが、私の父も含めて叔父叔母の中では最年長で、男性としては唯一の生き残り、しかも20数年前にガンで余命三カ月を宣告された人です。
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 連れ合いの言うことをさっぱり聞かない人で、叔母も心得たもの、三回は空撃ちみたいに言っておいて4回目か5回目で本格的な交渉に入ろうといった感じがいつもありました。
「あなた、お風呂は?」
「あなた、お風呂は?」
「あなた、お風呂は?」

「あなた、お風呂は!!!」

「お風呂は!!!」

 気のいい人で私たち甥や姪には常に声をかけ、優しく接してくれる人でした。
 誰にでも気さくに声をかけて友だちになるので、「あれはオレのポン友だ」というような人が100人以上もいたかもしれません。
 そのうちの一人は私の母方の叔父で、亡くなったのは父方ですから知り合う機会などほとんどなかったはずなのに、一応親戚だということで探し出して仲良くなってしまうのですから大したものです。
「おっとりした人はガンでは死なない。死ぬのは思い詰める人と戦う人だ」
という私の理論を補強してくれたような人です。
・・・と思っていました。

 ところが、今回の葬儀で初めて知ったのですが、そうした叔父は“仮の姿”で、本当は気の短い癇癪持ちだったというのです。
 私の母も含めて叔母たちがこぞって言います。
「外面(そとづら)のいい人だったからねぇ」

 私たち甥や姪は、(一昔前の流行語で言えば)「びっくりポン!」です。
 世の中、分からないものです。
 そして必ずしも、ガンから生還するのは気の長い、おっとりとした人というわけではないのかもしれません。


【義姉の話】

 義理の姉(妻の姉)がガンです。
 昨年、義母の葬儀の日にそれと知れました。

「ステージ4」の胆管癌。
 ガンの中でも最悪の部類に入り、女優の川島なお美さん、ロサンゼルス・ソウル両オリンピックの柔道金メダリスト斉藤仁さん、ロカビリーの山下敬二郎さん、ラグビーの平尾誠二さんといった人々がこのガンのために倒れています。

「ステージ4」の5年生存率(一応治ったと判断される割合)はわずか2.9%です。診断から一年以内にほぼ80%が亡くなるという悪性のガンで、使える薬も多くはありません。

 義姉の場合、発見の段階で遠隔転移(他の臓器への転移)があったために手術不適合となりました。胆管癌の場合、遠隔転移が認められただけで「ステージ4」です。

 約半年、抗がん剤治療をしましたが、今年の6月になってからそれも使えなくなりました。副作用はあるのに病巣の拡大を止められなくなったのです。もともと使える薬が3種類しかなく(仮にA・B・Cと名付ける)、それも二つの組み合わせ(AとB、AとC)しかないので、使い切ると次がないのです。義姉は半年でそうないました。

 標準治療がなくなると全国の病院を調べて治験(治療研究)に参加することになります。
 ところが紹介された二か所は治療が始まる前に問題が発生して、治験そのものが中止になってしまいました。効きもしない(あるいは深刻な副作用のある)治療をしなくて済んだという点ではラッキーでしたが、もう一週間早くそれが分かれば、何も遠い病院まで金と期待をかけて行かなくてもよかったのにと恨みも残りました。


 標準治療も治験もなくなると代替え医療しか残らないのですが、この“代替え医療”、大金を使ってダイヤモンドを掘りに行くようなものなのです。
 掘ってダイヤを手にした人はいる、確実にいる、しかし必ず掘れるとは限らない、掘れる確率は一割以下、そんな感じです。

 それでも義姉は“話だけは聞いてみよう”と予約を入れたのですが、これが病院の都合で延期に延期を重ねているうちに早2カ月、現在電話待ちの状況です。

 何をやっても次の治療が始まらない。
 もうこうなると天は「何もするな」と言っているようなものです。


【で、実際は?】
 ところで肝心の義姉の具合はどうかと言うと、これがすこぶる調子がいい。
 抗がん剤をやめてから顔色もよくなり、化粧の乗りもいいなどと舞い上がっている。
 胆管癌の基本的症状である黄疸もなければ身体のかゆみもない。食欲は旺盛。
 6月の時には「左のわき腹が痛い」と自覚症状を訴えたのですが、医者からは「胆管ガンの痛みは右わき腹に出ますから、左の痛みは気のせいです」と軽くいなされ、それきりなくなってしまいました。

