2017/8/31

「天使と悪魔」  人生

     〜運のいい人

 若いころ、ひとが齢を取って迷信深くなったり信仰を持ったりするのは、死期が近づくためだと思っていました。
 しかし自分が齢を取って分かるのは、世の中には合理では説明できないさまざまな事実があり、それを多く経験するから迷信深くなったり信心深くなったりするようなのです。

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【縁が二人をつなげる】
 例えば婿のエージュの実家は私の家から850qもの遠方にあり、それだけの理由で学生時代は私の取って好ましくない娘の彼でした。そんな遠いところに嫁に出すのは嫌だったからです。
 しかし二人は東京で就職し、850kmが200kmまで縮んだというので私もついつい了承しまいました。後から考えると200kmも大した距離です。

 それはいいのですが家族の初顔合わせの日、私はびっくりするような事実を知ることになります。エージュの父親がこんなふうに言ったのです。
「自分の母方の祖母の家はお宅(私の家)のすぐ近くで、子どものころは何回か訪れたことがある」
 聞くと祖母の旧姓はこの辺りではありふれたものでしかも全国的には珍しい姓です。
 父親が「あまり昔過ぎて思い出せない」と言いながら語る話の中から、私はいくつかの風景を思い浮かべることができました。
 エージュの父親は東京で生まれ、大人になる前に家族で九州に移住し、本人は京都の大学を出て仕事の関係で現在の土地に移り住んだのです。
 縁とは奇なるものです。850kmの距離を置きながら、そんな繋がりがあったのです。

 ちなみに私の苗字とエージュの母親の旧姓は同じです。またエージュの家で好んで酒を嗜むのは母親と嫁のシーナだけですから、エージュの家は二代に渡って同じ姓の呑兵衛を嫁にもらったことになります。それも縁です。


【我が家の数字の魔法】
 ところでシーナの誕生日は平成2年の2月12日です。息子のアキュラは平成5年の5月15日、孫のハーヴは平成27年の6月16日生まれです(本当は26年の6月16日か27年の7月17日だったらよかったのですが、嫁に出した娘の子なのでそこまで揃えることはできませんでした)。
 私はちょうど20年前の平成9年7月17日に大きな手術を受け命を拾いました(2014/9/2「ガン病棟より」@〜バージンロード以下)。最近気がついたのですが、平成9年は1997年、つまり1997年7月17日が生まれ変わりの日で、三つの同じ数字と「1」という我が家の法則はここでも働いているのです。


【がんになるにも運がある】
 その1997年の2月。40歳になるまで遊び惚けていた私の弟が15歳も年下の女性と結婚します(犯罪者扱い)。4月には私が学校を離れ、ある研究機関に出向します。そして5月にがんが発見されるのです。
 いったんは地元の病院で手術をするはずでしたが、結婚したばかりの弟の、義母となった人の従兄が都会のがんセンターの勤務医であることが分かり、急遽そちらに転院します。そこで名医の手術を受け、以来20年。あのとき弟が結婚していなければがんセンターの医療を受けることはなかったし、そもそもあのとき学校勤務を続けていたら病院に行くのも遅れたろうし入院自体も簡単ではありませんでした。

 とんでもない不摂生をしていた時期なので病気になるのは仕方ないにしても、その他のことは完璧、私が病気になることを見越して弟は結婚し、私も学校を離れていつでも入院できる態勢をを取っていた、そんなふうにしか思えないのです。

 運に恵まれている――死なないわけです。


【運がいいのは「運がいい」と思っている人だけ】
 以上、もちろんそれらすべては偶然です。そこに「縁」だの「運」だのといった意味を与えたのは私自身です。
 長く生きてきましたから逆にその人生から悪いことだけを抜き出せば、そこに「悪縁」や「悪運」の物語を紡ぎ出すこともできたかもしれません。しかし私はしない、そういう性質ではないからです。

 誰から聞いた話か覚えていないのですが、
「運を呼び寄せるのは『自分は運がいい』と思っている人だけ」
なのだそうです。
 同じ人生から天使を呼び寄せるか、悪魔を招き入れるか――平凡な結論ですが、それは本人次第というしかありません(参考:2009/10/15「ポ・ジ・ティ〜ブ・シンキング♪」

 それにしても、ほんとうにあれらは偶然だったのかな?





