2017/7/7

「教員免許更新制度の行方」A〜更新制度はなくならない  教育・学校・教師


 困ったことに、「悪いこと」は是正できますが「良いこと」は是正できません。
 大げさな例で言えばイスラムのジハード(聖戦)などは「弾が尽きましたからやめます」という訳にはいかない、神のための戦いですから弾が尽きたらナイフで、ナイフが折れたら素手で、死んでも敵を倒さなくてはなりません。ところが同じ戦いでも、ギャング同士の縄張り争いならサッサとやめて帰ってこれます。もともと良いことではありませんから。
 
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【学校について言えば】
 学校に求められることは常に“良いこと”ばかりですから、始めるときによほど注意しないとたいへんなことになります。

 例えば2005年に奈良・広島・栃木と立て続けに誘拐事件が起こった際、多くの学校で始められた集団登校。今も続いていて、子どもや保護者に大変な負担となっている場合がありますが絶対にやめられなない。

 あるいは教員評価。目標設定を含めると年3回の面談と書き換え、総合評価。職員や普通の学校の校長先生ならまだしも、寄宿舎職員も含めると120人もの職員を束ねる特別支援学校の校長先生など、どうやってやり遂げているのか――。
 さらにその校長の評価を行う教育長。50校もあるような大きな市の教育長となると、中には校長面接のときくらいしか話をしないといった場合もあるはずなのに、どうやって評価をしているのか、全く謎です。
 しかし教員評価はなくならない。
 おそらく一部では形骸化して負担ばかりが目立つようになっていると思いますが、それでもなくならない。なぜなら “良いこと”だからです。

 そうした理屈から言えば、教員免許更新制度も、
「他に更新の必要な国家資格は運転免許くらいしかなく、他の資格に対して著しく不平等で教職員の意欲にかかわる」
とか、
「3〜4万円の費用は負担が多すぎるだろう」
とか、
「ただでも多忙な教員に30時間もの講習を義務付けるのはいかがなものか」
とか、
 さまざまな問題はあっても、それらはすべて教員に我慢してもらえばいいだけのことなので絶対になくならない。なぜなら “良いことだから”、ということになります。

 それどころか毎年10万人もが受講してくれる更新講習は各地方大学の良い現金収入となっています。
「先生たちの便を図って長期休業中に」ということになっていますがその時期は大学もヒマで、そんな暇な時期に、
受講料(3〜4万円)×受講者(10万人)=(30億円〜40億円)
 もの収入が得られるわけですから各大学こぞって教員免許更新制度の有用性を持ち上げます。
 これでは更新制度がなくなるわけがない。

 しかし実はここで大きな問題が浮かび上がってきているのです。
 別のところでお話ししましたが、必要な教員が足りなくなってしまった。


【“臨採”と呼ばれる先生たちの圧倒的な必要性】
 もちろん教員のなり手がいないというような話ではありません。
 超売り手市場と言われるほどに就職状況が良く、他方で「6割が過労死基準越え」といった過酷さが知られるようになってもなお、教員志望者は常に必要数を上回っています。教職にあこがれる若者はいくらでもいるのです。

 それにもかかわらず「必要な教員が足りなくなる」というのには、少々込み入った事情があります。

 順を追って説明するとまず現在、少子化による将来の児童生徒の減少(およびそれに伴う教員定数の減少)を見越して、ほとんどの都道府県では正規採用を極力抑え、“臨採”と呼ばれる非正規職員といっしょに合わせて教員定数を満たすよう採用調整をしています。
 将来的にはその“臨採”を減らすことで、教員定数の減少分を吸収しようとしているのです。
 ここまでが前提。注目しておきたいのは20年30年前と比べると、“臨採”に応募できるような人材はすでに大量に学校内に確保してしまっているという点です。

 “臨採”の使い道はしかし、それが本来の姿ではありません。年度途中で先生がいなくなった場合、その穴埋めをするのが本来のあり方で、私が教員になった30数年前はほとんどがこれでした。しかもかなり人数が少なかった。

 ところが先に記したような事情で年度の最初からかなりの数(全国平均で7%)の“臨採”が必要な上に、今は精神疾患による病気休職者が全国で3年連続の5,000人超、それ以外の病気休職者が8000人近くもいる時代です。
 昔は考えられなかった中途退職も年々増えて、一昨年度は全国で300人の新任教諭が1年退職。私の県でも4月の第一週を出勤しただけで退職した新卒がいたと話題になったこともあります。
 さらに重ねて飲酒運転・体罰などによる懲戒免職。これも昔だったらとてもクビになるような話ではありませんでした。

 つまり「突然先生が学校に来られなくなる」という事態は昔に比べると圧倒的に多くなって、“臨採”という存在の重みと必要量が全く違ってきているのです。

【そして、人がいなくなった】
 年度途中で先生が消えてしまうような場合、校長先生は急いで「明日から授業をしてくれる別の先生」を探さなくてはならなくなります。

 その先生が全く足りなくなっている。

 もともと“臨採”を受けてくれそうな人は、すでに多く学校に取り込んであります。そのうえ外に残っていたはずの教員免許所有者の免許は、「更新制度」のおかげですぐに使えるようなものではなくなっているからです。

                           (この稿、続く)

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