 以後、病院には行かず、レントゲンもCTも取らず、血液検査もしていませんから身体の中がどうなっているか分かりません。分かったところで何かやれることが出てくるわけでもないので、それでいいと思っています。
 義姉も何かノホホンとしています。

 とここまで書いてきて、今まで考えもしなかったことに突然気づき、我ながらびっくりしています。それは20年ほど前の私が、ずっと心の中に置いていたことだったからです。

 そのころ私が罹ったガンは「大細胞ガン」という悪性度の強いものでした。ほとんどの人が3年以内に亡くなっています、5年はもたない、だから“より悪性”と言われる――そう思ったとき、次のような考えが頭に浮かんだのです。
「そうなると3年間生き残れば、それで治ったと考えていいのかもしれない。死ぬべき運命の人はすでに死んでいるのだから」

 1年以内に80%近くが亡くなってしまう胆管ガンで、義姉が今も元気だということは、もしかしたらもう危機を脱しかけているのかもしれない、生き残る可能性は軍と上っているのかもしれない。
――もちろん余計な期待を与えないという意味で本人には言えないことですが。

 いずれいしろ、ガンというのはほんとうにミステリアスな病気です。

 亡くなる人と生き残る者の、分水嶺が見えないのです。


 
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2017/10/30

「子どもたちに、お経も教えておけばよかった」  知識

         〜柴崎コウとサボサボ・モラモラ

 NHKの大河ドラマは子どものころの「赤穂浪士」からかれこれ50年近くも見続けているのですが、今回の「おんな城主直虎」は特に気に入らない作品で、最近は見落とすことも多くなっています。
 何が気に入らないのかというと、まず主人公が愚かすぎて話にならない。素晴らしくよく勘が働いたかと思ったらとんでもなくつまらないミスを犯す、情に流されて家臣の足を引っ張る、特に一国の主だった者が盗賊の頭と駆け落ちを考えるなど、愚かにもほどがある、というか明らかに脚本がふざけている。

 ふざけていると言えば毎回のサブタイトル、「恩賞の彼方に」「長篠に立てる柵」「この玄関の片隅で」「井伊を共に去りぬ」はいちいちご丁寧に名作映画のダジャレで、そもそもそんなおふざけをする意味が分からない。

 そして何より腹が立つのが、細かな心理描写の必要な部分を、すべて言葉にしてしまう点です。
「もしや、そなたは〇〇ではなかったのか?」
――登場人物の深謀遠慮・感情の機微など、いちいち説明せずに描写で分からせるのが映像芸術じゃないかと、そんなふうにイライラさせられるのです。
 これでは視聴率も下がるはずです。

 もちろん役者さんに罪のある話ではなく主演の柴崎コウさんをはじめ、みなさま好演はしているのですが、何しろセリフが薄っぺらなので演技まで軽薄な感じになってしまいます。

 柴崎コウさんについていえばしばらく前、幼馴染で盟友だった小野政次の死を悼んで「観音経」を読む場面があったのですが、それは実に美しい、ほんとうに素晴らしい、なんとも言えずすごい演技だったのです。しかしひとたび振り返ってみるて、果たして読経というのはそれでいいのか、そんなふうにアレンジしていいものかという根本的な疑問もわいてきます。

 いずれにしろ現存の歴史的事実があまりも少なく、創作を挿入しやすいという事情があり、それを濫用しての好き勝手だ、と憤っていたのです・・・(それなら見るな!)。


【父の七回忌で教えられたこと】
 一昨日(土曜日)、父の七回忌で臨済宗の住職に来ていただきました。
 般若心経と観音経、そしてもうひとつのお経(経典名は失念)を読んでいただいた後、少しお話がありました。その中で、木魚や鉦を持ち歩かなくなって久しい、余計な音や道具もなく、本当に読むだけの読経、歌うように美しい読経がやりたいものだということでした。そして「おんな城主直虎」の話になり、あの柴崎コウの読経こそが今の理想だ、という話になって私もびっくりしたのです。