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2017/8/30

「更新しました」  教育・学校・教師

「キース・アウト」

2017.08.30
教員にタイムカード、長時間労働解消へ緊急提言

   ⬆
 携帯ではリンクがうまく接続できません。記事はリンク先の下の方にあります。

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2017/8/30

「もうすぐ二学期」A  教育・学校・教師

     〜クラスのふんどし、戦う集団

 担任の当たりハズレという言い方がありますが、万人に良い担任というものも全員に悪い担任というものもそうはありません。
 何と言っても人間関係には相性というものがありますし、それ以前にどんな人とでもうまくやっていける強靭な精神もあれば誰ともうまく行かない厄介な精神だってあるわけで、そう簡単に当たりハズレで説明できるものでもありません。

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 私の二人の子について言えば、姉のシーナは担任が誰であろうとそこそこうまくやっていく性質でしたが、弟のアキュラの方は担任によって学校ばかりか家庭での生活まで左右されるところがありました。もっとも友だち関係ではシーナは振り回される傾向があり、アキュラの方はいつも安定していました。そういうものですね。
 そしてアキュラは小学校高学年から高校に至るまで、一貫して担任が好きではなかったのです。


【「担任が好きかどうか」は決定的な要素ではないが・・・】
 ただしそれはその時期、アキュラが一貫して問題児であったためで、担任の良し悪しとは関係ないでしょう。
 特に中学校3年間をお世話になった先生は非常に優秀で、悪い方向に進もうとするアキュラを強引に良い方向に捻じ曲げてくださった方です。親の立場からすればとてつもなくありがたい方ですが、捻じ曲げられた当人が “ありがたい”と感じるまでにはけっこう時間がかかりました。
 高校の担任は、これも3年間同じ人でしたが、こちらは親として感心できない人でした。
 アキュラからは「とにかく勉強一辺倒の人だ」と聞いてはいましたが、クラスマッチや合唱コンクールなど学校行事にはまったく無関心で、部活動や文化祭についても批判的な人でしたでした。
 それを私は、一年生の時の、学級PTA会長が開いてくれた「先生を囲む会」(つまり飲み会)で痛感することになります。


【私が刀を研いだ日】
「文化祭や部活に熱を上げているようでは受験勉強なんてできませんよ」
「旧帝(旧帝国大学)以外でめぼしい大学って、いくつあります?」
「部活をやりたかったらウチになんて来ず、M高に行けばいいんです。M高なら朝から晩まで勉強なんかしないで部活ばっかりやっていられますから、ハハ」

 最後の「M高」は私が伏字にしているのではありません。その人がいちいち「M(エム)」と言うのです。それは市内でも特にスポーツで有名な高校の頭文字であると同時に、「M(問題)高校」といった隠語を匂わせるものでした。

 私はほとんどキレかかっていたので思わず、
「M高って私の母校なんですけど・・・」
と言いかけて(本当は出身者ではない)しかし我慢しました。そしてその代わり、
「先生、受験は団体競技って言いますよね。大学を受けるのは個人個人だけれど、みんなで団結して、励まし合って、競い合って――」
と、まだ話し終わる前に、
「そーなんですよ! 集団で立ち向かわなくちゃ受験は乗り切れない。高校野球でも強いチームは必ず内部で声を掛け合い、切磋琢磨しあい、一緒に勝ち進んで行こうとする。ボクは生徒に、いつもそのことを言ってるんですよ。ハハ」
 その瞬間、私の頭の中で、一度結んだものがプチンとキレる音がしました。
「でも文化祭や部活についてはまったく協力も応援もしないのに、受験だけ協力し合って高め合う子なんて、何か嫌な生徒じゃありません?」

 アキュラのクラスの保護者と担任の懇親会というのは、それきり開かれることはありませんでした。
 聞くと翌日、
「昨日の保護者との会でアキュラくんのお父さんから合唱やクラスマッチでも団結して頑張る方がいいと言っていたので、みんな頑張ろう」
と言ったとか。
 その晩、私は久しぶりに父の遺品の日本刀(小刀)の手入れをしました。