 聞くと住職のおっしゃるには、臨済宗には臨済宗の教えられた読経のやり方がある、しかし宗派によって違いがあるということは読経に絶対的な規範があるわけではない、自分が木魚や鉦を使わないように、供養の気持ちがきちんとしていれば、むしろそれぞれにあるべき姿の読経を求めて読むのが正しいことではないか――そういうことでした。

 お歳に似合わずこれまでも様々に斬新な試みをしてきた方なので、ほんとうにそれでいいのかどうかは分かりませんが、これでお経がすっと私の元に近づいてきたことには間違いありません。
 大きな声ではできませんが、柴崎コウ流の「観音経」(ページの下の方で音声を聞くことができます)、私も口ずさんでみようかな、と思いました。


【少し後悔】
 それにしても教員時代、なぜ子どもたちにお経のことを教えなかったのかと、今更ながら後悔しています。宗教の絡む内容ですので、扱いに神経質にならざるを得なかったのす。
 しかしこの国に生まれ、この国で生きていく以上、子どもたちも将来、いく度となく葬儀に立ち会い、あの長い長いお経に付き合うことになります。そのたびに退屈に苦しみ、眠気に苦しみ、油断してウツラウツラしているといきなり「喝――ッ!!」と叫ばれて椅子から転げ落ちそうになる、そういうことがないように、大雑把な話だけでもしておいて、興味のある子にはそれとなく水を向ける――そんなふうにしておけばよかったのです。

 「お経」について私の知るところは以前にも書きました(2011/11/4 お経の話)。したがって繰り返しませんが、要するにお経というのは釈迦の教えを漢文で書いたもので、漢語に置き換えられなかった部分(多くは概念として中国になかったもの)は古代インド語(梵語=サンスクリット)のまま音写されているのでさらに分かりにくくなったものです。

 妙な抑揚をつけて読まれるのは、正確に暗唱し伝承するためで、その意味では古代ギリシャ叙事詩「イーリアス」「オデッセイア」や、イスラム教のコーラン、琵琶法師の「平家物語」と同じ考えです。
 
 経典の数はちょっと調べただけでも気の遠くなるような分量ですが、葬式についてだけ言えば、だいたい「般若心経」「観音経」を少し勉強しておけば用が足ります。前者は「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」、後者は「念彼観音力(ねんぴかんのんりき)」で知られるお経です。

 「色即是空 空即是色」は「この世にあるすべてのものは因と縁によって存在しているだけで、その本質は空であるということ。また、その空がそのままこの世に存在するすべてのものの姿である」という意味でかなり哲学的な話になりますが、葬儀の席で人生の虚しさ、形のなさに思いを致すのは良いことでしょう。

 「念彼観音力」は「観音経」の中で13回繰り返されることばで「観音様のお力を念じれば」という意味です。観音様のお力を念じれば救われる13の状況、例えば「燃えさかる火の穴に落とされても」とか「大海を漂流して龍・鬼に襲われても」あるいは「悪人に山の頂から落とされても」、観音様のお力を念じれば必ず救われる、といった教えになります。
 ですからテストなどで困ったら心の中で「念彼観音力」と唱えれば、もしかしたら答えが浮かんでくるかもしれません。
 お葬式の最中、私は13回指を折って数え、大体どこまで進んだかを想像しています。基本は漢文ですから、あらかじめ勉強しておけば聞いていても何となく内容を思い出せるのです。


【サボサボ・モラモラ】
 ところでつい二週間ほど前、96歳で亡くなった叔父の葬儀に出席して、初めて聞くわけの分からないお経に少し戸惑い、少し笑ってしまいました。
 ナンジャ、コリャ?といった感じです。
 何しろ聞こえてくるのが、
「フジサートー サボサボ モラモラ モキモキ」
なのですから。

 ここまで訳の分からないのはたいてい、サンスクリットの発音ですべてを唱える「陀羅尼(だらに)」と呼ばれる呪文またはお経です。
 家に帰って調べたら「大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)」と呼ばれる経典で、禅宗では広く読誦される基本的なものだそうです。
 基本的な経典なのに知らなかったわけで、どんな場合も知ったかぶって偉そうな顔をしてはいけないと、改めて思った次第です。







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2017/10/27

「また爆発的に『いじめ事件』が増えた」  教育・学校・教師

〜もう子どもは自由にはさせられない

 昨夜6時のNHKニュースで、
「昨年度のいじめ認知件数32万件超 前年より大幅増」という問題を取り上げていました。
 それによると、

 文部科学省は全国の学校で昨年度、確認したいじめの件数を26日、公表しました。
 それによりますと、小中学校と高校、そして特別支援学校で確認したいじめは、合わせて32万3808件で、前の年より9万8000件以上、増加しました。

 内訳を見ますと、小学校は23万7921件、中学校は7万1309件、高校は1万2874件、特別支援学校は1704件で、小中学校については調査を始めた昭和60年度以降、最も多くなりました。

 都道府県別に児童生徒1000人当たりのいじめの件数を見ると、全国平均は23.9件でした。京都府が96.8件と最も多かったのに対して、最も少なかった香川県は5件ちょうどで、2つの県の差は19倍以上ありました。


 合わせて32万3808件、前年より9万8000件以上の増加したとなると、前年比43.3%増です。これだけ「いじめ」が問題視されている中で、なぜ突然こんなに増えてしまうのか。
 しかも京都府はほぼ10人に1件の割合でいじめ事件が起こっているのに、香川県は100人に1件もない、このばらつきは何なのか、京都府は極悪の地域なのか――。


【統計のウソ】
 結論から言うと、これは統計のマジックなのです。

 以前もこのブログで扱いましたが(2016/3/3「いじめ隠しはない、しかしいじめは増え続ける」〜自分の目で見る➈)、これまでも日本のいじめ件数は徐々に下がっては突然増えるということを繰り返してきました。
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 ネットではしばしばそれを、「大きないじめ事件が起こってマスメディアが大騒ぎをすると、慌てた教育委員会は調査し直し、学校は仕方なく本当の数字を出してくる」と説明しますが、しかし違います。

 母集団が万・十万といった巨大な値であってしかも数値が大きく動くとしたら、それはたいてい基準の変更なのです。いじめ問題について言えば「いじめの定義」が変わるのです。今回についても、
 いじめをめぐっては、岩手県や仙台市で被害を受けた生徒が自殺するケースが相次ぎ、文部科学省は学校や教育委員会の対応が不十分だったとして、今回の調査からいじめにつながるおそれがあるけんかやふざけあいについても、学校に積極的に報告するよう求めていました。
と、報告すべき内容が増えたのです(NHK7時のニュース、「ニュース9」ではそこまでの説明がありました)。

 さらにその定義は定規で測れるようなものではありませんから、各都道府県によってばらつきが出ます。
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 京都府は伝統的に厳しい数値を出すようにしています。ほかにも宮城・宮崎・千葉・和歌山、あるいは山形・山梨・大分といった各県は数値を多く出してきます。少ないところは少ない。それは定義があいまいで、それぞれ経験に即してやっているだけだからです。大した意味はありません。

 しかしそんなふうにあいまいなまま、いたずらにいじめ件数を増やしていくことにどういう意味があるのでしょう。


【子どもは自由を奪われる】
 ケンカやふざけあいも「いじめ」となると、教師たちは子どもたちを厳しい監視下に置かねばならなくなります。少しでもケンカの気配があったら割って入らなければならないからです。

 子どもたちは泥だらけになって傷ついて、自分たちの力で問題を解決する道を奪われます。少しでも不穏な雰囲気になったら、誰かが間に入って問題を解決してくれる、そういう学習をたくさん続けることになります。

 もちろんいかなる時も、友だち同士ふざけあう、なんてことはできません。それはいじめの予兆として厳しく制限されているからです。子どもたちは幼いころから他人との間に適切な距離をとり、必要以上に近づかないように訓練されなければなりません。

 本当は子ども同士、互いに高めあう関係であってほしいのですが、友だちを正す前に正す言葉が吟味されます。というのは嫌なことを言われて傷つく子がいるかもしれないからです。
 そしてそのうち面倒になって、誰も他人の悪いところを指摘したりしなくなります。そういうことは全部、先生にやってもらえばいいのです。下手に口を出して「いじめ」扱いされたらかないません。