【受験を戦う集団】
 義務教育の学校というのは地域が同じ年齢が同じというだけの何の共通性もない子どたちを集めた場所です。
 もちろん「人間」は「人の間」と書くように、寄せ集めであっても集団であること自体が良いことですが、学校は意図的な教育をする場です。寄せ集めの子どもを寄せ集めのまま置いておくのはもったいないことです。
 クラスマッチや合唱コンクールに、生徒と一緒になって夢中で取り組むタイプの素晴らしい先生たちが大勢いました。しかし終わってみると「結局この先生は高校受験で戦える戦闘集団をつくるために、これまで学校行事に一生懸命取り組んでいたんじゃないか」と疑わせるような先生もいました。
 どちらも優秀で、私なんぞそのどちらにもなれなかったのですが、部活を引退して燃え尽きた生徒が大勢いて、受験生になり切れない子がいて、男くささ女くささがムンムンするような中学校3年生2学期の、グダグダなクラスのふんどしを締め直すとしたら、かなり早い時期からそれを考えておく必要がありそうです。

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2017/8/29

「もうすぐ二学期」@  教育・学校・教師

   〜読書感想文とクラスのふんどし

 すでに二学期の始まっているところもありますが、ほとんどの地域は週末が二学期の始業式です。
 いくら何でも今日あたりまで、まだ宿題の残っている子はいないだろうと思ったりもしますが実際にはいる、しかもかなりの数の子たちが泣きながらドリル帳に向かっていたりします。

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 今日のマイ・ニュースはメルカリ(国内最大のフリーマーケット・アプリ)に読書感想文が出品され、買い手がついたという話。
ニュース・コメンテーターは、
「近頃の子どもは夏期講習だの塾だのといろいろ忙しいから、なかなか本を読んで感想文、なんてわけにはいかないんですよね」
などと知ったかぶりをしていましたが、普通の子の夏期講習なんて体のいいショートステイの学童保育みたいなものですから時間はたっぷりあります。それに本気で受験を考えている子にしたって、受験勉強のために感想文が書けないなんてその程度の読書力・読解力・作文力では、一流の学校に入れるはずがありません。

 小学6年生にしろ中3にしろ、課題図書なんてエリート校受験生にとっては格下図書ですからそれぞれ1時間以内に読めなければいけない。その上で小学生なら原稿用紙1枚、中学生なら2〜3枚をたちどころに仕上げる程度の国語力がなければ合格はおぼつきません。時間とお金の無駄ですから受験勉強など諦めて、本でも読んで教養を高めた方がよほどましです。
読書感想文をしっかり書きましょう。


【夏休みが終わると】
 さて、夏休みが終わると年度の折り返し(9月末日)まで残り一か月。
 思い起こせばたった4か月前のゴールデン・ウィークのころ、近所の児童公園に行くと中学生になったはずの男の子が、小学生に交じって汗びっしょりになって走り回っていて唖然とさせられましたが、さすがに夏休み明けとなるとその子たちも中学生らしくなってきます。
 子どもたちが中学生になるということは、一部の親たちにとって、子育てが本格的に難しくなるということです。4月の家庭訪問では年下の担任に対して、
「先生、子育てなんてそんなに生易しいもんじゃない。学校の先生こそ教育ってものが分かっていない!」
 とか偉そうに言っていた親たちも、夏休みが終わったころから平身低頭、こちらが良い仕事をしさえすれば言うことをよく聞いてくれるようになります(他にテがないから)。

【体が変わる、心が変わる、クラスが変わる】
 驚くべきことに夏休みが終わると、中三の女の子は部活を卒業してしまったこともあって、すっかり丸っこい女性らしい体つきになって学校に戻ってきます(←コレ、もはやセクハラ発言なのかな?)。見かけだけではなく心も変わってずっと落ち着いた感じになります。ガキという感じはさらさらありません。
 さらに驚くべきことに、男の子はまったく変わらない、受験生にさえなっていない、ガキのまま、そのままの姿で学校に戻ってくるのです。

 女子と男子の向かう方向が少しずれた感じになり、部活に燃えていた生徒が燃え尽きてしまい、受験生になり切れない子がたくさんいて、改めて見ると教室内に(男子と女子ではなく)男と女がいる。文化祭などの学校行事でかろうじて食つなぐものの、クラス全体はグタグタな感じで先行きが不安になる、そんな時期です。
 もう一度クラスのふんどしを締め直さなくてはいけない――。

                           (この稿、続く)




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