 そのたびにハードルが高くなるのですから、今後もいじめがなくなる可能性はありません。もうこうなると科学的に「いじめ」を検討することもできないでしょう。

 あとはただ、監視のための教員増を願うだけです。



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2017/10/26

「桃太郎の謎」  教育・学校・教師

      〜秋の読書週間に寄せて

 秋の長雨が今年はやたら長く、ほとんど外に出られません。学校では休み時間に子どもたちが退屈していることでしょうね、図書館にでも行ってくれるといいのですが。

 それとは関係なく、夜が長くなるこの時期、秋の読書週間を設ける学校も少なくありません。しかし子どもに本を読ませることはいつの時代もなかなか大変で、大人のさまざまな工夫が必要です。

 私の場合、中学校から教員を始めたこともあって小学生向きの図書については知識が薄く、本を紹介しなければならないときはとても困りました。きちんと勉強すればいいのですが、日々の忙しさに取り紛れ、児童書をしっかり読むということがなかなかできなかったのです。そこで思いついたのが昔ながらの童話です。
 考えてみると「さるかに合戦」だとか「浦島太郎」、誰かに語り聞かされることはあっても本で読むということはなかなかなさそうです。だからかえって知らない。
 「金太郎」なんてただの「クマと相撲をとったスーパーベビー」です。
 あの子、何だったのだろう?

 ということでよく知られた童話を中心に、あれこれ考えるのが私流のやり方となりました。
 そうやってみるとなかなか面白いものです。


【桃太郎の謎】

 読書週間ですから、今日は本の紹介をしたいと思います。選んできたのは「桃太郎」です。

「え?、ちょっと待って! 桃太郎だなんて、そんなの保育園や赤ちゃんのときに終わっているよ」
 そんなふうに思った人はいない? いるでしょ?

 でも「桃太郎」の話って難しいよね。ちっちゃなころ、「桃太郎」を聞いたり読んだりしながら、すごく悩んだ人って、いっぱいいるじゃない。

 え? いない? ・・・いないんだ。
 変だな。私は昔から分からないことだらけで、いつも困ってしまっていたのに。

 たとえば、最初に桃を切ったとき、なぜおばあさんは桃太郎を傷つけないようにうまく切れたのかとか・・・。
 そうでしょ? あんな大きな桃を切るわけだから、普通は「エイッ、ヤア」と一気に包丁を入れてバキッとやりそうなものを「元気な赤ん坊が出てきました」と言うのだから、赤ちゃんを傷つけずに桃を切ったわけだよね。どうしてそんなにうまく切れたのかな、最初から赤ん坊がいるって知っていたのかな?
 ねえ、ほんとうに君たちはそんなふうに考えたことはないのかい?
 
 あるいは、桃太郎は大きくなって鬼が島へ行くわけだけど、どうして山の中の桃太郎が鬼が島のことを知ったのだろう、どうして鬼退治に行く気になったのだろう、不思議だなって考えないの?
 
 まだまだ不思議はあるよ。
 桃太郎はおばあさんにきび団子を作ってもらって、背中に「日本一」という旗を立てて出かけるわけだ。だけど鬼退治も何もしてないのに、なぜ最初から「日本一」なんだろう。恥ずかしくなかったのかな。
 自分から「日本一」だと言い出したとしたら、これはほんとにすごいでしょ。普通はそんなふうに言わないよね。なんかバカみたいでしょ?

 バカみたいといえばお供について行ったイヌ・サル・キジ、この三匹がきび団子ひとつに命をかけたってこと、これが「桃太郎」の最大の謎だよね。
 いくらお腹が空いていたって、団子なんかに命をかけちゃいけない、そんなことをするのはとんでもない大馬鹿者、そう言うことにはならないだろうか。
 
 そして最後のなぞ。
 「鬼が島」というからには鬼がウジャウジャいたはずなのに、桃太郎と3匹で全部やっつけてしまった。戦いに出た「ひとりと3匹」はこれが始めての戦いなのに、なぜあんなに強かったのだろう。普通、そんなことありえないじゃないですか。どうだろう。
 
 さて、ちょっと考えただけで出てきた五つの謎、これを全部黒板に書いてみるね。

「なぜ、おばあさんが桃を切ったとき、桃太郎はけがをしなかったのだろう」
「桃太郎は、どんなふうにして、鬼が島のことを知ったのだろう」
「なぜ、何もしないうちから『日本一』などという旗を立てたのだろう」
「なぜ三匹はきび団子ひとつで命をかけたのだろう」
「なぜ桃太郎たちはあんなに強かったのだろう」

 

【調べてみよう】

 ここに一冊の本があります。この学校の図書館にあった本で『ももの子たろう』と書いありますが、もちろん桃太郎の話です。
 実はこれを読むと、この五つの謎の答えがみんな書いてあるんだ。
 
 まず一番「なぜ、おばあさんが桃を切ったとき、桃太郎はけがをしなかったのだろう」
 この本の6ページに書いてあるから読むよ。
 
「じいさま じいさま。きょう 川で せんたくしてたら、おっきな ももこが ながれてきたで とっておいた。はやく あがって たべてござい」 ばあさまが いうと、
「おう おう、それぁ ありがたい。」
と、じいさまも おおよろこびで いろりばたへ あがった。
ふたりが ももを きろうとしたら、これぁ これぁ、これぁ、ほうちょうを あてるか あてないうちに、ももが じゃくっとわれて、なかから おとこの ぼっこ(あかんぼう) が、ほほぎゃあ ほほぎゃあと うまれたそうな。
「いややあ。こら、かわいい おとこぼっこだ、たいへんじゃあ。」

 
 ほらね、分かったでしょ。
 おばあさんは実は桃なんか切っていなかったんだ。包丁を近づけたところで桃太郎の方で飛び出してきたんだね。
 やっぱり調べてみなくちゃ分からない。
 
 2番目の「桃太郎は、どんなふうにして、鬼が島のことを知ったのだろう」
 これについても11ページに答えがある。見てみよう。
 
 ある日のこと ももの子たろうが おもてであそんでおると、みたこともない とんびが 一わ わをかいて、
  ももから うまれた
  ももの子たろうこ やい
  七つ やまこえ 七つ たにこえ
  おにがしまさ いけっちゃ
  おにたいじに いけっちゃ
  ひんごろごろ ひんごろ
 と なくのだそうな。

 
 分かったでしょ。桃太郎が自分で考えて鬼が島に行くことを決めたわけじゃない。トンビが行けといったから行くことに決めたんだ。
 トンビは神様のお使いだったのかもしれないね。
 
 3番目のなぞ、「なぜ、何もしないうちから『日本一』などという旗を立てたのだろう」
 実はね、この本を読んでいて私はびっくりした。
 見てみるよ。次のページだ。

 ホラ。
クリックすると元のサイズで表示します 実は「日本一」なんて書いてない。
 よく見ると――何て書いてあるかな?
「ももの子たろう」だ。
 ただ、名前が書いてあるだけなんだね。まだ何もしてないし、有名でもないから、まず名前を書いて出かけた、そういうことかな?
 
 もちろん、この旗に「日本一」と書いてある本もある。何かの理由があって「ももの子たろう」が「日本一」に変わってしまったわけだけど、これについては後で話そう。
 その前に、桃太郎の最大のなぞ、
「なぜ三匹はきび団子ひとつで命をかけたのだろう」

 最初の動物、イヌが登場するころを読んでみよう。
 いくがいくが むらはずれまで いくと、わんわんと いって いぬが きた。
「ももの子たろうさん、ももの子たろうさん。
 かたな さして、はた もって、どこ いきなさる。」
「おいら、おにがしまさ おにたいじに。」
「おこしの ものは なんでござる。」

 
 ここからが大切だ。
「これ、にっぼん一の きびだんご。たべて すすめば百人りき。」
「ひとつ ください、おともする。」
 そこで、いぬは きびだんごをもらって たべて、おともになったそうな。

 
 分かったかい。このきび団子はただの団子ではない。ひとつ食べれば「百人力」つまり百人の大人と同じくらいの力が出る特別な団子なんだ。だからイヌは「ひとつください、おともする」というのです。
 百倍にパワーアップする団子がもらえるなら桃太郎についていってもいい、と思ったわけさ。

 桃太郎はサルにもキジにも同じことを言います。
「これ、日本一のきび団子、食べて進めば百人力」
 これで全部のなぞが解決だ。

「なぜ桃太郎たちはあんなに強かったのだろう」
 百人力の動物が3匹と、もちろんきび団子を食べているはずの百人力の桃太郎。合わせて4百人力の「桃太郎と3匹」が乗り込むわけだから、鬼たちが勝てるわけがない。
 
 それについては本にこんなふうに書いてある。(26ページ)
 
 それでもなんでも、こっちは みんなにっぼん一の きびだんごを たぺて、百人りきに なっておる。
 なんの おにの たいしょうめと、ももの子たろうが かたなを ぬいて、
 「ええい、やあっ。」
 と やったらば、かなぼうは ぺしゃり おれてしまった。
 おまけに、いぬが かみつく、さるが ひっかく、きじは ぼっきぼっきと 目んたまをつっついたので、おにの たいしょうは もう にげることもできん。
 とうとう てをついて、ぽろんぽろと なみだを こぼして、
「あや、ももの子たろうさま。いのちばかりは ごかんぺん ごかんべん。」
と あやまったそうな。
 


 さて、気がついたかい。ここでも「日本一のきび団子」って言っているでしょ。
 もしかしたら別の桃太郎の本に出ている「日本一」という旗、あれは桃太郎自身が日本一、という意味ではなくて、持っているきび団子が日本一っていう宣伝なのかもしれないね。
 よくお店やガソリンスタンドにある旗と、形が同じじゃないか。実はあの旗、今でも「桃太郎旗」っていうんだ。桃太郎は鬼ヶ島に行くまでの間、あんなふうに「日本一」を背負って団子を売りながら旅をしたのかもしれない。
 もちろんそんなことは本には書いてないけど。



【ほかの童話も調べてみよう】

 こんなふうに考えながら見ていくと、昔、読んだはずの桃太郎にもいろいろな発見がある。そして桃太郎だけじゃなくて、ほかの昔話でも謎はあるのかもしれない。

 たとえば、浦島太郎はあれほど開けてはいけないと言われた玉手箱をなぜ開けてしまったのかとか、「あっという間におじいさん」になってしまったのに、なぜメデタシ、メデタシなんだろうとか。
 そう言えばそもそも、乙姫様はなぜ開けることもできない玉手箱を太郎にプレゼントしたのだろうかとか。

 「はなさかじいさん」のイヌはどこから来たのか。もともとの飼い犬が突然「宝物発見の能力」を高めておじいさんに知らせたのか、とか。
 謎はいくらでもある。
 
 そんなことも、調べてみるといいかもしれないね。
 さあこれから図書館に行ってみんなの不思議を調べてみよう。

 
(参考)
「ももの子たろう」(ポプラ社 1967)







*ブログネタに困って、昔書いた文に手を加えて再掲しました(「童話2000」

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2017/10/25

「更新しました」  教育・学校・教師

「キース・アウト」

2017.10.25
中2自殺、学校の指導体制に問題  調査委会見「話し合う土壌不足」

 問題をすべて担任と副担任に被せることはできない。



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2017/10/25

「総選挙が終わって思ったこと」  政治・社会

  〜ごった煮のススメ、ジャンヌ・ダルクが大阪のおばちゃんになる

 つい先日も選択肢がふたつしかない二大政党制のどこがいいのか分からないというお話をしました(2017/10/19「たくさんの中からひとつを選ぶ。ふたつにひとつ」〜選択肢の問題)。今も分かりません。

【ごった煮政党のススメ】
 小選挙区制というのは二大政党制を生みやすい制度で――というより日本に二大政党制を実現しようとして導入されたのが小選挙区制です。なぜ二大政党制がいいかというと、
・ふたつにひとつですから政策論争が分かりやすく、
・政権交代が容易なため政治家に緊張感が生まれる、
・長期政権に発生しがちな腐敗が防止しやすく、
・大胆な政策転換も政権交代によって可能となる。
・二大政党は基本的に似通ったものになるので政権が安定しやすい。
 そんなふうに説明されます。

 合衆国で言えば、民主党が政権を取れば貧しい人やマイノリティーに手厚い政治が行われ、外政は国際主義、政府は肥大する、共和党が政権を握れば安全保障が重視され、アメリカの国益優先、古い道徳への回帰、小さな政府と、そんな印象があります。しかし政権交代によって全く違った国みたいになることはない。イギリスの保守党と労働党も似たようなものでしょう。そう考えたとき、日本で二大政党制が定着するとしたら、自民党に対してどんな政党が対置されるのか、ということになるのですがそれがうまく浮かんでこない。

 確かに日本共産党はまったく自民党的ではありませんが、現在の日本に対して極端すぎて、政権を任せるというわけにはいきません。
 立憲民主党や希望の党はまだこれからなので様子を見るとして、一齣前に戻して民進党はどうかというとこれも「右から左までのごった煮で、さっぱりまとまらない」といった評価でよくわかりません。そこでさらに一齣戻して民主党政権はどうだったかと考えると、あれは「素人っぽくて手際の悪い自民党」でしかなかった、そんな気がしてきます。
 結局、自民党にうまく対置できる巨大政党というのが思い浮かばないのです。なぜか。

 たぶんそれは自民党自体がヌエみたいな存在だからです。今の安部政権は東アジアの国々からは極右のように言われますが、必要に応じていくらでもリベラルの顔をします。選挙の結果や世論によっていかようにも姿を変える、野党の看板政策でさえちゃっかり盗んだりします。まったく形が掴めません。
 それはそうでしょう、そもそも何十年も前からいろんな人を“ごった煮”に集めて成り立っているのが自由民主党です。とのかくこの党で歯を食いしばっていればいつか大臣になれると信じた人が必死に頑張っている、イデオロギーも核になるような信念もない人々です。

 だとしたら同じように、対抗政党の民進党も“ごった煮”のままもう少し頑張ればよかったのです。あるいは希望の党が選別・排除などせず、自民党の向こうを張る“ごった煮”巨大政党となってやや左寄りの政策をとればよかっただけです。そんなふうに思えてきました。
 
 それが私の全体総括です。


【都知事とジャンヌとオバタリアンと】
 投票日前日にパリへ行って選挙の熱狂が冷めたころ帰って来る――選挙が圧勝だったらそれこそケンシロウの「お前はもう死んでいる」みたいでカッコウ良かったのですが、惨敗では逃げたも同然です。
 小池知事、さぞかし今日は大変でしょうね。「緑のタヌキ」だの「小池にはまってサアたいへん」だの、負けると次々といろいろ出てくるものです。
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(モンサンミッシェルのジャンヌ・ダルク)

 希望の党の敗因については様々に分析されていますが、結局のところ孤立無援で都知事選に出馬し、「自民党のドン」の支配する都議会に切り込んで都議会選で大勝利した日本のジャンヌ・ダルクが、気がつくと「大阪のおばちゃん」になっていた、そのことにみんな気づいてしまった、そういう話だと思っています。
(ほんとうは大阪じゃなくて兵庫県芦屋市出身で、西宮から明石くらいまでの女性は「大阪のおばちゃん」と混同されることにかなり抵抗しますが)


 大阪に限らずかつてオバタリアンと呼ばれた女性たちには、優れた二つの特徴がありました。
「既成概念を打ち砕く驚くべきユニークな発想力」と「あとさき考えすにそれを実行してしまう行動力」です。

 ふたりの国会議員が苦労して政党の礎を築いている最中に横合いから飛び出てきて、
「これまで若狭さん、細野さんはじめとする方々が議論してこられましたけれども、リセットいたしまして」なんて言うのはまさにその典型です。

 政権選択選挙なのに代表自ら立候補しないとか、だれを首班に指名するかそれも明かさないとか、党に幹事長も他の役員も置かないとか、白紙委任状に近い協定書にサインさせるとか、そのいちいちが「誰も考えつかなかったこと」で「誰もやらなかったこと」で、多くが「やってはいけないこと」でした。
 
 そのオバタリアン的強さが自分より強い者に向かえばジャンヌ・ダルク、弱い者に向かえば独裁者という、ただそれだけのことです。独裁者は判官びいきできません。

 
 私にとって焦眉の急は北朝鮮問題です。消費税のことも憲法改正も後でどうとでもなると思っています。ですから安倍政権には一年だけはもってほしい、どうせ一年以内に北朝鮮問題は動くのですから、あとのことは北朝鮮問題が終わってから考えればいい、そんなふうに思っていました。ですから希望の党が結成されたときはとんでもなくうろたえました(2017/9/28 「来週のキミたちを楽しみにしている。トランプがんばれ!」)が、今は余裕でこんなふうに言います。

「自民党に対抗できる有力な政党が生まれうはずだったのに、惜しいことしたね、小池さん」



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